63章:出発 天の道を求めて
大樹の町ヴァルハラ。
かつて、地上都市ヴァルハーとして機能していたが、その面影は無い。ティルナノグ期の都市の残骸が、町外れの林の中に並んでいた。ケリューで見たような半壊状態の住宅たちだった。ここは緑が多いためか、樹木が半壊した壁などに巻き付いたりして、ほぼ森林状態になっている。長い、長い月日が経ったことを実感させる。
打って変わってこのヴァルハラ、約150人の住民が暮らすのどかな町である。どの家も自然を利用した造りで、その多くがアラファドさんの家のように樹の上に作られている。10メートルくらい高さの所に、どうやって家を造ったのか疑問なのだが。
この町が『大樹の町』と呼ばれる所以、それは町の奥にある大きな樹に由来する。樹齢数千年といわれ、成人男性20人が手を広げて、樹を抱くとなんとか手を繋げることができるほどなのだ。空を覆わんばかり、というより覆っている大樹の多くの葉っぱや枝は、太陽の光を通さないようにしているみたいだった。
この大樹は『シェルフィーノ』と言い、古代ティルナノグ語で『大樹』という意味を持つのだという。ティルナノグ時代から崇められ、農作物の神様と言われているそうだ。大きな何かには、巨大な力が宿っているように感じる。大樹然り、巨石然り。
アラファドさんの孫シェリアは、この大樹にちなんで名付けられたとか。「シェリア」という名には、「緑」や「風」という意味合いも含んでいるのだという。小鳥などの動物に好かれるなど、どこか野生児のようにも見えるが、言われてみれば「自然」の子供っていう感じはする。
10歳になるシェリアには両親がいない。彼女の両親は、シェリアが7歳か8歳頃に突然亡くなってしまったのだという。
親がいないということで、シェリアは昔、他の子供たちにからかわれたらしい。よくある話……特に男の子に言われたそうで、自分の弱い部分――女性らしさを打ち消すために、「僕口調」になってしまったのかもしれない。
親がいないからといって、シェリアの顔に寂しさはない。この町の人を見てみても、表情はみな穏やかだった。町のそのものの気風、というものがあるのだ。
ここの人たちは、農業や建築業、狩などをして生活をしているらしい。町にとって重要な事項は、大人全員を集め、会議をしたりするのだという。
ここには、国家というものが存在しない。もちろん、元首も存在しない。長老は投票で決めるというし。つまり、小さな共和政なのだ。みんながみんな、言いたいことを言って、いい町にしようと心がける。王さまや貴族なんかいなくたって、人々はこんなにも平和で、穏やかに生きていくことができる。そう考えると、上に立つ者の存在意義とは、一体何なんだろうか。
……そう言った話は置いておいて。
アラファドさんの家に泊まらせていただいた後、僕たちは北へ出発することにした。
「この草原をずっと北東へ。夜になったら、北の星を見ながら進むといい。途中で、カラハザンという町に寄って行きなさい。あそこは、果物が豊富じゃからな」
「わかりました。いろいろと、ありがとうございました」
僕たちは頭を下げた。
「じゃが、誰か一人でもこの町の者をお供にしておこうと思ったんじゃが……折り悪く、手ごろな奴がおらんかったわ」
申し訳なさそうに、アラファドさんはひげをいじっている。
「いえ、気になさらないで下さい。たぶん大丈夫ですから」
「たぶんって……おいおい」
レンドは苦笑いをしていた。昨日リサによって腫れさせられた両ほほは、完璧に回復していた。1日で回復しなかったら、重傷ものですけど。
「ハイハーイ!」
シェリアが跳ねながら挙手している。
「僕が案内してあげるよ!」
「な、なんじゃと!!?」
アラファドさんは小さな目を見開き、シェリアに詰めかかった。
「何をゆうておる! お前はゲルミナス遺跡に行ったことがないじゃろうが!」
「ううん、あるよ」
プルプルと、シェリアは顔を振る。
「僕、行ったことあるよ」
ニッコリ微笑み、少女はアラファドさんの心に襲いかかる。孫にああいう笑顔見せられちゃあ、負けは確定だな――と、僕は心の中でうなずいていた。
「だからさ、僕が案内するよ。ね? いいでしょ?」
「じゃ、じゃが、危険じゃし……」
「まあまあ、じいさん。俺たちが付いてんだ。大丈夫ッスよ」
陽気に、レンドはアラファドさんの肩を叩きながら言った。なんでこうも自信がおありなのか問いたいところだが、まぁ気にしまい。
「うむぅ……」
「おじいちゃん、いいでしょ? たまには、僕だって外へ行ってみたいよ」
「お前はいつも外に行っておろうが」
皮肉を言うが、シェリアの笑顔は途切れない。
「ううん、行ってないよ。樹の上には登るけど」
それがダメなのでは……と思ったが、アラファドさんは呆れてしまっているのか、ため息を漏らしている。
「しょうがないのぉ。まぁ、ソラ君たちがおるから、大丈夫じゃろうて」
「ホント!? やった! ありがとーおじいちゃん!」
溢れんばかりの笑顔をさらけ出すシェリア。さすがのアラファドさんも、これには勝てない。
というわけで、シェリアが加わることになった。アトモスフィアに行かないならば、安全は保障できるけど。
ニコニコと微笑みながら、シェリアは「行って来ま〜す!!」と元気よく言った。どう考えても遠足程度にしか考えていな、こりゃ。
町の外、つまり森を出ると、緑の草原が一面に広がっていた。草原の地平線とは、まさにこのことだ。遥か先まで、緑の草原にしか見えない。ずっと先に、山脈があり、その上にアトモスフィアが浮かんでいる。転送装置を使って、かなり近づいてきたと思ったが……まだまだ、あそこの真下までは遠いようだ。
「うーん! いい天気!」
シェリアは元気よく背を伸ばした。
「……いい風だな。もう4月下旬だから、気温もちょうどいいもんだ」
この大陸の気候は、本来穏やかなようで、四季がはっきりしているとか。どこか、日本の春のようにも感じるこの陽気は、世界が危機に迫っていることを忘れさせてしまいそうだ。
「そうですね。ロンバルディアよりも、温かく感じます」
春風になびかれながら、アンナは言った。
「『呪われた大陸』、『永久凍土の大陸』。そんなの、全部ウソだったな。ロンバルディアやアルカディアよりも、自然がきれいな大陸じゃないか」
デルゲンも気持ちよさそうに体を大きく伸ばしている。
「2大陸はあそこの人間が争ったりしていたからな。この大陸……というより、この辺りではティルナノグが滅んで一度も争いが無かったんだろうよ。2000年も経てば、大地もヒトも変わるってもんだ」
レンドは上空を見上げ、どこか呟くかのように言った。
「レンドもたまにはわかってること言うじゃない」
「……失礼な女だ」
レンドはリサに対し、苦笑を向けた。
リサ……ちょっと、とっつきにくいのは事実。昨日のことがあるからだ。こうやってレンドを殴っている彼女を見ていると、昨日のことが嘘のように思えてくる。
「ていうか、道らしき道が見えないな。シェリア、こんなんでゲルミナス遺跡の道がわかるのか?」
「うん、大丈夫だよ。ホラ、あの山が見える?」
シェリアは遥か彼方にある山脈を指差した。
「あの一番高い山、わかる?」
ヴァルハラの森から北へ一直線。他の山に比べ、一番高い山が見える。遠く霞み、空の色に化けている。
「あの山のふもとにカラハザンがあるんだ。んで、あの山を越えれば、光の森に行けれるんだ」
「あの山が目印ってことか?」
「うん」
目標がわかったとはいえ、歩いていくのでめんどくさい。今までは、ほとんどが馬車だったからな。
歩いて行くとなると遠いし、上空には不気味な浮遊大陸(ほとんど機械っぽいけど)があるし……。風景は最高なのに、気分がブルーになってしまう。こんなにも平和そうに見えるのに、樹たちによって滅ぼされそうになっている。
「滅びる」ということを何度も聞いてきたが、それ自体を想像したことが無かった。
この風景が、この草原が、この空が、この大地が、あらゆるもの全てが、灰燼に帰す。
無に還る。
恐ろしい言葉だ。考えただけで、体中の血液の温度が下がる。だけど、それを僕の弟の樹が行おうとしている。
あいつらは、滅ぼした後どうするつもりなのだろうか。自らと共に、滅びるつもりなのだろうか。……僕にはわからない。あいつがそこまでしようとすることが。
当然と言えば当然。僕はあいつじゃないし、あいつが経験してきたことを知らない。厳密に言えば、知らないのは空白の3、4年間なんだ。その空白の間に、樹はあらゆる真実を知って、世界を滅ぼそうと決めた。
世界を滅ぼそうとするほどの真実?
その真実によって?
どれだけの憎悪を駆り立てる真実だというんだ?
人が人を殺そうとするのは、簡単なことではないことは、僕自身が知っていることだ。もちろん、誰にしても。
人だけではなく、地上に存在する全てのものを消し去ろうとする――というのは、どれほど世界を憎めば浮かんでくるものなのだろうか。どれほど絶望すれば、あの考えが浮かんでくるのだろうか。
今更ながら、考えても考えてもわからない。
答えを導き出すことができない。
草原を歩いている最中、僕はそうやって一人で考え続けた。静かな草原。柔らかな緑の風。 和やかな空気。平和な雰囲気。
これが現実なのに、どうして壊そうとするのだろうか。
これほど美しいものを、どうして破壊しようとするのだろうか。
「どうした?」
デルゲンが僕の肩に手を置いた。
「……え?」
考えていたことが、別の空間へ飛んで行ってしまった。
「お前だけに、上の空だったな」
「……つまんねぇギャグ」
そう言うレンドの歩く気力を奪うほどだった。
「そういうつもりで言ったわけじゃないんだが……ともかく、昨日からちょっと様子が変だぞ?」
「変なのは今に始まったことじゃないだろ?」
レンドが笑いながら言った。どーいう意味やねん。
「ん、たしかに」
一人でうなずくデルゲン。
「納得すんなよ……」
「ハハ、すまない。んで? どうしたんだ?」
微笑を浮かべたまま、彼は訊ねてきた。さすがに、リサのことは言えない。なぜかわからないが、あのことは言わない方がいいと判断している自分がいる。
「いや、なんでもないよ。ちょっとした考え事だったからさ」
デルゲンはほほをかき、少し困った様子でレンドに顔をやる。そこで彼に任せようとするところが、デルゲンの悪い点。
「なるほど、俺たちには言わねぇつもりか」
レンド……こういう怪しい笑顔をする時は、決まって悪ふざけする時だ。嫌な予感がしつつも、僕は呆れた表情を彼に向ける。
「そういうことじゃないって」
「ならば、こうするまでだ!」
と言って、レンドは横から空を引っ張り出してきた。何もわかっていないのか、空は目をパチクリさせている。ていうか、おとなしく来るなよ……。
「さあ! 空ちゃんに隠し事ができるのか!?」
レンドは彼女の後ろで、手を広げながら言った。
ああ、なるほどね……そういう手口ですか。だがしかし、そんなことで口を割るようなことはしません。
「一人で考えたいことってあるだろ?」
僕はため息を漏らし、言った。
「空ちゃんにも黙っておくようなことなのか?」
むぅ……それを言われては、個人的にまずい。
「……プライバシーの侵害」
「ぷらいばしー? んなの知るか」
レンドは悪魔の微笑をしながら、空を押している。なぜか、彼女は固まってしまっているし。
「ちょっと、レンドさん!」
すると、アンナがレンドの腕を引っ張った。
「ソラさんは嫌だって言ってるじゃないですか。無理に聞こうとしないで下さい!」
アンナの言葉に、ちょっと怖気付いたレンド。普段、怒らないアンナが怒っているので、驚いているのはシェリア以外のここにいる一同もだが。
「……わかったよ。てか、俺が悪いんかな?」
「お前が悪い」
うん、とうなずくデルゲン。
「お、お前な!」
ふざけ合う二人の姿を見ながら、僕は少し笑ってしまった。
あまりにも、平和すぎる。いや、これが普通なんだよ、きっと。普通だと思えることが、普通ではなくなってしまうからこそ、僕は怖いんだ。こうしてみんなで一緒にいる時間が、消えてしまうことに対し、恐怖感を覚えている。
こうして人と触れ合うことこそが、一つの宝物。それを忘れてしまっているのが、樹たちなのだろうか?
あるいは、それを知っていて尚、世界を殺そうとしているのか?
……一瞬、僕は思った。
僕たちは、相容れないんじゃないかって。
「――これか」
ある遺跡の深部で、樹は何かを見上げていた。遺跡というより、近未来都市の中――と言った方が正しいかもしれない。
「シュヴァルツ、古書に書かれてあるのはこれで間違いないのか?」
「……ああ、そのようや」
黄色く変色した古書の文字列を眺めながら、シュヴァルツは言った。
「せやけど、起動するんかいな?」
バルバロッサはペタペタと、巨大な装置を触り始めた。真っ白な機械は動力を失っているのか、動く気配を感じない。無数に配置されたボタンの列には、古代ティルナノグ文字が刻まれている。
「…………」
樹は装置の周りを歩き始めた。細めた目で、装置の隅々を見つめる。
「動力が完全に切れている、か」
「どないすんねん? これじゃあ、アトモスフィアに行けれへんで?」
バルバロッサは腕を組み、機械に触れるのを止めた。
「わかってる。その動力を探すしかないだろ」
「……めんどくさいもんやで、ホンマ」
シュヴァルツは大きくため息をついた。
「この古書も、装置の使い方とか載せとけっちゅーねん」
と、シュヴァルツは古書を指先で突っつく。
「古書に文句を言っても仕方ないだろ。どうせ、シリウスがこうなることをある程度予測して作ったものだろうからな」
いちいち回りくどいことをして……そこまでして、隠す必要性はあるのか?
そんなことを思いながら、樹は外に目をやった。このフロアにある窓から、近未来都市全体が見渡せる。ガイアに似てはいるが、それよりも発達した巨大都市を。
「ま、小僧どもがここに来るには余裕があるし、気長にやるか」
シュヴァルツは古書を腰のベルトに付けている小さなバッグに入れ、歩き始めた。
「……ところで、リオンからの連絡は?」
樹は辺りを見渡しながら言った。
「そろそろ、戦況報告をするはずなんだが……」
「未だに、送ってきていません」
「…………」
樹は小さくため息をついた。
「ウラノス……私は、あの人を見たことがありません」
ミランダは眉をしかめ、言った。そこには、「リオン」という人間に対する疑問を感じていたからかもしれない。
「それは、あいつが望んだことだ。あいつは秘密裏に行動をする。それこそ、リオンとして生きていくことなのだろうからな」
「……まぁ、あいつはある意味特別な奴や。気にすることでもない」
「…………」
ミランダは後ろに振り向いた。
……杞憂だといいのだけれど……。
1週間が過ぎようとした頃、草原ばかりの風景の中に、小さな柵――そこには、ちょっとした牧場なのか、何匹かの羊が放たれている――と一緒に、ポツンと小屋が佇んでいた。レンガ造りの小さな小屋。同じように小さな煙突から、白い煙が出ている。人が住んでいるようだ。
「シェリア、あれは?」
僕はそれを指差しながら訊ねた。
「んっと……ラヴィンおじさんの家だったかな」
「あそこで、泊まらせてくれないかな?」
「たぶん、大丈夫だと思うよ。ラヴィンおじさん、優しい人だから」
僕は上空を見上げた。すでに世界は少しだけ赤く焼けていて、あと数時間で日が暮れるといったところだ。
「ちょうどいいや。今日は泊めさせてもらおうよ」
「んなこと言って、テント暮らしが嫌になっただけじゃないのか?」
「うっ……」
さすがデルゲン。察しがいい。
「いいじゃん。私もちゃんとした屋根のあるところで寝たいし」
「リサ、子供じゃないんだから……」
デルゲンは呆れた感じで苦笑していた。
「俺も、いい加減飽きたぜ」
「……ま、かくいう俺も、家で寝るのが恋しくなってきたところだ」
「結局、みんな泊まりたいんですね」
アンナは小さく微笑んでいた。
「じゃ、決定だな。交渉は……シェリア、頼んだぞ」
「えぇ? 自分でやりなよ、ソラ」
「……初対面の人ってのは、苦手なんだよ」
そういうわけで、小屋に直行した。
小屋の外で一人の男性が、切り株の上で空を眺めながら座っていた。ポパイみたいなものを口にくわえ、円を描いた丸い煙を噴出している。
「あ、やっぱりラヴィンおじさんだ。ラヴィンおじさん!」
シェリアは走り出し、その人のところへ向かった。おじさんは声に気がつき、穏やかな顔を彼女に向ける。
「おお、シェリアじゃないか」
「うん、久しぶり!」
「見ない間に、大きくなったなぁ」
ハハハと笑いながら、おじさんはシェリアの頭を撫でていた。あの町の人と同じだ。平和な証拠、というやつか……。
「おや? シェリア、あの方たちは?」
「えっと、お客さん。おーい、こっちに来てよ」
そう言われ、おじさんとシェリアのところへ行った。
ラヴィンさんは白い無精ひげを生やした、ダンディーなおじさんと言ったところか。カウボーイの方な格好をしている。もっとも、あのありがちな帽子はかぶっていないが。
「この人たち、ゲルミナス遺跡を目指しているんだ。だから、今日泊めてくれないかな?」
「……ゲルミナス遺跡? ほぅ、あなたたちもそこを目指しているのか」
おじさんは僕たちの顔を見渡すと、そう言った。
「それってどういうことですか?」
僕はすぐに訊ねた。答えは何となくわかっている。わかってはいるけど、どうしてか聞かずにはいられなかった。
「君たちがここへ来る以前、人が寄ったんだよ。……君くらいの年頃の青年と、2人の大男と美人な女性の4人だったかな」
やっぱり、か。僕はリサに視線を向け、小さくうなずいた。
「……ともかく、泊まりたいなら泊まってゆきなさい。歓迎するよ」
ラヴィンさんはニコッと微笑んだ。それにつられて、なぜか小さく会釈をしてしまった。
ラヴィンさんの家の中は、こじんまりとしていた。木を使って使用する暖炉、動物の皮で作ったであろう床に敷かれているカーペット。リビングに置かれた木製のテーブル。隠居したおじいさんの家っていう想像にピッタリだ。
「どうぞ」
ラヴィンさんがコーヒーみたいなものを作ってくれた。いや、ココアか。飲んでみると、温かくて、懐かしい甘さがした。そういえば、ココアなんて長らく飲んでいないな。寒い地域のシュレジエンに行った時は、いつもコーヒー(苦いのがダメなので、かなり砂糖を入れていた)を飲んでいたっけ。そもそも、実家でもココアを飲むタイプではなかった。ココアを飲むより、ホットミルクを飲むタイプだし。
「訊いてもいいかな?」
ラヴィンさんはイスに腰掛けながら言った。
「なんですか?」
僕はカップをテーブルに置いた。
「どうして、ゲルミナス遺跡へ行きたいんだ?」
「世界を守るためなんだってさ」
シェリアがココアに息を当てながら言う。それを聞いて、ラヴィンさんは何度か瞬きをし、
「世界を守るため? これはまた、大きな話のようだな」
そう言って、彼は立ち上がった。
「まあ、詳しく訊くつもりはないよ。君にとって、あまりいいことではないだろうからね」
「……?」
あまりいいことではない……それって、どういう意味なんだ?
「さて、夕食の準備に取り掛かろうか。皆さん、手伝ってくれないか?」
食事をし、その後は団欒みたいな状態になった。平穏な空気が流れると、みんな平和な話しかしない。ティルナノグや樹のことなんて、一言も出てこなかった。いや、心のどこかで考えてはいるものの、関係の無い人にあれこれ込み入った話をするのはいいことではない――と、誰しも感じているからかもしれない。
その夜、ラヴィンさんを交え、男性陣だけで酒を飲んだ。……僕が未成年だっていうことは気にしない。てか、今年で18になるし。
空たち女性陣はと言うと、早々に奥の部屋で夢の世界へと旅立った。よくよく考えれば、女性陣はみんな歳が若い。もちろん男性陣も若いのだが、彼女たちの中で20歳を超えている人はいない。てか、傍から見ればガキばっかなんだよな……自分のことを棚に上げてるけど。
『北の酒豪』と謳われたレンド(自称)は、とんでもない量の酒を飲み、ベロンベロンに酔っ払ってしまった。その酔っ払った時がホント、質が悪い。大声を出して笑うわ、いきなり泣き出すわ、屁をこくわ、自分の(自主規制)……。デルゲンがいなかったら、レンドは追い出されていたであろう。
デルゲンはというと、酒に滅法強く、飲んでも飲んでも酔わない。いずれ酔うのであろうが、その時には他のみんながノックアウトしているのだ。
僕はそもそも酒が得意じゃないので、あまり飲まなかった。それに、ラヴィンさんの家にある酒は、飲んだら喉が焼けそうなほどで、せいぜいコップ2〜3杯が限度だ。それ以上飲んだら、本当に……ねぇ、ホラ、吐いちゃうよ?
深夜になった頃、レンドは泥酔してしまった。ラヴィンさんとデルゲンは、チーズケーキみたいなものをほお張りながら、談笑していた。
僕は少し顔も熱いし足がふらつくので、酔いを醒ますために外へ出た。この辺りは夜になると、ちょうどいい寒さ。いい感じに酔いを醒ましてくれる。
「ふう……」
僕は柵で囲ってある小さな牧場の傍に座り込み、草原を眺めた。
いつだったか……ああ、そうだ。樹と空と再会したあの日、聖帝中央庁が崩れ去った後、眺めた風景に似ている。たしか、リーベリア平原だったか。
緑の草原が風で小さく揺れ、辺りを月の光が照らしている。
……ふと思い、外へ出た時にはいつもお月様が顔を出しているのはどうしてだろう。たまたまか……あるいは、神様が僕に与えてくれる宝物という風景の1つだろうか。
風景。美しい景色。それは、星が、空が、僕たちに与えてくれる宝そのもの。目に見えるだけだが、それでも心に安堵と驚嘆を与える。そして、人の心はその分だけ広くなる気がする。
星の雫。星が与えてくれる、星自身の垣間見る姿そのもの。
空を見上げれば、輝く月。常に太陽の光に隠れ、太陽が姿を消した時間帯にだけ、その神々しい、淡い光を地上へ降り注ぐ。
人間も同じ。光に当たる場所に出る者、その影で支える者。あるいは、虎視眈々と陽の場に出ることを狙う者。
それを考えれば、人間はとてつもなく汚れている。犯罪に手を染め、権力や富を手に入れようとしている。それを、人は見て見ぬふりをする。その過程の中で、屈辱や苦しみを受ける人がいる。
原因と結果。
たしかに、そうでしかない。だが、そうと言えるのだろうか。そうだからといって、放っておくことなんてできないのが現状。だから、反乱やデモ、テロを起こしたりする。中には、宗教的なものもあるけど。
考えれば考えるほど、人間ってのは醜く、汚らわしい。樹やシュヴァルツたちが人間を滅ぼそうとしているのも理解できる。
でも、それは自分も同じ。蔑めば蔑むほど、自分が卑しく感じてきてしまう。何を上から目線で言っているのか、と。
「……ヴェルエスと、星……」
滅ぼした後は、樹……お前が新世界の創世主か?
僕は思わず、鼻で笑ってしまった。
そんなの、馬鹿馬鹿しいとは思わないか? 驕りが過ぎると思わないか? お前が言った『驕りが過ぎる人類』、その代表的な者になる。
創世主と勘違いしているだけなんだよ。
人間は人間を生み出すことができるが、世界を創り出すことはできない。もちろん、あらゆる命を消滅させても同じ。人だけで成り立っている世界じゃないんだから。
人がいて、他の動物がいて、多くの生命がいて、世界は成り立つ。いや、僕たちが考えている世界が成り立つ。
……〈人〉と〈動物〉と区別しているだけで、僕はすでに驕りが過ぎているのかもしれない。人も同じ動物の一種なのに。
この星に生れ落ちた、1つの生命なのに。
けれども、わからないだろうか。
この風景を見て、樹は、人は気付かないだろうか。
僕たちを優しく包んでくれる風。千差万別の姿を見せる天に浮かぶ空。何千、何億という時間をかけて造られた、時の造形である大地。とても近く、同時に遠く、あらゆるものを生み出した母なる海。
全てを知って尚、滅ぼすことを求めるというのか?
だから、僕は理想論を言うのさ。全てを救える、最善な方法を。
おかしくなんてない。もちろん、正しくもない。だけど、お前が考えていることも、正しいとは限らない。
だから……僕はお前を殺――
「どうしたのかね?」
落ち着いた声――後ろに誰がいるのか、すぐにわかる。ラヴィンさんだ。
「酔い覚ましです。あんまり、酒は得意じゃないので」
「ハハ、そうか」
ラヴィンさんは僕の隣まで来るなり、僕と同じように草原の上にあぐらをかいた。
「きれいですね、この景色」
「そうかね? 私はもう見飽きたがね」
だが、いつ見ても心は満たされる、そういうものだ――と、付け加えた。
「僕の故郷には、こんな美しい風景はありませんでした。だから、何度見ても見飽きませんね。というより、いつまでもここで眺めていたいですよ」
「……景色ほど人の心を穏やかにするものはあるまい。戦う者、争う者、怨む者、復讐を遂げようとする者、欲望を満たそうとする者……美しい景色を見れば、そうすることも忘れてその景色を見つめ、己の愚行ぶりに気付くだろうに」
どこか寂しげに語るラヴィンさんを見ると、目を閉じていた。この風景は、すでに目で見なくても感じることができるのだろう。
「……君は、以前来た異国の者に似ている」
「異国の者?」
「君と同じ年頃の男性さ」
「ああ……」
樹のことか。まあ、兄弟だもんな。似ているのは当然だ。けど、昔はあんまり似てないって言われたもんだ。自分でも、いまいちわかんないし。
「どこら辺が似ていました?」
好奇心でそう訊ねると、ラヴィンさんは目を開いた。
「彼の持っていた独特の雰囲気、空気と言えようか……君に似ているような気がしてね」
「……どんな空気なんですか?」
「そうだね……」
ラヴィンさんはあごに手を当て、夜空を見上げた。
「どこか優しく、強く……同時に脆く、暗い」
「…………」
「だが、彼の方がどことなく暗く、君の方が危うく感じた。理由はわからないがね」
何となくわかる気がする。僕はあいつのようにはっきりとした〈方法〉というものを考えていない。その中で、揺らいでいる。自他共に認めることだろう。
「……そいつと僕は兄弟なんです」
思わず、言ってしまった。言うつもりなどなかったのに、なぜか言ってしまった。時折、誰かに話したくなる……そういった時間が、今なのかもしれない。
「ほぅ、そうなのか? なるほど、だから顔が似ているわけだ」
少し笑いながら、ラヴィンさんは言った。あまり驚いた様子がないということは、出会った当初から気付いていたからだろう。
「だが、兄弟とは思えぬほどかけ離れている気がするな」
「……何がですか?」
「それがわからないのだよ」
無精ひげをさすり、小さく笑った。
「……君が彼を追いかけ、彼が何をしようとしているのかはわからないが……」
ラヴィンさんは立ち上がり、僕を見下ろした。
「とりあえずは、傍にあるものを大切にしてほしいかな」
「え?」
そう言って、ラヴィンさんは立ち上がり、小屋へと戻って行ってしまった。
「…………」
僕はその場に大の字になって、夜空を見上げた。
大切なもの、かぁ……。