68章:美しき魔女 愛憎の狭間に沈め
「大罪の都へ通じる、封じられし天への道」
上から声が聞こえた。この声は――
「……ミランダか?」
僕は後ろへ振り向いた。床から10メートルほど離れた場所に、幹部の一人・ミランダが浮かんでいた。
「ここでお出まし、か」
僕は彼女を睨んだ。それに対応するかのように、彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「アトモスフィアへ行く前に、あなたたちをここで殺すのが、私の最後の任務」
笑顔でそう言うミランダ。殺すことに、何の躊躇いも感じていない。
「樹たちはどこだ?」
辺りを見渡す限りでは、ミランダだけのように見える。
「わかってるはずよ。彼らは、すでにアトモスフィアへと渡った。そして、最後の鍵を手に入れた」
「最後の、鍵?」
ミランダは笑みを浮かべた。
「……殺戮の冥帝が愛した『熾天使レナ=フィーム』……その〈命〉とも言うべき元素の結晶体――〈聖玉マナ〉。ようやく、すべての鍵が集まったということよ」
「そん、な……!」
間に……合わなかった……!!?
現実を直視できない僕を見て面白いのか、ミランダはクスクスと笑っている。
「残念ね。あなたの愛しい人の宝玉は……もう、元に戻すことはできない」
「う……ウソだ!」
「ウソじゃない。巫女の命は、もう救えないのよ」
そんな……そんな……!
体が震える。どうしようも無い事実を受け入れたくない。受け入れたくない。空がもう助からない真実なんて……知りたくない!
「と言っても、どうせお前たちはここで死ぬのよ。巫女と一緒に、あの世へ送ってやる」
ミランダはそう言い終わると、素早く印を結んだ。
「雷光の刃よ……ライトニングブレード!」
巨大な剣の形をした雷が彼女の手から放たれ、僕たちに襲い掛かる。僕は傍にいた空を抱え、横へ避けた。
「ミランダ! あんたの狙いは私と空だろ!? 他のみんなを狙うな!」
リサはすでに体勢を整え、構えていた。
「……たしかに、あなたの言うとおり。けど、必要の無い人間を排除しておいたほうが、闘い易いとは思わない?」
そんなことを言われても、僕は未だに現実と向き合えずにいた。目の前にいる敵に、集中できない。
「こいつらには邪魔はさせない。殺すなら、私を殺してからでもいいでしょ?」
「…………」
ミランダは詠唱を止め、手を下ろした。
「いいわ。手を出さないと約束するなら、勝敗が着くまでは手出ししない」
「……わかった」
リサは僕以外のみんなを下げた。レンドやデルゲンも闘えるが、特別な力を持たないため、ミランダたちと闘うには劣ってしまう。殺されかねない。
「言っておくけど、空にも手出しさせない。今回は、私とリサ……2人で勝負させてもらう」
「何?」
「恋人のことで呆けているような人間には、興味無いからね」
ミランダは腕を組み、僕を見下ろす。
「てめぇ……!!」
「挑発に乗るな、ソラ」
デルゲンが僕を抑えた。ただでさえ、困惑しているっていうのに……!
「お前はまず、心を落ち着かせろ」
「デルゲン……」
だけど、落ち着けってのが無理な話だ。頭の中がグルグル回る。現実と理想が、地球と月のように円を描いている。永遠に交わることの無い二つが、果てしなく回り続けている。
「空ちゃんを最終的に支えてやらなきゃならないのは、お前なんだ。まずは自分の心を整理しろ。いいな?」
「…………」
僕は頭を抱えた。くそ……そうだよ。デルゲンの言うとおりだ。空を……あいつを支えてやらないといけないのに、僕が現実を受け入れられていないんじゃあ支えてやれない……。
何かいい方法はないのか? 何か……!
「さて、始めましょうか」
ミランダは空中で手をかざした。彼女は高さ5〜7メートルくらいのところで浮遊しているので、直接的な攻撃は届かない。しかし、リサはラグナ格闘術を扱える。彼女ならば、間接的な攻撃によってミランダにダメージを与えられる。
「紛うこと無き、優秀なる僕よ……天地が崩れ去りし時を喚べ――獰猛なる牙を剥き出すがいい!! パウルフェーノ!」
ミランダはリサが攻撃を開始する前に、詠唱を終えた。上空から、巨大な紫電の光線が降り注ぐ。リサはそれを低い体勢で走り避けたが、その紫電光線は角度を変え、彼女を負って行く。まるで、ホリンの繰り出した炎と同じで、意志を持っているかのようだ。
「崩せ、無限回帰へと! パウルフェーノ!」
リサの手元が一瞬、閃光を放った。すると、ミランダの魔法が消え去った。……いつか聞いた魔法相殺だ。
「お返ししてやるよ! 喰らいな――閃波・剛爆!」
リサが繰り出した拳から、目では見えない空気の衝撃波がミランダに襲い掛かる。だが、それは彼女の前で轟音を立て、消えた。
「あなたの攻撃は受け付けない」
ミランダの周りには、いくつもの黄緑色をした光の玉が弧を描いて停滞している。
「それは……!?」
「さすがに、あなたと戦うにはこういったものがないと、敵いそうにないからね」
すると、数十個はあろう野球ボール程度の大きさの光弾が、高校球児もびっくりの速度でリサに襲い掛かった。リサは転がったり、ジャンプしたりして避ける。外れた光弾は床に直撃し、床の破片や粉塵を巻き上げている。
「これは……聖光装束!?」
リサはそう呟き、数個の光弾をバック転で避け、印を素早く結んだ。
「光れ、宝石の如く! クリスタルシェル!」
青透明な障壁がリサの正面に映し出され、光弾はそれに当たり、ミランダの方へ跳ね返った。だが、それは彼女の元へ帰還しただけのことであった。
「聖光装束……まさか、ただの一般人がそれを扱えるはずはない。じゃあ、あんたは……!?」
ただの一般人。つまり、リュングヴィの血族ではないと言うこと。ミランダは、小さく微笑んだ。
「そうね……あなたの言うとおり。けれど、リュングヴィの血族を超えることができるのよ。ある方法を使えばね……」
いくつもの光弾を従えているミランダは、リサを見下ろす。
「ある方法……? 魔道注入だけを行ったとしても、それほどまでに魔力が増大するわけはないはず。それに、浮遊魔法だって失われた魔法よ?」
失われた魔法――聖魔術ってことだろか。
「……あなたには、あまり関係ないことよ」
ハエを振り払うかのように、彼女は手を動かした。
「ふん……どうせ、自分の寿命と引き換えにそんなことをしたんでしょ? あんたたちがしようとしていることなんて、わかりきってるさ!」
「それほどまで叶えたい信念……だと気付かない? 命を捧げるほどに、叶えたいもの……あなたにはわからない?」
ミランダは彼女を蔑むかのように、ほくそ笑む。
「自分が死んでしまっては、叶えたい想いだって成就しない……。死んだら、終わりなのはわかるでしょ!?」
「死が終わりだとでも? それは間違ってるわ」
顔を振り、ミランダは天井を指差した。
「私が朽ちていったとしても、私の理想を叶えてくれる人たちがいる。彼らが、人類によって穢された世界を浄化してくれる」
空中都市にいる樹たちを讃えるかのように、彼女は言った。
「歪んだ考えだよ、ホント……」
リサはため息交じりに言い、彼女を睨みつける。
「何かを犠牲にしてまで成就させる願いに、どんな価値があるって言うんだ!」
「……私は犠牲以上の価値が生まれると信じている」
すると、リサは鼻でその言葉を嘲笑った。
「まったく……話にはならないよ。あんた、確証も持たずにこの世界を滅ぼそうとしてるってのか? この世界の何を知ってるってのさ? ほとんどのことは知らずに滅ぼそうとする。美しいものや、すばらしいものが満ち溢れている世界の片鱗に見向きもせず、それによって幸福を得ている生命を根絶やしにしようとする。……それは、あんたらが忌み嫌う人間と同じってことさ!」
「…………」
人間が富のために滅ぼしてしまった多くの種族。リサは、そのことを言っているのだ。
「……あなたは悲惨な運命を歩んできた」
「だから? なんだって言うのさ」
「リリーナ……あなたは、己の家族を己が信頼していた人間に殺され、独りぼっちにされた。どうして、あなたがそんな運命を歩まなければならないのか? 考えたことはなかった?」
「…………」
自分の従兄たちによって、家族だけでなく一族全てを殺されたリサ。彼女が旅をする目的は二人に復讐すること――だった。
「あなたが復讐を誓ってここまで来たことも、私が理想を掲げ、ここであなたと闘うことは、結局のところ同じなのよ」
「……違う!」
「同じよ。それを否定することは、あなたの6年間の存在意義を消しかねない」
ミランダは再び、詠唱を開始した。
「させるか! ほとばしる闘気……我が破壊の衝撃と化せ! 奥義、閃牙顎翔波!!」
リサの拳から、巨大な衝撃波と化した闘気がミランダの方へ吹き飛ぶ。
「無駄だ!」
ミランダの光弾が彼女の正面に並び、巨大な障壁となり衝撃波を防ぐ。
「久遠の影に消えよ……精霊の宴、命の灯火」
黄色い光がミランダを包み込み、小さな電流がほとばしる。
「くそっ! 沈黙の羊よ……掛け替えのないものをそなたに捧げよう。悪夢の氷結へと堕ちろ、我に仇なす者ども…………」
白い粒子――いや、霧のようなものがリサを包み込む。そして、それは水色の光と変わった。
「魑魅魍魎の旋律と化せ――ウォーベル!!」
リサを包んでいた水色の光が、このフロア一体に広がった。一瞬にして、体を刺すような冷気が出現する。そして、ミランダの足元から巨大な氷柱が出現し、彼女目掛けて突き延び、そこを数多くの氷たちがぶつかり合い、1つの氷海へと化した。ミランダはほんの数秒で、氷付けにされたのだ。
「くっ……なんでよ!!」
なのに、リサは悔しがっていた。そう、ミランダには直撃していないのだ。彼女の周りを、さっきと同じように光の障壁が防いだのだ。
「破滅の狭間へ誘おう、暗闇の審判を――フェイズヴェルド……」
リサが彼女目掛けて衝撃波を飛ばそうとした瞬間、ミランダを囲っている氷塊が砕け散り、紫電の光がこのフロア中に広がっていった。それは壁を走り、床を駆け、何かを狙っている。
「ラグ・フェン」
「!!?」
一瞬にしてリサは紫電に包まれ、大量の電流を浴びさせられた。
「うああああぁぁ!!」
「リサ!!」
リサの顔に悲鳴と共に苦痛が広がる。雷が消え、リサの体から灰色の煙が溢れ出した。まるで、焦げたかのようだった。
「くっ……!」
そのまま、彼女は床へ崩れ去った。服が焼け、肌は火傷を負っていた。ほのかに、電気がほとばしっている。
「知ってるはずよ? 聖光装束は物理的なものだけでなく、魔法によって造形されたものをも通さない力を持っている。私の魔力、意志、あるいは命そのものが消えるまでは……ね」
「ちく、しょ……!」
リサは小さく震えながら、顔を上げた。
このままではまずい。そう思い、僕は彼女の下へ駆け寄ろうとした。
「来るな!!」
それに気付き、彼女は僕を睨みつける。
「来たら……約束を反故したことになるでしょーが!」
「リサ……」
リサが約束を破れば、もちろんミランダは力を持たない者を狙う。闘いにおいては、弱い者を狙うのは当たり前なのだ。
「ったく……心配症なんだから……!」
リサは笑う膝に鞭を打ち、震えながらも立ち上がった。
「……聖魔術を受けて尚、立ち上がれるというのは感嘆するわ」
そんなことを言っているミランダだが、肩で呼吸をしている。ラグナロクの人間でないのに、聖魔術を扱うというのは相当な量の魔力を消費したに違いない。
「ヘヘ……だてに、次元の巫女じゃないからね……」
笑う余裕など無いはずなのに……リサは小さく微笑んだ。
「光の民と呼ばれたラグナロクの民が……あんたみたいな『聖魔術もどき』で、死ぬかってんだ!」
こんな状況にも関わらず、リサは嫌味を言い放った。だけど、そんな挑発に乗るような相手じゃないことは、重々承知しているはずだ。これは、ただのリサの性格故なのかもしれない。
「フフフ……たとえ、『聖女サリア』の末裔だとしても所詮同じ人間。操作させられたのは、始祖だけじゃないのよ……!」
ミランダは手をかざし、光を集結させ始めた。
「次の一撃で、葬ってあげる」
そう言うと、彼女の周りを紫色の光が包み始めた。そして、印を結ぶと不思議な魔方陣が空中に映し出された。
「遥かなる古の神よ……我が血の盟約に従いて、断罪の剣を希わん……」
「!! 禁忌聖魔術の詠唱、か。ふん……! そんなものまで行使できるなんてね……」
リサは小さく笑い、彼女を見上げる。
「……だけど、そんなものを簡単に詠唱させるような馬鹿だと思う!?」
すると、リサは素早く印を結んだ。
「我が命の糧となれ! 緑風の翼、我と共に! ララヴェン!」
リサを囲むかのように、爽やかな風が吹き始めた。それと同時に、彼女の金色の長髪が舞い上がる。
「何……!?」
「浮遊魔法が使えるのは、あんただけじゃないのさ!」
リサは、上空へ向かってジャンプをした。すると、そのままミランダと同じ高さの所まで上昇し、落ちなかった。そう、リサもまた浮遊魔法を使用したんだ。
「貴様……!」
「獰猛なる獅子の咆哮――破壊し尽くせ! 奥義、爪魔獅子撃波!」
リサは空中で回転しながら連続蹴りを繰り出した。その蹴りに、黄色い闘気が纏っている。だが、ミランダの光弾が盾となり、それを防いでいる。
「無駄だ! その程度では、この光の壁を破壊することはできない!」
「ふん! 黙ってな! ……ハァッ!!」
連続蹴りの後、リサは少しかがみ、ショルダータックルで光の壁ごとミランダをほんの少しだけ吹き飛ばし、最後に手を添えて強烈な衝撃波を与えた。ミランダはそのまま、大きく吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。だが、それでも浮遊魔法は解けないらしく、落ちては来ない。
「く……っ!」
ミランダが体勢を整える前に、リサは追い討ちをかける。
「滅せよ、悔恨の眠りし墓場に! 奥義、閻魔業殺打!!」
目にも止まらぬ連続攻撃、いや、光の速さのごとき連撃をミランダを守る光の壁へと打ち付けた。
「無駄だと言うのが、わからないのか!?」
リサの攻撃の衝撃で、少しずつ壁に埋まっていくミランダ。未だ、攻撃は一度も彼女に直撃していない。
「うっさいんだよ! でりゃあぁぁ!!」
闇の闘気を纏った彼女の豪拳が、光の壁の真ん中を打ちつけた。
「無駄だと――」
ミランダが言いかけた瞬間、光の壁はまるで、ガラスのように小さくひび割れていった。
「なっ!?」
そして、ガラスが砕け落ちる時のような音を立てながら、光の壁は上空へばら撒かれた。
「そ、そんな馬鹿な……!?」
「へっへーん! うらぁ!!」
リサはミランダを蹴り上げ、さらにオーバーヘッドキックのように後ろへ蹴り飛ばした。そして拳を構え、吹き飛ぶミランダに狙いを定める。
「荒れ狂う竜巻、切り刻め! 奥義――嵐龍裂襲閃!!」
彼女はシュヴァルツと同じように拳風で竜巻を起こし、ミランダにぶつけた。
「キャアアアァァァ!!」
ミランダは竜巻に切り刻まれ、床へ叩きつけられた。彼女の体は裂傷でひどく、一瞬にして真っ赤な血が舞い散る。
「大地を駆ける、魔狼の咆哮……奥義、魔翔爆霊波!!」
リサは空中で奥義を繰り出し、真っ黒な衝撃波をミランダに襲わせた。多数のそれに叩きつけられ、彼女はさらに床へめり込む。大きな粉塵に包まれ、ミランダの姿は見えなくなってしまった。そして、リサは浮遊魔法を解き、床へ降り立った。
「はぁ、ハァ…………いててて」
リサは辛そうに顔を歪め、大きく呼吸をしていた。
「く、うぅ……!」
ミランダはうめき声を上げながら、体を起こした。見るからに、体を動かせるようには思えない。裂傷に青あざ、それに大きく晴れた左腕。もしかしたら、骨が折れているのかもしれない。
「まだ、立てるのか……あんたも無駄に強情な女だね」
彼女は笑いながら言っているが、足も同じように笑ってしまっている。
「調子に……乗るな……!!」
ミランダは何かを、呟いた。すると、彼女は再び空中へ浮かび始めた。
「貴様に……見せてやる! 雷神の鉄槌を……!!」
そして、再び詠唱を始めた。彼女の周りに、黄色と紫色の光がうねるようにして辺りを動き、彼女を包みこむ。
「……我が言霊よ響け、そして誘え……厳正なる死の裁きよ……」
「こ、これは……まさか……!!?」
一瞬、ミランダの体自体が黄色く発光した。そして、再び二つの光が出現し、彼女に吸い込まれていくかのように消えていく。
「我に仇なす愚かな幼子よ、遥かなる命脈を絶たん……」
少しずつ、彼女を包む光が放つ〈力〉が大きくなっていっている感じがした。
「あいつ……絶対障壁も発生させてんのね……! 手も足も出ないじゃないのよ!」
悔しげに歯ぎしりをする彼女は、ただ見上げているだけだった。
「リサ、ミランダは……何をしようとしてるんだ?」
僕は彼女の傍に行き、訊ねた。
「……詠唱することも、この魔法自体を知ることさえも禁じられた、究極の聖魔術の1つを唱えてる……」
「? それって、かなりやばいってこと?」
「……当たり前でしょーが」
究極の聖魔術だって……? あんな傷付いた体で、そんなものを唱えようとしているってのか?
「紫電を司りし精霊よ……我が下に集いて力を解き放たん……」
ミランダは薄っすらと、閉じていたまぶたを開けた。まるで、僕たちを見据えるかのように。
「詠唱を止めないと!」
「無駄よ。あいつの周囲にあらゆる干渉を防ぐ絶対障壁が発生してる。魔法が終わるまで、消えることはない」
「なっ!?」
じゃあ、どうにもできないっていうのか!?
「……雷神の鉄槌……金色の巨人よ、我らが破滅の祈りを具現せよ……」
そして、黄色と紫色の光が辺りへ四散した。
「――ミョルニール――!」
一瞬にしてフロア全体が光に包まれ、轟音を立てながら何かが解き放たれた。それは――巨大な稲妻だった。竜巻のように逆巻きながら、稲妻は光を放ちながら僕たちの方へ向かってきていた。
「……くそ!」
リサは素早く印を結び、何かを唱え始めた。
「永遠の風、慈しみの気高き風よ! ――シルフィード!!」
彼女は両手を稲妻の方向にかざし、そこから強力な風を発生させた。その風はと巨大な稲妻は両者の間でぶつかり、互いに押し合った。
「な、なんて雷精の波動……! ミランダ、あんた……!!」
「雷光天使を従えし、星の現象の一つ……たかが巫女風情に、これを止める術はないわ!!」
彼女の顔には、歪んだ笑顔が浮かんでいた。
「くっ……!」
徐々に、リサの魔法――緑の風が押されていく。
「光の下で生きてきた……お前たちに下す、裁きの雷だ!!」
ミランダは今までにないくらいの怒声で叫んだ。
「光の下で、だと……? あんた、何を勘違いしてる!」
「何……?」
口から血を滲ませながら、ミランダはリサを見据える。
「誰しもが、あんたの思っているような幸せを手にしているような人間じゃない! 誰しも、それぞれ自分にしかわからない苦しみや、痛み……憎しみを心の中で背負って……生きているんだ!! あんたがもう嫌だと思っている、この〈生〉という軌跡の中でね!!」
リサの言葉は少なからず、ミランダに届いたのか――彼女は、歯ぎしりをするかのようにリサを睨みつけていた。
「貴様に……私の何がわかる! 私は……常に喰われる側の人間だった!! この世界が! この世界の人間が、私を食い物にしたんだ!」
顔を振り、あの灰色の長髪を動かすミランダ。まるで、泣き叫んでいるようだった。
「何もかも……消えて無くなってしまえばいいのよ!!!」
「……ミランダ……」
美しい女性なのに、その手を血で赤く染め上げた彼女は……ただ、意地になっているようにも見えた。ただ、気付かないふりをしているに過ぎないんじゃないかって……。
「どうして痛みや苦しみを受ける自分がかわいそうだと考える! もちろん、あんたの苦しみはあんたにしかわからないだろうさ! ……だけど……他の人だって同じなんだ! 苦しみを知って生きているのは、あんただけじゃないんだ!!」
「黙れ…………黙れ黙れ黙れ!! 貴様なんかに……貴様なんかに何がわかるのよ!!?」
「わかるわけないじゃないか! 私は……あんたのことを何も知らない! 何も知らないんだ! どうやって知り得るってのさ!?」
「なら――」
「だけど!!」
ミランダの怒声にも勝る声で、リサは言う。
「これだけは言える……。世界は、あんただけが憎んでいるんじゃない。この世界を……愛している人もいるんだ」
「――!」
「だから……滅ぼしていいわけない。滅ぼしちゃ、いけないんだ!!」
全員が全員、憎んでいるわけじゃない。自分が憎んでいるから滅ぼすのは、そいつの勝手な妄想でしかない。
「黙れ!! ……その口もろとも……滅ぼしてやる…………消え去れ!!」
ミランダは力を入れ、稲妻の勢いを強めた。
「くっ……!!」
もう、リサの魔法は稲妻を防ぐことができなかった。緑の風は、髪が破れるかのように四散していく。
「死になさい!!」
巨大な稲妻がリサの風を吹き飛ばし、こちらへ向かって来た。
「このままじゃ………死ぬ」
リサがそう呟いた。
ここまできて死ぬのか……? もう少しでアトモスフィアなのに。空を助けてもいないのに。
「……こうなったら……」
リサは両手を合わせ、何かを唱えようとした。その時――
「……空?」
僕とリサの前に、空が出てきた。そして、僕たちに顔を向けるなり、
「大丈夫。大丈夫だから……」
そう言って、空は再び前を見据えた。
「そ、空!? 何を……!!」
その瞬間、彼女は向かってくる稲妻の前に右手を掲げた。瞬く間に、青い光が空を包み込む。
「穢れなき星の光……永遠に眠りし少女の歌声……」
すると、彼女の手から青い光が飛び出し、オーロラのように僕たちを包んだ。
「この光は……!?」
「これは……!」
青い光は巨大な稲妻の前に立ちはだかった。
「この波動は一体……!?」
ミランダは何かを呟いた。その時、青い光は巨大な稲妻を包むようにして広がり、龍の体のようにして伸びる電流の隙間へ入り込んでいった。
「さぁ、神々が愛した〈原初の人〉の下へ還りなさい……」
――スーパーノヴァ――
そして、大きな発光と共に、青い光と稲妻は一体化した。星が爆発する時のような――そんな錯覚を引き起こさんばかりの白い爆発を引き起こし、魔法を消し去った。辺りに残ったのは、霧と砂埃だけだった。
「そん、な………!」
ミランダはもう力が抜けた状態となり、ゆっくりと降下していた。
「雷光天使の魔法が……消し去られるなんて……!!」
そして、彼女は床へ足が着くと、崩れる岩山のようにしりもちを着き、そのまま小さく仰向けになるように倒れた。
「……ミランダ……」
リサは肩で呼吸をしながら、ミランダの方へ歩み寄って行った。
「…………」
僕も、そこへ行った。ミランダを見て……わかった。直感した。
彼女は、死ぬ。もうすぐ。
ミランダは今にも閉じそうな目で、リサを見つめていた。リサは彼女の近くへ着くと、かがんだ。
「……魔法の使いすぎによる乖離現象……そして、固体エレメンタルの過剰摂取による、末期症状ね」
彼女の体を見るなり、リサは顔を振った。
「魔道注入……そこまでして、あんたは力を……復讐するための力が必要だったと言うの?」
リサがそう言うと、ミランダはフッと笑った。
「それは……あなたも同じでしょう?」
「…………」
「誰しも、同じなのよ。人を大きく突き動かすのは……巨大な憎しみ……復讐という、感情だけ……。それだけが唯一、純粋なのだから」
「……それは違うだろ」
僕がしゃがむと、ミランダは僕に視線を合わせた。
「全力で……命をかけるほど人を動かすのは、それだけじゃない。寧ろ、それだけじゃ辛過ぎて生きていけれない」
ホリンがそうだった。辛過ぎるって……。
「……愛……とでも、言いたいの?」
すると、ミランダは再び笑った。
「フフ……所詮、温もりの中で生きてきた温室の人間……ね…」
「……愛だけじゃないって。いろんなことだよ。ほんの、些細な事柄さ」
「…………」
小さなことでも、それが希望に繋がる時だってあるのだから。
「お前だって、気付いてるんだろ? 何もかも……」
ミランダは僕から視線を逸らし、目を閉じた。
「……私は……ルテティアの奴隷として生まれた」
突然、彼女は淡々とした口調で言い始めた。
「生まれた時から家畜扱いをされ……女性としての辱めを受けてきた……。女性であるが故に、ね……」
女性であれば、そういうことをされるという屈辱、恥辱。死にも勝るものだ。男である僕には、想像することすらできない。
「ゴミなのさ……奴隷なんてね」
消えかけた瞳に力を入れ、天井を見つめる。
「人として生きる権利が生まれた時から無く、私は何をすればよかった? どうすればいいの? ……あの、牢獄で」
ミランダは右手を広げた。その手首の辺りに、黄色い印があった。
「それは……雷光天使の御印……」
リサがそれを見ながら呟いた。
「そうか……だから、あんたは禁呪や聖魔術を使えたってことか」
「…………」
「けど、それだけで聖女の末裔である私に匹敵するほどの能力は無いはずよ。魔導注入だけでは、あそこまでは……」
「……ある男に、してもらったのよ。特殊な手術で……己の限界を超えるように」
ミランダは自分の胸に手を置き、小さく息を吐いた。
「その男ってのは……?」
リサは小さな声で訊ねた。
「……ヴェリガン……。ほとんどのことを知っていた、ウラノスの協力者……」
ヴェリガン……? そんなの、聞いたことはないな。というより、奴らに加担している奴らって、一体何人いるんだ?
「彼に、私の体の中に特殊な仕掛けを施された。結果、今の力を……」
体の中に……? それに手術ってことは……あまり想像したくはないが、彼女は……。
「どうして、あんたはそこまで……」
それが何なのかを察知したリサは、小さく顔を振った。
「あなたには……あなたたちにはわからないわ。力無き者……持たざる者はそうでもしない限り、世界を変える力を手にすることはできない。だって、私たちは所詮『原初の人類』の子供たちじゃないのだから……あなたたちとは違って」
「…………」
己の命を犠牲にしてまでも、この世界を壊したかった。変えたかった。それは、シュヴァルツもバルバロッサも……樹も同じなんだろう。
ミランダは僕の方に顔を向けた。
「……アトモスフィアへ行きたいのなら、その装置は使えないわ。すでに、シュヴァルツたちが破壊したから……」
「……!?」
それでは、僕たちはどうすれば……。
「セヴェス……東空。あなたに与えられるはずの〈翼〉が、この都市には眠っている……それを、見つけなさい」
今まで見たことの無い表情を、ミランダはして見せた。穏やかな表情。いつだって、彼女はそんな表情をしたことがなかったのに。
「どうして……そんなことを?」
敵であるはずなのに。
「…………」
ミランダはまぶたを閉じ、ゆっくりと息を吐き、言った。
「どうしてかしらね……気でも、触れたんじゃないかって……思うわ」
嫌味たっぷりに、ほくそ笑んだ。その時、彼女の体から白い粒子が浮かび始めた。浮き出てくるように、いくつも。
「そうね……もしかしたら…………いえ、いいわ……こんな、些細なこと……」
微笑み、彼女は上空へ手を掲げた。
「……暗い…………けど、あそこ……以外、な――天国、よ……ね……」
そして、彼女はどこかへと消えて行った。遠く、遥かに遠く、そして深いどこかへ……沈んで行った。
「!!?」
すると、ミランダの体が白み始めた。体自体が光を放っているかのようで、だんだん白くなってゆく。さっきの粒子も、より数を増してきている。
「これ……は?」
「……分子と元素の乖離現象よ。体を構成する物質が空気中へ消え、塵となる。そして文字通り、彼女は世界の一部となる……」
「……世界の一部、か……」
ミランダの体はさらに光を増していった。そして、完全に光となった時、無数の小さな光の粒と化し、上空へ浮かび始めた。ほんの少しずつ、少しずつ。そして、高く上まで昇った光の粒は、透明になっていった。
ミランダの体は、完全に消え去った。
雷光天使について、後々書かないことなんで説明しておきます。
★雷光天使
基本元素と光陰二元素を司る精霊というのが存在するのだが、最高位の精霊を一概に【天使】と呼ぶ。雷光天使は【雷】属性の最高位精霊である。人間の遺伝子がうまく混ざり、先天属性が強力化されると、時折天使を操れる人間が出現する。そういった人間は基本属性を持っているが、基本的に「常人より生まれつき元素が多い」というようなもの。かなり特別な存在というわけではない。