59章:歩む意味 傷ついてもなお生きること
BLUE・STORY Episode4
第5部「約束の空へ」
ページをめくり、一つ一つの言霊が浮かび上がる。
そう、それは空の果てへと紡がれ、一つの夢となる。
ええ……きっと、私たちはそれを望んでいたわ。
この星の上に生まれ落ちる前から、
ずっと握っていた一欠片の雫……
約束したよね……
あの、遠い陽だまりの中で。
だから……あの輝く円環の中で、笑顔でいてね……
お願いよ……
最後の第5部です。
一番長いですが、よろしくお願いします。
3月12日。快晴。3月とはいえ、まだまだゼテギネアの大地には寒風が我が物顔で流れている。
工業都市アルツヴァックを出発し、予定では10日前後でシュレジエンに行き、食料を調達(ゼテギネアには今の季節、食料が少なくなる時期のため)。その後、シュレジエンの研究者にグラン大陸への行き方を教えてもらい、出発するという計画だ。
レンドの仲間たちである、ルーシーやサンガたちも乗せ、出航した。操船するのはいちおうレンドなのだが、ガルガンチュアのような大型船を操作するのは初めてらしく、帝国から派遣された操船者に教えてもらいながら、操作している。その他、デルゲンやルーシーたちも、船のあちこちを調べ、どういう時にここを使うのか、どのようにすればこれが使えるのかなど、いろいろ教えてもらっていた。
「グラン大陸……そういえば、リサの住んでいた島もグラン島っていう名前だったよな?」
「うん、そうだけど?」
すでに青空が夕焼けになり始めた頃、甲板の上で僕とリサは並んでしゃべっていた。レンドやデルゲンは仕事で大忙し。アンナと空は料理をするからと言って、厨房にいる。リサも作ればいいのだが、どうやら苦手のようなのだ。僕はというと……ま、気にしないでほしい。
「何で同じ名前なんだろ?」
そう言うと、リサは空を見上げながらうーんと唸った。
「……伝説なんだけどさ」
風がなびいた時、彼女は呟くかのように話し始めた。
「グラン島は、自然にできた島じゃないんだってさ」
「……どういうことだ?」
僕が首をかしげると、リサは上空を見上げた。
「ティルナノグが滅んだ時、同時に世界を眺めていた空中都市も、地上へ落ちていった。グラン島は、その落ちた都市が海に落ちてできた島だっていう伝説があるの」
「空中都市って……グラン大陸のほうにあったんじゃないのか? だから、樹たちもグラン大陸を目指しているんだろ?」
「そうなんだよねぇ……」
北の最果てにあるグラン大陸から、ロンバルディア大陸の南東に位置するグラン島まで、空中都市が続いていたとは考えにくい。もしそうだとしたら、カインの造り上げた浮遊大陸が、海をまたがってロンバルディアまで広がっていたということになる。そこまで巨大な浮遊大陸を造れるとは、さすがに想像し難い。
「ただ、グラン島の中心にあった森に、朽ち果てた遺跡みたいのを見た覚えがあるの。……だから、まんざら伝説とは言えないのよね」
「ヴァルバが言っていた『ラグナロク一族と巫女、調停者は、元を辿れば同じティルナノグ皇室』というのが本当だとしたら……まあ、つじつまが合わなくも無いよな」
グラン大陸の上空に住んでいたティルナノグ人。帝国滅亡後、移り住んだ皇族の生き残りが、島にそう名づけたのかもしれない。
「……けどさ、私とあんたが元を辿れば同じ一族っていうのは、いちおうわかるのよ」
「なんで?」
すると、彼女は小さく笑いながら僕を見る。
「だって、変な力持ってるし」
リサは僕を指差した。僕は思わず、ほほをかいてしまった。
「……変な力って言われると、うれしくないな」
「ま、所詮は望まなかった力だからね」
望まずに得てしまった力。
たしかに、そうだな。力を持つがために、人を殺めたり、憎しみを作り出してしまう。……普通、そう考えてしまう。けど、逆の発想はどうだろうか。
力があるからこそ、自分たちにしかできないことがある。力がある無いに関わらず……と言いたいところだが、実際問題そうはいかない。力があるからこそ、自分が手を出せる範囲が広がる。本当なら手の届かないことへ指先を伸ばし、帰ることができる。
あらゆることは、嫌なこと、苦しいことばかりではない。同時に、それと相応なうれしさや、喜びというものがある。きっと、そういう風にできているんだよ。
「私が疑問に思うのは、空ちゃんよ」
いつの間にか、リサは僕から離れ、船首のところで海を一望していた。
「空が?」
「……あの子はあんたみたいに、レイディアントで生まれたわけじゃないんでしょ?」
「まあ、たぶんな」
並行世界があったのだから、何かの歪みで迷い込んだレイディアントの人間がいるかもしれないため、違うとは言い切れない。……が、だからってうまいことなるもんだろうか? いまいち、自分で考えたはずなのに、その仮定には納得できない。
「けど、空ちゃんは私と同じ『永遠の巫女』。つまり、カインの血筋ってことよね?」
たぶん、と僕はうなずいた。
「ガイアでは、魔法は存在しない。ということは、魔法を造り上げた創世時代が無かったってことになる」
「……つまり、創世時代に実験台にされ、〈調停者〉として覚醒したカインも存在しなかったはず、ということか?」
リサはうなずいた。
「リュングヴィの言っていたことが本当ならね」
「……あそこで嘘をつく必要は無いから、十中八九、事実だろうな」
僕とリサは頭を抱えた。
どうして、空にはカインの血が流れているのか。いや、海もか。それに、どうして海は巫女ではないのか。2人は、まったく同じ遺伝子を持って生まれた双子なのに。
あの2人がカインの血筋ということは、おじさんとおばさん、どちらかがカインの血筋だったということなのだろうか。あるいは、先祖の誰かが、カインの血筋だったのだろうか。もしそうだとしたら、その人はレイディアントの人間ということになる。なら、どうしてガイアに来たのかという疑問も湧いてくる。魔法を持ち出さずに、一体何のためにガイアに来たのか……。
謎ばかり、僕たちの周りを渦巻いている。多くの真実を知り、何度も驚かされたが、まだまだこの世界にも、あの世界にも秘密はあるようだ。
全てを知り得る人がいるなら、教えてほしいものだ。
……すべて知り得る人間?
僕はハッとした。
「なあ、クロノスさんなら何か知ってるんじゃないか?」
「クロノス? どして?」
リサは頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、僕の方へ向き直った。
「あの人、ほとんどのことを知ってるじゃないか。空のことについても知ってるんじゃないかって思ってさ」
「……クロノスか」
リサは腕を組み、顔をしかめた。
「あの人、怪しすぎるんだよね」
「……まあ、怪しいといえば怪しいけど」
思わず、僕は笑ってしまいそうだった。最初の意見が「怪しすぎ」だもんな。
「私たちを助ける目的がなんなのか、さっぱりわからないし」
彼女は大きくため息を漏らした。
「でも、世界を救おうとしている人には間違いないんじゃないのか?」
「それだったら、助けてほしかったよ。……ジョナサンやヴァルバをさ」
そう言って、彼女は再び海の方へ視線を向けた。
「……あの時、私が襲撃することを予測できていれば…………エスナで、2人を死なせなかったのに……」
弱弱しく放ったその言葉の時だけ、気弱な少女のように感じた。それを振り払うかのように、彼女は首を振った。
沈黙が流れ、海が波立ち、この巨大装甲船にぶつかった時の音だけが聞こえる。それを断ち切ろうと、僕が話しかけようとした時――
「わかってる」
彼女はそのタイミングをわかっていたかのように、僕を遮った。
「悔やんだって、仮定の話をしたって、ただ自分を追いつめるだけにしか過ぎない。私たちは、生きてるんだから」
「…………」
「でも、考えられずにはいられないよ……」
彼女にとって、知り合いを失うというのはどういうことなのだろうか。
生と死が密接に存在するこの世界……いや、リサの見る世界では、どのように映るのだろうか。それを知りたいと思ったのは、僕を育て、僕が見てきたあの世界とは、まるで違うからだ。
知り合いが一人、また一人と消えていって……彼女は、我慢しているように感じた。
「クロノスさんには、クロノスさんの目的があるんだろうな」
「……どういう?」
リサは振り向かずに訊ねた。
「わからない。けど、僕たちに害を与えるような人じゃないってことだけは、わかる」
すると、彼女は再び大きなため息を漏らした。
「……どうせ根拠もなし、でしょ?」
くるっと振り向き、彼女はどこか訝しげに僕を見る。
「まぁな」
「まったく……」
呆れつつも、リサは軽く笑っていた。少しは、気が晴れただろうか。
「……漆黒の剣士も、同じなのかな」
ふと思いだしたのか、リサは呟いた。
「漆黒の剣士か……ピンチになったら、現れてくれるんだよな」
ホリンと初めて戦った時、船上でホリン・ミランダと戦った時、そしてシュヴァルツたちが帝都を襲撃した時……僕たちを、ピンチから救ってくれた。顔をまったく見せていないし、声も聞いたことがない。わかっているのは、ホリンやミランダを遥かに凌ぐ戦闘能力を持ち、魔法に関してもリサ並みなのかもしれないということだけ。
「変人なのは、間違いないな」
「? どして?」
リサが首をかしげると、僕は手を広げた。
「全身黒ずくめで、おまけに仮面もかぶってるときた。どう考えても変人だろ?」
「ハハハ、そうだね」
リサは口元を押さえ、笑い始めた。
「なんにせよ、私たちの邪魔をしないならなんだっていいんだけどね」
リサはぐーんと体を伸ばした。細身の体が、夕暮れの光により映えて見える。
「シュレジエンに寄るなら、クロノスの所に行こうか。ついでに」
腰に手を当てているリサは、太陽の光で妙なシルエットに見えてしまう。
「居場所、知ってんのか?」
「うん。だって、あの人はだいたいユートピアにいるしさ」
そういえば、いつか言っていた友人というのは、妖精の国・ユートピアに住むミリアだったよな。
「……前にさ、クロノスさんに訊いたんだよ。『あなたは、何者なんですか』って」
そう言うと、リサは僕の方に歩み寄って来た。
「なんて答えたの?」
「僕と同じような力を持った『人間』だって」
「人間〜?」
リサは怪訝そうに僕を見つめ、目の前に腰を下ろした。
「嘘くさいわねぇ」
「だろ? 僕もそう思うんだよ」
僕たちは顔を見せ合って、笑った。笑いが収まってきたところでリサは、
「でも、あんたと同じような存在ってことは……〈調停者〉なのかな」
「さあな……言葉の意味をそのまま捉えると、そういうことになるけどな」
「……謎の多い奴」
と、彼女は仰向けになって上空を見つめた。
「そーいうお前も、謎が多かったぞ。今は結構知ってるけどさ」
あぐらをかいて、僕はほくそ笑みながら言ってやった。
レイディアントの人間だのなんだの、意味のわからんことを始めは言っていた。どんだけ意味不明な女だよ、などと思っていたもんだ。
「根に持ってる?」
「何を?」
「隠してたこと」
彼女は、上空の赤みがかった雲を見つめていた。
「まぁ……最初はイライラしたかな。けど、それはそれでしょうがないことだと思ってるし」
「なんでそう思うの?」
「何でって……」
わからないかなぁと思いつつ、僕は彼女と同じように上空を見つめた。
「お前にはお前の事情があって、行動していた。そうだろ?」
そう言っても、彼女から言葉が来る気配は無かった。
「それに、僕はお前が奴らを止めるために、必死に今まで生きてきたのを知ってるしさ」
「……そっか」
ふと視線を彼女に戻すと、リサは横向きに寝っ転がっていた。ちょうど、僕に背を向けている状態だ。
「……罪悪感でもあんのか?」
「…………」
何も言わないリサ。それだけで、彼女は気にしてんだろなと直感させる。
「気にすんなって」
僕は、小さく笑った。
「……気にしてない」
力の無い返事は、いつものリサらしくはなかった。
「ホントかよ。お前、後に引きずるタイプだからな」
シュヴァルツたちとのことなど、あの時の彼女は泣いていたからな……。
「ま、そこがお前の良いところだと思うよ」
「…………」
すると、リサは僕に聞こえるくらいのため息を吐いた。
「うっさい」
「へーへー。んじゃ、僕は撤退しますよ」
いい加減、寒くなってきたので部屋に戻ることにした。というより、リサを一人にしておいた方がいいかなと思ったのだ。
なんだかんだ言って、あいつも空と同い年の、まだ16歳の少女なんだ。少女が背負うには、大きすぎるものを背負っている。それを、考えてやらないといけない。
10日程度で、リーフ島に到着。3月だというのに、ここにはまだ、雪がたくさん残っている。雪は降っていないが、数十センチくらい積もっている。前に来た時のような、大雪じゃないからいいけど。
食料を調達している間に、僕とリサは王都に向かった。
王都はどこか慌しく、ピリピリとした空気が流れていた。ここにも、ルテティア滅亡の報告は来ているはず。今度は、自分たちじゃないかっていう不安感の表れなのかもしれない。
王宮へ行き、僕たちはラーナ様にお会いした。
「お久しぶりですね、ソラ君、リサさん」
穏やかで、優しい微笑み。母親の暖かさを感じさせる、ラーナ様の声。どうしてか、ホッとした感じになる。けど、以前よりもやつれたように見える。やはり、インドラのことが大きな心労となっているのだろう。
「ご無沙汰しています」
僕たちは同時に一礼した。
「……あの時、あなた方が来てくださらなかったら、私は崩壊と共に死んでいたでしょう。……ありがとうございます」
「……けど、他の人は救えませんでした。……残念です」
「自分で気にするなって言っておいてこれだもんなぁ、まったく」
リサは呆れ顔で僕を見ていた。
「あのな……」
「仲が良いですね、2人とも」
ラーナ様は微笑みながら言った。
「え? まぁ、腐れ縁ですし」
「空……そこは、ちょっと否定するところよ?」
「何で?」
「もう……」
リサは顔を少し赤くし、頭を抱えてため息を漏らした。
「ところで、お2人は何の用でここに?」
「あ、そうだった」
今回、僕たちがここに来たのは、確認したいことがあったからだ。それは、『巫女』について。
「……単刀直入に伺います。ラーナ様が話してくださった王子――ジルファ王子についてなんですが」
そう訊ねると、ラーナ様の表情が少しだけ険しくなった。
「ジルファ王子は、男性ですか?」
「…………」
ラーナ様は視線をそらし、口を閉ざした。それだけで、答えはわかった。シュヴァルツたちが言っていたことは、本当だったのだと。
「やっぱり、男性じゃないんですね」
ラーナ様はうなずいた。
「……どうして、王女であることを隠していたんですか?」
僕の問いに、ラーナ様は答えずに近くのイスに座った。目を瞑って、どこか物悲しげに。
「ジルファは……いえ、シルヴィアは、呪われた運命の下に生まれてしまった子なんです」
ラーナ様はまぶたを開け、僕たちの向こうを見つめながら語り始めた。
「この国には、子供は生まれてすぐに占いをしてもらう風習があります。もちろん、シルヴィアも占ってもらいました。……その時に、あの子の運命は、呪われていると診断されました」
――この子は、いずれ闇に囚われることとなる。そして、逃れられぬ死に向かうことになってしまう――と。
「そして、どうすればいいのかを尋ねました」
――成人するまで女性であることを隠すこと。親族にも、それを教えてはならない。そうすれば、彼女にかけられた呪いは解かれるだろう――。
これでわかった。どうして、女性であることを隠す必要があったのか。それは、『永遠の巫女』であることを隠すためだ。巫女として生まれたのなら、樹たちによってさらわれ、殺されてしまう運命があるかもしれなかった。
「ただの占い……そう思いたかった。けれど、言いようの無い不安が、私たち夫婦に纏わりついていたのです。……だから、あの子を男として、王子として教育していったのです」
「そうなんですか……」
僕はリサと目を合わせた。そして、彼女は哀しそうな顔でうなずいた。
シュヴァルツたちの言ったことが本当だとわかった以上、伝えなければならないことがある。それは、巫女としてさらわれ、どうなってしまったかということを。
「ラーナ様、落ち着いて聞いてください」
ラーナ様は頭をかしげていた。この穏やかな顔を、一瞬のうちに絶望に変えてしまうと思うと……気が引ける。
僕は、躊躇ってしまった。自分の娘のことなんだ。知らなければならないんだ。だけど、ラーナ様にとって知らない方が幸せなんじゃないかと、少なからず思っている僕がいるのも確かなんだ。
「私が代わりに言おうか?」
リサが、僕の顔を覗きながら言った。
「嫌なら、無理しなくてもいいよ。私が言うからさ」
彼女は僕より一歩前に出て、少しだけ深呼吸をしていた。
「……ラーナ様。今回、私たちがここに来たのは、あることを知ったからなんです」
「あること?」
ラーナ様がうなずくと、リサも小さくうなずいた。
「シルヴィア王女は、亡くなられています」
「えっ……?」
ラーナ様は口を小さく開いたまま、硬直した。
「今……なんて……?」
目を見開き、ラーナ様はイスから立ち上がった。
「落ち着いてください。シルヴィア王女はインドラによってさらわれ、殺されていたんです。……ラーナ様から王女の話を聞いて、確信しました」
「そん……な……っ!」
ラーナ様は小さく震えだした。その姿を見ると、心がひどく傷むような感覚に襲われた。
「ど、どうして?」
「……シルヴィア王女がさらわれた理由は、王女がインドラの求める『永遠の巫女』だったからです」
「!!!」
ラーナ様は顔を抑え、ペタリとその場に座り込んだ。
「……そんな気がしていました。あの子が、突然いなくなってしまってから……」
床に手を付き、ラーナ様の涙が下へ落ちていく。
「きっと、呪いをかけた死神がさらいに来たのだと……心の奥底で、そんなことを思っていました」
生きていてほしいと願っているのは確かだが、その中には小さな確信も孕んでいた……ということだろうか。
「でも……それでも、シルヴィアはどこかで生きている」
ラーナ様は顔を上げ、僕たちを見据えた。そこには、いつもの優しい微笑みが現れていた。
「……何となく、そう感じるのです。風が、そう教えてくれているようで……」
風のような王子――そんな話を聞いたからだろうか。ラーナ様の言っていることを、理由もなく納得してしまったのは。
ラーナ様に別れを告げ、僕たちは王都ジニーの中央通を歩いていた。まだまだ寒いシュレジエンでは、完全防備をしないと寒くてやってられない。
「どうする?」
リサは自分の鼻に付いた雪が溶けるのを見つめていた。
「どうしようか?」
「あんたね……」
「こういう時、どうすればいいのか……ホント、わからなくなるよ」
僕は上空を仰いだ。吐いた息が、白い霧となって寒空へと昇る。
「……気になったんだけど、巫女っていうのは何人いるもんなんだ?」
あまり考えたことではないので、訊いてみた。いる人数だけ、犠牲になったって考えられるし。
「全部で32人……だったかな」
「さ、32人!? そんなにいるのか!?」
僕は思わず、声を上げた。それに驚いたのか、彼女は雪を見るのをやめて僕の方に振り向いた。
「そんなに驚くこと?」
「いや、だって……そんだけ犠牲になったってことだろ? そうだとしたら……」
すると、リサは首を振った。
「それは、古代ティルナノグ期に開発された特殊元素の数。だから、そんだけいるんじゃないかってこと」
彼女も、本当のことはわからないそうだ。
「聖杯の覚醒に必要なエネルギー充填に達せられれば、巫女は32人もいらない。だって、私やアンナは無事でしょ?」
「そう言えば……そうだな」
「誘拐の噂とか、シルヴィア王女とかのことを考えると……犠牲になったのは、10人程度だと思う」
僕たちが知る限り、犠牲になってしまった巫女は……空、リノアンさん、シルヴィア王女の3人。ほかに、7人も犠牲になった人がいるのか……。
ゾッとした。それをしたのが、僕の弟の樹なのだから。
リサの話によると、巫女はそれぞれ違う元素を持ち、名称も違う。
空は『紺碧』を持つ『蒼空の巫女』。リノアンさんは『業火』を持つ『烈火の巫女』。シルヴィア王女は予測であるが――『翡翠』を持つ『緑風の巫女』。ほかに『命』の『再生の巫女』、『音』の『旋律の巫女』、『雪』の『氷雪の巫女』などがあるという。リサもアンナも、巫女の一人である。
「……どうして、リサはさらわれなかったんだろうな」
「え?」
リサは首をかしげた。
「だって、お前の先天属性ってかなり強力なものなんだろ?」
ヴァルバの話が正しいという前提だが。
「そのお前を、どうしてさらわなかったんだろ。従兄であるシュヴァルツもバルバロッサも、気付いていたはずだし」
「……そうね。そう言われてみれば……」
リサは腕を組んで唸り始めた。と思うと、僕に眉を八の字にして顔を向けた。
「でも、そうする理由がわかんない」
「……だな」
シュヴァルツやバルバロッサには、少し不可解なところがある。リサをさらわなかったこと、殺さなかったこと、今まで放っておいたこと。脅威となる人物だと、理解していたはずなんだ。それを、わざと生かしておくのは――別の目的があるということなんだろうか。
浮遊大陸――天空帝都には、まだ秘密が隠されており、それにリサは関連しているということか? えさを撒き散らし、おびき寄せ、捕らえる。
ただの罠でしかない? そして、リサを……
――いやあぁぁ――!!
悲鳴が轟く。女性の悲鳴が。
やめろ……やめろ。
でないと……貴様らを、肉片一切残さずに……殺――――
「どうしたの?」
リサは疑心一杯の顔で、僕を覗き込んでいる。僕はハッとした。
「怖い顔しちゃって……どうしたの?」
「……怖い顔なんかしてたか?」
彼女は目をパチクリさせながら、小さくうなずいた。
怖い顔……何を思って、僕はそういう風になったんだろうか。
「うーん……意味わかんね」
「……? 変な奴だね」
「失礼な女だこと……」
杞憂であればいい。ただの、杞憂であればいいのだが……ヴァルバのことがあったから、気に留めておいたほうがよさそうだ。
……ヴァルバ、僕たちを守ってくれよ……。
その後、僕たちはクロノスさんのところへ行くことにした。リサの空間転移の魔法・アースで、一っ飛び。
果てのない草原が広がる妖精の国――ユートピア。
よくよく見てみれば、あちこちに小さな家々が並んでいる。赤い屋根で、レンガ造りだ。大きさ的には、32型のテレビくらいだ。妖精はミリアを除けば、掌サイズだったから、あの程度くらいがちょうどいいのだろう。
「あっ! リサだ!」
子供の妖精の声が、上空から聞こえた。上を見上げると、そこには姿は無かった。すでに、リサの回りをぐるぐると飛んでいた。
「よっ。久しぶり、マリュ」
リサが名前を呼ぶと、マリュは彼女の目の前に停滞した。
「なかなか来ないから、いい加減死んだのかと思ったよ」
「ハハハ、この私がそう簡単に死ぬかっての」
「そりゃそうだ。女とは思えないほど凶暴――」
リサの裏拳が、僕の額に命中。
「誰が凶暴だって? 誰が」
「お、怒って殴るところが、凶暴じゃ――」
今度は脳天チョップ。僕は頭を抱え、ひざまずいた。ぬぅ……!
「やれやれ、リサは相変わらずだな」
マリュはため息混じれに笑っていた。
「それにしても、人間の男と来るなんて……どういう風の吹き回しさ?」
と、マリュはニヤニヤしてリサを見ている。
「なーに言ってんのさ。そんなんじゃないよ」
「ふーん、てっきり……」
「余計なこと言うと、握りつぶすよ?」
「……相変わらずだね、ホント」
マリュは引きつった顔で答えた。うーん、妖精君もわかっているのだろう。リサの恐ろしさを……。
「んで? 今日はどうしたのさ。あっちにでも行くの?」
あっちとは、ガイアのことだ。
「いや、クロノスに会いに来たんだ。いる?」
「おお、いるよ。ミリアの家に行きな。たぶん、本でも読んでいるだろうからさ」
「わかった。ありがと」
ミリアの家は、このユートピアの中で最も大きい。当然と言えば当然。ミリアは、他の妖精とは違って、人間の子供くらいの大きさだからだ。妖精たちの親分的な存在なのかもしれない。
それは、普通の家だった。一本の廊下があり、両側の壁にいくつかの部屋へ通ずる扉が付いている。廊下の奥まで行くと、そこはリビングのような場所だった。柔らかな日差しが窓から差し込む中、辺りを見渡すが……ミリアの姿は見当たらない。
「おーい、ミリア。いないのー?」
リサの声が家の中で木霊する。
「……その声、リサー?」
どこからか、ミリアの声が聞こえた。
「そーだよ、私だー」
「わかったー。待っててー」
一体、どこから声がするのだろうか。あっちこっちから声が聴こえてくる。まるで、体育館の中で彼女だけが叫んでいるかのようだ。
すると、どこからかともなくミリアが現れた。部屋の上空をくるくると飛び回り、ピンク色の羽を動かしながら、僕たちの前に停滞した。ピンク色のロングヘアー、大きな瞳、しかもスッポンポン。うぐ……頼むから、服を着てほしい……。
「やっほー」
ミリアは目の前にいるっていうのに、手をぶんぶん振っている。
「久しぶり、リサ。……ん? あんた空じゃないの」
「あ、ああ……久しぶり」
僕はすでに顔を横へそらし、今の光景から逃亡している。
「リサが男を連れているなんて、珍しいもんだな」
「うっさい」
ミリアはケラケラと笑った。
「ここに来たってことは、クロノスに用事があるんだろ?」
どうしてわかったのか不思議だが、僕たちはうなずいた。
「クロノスなら奥にいるよ」
「いるの? 呼んでも、返事が無かったよ?」
「……寝てるんじゃないの?」
クロノスさんが寝る? なんか、あの人が寝るところを想像できないんだよな。寝ることも必要としない、超人っぽいし。
奥の部屋に行くと、たくさんの本棚に囲まれ、イスで寝てしまっているクロノスさんを見つけた。床にも、本が無造作に撒き散らされている。
「もー、クロノス!」
ミリアはピューンと彼の頭の上に飛んで行き、わめき始めた。
「起きろ! クロノス!!」
今度は、頭を軽く叩いた。クロノスさんは、うめきながら体を起こした。
「……どうした?」
クロノスさんは目を閉じたまま言った。
「あんたにお客様だよ。……て言うか、本は読んだら片付ける!」
「ああ、そうだった。すまない」
クロノスさんは腰を上げて、目をこすりながら微笑んでいた。
「さて……今日は何の用かな? リサ、空」
僕たちを見ず、クロノスさんは言った。
「クロノスさん、実はお聞きしたいことがありまして……」
「なにかな?」
なぜだかわからないけど、僕は少し緊張していた。唾を飲み込み、僕は口を開いた。
「実は、空のことなんですが……」
「単刀直入に訊くよ。なんで、空ちゃんはリュングヴィの血を受け継ぐ『永遠の巫女』なのさ?」
「お、おいおい……」
僕が訊く前に、一歩前に出て訊きやがった。
「イレギュラーの世界であるガイアにはカイン……初代の調停者は存在しなかったはずよ。ということは、その一族もいなかってことだろ? おかしいじゃないか」
「……なるほど。そのことか……」
すると、クロノスさんは少し考える仕草をしながら、本棚を見つめた。
「……遥か昔、リュングヴィの祖先と彼女の祖先は同じだったということ、だろう」
「……?」
首をかしげると、彼はフッと笑った。
「私も全てを把握しているわけではない。彼女については謎が多すぎるのでね」
そう言えばいつだったか、リサも「謎が多い」と言っていた。
「今はまだ、確信が持てないというのが正直な話だ」
「何らかの憶測はできている……ということですか?」
僕がそう訊ねると、クロノスさんは顔をこわばらせた。
「……憶測で話はしたくないのだよ。確信が持てるまではね」
「…………」
じゃあ質問を変えよう――そう言いながら、リサは腕を組んだ。
「あんたが何者で、何が目的なのかを訊きたいんだよ」
リサはストレートに言い放った。いや、文句があるわけじゃないのだが……こういう質問ってのは、少しくらい躊躇するもんだと思うんだが……。
「……私が怪しいと思って、そのような質問をしたと受け取るが?」
クロノスさんは、微笑を浮かべながら僕たちを見据えた。
「そーいうこと」
「ふむ……」
クロノスさんは本棚の本を1つ、手に取って開いた。
「私は……この次元――時間軸の人間ではない」
本の活字に視線を走らせながら、クロノスさんは呟いた。
「この時間軸じゃない……ってことは、どういうことなんですか?」
「何言ってんの。私と同じさ」
僕を塞ぐかのように、ミリアが目の前に出て言った。とりあえず、彼女から顔を背け、
「そりゃどーいう意味だ?」
「わかんない? あんたたちが『妖精』って呼んでいる私たちは、別次元の生命体。あんたたちがそう捉えているから、そうなってんの」
「……私たちがそう見ようとしているから、あんたたちは妖精に見えるってことか?」
リサが言うと、ミリアはうんとうなずいた。
「本来は遭遇するはずの無い別次元の生命体……それが、私たち妖精とクロノスってことさ」
そう言って、ミリアは軽く飛んで本棚の上に腰掛けた。
「妖精たち……この次元が、二つの世界が分たれてしまったために、隙間に引き寄せられたってことは知ってるよ。けど、なんでクロノスがいんの?」
クロノスさんが妖精……ならば、ここにいるってことも納得できるのだが、見つからに普通の人間。雰囲気以外は。
「……それは、2つの世界を見定めるためだよ」
クロノスさんは、ゆっくりと本のページを一枚めくった。
「遠い昔……一つの世界は分たれ、二つになってしまった」
まるで歴史を語るかのように、僕たちに聴かせるかのように彼は語り始めた。
「それをしたのは、全てを変えようとした一人の人間……愚かにも、彼はあらゆる時の流れさえも、変えてしまおうとした」
ゆっくりとページをめくっている彼の顔には、懐かしさのようなものを浮かばせてはいたが、時折……哀愁を漂わせているかのようだった。
「その結果が、ガイアとレイディアントだ」
彼は視線を上げ、本棚を見つめた。
「……だからこそ、私は見極めたいのだ。二つの世界が、太古の運命による楔から逃れられるのかを……」
そして目を閉じ、すばし沈黙が続いた。
「運命の楔……?」
リサはそう言い、鼻で笑った。
「くだらないね。運命だとかなんだとか、そんなの関係ない。私たちは、最初っから自分たちの望むがままに生きてんだから」
「……かつて、己の運命を呪った者の言葉とは思えんな」
クロノスさんは本を閉じ、嘲笑するかのように微笑んだ。一瞬この場に張りつめた冷たい空気に、僕はぞくりとした。
「ふん、私は私だ。自分の運命を呪ったからこそ、今は前を向いていられるんだ」
いつもなら怒り狂うはずなのに、彼女は胸を張っていた。いや、怒っているのだろうけど、それを何とか抑えている。
「……運命の女神を欺くことはできん。絶対にな」
「運命に逆らうことから逃げた腰抜けってことだろ、あんたは」
「お、おい……リサ」
僕がそう言うと、リサはそっぽを向いてしまった。
「……ともかく、1つだけ言っておくが、私は君たちの邪魔をするようなことはしない。絶対にだ」
本を棚にしまい、彼はあの紺碧の瞳で僕を見ていた。
「……帰るよ、空」
リサは出口の方へ体を向け、早足で歩き始めた。
「ちょっ……待てよ」
そのまま、リサは家の外へ出て行ってしまった。僕はクロノスさんに頭を下げ、ここを後にした。
「……大変だね、あんたも」
ミリアは本棚の上に座ってまま、羽をばたつかせていた。
「時の呪縛によって、あんたは完全には両世界へ干渉できない。運命を捻じ曲げるようなことは、赦されない。……あいつらを援助したいとしても」
「……それが、大罪を犯した私に与えられた――罰だ。受け入れるしかあるまい」
「受け入れるねぇ……」
ミリアはフーとため息をついた。
「……腰抜け、か」
クロノスは再び椅子に腰かけ、天井を見上げた。
「まさに、そのとおりだな」
自分を嘲笑うかのように、フッと微笑む。
「腰抜けクロノスか。変なの」
と、ミリアは少女のように微笑んでいた。何かを察知したのか、クロノスは彼女に顔を向けた。
「それをあだ名にするのはよしてくれよ? 子供たちに笑われてしまうからな」
「私が黙っておくと思う?」
ミリアは頬杖を付き、ニヤニヤしていた。それを見て、クロノスはため息混じれに、
「うーん、そうだったな。お手上げだ」
と言って、苦笑した。
「おい、待てよ」
ユートピアの草原をスタスタと歩くリサ。すると、ようやく立ち止まった。
「まったく……怒るなって」
「うっさい。怒ってないっつの」
「あのな……」
どう見ても怒ってるじゃんかよ……。そう思いつつ、僕は彼女に聞こえないようため息を付いた。
「もうここには用事ないでしょ? 帰るわよ」
リサはそう言うと、上空にあるレイディアントへのワームホールへ行こうとした。
「リサ、ちょっと待ってくれ」
「ん?」
彼女は不機嫌そうな顔で振り向いた。そんな顔されると、言いたいことも言えなくなっちまうだろ……。
「実はさ、お願いがあるんだけど」
「お願い? ……まさか、ガイアに連れて行ってくれなんて言うんじゃないでしょうね?」
ものすご〜く嫌そうに見る、彼女の瞳。
「違うっての……」
その目で見られたら、やる気を削ぐっての。
「……イデアに連れて行ってほしいんだ」
「イデア? 何でよ」
完璧に何もわかっていない表情だったので、僕は思わず肩を落とした。
「何でって……これだよ」
僕は懐からある物を取り出して、彼女に見せた。
「これは……」
そう、ペンダント。というより、ロケットだ。ホリンが死ぬ間際、僕に渡したものだ。
「……そうだったね。忘れてたよ」
リサはロケットを眺めた。この中には小さな写真があり、そこにはラルハ王女の姿があったのだ。
「行かなきゃね」
「ああ」
リサは、アースの魔法を唱えた。僕たちは光に包まれ、上空へと昇って行き、消えた。
「ところで、これからあんたはどうすんの?」
ミリアは大きく背伸びをした。それと同時に、4つの羽が小刻みに震える。
「……運命の女神の導くままに、さ」
「運命? あんた、運命なんて信じてるわけ?」
「…………」
クロノスはあごに手を当て、少しだけ唸った。
「……人には、どうすることもできない流れというものがある。それに流れるか、逆らうか……。それ全体のことを運命と呼ぶのなら、信じてはいないがね」
「? 意味わかんない」
ミリアは本棚から降りると、クロノスの座っているイスの傍にあるテーブルに座った。
「いずれにせよ、遥か深淵の導き手が創りたもうた円環……あるいは、螺旋。行き詰まるところは高次元か、あるいは新たな……」
「意味わかんない」
クロノスは、少し笑った。
――なるほど、ミリアは幸せなんだな。
「あんたってさ、頭固いんだよ。もうちょっと柔らかくしたらどう?」
「……考えておこう」
「いや、真に受けてもらっても困るんだけど」
「おや、そうだったか」
光が消え、目を開けると――どしゃ降りだった。
「おわっ!! な、なんで雨が降ってんだ!?」
「そりゃ、土地がまったく違うんだもん。当たり前じゃんか」
「――だもん……じゃねぇよ! 場所考えて移動してくれたっていいだろ!?」
「うっさいなー! 文句言うんだったら、今度からアースしてあげないからな!」
ふん、とリサはすねた。ていうか、雨が降ってんのに平気そうな顔をしているのはどういうことだよ。
よく見渡せば、ここはイデアだ(当たり前だが)。
「ともかく、王城に行こう」
「ハイハイ」
リサは適当に答え、のらりくらりと走り出した。
「おや、あなたたちは……」
城門を守る兵士はこの大雨にも関わらず、サボらずにきちんと仕事をしていた。
「どこかで見たような……」
兵士は僕たちを下から上まで、じろ〜っと眺めた。
「あの、皇隆王様にお会いしたいんですけど」
「陛下に? 無理だ、無理だ」
兵士はぶんぶんと頭を振った。
「……どうしてですか?」
僕は顔をかしげた。
「知らんのか? インドラなる者たちが隣国ルテティアを攻め滅ぼし、今度は我が国を狙っているとのこと。そんな時に、お前たちのような怪しい奴らを、陛下に会わせるわけにはいかん」
そっか……すでにルテティア崩壊の連絡は来ているんだ。対応策などを練っているのだろう。
「なんつーか……大切なことなんですって」
ラルハ王女のことだし、たぶんそうだ。
「ダメだ」
しかし、兵士はなかなか承諾してくれない。こんな態度じゃあダメなんで、僕は思いっきり懇願する顔をした。
「ホントッ! めちゃくちゃ大切な用事なんです! お願いします!」
「そう言われてもなぁ……いや、無理だ」
「えぇ? ケチ」
「ケ、ケチとはなんだ!?」
僕は軽く舌打ちをした。
前回は入ることができたんだが……あの時はリサが色仕掛けみたいので、兵士をおとしたもんだ。
「絶対にダメなんですか?」
いつの間にか、リサは兵士の真ん前に突っ立っていた。その様子に、僕の脳裏に嫌な予感がよぎった。おいおい……今度は何をする気だ?
「む、無理だと言っているだろう。あまりしつこいと、捕らえ――」
ズビシ
リサは秘孔を突いた。兵士は、3秒以内に死んでしまう……ってのはウソで、リサは兵士の眉間を殴った。すると、兵士は目を回して、バタンと倒れてしまった。
「お、お前! な、何をした!」
もう一人の兵士が、駆け寄って来た。まずいと思った瞬間、
ズビシ
リサは同じように、眉間を一突きした。またも、兵士はバタンと倒れた。これが漫画なら、きっと頭の上に鳥が回りながら飛んでいるだろう。
「…………」
「これでよし」
満足気な顔で、リサは僕の方に顔を向けた。いや、そんな顔を見せられても……。
「行こ、空」
「あ、ああ……」
スタスタと歩いて行く彼女の後ろを、僕は付いて行った。
「……お前、何をしたんだ?」
「気絶技。眉間を殴った瞬間、電流みたいなものを飛ばしたから、数時間は気絶したまんまよ」
「…………」
「何よ?」
「いや、なんでもアリマセン」
おっそろしい女だこと……。
エントランスを抜け、謁見の前へ続く扉の前へと進んだ。
「失礼しまーす」
扉をノックし、言った。しかし、あまりにもざわざわしていて、気付いていないようだ。会議中なのだろう。
「お、おい、お前たち、何をしている?」
振り返ると、驚いたような顔をしている兵士が立っていた。
「今は臨時会議中だ。邪魔をするでない」
「臨時会議? それ、やっぱりインドラのことについてですか?」
そう訊ねると、兵士は少し唸った。
「ああ。2月に聖都で起きた襲撃とルテティア滅亡の報を受け、イデアがどうするかを話し合われているのだ」
あの時、皇隆王は怪我をしているものの、命に別状は無かった。さらに、他の重臣たちも運がよかったのか、みんな生き延びたのだという。
「僕たち、皇隆王陛下の知り合いなんです。通してくれませんか?」
「陛下の? ならば今はダメだ。大事な会議中だからな」
「けど……」
「ちょっと、ちょっと」
リサは兵士の肩を指先で、ちょんちょんと突っつく。
「ん?」
兵士が彼女の方に顔を向けた瞬間、
ズビシ
バタン
さっきと同じように、兵士は気を失った。目をくるくると回している。
「…………」
「行こ、空」
「おいおい……」
まあ、いちいち気にすることでもないか。
リサは扉を開け、ずかずかと乗り込んで行った。広間の奥に座っている皇隆王を中心に、頭が固いと王が言っていたおじいさん大臣たちがいた。おじいさんなのに、大きな声で何かを言い合っている。
すると、みんなは僕たちに気付いたのか、こっちに向き始めた。
「なんじゃ? 貴様ら!」
「今は会議中じゃぞ!!!」
「うるさい! ワシがしゃべっとるんじゃぞ!?」
「何をゆうとる!! ワシじゃ!」
「いいや、ワシじゃ!」
「ともかく、これからはゼテギネアに対し……」
数人の大声が重なり合い、何を言っているのか理解できない。
「んん? ソラたちじゃないか!!」
王の声が聞こえた。大臣たちに囲まれ、顔だけを出している。
「おい、お前ら……」
「じゃからな、これからはゼテギネアとの条約も視野に入れ……」
「襲撃して来たのは、奴らかもしれんのじゃぞ!?」
「考えられん!」
じいさんたちの声に阻まれ、王の言葉がかき消されてしまった。
「……だぁーー!!! ちょっと黙れ!!」
王の大声が広間に響き渡り、じいさんたちの言葉と動きが止まった。
「俺の客が来てんだよ! ちょっと静かにしろ!!」
「……客ですか?」
「ああ、客だ。ほら、あいつら」
「??」
じいさんたちは落ち着きを取り戻し、目が悪いのか、顔を前にのめり出して僕たちを見つめていた。
「覚えていないか? ルテティアの使者として、ここに来た彼らを」
「……??? 誰じゃったかの?」
「さあ……?」
じいさんたちは顔を見せ合っていた。ま、一度しか会っていないから、わからないのも無理はない。
「あいつらは、俺を聖都で救ってくれたんだ」
「そうなのですか?」
そうと王はうなずいた。
「さぁ、こっちに来い。用事があったんだろ?」
王は手招きをし出したので、僕たちは玉座の所まで行った。
「今日は、インドラについて話してくれるのか?」
「へ? あ、えぇっと……」
いちおう、伝えておいたほうがいいのかもしれない。ゼテギネアと樹たちのことを。
「インドラの首領と幹部は、ティルナノグの浮遊大陸を復活させるべく、グラン大陸へ向かいました」
リサは説明を始めた。
邪神復活というのが最後の天帝・ユリウスの力であること。ゼテギネアが襲撃され、皇帝以外の主要な大臣が殺されてしまったこと。そして、ゼナン5世が勅命を下し、大軍を擁してルテティア解放を宣言したこと。
「なんじゃと……!? まさか、ゼテギネアはロンバルディアを、この隙に攻め取るつもりでは……」
一人のじいさんが、呟くかのように言った。
「そうか……きゃつら、そもそもそのつもりじゃったんじゃないのか? インドラと裏で繋がり、画策しておったのかもしれん」
「たしかに……ゼテギネアは聖都での会議にも出席せず、首脳陣は無傷。そしてインドラによるルテティア侵攻……考えてみれば、つじつまが合うじゃないか」
「ちょっ……待ってください」
止めようとするも、じいさんたちの勝手な想像は膨らんでいくばかりだった。少しずつ興奮していっているようにも見える。
「ゼテギネアに対抗できるのは、ルテティアだけじゃ。ルテティアが滅ぼされた今、数十万という大軍で攻め込まれたら、我がイデアは……」
「待ってください! ゼテギネアは、ロンバルディアを手に入れようとは考えていません!」
僕は大声で言った。そうでもしないと、耳の悪いじいさんたちには聞こえないからだ。そんな僕を、じいさんたちは衰えながらも鋭い視線で見てきた。
「おぬしのような若造に、何がわかるというのじゃ。よいか、ゼテギネアとはな……」
「ブリュレン、ちょっと黙っていろ」
いつの間にか王は玉座から降りて、大臣たちの声を塞ぐかのように、僕とリサの前に立っていた。
「こいつらは、実際にゼテギネアに行ったんだ。そうだろ?」
どこが微笑んでいるように、王は言った。
「……ゼテギネアのゼナン5世陛下は、混乱に乗じて領地を手に入れようと考える人ではありません。僕たちは、この目で見てきました。皇帝は諸国と協力し、インドラを駆逐しようとお考えです」
ゼナン皇帝の目に、ウソはなかった。それだけは確信できる。
「じゃが……」
「じいさん、こいつらはウソは言ってないぜ」
大臣たちの声を遮るかのように、彼らに笑顔を向ける王。
「今は疑っている場合ではない。我が国もルテティアを救うべく、ゼテギネアと同じように兵を派遣しよう」
笑顔から一転、為政者の顔になった。
「これより、緊急作戦会議を行う。諸将をここへ招集せよ! ほら、早く呼びに行け」
すると、じいさんたちは「やれやれ」といった顔で、会議場から出て行き始めた。僕たちと王、そして大臣らしきじいさんの4人になった時、王は僕たちに顔を向けた。
「ご苦労だった、二人とも。今夜は、王宮でくつろいでくれ」
そう言ってくれるのはありがたいが、僕たちがここに来た本当の目的は、別にある。
「……実は、今日は報告が目的じゃないんです」
「ん? なんなんだ?」
「ラルハ王女に会わしていただきたいんです」
そう言うと、王は頭をかしげた。
「ラルハに? なぜだ?」
「王女に、お渡したいものがあるんです」
僕の真剣な顔で何かを察したのか、王は神妙な面持ちになった。
「……わかった。そこまで言うってことは、何か理由があるんだろ。リヴェン、ラルはを呼んで来てくれ」
「……年寄りに言うとはの」
小さく文句を呟きながら、じいさんは奥の方に向かって行った。
数分後、ラルハ王女がやって来た。腰まである長く、きれいな黒髪。黒いワンピースを着て、王女らしく黄金の首飾りなどを身に着けている。14歳と聞いていたので、まだまだ幼さが残る。ゼナン皇帝と同じくらいには見えるが。
「父上、どうしたんですか?」
王女は玉座にいる王の隣に行った。
「俺の客が、お前に渡したいものがあると言ってな」
王は僕たちを指差した。王女は僕たちの顔を見ると、頭をかしげた。自分は、この人たちは知らないといった顔だ。彼女も一目ぐらいしか僕たちを見ていないので、気付かないのも無理はない。
僕は王女に近寄り、ロケットを胸のポケットから取り出した。
ホリン、ようやく渡せる時が来た。…………遅れて、すまない。
「王女様、初めまして。ソラ=ヴェルエスと言います」
僕は一礼した。
「……初めまして。ラルハです」
不審げに僕を見ながら、王女も小さく一礼した。端正な顔立ち……なるほど、どこか日本人らしさを感じる。褐色の肌を持つはずの東方民族なのに、肌は白い。
「あなたに、ある人から渡してくれと頼まれ、ここまで来ました」
「ある人……? 誰ですか?」
そう問われ、僕は唾を飲み込んだ。彼女に悟られないよう、小さく深呼吸をする。
「……ホリンです」
言葉を放った瞬間、王女の顔が硬直した。
「ホリン……?」
「ええ、ホリン……ホリン=ディルムンからです」
「ホリン……兄さん!!?」
僕はうなずいた。信じられないだろう、行方不明だった兄代わりの人からのものだなんて。
「……これです」
僕はロケットを差出した。
「これは?」
「ロケットです。この中に、あなたの写真がありました」
王女はロケットを手に取り、ゆっくりと開けた。その写真を見て、彼女は震え始めた。
「どうして……あなたが、これを……?」
「…………」
それを聞かれると、心苦しい。心拍数が、結構上がってしまっている。
「ホリンの最後に立ち会ったんです。その時、このロケットを受け取ったんです。……あなたに、渡してくれって」
今にも消えそうな灯火を瞳に宿し、彼は小さな声で言っていた。
「兄さんが……!? ちょ、待って! 兄さんは……死んだの!?」
悲痛な面持ちで、彼女は言った。ホリンが死んでしまったということに対し、彼女は信じ切れないでいた。
「……そうです」
「うそ……!」
王女は床に座り込んだ。そして、大きな声を上げて泣き始めた。小さな希望が打ち砕かれ、絶望に浸されてしまった瞬間だった。
「ど……して、兄さんは……死んじゃったの?」
涙で心を濡らしながら、王女は訊ねた。これもまた、言わなければならないことなんだ。辛いことだとしても。言ってしまえば、きっと王女は僕を怨むのだろう。そう思うと、言葉を出すのを躊躇してしまった。
「……ホリンは、僕が殺しました」
「え……っ!!?」
王女は顔を上げ、僕を見た。涙でいっぱいの瞳が、痛い。
「彼と戦い、彼を殺しました」
閃光のように駆け抜け、ホリンを斬った。今でも、あの時の感触がある。彼を切り裂いた、その時の。
「あなたが、兄さんを……!?」
「…………」
僕は小さくうなずいた。それと同時に、王女の悲しみは、徐々に怒りへと変貌していった。
「どうして……どうして!? どうして、兄さんを殺したの!!?」
少女の声が、この謁見の間に轟く。
「ねぇ、どうして!?」
僕の服を掴み、王女は僕の体を揺らす。なんで殺したのか……それは――
「彼を止めるためです」
意味がわからない王女は、何度か瞬きをした。それと同時に、瞳に残っていた涙がいくつか流れ落ちていった。
「ホリンは大勢の人を殺した。無差別に」
「何よそれ……? どんなことを言ったって、あなたが兄さんを殺したんでしょ!? そうなんでしょ!!?」
殺したことには変わりはない――彼女の漆黒の瞳が、痛々しく僕を貫こうとしている。
「ええ、そうです。僕があいつを殺した。それは間違えの無いことだ」
「……う……あああぁー!!」
「よせ、ラルハ!!」
王女が僕を殴ろうとした瞬間、王は彼女を後ろから抱くかのようにして抑えた。
「父上、話して!」
「落ち着けラルハ!!」
「あいつが……あいつが兄さんを!」
王女は泣き叫び、あの長い黒髪を乱していた。
「……憎んでくれて構いません。だけど、2つだけ知っておいてほしいことがあります」
「!?」
王の腕の中で暴れていた王女は、静止して僕を見上げた。
「一つは、先ほども申しあげたように、彼が理想の名の下に、関係の無い人を殺したことです」
「ウソよ! 兄さんは……兄さんはそんなことをする人じゃない!!」
そうか……彼女の中では、ホリンは優しい従兄のまんまなんだ。きっと、王は彼女のことを案じて、何も教えていなかったのだろう。
「……そして、もう1つ。彼は、あなたのことを大事にしていたということです」
涙をまき散らし、王女の顔はすでにぐちゃぐちゃになっている。
「彼は人を憎んでいました。憎んで、怨んで……」
いつも笑顔で人を殺していたのは、今までの自分を捨てようと無理に作った、仮面の顔だったのかもしれない。今だからこそ、そう言えるような気がする。
「けど、彼は……どこかで望んでいたんです。昔のように、陽だまりの中で生きていくことを」
僕は思わず、天井を見上げた。
「ラルハ様。あなたがいたからこそ、彼は生きてきたんです」
「……私?」
僕は小さくうなずいた。
「あなたがいたから、彼は全てを憎まずに済んだんです」
全てを憎んでいるのなら、あの時、王を殺していたはず。僕に、あんなことを訊いたりしなかったはずだ。
「だから……あなたに望んだはずです。笑顔で、生きてほしいって」
王女はロケットを握り締め、その場に崩れた。
「兄……さん、兄さん…………!!」
これで、よかったのだろうか。僕では、こうすることが精一杯だ。
ホリン……お前の口から全てを話してもらえると、すんなりいくんだけどなぁ……。