77章:天帝宮 旅路の終わりに
形あるものはいずれ滅びる――
そんなことを、中学の時の先生が言っていた。地球も、太陽も、何もかも。
僕たちが生きている限り、そのことから逃れることはできない。忘れようとして、たくさんの人と接して、その未来を霞ませる。そうやって、僕たち人間は文明を築き、その真実を消そうとし続けた。
でも、それは必ず訪れる。どんなに嫌でも、辛くても。
「ソラ」
僕の肩に手を置いたのが誰なのか、振り向かなくてもわかる。何を言っていいのかわからず、デルゲンは困った顔をしているに違いない。
わかってるよ。わかってる。
僕は……僕たちは、ここで立ち止まっている場合じゃないってことくらい。
でも、僕はこの悲しみから、この苦しみから立ち上がることがなかなかできない。彼女がどれほど大きな存在だったのか、最後の最後でわからされた。
――彼女が、死ぬこと。そんなことで、気付かされるなんてな……。
「空さん」
か弱くも、しっかりとした声。それもまた、見なくても誰なのか理解できる。そこにいるのは、護るべき人。いなくなった彼女が救った、最後の人。
彼女は何も言わずに、僕の左手に自分の手を重ねる。
「……ああ、わかってる」
口を開きかけた彼女に対し、僕は言った。顔を上げて、彼女の顔を見つめる。そこには、僕と同じように涙でボロボロの顔があった。
「お前は……そこに、いるんだよな」
僕は右手で、自分の涙を拭った。それでも尚、涙はまだ流れ出てくる。
「どんなにそれを望んでも、世界はそれを赦してはくれない」
僕は今、それを望んでる。あらゆる理を破壊してでも、それを希っている。
「でも、大丈夫。僕たちは、歩いてゆける」
小さな雫を流しながら、僕は彼女に微笑みかけた。そうすることこそ、彼女を救ったあいつに対する償い――のような気がしたから。
「あいつは、こうなることがわかってたのかな」
「…………」
「たとえそうであっても、そうでなくても……」
僕は手を伸ばし、彼女のほほに触れた。すると、彼女の瞳が大きく揺れ動く。
「お前は、ここにいるんだよな。ここに、こうして」
そう言うと、彼女はその手を握り締めた。そこから、彼女の持つ温かさが伝わって来る。
「だから」
そして、彼女は小さくうなずき始める。その瞳から、いくつもの雫を流して。
「笑顔でいこうよ」
そして、僕は再び微笑んだ。
リサと同じように微笑む空。
空と同じように微笑んでいたリサ。
そこにあるのは、未だわからない円環と螺旋の果て。
「空さん……」
彼女は大きくうなずき、涙を拭った。
ホールの奥にあった扉を抜けると、今度は巨大な空間が現れた。全てが真っ白の大理石で、野球を行うドームくらいの広さかもしれない。中央に大玉程度の水晶体が浮かんでおり、その周りに4.5メートル幅の正方形のプレートが、ゆっくりとあちこちに移動していた。遠くに見える大きな窓には、先ほどのホールと同じように青空が広がっていた。
「……すげぇな」
レンドは辺りを見渡した。驚くのも無理はない。何十個とある白いプレートは、まるで魔法にかけられたかのように空中を移動しているのだ。
「あれは、天空石でしょうか?」
アンナは巨大な水晶体を指差した。
「……だろうな」
あそこまで巨大な天空石となると……どれほどのものを浮かばせているのだろうか。もしかしたら、この空中都市全体、ということも……。
「うわっ! 下見てよ!」
シェリアの声で、僕は下に何があるのか気づいた。まるで、谷底のようだ。巨大な噴火口というか……遥か下は白く霞んでおり、白っぽい物体がうごめいているのが微かに見える。
「勝手に動いてるんだな」
下を覗きながら、デルゲンは呟いた。
「きっと、動力が切れていないんだよ。人がいなくても動力があれば、機械――この都市は動き続ける。ずっと……」
そう言いながら、僕は生き続けているこの空間を見つめた。無人のためか、今ここにいる僕たちがこの空間にとって、異端なもののように感じてしまった。まるで、ここにはいちゃいけないような。
「もし、この都市自体に意思があったのだとしたら……この二千年もの間、何を想い続けてきたんでしょうか……」
空の言葉には、物悲しさが漂っていた。
僕たちは空中に浮かぶ階段や動くプレートに乗って、上へ、上へと進んだ。
長い階段を登り、今度は城の後宮みたいな場所に出た。ひたすら幅の広い通路を進み、右へ行ったり、左へ行ったり。途中で迷ったりしてしまい、次のフロアへ行くのに時間がかかってしまった。
そのフロアの奥にはエレベーターがあった。このエレベーターは指紋認証が必要で、それは僕の指紋である。
エレベーターが上に進んでいく途中、周りを囲んでいた白い壁がいきなり透明の壁に変わった。そこから、天都に広がる住宅街や道路が見ることができた。ものすごい速さでエレベーターは昇り、そこから見える風景はぐんぐん遠ざかっていくようだった。
エレベーターから出ると、思いもよらぬ風景が広がっていた。再び巨大な空間。やはり、ドーム並みだ。
「すごい……」
そこにあったのは、庭園だった。きれいに整備された庭園には、色とりどりの花が咲き乱れ、夏の森のように鮮やかな緑色の樹木たちが整然と立ち並んでいる。どこからともなく、鳥のさえずりも聞こえる。どうやら、放し飼いにしているようだが……まさか、この庭園は本当に自然のものなのだろうか?
「うわぁ……いい香り」
空は近くにあった花畑に近寄り、匂いを嗅いだ。
「空さん。これ、全部本物ですよ」
彼女に言われるがまま、僕はチューリップみたいな鼻の花びらに触れた。……滑らかじゃない。この感じ、自然のものだ。
「……ここは、本当に自然のものなのか?」
僕は立ち上がり、辺りを見渡した。この穏やかさ……上空の透明な天井から見える青空も含め、建物の中にいるとは思えない。
「滅んだ古の都とは思えないな。本当にここは大空の上なのか?」
デルゲンは歩きながら、樹木を眺めていた。
「さすがティルナノグ。やることは現代より一味も二味も違うってか」
そう言いながら、レンドはため息を漏らす。
「……この空間だけは、平和なんですね……」
「だね。なんだか、世界を牛耳ってた帝国の中心地とは思えない」
アンナとシェリアが言った。
きっと、室温やら何まで設定されてあり、コンピューターが管理しているのだろう。二千年もの間、彼らは閉鎖された空間の中で、天井から見える太陽を望んでいたんだろうな……。
庭園の中央にある円形にだけ、草が生えていなかった。大理石がむき出しとなっており、そこには空間転移の魔方陣が刻まれている。
そこから移動した先には、巨大な扉があった。そこに刻まれたティルナノグ文字には――〈朝廷の間〉と書かれていた。
扉の先に広がる空間の中央に長方形のテーブルがあり、奥には玉座のように、一人用の豪華なイスがある。テーブルにある百人程度のイスの前には、薄型パソコンのようなものが置かれていた。玉座の周りには、巨大なコンピューターが囲むようにして並んでいる。どこぞの戦艦のブリッジみたいな感じだ。
「へぇ……これは、地上にあった移動用の遺跡群の機械っぽいな」
デルゲンはそう言いながら、そこら辺のコンピューターをいじり始めた。
「……ん? おい、付いたぞ?」
「うっそ?」
たしかに、コンピューターは起動していた。いろいろな数字や文字が表示されている。……地域とかの情報だろうか?
「……付くとは思わなかった」
「きっと、天空石が未だに起動しているからだよ。この巨大な空中都市を二千年も動かしてんだ。これくらいの機械が動いていても不思議じゃないよ」
しかし、天空石ってのはどういう原理でできてんだろうな。半永久的なエネルギーでも持ってるんだろうか。そうでもないと、こんな沖縄とかみたいな島を覆ってしまいそうなくらい巨大な都市を浮かばせることなんてできないはずだ。天空石を作った人物ってのは、よっぽど天才だったんだろうな……。
「ソラさん、これはなんて書いてあるんですか?」
アンナは起動されたコンピューターの画面を指差している。
「どれどれ」
僕はそれを覗き込んだ。そこには、天空石についての説明が書かれてあった。
『創始歴012、初代宰相である――=フェイウス卿によって開発されたもので、閣下によって推進されていた「浮遊論」の骨格の一つ。俗に言う「疑似C」である。各自の天空石は本体に自由且つ自動的にアクセスでき、そこからエネルギーを供給するため、半永久的に作動し続けることが可能。これは、主に浮遊論から確立された本体による反重力システムを応用し……』
これ以降は、わけのわからん理論やらなんやらで理解できないので、説明は割愛することに。
「そう言えば、ヴァルバさんも言ってました。天空石は『疑似C』って呼ばれてたって」
僕の言葉を聞いた後、アンナは言った。
「よくわかんないけど、この青い部分は?」
と言いながら、シェリアは画面の「リュングヴィ1世」――カインが表記されている所に触れた。すると、一瞬にして画面が変わり、彼についての簡潔な説明が映し出された。なるほど、タッチパネルのようなものか。
『初代皇帝・初代天帝リュングヴィ1世――在位・創始歴001〜031。
シアルフィ帝国より王位を賜った後、独立してティルナノグ帝国を建国。皇帝として3大陸を制圧し、――=フェイウス卿と共に、浮遊大陸を築く。
創始歴009、皇帝は『天を統べる帝』として天帝に即位。
創始歴025、宰相の――=フェイウス卿が急死してから、体調を悪化させる。
創始的029、世界統一を成し遂げる。
創始歴031、紺碧の間にて崩御。享年55歳。嫡男ジークがウラノス1世として即位する』
カインって、意外にも若くして亡くなってるんだな。これだけの技術力なら、医療も進歩していたはずなのに。
「さっきから気になってたんだけどさ」
そう言って、レンドは腕を組んで僕に近づく。
「この……『フェイウス卿』だっけ? 妙に名前が削除されてるけど、どうなってんだ?」
たしかに、そこだけが削られているのだ。ただ、名前だけを。
「……ソラさん、聖地カナンにあった歴史書覚えてます?」
アンナは画面を見つめたまま、言った。
「ん? 歴史書?」
そう言えば、聖地カナンには図書館があり、そこにはティルナノグ成立以前の歴史が載っていたな。
「あったな、そんなの。それがどうかしたのか?」
「覚えていませんか? あの歴史書はリュングヴィ……カインのことが書かれていましたよね?」
「たしかに、そうだったな。当時は何ヶ国も存在し、争い合っていて、シアルフィのカインという将軍、とかって」
アンナはうなずいた。そして、怪訝そうな表情を浮かべている。
「……その中に、そこの宰相のことが少しだけ書かれていたんです。その歴史書でも、その人の名前は削られていました」
「え!?」
「ってことは宰相――右腕だった奴は、意図的に名前が削られている……ってことか?」
デルゲンの言葉に、アンナは再びうなずく。
「そんな気がします。誰かが、わざと消した…………そんな意図が感じられるのは、気のせいでしょうか」
「…………」
帝国を築き上げた初代天帝と、天空石を開発した初代宰相。ある意味、彼は皇室以上の権力を握っていた人物だったかもしれない。なら、なおさら名前は載せられるはず。なのに載らないってことは、彼がいたってことを消したいのか? それとも……
――見ろよ! これは……まさに、星の遺産だぞ――
フェイウス……?
ロタール=フェード=フェイウス
貴様の、『原初の人類』……
あれが無ければ、俺は……
俺は――
「空さん?」
空は僕の目の前に、顔を出していた。
「どうしたんですか? ボーっとして」
「……マジで?」
「うん。……大丈夫?」
心配そうに見つめる彼女。少しだけ、瞳が揺れているように見える。僕はそれを振り払うかのように、笑顔を向けた。
「大丈夫だって。なんもないよ」
と、僕は彼女の頭に手を置いた。それに納得したのか、空も小さく微笑む。
……けど、なんだろう。変な感覚だ。一瞬、気を失っていたような感覚。自分が何を思い、考えていたのか、さっぱりわからない。
うーん……。
そこの玉座の後ろの壁に、ティルナノグ皇室の紋章が刻まれていた。
「これは……」
「たぶん、お前の認証が必要なんだろうよ」
レンドに言わるがまま、僕は紋章の中心に手を当てた。すると、紋章は小さく光り出し、コンピューターが解析する時みたいな音が聞こえ始めてきた。
『指紋……オールグリーン。封印を解除します』
紋章の上にある小さな宝玉から、女性の声が漏れた。壁は一瞬煌めき、2メートル幅程度のそれが消えて無くなり、通路が出現した。
長い通路の果てには、再び扉が現れ、認証するための電子文字が浮かび上がった。
「なんじゃこりゃ?」
レンドは首をかしげながら言う。
「空間に文字を表記させてるんだよ。たぶん、エレメンタルか何かの力でやってるんだと思う」
改めて、ティルナノグの文明力が高いことを知った。ガイアでは、2次元の作品とかでは出現してくる技術ではあるが、現実問題として実行はされていないと思う。
「えぇっと……何々……」
声紋? 声、か。
「えっと、僕はセヴェス=ヴェルエス」
そう言うと、電子文字の数列が慌ただしく動き始めた。まるで、パズルが組み立てられていくかのように、そこに別の文字列が完成されていく。
『セレスティアルに触れ得し者と認証しました。ドアを開きます』
扉は光を放ちながら消えた。
『お帰りなさい。我らが主、神々の子よ』
そして、出現した広間の中央に、空間転移の魔方陣が映し出されていた。
「ソラさんが、神々の子――というんでしょうか?」
アンナは僕に視線を向けた。
「さぁな。何にしても、ソラが持つ力は超人的なものだ。そうだと考えれば、まぁ……納得できなくもない」
デルゲンの言うとおり――かもな。僕も樹も、シュヴァルツやリサたちも……カインの血を受け継ぐ者たちは、みな超人的な能力を持っている。それは人に許された力ではない。それはまさしく……
「よし、行こうぜ」
レンドに言われ、僕たちは足を進ませた。
神々の子。
その言葉だけが、どうも脳裏に焼き付いていた。
魔方陣から出ると、大きな扉の前に出た。青い宝石のようなものが散りばめられている。これは、天空石かもしれない。
天空石によって描かれている紋章。龍のような、鳳凰のような動物をかたどった紋章。一万年前、カインが調停者として覚醒し、この天空の帝国を築き上げた時からこの国を見守り続けた守護神なのかもしれない。
――この先に、樹がいる。そんな確信が溢れた。
心臓の鼓動が早くなるのを感じる。振動が、喉にまで伝わってくるような気がした。
樹……シャルフィル=ヴェルエス。
血の繋がった、唯一の家族。その彼が、世界を殺そうとしている。
旅の途中で、僕はそれを知ってしまった。知りたくて、それを知った。自分のことや、殺された両親のことも。
そして、僕は決意した。
樹を殺すことを。
「……それが、お前に応えることのできる真実だよな」
僕は扉を見上げ、そう呟いた。
「世界が、僕たちにそうやって種を撒いたんだ。そうでしか、わかりあえないんだから」
相容れない……そう悟った。僕たちは互いに近くにありながら、光と闇のように遠い存在。決して、交わることの無い二つの螺旋。陰に在りし月の運命とは似て非なる、一つの道筋。
僕たちは、そこに生まれた二つの星屑。
――そう、全てはイヴの子供たち――
――そして、暁の誓約に囚われし少女への歌――
――全てが集いし、始まりと終わりの時へ――
あの、不思議な女性の声が聴こえた。そして、扉はど真ん中から、氷が融解するかのように消え始めた。丸く、透けた穴がどんどん広がる。四隅が残り、最後には全てが消えた。
「行こう」
僕たちは、その先へ進んだ。