65章:大都カナン 滅びと孤独の音色
とてつもなく発達した都市だった。
転送装置のあった広間から壊れた扉を抜けると、巨大な都市が広がっていた。
群青色をした建物群。全て正方形や長方形の形をしている。遠くから見ると、機械の一部に見えるが……まるで、これではガイアの首都圏だ。現代――あるいは、近未来の都市。そこかしこに乱立しているビルの透明のガラスが、空の色を反射していた。
ガイアにあるような道路が、都市全体に張り巡られている。その道脇には電灯や、レプリカの樹木。しかし、人の気配は感じられない。車が道路を移動している姿も無い。聴こえるのは、この都市を囲む砂塵の風景から運ばれてくる乾燥した空気と、滅んだ音色だった。
ユリウスによって滅ぼされたのかと思えば、建物などはちゃんと形を保ったまま。なのに、都市の外は干からびた大地が広がっている。遥か彼方まで広がる砂漠。焼き尽くされたとすれば、植物が育たなくなったのも理解できる。
青空の下、人が消え去り、建物と機械だけが残された巨大な都市。どこか、哀れにも感じる。
「……たしか、『天上装置』だったっけ? アトモスフィアに行けれるのは」
デルゲンはベンチに座りながら言った。
転送装置のあった小さな建物から出て、大きな道路を横切ると、広々とした公園があり、僕たちはそこで一先ず休憩することにした。白い大理石のようなもので敷かれた公園の中心には、水の無い噴水場。所々、レプリカの樹木がある。
「この都市のどこかにあるってことですよね」
「……こんなに広い都市の中にか?」
レンドはそう言うと、立ち上がって辺りを見渡した。ここが少し地表より高いところにあるため、遥か遠くにある陽炎の砂漠を見ることができる。つまり、この巨大都市は計り知れないほど大きいのだ。たぶん、帝都アヴァロンよりも巨大であろう。
「それに、似たり寄ったりの建物ばかりだし……。この中から見つけるのは、少し難儀な話かもな」
ため息にも似た言葉をデルゲンが発する。
「全部の建物をしらみつぶしに探すしかないだろうね。……めんどくさいけど」
リサも同じようなため息を吐いた。
ここまで来て、探索っていうのは気が引ける話だ。やる気を削ぐというか、なんというか。アトモスフィアは真上にあるっていうのに。
僕たちは3つのグループに別れ、探すことにした。それぞれ、もし見つけたなら花火(みたいなもの。ものすごい音を響かせる)を打ち上げる。リサがアヴァロンでの戦いの折、デルゲンとレンドに渡したものと同じものだ。
まず、都市の北の方角はリサ・デルゲン・アンナ。都市の東はレンド・シェリア、都市の西側は僕と空(どっかの誰かさんが変に気を利かせてくれた結果)ということに。どうもレンドのところが不安だが……。
「それじゃ、日が暮れる頃になったらこの公園に集合な」
「ああ。デルゲン、気を付けて」
リサがいるから……と、僕は意味深な笑顔を送った。
「ハハ……お前の言いたいこと、な〜んとなく受け止めたよ」
「何がです?」
と、アンナは彼の横で首をかしげている。
「何でもないって。ほら、出発するぞ」
「? は、はい……」
彼はアンナと一緒に歩き始めた。……デルゲンって、ホントに他人の気持ちを理解するのに長けている気がする。
「レンド、シェリアをいじめんじゃないよ?」
リサはレンドの肩に手を置きながら言った。
「いじめるかって。ガキじゃねぇんだし」
いや……普段、レンドが1番子供っぽいような気がするのだが。
「シェリア、もしこのおっさんになんかされたら、迷わずお姉ちゃんに言うのよ? お仕置きをしてあげるからさ」
リサはシェリアの目線に合わせるようにしてしゃがんだ。
「おいおい、なんちゅーことを……」
「うん、わかった。何かあれば、お姉ちゃんに言えばいいんだね!」
「そう! お姉ちゃんは正義の味方だから」
意味がわからん……。
「おーいリサ、行くぞ」
「はーいはい」
デルゲンに言われ、軽くステップを踏みながらリサは都市の中へと消えて行った。
「……ったくよぉ、俺って信用無いのかねぇ?」
歩いてゆくデルゲンたちを横目に、レンドは呟く。
「さあね。ま、『お仕置き』とか言ってぶたないことだな」
僕がそう言うと、レンドは小さく笑った。
「肉体的制裁は子供のうちが最も重要だと思うんだけどねぇ」
「ハハ、それは言えてる」
「そもそも、俺を心配するよりもソラを心配したほうがいいのになぁ、リサも」
彼は目を細くし、僕を見つめる。
「はっ? なんでだよ」
「2人きりだからって、変な気を起こすなよ?」
「ばっ……何言ってんだ!」
こんな時にんなことするか! って言いたいが、それを言ってしまうとレンドの掌の上で踊らせられているような気がしてしゃくなため、言えなかった。
「なーに焦ってんだよ。……まさか、お前……」
「なわけないだろ!? さっさと行けっての!!」
「ハハハ、ごめんって。まぁ頑張れよ。行くぞ、シェリア」
「はいよ〜」
シェリアはやる気の無い返事をしながら、大きな足取りで歩いてゆくレンドの跡を追って行った。
まったく……最近、レンドにいっつもからかわれているような気がすのは、気のせいだろうか?
「どうしたんですか?」
空は僕の目の前に顔を覗かせた。僕はなぜか慌ててしまい、彼女から視線をそらしてしまった。
「べ、別に。ほら、行くぞ」
「? ……はい……」
レンドが変なことを言うもんだから、逆に意識してしまうじゃないか……ったく。
大都カナン。歩いてみれば歩いてみるほど、そう呼ばれていたことが納得できる。
圧政を敷かれていたはずの地上の中で、天空都市にも勝りとも劣らない先端技術を擁した巨大地上都市。天空人からは天空と地上を繋ぐ「天上装置」があるが故に、重要視された都市なのかもしれない。
疑問に思うのは、その重要な都市をユリウスはどうして破壊しなかったのだろうか――ということだ。きっと、ここでは様々な研究や実験、そして開発が行われていたに違いない。つまり、地上人に対する「圧政」の象徴の一つだったはず。憎んでいる人を表すようなものを見ると、無性に苛立つのと同じだ。当時、圧政を敷かれていた記憶を表すものが、こういった高度な都市なはず。
アイオーンも、どうして破壊しなかったんだろう。他の天空都市に行けれる道は破壊されていたのに、なんでここだけ残しておいたんだ? わざわざ、遠回りするような道を作っておいて。
いずれにせよ、この都市もアトモスフィアも、破壊しておけばよかったんだ。全部粉々にして、圧政と暴政の象徴だったものを破壊すれば、地上の民の心も少しは楽になったのに。……まぁ、仮定の話をしても、過ぎたことを言っても、意味が無い。もしかしたら、アイオーンにはアイオーンの考えがあったのかもしれない。彼が世界を変えようと、救おうとした意志は本物だったのだから。こうして僕たちが樹たちを追っているのも、樹たちがロキの解放を企んでいるのも、下手をすれば彼の思惑通りだったとか? いや、さすがにそれは無いか。いくら超人離れした人間でも、数千年も先の未来のことを予測することも、憶測することも不可能だ。
……未来予知の力が無ければ、の話だ。不思議とファンタジーの世界であるレイディアントなら、そういった能力を持っている人間がいても不思議ではないもんな。そうやって考えてみると、いつか僕がやったRPGゲームの世界そのものだよ。小さい頃は、そういった世界が現実に存在するんだと思っていたしね。まさか、空想だと気が付き、探究心なんて薄れてしまった年頃になって、本当に存在していたのだと知ると、なんというか、頭をトンカチで殴られた気分だった。
そんなことを考えながら、僕は空と一緒に装置を探索した。
どの建物も、自動ドアだった。ガイアにあるように、一歩手前まで来ると「シャッ」という音がして素早く右(左だったかも)へスライド。しかも中は明るく、天井に小さなBB弾程度の大きさの電球のようなものが、いくつも張り巡らされていた。これだけの数なら、夜になっても闇には負けないだろう。電力というか、動力は未だに都市全体に息衝いているようだ。
建物の中は閑散としていて、地震でもきた後かのように、物が床に散らばっていた。書物やらコップやら、生活用品も無造作に投げ出されている。しかし、建物自体は崩れていたり、壁にひびが入っているわけでもなかった。少しだけ部屋の四隅に黄色い砂のようなものがあるが、老朽化しているようには見えない。
今まで見てきた地上都市は、そのすべてが半壊、あるいは全壊状態だったというのに、この都市の建物はそのままだ。頑丈な素材で作られているのかもしれない。建物の内部から壁などを見ても、コンクリートとかではないようだし……やはり、ティルナノグの高度な技術の賜物ってことかな。ちょっと、爆弾でも設置して、壊れないかどうか確かめてみたいものだ。それで壊れなかったら、ちょっと尊敬。ガイアよりすごいってことになる。
というか、上空に重力に逆らって大陸を浮かばせている自体で、もうティルナノグの方がすごいものなんだか、負けた気分で嫌になっちゃう。ガイアの良いところなんて、発達した文明だけだっていうのに。
僕と空は大きなビルの中を捜索した。数十メートルもある高さをほこり、都心にあるようなビルだ。ただ、ガラスが張られてはいるが、外から内部を覗くことができない。どうやら、マジックミラーのようだ。
中は薄っすらとしていた。天井の灯りは動力を失っていないものの、時折、点滅している。
今いる一階は、病院なのかもしれない。正面の奥に病院のカウンターに似た場所があり、それから少し離れたところに大勢の人が座れるようなイスがびっしりと並べられている。触ってみると、少しフワフワしていた。まるで、車の座席のようだった。
一階から繋がっている部屋を覗くと、部屋の中央に1つのベッド。その真上の天井に変な機械が備えられていた。もしかして、ここは診察室か何かだろうか。隅には机が1つ。その上に、無造作に置かれている書類たちがあった。
カウンターのあった広間に戻り、僕たちはエレベーターのようなものを見つけた。ボタンを押すと、扉がスライドして開いた。中へ進み、ガイアにいた時のような感覚で〈2〉というボタンを押すと、まだエレベーターは動くようで、体が浮くような感覚に襲われた。いつも思っていたが、エレベーターで上の階へ行こうとすると、一度浮いたかと思ったら、突然、下へ行くような感じになる。その瞬間、なんだか体が浮く感じになるんだよな。
2階へ到着し、エレベーターから出ると、1階の広間と同じような広間に出た。あのカウンターに多くのイス、そしていくつかの部屋に繋がるであろう扉が数ヶ所。
今度は3階へ行ってみるが、同じだった。
「この建物は、関係ないみたいですね」
辺りを見渡しながら、空は言った。
「どうします?」
「うーん……じゃあ、最後に最上階へ行ってみて、何も無かったら他の建物に行こうか」
そして、僕たちはエレベーターへ戻り、列挙されているボタンの一番下を押した。〈45〉のボタン。45階って言えば、十分な高さじゃないか。待てよ、よく考えたら、1つのフロアの床から天井までの高さが3メートル(僕が手を伸ばしても、届く分には程遠かったから)くらいだったから……ゆうに100メートルは超えている計算になる。
まったく、こんなものをどうやって造ったんだろうね。ガイアにある『70階建てのビル』とかもそうだよ。100メートルを超える建物を、どうやって造ったんだろう。見たこと無いもんな。今思えば、大きな建造物というのを造られていく様なんてのは、想像できないものだ。家にしても、ビルにしても。
45階までは、エレベーターを言えども時間がかかった。どこぞのビルみたいに透けているわけでもないので、ちょっぴり暗い空間が続く。こんなところでエレベーターが急停止なんてしたら、ホントにどうしようもない。
そんなことを考えているうちに、45階へ到着した。エレベータから出てみると、今までのフロアとは違うフロアだった。
このフロアの中に、もう一つガラスに囲まれたフロアがあったのだ。曇りガラスのようで、中を見ることができない。
「これ、開きませんね」
そのガラスに囲まれたフロアへ通じるガラスの扉があったのだが、自動ドアではないようだ。いや、動力が切れているのかもしれない。押しても引っ張っても、叩いてもビクともしない。
「しょうがない、こうなったら……」
僕は軽く光線を掌から出した。すると、ガラスの扉は粉々になり、それらは床へ音を立てながらばら撒かれた。
「よし、これでオッケー」
「……危ないことして……」
空は少し呆れた様子で、僕を見ながら苦笑している。
「まあまあ、気にしない。ホラ、足元気をつけな」
刃のようになって、上を向いているガラスを踏ませないよう、僕は空の手を取って進ませた。僕の靴は厚いものだし、少々やられても大丈夫なのだが、空の場合は事情が変わってくるものだ。
内部には、至る所に機械や机が鎮座していた。天井からぶら下げられた人が入れる程度の大きさのカプセルのような機械がいくつかあり、中には床へ転がっているものもあった。それらはすべて透明で、中身が見えるようになっていたが、今は何も入っていない。中には、ガラスが砕けてしまい、中身が出てしまったような形跡もある。ぶら下げられたカプセルの隣には、何らかの装置なのか、コンピューターが佇んでいた。
怪しげな機械といい、これらのカプセルといい、このフロアは何らかの実験か研究がされていた施設だったのかもしれない。
僕たちは、床に転がり割れてしまっていたカプセルの近くへ歩み寄った。このカプセル、それなりに大きなものが入るくらいのサイズだ。そう、ライオンくらいの大きさの動物や、人間が入れるくらいの。
何となく、何となくだがこれらがなんなのか、わかったような気がした。あまり言いたくは無いけど。
足元に落ちてあった書類に目が行った。これは……古代ティルナノグ文字だ。
この書類はどこも朽ち果てておらず、少々文字が濁っているものの、はっきりと文字が読める。内容は次のとおりだ。
『ウィーヴルに関する調査書――――――
創始歴7915、某月某日。
1年に渡る研究・実験により、ルベニスとアルタニクスの合成に成功した。強靭な筋肉を持ち、自然界のルベニスやアルタニクスを張るかに凌駕する知能を持つ生物が誕生した。
だが、合成完了から6日後の昨日、暴走反応が起こり、何らかの間接的な攻撃によって装置内から研究員一人を殺害したため、「U・M0209γ」は処理された。合成する際、脳細胞及び臓器器官における大きな拒否反応が生じたが、「ラジエル」の大量投与を施し、それを強制的に抑制。それが今回の暴走に遠因するものと思われる。もしくは、生物的に合致しない部分があったのかもしれない。
しかし、研究員を殺害した方法に関して、死体を解剖した結果、超音波のようなもので空間の超振動を引き起こし、それを利用して脳細胞や神経を中心に破壊し、殺害されたのだとわかった。これらのことから鑑みて、他の合成生物以上に強力であることが伺える。つまり、合成における拒否反応を起こさずに合成が完了されれば、この合成生物は強力な兵器となり得るのである。今後、更なる研究が必要なため、倍の資金が必要と思われる――――』
読み終わって、やはり――という思いだった。
ここでは間違いなく、生物実験が行われていたんだ。それも、別々の種族の動物を合成させるというものを。
漫画や空想、あるいは虚偽的な情報によるものでしか存在しないと思っていたが、この世界には存在していたんだ。動物と動物とを合成させるということを。
なんてくだらなく、ひどいことをするんだろう。結局、この生物は殺されてしまったんだ。何かをしたわけでもない。『研究と実験』、そして『結果』を求める人間の醜い欲望の過程で、殺害されたんだ。ほぼ無意味に近く、そして虚無に等しい。
きっと、苦しかったに違いない。わけもわからぬまま捕らえられ、関係の無い動物と無理矢理合成させられ、己の意志とその動物の意志が入り乱れ、自我というものを失ったんだ。それは、死よりも苦しいことだ。自我や自尊心を奪われたまま死ぬなんて、考えただけでも恐ろしい。……あの正と奇が複雑に絡み合う聖域に放り出され、無限回廊を漂ってしまったんだ。
これらの生物実験をあのカインが命じたとは思えない。同じような実験を受けた彼が、他の生物に対しそれを行うだろうか?
そう、それはない。
あの聖域の奥底に堕ちた時、僕の中に彼の感情が流れ込んで来た。一瞬にしか過ぎないものだったが、その中で僕はたしかに感じた。
彼は、そういう人間ではないと。
人を怨んではいたが、全てがそうではなかった。
ならば、一体誰が?
……考えるのはよそう。既に、大昔の話だ。答えを導き出したからって、過去の悲惨な実験の事実が消えることはない。この動物たちも。
「何て書いてあったんですか?」
いつの間にか、彼女は僕の傍で文書を覗き込んでいた。空は文字を読むことができないため、この文書の内容がさっぱりなのだ。たしかに、ガイアの文字しか知らない人……いや、現代のレイディアントの人でさえ、わけのわからない列挙した文字列としか認識されないだろう。
「い、いや、大した内容じゃなかった」
「そうですか……じゃあ、これからどうします?」
「そ、そうだな。ともかく、ここには何もないから外に出ようか」
そう言うと彼女は小さくうなずいた。
なぜ、僕は彼女にこの文書の内容を言わなかったのだろうか。別に言っても言わなくても、何かあるわけでもないのに。
これ以上の長居は無用と思い、僕たちはこのフロアから出ようとした。
――セヴェス――
「……っ!?」
いつか聞いた、女性のような声がどこからともなく聴こえた。この声は、僕にしか聴こえない。僕が急に立ち止まり、後ろに振り向いたものだから、空もそれにつられて後ろを振り向いてしまっていた。
――穿たれし空を紡ぐ時――
――封じられた永久の旋律――
……なんだ? それ。
僕は心の中で問いかけた。
――わかるでしょう――?
――あなたは、それを知っている――
――古きヒトの遺産、蒼き翼――
翼? まったくわからないな。
――あなたを導く、最後の――
言葉が終わると、その変な感覚から解き放たれた。それから数度呼びかけても、返答は無い。
「空さん?」
僕はハッとした。目の前で、空の手が左右に振られている。
「意識、ありますか?」
「え? あ、ああ」
僕がよく意識が飛んでしまうからか、空も慣れてきていた。彼女はあまり心配した様子は無く、元に戻ったのかどうかを確かめている。
「前触れも無く、変になるんですね」
「……なんか、喉に引っ掛かるような言い方だな」
「冗談ですよ」
と、彼女はクスクス笑っている。
「それより……」
僕は辺りを見渡した。
「ここには、なんか隠されてるっぽい」
すると、空は首をかしげる。
「なんかって……何です?」
「……その肝心なところがわかんねぇんだよ」
「そ、そうですか。なんだか、いつもそんな感じですよね」
「まったくだ。よっぽど、僕を動かせたいんだろーよ」
僕のため息と同時に、空は笑顔で「探しましょう」と言った。
模索するも、どこもかしこもカプセルや書類、あるいは粉々になったガラスがあるだけだった。
しかし、フロアの奥に怪しげなテーブルがあった。半径1メートル程度の円形のテーブルで、まるで鏡のようにきれいなもので、僕たちの顔を反射している。中心部に、穴のように凹んだ跡があった。このきれいな円形からいって、仕込であろう。
どう考えても怪しい。この小さな穴、きっと何かをはめ込むようになっているのだろう。とはいえ、この穴にはめ込むようなものがないとどうにもならない。
その辺に転がっていないかなぁと思い、テーブルの周辺に目を向けた。しかし、やはりと言うか、何も無い。
「これ、指が一本は入るくらいの大きさですね」
空がそんなことを呟いた。その瞬間、もしや――という気持ちが湧いてきた。もしかして、もしかするかもしれない。僕は試しに、自分の人差し指をその穴に差し込んでみた。
ちょうど指の付け根の辺りまで差し込むと、奥に突き当たった。ちょうど、指がはまる広さだった。
ガコン
何かが落ちたような音がした。すると、フロアの隅のガラス扉が横へスライドし、どこかの部屋に通じるような道が出現した。
「……うーん、微妙に予想通りの展開だ」
思わず、そう口に出してしまった。それと同時に、呆然としていた空は笑い始めた。
僕たちはそこへ進んだ。そこの周りのガラスだけ、異様だった。なぜなら、ガラスの壁なのに外が見えないのだ。というより、鏡……か。
その通路へ進むと、個室を発見した。中は部屋の中央に小さな箱がある以外、何も見当たらない。あるとすれば、天井の各場所に付いている電球くらいだ。
その中央の箱は、青や赤、黄色の宝石で装飾された宝箱のようなものだった。鍵穴のようなものが見当たらないので、簡単に開けてしまった。
箱の中には、小さな……なんだろう、これは。
「これ……鍵――なのかな?」
それを空は眺めていた。
ビー玉くらいの大きさの赤い玉が埋め込められた、変な形をした鍵……だろうか? この歪な〈何か〉を言葉で言い表せるものが思い浮かばない。語彙がそんなに豊富ではないのでね。
「変な形……ただの石の欠片みたいです」
「だな。こんなもの持って行っても、何の役にも立たない気がすんだが」
「けど、空さんにだけ聴こえた声は、それが必要だって言っていたんですよね?」
「必要と言うか……導くやら何やら」
だったよーな。
「別に大きな荷物じゃないわけだし、持ってってもいいんじゃないですか?」
「そう、だな」
僕はその〈鍵のようなもの〉を手に取った。思ったよりも重い。鉛みたいで、ずっしりとしていた。
これが本当に必要なのか……疑心暗鬼になってきた。まぁ、どこからとも無く聴こえてくるあの声がウソをついたことは無かったし、いずれ、この変なものが必要となる時が来るだろう。
このフロアから出ると、古代ティルナノグ文字で表札が飾られていた。
『カナン生物研究所:B-014』
奇しくも、生物実験をしていた場所が同じ〈カナン〉というのも、きっと何らかの因果なんだろうな……。
1階まで戻り、僕たちは無人のビルから出た。その時、何らかの気配がした。ビルの外に出た瞬間、入ってくる時とは違う雰囲気を感じた。
「どうしたんですか?」
「…………」
こういう時、人間の六感とはすごいものだ。最初とは違う「それ」を感じるのだから。
「空さん、どうし――」
「後ろに隠れろ」
僕は空の腕を引っ張って、僕の影に入れた。ゆっくりと左右を確認し、視線を当たりに散らばせる。
辺りは閑散とした道路に隔たれた建物群。巨大なビル、マンションのような住宅。それ以外、何もないようには見えるのだが……どうも、似ても似つかない何かがいる気がする。
僕の警戒心に気付いたのか、空は口を閉ざし、同じように辺りを見渡した。
「!! 空さん、あれ……!」
空が小さな声でこのビルの上を指差した。そこには――
「……なんだ?」
ビルの屋上から、僕たちを見下ろしている見たことも無い何かが、そこに佇んでいた。
異形、異様。
機械なのか、動物なのかわからない。一応は生命体なのだろうか。ライオンのような顔をしているように見えるが、胴体はそうじゃない。鋼の体だ。群青色の装甲を身に纏い、そこかしこから黄色っぽい毛がはみ出ているように見えた。背中には紫色の何かがある。ここからだと、それが何かよくわからない。
「グオオォォ―――!!」
その生命体は遠吠えをした。それはあまりにも不気味で、耳鳴りを引き起こすほどだった。ライオンの鳴き声ではない、聞いたことも無い生物の声だ。あんな高い場所から、これほどまでに大きな咆哮を響しているということは、きっとリサたちにも届いているだろう。
そう思った瞬間、その生物はビルの上から飛び降りた。100メートルはあろうビルの屋上から降りたら、いくらなんでも地上に叩きつけられ――
そう思ったが、その生物は道路に大きな音を響かせて降り立った。ちょうどその場所が、ひび割れて凹んでしまった。
その生物とは5メートルほど距離がある。その生物は、たしかにオスのライオンの頭部を持つ。しかし、胴体と四肢は鋼の鎧で固められていた。爪がある部分なんて、ライオンの爪ではなかった。鷹の爪のように長く、血塗られたかのように真っ赤だった。背中にあった紫色の何かは、巨大な一対の翼だったのだ。
ライオンに翼? そんなもの、あり得ないじゃないか……と思いそうだったが、そうでもなかった。このビルで、合成生物の実験が行われていたことを考えれば、あり得る話なんだ。そう、あれはきっと合成された動物。ライオンと……何かはわからないけれど。
その生物と僕の視線が合った。僕たちに襲い掛かってくる――そう確信した。
僕はすぐさま手をかざし、心の中でその名を呼んだ。
――ティルフィング――
瞬く間に光が終結し、剣の形を成した。薄っすらとした透明感のある水色の刀身。煌びやかな宝玉がはめ込まれた鍔。この姿を見るのは、久しぶりだ。
ティルフィングが形を成した瞬間に、その生物が僕たちの方へ突進してきたのと同時に、僕は空を抱き寄せた。
「キャッ!」
傍にいるとはいえ、少し離れているだけで不安だ。襲われる気がする。こうして腕で抱えていれば、たぶん大丈夫。……闘う分にはあれですけど。
野獣は走りながら大きく跳ぶ。そして、牙をむき出しにしながら、僕たちに襲い掛かってきた。
軽く横へステップをしてかわした。左腕で空を抱えているため、あまりスピードは出せないのだが、野獣の攻撃速度は思ったよりもたいしたことはない。とはいえ、一般的なライオンよりは速いだろう。
獰猛な爪が繰り出される。ホリンやリュングヴィ、そしてシュヴァルたちに比べれば、のろい。少しの間、余裕なので様子を見ていたが、この程度だとわかった時、僕はティルフィングでやつの左目を潰した。
後ろの2本の足で立ち上がり、地響きがするような鳴き声と共に、野獣は前足でその部分を押さえた。僕はすかさず剣を素早く振りぬき、斬撃による衝撃波を繰り出した。衝撃波は野獣の鎧のような胴体に直撃した――が、あまりに固いのか、小さな跡を付けるだけに留まった。
「空さん!!」
思ったよりも硬いんだな……なんて感心としていると、野獣は体勢を整え、再び襲い掛かってきた。
赤い爪が妖しく光る。だが、それは僕の目の前を切るしかなかった。空は「わ! わっ! わっ!」と声を発しながら、僕に振り回されている。時折おかしくなり、笑ってしまいそうだ。
すると、野獣は大きく道路の所まで下がった。左目の辺りから、真っ赤な血がぽたぽたと流れている。
何をするつもりなのかと、僕も動きを止めてそいつを見ていた。野獣は残された目で、僕を睨んでいる。その時、野獣の右目が一瞬だけ、小さく光ったように見えた。
「いたっ……!」
突然、空が頭を抱えて俯いた。
「どうした!?」
「頭が……い、た……い……!」
彼女は顔を歪ませ、苦しそうな表情を浮かべている。
野獣の方に目を向けた。奴は小さく震えながら、僕たちを見つめているだけ。何をされたのか、この状況ではわからない。
「――!!」
その時、頭の奥で激痛が走った。まるで電流が流れたように、強烈な痛みがほとばしる。いつも感じていた抽象的な頭痛ではなく、現実的な頭痛だ。あまりの激痛に、僕は立っていられなかった。その場に、崩れるように倒れて込んでしまった。
これは……あの施設で見つけた調査書に載っていた合成生物が研究員を殺した時に用いたと書かれていた、超音波……?
まさか、そんなことが……!
待っていたかのように、野獣は僕たちに近付いて来た。ライオンが近づいてくる時に聞こえる、「グルルルルル」という声が、否応にも耳の中へ入ってくる。
くそ……このままじゃ、やばい。このままでは、奴の餌になってしまう。だけど、ひどい激痛だ。ハンマーか何かで何度も頭を叩きつけられているような感覚。あの調査書に書かれてあったことが本当ならば、脳細胞や神経が破壊されかねない。
どうにかしねぇと……!
野獣はある程度僕たちに近付いた瞬間、草原を駆けるライオンのように、僕たちに突進してきた。よだれを口の端から流しながら。
奴は直進してきていると思いきや、途中で左へ回った。そして、そのまま再び直進してきた。奴は……空を狙っているんだ!
やろぉ……やらせっか!!
僕はとっさに左腕を伸ばして空をかばった。その瞬間、腕に激痛が走る。
「ぐっ!!」
頭痛以上の激痛で、僕は顔を歪ませた。野獣は僕の左腕に噛み付いていた。奴の牙が、深々と腕の肉に食い込んでいる。
「そ、空さん!?」
空は無事だった。けど、その顔は頭痛で歪んでいる。
野獣は噛み付いた牙を抜こうとしない。だが、チャンスだった。奴はそのまま動かない。腕を食いちぎろうと、精一杯力を入れて牙を食いこませようとしている。だが、もう遅い。ソリッドプロテクトで、それ以上は食い込まない。
終わりだ!!
僕は右手に握ってあるティルフィングを、奴の首の付け根へ差し込んだ。刺さった瞬間、野獣はビクッとした。すると、フルフルと小さく震えだし、ゆっくりと僕の腕から牙を離す。そして、大きな咆哮と共に、野獣は暴れ出した。その衝撃でティルフィングが抜け、そこから大量の血液が溢れ出した。
「グオオオォォォ!!」
再び吼え、口からも血液を吐き出しながら、奴はのた打ち回った。すると、野獣の胴体を埋め尽くしているあの鎧の隙間から、小さな光が漏れ始めた。発したかと思えばすぐに消え、また発光。その繰り返しだった。
気が付けば、頭の奥の痛みも消えていた。残ったのは、腕に残る深い傷と痛み。
野獣は真っ赤な血をばら撒きながら、少しずつ、少しずつ後ろへ下がり始めた。意識があるのか無いのか、もはや皆目見当が付かない状態だ。
「ググ……ゴ、ゴ……」
突然、野獣の声ではなくなった。まるで……そう、故障した機械のような……。
その瞬間、装甲から漏れていた光が大きくなり始め、火花を散り始めさせた。パチパチと、線香花火のように。
「……これは……」
嫌な予感が脳裏をよぎった瞬間、倒れこんでいる空をかばうようにして、僕は自分の意識を集中させた。バルドルの力で、大きなシールドを張ったのだ。
そのシールドが張られた瞬間、野獣は大きな光に包まれた。そして、巨大な爆発を引き起こしたのだ。
「空、つかまれ!」
「は、はい!!」
彼女の手を僕はグッと握った。彼女もまた、同じように握り返した。
野獣は大きな爆発を引き起こし、僕や辺り一帯を巻き込んだ。
その爆発の光の中に吸い込まれ、僕は意識が飛んでしまった。




