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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆5部:全ての約束が紡がれし時へ
73/149

62章:ヴァルハラ 緑風と大樹の囁きに


 真っ白な視界が消えた瞬間、コケの臭いを感じた。今までの広間よりも狭いし、明かりは灯っていないし、木の根みたいなものが床や壁を這いずり回っている。天井は所々、崩れていて光が差し込んでいた。

 正面に、今までと同じ紋章の扉。だが、それはかなり古びていて、半開きになってしまっていた。長い年月のために、封印が解かれてしまっていたのかもしれない。

「……なんか、雰囲気を感じるな」

 辺りを見渡しながら、デルゲンは言った。

「人がいるような気配がする」

「人が? それはありえないような……」

 遺跡の中にいる静けさのせいか、個人的にはまったく人の気配を感じないのだが。

「いないとも言い切れないよ、空」

「……なんで?」

「たしかに、ユリウスによってティルナノグが滅ぼされ、アイオーンによって人々が2大陸のほうに導かれたとはいえ、残って今の今まで生活してきた人たちもいるはずよ。さっき行った地上都市の周辺のように、緑溢れている土地なら可能性はあると思うし」

 緑ある所に、命あり。命ある所に、人間ありってか。

 装置の円盤から降りて、僕たちは扉の外へ向かった。

 長い通路を歩き、1つの扉に突き当たった。木製の扉だ。この扉だけが、どうも最近作られたように見える。

 ゆっくりと押し開け、僕たちは外へ出た。



 広がっていた風景は、町だった。自然に囲まれた町。そして、何人もの人の姿を確認できる。ここで、生活しているんだ。

 普通の町ではない。森の中の町と言うべきだろう。空を覆わんばかりの木の枝や、鮮やかな緑の葉っぱたち。その隙間からやって来る木漏れ日が、温かさと穏やかさを僕たちに与えてくれる。空気も澄んでいて、いつか行ったガイアの山を思い出す。小鳥がさえずり、風によって揺れる草木の音が、なんとも言えない平穏さを漂わせている。

 この町の家は、巨木の枝に乗っかるように作られた小屋や、巨木そのものの中を切り抜き、住居にしているものもあった。すべてが、木造建築の住居だった。



「どなたかな?」



 いつの間にか、僕たちから数メートル離れた場所に、白い髪とひげを持ち、腰が曲がったおじいさんがいた。転送装置があった遺跡が盛り上がった場所にあったため、僕たちはおじいさんを見下ろす場所に立っていた。

「えっと、僕たちは……」

「もしや、その奥にあった装置を使って来たのかな?」

 おじいさんは小さな目を細めながら言った。

「え、ええ、そうです」

「……なるほどのぉ」

 ホッホッホ、と穏やかにおじいさんは笑った。

「ところで、どこから来たんだね?」

「私たちは……南の大陸から来ました」

 リサが丁寧に言った。こういう時、なぜかリサはシャキシャキと答えることができる。

「南の大陸? あの、猛吹雪の大地よりさらに南なのか?」

 僕たちはうなずいた。

「ふむ……伝承は本当だったんじゃな……」

 おじいさんの言葉が小さすぎて、よく聞き取ることができなかった。ただ、うんうん、とうなずいていた。

「あの、ここは?」

 僕は周囲を見渡した。

「ここは、大樹の町ヴァルハラじゃ」

「ヴァルハラ?」

 あのコンピューターに載っていた名前とは違う。だが、『ヴァルハー』と『ヴァルハラ』、『緑』と『大樹』、共通する部分は、たしかにある。

「あんたたち、ここには何の用で来たんじゃ?」

「えぇっと、浮遊大陸へ行くためです」

「浮遊大陸とな?」

 おじいさんは辺りをうろうろしながら、考え事をしていた。

「……まぁ、ここで話すのもあれじゃ。ワシの家に来なさい」

 ちょいちょい、とおじいさんは手招きをした。




 と言うことで、僕たちはおじいさんの家にお邪魔することにした。

 おじいさんの家はこの町の奥にあり、町の中で最も大きい大樹の上に、秘密小屋かのように家が建てられていた。高さ的には、10メートル程度だろうか。

 地上からはしごを上り、枝伝いに造られた階段を上る。ここから地上を見ると、「落ちたら痛いんだろうなぁ」なんてことを考えてしまう。

「……ん?」

 階段を上りきった時、上から笛の音が聞こえ始めた。きれいな音色で、小鳥さえも鳴くことを忘れ、聞き入っているくらいだった。

上空へ目を向けると、横に突き出た大きな枝の上に座り、横笛――フルートのようなものを吹いている子供がいた。葉っぱに隠れ、顔を確認できない。


「こりゃっ! シェリア!」


 先頭を歩いていたおじいさんが、上を見上げて怒鳴った。

「上に登るなと、何度もゆうたじゃないか!」

 おじいさんはその子供に対し、降りろという動作をしている。子供は吹くのを止め、クスクス笑い始めた。

「いいじゃん。今日は風も気持ちいいし、いい音を出してる。こういう時こそ、音楽を奏でるべきだと思わない?」

 少女の声だった。まだ、小学生くらいの年齢の声だ。聖歌団みたいな、澄んだきれいな声をしている。

「笛を吹くのは構わん。高い所に行くなとゆうとるんじゃ!」

「こういう所で吹かないと、気持ちよくないんだよ。鳥たちも寄ってこないし、風の音も聞けないし」

「とにかく、降りなさい!」

「ちぇっ、わかったよ。……よっと!」

 少女は3メートルほどの高さのところから、僕たちがいる高台のところに、軽やかに舞い降りた。

 少女……か? 緑色のミディアム程度の髪で白いターバンを巻き、白いローブを羽織り、片手には銀製の笛。なぜか肩には小鳥が2匹、乗っていた。紫色の瞳をして、傍から見れば男の子に見えなくも無いのだが……。

「あれ? お客さん?」

 少女は、僕たちの顔を眺めた。目をパチクリさせながら。

「そうじゃ。これから、ちょっと話をするところじゃ」

「ふーん……見慣れない人たちだね。カラハザンの人?」

「いや、南の大陸から来たそうな」

「南の大陸? そんなのあるの?」

 少女は頭をかしげた。

「どうやら、そのようじゃ」

「へぇ―。なんかすごいな。ね、僕もお話を聞かせてよ」

 ちょっと、驚いてしまった。『僕』という一人称を使うってことは、やっぱり男の子か? いや、でも声が女だしなぁ……。はて? どういうことだ?

「ね、いいでしょ? 知らない土地のお話、僕も聞きたい」

「ダメじゃ。お前は、いちいちやかましいからの」

「えぇ? 邪険にしないでよぉ」

 子供はブーたれていた。こういうことを言う人間を、久しぶりに見た気がする。ガイアだったら、近所の子供が何かとそういう言い方をするからな。

「おじいさん、私たちは別にいいですよ」

 リサが優しい声で言った。あまりに聞いたこともない声だったので、仲間一同、驚愕していた。いや、空以外か。

「じゃがのぉ……」

「ま、まあ、別に俺もいいですよ。な?」

 引きつった顔を、デルゲンは僕たちに向けた。

「あ、ああ」

「皆さんもこう言っているんだし、いいでしょ? ねぇ」

 ねだるようにおじいさんの裾を引っ張りながら、子供は言った。おじいさんはため息と共に「わかった、わかった」と、2つ返事をした。




 おじいさんの家の中は、木の匂いがしてなんだかいい気分になってしまう。昔、田舎の川へキャンプに行った時、寝泊りしたログハウスのような匂いだった。

 一階建ての住居だが思ったよりも広々としていて、タンスやベッド以外、何も無い。いちおうキッチンらしきものがあるが、なんとも質素な住宅だ。

 僕たちは中央に敷かれているカーペットの上に、あぐらをかいて座った。そうでない人もいるが。

「シェリア、紅茶を入れてくれんか?」

「えぇ? 自分でやってよぉ」

「階段を上ったりして、腰がいとうてのぉ……」

 おじいさんはワザとらしく、自分の腰を叩いて見せた。仮病だな……。

「ちぇっ、しょうがないなぁ」

 シェリアは、渋々キッチンの方に行き、準備を始めた。

「私も手伝うよ」

 空は立ち上がり、シェリアの方へ行った。シェリアに笑顔を向ける彼女を見ていると、なんか……姉妹のように感じた。「海」という妹がいるが、あいつが双子だしな。

 数分後、紅茶を用意してくれたところで、僕たちは話を始めた。

「まず、自己紹介をしないとな。ワシはアラファドじゃ。ヴァルハラの長老をしておる。そして、この子はワシの孫のシェリアじゃ」

 アラファドさんの隣で正座しているシェリアが、ペコッと一礼した。

「シェリアって言います。初めまして」

 シェリアが深々と頭を下げるもんだから、こっちまでつられて頭を下げてしまった。しかも、あぐらをかいていることに対し、なぜか罪悪感を感じるようになってきてしまったので、正座にした。

「こんな格好じゃが、シェリアは女の子じゃ。誤解せぬようにな」

「女!? お前、女だったのかよ!?」

 レンドがシェリアを指差しながら言った。

「……レンド、声を聞いて気付かなかったのか?」

 デルゲンが呆れた顔をしている。

「だってよ、『僕』とかって言うんだぜ? おかしいだろ、普通」

「ハハ、僕の口癖なんだ。直らなくてさ」

 無邪気な笑顔で、シェリアは言った。

「私はリサです。よろしく」

「うん、よろしく」

 シェリアとアラファドさんは、小さく頭を下げた。

「アンナです。初めまして」

「僕は空。よろしく」

「ソラ? 変な名前だね」

「ハハ、よく言われるよ」

 そう言えば、ヴァルバにも言われたっけ。……「変な名前」……って。少しだけ、寂しくなったのは気のせいじゃないのだろう。

「俺はデルゲン。よろしく」

「俺はレンドだ。よろしくな、坊主」

「僕は坊主じゃないよ―。女の子だよ」

「……あのな、だったらその『僕』口調を直せってんだ。女なら、女らしくしろっての」

 あぐらをかいたまま頬杖を付き、レンドは呆れていた。

「そんなこと言われても、癖なんだからしょうがないじゃないか」

「いいか? シェリア。今のうちに行くべき道を正さねぇと、あの女みたいになっちまうぞ?」

「あの女?」

 レンドはリサを指差した。予想はしていたが、さすがにそれはまずいんじゃないのか、レンド……。

「? きれいな人じゃん」

「いや、それは見た目だけなんだよ。あいつ、魔界の女王と言われるほど凶暴でな、暴れたら手が付けら――」

「あ……レンド、リサが」

 僕が言いかけた時、すでにリサは空中へ舞い、回し蹴りをレンドに食らわした。レンドは、そのまま床へ倒れこんだ。

「……あーあ」

「遅かったですね」

「ですね」

 空とアンナは笑顔でその様子を眺めていた。

「いやいや……少しは止めようよ」

 こういう時、なぜか冷静なんだよな……空とアンナって。

「誰が凶暴だ!!」

 リサはかの有名なアイアンクローで、レンドの額を掴んでいる。

「ま、待て……く、首が……!」

 レンドは首の辺りを押さえながら、もがいている。

「まあ、自業自得だな」

 デルゲンの言葉に、助けようという気持ちは一切無かった。まぁ、彼の言うとおりっちゃあ言うとおりなのだが。

「アハハハハ!」

 アラファドさんの隣で、シェリアは笑い転げていた。笑い方まで、男の子っぽいなぁ……。

 レンドをぼこぼこにしていたリサは、あまりにもシェリアが笑うので、恥ずかしくなってしまったようで、

「……オホン、レンド! 今回はこれで許してやるけど、次言ったら、承知しないからな!」

 と、彼を離してやった。どことなく、顔が赤いようにも見える。

「フアィ……」

 ビンタされまくり、顔が腫れたレンドは変な声での返事しかできなかった。触らぬ神に祟りなし、なのにさ。

「えっと、話を戻すと……自己紹介は終わったから……」

「じゃあ、ここらのことを教えようかの」

 アラファドさんは小さく微笑みながら、話してくれた。

「さっきもゆうたが、ここはヴァルハラ。太古の昔から伝わる大樹を護り、細々と暮らす100人程度の町じゃ。この町の近くには、文明の痕跡も残っておる。その一部が、あんたたちがやって来た所じゃ」

「その文明は、ティルナノグという名前じゃなかったですか?」

 そう訊ねると、アラファドさんは白いひげを触り始めた。

「ティルナノグ……うむ、そういう名前じゃったな」

 こちらの大陸にも、その名は伝わっていたようだ。

「……この町には多くの伝承があっての。その全てがティルナノグに関係することじゃ」

 この町も、ティルナノグ期の古代都市の跡地に建造されたのだという。

「伝承では、ティルナノグが滅ぼされたと同時に古代都市に住んでおった人々は、自らの都市を破壊し、南へ渡ったと云う」

「それが伝説だと思ってたから、僕たちは驚いたってことなんだ」

 シェリアはアラファドさんの隣に座り直し、そう言った。

「……なぜ、あなたたちはこの大陸に住んでいるんですか?」

 リサは正座をして、訊ねた。

「そうじゃな……遥か先祖の時まで遡らなければならんのじゃが……」

 アラファドさんは腕を組み、天井を見上げて語り始めた。


「先祖は戒めを守り、大樹を護るために、ここに残ったと云われておる」


「……戒めというのは?」

 僕がそう言うと、シェリアは少しだけ唸り、説明する。

「戒めは、僕たちの先祖が犯した大罪を償う、というものなんだ」


「ワシらの先祖は、かつて天空帝国の特権階級の者たち……天空人と云われた者たちなのじゃ」


 少しの間だけ、言葉を失った。

 天空人……その卓越した叡智を利用し、繁栄を極めた。そんな彼らの大罪とは、地上人に対し圧政を敷いたことなのだろうか。

「最後の天帝とその弟により……ティルナノグが滅ぼされた後、天空人は地上に連れて行かれ、この大陸に残されたのじゃ。あらゆる都市は滅ぼされ、それまで天空人が使っておった機械も、破壊されていた」

 さらに、南はアイオーンの呪いにより、猛吹雪が止まぬ大地と化した。遥か北にある大陸への道にも巨大な大地の亀裂があり、行けれないようにされていたのだという。

「もちろん、各地へ行けれるようになっておった転送装置もまた、封印の扉が施されて使用不可能にされたのじゃ。まぁ、ここのは長い年月のためか、扉が開いておったが」

 ワシらには使えなかったが――と付け加えた。

 あの猛吹雪や紋章の扉の封印は、南側の人間が行けれないようにするため。そして、天空人の生き残りを、グラン大陸に封じ込めるためだったのだ。

「子孫である我らは〈先祖の大罪を忘れず、無為に命を奪わず、無意味に争わず、ここに永住すること〉を義務付けられておる。とはいえ、こんな美しい場所で生活してゆけれるのなら、悪いもんじゃないがの」

 ホッホッホと、ひげを動かしながらアラファドさんは笑った。戒めを守って生きてゆくことが、そんなに苦じゃないように感じる。戒めというよりも、もっと別の意味合いを持つような気がする。

「大きなしがらみか何かに縛られてるわけじゃないからね。僕も〈天空人〉の末裔として償いの意識はあるけれど、そこまで重いものとは思ってないんだ」

 シェリアも、幸せそうな笑顔をしていた。……僕だけだろうか。ある疑問を感じたのは。

 天空人の末裔と、その他の民族の末裔――北の人々と南の人々。結局、解放された南の人々は、同じように争い続けていたのに。

「ワシらの話はお終いじゃ。次は、あんたたちの話を聞こうかの」

 アラファドさんはひげをさすっていた。

 僕たちは、僕たちがここへ来た理由その全てを、包み隠さずに伝えた。アラファドさんは小さくうなずきながら、話を聞いていた。シェリアはというと、よくわかっていないのか、口を半開きにさせていた。



「ふむぅ……なるほど、なるほど。この世界に、そのような危機が迫っていようとはのぉ……しかも目の前に、ティルナノグ皇室の血を受け継ぐ者たちがいようとは」

 小さな目で、アラファドさんは僕とリサ、アンナ、そして空を見ていた。

「古の大戦の最中、ティルナノグ皇室はユリウスによって惨殺され、各地の王侯貴族に封じられた分家の者たちも、そのほとんどが同じように殺されたと云われたが……どうやら、一部の者たちは伝承どおりからくも生き残り、今に至っていたのか。やはり、伝承は間違っておらんかったんじゃな」

 そして、アラファドさんは紅茶を口に持って行った。

「アイオーンの血族である空のヴェルエス家はともかく、私の一族やアンナ、空ちゃんは一体どういうことなんだろう……」

 リサがつと、漏らした。彼女たちもティルナノグ皇室の末裔とはいえ、僕のようにはっきりとしたものではないのだ。

「それもまた、アイオーンと同じ一族なのじゃろうて」

「……どういうことですか?」

 リサは問い返した。

「アイオーンは全てを終わらせた後、〈二人〉の人間に〈あるもの〉を授けたと云われておる。その二人は天帝の血を受け継いでいると云われており、それらが伝承にある『聖杯』と『聖書』じゃよ」

「聖杯……ってことは、それを授けられたのがリサの先祖……なのか?」

「たぶん、そうなるんでしょうね」

 彼女は小さくうなずいた。聖杯グラールは、ラグナロク一族の長である、彼女の『グランディア家』が保持していたらしいのだ。

「ということは……リサの先祖もヴェルエス家? だが、全員殺されたんだろ?」

「いや、正確には全員じゃないのじゃよ」

 レンドが言うと、アラファドさんは首を振った。

「理由は不明じゃが……ユリウスは数人の皇族を生かしたと云われておる。そのうちの一人が、弟のアイオーンなのじゃ」

 弟は生かした、か……。同族に対する情ってやつだろうか。けど、親族を憎んでいたユリウスは、どうして生かしたんだろうな……。

 その時、僕の脳裏に何かが浮かぶ。





 ――兄様! お願い、もうやめてぇ――!!


 

 ――でも……シリウス兄様、それでは結局――

 ――わかりました。私は、これと一緒に地上へ――



 ――ええ、それはユリウスの元素。それならば、このシステムを――



 ――レナ、君が遺した最後の希望は……僕が、必ず――

 ――このプログラムは、あらゆる「審判ジャッジ」を下すための――

 ――ああ、そうさ。これは、永遠に続く終わりのない旅路――





 一瞬、何かがよぎった。それは、不確かなものだった。

 言葉……言霊?

 視界がぼやけたほんの一瞬、気を失ってしまったような気がする。

「ところで、聖書ってのは? 今までインドラの奴らでさえ、そんなもののことは言わなかったと思うが……」

 デルゲンは首をかしげて言っていた。

「さすがにそこまでのことはわからん。そちらの地と同じく、こちらの地にも限られた情報しか遺されておらぬからな……」

 自然にか、意図的にそうさせたのか……。何はともあれ、一般人は知るべきことではないのは確かだ。その中で、野心を持つ者が現れてしまう。……ステファンのように。

「……ただ、聖書は〈道標〉であると云われたらしいがの」

「道標?」

 そう問うと、アラファドさんは小さくうなずく。

「……はからずも生まれ落ちし幼子たち……」

 すると、突然シェリアが歌を歌うような感じで、言葉を綴り始めた。

「そなたたちに捧げよう、蒼き神秘の秘宝を……。

私たちは遠く昔から希う……言葉よりも想いへ、想いよりも言霊へ。

そなたたたちは何を見つめるだろうか。黒き蹄に踏みにじられた夢の跡だろうか。

さぁ、共に奏でよう。私たちの想いを知る子供たちに贈る、夢への道を……。

共に歌おう。私たちの愛を知る子供たちに、暁の旋律が眠りし在り処を……」

 美しい歌声で奏でられたそれは、この場にいるみんなが言葉を失って見つめていた。そして……再び、僕の中に言葉たちが浮かび上がって来た。




 ――星の遺産――

 ――それこそが、遥か古に堕ちた神々が求めていたものだ――





 ――カイン――





「……とまぁ、こんな歌がこの地には伝わってるんだけど、これが〈聖書〉に関連してることなんじゃないかって云われてるんだ」

 シェリアは少し照れながら言った。それを見て、ようやく僕は自分の世界に戻ってきたような感覚に襲われた。

「へぇ……シェリアって、歌上手なんだね」

 リサは思わず聴き入っていたのか、瞬きをするのを忘れてしまっている。

「ヘヘ、ありがと。でも、この村に住む人なら誰でも歌えるものなんだ。僕が特別ってわけじゃないよ」

 謙遜するその姿は、どこか少女らしかった。

「その歌が聖書に関連してるってのか? ……なんか、いまいち掴めねぇんだけど……」

 デルゲンは頭をかきながら言う。

「まぁたしかに……な」

 デルゲンは苦笑しながらうなずいた。

「聖書にまつわる古代の歌……ということが口伝として残されておるからの。わしらも詳しいことはわからん」

 と、アラファドさんは言うと、天井を仰いでため息を漏らした。

「……それにしても、いつも浮かんでいた巨大な雲の塊の中に、浮遊大陸があったとは……70年も生きてきて、まったく気付かんかったわぃ」

 どうやら、アトモスフィアはこちら側の人たちからは、巨大な積乱雲と思われていたらしい。常に同じ場所にある巨大な雲っていうのは怪しい限りなのだが、生まれてずっとそれが「当たり前」だと、疑問なんて浮かばないのが現実だ。

「言い伝えで、『お空の雲の中に、夢がいっぱい詰まってる』っていう話もあったんだよね」

 そう言って、シェリアは微笑んだ。夢がいっぱい……ある意味、夢だったのかもしれないな……。

「さて、樹……と言ったかの、封印を解こうとしておるのは」

「え、ええ。見かけませんでしたか?」

 奴らがこの町に来たのならば、住民が見かけたはずなんだ。こちらの人々とは、服装が違うだけじゃなく、見慣れていないから、きっと印象に残っているはず。

「そのような話は聞いておらんがの。何せ他の町との交流も少なく、外から人が来るということが無いからのぉ」

「そうですか……」

 ということは、もう一つの都市に行ったのだろうか。たしか、砂漠に面した都市だったっけ。しかも、猛獣がいるとか。

「ハイハイ! 僕、見かけない人たちを見かけたよ!」

 シェリアが勢いよく挙手した。見かけない人を見かけたって……なんか変だなぁ。

「どこで見たの?」

 空が訊ねるとシェリアは天井を見上げ、うーんと唸った。

「えっとね、1週間くらい前だったかなぁ。夜、いつものように大樹様の上に登って、空を眺めていたら――」

「シェリア! お前、大樹様の上には絶対に登るなと、あれほど言ったではないか!」

 アラファドさんは、シェリアの頭をはたいた。

「ご、ごめんなさい! あまりにも月がきれいだったから……」

「……まったく、罪深い孫じゃ……」

 そう呟く顔には、どこか幸せの面影が見えた。なんだかんだ言って、孫のことはかわいいんだろうな。世話の焼く子供ほど、てか。

「そ、そしたら、話し声が聞こえてさ。下を覗いてみたら、見たことも無い格好をした人たちがいたんだ」

「それって、どんな人だった?」

 僕はすぐに質問した。

「うーんと……そっくりな筋肉もりもりの2人組みの男がいたのはわかったんだけど、他の人の顔は確認できなかった。男か女もわかんない。けど、たぶん4人くらいだったと思うよ」

 筋肉もりもりの2人組みって、どう考えてもシュヴァルツとバルバロッサだよな……あの体格は目立ってしょうがない。

「ビンゴ、だね」

 リサは指をパチンと鳴らし、笑顔で僕に顔を向けた。

「シュヴァルたちがいるってことは、樹もいる。たぶん、ミランダも」

「幹部たち、全員ここに来てたってことか。……ソラの予測は当たってたな」

「ほうはな」

「……レンド、何言ってんのかわからないぞ?」

 デルゲンは苦笑いをしていた。晴れ上がったあの顔じゃあ、レンドは話せない。

「でも、樹さんたちは何を話してたんでしょうか?」

 アンナが言うと、シェリアは再び唸る。

「うーんと、よく聞き取れなかったけど、『せいぎょく』とか、『ここからきた』とか何とか言ってたと思うよ?」

「ここから来た? ここから北?」

 そう言ってリサの方に向くと、

「『北』でしょーが」

 そう言って、彼女に頭を叩かれてしまった。

「ここから北……アラファドさん、この町の北に遺跡か何かありますか?」

 奴らはアトモスフィアへ通じる遺跡を探していた。

「ここから、遥か北に『光の森』という所がある。その奥に、各地の町の人々から『ゲルミナス遺跡』と呼ばれる、ティルナノグ期の遺跡が佇んでいる。何度も調査したんじゃが、紋章の扉によって封印されておった」

「紋章の扉……間違いない、そこだ!」

 樹たちが捜し求めていた天空への遺跡は、そこだ。アヴァロンを襲撃してまで手に入れた古書には、そこが記されていたはずだ。

「よし、これで行くべき場所が決まったな」

「……目指すは、ゲルミナス遺跡ね。ところで、どのくらいの距離なんですか?」

「そうじゃな……20日余りで行けれる距離じゃったと思うぞ」

「20日か。全然、余裕だね」

 リサはニコッと笑った。空に残された時間は約3ヶ月。もし遠すぎたら、気が気じゃなかったよ。

「まあ、すぐに出発せずとも時間があるのなら、今日はこの町に泊まりなさい」

「けど……」

「時には、羽を休める時も必要じゃろうて」

「…………」

 僕は空を見た。こいつの体のことも心配だし……。

「私は大丈夫ですよ。無理しないで、今日くらいはゆっくりしてもいいと思います」

 そう言って微笑む空。

「ソラ、焦る気持ちもわからなくもない。だが、いざっていう時のことも考えて、今日はここで休もう。この先、何があるかわからないんだし」

 デルゲンはそう言いながら、立ち上がった。

「……わかった。じゃあ、今日はお世話になろうか」

 デルゲンの言うことは尤もだし、素直にご厚意に甘えさせてもらおう。

「やった! じゃあ、僕が町を案内してあげるよ!」

 シェリアは勢いよく立ちあがり、空の手を引っ張った。いつの間にか、彼女はシェリアに慕われたようだ。

「珍しい町だから、楽しみですね」

 アンナは笑顔でそう言って、彼女たちの後を付いて行った。僕も行こうとした時、誰かが僕の服を引っ張った。


「リサ?」


 さっきまでの表情とは違い、どこか神妙な面持ちのリサだった。

「ちょっと話があるんだけど……いい?」

「……へ?」







 ということで、シェリアの案内でこの町を見回ることになったのだが、僕とリサはあの遺跡にある転送装置の広間に行った。

「どうしたんだよ?」

「…………」

 リサは僕に背を向けたままだ。はっきり言って、まったく意味がわからない。彼女の雰囲気が違うところから、大事な話のような気がするのは確かだが。

「このまま……間に合うと思う?」

 リサは振り向き、言った。やはり、神妙な顔だ。「間に合うと思う?」というのは、今の状況から考えるに……

「空のことか?」

 そう言うと、彼女はうなずく。

「……間に合わないかもしれないと、お前は思ってるのか?」

「わからない。そういった期限とかの問題じゃなくて……」

 言葉を詰まらせる彼女の様子に、僕はハッとした。

「まさか……空の体に、何か起こってるのか!?」

 僕は彼女に詰め寄った。言いようのない不安が、脳裏をよぎる。

「はっきりとしたことは言えない。けど、空ちゃんに与えた増魔剤の影響が出てる。あの子自身は気付いてないと思うけど」

 リサは顔を振り、続ける。

「……いくら資料があったからって、私じゃあうまく作れなかったみたい……」

 彼女は声を弱くし、俯いた。

「あの子の中で、本当に少しずつだけど……乖離が始まってる」

「!!? ど、どういうことだよ!?」

「空ちゃんはやっぱり、ガイアの人間なの。本来なら持つはずの無いエレメンタルを保持してること自体おかしかったし……体自体が、エレメンタルに順応できるようにはできてない」

 あの子は、謎が多すぎる――

 そう言って、リサは顔を上げた。そこには、涙が浮かんでいた。

「ごめん……私が、もっとしっかりしてれば……!」

 悔しそうに唇を噛み、呟くかのように言った。

「お、おいリサ」

「私のせいだ! 私が……」

 顔を振るリサを見て、僕は困惑した。彼女は、ここまで情緒不安定になることがあったか? いくら責任感があるとは言っても、どこかリサっぽくない。

「な、泣くなって。お前のせいじゃないんだし。……な?」

 僕がそう言うと、リサは僕から顔を背けた。

「……もう一つ、言っておくことがあるの」

 鼻をすすり、彼女は泣くのを止めた。



「その前に、怒らないって約束して」



「は?」

 あまりのことに、僕は首をかしげた。リサが、リサらしからぬことを言うからだ。

 お、怒らないって約束してくれって……えぇ?

「約束して」

 そう詰め寄る彼女から、僕は思わず体を引いてしまった・

「え……っと、なんで?」

 とりあえず、そう言ってしまった。

「……あんたを、すごく怒らせてしまいそうだから」

 僕に視線を合わせず、彼女は下を見ている。……怒らせてしまいそうってことは、よっぽどのことなのだろうか。

「わ、わかったよ」

 わかったとは言っても、彼女は依然、顔を俯かせたままだった。ようやく顔を上げたかと思えば、視線を合わそうとしないし。


「……実は、空ちゃんは救えるの」


「宝玉を取り戻せば、だろ?」

 そう言うと、リサは小さく顔を振った。

「違うよ。それ以外の方法で、確実に助けられる方法があるの。時間に縛られずに」

「ちょ、ちょっと待て。それって、一体どういうことだ?」

「増魔剤が切れる前に、あることをすれば、空ちゃんは救える。元素不足による乖離現象を防げる」

「……だから、それはどういう方法なんだって訊いてるんだろ?」

「そ、それは……」

 リサは再び顔を俯かせた。

「…それに、どうしてそういう方法があるってことを黙ってたんだ? お前、最初からその方法があることに気が付いていたんじゃなかったのか?」

「…………」

「言えよ!」

 つい、僕は声を荒げてしまった。まずい――と思った時には、遅かった。リサは涙ぐんだ目で、僕を睨んだ。

「怒らないでって言ったじゃない!」

 女の涙というのは強敵だ。だからと言って、退くわけにはいかない。僕はゆっくりと大きく息を吸い込み、言い放った。

「怒るだろ、普通! それってスゲェ大事なことじゃないか! なんで今まで黙っとくんだよ!?」

「だから嫌だったんだよ! あんたはすぐ怒るから!」

リサは負けじと言う。

「お前な……大切な話を隠されていて、イラつくのはお前もわかってるはずだろ!? ヴァルバの時と同じだ!」

ヴァルバがアルツヴァックで装甲船の話を持ちかけた時、リサはつってかかった。どうして、今更そんな話をするのか。どうして、黙っていたのかと。

「そんな大切な話を話さないってのは、僕たちを信用していないってことだろ?」

「……違う」

リサは小さな声で言った。それを否定するように、僕は顔を左右に振った。

「違わない。プライベートなことを隠すのはいいよ。自分に関わることだ。だけど、今は世界が危険だとか、命が奪われそうだとか、そういう重大な問題を抱えている時なんだぞ? それに関わることは包み隠さず話してくれないと、無駄に労力は費やすし、時間も費やしてしまう。結局、みんなの足を引っ張ることになるんだ!」

「違うって言ってるじゃない!」

「違わない! 黙ってたことが何よりの証拠だろうが!」

彼女は耳を押さえ、その場に崩れるように座りこんだ。

「お願い! 声を荒げないで!」

混乱する。いつものリサではない。いつもの彼女ならば、食って掛かるはずなのに。頭の中がグルグル回る。

「お、おい……リサ、どうしたって言うんだよ。お前、変だぞ?」

「怒らなでって……言った……じゃない……!」

「……リサ?」

リサは小さく泣いていた。涙が溢れるせいで、うまく言葉が出てこないようだった。

リサらしくない。まるで、リサじゃないみたいだ。……いや、リサの奥底にあった〈何か〉が表出ているようにも見えた。

まるで……どこかのか弱い少女だった。

「……泣くなよ。もう声を荒げたりしないから」

怒っているのを止めれそうも無い。だが、声を荒げたことが彼女を泣かせたというのなら、抑えるしかない。

「…………」

「なあ、リサ」

顔を手で隠し、小さく泣きながら、彼女は何も言おうとしない。僕はいい加減、嫌になってきて大きく舌打ちをした。

「……もういいよ。そうやって、一人で泣いてろよ……ったく」

 わけもわからないまま泣かれ、ちゃんとしたことを説明してくれないので、僕はリサを放っておこうとした。これ以上付き合っていても、埒が明かないからだ。

「……詳細は話せないんだ」

 ギリギリ耳に入る声が、後ろから聞こえた。出て行こうとした僕は、彼女の方に向き直った。涙を手で拭い、彼女は僕を見据えている。

「空を助ける方法……ってことか?」

 リサは小さくうなずいた。

「なんで?」

「…………」

 息を整え、リサは続けた。



「――まだ、決心が付いていないから……」



 小さくも、はっきりとした声で彼女は言った。エメラルドグリーンの瞳は、少しだけ涙を残しながらも僕を突き刺している。

「決心って、お前の?」

「……うん」

「よくわからないな……それはお前が、空を助けることに関わってるってことなのか?」

「……ごめん。それ以上は……」

「結局、それかよ……」

 僕はため息をつき、穴のあいた天井を見上げた。まあ、あらかた予想していたが。

「ごめん……でも、これだけは信じて」

 再び、僕は彼女を見つめた。

「私は空も、みんなも信用してる。何よりも信頼してる。それだけは……本当だから」

 偽りの無い瞳。穢れを知らない双眸。そこには、今まで培ってきた大切な想いが込められていた。

「……黙ってて、ごめん」

リサは大きく頭を下げた。後ろに結ってある彼女の長い金色の髪が、小さく音を立てて前に垂れかかる。

すすり泣く音が聞こえる。我慢しているが、どうしても抑えられないようだった。

いつもの彼女と違う。それはわかるのだが、この感じ……この雰囲気、誰かに似ている。

今まで、何度も感じていた彼女への「懐かしい」というかんかく。なんて言えばいいのかわからないけど、誰かに似ているのは確かだ。

「……空ちゃんを救いたい。それは本心だよ」

「んなの、わかってるよ」

 言わなくてもわかってる。お前は、そういう奴だもんよ。

「……空ちゃんがあんな風になったのは、私のせいでもあるんだから……」

「?? 空がさらわれる時のことを言ってんのか? それだったら、違うよ」

「えっ……?」

 リサは顔を上げた。ほほを伝った涙の痕跡が、はっきりとわかる。

「事は起こるべくして起こるもんなんだ。どうしようもできないことだってあるってことだ。……けど、それに抗おうとしているのが僕たちだ。空は死んだわけじゃない。記憶が戻らないわけでもない。まだ、あいつは生きている。昔のように、笑顔を向けてくれる。希望が無いわけじゃないんだ。そうだろ?」

「……だけど、私は……あんたまで巻き込んじゃったしさ……」

 罪悪感のせいか、彼女は再び視線をそらした。

「おいおい、それも違うって」

 僕は思わず、苦笑してしまった。

「お前に言われたから来たわけじゃない。自分で決めて、この世界へ来たんだ」

 きっかけと決意する勇気を与えてくれたのは、他ならぬリサだけどな。

「それに、お前には感謝してる。お前が現れなかったら……僕は、きっとガイアに残ってただろうし」

 そう考えると、ゾッとした。何も知らないまま、あそこにいると思うと。

「空……」

 再び、涙を流し始めた。なんでここまで泣くのか、少々戸惑うが。

「ホラ、泣くなって」

 僕は指先で彼女のほほに触れた。

「ダ、ダメ」

その瞬間、リサは逃げるように僕から離れた。

「……空ちゃんに、悪い……から……」

「? ああ、そういうことか」

 僕としては普通のことをしようと思っただけだったのだが、相手の捉えようによっては、そういう見方をされる場合もある。空もそうだ。下手をすれば、睨まれてしまいそうだもんな。

 僕は小さく微笑んだ。

「とにかく、負い目を感じることは無い。だから、泣くな」

「…………」

 彼女は何も言わず、顔を逸らしたまま涙を拭っていた。

「僕は戻るよ。どうする?」

「……………」

「一人にしておこうか?」

 そう言うと、リサは小さくうなずいた。

「……わかった。夜までには戻って来いよ? みんなが心配するからな」

 同じように、彼女はうなずいた。そして、僕はアラファドさんの家に向かった。



 通路を歩きながら、僕は思った。リサがあんなふうに泣くって、珍しいこともあるもんだな。というより、人前であんなに泣くとは思わなかった。ヴァルバが死んだ時だって、泣いてはいたがあそこまで泣くことは無かった。

 女性の涙は最大の武器、とはよく言ったものだ。しかも、かわいい人や美人な人に泣けられたら、心も揺らぐ。……哀しい、悲しい男の性……といったところか。空や 海もそうなんだよなぁ。あれに対してはどうにもできないので、困ったもんだ。

 それにしても……彼女をあそこまで泣かせたのが僕のせいだとしたら、疑問が残る。あれほど泣く理由にはならないはず。負い目を感じていたということが、彼女にとっては、よほど大きなことだったのだろうか。僕がここにいるのも、空があんなふうになったのも、自分のせいではないのかと。

 だけど、馬鹿だな。もしそうだとしたら、話すことによって、僕がお前を嫌ったりするのかと思ったのかな。なわけない。僕はリサも、みんなも信じている。ヴァルバの時もそうだった。何があっても、今までの本人のことを信じてやれば、簡単にわかることなのにさ。

 ……あんなに肩を震わせて泣いているリサ……リサとは思えなかった。だから、誰かに似ていると思ったんだ。

 誰か――誰かに……。

 僕は歩きながら通路の床を見つめていた。



 金色の髪……エメラルドグリーンの瞳。

 懐かしい、その面影……




 空色の――瞳?




 そうか――――あいつ、空や海に似ていたんだ。




 そうだ、そうなんだ。泣いているあの姿が、なぜか彼女たちに似ていた。いや、そっくりだった。あの雰囲気、どこかで感じたと思っていたが、空と海の雰囲気とそっくりなんだ。

 でも、どういうことだ?

 リサと彼女たちに接点は無いはず。あるとしたら、巫女だということだけだ。だが、そうだとすれば、アンナも空たちに似ているということになる。アンナもよく泣くが、雰囲気は違う。言葉でうまく言い表せないけど……。

 外へ出た時、木漏れ日が僕の目に差し掛かった。緑の葉っぱや地面に囲まれたこの町は、どこよりも美しい気がする。緑の中にいると、本当に落ち着く。世界が隔絶されているかのように思える。



「……けど、違う」



 今まで感じていた「懐かしさ」とは違うのだ。あの懐かしさは、空や海に似ていることに関係はしていない。

 じゃあ、なぜ?

 僕はなぜ、リサに対して懐かしさ――親近感を覚えるのだろうか。



 謎ばかり、膨らむだけだな……。
















「……ごめんね、空。あんたには……あんたたちには、まだ話してないことがあるんだ……」

 天井を見上げると、あちらこちらに空いた穴から、陽光が煌きながら舞い降りてきている。そうしてできた光の柱にほこりが当たり、それらが泳いでいるように見えた。

「私は……やっぱり、そうするしかないのかな……」

 もう、とうの昔に答えは出ているはずだった。出ているはずだったのに、認めるのが怖かった。その現実を直視するのが怖かった。

「ううん、そうするしかないんじゃない。するか、しないかだ」

 自分に言い聞かせ、己を奮い立たせる。

「……もしも……その時を迎えたのなら……私は……」

 春の暖かさを感じながら、リサは一人で呟いていた。




 私は、何のために生きてきたんだろう。

 ここに立っていることだろうか?

 それとも、空たちを「約束の刻」に相見えさせるため?

 その時に、「護る」ため?




 ……わかんない。

 でも、一つだけわかってることがある。 


 たとえあんたに怒られるとしても、決めなきゃならないんだよね。




 それが、私の贖罪なのだから。







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