75章:兄弟と妹 想い出の陽だまり、永遠に
シュヴァルツとバルバロッサとの闘いは、終わった。シュヴァルツは顔を沈め、辛そうに呼吸している。バルバロッサは傷口を抑えながら、立ちつくしていた。
これ以上、2人は動くことができないだろう。それは、誰の目から見ても明らかだった。
リサは、静かに彼らの所へ歩み寄って行った。足取りは重く、病人のようにふらついている。僕は彼女の近くに行き、倒れそうな身体を支えた。
「このワイが……お前に、負けるとはの……」
絶え絶えの声で、シュヴァルツは言った。呼吸が荒く、血と汗がとめどなく溢れている。
「さぁ、殺せ」
シュヴァルツは顔を上げ、リサを見つめた。
「お前の両親を……一族を殺したワイを殺せ……」
リサを見ると、彼女は顔を振り、小さく微笑んでいた。
「言ったでしょ? 復讐のためには生きないって」
すると、シュヴァルツの顔に驚きが広がる。かと思いきや、彼は鼻で笑い始めた。
「まったく……とことん、甘ちゃんやわ」
顔をそらし、彼は笑っていた。やれやれと思っているのか、大きくため息も交えて。
「ま、どちらにしても死ぬんやけどな」
すると、シュヴァルツの身体が光り始めた。湯気が立ち上るかのように、光の粒子が彼の体から浮き上がり、上空へ舞い上がっていく。
「これは……」
「ミランダと同じ、乖離現象よ」
乖離現象……。
シュヴァルツの身体が……エレメンタルと分子が、ほつれてゆく。少しずつ、少しずつ。
「……あのさ、一つだけ教えてくれないか?」
僕がそう言うと、シュヴァルツは顔を上げて僕を見つめた。
ずっと、疑問に思っていたこと。
「どうして、リサ……リリーナを生かしたんだ?」
その言葉を、彼は表情を変えずに聞いている。
「生かせば、将来きっと自分たちの障害となり得る存在だったはずだろ?」
彼がラグナロクの一族を殺したのは、彼らが自分たちと同じようにサリアの末裔で、大きな力を持っていたからだろう。あるいは、その情報力から、無駄に世界に情報が漏れることを懸念したのかもしれない。
なのに、リリーナだけを生かした意味がわからない。
「どうしてだ? 何か、考えでもあったのか?」
「…………」
7年前、シュヴァルツとバルバロッサは幼いリサを、わざわざルテティアまで魔法で逃がした。自分の両親を、躊躇いもなく殺したはずなのに。
シュヴァルツは顔を逸らし、小さく笑った。
「……賭けや……」
「賭け?」
シュヴァルツは小さくうなずいた。
「リリーナはきっと、ワイらを止めようとするやろ。そして、きっといつかは互いに闘うことになるとな……」
「どちらが勝つのか、試したんや」
バルバロッサは、シュヴァルツの傍へ歩み寄って来ていた。
「ワイらのしようとすることが……絶対的に正しいとは言えん」
長い藍色の髪を揺らし、バルバロッサは天井を見上げる。
「せやからこそ、もう一つの……逆の方法を選び取る人間が必要やった」
「ワイら自身が、驕った時のためにな」
シュヴァルツはそう言って、僕たちを見つめた。
自分のすることが正しいとは言えない。それは、僕たちにも当てはめることのできるもの。
「……それにしても、強ぅなったな……リリーナ」
シュヴァルツの声は、聞いたこともないほどの優しい声だった。今まで張りつめていた何かが、解けたような感じだった。
「7年前までは、ワイらの後を付いてくる子供だったのに……こんなにかわいらしゅうなってなぁ」
バルバロッサはシュヴァルツの隣にしゃがみ、言った。
「叔母上に似たんやな。あの叔父上に似とったら、大変やわ」
ハハハ、とシュヴァルツとバルバロッサは顔を合わせては笑った。この愉快な笑顔は初めて見る。今までの暗い笑顔とは、わけが違う。
「…………」
リサは顔を俯かせ、何も言わない。すると、彼女は顔を上げて、
「お兄ちゃんたちこそ、見ない間に老けたね」
リサの顔には、微笑みが広がっていた。そこにいるのは、リサじゃない。リリーナだ。
「ハハ、せやな」
と、バルバロッサは苦笑する。
「おいおい、これでもまだ20代なんやで?」
「……そうだったね」
リサは彼らに歩み寄り、二人の間にしゃがんだ。彼らをゆっくりと見回し、あの頃との違いを見つめている。
「……もう……」
彼女の体が、小さく震え始めていた。
「昔のように肩車は……してくれないの?」
溢れ出ようとするものを堪えているのか、声までもが震えている。
「肩車かぁ……ハハ、懐かしいのぉ。山からの帰り道、いつもしてあげとったもんな」
当時を振り返り、シュヴァルツはあの頃と同じように笑顔を向ける。
「歩くのが疲れたって言っちゃあ、催促しとったもんな」
バルバロッサも同じように、微笑む。
「お兄ちゃん……」
リサは顔を手で覆い、泣き始めた。声を上げずに、健気に。
彼女の小さな頭に、シュヴァルツは手を置いた。
「……ごめんなぁ、リリーナ」
「今まで、よぉ頑張ったの……」
バルバロッサも、同じように彼女の頭に置く。リサは二人を見上げ、涙を拭わずに顔を振る。
「う……わぁ……!!」
リサは二人を抱きしめた。二人もまた、彼女を抱きしめる。その光景は、彼らが7年前まで築いていた想い出の姿のようにも見えた。
幼い少女と、兄のような双子。
本当の兄妹のように、接していたのだろう。
彼らの言葉は、自分の大切なもの全てを捨てたその時から、胸に秘めていたものだったのかもしれない。
シュヴァルツは、ポンポンとリサの背中を軽く叩く。
「……さいなら」
シュヴァルツは彼女に笑顔を向け、言った。そして、彼の身体は一瞬にして半透明となり、無数の粒子となっていった。ミランダの時のように、粒子は上空へ舞い上がり、消えてゆく。そうやって、シュヴァルツの身体は完全に消え去った。
その消えゆく姿をリサは涙を浮かべながらも、瞬きもせず、ずっと見つめていた。彼の粒子が、完全に消えるまで。
「逝ったか……」
残されたバルバロッサは立ち上がり、呟いた。
「これで、ワイらの全ては終わりや。……あの時に誓った決意は、この場所で消えた」
「…………」
バルバロッサは小さく微笑み、上空を仰ぐ。
「それでも……ワイらは、それを望んだ。全ては始まりし時へ…………それこそが、ワイらの夢やったからな」
たとえ憎まれようと、蔑まれようとも、命を捨ててでも果たしたい〈夢〉がそこにはあった。
その時、バルバロッサの体が白く輝きだした。光の粒子が、ほつれてゆく。
僕たちの疑問に気付いたのか、バルバロッサは僕たちに視線を戻した。
「ワイとあいつは双子。エレメンタルを共有し合っとった。……せやからこそ、常人以上の力を出せた。ワイらは二人で一人なんや」
あの魔法を使った時、バルバロッサも力を送り込んでいたのだ。
「弟のあいつが死んだ今、ワイも乖離によって死ぬ。……半身が欠けちゃあ、残りは生きていけれんからな……」
常に一緒で、常に同じ夢を見続けた二人。バルバロッサは、リサに微笑みを向ける。
「短い生涯やったが、後悔は……無い」
彼はリサの頭を、優しくなでた。大きな彼の手は、彼女の頭を掴めるほどだった。
「……ワイらは、己が真実やと思ったことを貫きとおせた。どんなに、罪を背負うことになってもな……」
彼らは、自分たちがしてきたことに誇りを持っているようだった。たとえ間違っていても。
「やだよ……お兄ちゃん……」
彼の手をギュっと握りしめるリサ。そんな彼女を、まるで父親のような眼差しで見つめるバルバロッサ。
「……じゃあの、リリーナ。シュヴァルツが待っとる……」
そして、バルバロッサは上空を見上げた。それと同時に、彼の身体が半透明になってゆき、光の粒子が浮かび始めた。少しずつ、少しずつ粒子となり、バルバロッサの身体が消えていく。
最後には、跡形も無く消えていった。