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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆5部:全ての約束が紡がれし時へ
72/149

61章:グラン大陸 忘れられた大地



 潮風と冷気、そして粉雪が流れる中、ガルガンチュアは海の先へと進んで行った。リーフ島のルヴィアを出航して10日余り、未だ氷河は見えない。氷河が見えてくたら、大陸に近付いて来た証拠なのだ。まあ、デルゲンが言うには1ヶ月近くかかるらしいので、気長に待つしかない。

 待っている間、僕は雑用をしたり、特訓などをしている。特訓とは、もちろん筋トレや剣の練習も含んでいるのだが、もっぱら力の制御の練習をしている。

 バルドルの力を手に入れたのはいいが、あまり行使したことがないのだ。掌から出せる光線や、魔法や衝撃波を防御するための障壁を展開させたり、ソリッドプロテクトやマジックシールド、リジェネレイトの練習。これを完璧にやっておかなければ、奴らには勝てない。帝都でシュヴァルツとバルバロッサと戦った時、実感したからだ。

「よくやるね」

 甲板で筋トレをしている時に、傍でリサがしゃがんで言った。今日は快晴。寒いが、日光が心地よい。

「……んだよ。邪魔しに来たのか?」

「なわけないでしょ。暇なの」

「……お前な……」

 すでに4月に突入していた。北の絶海に来ているが、今日は少し暖かいほうだ。ぽかぽかとした陽気が眠気を誘う。いつだったか、桜が咲く季節になると授業中、生徒がみんな寝てしまう教室があるという話を聞いたっけ。

「……フゥ、腹筋終了」

 半年以上筋トレを続けているので、体全体の筋肉が付いてきた。とはいえ、身長が180を超えているのに体重が70キロ未満なので、少々細いのがダメだ。レンドに相談すると、シンプルな3文字を与えてくれた。……「肉食え」らしい。

「お疲れ様」

「ああ、サンキュ」

 空が差し出してくれたタオルで汗をふき、僕は大きく息を吸い込み、その場で大の字になった。5分くらい休憩したら、今度は背筋200×5セット。今では、結構慣れてきたものだ。

「暇」

 頬杖をついて横になっていたリサは、ぼそっと言った。

「あーあ。なんか空は充実してそーだし、いいよなぁ〜」

 リサはため息をついた。緊張感の欠片も無いというか、なんと言うか……。

「充実しちゃいけねぇのかよ」

「うん、むかつくもん」

「おいおい……」

 かわいい顔して、そのセリフないだろーよ……。

「まったく……空ちゃんも、こいつのどこがいいのやら」

「え……えっ?」

 いきなり言われたので、空は困惑していた。

「こいつ、優柔不断で感情で突っ走ることが多いんだよ?」

 否定できないところが悲しい。

「うっせぇなぁ……」

 そう言うと、リサはギロッと僕を睨みつけた。

「だって、空ちゃんみたいないい子、あんたには勿体無いもん」

「……あのな」

 こいつ、とことん打ちのめすつもりなのかもしれない。

「空ちゃんは、こいつのどこが好きなの?」

「えっ?」

 リサは男のようにあぐらをかき、空に詰め寄った。

「そういう質問をするなよ。空が困――」


 ボカ


 リサのジャブが顔にヒット。僕はもがいた。は、鼻が……。

「あんたは黙ってろ」

 リサはいつもの邪悪な目つきで微笑み、僕を見下ろす。

「で? どこがいいの?」

「え、えっと……えぇ〜……」

「ちょ、ちょっと待てよ。僕が恥ずかしいじゃ――」


 ボカ


 再び、リサのジャブが鼻に直撃した。

「黙ってないと、気絶させるよ?」

「うっ………」

 イデアの兵士にやったような、突き攻撃を僕に見せた。さすがにあれは嫌なので、大人しくせざるを得なかった。

「で? どこがいいの?」

 リサは顔をのめり出して訊ねた。

「え、えと……」

 空は顔を赤くして、僕を見たり、あっちを見たりと、落ち着かない。いや、そこは悩まなくてもいいんだが。

「……は、恥ずかしくて言えない」

 そう言って、空は船内へと走りながら戻ってしまった。

「あららら、行っちゃった」

「お前な……いちいち追求するなよ」

「だって気になるじゃん。他人の恋路って、おもしろいでしょ?」

 ニコッとリサは笑った。やれやれと思いつつ、僕はため息を漏らした。

「……性格の悪い女だこと」

「なんですってぇ!?」

 怒りの形相でこちらに振り向いた瞬間、僕の脳内に危険信号が発せられた。いかん、逃げなければ!

「うわっ!? よ、よせ!!」

 僕はすぐさま立ち上がり、逃げ出した。その後ろを、リサが追いかけて来る。

「待て!!」

 捕まったらやられる……なんでか知らないが、今日はやけに暴力的だ!

「お? なーんだか楽しそうだなぁ」

 遠くで、レンドが笑いながら僕たちを見ていた。寝起きなのか、寝癖ではねた前髪、ちゃんと開いていないまぶた、片手は腹部をかき、もう一つの手で歯を磨いていた。傍から見ると、かなりマヌケな姿だ……。

「わ、笑ってないで助けてくれよ!」

「いやぁ、そうなるとリサはライオン以上に凶暴だからなぁ。勘弁してくれ」

 ハッハッハと笑い、レンドは言った。

「誰が凶暴だって!!?」

 リサがレンドの方向に顔を向けた。その瞬間、レンドの笑いが止まる。そう、リサの標的はレンドに変わったのだ。

「お、俺は関係ねぇだろ?」

「私をライオンと一緒にしたな!」

「ちょ……う、うおぉぉーー!!」

 レンドは本気の本気で逃げ出した。それ以上のスピードで、リサは彼を追いかける。格闘術を会得しているリサから逃げられないだろうな……ま、おかげで眠気も吹っ飛んだことだろう。


「なんだか平和だな」


 傍観している僕の傍に、いつの間にかデルゲンが立っていた。

「これから、最後の闘いに向かっている連中だとは思えないよな」

「……だな」

 平和、平穏。これが幸福というものなのだろうと思いつつ、逃げ回るレンドを笑いながら見つめる。

「空ちゃんとは、うまくいったみたいだな」

「…………」

 言わずともわかる、か。

「まぁなんにしても、グラン大陸へ行く前にケリを付けることができて、よかったじゃないか」

「……そうだな」

 僕はその場に座った。

「今回は、デルゲンのおかげだ。ありがとう」

「なんだよ? 急に」

 苦笑するデルゲン。少し照れているのかもしれない。

「……本当のことを言うとさ、空が怖かったんだよ」

「怖い?」

 僕は小さくうなずく。

「拒絶されるんじゃないかって」

 ふーん……と、デルゲンは僕と同じように、あぐらをかいてその場に座った。

「わかるよ、その気持ち」

 潮風を受けながら、デルゲンは目を瞑っていた。

「だけど、お前たちは互いに繋がってる。それだけは、きっと失われるものじゃないんだよ」

 どんなに遠くても――そう付け加えて、デルゲンは目を開いた。

「……デルゲンには、好きな女性とかいないのか?」

「ハハハ、今度は俺か?」

 彼は苦笑しながら、自分のほほをかいていた。

「ふと、聞きたくなったんだよ。レンドやデルゲンって、昔から海賊してるしさ」

「……そうだなぁ……」

 デルゲンは上空を仰いだ。

「ちょっと違うけど、俺にとってのそれは妹だったな」

「妹? まさか……」

「お、おい、変な想像するなよ?」

 と、デルゲンは僕に釘を刺した。

「好きだとか、そういう感情じゃないんだ。肉親に対する、愛情って言うのかな。俺にとっての家族は、あいつしかいないからな」

 修哉みたいなもんか。あいつも、妹の咲希ちゃんだけは唯一の家族だと考え、一番大切に思ってたもんな。

「……両親は?」

 そう訊ねると、デルゲンは顔を振った。

「俺が物心ついた時には、もういなかったんだよ。気が付けば、俺は赤ん坊の妹と一緒に、孤児院に預けられていたんだ」

 孤児院。その言葉が出た瞬間、さっきまで心地よかった潮風が冷たく感じた。

「……そうだったんだ」

「しんみりするなよ。よくある話さ。いわゆる、戦災孤児ってやつだったらしいぜ。俺自身は覚えていないけどな」

 戦災孤児ってことは、18年前の戦争のことかもしれない。

「なんにしても、俺や妹は両親がいなくても十分に幸せだった。そこにいて、よかったと思ってる」

 遠くを見つめる彼の目は優しかった。きっと、孤児院の人がよくしてくれたんだろう。けど、ほんの少しだけ満たされないのではないだろうか。完全な愛情というのは、親から与えられ、他人へと与えられるのだから。

「もしかして、レンドも?」

 デルゲンとレンドは幼馴染と聞いていたため、そう思った。

「いや、あいつは違う。ちゃんとした家族がいるよ」

「ふーん」

「あいつ、カーラーン侯爵の御曹司なのに、こんなことしてんだから参ったもんだよな」

 デルゲンは未だ追いかけられているレンドを眺めた。

「……ん? 御曹司?」

 なんだ? それ。初耳だぞ。

 すると、デルゲンは首をかしげた。

「あれ? 言ってなかったっけ? レンドは、シュレジエンのカーラーン侯爵ライザー卿の息子なんだよ」

 少しの間、僕は思考が停止した。


 ――いやいや、まてまて。


「……はっ? レンドが? ウソつけよ。さすがの僕も、そんな嘘は見破るって」

 僕はとりあえず、全否定した。一応やっておかないと、自分の精神が保てそうになかったからだ。つか、レンドはおだてても貴族の一員には見えない。「おしゃれ」とか「上品」とかから、かけ離れている人間だもんよ。

「ウソつくかって。本当だぜ?」

 デルゲンは予想通りの反応をしている僕を見て、ニヤニヤ笑っていた。

「……うっそ……」

 僕は走り逃げるレンドを見た。必死な顔で、足と腕を振っている。

 あいつが、貴族の息子!? あ、あまりにも不意打ち過ぎる……! 考えたことがなかった。と言うより、考えないよそんなの。いや、考えることができない。死角からいきなり蜂蜜でもぶっかけられるくらいあり得ないし、想像できない。

「あいつ、親に反抗して勘当されてさ。従兄弟で同じ貴族の息子だったブリアンとロルグ、そして平民の俺と一緒に海賊団を立ち上げたんだ」

「あいつが……貴族……」

 アンナは貴族で巫女、空も巫女、ヴァルバなんて皇室の皇子、リサは伝説の一族の生き残り、僕は教皇家の生き残りにしてティルナノグ皇室の直系……。よくよく考えれば、僕たちのメンバーって普通じゃないよな。普通なのは、デルゲンくらいなもんだし。

「ま、今は勘当された身だ。あいつ自身、貴族の人間だったということに何も感じていない。接し方を変えてやるなよ?」

「わかってるよ。あいつが貴族だからとか、そうじゃないとか、まったく関係ない。ヴァルバの時と同じさ」

 貴族だからって、何か変わるわけじゃないんだし。

「……そうだったな」

 デルゲンは笑顔だった。期待していたとおりの答えが返ってきたからなのだろうか。

「ところで、さっき空ちゃんが走って船内の方に行っちゃったけど、お前……」

「な、何もしてないって」

 僕は苦笑した。

「リサのせいで、恥ずかしくなって逃げちゃったんだよ」

「恥ずかしくて? なんで?」

「はっ?」

 それを言うと、僕が恥ずかしいではないか。

「そ、それは、リサに訊いてくれ」

「……無理だろ、あれじゃあ」

 デルゲンがリサを指差した。その瞬間、彼女の空中回し蹴りがレンドに命中。あーあ、捕まっちゃった。

「……だな」

 かわいそうに、レンド。とばっちりとは、まさにこのことだな。

「ま、空ちゃんのとこに行ってやんな。理由はあとでリサに訊くからさ」

「……?」

「この場にいると、危ないからな」

 僕はリサを見た。馬乗りになって、レンドに罵声を浴びせたり、はたいたりしている。

「……たしかに」

 僕は船内へ向かった。いちおう、空を励まそう。……励ます必要もないような気がしなくもないが。





 ソラがいなくなり、リサたちを眺め、デルゲンはため息をついた。

「……まったく、ソラもソラだな……」

 デルゲンは苦笑いをしながら、大空を見上げた。今日の空も青いなぁと思いつつ。





 それから10日が過ぎ、雪が降り始めた。絶海の果てに近付いて来た証拠なのかもしれない。

 船室の中も、暖炉を付けておかないと耐えられないほどの気温になってきた。ホント、寒いっていうのは嫌なものだ。動く気力が奪われる。部屋から一歩も出たくなくなり、青空を拝むのも一苦労。大空を見ることが一種の趣味になっている僕としては、不快この上ない。自然と、ため息も出てきてしまう。

 翌日、部屋の中で空やアンナとトランプをしていると、サンガ(覚えてる?)が走って入って来た。

「ど、どうしたんだよ?」

「ソラ、甲板へ出てみろ。ようやく、見えてきたぞ」

「見えてきた? それって……」

 サンガはうなずいた。

「ああ、グラン大陸だ!」

 僕たちは甲板へ向かった。



 甲板へ出ると、風と雪と冷気が体を包み込んだ。以前より、かなり寒い。氷点下に達しているのかもしれない。

 甲板の先端に、みんなが海の向こうを指差したり、何かを言ったりして集まっていた。僕たちも、そこへ行った。

 人をかき分けて端へ行くと、海の向こうにその姿があった。

 真っ白な大地。天空からやって来る白い雪たちが、まるで砂嵐のようにその大地に降り注いでいる。大陸を覆う吹雪のせいで、大陸の向こう側がまったく見えない。山があるのか無いのか、さっぱりだ。

大陸を囲む海の上には、ひび割れ、パズルのようになって密集している氷河たちがあった。その氷河は、数キロも離れているここまで達している。

 ……あれが、忘れ去られたもう一つの大陸――グラン大陸。約2000年前、天変地異に襲われ、猛吹雪が止むことのない大地へと化してしまった。

 あそこに、樹たちがいる。古代ティルナノグの浮遊大陸も、あそこで永い眠りについているのだ。

「グラン大陸……神々が眠りし、災いの大地――か…」

 レンドはよく目を凝らしながら、大陸を見ていた。

 災いの大地。あそこは悲劇が始まり、新しい希望が生まれ、人が大地へ帰った場所でもある。空の上にいては結局、見下す心しか生み出せないのだから。


 その後、停泊して作戦が練られた。

「ここまで、ルヴィアを出発して26日……予定より、早く到着できたな」

 レンドは海図を見ながら言った。この海図は、グラン大陸の端までしか描かれていない。なぜなら、ティルナノグが滅んだ後、グラン大陸へ渡ったことのなる人物がいないからだ。

「氷河に阻まれるとしても、明日には上陸できる。だが、問題はそれからだ。甲板から見るに、あの大陸は猛吹雪で、何があるのかもよくわからない。視界も悪いし、かなり厳しい寒さを予想される。上陸しても、奴らを見つけるのは不可能に近い」

 デルゲンは厳しい顔で言った。彼の言うとおりだと、その場にいる全員が納得している。

「ロベルト、防寒具はどの程度耐えられるものを用意した?」

「アショーカ地方の気候に耐えられるものを用意しました。今、2大陸の中で最も防寒能力のあるものです」

 アショーカ地方とは、アルカディア大陸の北の地域を指す。アヴァロンよりずっと北で、あそこは2大陸の中で最も寒いと言われているらしい。鼻水が凍ってしまうほどと言うから、零下20℃くらいだろうか。

「グラン大陸はアショーカ地方の遥か北の位置ですから、この防寒具では耐えられる寒さではないでしょう」

「厚着したら?」

 リサは腕組をしたまま、壁に背をかけた。

「……まぁ、耐えられるほどまでにはなるかもしれないが……無理だろうな」

 デルゲンはストレートなリサの言葉に、思わず苦笑していた。

「ある程度のことは予想していたが、あの猛吹雪だと耐えられたとしても、進むのはちょっと難しいと思うぞ?」

 レンドはそう言って、デルゲンと同じように苦笑し始めた。

 予想以上に、グラン大陸の吹雪が厳しいのだ。雪が弱まり、防寒着を身に付ければ、進むことは難儀なものではないのだが……。

「これじゃあ、上陸するのは無理だ」

 誰しもが思っていたが、口に出さなかった言葉を、ため息交じりでレンドは言った。

 みんなは押し黙ってしまった。重い空気がたちこみ、しばしの間、沈黙の時が流れた。

 ……そういえば、樹はどうやってグラン大陸へ行ったんだ? あの寒さなら、あの吹雪なら、樹たちも進むことはできないはず。だけど、奴らは進めた。ということは、何か方法があるということなのだろうか。


 ――進みなさい――


 声がどこからとも無く聞こえた。僕は辺りを見渡したが、誰が言ったのかわからない。しかも、誰もその声に気が付いていない。


 ――先に進みなさい――


 これは……リュングヴィの時とかと同じように、僕の内側から聞こえる。


 ――さあ、前へ――


 誰だ? この声……バルドルでもロキでもない。時折聴こえていた、女性の声のような……。


 ――私たちの幼子、調停者よ――


 この声は……聖域へ進む時に聞こえた、あの声だ。すごく懐かしい、大人の女性の声。


 ――彼らを知りし者たちのみが、自然の理を破壊できる――


 すると、その声は遠くへ行ってしまった。



「どうしたんですか? ボーっとして」

 横を見ると、アンナがいた。目をパチクリさせている。

「い、いや、何でもないよ」

「??」

 アンナは首をかしげてしまった。

 彼らを知りし者? それはつまり、カインやアイオーンを知る者ってことか? そうだとしたら、彼らの知り合いか、あるいは僕と樹のような末裔のみ……。

 ああ、なるほど。

 『調停者』という存在のみ、『自然の理を破壊できる』という意味か。そうだとしか、考えられない。

「あのさ、お願いがあるんだけど」

 僕はイスから立ち上がり、レンドに言った。

「なんだ?」

「大陸まで進んでくれないか?」

「は?」

 レンドは頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。

「僕を、大陸へ降ろしてほしいんだ」

「何言ってんだよ。危険だ。ダメに決まってるだろ?」

 彼の答えは即答だった。あまりに返答が早すぎて、逆によろけてしまった。

「進むわけじゃない。降ろしてくれるだけでいいんだ」

「ますますわからないな。どういうことだ?」

 レンドは意味がわからず、眉を八の字にさせて訊いてきた。

「確信は持てない。けど、なんかできそうな気がするんだ」

「…………」

 何かに気付いたのか、レンドはほほを何度かかき始めた。そして、ため息交じりに言う。

「わかったよ。けど、少しだけだぞ? 何もないなら、すぐに戻ってこい。わかったな?」

「ああ、りょーかい」



 翌日、僕たちは氷河で埋め尽くされた海を突き進み、グラン大陸の岸壁に船をつけた。ここまで近づくと、どこから大陸で、どこまでが氷河なのかわからなくなってくる。

 僕はロベルトさんから渡された防寒具を身に付け、さらにその上に各地の防寒具を装着し、準備完了。

「へ、変なの……」

 僕の姿を見て、リサはお腹を押さえながら笑っていた。たしかに、僕の姿はまるで、大きなボールだった。重ね着しすぎて、丸々としている。それに重い。何となく太った人の気持ちが……わからなくもない。

「……笑うなっての」

 僕が結構な目で睨みつけても、リサは笑いを抑えない。

「だ、だって、あんたのその姿……も、もう、おかしくて……!」

「………」

 笑い転げるリサ。未だかつて、彼女がこれほどまでに悶絶することがあっただろうか? いや、ない。

「まあまあ、気にすんなって」

 優しく諭すデルゲン。しかし……

「……顔が笑ってるぞ」

「えっ? あ、ああ……す、すまない」

 そう言うと、デルゲンは僕から顔を逸らし、小さく震えていた。こいつ……逆に、リサよりも腹立つんですけど。

「ま、気をつけろよ」

「レンド……無理しなくてもいいんだぞ?」

 レンドの顔が引きつっている。今にも崩れてしまいそうなほどに。

「ま、まあ、早く行けよ、ホラ」

 押されるがまま、そしてイラついたまま、僕は外へ出た。



「ちくしょう! 人の姿見て笑うなんて…………さぶっ!!」

 前が見えない。横から吹き付ける雪と風が体温を奪い、視界を襲う。無数の真っ白な粒だけが、目の前を通過しているのがわかる。あまりに吹雪が強いので、顔を前に向けていられない。雪の地面の見ることしかできない。

 うう、寒い。あっという間に、顔面が凍りついたかのようだ。ほんの少しだけ出た鼻水が、すぐにカチンコチンになってしまった。

これだけ着重ねていても、服の繊維の隙間という隙間から、冷気が忍び込んでくる。動くなと言われても、動けないな、こりゃ。

 外に出たからといって、何も起こらないじゃないか。だけど、あの声の主がウソをつくとは思えない。と言うより、ウソをつく必要性が無い。僕にしか聞こえない声が、僕を騙すようなことはしないはず。リュングヴィならまだしも。

 疑心暗鬼になってきた時、なんだか吹雪が収まってきたような気がした。気のせいなのかと思い、ゆっくりと目を前に向けた。


「……マ、マジ?」


 あまりに衝撃的な光景が、広がっていた。

 さっきまでの猛吹雪が止み、視界が開けていたのだ。太陽の光が雪の大地に降り注ぎ、白銀のようにキラキラと輝いている。反射したその光が、僕のほほや瞳を貫く。

 その光り輝く白銀の世界に、何かを見つけた。さっきまでは、猛吹雪で気付かなかったが、1つの扉があったのだ。それは、背後に建物の1つも無いので、地中へと繋がっているのだろうと思われる。

 視線を徐々に上げ、空を見た。雪を降らしていた巨大な雲がどこかへと消えてしまい、青空が姿を現していた。その空の果てに、僕はあるものを見つけた。それを見た瞬間、体の動きが止まった。その光景に目を奪われた。体の隅々まで、驚きのあまり動くことを忘れてしまったかのようだった。


 ――巨大な何かが、空の果てに浮かんでいる。


 あれは、なんだ?

 何百キロと離れた場所の、さらに何キロも上空に、巨大な何かが玉座に座っている権力者のように、この大地を……いや、この世界を見下ろしてる。


 ―――まさか、あれが浮遊大陸!?


 それしか考えられない。

 顔を右に、左に向けても、あの大陸の端を確認することができない。あれほど巨大なものとは、ティルナノグの浮遊大陸以外考えられない。

 だけど、どうして?

 あの浮遊大陸は、アイオーンによって封印されていたんじゃなかったのか? あのように、未だ空の上に漂っていたのか?

 僕はある仮説を考えた。それは、アイオーンの封印とは、さっきの猛吹雪そのものなんじゃないかということだ。あそこまでの吹雪ならば、人は近付くことができない。まして、文明が衰えた今、空を飛んで行くこともできない。

 どのようにして、自然の力を利用した『封印』を施したのかはわからない。だけど、ティルナノグの時代の人間ならば、可能だろう。あの巨大な物体を空高く浮かばせ、それを何千年も保つことができるのだから。

 遥か空の果てにあるせいか、浮遊大陸そのものが群青色に見える。大陸とは言っても、大地のような色をしていない。想像では大陸が抜き取られ、そのまま浮かび、土色をさらけ出していると思っていた。浮遊大陸というよりも、空中都市と言った方が妥当かもしれない。

 それらの中心に、きれいな駒のようなものがある。予想だが、真横から見れば角度を測る定規に見えるだろう。いわゆる台場的なものなのだろうが、きっとあれが中心地だ。

 そこからいくつもの橋のようなものが遥か先まで延び、それぞれの駒――都市に繋がっている。そこから、さらに橋のようなものが延びており、別の都市へと繋がっているのだ。

 いくつもの都市の中に、さらに上を目指している建物の姿も、微かだが見える。どれも、ここからでは霞んでよく見えない。だが、あそこまで行けば、ガイアの高層ビルに匹敵するものばかりがあるのだろう。

 本当に、あんなものが存在していたんだ。もちろん、今までたくさんの人たちから聞いた話で、信じてはいた。だが、現実味が無い。皆無に等しい。ガイアでも、空に浮かばせる巨大なものなんてのは存在しない。あんな……巨大なもの――全てが人工的なものであるのに、遥か上空に浮かんでいるという現実に、実感が湧かない。

 それを呆然と眺めていると、ようやく実感が湧いてきた。それと同時に、なんとも言えないこの……ドキドキと言うか、ワクワクと言うか……喜びに似た感情が入り乱れる。少年の心が未だに残る僕としては、あれは心を十分に躍らせる。

 早く行ってみたい。そして、空の国を眺めたい。

 僕ははやる気持ちを抑えながら、船内へ戻った。そして、みんなに教えた。興奮して、うまく舌が回らなかったが、数分してようやく僕の言っていることが、みんなに伝わった。最初、みんなは信じてくれていなかったので、僕は無理矢理、甲板へ連れて行き、空の果てを指差す。すると、みんなはあんぐりし、眼を見開いたままになった。あまりに突然で、想像を絶するものなので、うまく口が動いていない。

 そして、数十秒後に、ようやくレンドが声を発した。

「な、な、な………なんじゃありゃぁぁ―――!!!!」

 期待通りの言葉ですよ、レンド君。




「あれが浮遊大陸アトモスフィアかぁ〜……想像以上だな」

 甲板から、レンドは腕を組んであれを眺めていた。吹雪が止み、気温もかなり上がり、少々の厚着で外へ出れるようになったのだ。

「空の上に、ホントに浮かべれるもんなんだな……」

 デルゲンは未だ、開いた口が塞がらないようだ。

「うわぁぁーー……」

 アンナも感嘆の声を出しながら、ずっと見つめている。

「あれって、どうやって浮かんでるんですかね?」

 空を見上げながら、アンナが訊ねた。

「聖地カナンにあった、天空石と同じもので浮かんでるんじゃないの?」

「そうだとしたら……あれだけのものを浮かばせるのに、どれくらいの数の天空石を使ってるんでしょうか?」

「……想像できないな」

 天空石……すでにいくつもの天空石を見つけたが、その力を実際に見たことは無い。僕が石ころだった天空石に触れると、青緑の光を取り戻した。ヴァルバはあれを、『カインの流れを組むものであり、一定以上の遺伝子情報を持つ者のみ操作できる』と言っていたらしいが、どのようにして使うのかが、まったくわからない。

「掌サイズの天空石で、成人男性一人を浮かばせることができるほどって聞いたから……アトモスフィアを浮かばせるには、直径50メートルくらいの天空石が必要かもね」

 リサは上空を見上げながら言った。

「おいおい……んなの、作れるのかよ? 俺にはどうも信じられねぇな」

「まあ、あそこに証拠の物体があるから、そうも言えないだろ。……気持ちはわからんでもないが」

 ため息を混じらせ、デルゲンは言った。

「で? これから、どーすんの?」

 リサは僕に顔を向けた。

「……さっき、吹雪が止むのと同時に、変な扉を見つけたんだ」

「扉?」

「ホラ、あそこ」

 僕は甲板の上から、地上を指差した。

「……怪しすぎる扉だな」

 レンドは目を細めながら見ていた。

「あそこから、どこかに繋がっているのかもしれない。……確信は持てないけど」

「ティルナノグ人が作ったものなら、期待できそうね」

 と、リサは跳躍して、甲板の手すりに立った。

「何が?」

「ワープ装置があるかもしれないから」

「……ワープ装置?」

 名前のまんまか? ていうか、そんなものが存在するのか?

「私の故郷にあった古書に、ティルナノグ人はそういった装置を使って、広い世界のあちこちに行っていたと書かれてあった。もしかしたら、あそこはその機械のある場所かもしれない」

「…………」

 何でもできるんだな、ティルナノグ人って……。

 そう考えると、それらを築き上げたカインの偉大さというか、圧倒的な力というか、ある意味感服するよ。ガイアの人たちが未だ夢見ていることを、いくつも成し遂げているわけだし。

「じゃあ、行ってみっか」

 レンドは背筋を伸ばし、お使いに行くみたいに言った。

「そんな適当な……」

 デルゲンは呆れ顔だった。

「行くなら、それなりに準備をしていかないといけませんね……」

 そう言って、アンナは前を見据えた。

「そうね……樹たちが、待ち受けているかもしれない」


 行くのは、いつものメンバー。僕とレンド、デルゲン、リサ、アンナ、それに空。戦えないアンナと空を連れて行くのは少々気が引けるが、アンナはヴァルバのことがあるし、空に至っては宝玉を取り戻し、すぐさま回復させなければならない。それに――『護る』と決めたんだ。気が引ける、なんて思っちゃいけない。

 僕たちは持てる限りの食料を持ち(食料……というより、荷物を持つのは専ら男性人の役目だと、リサが言い張る)、出発した。


 扉のところまで行って、気が付いた。

 扉には、あの紋章が刻まれているのだ。それは聖域リーヴェへ通じる、転送装置のようなものの上に、これと同じ紋章があった。翼を広げた鳥のように見えるが、別の生き物のようにも見える。

 ……孔雀? 鳳凰? いや、龍? ……どちらにせよ、これがティルナノグ帝国の国章みたいなものなのだろう。

「あれ? この扉、開かないぞ?」

 いつの間にか、レンドは扉を押していた。目一杯の力で押しても、扉は開く様子が無い。

「どれどれ……ぬ? こりゃ、びくともしないな」

 デルゲンが協力したが、それでも開かない。

「……もしかしたら、何か必要なのかもしれませんね」

 空がボソッと言った。 

「必要なもの?」

 そう訊ねると、空は首をかしげて唸り始めた。

「たぶん……天空石みたいなものだと思うんですけど……」

「それっぽいと言えば、それっぽいね」

「天空石……聖地にあるんだよなぁ」

 僕は上空を仰ぎ、こう思った。あの時、ルール違反でも何でもいいから、持ち帰ってりゃよかった。腐るほどあるわけだし。

 そういえば、この紋章があった場所……聖域では、僕が近づけば道が開けた。だったら、ここでも開くんじゃないだろうか。

 いちおうやってみる価値はあるので、僕は扉に近付いた。

「…………」

 何も、起こらない。やっぱり、何か必要だったのだろうか? 再び離れ、頭を抱えた。

 その時、意識が海底のように、静かになった。みんなの話し声がとてつもなく遠く聞こえ始め、心の奥が夜のように暗くなる。急に、この風景が遠く感じた。不確かなものへと、変化していた。

けど、僕はここにいる。ここに、確かなものとして。

 目の前に、不思議な文字列が並び始めた。視界のあちこちに、文字の一つ一つがボールのように、飛んで行ったりしている。しばらくすると、ようやく文字列が完成した。



 ――ネシィエ・ミヒ――

 ――我は調停者――


 その文字を頭の中で呼んだ瞬間、変な感覚が消えた。同時に、風景も元に戻り、意識もちゃんとしていた。みんなは、気が付いていない。レンドとデルゲンは何度も押しているが、開かない。リサは頭を悩ませ、アンナは目をパチクリさせてそれを見、空は……僕を見ていた。空だけは、僕が普通じゃなかったことに気が付いているようだった。

「どうしたんですか? 気分でも……悪いんですか?」

 僕に近付き、空は言った。心配そうな眼差しが、かわいらしく見える。

「もしかしたら、扉が開くかもしれない」

「……?」

 空は頭をかしげていた。僕は再び扉に近付き、手を当てた。傍にいたレンドとデルゲンは、「?」という顔をしていた。

「……ネシィエ・ミヒ…………我は調停者」

 すると、扉の紋章から風が吹き出るかのように、金色の光が溢れ出した。



 ――お帰りなさい。シリウスの子供たち――



 懐かしい、きれいな女性の声だった。聞いたことも無いのに、暖かさを感じた。生まれる前に聞いた声なのかもしれない。

 ゆっくりと手に力を入れ、押した。ゆっくりと、紋章の扉は開いていった。やはりと思い、僕はニヤッとした。

「??? な、なんでだ?」

 レンドは頭をくるくる回していた。

「空の言葉に反応したんだよ。たぶん、〈調停者〉だからさ」

 リサの言葉の裏側に、「樹も」という文字があったのだと思う。あいつも、僕と同じ〈調停者〉なのだから。

 扉が開かれ、光が行き届いていない階段が現れた。だが、すぐに両側の壁に円形の光が並ぶように出現した。青緑色の光――たぶん、天空石だろう。

「……あまり長い階段じゃあなさそうだ」

 扉の中へ、デルゲンは顔を覗かせた。

「ワープ装置でもあればいいんだけどね」

「……行こう」

 僕たちは荷物を抱え、その中へ進んだ。


 階段は短かった。深さで言えば、3〜5メートルくらいだろうか。

 階段を降り切ると、人2人が通れるくらいの幅の通路が現れた。ずっと先まで、直線だ。灯り代わりに天空石が用いられているのは、言うまでもない。

「この絵って、なんなんだ?」

 レンドが指差した両側の壁は、壁画だったのだ。延々と続く、何かの絵。人のような絵もあれば、動物のようなものもある。中には、浮遊大陸を表しているであろう絵もあった。

「天空人が描いたものだろうね」

 リサは壁画に顔を近づけて、それを眺めている。

「……あれだけのものを作った割には、絵とかは大したことないんですね」

 アンナが見ている先にある絵は、ガイアの古代文明の壁画みたいな、人間の動きを描写し切れていないものだった。色褪せており、すでに「絵」としての輝きは失われている。

「……ということは、電子工学的なものは発展してないってことかな」

 よくわからないが、電子工学が映像やらなんやらに関係しているんだと思ったけど。ちょっと、曖昧だ。

「電子工学? なんですか? それ」

 アンナが頭をかしげていた。なんですかって訊かれても、ちょっとうまく説明できないと思うんだけど…。

「んー……映像や音声とかを、表示したりする分野……みたいなものかな。うまく説明できないけど、数百キロ離れた場所の映像を、機械があればここに映し出せたりできたりするんだ」

「へぇ……ガイアには、天空人でもできなかったことがあるんですね」

「さすがに、浮遊大陸ほどのものはできないけどな」

 あんなものができたら、それこそ危険だ。人間の文明が行き過ぎると、自らを滅ぼしかねないのだから。ガイアの技術がこれ以上進まないことを祈るが、果てしない欲望に歯止めはできないだろう。

「ガイアでは、他にどんなことができるんだ?」

 デルゲンが訊ねた。

「いろいろできると言えば、いろいろできるんだけど……このくらいの丸いもの――ディスクって言うもので、それを再生するものがあれば、どこかの誰かが作った音楽を聴けたり、映像を楽しんだりできるんだ」

 僕は両手の指を使って、丸い円を描いた。いまいち、みんなにうまく伝わっていないようだ。

「……? よくわからないな」

「つまり、人が演奏しなくても音楽を聴けるってことですよ。演劇とかも、わざわざ見に行かなくても見ることができるんです」

 空が説明した。彼女は僕や友人、家族との記憶を失っているものの、ガイアでの知識は失っていないのだ。

「は〜……そりゃすごいな」

 レンドの感嘆の声に、僕も同じく「すごい」と感じた。

 よくよく考えてみれば、詳しい知識を持たない僕のような一般人は、どういった原理で音楽が聴けたり。映像を見ることができるのか理解できない。それらの「情報」をデータとして刻印し、それを再生する……こうやって考えると、ガイアの技術もよくわからないものだらけなんだよな。

「……疑問に思ったんだけどさ」

 リサは壁に埋め込まれている天空石に触れた。

「どうして、同じ世界から分岐したレイディアントとガイアの技術ってのは、差があるんだろうね」

 リサが言ったこの質問。クロノスさんとミリアから聞いた時から、僕も思っていた疑問だ。

「それは、違う道を歩んできたからだろ」

 デルゲンは、腕を組んでそう言った。

「どういうこと?」

「大昔に……それもティルナノグがある以前に分岐した”はず”。それも、1万年以上も昔に」

 たしかに、ガイアではティルナノグも創世時代も存在しない。それ以前に分岐したと考えるのが妥当なのだ。

「それまでは同じ歩みだとしても、分岐してから途方もない時間――違う道を歩んだことになるんだ。それだけの年数が重なれば、当然の如く違う部分も出てくる。それが、『魔法』と『高度文明』だったってことじゃあないのか?」

 魔法がレイディアントで、高度文明がガイア。デルゲンの言っていることが、たぶん答えに近いんだと思う。

「……うーん……」

 いまいち納得できないのか、リサは背を向けて唸り始めた。

「だけど、一体いつ、誰がこんなことをしたんだろうな」

「……樹さんたちが言っていた、『ある男』のことですか?」

 僕はうなずいた。

「誰かがこの星の『滅亡の未来』から救うために、太古の人間と戦ったらしいけど……」

「んなの考えてても、どーしようもねぇだろ?」

 レンドは目をキョロキョロさせながら言った。長い直線の通路の壁には、まだまだ不思議な壁画が描かれていた。

「……そうだな」


 10分くらい歩き進めると、一つの大きな扉が現れた。この地下通路の出入り口の扉と同じで、ティルナノグの国章であろう紋章が刻まれていた。今度は紋章だけが金でできていて、所々にエメラルドやらルビーやら、それらしき宝石が埋め込まれている。聖域への扉と同じだ。

「開かないな」

 デルゲンは押してみたが、開かないようだ。

「――てことはだ。ソラ君に頼むしかないようだな」

 ニヤついた表情で、レンドは言う。

「……僕は便利屋じゃないんだぞ?」

「ハハ、細かいことは気にすんなって」

「いや、意味わからないっての」

 ぶつぶつ言いながら、僕は扉の前に立った。


「……ネシィエ・ミヒ……我は、調停者」


 すると、宝石たちが輝き始め、それぞれの色の光を放ち始めた。

「やっぱり、当たったな!」

 手でまぶしさを減少させながら、レンドは言った。


 ――我らが幼子よ――


 扉が開く時と、同じ声だった。


 ――そなたの名を――


「……名?」

「あんたの名前だよ」

「いや、それはわかってるけど……」

 たぶん、東空ではないだろう。こちらでの本名だ。

 僕は一度せきをして、喉のつまりを無くし、言った。

「……我が名は、セヴェス――セヴェス=クピト=ヴェルエス」

 すると、宝石の光たちがさらにその強さを増した。



 ――セヴェス……お帰りなさい――



 そして、扉が音を立てながら、ゆっくりと開き始めた。ようやく中を見ることができたが、真っ暗で何も見えない。


 ――シリウスの子らよ、その胸に一重の祈りを捧げん――


 優しい声が降り注ぎ、真っ暗だった先の広間の中に、灯りが広がる。ほのかな天空石の輝きが、広間の隅々に行き渡った。

「……空さんって、本名は『セヴェス』なんですか?」

 空は僕の傍に立ち、言った。

「まぁ、そうなるな。……僕の本当の両親がくれた名前だよ」

「じゃあ、それが本名じゃん」

 と、リサは言う。

「……実際はそうなんだろうけど……」

 リサの言うとおりなんだけど、あんまり実感は無いんだよな。『東空』として生きてきた時間がほとんどだから。

 本当の父さんと母さん……顔なんて、一切覚えていない。まるで、どこかに追いやられてしまった、子供時代の玩具のようだ。

 ――父上、母上――?

 そう、呼んでいたのかな……。

「先に行ってみようぜ」

 デルゲンに促され、みんなは先へ進んだ。しかし、空は先へ行かずに僕の傍にいたので、僕もなぜか行けなかった。

「どうした?」

「名前、やっぱり気になりますか?」

「…………」

 僕は唸りながら、上を見上げた。

「そうだな……僕は、戦いが終わって世界が救えたら、ガイアに戻るつもりだし。これからも、『東空』で生きるつもりだよ」

「そっか……」

 彼女の顔は、どこか安堵した様子だった。

「やっぱり、空さんは空さんがいいですもんね」

 と、笑顔になった彼女。それを見て、僕も思わず微笑んでしまった。

 僕を生んでくれた、本当の両親には悪いけど……僕は、やっぱり『空』で生きていきたい。

「おーい、何してんだよ、2人とも」

 レンドが広間の中央で僕たちを呼んだ。

「あ、はーい」

 空が歩き出したので、僕も歩き出そうとした。その時、



 ――わかるでしょう――?



 僕は振り返った。後ろから、女性の声がした。頭の中に聴こえるのではなく、後ろから。

「…………」

「どうしたんですか?」

「……いや……」

どこかで、聞いた覚えのある声だったんだけど……どこだったかなぁ……。


「なあ、これ見てみろよ」

 デルゲンが、広間の中央にあるものを指差した。

「これは……機械か?」

 直径6メートルくらいの円盤があり、青透明だ。それと同じようなものが、天井にもある。まるで、鏡になっているようだった。

「何かの装置かな?」

「でしょうね」

 リサを見ると、彼女は何かをいじっていた。部屋の隅に、キッチンくらいの大きさの、コンピューターみたいなものが置かれていた。

 僕はリサのところへ行き、そのコンピューターを眺めた。ズラッとボタンが並び、所々に画面がある。だが、起動していないのか、画面には何も映っていない。さっきまで、映像の技術があーだこーだと言っていたが、どうやらティルナノグにもこの技術はあったようだ。

「……わかるのか?」

「わかんない」

 僕はガクッとしてしまった。

「わ、わかんないのかよ……」

「私だって、こんなもの見たことも触れたことも無いんだよ。文句あんの?」

 ギロッと睨むリサ。

「も、文句なんかないって。……ところで、これって何の機械だと思う?」

「予測だけど、転送装置でしょうね」

「ワープ装置ってことか?」

 リサは小さくうなずく。

 さて、どうしたものか。何百個もあるボタンを押して、この装置を起動させなければならない。たぶん、これはグラン大陸のどこかへ通じている。もしかしたら、浮遊大陸へ通じるものかもしれない。

「…………これかな」

 リサはおもむろにボタンを押した。カチッと音がしたが、何も起こらない。

「ダメか〜」

「あ、当たり前だろ。まだ起動していないんだから」

「……わかるんなら、あんたがやりなさいよ」

 できるもんならやってみろと言わんばかりに、彼女はコンピューターの前から離れた。

「わかるというわけでもないんだけどな……」

 わかるというより、まだ電源を入れてもいないのに動くはずが無いってことだ。まず、電源ボタンを探さないと。

 赤とオレンジ、黄色に緑、さらには青、紫、ピンク色のボタンが並んでいる。だいたい、電源ボタンってのは、赤っぽい色で、大きいボタンなんだよな。適当だが、たぶんそれっぽいはず!

 コンピューターの左端にあった、大きめの丸い赤のボタンを、ゆっくりと押した。


 ヴーン…………


 音と共に、コンピューターに生気が戻った。パソコンが起動している時のような音がしながら、映像などが映し出された。とはいえ、説明らしき文字などは一切ないが。

「動き……だしたの?」

 リサは僕の方に顔を向けた。

「だろうな」

「なによ。あんた、やっぱりわかってんじゃないの!」

 バチンと、リサは僕の後頭部をはたいた。

「いってぇな!」

「愛情表現だってば」

 リサは笑顔でそう言った。つか、嬉しいなら暴力はダメでしょーよ。

「んな愛情表現、欲しくないっての……まったく」

 僕は頭をさすりながら、機械を眺めた。

 よく病院にある、心拍数を表す画像っぽいものや、外の風景を表示している画像もある。これは――あの雪景色だ。上の部分に、浮遊大陸らしきものも映っている。

 ここから、どうすればいいんだろう。さっぱりわからない。

「ねぇ、どうなの?」

「…………」

「ねぇってば」

 そわそわしているリサは、理解できないので何度も訊ねてくる。

「……わかんないんだよ」

「なによ、それ」

 リサは長いため息をついた。

「そんなあからさまにガッカリしなくても……」

「こんなの、適当にやりゃあいいんだよ!」

 そう言うと、リサは無造作にボタンを押し始めた。

「お、おい、間違えたら大変なことに……」

「いいの! どうせ、わかんないんだからさ!」

 止めても無駄だとわかり、僕はリサを放った。彼女はものすごい速さで指を動かし、あらゆるボタンを押した。……ゲームのボタンの連打みたいだ。

「……いいんですか?」

 心配そうに、空が見ている。

「よくないな」

 うん、とうなずく僕。

「だったら、止めないと」

「……僕が殴られるじゃないか」

「…………」

 それで納得されてしまうってのもおかしな話だが、空は僕と同じように諦め、苦笑しながらリサを見ていた。

「うりゃああぁぁ!!」

 終いには、リサはコンピューターを殴ったり、蹴り始めた。さすがにこれはやばいと、僕は止めに行った。壊れてしまったら元も子もない。

「ボタン押すのはいいけど、殴るの禁止!」

「るっさいわね!」

「うぼあっ!」

 ミドルキックが横っ腹に……!

「あーあ、毎度毎度……ご愁傷さま」

 と、レンドは腕組みをしてうなずいていた。と、止めろよ……!

「ええい! これだぁぁ!!」

 リサはある大きなボタン目掛け、拳を振り下ろした。鈍い音が、この広間に響き渡る。


 ヴ――――――ン………………


 ボタンが押された瞬間、再び起動する音が聞こえた。そして、中央の転送装置が輝き始めた。

 え? マジで?

「おいおい……マジかよ?」

 デルゲンもレンドも、呆れ顔だった。

「ホラ見ろ! すごいだろ!?」

 リサは僕に太陽のような、無邪気な笑顔を向けた。

「あ、うん……」

 たしかにすごいんだけど、こんな古典的な方法で起動してしまうってのも、如何なもんでしょうか。まぁ、深いことは気にしないでおこう。


『ピ、ピピ……移動先を……入力してください』


 コンピューターから、言葉が出てきた。真ん中にある画像に、『移動先入力』という文字が浮かんでいた。もちろん、古代ティルナノグ文字で。

「どうすんの?」

「まーまー、ここは任せとけ」

 その画像の下に、キーボードみたいなものもあった。なるほど、パソコンみたいなものか。いや、もしかしたら画面に触れて、入力するタイプのものかもしれない。タッチパネルって言うのかな。

「……押してみるか」

 僕は画面の『移動先入力』という文字に触れた。すると、画面が移り変わり、表みたいなのが表示された。

 これは……移動先のリストだろうか? 10個程度くらいしかない。

 バベル、ウルク、ヴァルハー、ハラン、カネシュ、エンリル、ダマスカス、ウル、ニムルド、アルベラ…………ティルナノグ時代の土地名だろうか。

「ん? もういいの?」

 急かしてくるリサ。彼女は、古代ティルナノグ文字が読めないからだ(後期の文字は一般人でも知っているものだが、初期の文字は彼女でも読めない)。

「ちょっと待てって」

 うーん、どこに行けばいいのかわからないな。そんなことを思っていると、土地名の横にある『備考』という欄を見つけた。


〈ニムルド〉――地上都市。海に面し、魚介類が豊富。

〈エンリル〉――天空都市。工業分野に秀で、学者たちが集う。

〈バベル〉――天空都市。水晶の町と呼ばれるほど、建造物が美しい。


 コメントかなんかか? ていうか、この天空都市を選べばいいんじゃないのか?

 と言うことで、画面の端にあった『移動先入力』を押した。すると、画面が変わり、入力画面になった。ここで、土地名をキーボードで入力すればいいんだな。

「『エンリル』と。んで、『確定』」

 『確定』ボタンを押した。たぶん、これでいいと思うんだが……。

 転送装置が、ヴ――ンと音を立て始めた。


『ピー、ピー。エラー、エラー』


「??」

 画面を見ると、『移動不可能』の文字が映し出されていた。その文字に触れると、今度は、次のように映し出された。


『天空都市エンリルの転送機に接続できませんでした。あちらの装置が故障している可能性があります。別の移動先を入力してください』


 故障って……数千年も経てば、壊れるか。

「どうしたの? ダメだった?」

「リサ、待てって。他にも入力してみるからさ」

 今度は『バベル』と入力した。だが、これもさっきと同じように、あちら側の装置が壊れていてダメだった。他の天空都市にするしかないか。


〈ダマスカス〉――地上都市。エリドゥ伯爵統治。

〈ヴァルハー〉――地上都市。緑溢れる土地にあり、大樹が有名。

〈ウル〉――地上都市。砂漠に程近い都市。囚人収容の場所。

〈ハラン〉――天空都市。天空貴族の町。

〈ウルク〉――地上都市。ラガシュ侯爵統治。

〈カネシュ〉――天空都市。魔法工学が盛ん。

〈アルベラ〉――天空都市。唯一神リュングヴィを祀る。


 つか、天空都市なら天空都市、地上都市なら地上都市と、区別しておいて欲しいんだが。

 ともかく、次は『ハラン』を入力した。


『天空都市ハランの転送機に接続できませんでした。破壊されている可能性があります』


 今度は破壊かよ……じゃあ、『カネシュ』を入力。


『天空都市カネシュの転送機に接続できませんでした。破壊されている可能性があります』


 またかよ。じゃあ、『アルベラ』を入力。


『天空都市アルベラの転送機に接続できませんでした。あちらの装置が故障している可能性があります。別の移動先を入力してください』


 全部ダメじゃん……どないせーちゅーねん。

「どうなの?」

 リサはそわそわしていて、何度も画面を覗いている。

「この装置から行けれる天空都市には行けれないみたいだ」

「じゃあ、どうすんの?」

「考え中」

「…………」

 樹たちもここに来たのだと考えれば、もちろんこの転送装置で天空都市に移動できなかったということだ。ってことは、あいつらは地上都市に行ったということか? そうだとしたら、その地上都市から程近い場所に、アトモスフィアへ通じる道か何かがある可能性があるのかもしれない。

 僕は、地上都市を入力した。『ニムルド』と。

「地上都市ニムルドの連絡機はスリープ状態です。あちらの装置を起動してから、再度入力してください」

 なんじゃそりゃ。じゃあ、『ダマスカス』と。


『地上都市ダマスカス……ピ、ピピ……接続中……しばらくお待ち下さい……』


 おっ!? 大丈夫か?

 画面に古代文字で「接続中」が表示され、白い光が画面の中で円を描いている。


『……接続完了。転送機にお乗り下さい。中止する場合、あるいは移動先を変更する場合は、『中止』を押して下さい』


 どうやら、うまくいったようだ。

「よし、これで大丈夫なはずだ」

「えっ? 天空都市に行けれるの?」

「いや、どこか別の地上都市だ」

「……それじゃあ、ダメじゃんか」

 リサは不機嫌そうな顔で言う。

「樹たちもここに訪れていると考えれば、天空都市には行けれなかったはずだ。ということは、地上都市に行った可能性がある」

「あ、そっか。……でも、あいつらが移動して、そこの装置を破壊したって考えられるんじゃないの?」

「それは大丈夫だよ。だって、そうだとするとゼテギネアに古書を奪いに行った意味が無い。きっと、その古書には地上都市から程近い場所にある、アトモスフィアへ通じる都市が記されていたんだ」

 あいつらも、探していたんだ。天空へ通じる道を。

「じゃあ、今入力した地上都市に行けばいいの?」

「さあ? 行ってみないとわからない。情報が記されていないからね」

 納得したのか、リサはこれ以上の質問はしてこなかった。

「ともかく、移動してみよう。それからだ」

 僕たちは転送装置に移動した。この円盤に乗ればいいのかな?

 ぞろぞろと6人、円盤の上に乗った。ちょっとしたエレベーターっぽい。

「乗ったのはいいけど、どうすんだ?」

 レンドは落ち着かない様子で言った。

「たぶん、『移動』みたいなボタンがあると思うんだけど……」

 辺りをキョロキョロしていると、円盤の表面が輝き始めた。


『転送を開始します……転送中に、転送機から出ないで下さい』


 上の装置から声が聞こえた。なるほど、乗れば勝手に転送を始めるのか。どっかに、物体を感知するものでも組み込まれているんだろう。

 上の円盤と下の円盤の光が徐々に延び始め、合体した。合体した光は柱となり、僕たちを包んだ。

「……これ、リサの空間転移の魔法と同じ感じがしないか?」

 デルゲンは光を受け、上を見上げている。

「それと同じ原理なのかもね」


『……移動先、地上都市ダマスカス……』


 リサが答えた瞬間、僕たちの視界は真っ白になった。






 ほんの少しの間だけ、真っ白な光に包まれていた。そして、目の前に景色が戻ってきた。

 さっきと同じような広間だった。出入り口の紋章の扉、部屋の隅にはコンピューター。違うのは、天井が開けているということだ。青々とした大空が、顔を覗かせている。

「……着いたようですね」

 アンナは転送装置から降りて、辺りを見渡した。

「外へ出てみよう。……ちょっと、不安だけど」

 僕も降りて、外へ向かって歩き始めた。

「ソラ、ビビッてんじゃねぇよ!」

 と、連度が僕の背中を叩いてきた。

「び、ビビッてなんかないっつの! いちおう、用心に越したことはないからな」

 そう言うと、レンドは「ああ〜?」という顔で、不気味な笑顔をして見せた。

「そんなんだから、お前は空ちゃんとだな……」

「か、関係ないだろ!?」

「まあまあ、落ち着けって。ホラ、レンドもからかわないで行くぞ」

「へーへー」

「まったく……」

 こんなところで言われると、恥ずかしいんだっての。

 僕たちは、扉の外へ進んだ。



「…………」

「どしたの? アンナ」

「……いえ、なんでもありません」

「…………」



 扉を開き、さっきの通路と同じような道を進むと、ようやく外に出れた。

「これは……廃墟か」

 丘の上の都市、なのだろう。見晴らしがいい。緑の草原が遠くに広がり、さらに遠くには春の色を持った山々が連なっている。自然は生き生きと、僕たちの視界に広がっていた。

 だが、都市は滅んでいた。人が住んでいたであろう住居跡は、長い年月により、半分以上が崩壊、あるいは風化し、草木が生えていた。きれいに配置された住居は、どれも同じ規模のものばかりで、同じように半壊し、数千年前の面影は無い。

「ティルナノグが滅んで、2000年余り……文明が滅びれば、人間もいなくなるってことか」

 廃墟と化した都市を眺めながら、レンドは言った。

「あれ……見てみろよ」

 デルゲンが何かを指差した。その先には、巨大な建物があった。塔のように見えたが、半分から崩れた状態のものだ。壊れていなかった時は、十数メートルの建物だったんだろう。

「……地上都市の建築技術ってのは、現代とあまり変わらないようだな」

「地上人は、天空人によって泥をすするような生活を強いられていたらしいからね。そんな人たちが、高度な技術でできた建物に住むことはできなかったんだよ」

 リサは少し歩き、廃墟の住宅の傍で小さく生えている花に触れた。タンポポ……のようにも見えるが、いまいちわからない。

「ま、今とあまり変わらないか……」

 デルゲンはため息混じりに言った。

「そうなんですか?」

「……王侯貴族や特権階級の人間は食べたいものを食べ、欲しいものは何でも手に入れる。だが、それ以外の人間は地上人と同じようなもんさ。貴族から税として作物は徴収され、働いても働いても報われない。……変わらないんだよ。今も昔もな。違うのは、抑圧が昔ほどではないってところかな」

「…………」

「俺個人の意見だがな」

 ハハッと、デルゲンは笑った。

 レイディアントも、ガイアも変わらない。『持つ者』だけが何かを手にし、『持たない者』は利用され続ける。形は違えど、根本的なものが同じなんだ。どちらとも満たされぬ者であり、絶えず何かを求め続けている。その過程の中で、憎しみや妬み、僻みを渦巻かせている。

 この都市も、そうだったのだろうか。

 天上からの圧政に苦しめられ、人として生きる権利を奪われ、憎悪を保ちながら、怨嗟の声を轟かせていたのだろうか。あるいは、自分たちを救ってくれる人間がいることを、信じていたのだろうか。

 荒れた丘の上に佇む滅びた都市には、風と共に哀愁の想いが漂っているようにも感じた。


「……さて、これからどうする?」

 この都市の中心部に、人が集った公園らしき跡があったので、そこで僕たちは腰を下ろし、休憩した。

「樹たちがどこに行ったのか、だな」

 僕は空を見上げた。奴らがいたような痕跡は無いし、もちろん足跡とかも無い。

「この都市以外、何もないように見えるが……」

 レンドは辺りを見渡した。見渡す限り、草原しか広がっていない。ルナ平原のようにも感じる。

「他の地上都市に行ってみたらどうですか?」

 アンナが言った。

「他の地上都市か……どうする?」

「他に方法が無いんだから、そうするしかないでしょ。ここで話してても、埒が明かないしさ」

 僕が訊ねると、リサはそう言いながら立ち上がった。

「決定だな。元来た道を戻ろう」

 ということで、さっきの装置がある部屋へ戻ることにした。

 それにしても、ここら一帯は自然が溢れるいい場所じゃないか。春の訪れを感じさせる暖かい風、それに吹かれて揺れる草花、空の色で青っぽく霞んでいる緑の山々。『永久凍土の大陸』と聞いていたが、どうやら凍っているのは、絶海に面した辺りだったようだ。2大陸へ渡った人々が、グラン大陸の内陸部へ行けれないようにするためだけだったのかもしれない。


 転送装置のあった場所へ戻り、あのコンピューターをいじってみた。たぶん、こちらの装置からでも行くことができると思うのだが。


 ヴ――ン……


 機械が起動すると、画面に何かが表示された。


〈ジッグラト神殿〉――大陸最南端に位置する。ロンバルディア、アルカディアへ行く時に利用。


 これはたぶん、あの遺跡っぽい所のことだろう。あそこは、2大陸へ繋がる場所だったんだ。

 ともかく、今度は『ヴァルハー』を入力、と。


『地上都市ヴァルハー……接続中……しばらくお待ち下さい。………………接続完了。転送機にお乗り下さい。中止する場合、あるいは移動先を変更する場合、『中止』を押して下さい』


 この都市も大丈夫だったようだ。いちおう、他の地上都市も行けれるかどうか確認しておこう。『中止』を押して、『ウル』と。


『地上都市ウル……接続中……しばらくお待ち下さい………………接続完了。但し、若干の異常を確認。都市近くに獣などがいる恐れがあります。移動した際には、お気をつけ下さい』


 獣って……おいおい。じゃあ、次のを入力。


『地上都市ウルク……接続中……しばらくお待ち下さい………………接続できませんでした。あちらの転送機のバッテリーに異常あり。破裂する恐れがあります。早急に、エレメンタルパワーを補充してください』


 ここもダメか。結局、接続できて安全なのは、2つだけか。

「ヴァルハー、と…………よし。みんな、転送装置に乗ってくれ」

「今度はどこなんですか?」

 空は画面を覗き込んだ。とは言っても、彼女はこの世界の文字は一切読めないので、どうにもできない。

「地上都市ヴァルハーって所。緑が溢れて、きれいな所なんだってさ」

「へぇ……少し、楽しみですね」

 と、彼女は微笑んだ。

「こんな時に何言ってんだよ」

「だって、本当に『旅路』っていう感じなんですもん」

 まぁ、それは否めないな。なにせ、僕たちは2大陸の人々が一切知らない場所に来ているのだから。

「俺も寧ろ楽しんでるけどな」

 レンドがそう言って、転送装置に乗った。

「転送装置で一瞬の間に移動……こんな技術、ワクワクして落ち着いてられるかって」

「まったく……遠足じゃないんだぞ?」

 デルゲンは僕と同じように、呆れた表情になっていた。

「重い気分で行くよりかは、いいじゃないですか」

「ハハ、アンナの言うとおりだね」

「リサまで……ま、いっか」

 気負いするところではあるけれど、詰め込みすぎないほうがいいもんな。

 僕たちは転送装置に乗り、さっきと同じように光の柱に包まれ、消えた。





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