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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆1部:僕と彼と彼女たちの日常
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6章:うごめくもの 定められた運命の理


「海はね……私と同じで、空のことが一番好きだったの…」


 部屋に取り残された僕たちは、母さんやおばさんたちに適当に言い訳を作って、ただ呆然と座っていた。

「海、言ってた。泣き虫だったちっちゃい頃、慰めてくれる空が好きだって。どんな時でも、励ましてくれる空が大好きだって……」

「…………」

 僕は何も言うことはできなかった。そんなこと、想像の範囲を超えていたんだ。

「……海のやつ、お前に言ってたのか?」

「中学生の頃に、ね。……けど……」

 空の声が、小さく震えているのがわかった。

「けど、本当はうんと昔から気づいてたの……海の好きな人は、空だって……」

「…………」

「やっぱり、双子だからわかっちゃうのかな……」

 空は小さく微笑んだ。しかし、程なくして彼女のほほに、一筋の涙がこぼれた。

「……なのに…私、あの子の気持ちを知ってたのに………自分の気持ちが先行して………」

「空……」

「…私、お姉ちゃんなのに……海を裏切ったんだ…!」

 そう言って、空は泣き崩れた。とめどなく溢れる涙。それを止める術を、僕は探しても探しても、見つけることができなかった。

「最低だ…私……! 自分のことばかり考えて………」

「何言ってんだ。おまえは悪くない。お前は―――」

「違う! 私が……ちゃんと話をしなかったから……!」

「……過ぎたことを言うのは止せ」

 僕は彼女を抱きしめた。小さな体だな、ホント……。簡単に包み込むことができる。

「……これは、あいつが乗り越えなきゃならないことなんだ」

「乗り越える……?」

 僕の腕の中で、空はか弱げな声で言った。今にも消え去りそうな声だった。

「…現実を見なければならないんだ。僕は、あいつの気持ちに応えることができない。……僕はお前が好きだから」

「…………」

「僕はあいつを幼馴染…大切な親友以上とは考えられないんだ」

「でも……私と海は…双子だよ…?」

 僕は顔を振った。

「……だからなんだってんだ? 同じだって言うのか? それこそ違う。双子だからって同じというわけじゃない。人は人。個人は個人。……たとえ外見は同じでも、中身はまったく違う。お前たちが考えることの全てが、同じであることはない」

 僕は空のほほに触れ、涙を取った。人肌と同じくらいの温度の水。それが、涙だ。

「…それを踏まえた上で、僕はお前が好きなんだ。外見が同じでも、僕はお前が好きなんだ。誰でもない、日向空であるお前が…」

 僕を見つめる二つの宝石が、小さく震えている。

「空…………う…ぅ……わぁ…ぁー……!」

 空は僕を強く抱きしめ、泣いた。なるべく声を押し殺して。



「…出てこない」

 空は頭を振った。予想通りのことだった。

 一夜明け、僕たちは何度も声をかけるが、海は一度も部屋から出てこなかった。空の部屋でもあるのだが、鍵を閉めてしまっていて彼女でさえ入ることが適わない。

「そうか…。扉越しに声をかけても……」

 僕がそう言うと、空はうなずいた。彼女は何度も問いかけてみたらしいが、返答はなかったという。

「いったい、どうしちゃったの? 昨日はあんなに元気だったのに……」

 おばさんは、頭を抱えていた。

「…………」

「高校生だからな…。ちょっとしたことで、敏感に反応してしまう年頃だ。今は、そっとしておいたほうが良いだろう」

 おじさんはおばさんを慰めるように言った。

「……そうかしら……」

「大丈夫。それに、空君もいるわけだしな」

 突然笑顔を向けられ、僕は焦った。

「…そうよね。いつだって、空君がいてくれたおかげで海も…空も立ち直れたことが多々あったものね」

「…………」

 そうやって期待されると、引きつった笑顔しかできない。偽りの微笑でしか、二人を安心させることができなかったのだ。


「…どうすればいいのかな…」

 とりあえず、空は海が出てくるまでの間、僕の部屋にいることにした。

「…声をかけても、何を言っても駄目だしな…」

「…………」

 空は顔を沈めていた。僕は彼女が何を考えているのか悟った。

「お前……まだ自分が悪いって思ってんのか?」

「…………」

 やっぱり。どうしてそう考えちゃうかな。

「自虐的になるのもいい加減にしろよ。誰も悪くないって言ったろ」

「でも……やっぱり、私が先に言ったから……」

「だから、関係ないって」

 まったく、どうして空はそういう考え方をするんだろう。誰かのせいにしようとしないことはいいと思う。けど、だからって自分に責任があると自虐的になるのはどうかと思う。自分が犠牲となって、他人の罪を軽くしようとする。

 そんな彼女だから、好きなのだ。

「……もし」

「………?」

「もしも………海が、私より先に告白してたら……どうだった?」

「…はっ?」

 予想外の質問だった。不意を突かれたようなものだ。

「ねぇ、もし……もしも海が私より先に告白してたら、どうだった?」

 空は顔を上げ、悲痛な顔で言った。

「そうだったら、受け入れてた? 私じゃなく、海を……」

 今にも泣きそうな顔で、空は続ける。続けるほど、僕の中にあるものが膨らんでいった。

 やめてくれ。それ以上、言わないでくれ。

 大好きなお前から、そんなこと……

「ねぇ? どう―――」


 パンッ


 乾いた音。空の髪の毛が、彼女の頭の動きと共に流れる。

「―――!」

 僕は、空のほほをひっぱたいた。


「お前……いい加減にしろよ!!」


 空は叩かれた自分の右ほほを押さえながら、ビクッと反応した。

「そんなに僕が信用できないか!」

「……!」

「そんなに…僕がお前のことが好きって言うことが信じられないのか!」

 僕は言葉を荒くした。湧き上がる彼女に対する怒りと、信じてもらえない悔しさが同時に昇ってくる。

「最初に告白されたから、好きって言ったって思ってたのか? 僕が言っていたことは、全部嘘だと思っていたのか!? 僕が言ったことを、信じちゃいなかったのかよ!!?」

「ち、ちが――」

「何が違うってんだ! そうだろ? そうじゃなきゃ、さっきみたいな馬鹿な質問なんてしねぇんだよ!」

「そ、空……」

 空の瞳に涙が浮かんでいた。

「泣きたきゃ勝手に泣けよ! ……お前のそういうくだらない茶番に、付き合ってる余裕はねぇんだ!!」

「う…ぅ……」

 空は僕を見ながら涙を流し始めた。だからって、僕は「ごめん」などの台詞を言うつもりはない。今は、空が許せない。

「勝手に責任感じて、勝手に勘違いしてろよ!」

 僕は立ち上がり、部屋を出ようとした。

「! ま、待って…」

「うるさい! 付いて来んな!!」

「そ、空…ごめ――」

 僕はドアを閉め、彼女の言葉を遮断した。

 大きな音を立てながら、僕は階段を下りた。そして考えもなしに靴を履くと…。

「空、どこに行くのよ?」

 後ろへ振り向くと、母さんがリビングから顔だけをヒョコッと出していた。

「…別に、ちょっと気分転換だよ」

「空ちゃんを一人にしなさんな。かわいそうだろ?」

「…じゃあ、僕が全部受け入れなきゃならないってのか? 冗談じゃねぇんだよ!!」

 僕は外へ出て、早歩きでどこかに行くわけでもなく、進んだ。



「…………」

「…ん? 空のやつ、何大声出してるんだ?」

「…あんた、能天気ねぇ。心配じゃないの?」

「心配…ねぇ…」

 空の父は頬杖をつき、考えた。

「…空ちゃんと海ちゃんは心配だが…空は大丈夫だろ」

「? なんでよ?」

 父はフッと笑った。

「そりゃ、信頼してるからさ。親として」

「………」

「それに、あいつは俺たちが思っている以上に大人だからな。まだ未熟かもしれないが、未熟なりに良く考える子だ。あいつがいるから、空ちゃんや海ちゃんは笑ってられると思うがな」

「…なるほど。けど、空はまだ高校生だよ? あの歳で、一番敏感な年頃の女の子二人ってのは、ちょっとあれなんじゃあ……」

「そこは、信じようじゃないか。俺たちが口を出してはならない、あの子達だけのテリトリー。あの子たちだけの世界なんだからさ」





 僕は行く当てもないのに、ただ白いコンクリートで塗りつぶされた道路を歩いていた。イライラとしている自分の脳みそがわかる。

「……くそっ!!」

 思わず、そう言葉を放ってしまった。

 …どうしよう。これから、どこに行こう。

 ちょっと頭を冷やすために、ゆっくりと一人で考えられる場所はないだろうか。…空が悪いにしても、あそこまで言う必要はなかったかもしれない。そう考えてしまう自分が甘いと思いつつ、大好きなあいつに言葉をぶつけたという罪悪感がある。自分が間違っていたとは思わないが、それでももうちょっと言いくるめて言うことができたんじゃないだろうか。もう少し考えていれば、あまり彼女を傷つけずに言葉を伝えられたんじゃないだろうか。

 きっと、あいつは泣いてる。嫌われたとかって、考えてる。今すぐにでも電話して「ごめん」と言いたい。けど、言いたくない。それでは、彼女たちに甘くいなっていきそうだから。

 僕はなぜか、学校へ行った。日曜日なので誰もいない。

 塀をよじ登り、屋上へ向かった。あそこが一番落ち着く場所だ。風が良く通るし、なんたって空が近く感じる。自分の名前のとおり、僕は空を見るのが好きだ。ただボケーっと眺めているだけで、日が暮れてしまいそうになったことだってある。それほど、見ていて飽きないのだ。


「……ふぅ……」


 僕は屋上で大の字になった。

 今日も晴れ。一昨日雨が降ったが、ここ最近晴れの日が多い。五月晴れってやつだろうか。五月って書いてあるから、たぶんそうなんだろうな。

 雲の一つ一つが、わたあめのように見える。ふわふわと漂って、風に流されるまま流されて、最終的に消えてしまう。

 …考えてみれば、雲って「夢」みたいなイメージがある。ふとした瞬間、もしくは積もりに積もって「夢」…雲となり、流れる。そして、ほどけていき、溶けていき……消える。それは、儚い。夢は儚く、人もまた愛おしいほどに儚い。そういうもんな感じがする。

 痛みを伴うことが、最近多い。もちろん肉体的なこともあるが、精神的なことに関してもそうだ。空に告白されて、関係がこじれそうになって不安になって、怖くなって…。うまくいったと思ったら、今度はもう一人の大切な人との関係がこじれて…。

 修復できそうで、きっとできない。もう、小学生の頃や中学生の頃のようになることはない。それはわかってる。あいつらだって、それがわかっているはずだ。

 だからこそ、「平凡」という殻を打ち破ろうとしたんだ。…空も、海も…。

 …一番嫌だったのは、僕だったのかもしれない。今までいた世界が、あまりにも心地よすぎたからだろう。あいつらと一緒にいると、心が平和だった。世界が狂っても、僕たちは平和な気がした。

 けど、変わらないものなんて存在しない。

 修哉が言っていた。そう、変わらないものなんてない。すべて、変わる。恐れていても、嫌でも、すべて変化していく。世界が回るように、僕たちが見る世界もまた回っていくのだから。


 飛行機が、飛んでいく。


 蒼穹の彼方に響く飛行機の音。小さな小さな物体の軌跡に、白い飛行機雲が後を追うかのようにできていく。青いキャンパスの上に、白い絵の具を延ばしただけのようにも見える。

 なんか、こうしていると今まであったことが嘘のようだ。空と両想いになったことも、海が僕のことが好きだったということも。

 日曜日の昼前ほど、平穏なものはないな。

 はぁ……眠くなってきた…。このまま、ちょっと寝てしまおうかな…。





「……ここのあたり……そう、ここだ」

 誰かが……僕に言っている。聞いたことのない、誰かの声……。

「なるほど。この部位を変異させるのか?」

 僕――じゃない? 誰だろう……?

「そうだ。分子レベルにまで内部に入れ込めるようになれば、構造上の変異は可能だろう」

「……だが、これでは細胞同士の結合崩壊を引き起こしかねんな」

「それを起こさないようにするのが、“あれ”の役目だ」

 赤い長髪の男性は、何かを見上げていた。

「染色体そのものを、あれがはじき出したデータ情報に置換することができれば、こんな回りくどい方法など取らずにすんだのだがな……」

「致し方あるまい。評議会がそれを許すはずがないし、今の状態では予測がつかないからな」

「もう少し“アダム”との連結実験が進めば、可能性は高まるんだが」

 やれやれ、と青い髪の男性はため息を漏らしている。

「それなんだが、どうも現在のリリーとの相性が良くないようだ。既に650体が無駄になっている。いい加減、リンク率50%――いや、70%は超えねば、評議会の老人どもは納得しないだろう」

「……促進委員会はどうするつもりなんだ?」

「おそらく、年明けに技術局との共同実験をするはずだ。数年かけたプロジェクトだからな」

「例の――あれか」

「ああ」

 紅い髪の男は、難しい顔をして頷いている。

「全てが繋がれば、漸く“創世計画(プロジェクト・ジェネシス)”も進み始める。……人類の未来が、初めて拓かれるだろう」

 たくさんの機械が置かれた不思議な場所で、二人の男性は話していた。夢のような霧が広がる中で、たしかにその人たちは存在していた。


 ……遠い、遠い遥か彼方に消えたけれど……





 葬られた文明

 忘れ去られた歴史

 黄昏の歌声

 凍てついた焔

 穢れなき暁の天使

 失われた星の遺産



 ――全てが始まりし時より、全ての終わりを告げし万物の源――







 何かが鳴ってる。

 これは、僕の携帯だ。しかも、電話。

 僕はポケットに突っ込んであった携帯をのっそりと取り出し、着信が誰なのかも確認せず、眠たげにボタンを押した。

「……もしもし……」

「…空?」

「………?」

 この声は…空…海…? 僕は携帯から耳を離し、名前を見た。しかし、すでに名前は表示されていなかった。

「…なんか用?」

 とりあえず、どちらにでも対応できるような言葉(たぶん)を言ってみた。

「あの……今、どこにいるの…?」

 このよそよそしい感じは…空だな。わかりやすいというか、なんというか。

「…学校」

「学校? …今日、休みじゃ…」

「で? 何の用?」

 僕は突っ放したようなことを言った。空を思い出すと、さっきまでのイライラが沸々と湧き上がってきたのだ。

「その……あの……」

「言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ」

 彼女のこういうところが、唯一嫌なところかもしれない。こういう時に限って、空ははっきりと言わない。

「ご、ごめん…。その………会いたくて……」

「…………」

 電話の向こうから聞こえる彼女の声は、弱々しかった。

「……空?」

「……屋上」

 プツ

 僕は一方的に切ってやった。子供じみているかもしれない。けど、たまには懲らしめてやったほうがいいんだ。…けど、さすがにちょっとかわいそうな気がしてきた。もし、ここにやって来たら、優しい言葉の一つや二つ、かけてあげようかな…。

 あの夢。不思議な夢だった。それでいて、とてもリアリティのある夢だった。

 たぶん、この世界よりもずっと進歩している世界だったのだろう。見たことのない機械が並んでいた。透き通るほどきれいな壁と床。大理石やコンクリートの類のものではないような気がする。それに、夢に出ていた2人の男性の服装も、この世界のものとは到底思えないようなものだった。もしかしたら存在するのかもしれないが、なぜか存在しないものと思えた。はっきりとした確証はないが、何かがそう告げている。

 所詮夢ではあるが、僕の脳裏にはっきりと刻まれていた。たいしたことのない夢にしても、心に残るような夢にしても、夢は夢。ものの数日で空虚なものへと変化していく。そして、完全に思い出すことができなくなる。

だけど、今回見た夢はそうではない気がした。不確かなものだけど、絶対に消え去りそうのない映像だと確信できる。忘れようとしても、忘れることのできないものだ。

夢? いや、違う。これはもはや夢ではない。忘れられない夢なんてあるものか。忘れてしまうからこそ、夢は夢なんだ。そう、つまり……



 ……記憶……



 いや、それこそありえないじゃないか。僕はあんなもの知らないし、あんな所行ったこともない。もしくは、前世の僕の記憶…? 以前も、そう考えたことがあった。けど、あれとは…何というか、雰囲気が違う。

 仮に前世の記憶だとしても、今の世界の文明より発達した文明を持った時代など、考古学的にありえないはずだ。前世とは自分が生きている今よりも昔の時代。矛盾が生じるんだ。

 …もしかしたら、前世というのは何も大昔の自分ではなく、同じ魂を持った自分…なのかもしれない。つまり、全てが始まる起点から、終わりまで続く果てしない時間の中で、今よりもずっと先の世界に生れ落ちたとしても、次に転生する時は古の時代にさかのぼる…ということだ。

 あらかじめ定められた始まりから終わりまでの道のり。

 終わりはいつ? けど、遥か彼方であるのは間違いない。数億…数十億年…。その中の、ほんの少しを生きている僕たちは……何なんだろう。

 僕は何度も瞬きをした。

 考えすぎだよ。て言うか、そんなこと考えてもしょうがないじゃないか。答えなんてどこにもないし、誰も教えてくれない。教えてくれても、所詮見たことも、体験したこともない人が言うことだ。天国や地獄がいい例さ。考えれば考えるだけ、疲れるだけさ。若いんだから、そんなことは考えまい。そんなのは、どこかの学者たちに任せておけばいいでしょーよ。

 それにしても、僕の中で「何か」が動き出すようになってから、僕はいろいろなことを考えるようになったような気がする。こんなこと、今まで考えもしなかったのに。

 変な気分だ。まるで、自分が自分でないみたいだった。それでいて、どこか自分らしさがあるんだ。まさにそうだ! ……と言い切れないけど、もわもわした感じだ。

「…はぁ……鳥に…なりたいな…」

 空を翔る鳥を見ると、ふとそんな言葉が漏れた。青空の中を縦横無尽にかける気持ちってのはどういうものなんだろう。人では体感し得ない、究極の感覚。それに少しでも近づこうと、人は機械を作って飛ぶんだ。昔、人はそういった思いで技術を進歩させていった。…けど、現代の人は必ずしもそういう思いをもって技術を改良しているわけではない……と思う。

 再び、僕は眠くなってきた。大きなあくびをし、僕は再び大の字になった。




「どうなってる!? エネルギーが循環されていないぞ! おい、メインからの応答はどうなってる?」

 誰かが叫んでいる。これは……さっきの人たちか?

「メインシステム“NOAH”からは応答ありません!」

「なに!?」

 必死に機械たちとリンクしているであろうキーボードを打ち込む作業員…。

「あ、あり得ない! カルマの制御システムが……ハッキングされてる!!」

「制御システムだと!?」

 その時、ドームほどの広さの実験室に警告のアラームが鳴り始めた。紅い光が、辺りを散らす。

「そうか……ヘイムダルの仕業だ……!」

 赤い長髪の男性が、呟いた。

「ヘイムダルが……!?」

「か、閣下! 各地の……各地の戦略兵器群が作動しています! 起動率――60%!! ものすごい速さで起動しています!」

「馬鹿な! あの短時間で、中央の独立制御室を落としたのか……!」

 青い長髪の男性は、歯ぎしりをしながら何かを睨んでいた。そして、空間に表示された水色の電子パネルに何かを打ち込む。

「“カルマ”にアクセスは――くそっ! 暗号がとてつもないスピードで変更され続けている……これでは、奴の干渉を防ぐことが出来ん」

「……制御できないとなると、このままでは……地上は焼け野原だな……」

 赤い長髪の男は、無数の赤い点が記された世界地図のようなものを見つめながら、呟いた。

「そんなことさせるか!! ……こうなったら……」

「まさか……! よせ、それをすると俺たちは――」

「こうするしかない! こうするしか……!」

「くっ……! 総員、退避! 退避だ! 実験は失敗だ! 速やかに管理棟のシェルターへ逃げ込め!」

 赤い長髪の男性は、青い長髪の男性が目指して行った先を見据えた。そこには、あの巨大な水晶体が粉塵と共に鳴りを潜めていた。

「……これもまた、我々の罪か……」

 大きな地響きを起こすと共に、この光景は崩壊した。

 何が起こっているのかわからなかった。けど、夢ではない気がした。

 遠い未来?

 それとも、遥か古の鎮魂歌(レクイエム)――?




「…う…ん……」

 僕はゆっくりと目が覚めた。あまり寝た気がしないため、頭がボーっとする。いったい、どのくらい寝ていたんだろう? 

 僕はゆっくりと背伸びをした。すると、指先に何かが当たった。なんか、人肌のような感じがしなくもない…。僕は体を起こし、後ろに顔を向けた。


「……空」


 空だった。ちょこんと座っている。

「…来てたのか。起こせばよかったのに」

「だって…無理に起こすのは悪いかと思って…」

 さっきまでと変わらず、オドオドしている。

「…いつ来たの?」

 僕は辺りを見渡した。昼過ぎ…くらいか。

「さっき…」

「…海は?」

「…うんともすんとも言わない」

 彼女は首を振りながら言った。

「そっか…」

 おじさんはそっとしておいたほうが良いと言っていたが、本当にそうだろうか。僕たちに責任がある…とは言い切れないが、遠因としては考えられる。彼女の心の中では、僕たちのせいなのかもしれない。だからこそ、僕たちがどうにかしなければならないんだと思う。あいつを、放っておくことなんてできないもんな。

「……あの…空…」

「…何?」

「えっと……その………」

 僕は頭をかいた。

「言いたいことがあるなら、はっきり言えって。そんなんじゃ、何もわかんねぇだろ」

 再び、厳しく言ってしまった。そう言いたくないのに、どうしても言ってしまう。自分の心と実際に出てくる言葉は、まったく違ってしまっている。

「…さっきは……ごめんなさい…」

 空は顔を沈めて言った。

「…あんなこと言って、本当にごめんなさい…」

「…………」

「…気が動転しちゃって……馬鹿な質問して……」

 僕は何も言わなかった。ここで止めたら、本当に何も言わなくなっちゃうかもしれない。

「…でも、信じて。私……空のこと、信じてるから……」

「…………」

「空のことを誰よりも信じてる自信だってある。……それに…空のこと………誰よりも…大好きだし…。…その、愛してる………から…………」

 真っ赤な顔で言う彼女の顔は、見ているこっちが恥ずかしかった。なんだって、こいつは簡単にそういう言葉が言えるかな…。普通、躊躇するものだが…。

 普通じゃないから……好きなのかもな。

「だから…お願い………」

「ん?」

 真っ赤な彼女の顔は、突然涙で冷やされ始めた。僕はギョッとした。

「お願い………嫌わないで……。嫌わ…な……」

「お、おいおい、泣くなよ」

 僕は慌てて彼女に近づき、ほほの涙をふき取った。それでも、どんどん涙は溢れてくる。

「私……空の…こと、大好き……だもん…」

「わかった。わかったから…」

「お願いだから…嫌わない…で……」

 あーもう、しょうがないなぁ…。

「嫌わないから。絶対に嫌わないから」

「……うぅ……」

「僕が悪かったよ。ちょっと、やりすぎた。お前のこと嫌ったりしない。絶対に嫌ったりしないから」

 甘いなぁ、自分……。

「もう泣くなって。な?」

「…………」

「僕だって、お前のことが好きだから。それだけは、変わらないからさ。な?」

「…うぅ…うわぁ……空ぁ……」

 空は僕の胸に顔を沈め、抱きしめながら泣いた。僕は彼女の頭や背中をさすりながら思った。

(……僕って、どうしてこんなに甘いんだろうなぁ……)

 しみじみ、そう思った。以前からこいつらには甘いと思っていたが、我ながら呆れてくる。…て言うか、好きな人にこんだけ泣かれながら言われると、どうしようもないだろー。…ぶっちゃけて言えば、めちゃくちゃかわいく感じるんだよなぁ。

 ハァ……男の悲しい性……だな。



 何はともあれ、空のことはどうにかなった。どうにかなったというか、海のことのほうが大変なのに、どうしてこいつまで不安定になっちまうんだろうな。こうして考えてみると、空と海はどこまでも似ているんだな。ちょっとしたことで、泣いたり、笑ったり。

「…戻ることはできない」

「……え?」

 僕にぴったりくっついて、空は座っている。

「もう、前のように笑ったりしていられないってことさ」

「…………」

「…僕が最初、変わることを拒んだように、あいつも同じように拒んでいる」

「拒む…?」

 僕はうなずいた。

「お前に告白されて、正直怖かった。今までの3人でいられないようになることが、怖くてたまらなかった。変わることを受けいられず、僕は迷いに迷った。その中で、あることを思い出した。それがどれほど大切なものかわかった……。だから、変わることを受け入れることができたんだ」

「………」

「あいつも、怖いんだ。自分の本音を言ってしまったことで、変わってしまったものを見るのが怖いんだ。部屋から出てしまうと、その現実を直視してしまう。目を逸らすことのできない現実を目の当たりにしてしまう。だから、出てこないんだよ。あそこから」

「………」

 空は僕を見つめていた。僕はちょっと照れながら、

「な、なんだよ?」

「…空って、本当に何でもわかっちゃうんだね…」

「はっ? 何が?」

「私や海のこと……何でも……」

「…まぁ、何年も一緒にいればそれなりにわかってくるもんだと思うけど…」

 空は頭を振った。

「ううん、違う。空が空だから、わかるんだよ…きっと」

 そういう彼女の顔は、優しかった。

「……でも、悔しいな。私、あの子のお姉ちゃんなのに、何一つ理解してやれていない…」

 彼女は肩を落とした。僕は大きくため息をついた。それに気がついたのか、空は慌てて顔を上げて僕を見た。

「まったく…すぐこれだ。自虐的なのも……」

「わぁー!! ごめん! ごめんなさい!」

 彼女は僕の服の袖を掴んで謝り始めた。

「……ったく……それより……」

 僕は立ち上がり、町を眺めた。うごめく人や車が見える。

「……早く、どうにかしないと…」



 ……早く……?



「何を?」

「……ん???」

 空は頭をかしげていた。というか、自分も頭をかしげていた。

「空、一人で何言ってるの?」

 はて?

「……いや、なんでだろ……」



 急げ



「…!!?」

 頭痛もしないのに、声が聞こえる。しかも、今までのとは違う。今までは声が響くような場所から呼ばれているような感じだったが…今回はそうじゃない。耳元で囁かれているような感じだ。周りを見回しても、空以外誰も見当たらない。



 動き出した歯車……分岐点……すぐそこに……



「分岐点…? なんだってんだ……?」

「空…どうしたの?」

 空は心配そうな顔で僕を見ている。

「…なんでも…ないよ」

「うそ。そう言う時の空はいつも嘘をつく」

 彼女の顔は険しかった。思わず、たじろいでしまった。

「幻聴でしょ?」

「……ああ」

「…大丈夫?」

 僕は微笑んでうなずいた。

「…………」

 空は立ち上がり、僕を抱きしめてきた。

「! そ、空……」

「お願い……私に嘘つかないで……」

「…………」

「もう、嘘言っちゃ……駄目だよ?」

 僕は思った。父さんも母さんも、おじさんもおばさんも、僕は彼女たちのことを何でもわかると言った。実は、そうじゃない。彼女たちが、僕を理解しているんだ。理解しているからこそ、僕もまた理解できる。そんな気がする。

「……うん。わかった…。ごめんな」

「…………」

「………?」

 空はよりいっそう、僕を強く抱きしめた。

「…どうした?」

「……怖い」

「? 怖い?」

「…わかんない。わかんないんだけど……怖い」

 彼女は顔を沈めたまま、そう言った。

「…なんで?」

 そう訊くと、しばし沈黙が流れた。

「――――から」

 程なくして、彼女は口を開いた。

「…?」

「…空が、いなくなりそうで…」

「僕がいなくなる?」

 空は小さくうなずいた。

「…離れ離れに……なる気がして…」

「…………」

 彼女の体は小刻みに震えていた。少女の細い体が恐怖に襲われているのに、健気に抵抗しているのがわかる。まだ15歳…。


 なぜだ?


 理由もわからない不確定なものが、彼女を怖がらせている。

 答えの見えぬ暗き深層。

 真実を知る術…とは…?


 僕は彼女の髪の毛をかき上げ、優しく撫でた。

「大丈夫。絶対に離れやしないから」

「……うん。ありがとう……」

 空。そのときの表情が、あまりにもかわいかった。

「…………」

 僕たちは、自然と惹かれ合った。そして………。

「………あっ、携帯鳴ってるよ?」

「えっ?」

 彼女の言うとおり、僕の携帯が鳴っていた。この音楽は、電話だ。

「……ったく……誰だってん………うげっ、母さんだ」

「…クスッ。うげって言っちゃ、おばさんかわいそうだよ」

「いいんだよ。どうせ、大した用じゃないんだから」

 僕はボタンを押し、電話に出た。

 後になって思う。なぜ、大した用じゃなかったのだろうか。大した用じゃなけりゃ、後々あんなに後悔することなんてなかったのに。

「もしもし。母さん? 何の―――」

「空! あんた、今どこにいんの!!?」

 電話の向こうで、母さんのでかい声が響く。耳が痛い。思わず、携帯を耳から離してしまった。

「何だよ、でかい声出すんじゃねぇっての」

「いいから、早く帰ってきなさい!」

「はぁ? 何でだよ」

 用件もわからないのに、何で帰らなきゃならないんだ?

「ああもう! このバカ息子が! いつだって、あんたは物分かりの悪い脳みそしてるから…!!」

「はぁ!? いきなりなんやねん、そのセリフは!! ちったぁ誉めろよ! 息子を!!」

 なぜか、関西弁に。

「海ちゃんがいなくなっちゃったんだよ!」

 ……えっ?

「海ちゃんがいつの間にかいなくなってたの! たぶん、窓から……」

「…ちょ……え?」

 馬鹿な…まさか…家出……?




 海は家出した。

 おばさんが昼食を部屋の扉の前に置く時には、たしかにいたらしいのだが、1時間後くらいに食器を下げにいこうと行ってみると、気配がないので入ったのだという。…そしたら…。

 僕たちは手分けして探した。探すのは専ら僕と空だった。僕たちのほうが、彼女が行きそうな場所を知っているからだ。

「修哉君にも手伝ってもらったほうがいいんじゃ……」

「……そうだな。空、あいつに連絡してやってくれ」

「…うん。わかった」

「それと、お前は一度家に帰れ」

「…え?」

「長いこと走って、疲れたろ。ちょっと休め」

「けど……空、まだ昼食さえ……」

「そのくらい大丈夫さ。体力に自信はあるからな」

 僕は元気そうに笑った。まぁ、腹減ったのは事実だけど。

「…………」

「じゃあ、修哉のことは頼んだぞ」

「…うん」

 僕は後のことは空に任せ、走った。

 海が行きそうな場所は全部行ってみた。幼い頃たくさん遊んだ公園。高台の公園。行きつけの図書館。良く遊んだ川辺。

 しかし、もう一つ行っていない居場所がある。もう、そこしかない。

 小学校の裏山。

 あそこしか考えられない。最後にあの場所を残した理由は、海と2人っきりになるためだ。空がいたら、よけいこじれそうだからだ。まず、僕があいつを説得する。それに成功できれば、今度は空だ。一度に2人で話すと、あいつは混乱してしまう。勝手な判断だが、そうだと思う。




 僕は走った。裏山まで大した距離ではないが、山道を登らなければならないので結構辛い。何度もこけそうになったが、そこは踏みとどまった。山道はなんと言っても汚れるから嫌になる。

 海…。

 空と出会って、次に出会ったのがあいつだった。幼い僕は目を疑った。まったく同じ姿の少女が、もう一人いたのだから。

 その頃はまだ空と同じだった。同じことで笑うし、同じことで泣くし、同じことで喧嘩するし。なんと言ってもおとなしかった。今みたいに、元気はつらつな女の子ではなかった。

 中学生になってから、「空の妹」ということを意識し始めたんだと思う。それまで長かった髪の毛をばっさりと切り、空との違いを強調していた。そういうふうに見えた。服装だって、空がかわいらしい感じのものであるのに対し、海自身は強い女の子…のような服装だった。決して、スカートをはかなかった。学校のスカートをはくのを嫌がっていたな…。

 双子であるために、どうしても比べられてしまうのが嫌だったんだろう。空は優等生だったし、スポーツ以外は何でもできた。修哉のように天才ではなかったが、凡才だったのだ。しかし、海はそうではなかった。彼女は空と同等でいようと、努力していた。勉強だって何だって、裏で努力していた。料理だってそうさ。知らぬ間に、あいつは練習していたんだ。そうやって、空に追いつこうと……自分というものを定義付けようとしていたんだ。

 自分は空と違う。

 あいつは明るく振舞っていたが、寂しがり屋なのだ。空よりも何かを求め、何かを努力していた。

 あいつは、そういうやつだ。




「ハァ……ハァ………」

 ようやく、山頂に着いた。

「ハァ…ハァ………以前来た時と、何も変わってないな……」

 汗が額をつたる。夏でもないのに、こんなに汗をかくのは不本意なんだけどな…。

「おーい、海―。どこだー。いたら返事しろー。いないならいないって言えー」

 ドラえもんでお馴染みの台詞で海の名前を呼ぶ。いなかったら、返事なんてあるわけないのにな。

 桜の木……まだあるのかな。

 そう思い、僕はあそこに足を進ませた。近づくにつれ、桜の香りがしてきた。それと同時に、ひらりひらりと花びらが舞っている。

 あれは………海………!

 あの門の前に、海が立っていた。ただただ、門を前に立ち尽くしているように見える。不思議な世界へ行ってしまった、あの門……。

「……海……」

 僕は呼吸を整えながら、彼女のほうへゆっくりと歩を進ませた。

「……やっぱり、ここにいたんだな」

「…………」

 僕は彼女から5メートルほど離れた場所で立ち止まった。

「海。みんなが心配してる。帰ろう」

「…………」

 彼女は何も言おうとしない。

「海……」

「来ないで!!」

 僕が足を一歩前に出した瞬間、彼女は叫んだ。

「………う…み?」

「…私………私…」

 突然、海の肩が震え始めた。

「私……どうすればいいの!?」

「…!!」

「私だって空のことが好きなのに……大好きなのに! 空はお姉ちゃんが好きだってわかってしまって……どうすればいいの!? どうしようもできないよ! こんなの……辛すぎる!」

「海…」

 海は僕のほうに振り向いた。涙をたくさん流しながら。

「もう何がなんだか……わからないよ!!」

 そう叫び、彼女は自分の顔を覆った。

「……僕は……」

 つばを飲み込んだ。

「…僕は、空が好きだ。それは、紛れもない事実だよ」

「…そんなことが聞きたいんじゃない!!」

「聞かないと駄目なんだ!」

 大きな声には、大きな声で返す。ほんの少しの静寂が停滞した。

「関係が壊れるのは怖い。今まで過ごしてきた日々が、もうできないようになると考えただけで嫌になる。だけど、変わらないものなんて存在しないんだ」

「…………」

「…変わることを恐れていては、何も前に進まない。空は勇気を振り絞って、今を変えようとした。怖くても、どんなに怖くても、それを乗り越えた。彼女の言葉で、僕は大切なものを見つけ出すことができた。それが……『空のことが好きだ』ということだったんだ」

 海は何も言わず、顔を沈めている。

「空に言われたから、好きになったんだとか…そういうんじゃない。僕はあいつに一目惚れしていたんだ。……13年前、あの公園で出会った時に…」

「…………」

「……自分に正直になれた。だからこそ、今、お前に言うよ」

 僕は一歩前に進んだ。

「海。…僕にとって、お前は大切な人だ。大切な女性だ。……けど、一人の女性としては愛せない。…お前を、親友以上に見ることはできない」

 これが僕の本音だ。言わなければならないこと。絶対に。

「……今までと同じようにすることはできないかもしれない。お前だって、できないかもしれない。それは辛いことだ。…けど、お前と話さなくなるのは…もっと辛い」

「…………」

「今までのように接してくれないかもしれない。それでも、僕はお前と一緒に遊んだり、話したりしたい。僕たちは、親友なんだからさ」

「…空…」

 海は顔を上げ、涙の顔で僕を見つめている。目を逸らさぬよう、僕も彼女を見つめた。

「ずっと一緒にいられるわけじゃないかもしれない。…それでも、学生でいるうちはできるだけ一緒にいたい。…空と修哉と………お前と、4人で」

 そう言うと、海は優しく微笑んだ。涙を流しながらも、彼女は僕を見つめた。

「……私が拒んでちゃ、本当に崩れちゃうだけだもんね……」

「…ああ」

「…一緒にいられないのは、嫌だもんね…。けど、空にふられたのは辛いな…」

 海は突っぱねた表情をした。

「ご、ごめん」

「…フフ、いいよ。もうしょうがないことだもん。……もしかしたら、空はおねえちゃんのことが好きなんじゃないかなーって思ったけど……当たっちゃったね」

 海は辛そうな笑顔を浮かべた。その笑顔が、胸に刃を突き立てる。

「……いつもどおりにいることは幸せだけど、ずっと続く幸せなんてないもんね……」

 幸せだと思ったことが、永遠に長続きするならば……僕たちの見る世界は、なんら色あせることのない風景でしかない。

 それは、幸福なのか?

 今の自分なら、わかる。それは、違うんだってことが。

「…………」

 しばし沈黙が流れ、僕はせきをして一呼吸を入れた。

「えっ…と………」

「…何焦ってるの?」

「あ、焦ってなんかないよ。それより、空やおじさんたちが心配してる。一緒に帰ろう」

「…………」

「おい、帰るぞ」

「…うん!」

 海は微笑んで、こっちへ向かって来た。




「!!?」

 なぜか、門が光りだしたのだ。門の中が真っ白になり、あたりに白光を撒き散らしている。

「くっ……な、なんだ……!!?」

「ま……まぶし………!!!」

 光はだんだん強くなり、ここら一帯を包み始めた。真昼間なのに、この光……まるで、太陽光が反射したかのようで、まぶしい。そのため、まぶたを開けていられない。

「うわっ………!!」

「きゃあ!!」

 突然、風が吹き荒れた。強烈な風となって辺りに吹き荒れ、僕たちを吹き飛ばした。

「う………くっ……」

「……うっ……」

 風が止まるのと同時に、光の強さが徐々に弱まってきた。それでもまだ目を開けることができない。まるで、某漫画の必殺技をやられたかのようだ。

 ようやくまぶたを開けることができたと思ったら、強風によって土ぼこりが舞い上がったため、いまいち周りが見えなかった。

「海……海……?」

 僕は目をこすりながら名を呼んだ。

「…空……ゴホッ、ゴホッ」

 大丈夫なようだ。それがわかっただけで、安心した。その時、何とか周りを見ることができるようになった。

 強烈な寒気が背筋を走った。

「か……はっ……!?」

 なんだ…これは……? 言葉では言い表せない、何かが僕を包んでいる。優しいものではない。暖かいものでもない。それは、「闇」に準ずるものだった。

 呼吸を整え、僕は「それ」があるであろう門へ視線を向けた。


 ……誰だ?


 そこにいるのは、見知らぬ男性だった。黒っぽいフードをかぶっているため、顔をはっきりと見ることができない。けど……肉体が男性のものだ。漆黒の全身タイツを着ているため、筋肉の隆起がよくわかる。どこかの格闘家…いや、ボディビルダーのような筋肉だ。それでいて、2メートル近い身長をもっている。

「……以外に安定していたな…。これも、あれが徐々に目覚めつつあるということか…」

 男は辺りを見渡しながら何かを呟いている。

「……さて……」

 男は僕のほうに顔を向けた。顔を向けられた瞬間、体が震え始めた。

「なっ……ん…だ……!?」

 どうして、震えるんだ…? 怖いのか? まさか……直感的にわかっているのか…? この男は「危険」だと…。

「…よう、空」

「!!!」

 その男は、知り合いかのように僕の名前を呼んだ。

「…まだはっきりと具現化されているわけではなさそうだな…。だが、それなりの予兆はあるとあいつは言っていた…。もうしばらく、時間と影響が必要なようだな…」

 男はわけのわからないことをしゃべっている。

「…まぁ、今はいいか…。どうせ、そのうち自分さえも制御できなくなるだろうしな…」

 男はそう言いながら、倒れている海のほうへ歩き始めた。海は気づいていない。

「! 海!! 逃げろ!!!」

「…えっ…?」

 海が後ろに振り向いた時には遅かった。

「―――!!?」

 男は海の細い腕を掴み、引っ張り上げた。

「いたっ!!」

「ほう…これは、なかなかの潜在魔力だな。これなら、想像以上のエネルギーとなりう――」

 すると、男は頭をかしげた。

「…違う。お前は……そうか、妹のほうか」

 ハハ、と男は笑った。

「ちょ……放してよ……!!」

 海はじたばたと暴れていた。しかし、やつは物ともしなかった。

「〈青海〉のほうか…。これでこれほどのエネルギー波を生じさせているということは、〈蒼空〉はそれ以上ということか…」

 何を、言っているんだ?

「ククク……なるほど……ユグドラシルのやつ、そこまで理解していてこの俺にここまで行かせたのか。ハハハ……さすがの一言に尽きるな」

 男は愉快に笑いながら独り言を言っている。僕は未だに体が動かない。なんでだ…!?

「さて……女。貴様の姉はどこにいる?」

「…えっ?」

 海は暴れるのを止めた。

「お姉ちゃん……?」

「そうだ。お前の姉、日向空だ。…どこにいる?」

 まさか、あいつは空を探しているのか…?

「そんなの…教えてやるかってんだ!」

 男口調で、海は再び暴れ始めた。どんなに暴れようと、男は動じていない。

「知ってても…絶対に教えない!」

「ふむ…あまり気が強いほうではないと報告を受けていたが、そうでもないじゃないか」

 そう言って、男は笑っていた。

「…別に教えてもらわなくてもいいが、それではお前が代わりに来るか?」

「はぁ!? どこに行くってのよ!」

 男はニヤッとした。

「異世界さ。この世界とは違う、光の向こうよりも遠い、時の向こうにある世界へな…」

 海の顔は凍りついていた。この位置からはやつの顔は見えないが、あいつは凍てついた笑顔を向けていたに違いない。僕でさえ、恐怖に駆られているのだから。

「どうだ? お前でも、他の器に比べたらエネルギー比は高い」

 すると、男は海の首を掴み持ち上げた。

「!? かっ……あ……はっ………!!!」

 海の足は地面から離れ、彼女は宙に持ち上げられた。

「う、海!!」

「がっ……あぁ…あっ……!!」

 海は何とか手を放そうとするが、効果はない。

「もちろん貴様の姉に比べたら劣るが、それでも聖杯のかなりの充填になるだろう」

 男は笑みを浮かべ、さらに海を苦しめる。

「や……やめろーーーー!!!!」

 僕はいつの間にか走り出していた。こぶしを強く握り締め、まっすぐ向かっていた。さっきまでの恐怖が、どこかに行ってしまったかのようだった。

「ん?」

 男が振り向いた瞬間、僕は殴りかかった。

「だああぁぁぁ!!!」

「おっと」

 男は軽やかに避けた。

「!!!」

「のろい」

 男は横蹴りを繰り出してきた。それは僕の横腹に直撃した。

「がっ…!!?」

 強烈な衝撃が体中に走り抜ける。僕の体は軽々と吹き飛ばされてしまい、地面にゴミのように転がった。動きが止まった瞬間、今まで味わったことのない痛みを感じた。

「ぐっ!!? うっ…くぅ……!!」

 なんて痛みだ…。アバラが折れてるんじゃあ…。

「あああぁぁぁぁっ!!!」

 海の叫び声が聞こえる…。

 くそ…立たないと……あいつが……!!

「空!!!」

 その時、声が響いた。誰の声…と確認するまでもない。

「そ…空!?」

「お姉……ちゃん…」

 それは空だった。息を切らせながら、離れた場所に立っていた。彼女がいるということに気がついた瞬間、僕は背筋が凍りついた。

「空! 海!!」

 彼女は駆け寄ろうとした。僕は迷わず、声を放った。

「来るな!」

「!!?」

 空は立ち止まり、僕を見つめた。

「来ちゃだめだ! 逃げろ!! 早く逃げろ!」

「で、でも……」

「いいから逃げろ! 頼む、逃げてくれ!!」

 その言葉を放った瞬間、黒い影が彼女に襲いかかった。手首をつかまられ、男に持ち上げられた。いつの間にか、海はさっきまで男がいた場所に放り出されていた。苦しそうにせき込んでいる。

「痛っ!」

「まさか、そっちからのこのことやって来るとはな……。なんとまぁ、運のないお嬢さんだ」

 男は笑いながら言った。

「やめろ!!」

「叫ぶだけか、小僧。それでは何も護れはせんよ。口先だけで蜜を吸う政治家と、何ら変わり映えはせん」

 男は僕を見下しながら、吐き捨てた。

「お姉…ちゃん……」

 後ろに視線を行かせると、海がふらつきながら立ち上がっていた。意識がもうろうとしているようだった。

「お姉ちゃんを…どうするつもりだ…!」

「成り損ないが知ることではない」

「く……あああぁぁぁ!!!」

 海は男に向かっていった。

「お姉ちゃんを……放せー!!」

 殴りかかろうとした瞬間、彼女の体はくの字になって吹き飛ばされた。そして、勢いよく樹木に打ち付けられた。

「海……海――!!」

 空は叫びながら海を呼んだ。しかし、反応はない。

「海…海…!」

「案ずるな。気を失っているだけだ。…尤も、内臓が破裂していたら危険だがな」

 空を馬鹿にしたかのように、男は笑顔で言った。

「てめぇ…!!!!」

 僕は歯を食いしばった。

「そんな……離して! お願い、離して!!」

 空は必死に暴れたが、意味を成さなかった。

「空…海……くぅ…うう!!」

 僕は精一杯、足に力を入れた。たかが蹴り一発で、立てないってのはおかしな話だろうが! 立て……立てよ! 

「がああぁぁ!!!」

 僕は何を思ったか、近くにあった木の枝を思いっきり右足の腿に突き刺した。間髪入れず、右の太ももにも同じように突き刺した。亀裂が走ったかのような痛みが体をめぐり、血が吹き出る。

「空!」

「…ほぅ」

 僕は足を震わせながら、立ち上がった。痛いけど、動く。痛みがあるということは、神経が通ってるってことだ。

「空を…放せ!!」

「…ならば、力で奪い返すがいい」

 僕は走り出した。痛みもくそもない。あいつを…殺してやる!!

「うらあぁぁぁーー!!」

 しかし、男は虫を払うかのように、僕の拳を払った。

「…ふん」

 男は掌を僕の腹部に当て、回転させた。すると、強烈な衝撃波が僕の体を貫いた。そして、さっきの海と同じように樹木に打ち付けられ、その場にひれ伏した。

「がっ…は……」

 口から大量の血が出た。

「いやあぁぁぁ!!!」

 空が叫ぶ。悲痛の叫びだ。

「空、空ぁ!!」

「く…そ……」

 僕は顔を上げ、男を睨んだ。

「〈奴〉に主導権を握られながらも、立ち上がったまでは誉めてやろう。…だが、力が足りない」

「…ぐっ…」

 男は淡々と述べ始めた。まるで、評点を下すかのように。

「お前が救えなかったのは、お前のせいでも、誰のせいでもない。……そう、これは運命だ。遠い昔より、定められていたこと。お前がそこに倒れ、俺を睨むことも、な……」

「運命…だと……?」

「…来るべき時に、再び相見えよう…。それまで、己のすべきことを見出しておくのだな…」

 男はそう言い放ち、あの門の方へ歩き始めた。

「やめ…ろ…!!」

 力無い言葉は、その場に立ち尽くす。

「やめて! 離してぇ!!」

 空は涙を流しながら、暴れる。だが、それは無駄な抵抗だった。

「離して! 離してぇ!! 海……空ぁぁーー!!」

 彼女は必死に手を伸ばした。

「そ…ら………」

 僕も同じように手を伸ばした。だが、届かない。

 二人は門が放つ光に包まれ始めた。紅く、淡い光が優しく抱き抱えるかのようだった。

「いやぁぁ!! 空ぁぁぁーーーーーー!!!!」

 彼女の叫ぶ声と共に、光は消えた。そこに、二人の姿はなかった。門のあたりは小さな砂埃が舞っていたが、それ以外は以前と同じようになった。門の向こうには、何もない。ただ、この山の中の風景が見えるだけだった。

「な…んで……届かない…んだよ……」

 僕は震える腕を更に伸ばそうとした。


 何に手を伸ばしているのか。

 届かないと知っているのに。

 もう、触れることもできないというのに。

 僕は、まだ手を伸ばしていた。









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