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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆4部:運命に抗いし者ども
58/149

48章:失われた聖域 始まりと終わりの地

 夜が明け、僕たちは聖都へ向かった。レンドとデルゲンは、一時出航禁止令が出たということで、船の管理などのことでペルルークへ向かった。

 聖都に入ると、その混乱はひどいものだった。人々は入り乱れ、残された神聖騎士団があっちこっちを走り回っている。

 インドラ――奴らを構成していたのは、実は神聖騎士団だったようだ。教皇派と呼ばれる約4割の騎士たちこそ、グルヴィニアだったのだ。今回のことで、残りの6割のほとんどが殺された。


 所々から、「ゼテギネアの襲撃だ」とか、「ゼテギネア皇帝の命令らしいぞ!」などと、ありもしない噂が飛び交っている。ゼテギネアだけが会議に参加しなかったために、そういう噂が生まれたんだろう。

 聖帝中央庁があった場所は、瓦礫の山となっていた。あの壮麗な宮殿の姿は、どこにも見当たらなかった。中央庁崩壊のために、周りの住宅や教会も巻き添えになってしまっていた。

 瓦礫の山の周りには、呆然と立ち尽くす、教団関係者たちの姿があった。ただ、その瓦礫の山を見つめている。そこにあった、ソフィア教への尊敬、尊厳、すべてが一夜にして崩れ去ってしまった。「聖なる都」の存在意義は、いなくなってしまった教皇と共に、どこかへ消えてしまったのかもしれない。



「……あなた方は……」



 後ろから、声がした。振り返ると、そこにいたのは、やつれ果てた大司祭トルーマンさんだった。

「トルーマンさん! 無事だったんですね!」

 僕はトルーマンさんに駆け寄った。

「え、ええ……会議が始まった後、枢機卿と神聖大将軍以外の教団関係者は、宮殿の奥にいるようにということだったんです」

「奥……? よく無事でしたね」

 そう言うと、トルーマンさんは小さくうなずいた。

「……生き残ったのは、そこにいる十数名の者たちと私だけです。崩れ落ちてきた天井の下敷きになる前に、聖地カナンへ逃げ込みましたからね……」

 そうか……あそこを、シェルター代わりにしたんだ。

「……入り口は、まだあるんですか?」

「入り口ですか?」

 すると、トルーマンさんはそこの方へ顔を向けた。

「……もちろんです。あそこは入り口を含め、すべてが古代技術や特別な素材によって作られているため、あの程度のことでは壊れることはありません」

「そうなんですか……」

 リサの言うとおりだ。古代技術……あれだけのことでも、壊れないとは……少し、信じられない。


「聖地へ……行かれるのですか?」


 トルーマンさんは僕の目を見つめていた。

「……はい。あそこで、すべきことがあるんです」

 僕が、僕を取り戻すために。

 トルーマンさんは僕から目を逸らし、崩れ去った聖帝中央庁を見つめた。

「……あなたは、オディオン様に似ていらっしゃる」

「オディオン……?」

「先々代の教皇だよ。先代教皇ハロルドの兄……だったかな」

 ヴァルバは僕の隣に立ち、言った。

 ハロルド教皇の兄……ということは、14年前にクーデターを起こされた時の教皇で……つまり、その人こそが、僕の……。

「オディオン様は、14年前……あのクーデターで、亡くなられました」

 オディオン5世……若くして即位し、改革派として保守派を抑え、教団改革を推し進めたという。彼の右腕にして弟であったハロルドは、突如として反乱を起こした。

「オディオン様の遺体は見つかりましたが、奥さまと二人の御子息は行方不明で……亡くなられたのだと、考えられています」

「…………」

 母は、死んだ。あの裏山で。

 そして、二人の子息こそが……僕と樹。

「生きておられたら……今は、空さまと同じ年頃でしょうか」

 僕を見つめながら、彼は微笑んでいた。

 そっか……やっぱり、ここ――ソフィアが、僕の故郷だったんだ。

 僕たちが生まれた、聖なる都……。あんまり、覚えていないな。その時の記憶とか、欠片でさえ拾うことができない。

「あの……オディオン様は、どういった人でしたか?」

 僕は訊ねた。もう、顔さえも覚えていない、僕の父親。

 トルーマンさんは何度か瞬きし、目を閉じた。

「オディオン様は……そうですね、厳しい……お方でした」

 遠い目をして、彼は上空を見上げた。朝の青空が広がり、小鳥たちが瓦礫の上や城壁の上に立ち、歌を鳴らしている。

「……孤児院の出自であった私を従者として雇い、厳しくも、多くのことを教えてくださりました」

 あのクーデターの時、トルーマンさんは北のゼテギネアに亡命したのだという。父による空間転移の魔法で、聖都の外に出されて。

「あの時……オディオン様は私たちを逃がし、離宮にいた御家族を救うために、一人で……」

 反乱に加担した一部の神聖騎士団は、僕たちがいた離宮を襲撃したのだという。母のケガは、その時のものだったのだろう。

「……素晴らしい、お人でした。あの方が愛したこの都……悔やんでも、悔やみきれません……」

 小さく顔を振り、彼は俯いた。

 幼き頃からの君主……そして、彼の愛した地がようやく復興したのに、再び崩壊した。守り切れなかった自責の念に駆られ、トルーマンさんは震えていた。

「そんなことを言っている場合ではないはずだ」

 僕の言葉に、彼は驚きと共に顔を上げた。

 なんでだろう。今、悔やんでいるこの人に、言いたいことが浮かび上がってきた。余計な御世話……だと言えば、そうなのだろう。けど……。

「あなたはオディオン教皇の意志を知り、その遺志を継ぐ者。なら、夢に散った過去を見るのではなく、やるべきことを為すべきだ」

 トルーマンさんは目を見開き、僕を見る。

「ソフィアを建て直すんだ。あなたには、まだできることがあるはずだ」

「ソラ……様」

 ここで悔やんでいても、しょうがない。修哉が言っていた。「後悔は人を成長させない」って。

 トルーマンさんはうなずき、聖地のある方向に体を向けた。

「……聖地カナンには、『失われた聖域』というものがあります。伝説ではありますが、その地には、失われたはずの『聖魔の神剣』が眠っていると云われております」

「聖魔の……神剣」

 ラーナ様が言っていた、アイオーンが携えていたというティルナノグ皇室の宝剣か。

「あなた方が何をしようとし、何を為そうとしているのか……私には、よくわかりません。ですが、聖地にこそインドラを……猊下――シャルフィル様を止める術があるような気がするのです」

 確信にも似た想いが、彼の双眸に宿っている。

 シャルフィル……樹を止めたい。インドラの理想を、食い止めたい。すべきことは違えど、その先に見ているものは同じ。

「……わかりました。ありがとうございます、トルーマンさん」

 僕たちは、聖地への入り口がある方向へ向かった。






 聖地カナンへの入り口は、わかりやすかった。トルーマンさんたちが避難していたため、そこ付近にあった瓦礫は取り除かれていたのだ。

 長い、長い階段を再び、下りてゆく。

「聖地カナン……ここは、約2万年以上も昔にできたって云われてる」

 先頭に立ち、たいまつを持って歩いているリサが言った。

「に、2万年? ……そ、そんな大昔にできたのか……」

 僕としては、考えられない大昔だ。いや、ガイアの歴史を知っているものならば、誰もが驚愕してしまうだろう。

「2万年ほど昔、当時の世界は多くの国々が列挙していたらしいの」

 現代の技術を遥かに超える文明であり、戦争は悲惨さを増していたという。

「……その戦争の果てに、地上は瘴気で覆われてしまった。人類は、どこへ逃げ込んだと思う?」

 彼女は歩くスピードを落とさず、背を向けたまま言った。

「空の上ですか?」

「ううん、空に住むのはティルナノグ時代から。……その逆よ」

「――大地の下か?」

ヴァルバがそう言うと、リサは小さくうなずいた。

「……聖地カナンは、その頃の都市の一部らしい」

 大地の下に造られた都市……か。

 この世界の古代技術ってのは、ガイアでは想像できないほどなんだな……。基は同じ世界だっていうのに、どうして歴史がここまで違うのだろうか。

 ……ふと思った。僕たちが知っている歴史というのは、もしかしたら真実ではないのかもしれない。だって、僕たちは実際にそれを見たわけでも、聞いたわけでもない。

 ガイアとレイディアント……謎が深まるばかりだな。

「なぁ、世界を覆った瘴気っていうのは?」

 ヴァルバの問いに、僕は現実に引き戻された。

「それはわからない。……この話、おじいちゃんから教えてもらったんだけど、さすがに瘴気のことまでは知らなかった。2万年以上も昔のことだもん。知ってる人間がいたらすごいわよ」

「まぁ、そりゃそうだな」

 考えてみれば……世界を2つに分けたのは、もっと昔っていうことだろうか?

 樹は言っていた。原因となった男は「滅亡の未来を変えるために戦ったが、次元の混沌を深めた」と。つまり……将来、この星を滅ぼすこととなる原因そのものが太古の昔にあるっていうことなのだろうか? 

 二つの世界が共有する歴史からまったく違う歴史が生まれたその瞬間が、世界が分かれた時なんだろう。

 ……だが、それを知る術は、もう見付からない気がする。もしかしたら、リュングヴィが何かを知っているのかもしれないが……。





 ようやく、聖地カナンへと出た。以前来た時と変わっていない。巨大な空間。巨大な宮殿や多くの住居跡。そして、天井に輝く天空石の数々。これが2万年以上も昔にできたとは、とてもじゃないが信じられない。

 中央の通を歩き、真ん中にある宮殿へ向かう。あの宮殿の前で、僕はリュングヴィのいる空間へと行った。あそこへ行けば、たぶんリュングヴィに会えることができるはずだ。

 宮殿の前まで行くと、僕たちは立ち止まった。



 ……何も起こらない。



 僕は辺りを見渡した。天井に突き刺さりそうなくらいに高い、宮殿の塔。そして、辺りを囲む住宅。粘土色の風景。青緑色の光が注ぐ、地下空間。

 ここが、始まりの地なんだろ? ここが、お前のいう「聖域」のある場所なんだろ?

 出て来いよ……リュングヴィ!!



 ――夢見る命――



 何かが、囁いた。

 それは僕だけでなく、他のみんなにも聴こえていた。その声はこの空間に響いているのではなく、僕たちの「心」に問い掛けるかのように、自分の内部から聴こえてくる。

 初めての感覚に驚くヴァルバとアンナだったが、リサと……なぜか、空は無表情のまま宮殿を見上げていた。



 ――古き誓約に縛られし言霊――

 ――永久に響き渡る、銀の音色――



 優しい声……のようにも感じるが、違う。

 哀しい……哀しい声。太古の昔に消え去った、夢の囁き……男性の声だ。



 ――全てを握りし者、今に残りし夢の残骸――

 ――神々の呪縛に抗うか――



 あれ……なんでだろう。

 この声に、聞き覚えがある。ひどく、懐かしい大人の男性の声……。

「ソラさん?」

 アンナが僕の名を呼ぶが、僕の意識は遠のく手前……霞んでいた。

 何かが僕を包んでいる。淡い光たちが、滲み出ているかのように。

「ソラの髪が……青く……?」



 ――選ばれし者よ――

 ――魑魅魍魎の想いが集いし、亡者どもの墓場――

 ――聖魔の扉、今こそ――



 すると、僕を包んでいた光が消えていき、僕の意識もここに帰って来た。

「……ここからは、空だけが進むようね」

 リサは腕を組んでいた。

「どういうことだ?」

「選ばれし者……カインの直系者のことだろうから、空だけなはずよ」

「なるほど、血を持つかどうかってことか」

 ヴァルバの言葉に、リサは首を振る。

「ううん……真の器を持たない者ってこと」

「……それって、どういう意味だ?」

 僕が訊ねると、彼女は腕を組んだまま、僕に顔を向けた。

「私は知らないよ。……私たちが知ろうとして知るものではなく、あんたが知るべきことだからさ」

「…………」

 僕が知るべきこと、か。

 この奥に……本当の自分であるための答えがあるってこと。

「ホラ、ボーっとするなって」

「いてっ!」

 宮殿を見つめている僕のケツを、リサは軽く蹴った。

「早く行きなさいよ。時間だってたくさんあるわけじゃないんだし」

 と、彼女は笑顔で言った。

「……言われなくてもわかってるっつの」

 こんな時に急かさなくてもいいのに……と思いつつ、少し気が軽くなった。



「まぁ、考えすぎずにやれよ」



 その時、誰かが僕の肩に手を置いた。後ろへ振り向くと、落ち着いた顔で立っているヴァルバがいた。

「お前はお前らしく。できないことは、しようとすんな」

「…………」

「抗うって決めたんだ。とことん、呆れさせてやんな」

 そう言って、ヴァルバは小さくうなずいた。

「……りょーかい。やってやるよ」

 僕とヴァルバは、自分たちの拳を軽くぶつけた。

 ヴァルバの碧い瞳――それは、少なからず僕に勇気を与えてくれていた。



「あの、気を付けて……くださいね」



 アンナが僕に近寄り、落ち着かない雰囲気で言った。それを見て、僕は微笑んだ。そうすることでしか、彼女の不安を払拭できない。

「ああ、わかったよ」

「…………」

 彼女の表情は非常に暗く、重かった。

「アンナ、そんな顔するなって。なんだかんだ言って、なんとかなりそうだしさ」

 かなり適当なことだが、そうやって彼女の心を軽くしてあげようと思った。だが、それでもまだアンナは俯いたままだった。

「……わかってます。わかってますけど……」

「ま、やばそうになったらとんずらするさ」

 と、僕は冗談を言った。すると、彼女も小さく微笑んだ。

「……ソラさんらしいです」

 こういう時は笑わないとね。アンナも、心配そうな顔が少しだけほぐされたようだ。



「とにかくさ、あんたはあんたの気持ちをぶつけりゃいいだけの話さ」



 リサはジャブみたいな動作をした。

「必要なのは力と、知恵と、努力と……ほんのちょっとの勇気。だけど、そんなに欲張らばくていい」

 そして、彼女は僕の胸に自分の拳を置いた。

「自分を信じな。あんたの未来は……あんたが創るんだから。あんたは、あんただけのもんだ。当たり前のことを、証明してきな」

「……わかってる」

「よし! もうなんにも言わないよ」

 僕がうなずくと、リサは太陽のような笑顔になった。一抹の不安でさえ、感じていないようだった。



「あの……空さん」

 僕の前に、空がやって来た。足元まである、白いドレス。この9ヶ月で太ももにまで達していた長髪は、リサが軽く切って上げたために以前と同程度――腰までの長さ。少し、痩せてしまったようにも見える。

「どうした?」

「……なんて言えばいいのか、わからないんですけど……」

 しどろもどろになっている彼女を見て、思わず僕は少し笑ってしまった。

「ど、どうしたんですか?」

 口を押さえて笑う僕に、彼女は訳がわからず戸惑っていた。

「い、いや、別になんでもないよ」

 うまく自分の気持ちが言えないのは、あの頃と変わんないんだな……。記憶を失っても、根元は変わらないってことか。

 どこか、安心した僕がいた。それだけで、前へ進めそうな気がしたのも確かだ。

「とにかく、頑張って来る。お前も心配しないで、のんびりしてろよ」

「の、のんびりって……」

 空はクスッと笑った。僕は彼女の頭に手を置いた。

「少しだけ待っててくれ。すぐ戻るからさ」

「……………」

 そう言うと、空は微笑んだままうなずいた。

 ああ……なるほどね。そこかしこに、変わらない空の姿がある。だけど、だからこそ痛感する。記憶を失っているんだって。

「それじゃ、行ってくる」

 そして、僕は宮殿の内部へと足を進ませた。









「……大丈夫かな? あいつ」

 空が進んでいった宮殿の奥を、ヴァルバは見つめていた。

「心配?」

 リサは横目で彼を見た。その顔には、微笑が浮かんでいる。それを見たヴァルバは、少し驚いていた。見るからに、彼女に心配している面影が無いからだ。

「……お前は心配じゃないのか?」

 彼が問うと、リサは首を振った。

「まぁ……完璧に心配していないって言ったらウソになるけど……私はあいつを信じてる。絶対に、やり遂げて来るよ」

 絶対的な自信とも言えようか――リサははっきりと断言した。

「なるほど……お前らしいよ」

「あら? そのため息は何?」

 リサは彼の小さなため息を見逃さなかった。彼も隠すつもりはなかったが、してやったりの顔をしている彼女を見て、苦笑してしまった。

「ハハハ……お前があまりにも断言するから、心配すんのが馬鹿らしくなってな」

 そう言いつつ、彼は感じた。自分の胸につかえていた、わだかまりのようなものが縮小したことに。

「そんな顔すんなよ、アンナ。俺たちが信じてやんないとさ」

「……そうですけど……」

 アンナは顔を上げ、天井で輝く天空石を見つめた。

「いつも、いつも心配しているんです。いつか……ソラさんがいなくなっちゃうんじゃないかって」

 言い表すことのできない不安。どれだけ笑顔を向けられようと、言葉をかけられようと、彼が帰って来るまで消え去ることの無い不安。

 彼女は、今にもその不安で押しつぶされそうだった。

「……私は、いつもソラさんに護られてきました。……だから、いつか……笑顔だけ残して、消えちゃう気がして……」

 近いようで……遠い。どうしてそう感じてしまうんだろう。アンナは考えまいと、顔を振った。

「アンナ、大丈夫だって」

 リサはアンナの頭をなで始めた。

「あいつは絶対にリュングヴィを打ち倒す。あいつは……こんな所で死んじまうような奴じゃないしさ。でしょ?」

「……ですよね」

 そうやって、二人は微笑み合った。



「………………」



 空は無言で、祈るように両手を合わせた。理由はわからない。自分の手が勝手に、動いたように感じた。それでいて、必然としてやることなのだと、心のどこかで感じていた。

空色の瞳は、宮殿の奥を見つめ、小さく呟き始めた。

「……? お願い……生きて……」














 宮殿の中に入ると、真っ暗だった。何も見えない。だんだん目が慣れてきても、いまいちわからない。

 すると、僕の意識に反応したかのように、いきなり光がこの内部を覆った。その光は、青緑色をしていた。急に明るくなったので、暗さに慣れてしまった僕の瞳は、ちゃんと辺りを見ることができなかった。

 時間を置いて、目を開けて辺りを見渡すと、そこは見たことのある風景が広がっていた。

 ここは……聖帝中央庁と同じだ。出入り口の門を入って、目の当たりにした大きな広間。中央にある、巨大な扉へと繋がる大きな階段。天井にある、豪華なシャンデリア。しかも、そのシャンデリアは青緑の光を放っている。そう、中に天空石が埋め込まれているのだ。他の場所にも、電球代わりに天空石が用いられている。古代の人は、こうやって天空石を電気代わりにしていたのかもしれない。



「ここはかつて、人間が神々を祀っていた場所だ」



 前から、掌大の光が現れた。――リュングヴィだ。

「古代の神々……12柱の神が祀られていた。いや、人から神と呼ばれる者たちが祀られていた場所、だな」

「…………」

 光はゆっくりと、人の姿になった。以前、ここでリュングヴィが具現化した時と、同じ姿をしている。奴はゆっくりと、天井を見上げた。

「……地上に溢れた瘴気から逃れるべく、人は大地の中に生活を移した。ここは、その地下王国の中心地だった」

 なるほど……だから、これほど大きいのか。

「ここで、多くのものが生まれた。太古の昔に失われ、先の世界崩壊による文明衰退……。人々は、それらを掘り起こすかのように機械を生み出した。……魔法も、な」

「魔法? ここで、作られたのか……」

「魔法が作られ、ここの人間は太古の昔に誕生した〈原初の人類〉というものに興味を抱き、そこから新たな繁栄を導き出そうとした………」

 リュングヴィは顔を下ろし、僕と目線を合わせた。

「1万年前………俺の全てが始まったのだ………」

 そう言うと、リュングヴィは再び光の玉となり、瞬間的に発光しながら、どこかへ消えてしまった。

 ……何を、伝えたかったのだろうか……




 階段を上り扉を開けると、あのホリンと戦った広間とそっくりな場所に出た。東西南北に一つずつ、扉がある。たしか、北は謁見の間だったっけ。この広間は、ほとんどが粘土色だ。ただ、天空石によって明るさを取り戻したため、神秘的な空間に見える。

 北の扉を開けると、やはり謁見の間みたいな大広間だった。奥に階段があり、その上に玉座がある。しかし、その玉座は半分が欠けて崩れていた。



「……古の帝王たちが夢の跡………」



 大広間のど真ん中に、光の玉が現れた。そして、僕に背を向けたリュングヴィの姿が形作られた。

「古の帝王?」

「あの玉座は、この地下王国を支配していた人間が座っていた場所だ。王ではないが……王の如き権力を握った者たち」

 言葉の意味から察するに、現代で言う独裁者……的な立場にいた人間のことなのかもしれない。

「……玉座に就く者は、就く者にしかわからないものがある。だが、それは玉座に住み着く、何かに支配されていたのかもしれない……」

 リュングヴィは、姿を見せても僕と目を合わせない。

「この玉座の下に多くの夢や希望、未来が集まった。だが、それと相反するものも集まっていた。……悲しみ、苦しみ、憎しみ、怨嗟の声……」

 そして、リュングヴィは僕と目を合わした。

「……玉座にある者は、必ず滅びる運命にある。たとえ、お前のように運命に抗おうとしてもな……」

 再び、光の玉となって、消えて行った。

 ……運命に抗っても、結局、運命の赴くままだというのか……?


 玉座の奥に道があると思ったのだが、そこは崩れてしまっていて、完全に通れなくなっていた。僕は来た道を引き返した。

 今度は、西の扉を開けてみた。

 扉の先には、中規模の会議場があった。イギリスの国会のような、円形の議会場のようだ。

 机はボロボロになっており、角はほとんど欠けて崩れていた。イスも半分以上朽ち果てていて、無造作に転がっている。イスを触ってみると、あの本のように簡単に崩れ去ってしまった。

 辺りを歩き回っていると、後ろに気配を感じた。

「……ここで、この国の法律や、多くの事柄が決まっていった」

 光の玉は、空中で人の姿となった。リュングヴィとなっても、空中でフワフワと浮かんでいた。

「だが、民のことを考えた政治が執り行われるわけではなかった……」

「……だろうな。けど、全部が全部そうじゃないと思うぞ?」

 リュングヴィは、僕を横目で見た。

「……そうであってほしい。そうであってほしいと、人々は願っていた。そうなることを……。しかし、願えば願うほどそれは裏切られるものだ……」

 三度、リュングヴィは消えて行った。

 期待することが、悪いか? 期待しなければ、それを叶える人も現れない。人々の願いが、それを成就させる人物を生まれさせることだってありえる。理由がわからない、確信が自分の奥に在った。




 再び広間へ戻り、東の扉を押し開ける。そこにあったのは、あの大きな会議場だった。西の扉にあった、中規模の会議場とは違い、ここは巨大な会議場である。きっと、ここでは他の地域の人たちとも話し合う場所だったのだろう。

 聖帝中央庁の東の会議場に入った時、血の匂いと死臭がひどかった。床を埋め尽くす、惨殺された遺体と赤と黒の血溜まり。あの光景は、今も目に焼きついている。あそこで、レオポルトさんは死んでしまった……いや、殺されてしまった。

 会議場とはいっても、ここでは本棚や数多くのテーブルが置いてあった。朽ち果てた本たち。黄色くなった書類たち。……『デルゼニア人口調査書』などと書かれてある。ここでも、政治的なことが行われていたのだろうか。



「……積み重なっていく、執筆されたものたち……」



 光が現れた。奴はテーブルの上で足を組み、座っていた。片手には、光る書物があった。

「……人がその目で見てきた事柄を自らの手で執筆し、多くの人々に自らの世界を示す。それは、〈文字〉の成せる業だ」

「文字……」

 文字があったからこそ、人は進化していったといっても過言ではないと思う。

「そうやって、世界の視野は広がり、人は無限の希望と夢を膨らませてゆく。その中に愛憎と生死という、表裏一体のものがあるとも知らずに……」

 リュングヴィは光り輝く本を、床に投げ捨てた。その本は、ろうそくの火が消えるようにふっと消えてしまった。

「愛の中に、憎しみはある。憎しみの中にも、愛は眠る。生きることは、緩やかに死へと向かっているということ。そう………生きているということは、〈生〉という言葉を使わずとも表すことができるのだ………」

 奴は目を閉じてほくそ笑んだ。まるで、自分を嘲笑っているかのように。

「……雪が積もるように、歴史も重なってゆく。だが、同時に人類の血に塗れた歴史も積み重なってゆくのだ……」

「…………」

「さあ……上を目指せ。お前がお前を手に入れたいのならな………」

 リュングヴィは、今度は光の柱となって上空へと昇って行き、天井に入って行った。

 人が歩んできた歴史、か。

たしかに、お前の言うように、人は血に塗れた歴史を歩んできただろうさ。だけど、それが全てじゃないはずだ。人は、憎しみや欲望だけで生きてきたわけではない。もし、それだけで生きていたというのなら、人の世界はとうの昔に滅んでいる……。




 この広間の奥にある、螺旋階段へと進む。

 一人で、暗い螺旋階段を上っていると、壁が青く光り始めた。そこに、何かが映し出され始めていた。

 これは――僕と樹……小さい頃の風景だ。あの、よく遊んだ公園で、砂遊びやブランコをして遊んでいた。滑り台をしすぎて、お尻が痛くなった記憶がある。

 その近くで、微笑んでいる幼いそっくりな少女が二人……そう、空と海だ。僕たちがガイアに辿り着いて、初めての友達だったんだよな……。

 あの公園で、よく遊んでいた。泣き虫な樹は、元気っ子である海にちょっかいを出されては、泣きじゃくっていた。それを、いつも空がなだめていた。日が暮れると、僕の母さんと空たちのお母さんが迎えに来てくれたっけ。

 今度は、キャンプに行った時の風景が浮かび上がってきた。あれは……何歳だったっけ。まだ、小学生の低学年ぐらいだっただろうか。樹の容態が回復し、外で遊べるまでになった頃だ。そういうことで、父さんが日向家の人たちと一緒に、自分の故郷にあるキャンプ場へ連れて行ってくれたんだ。

 澄んだ水が流れゆく、山の川。緑の木々たちが空気を浄化し、そのきれいな空気を僕たちが吸い込む。都会で暮らす僕たちにとっては、あらゆることが新鮮だった。夏の日差しが強い頃だったが、自然の中というのはなかなか涼しいもので、森の中に入ると、汗なんてほとんどかかなかった記憶がある。

 自然の中で食べるカレーは、この世のものとは思えないほど格別だった。材料も作っている人もいつもと同じなのに、味がまったく違う感じがした。あのカレーライスを、何杯もおかわりしたっけ。

 フッと、その映像は消えた。再び、僕は階段を上り始めた。




 しばらく上ると、大広間に出た。

 中央に会議ができるような、大きなテーブル。天井を支える、数本の支柱。ここの部屋だけ天空石の明かりではなく、ろうそくの灯りだった。

 このテーブル……昔のものじゃない。きれいな石造りのテーブル。並べられているイスたちも、どれも壊れていなく、新品のようだ。


「ここは、奴らのアジトさ」


 天井に吊り下げられている大きなシャンデリアに、光に包まれたリュングヴィが腰掛けていた。

「……アジト? 誰の?」

「インドラのアジトだ。奴らはここに潜んでいたのさ」

 僕は辺りを見渡した。なるほど……人が住んでいたような形跡がある。

「ここなら、誰も入って来ないな……」

 この宮殿の出入り口に、黄色いカードが吊り下げられていた。そこには、入れないという証だ。そこを利用したのだろう。

「……ここで、お前の弟は何を知ったのだろうな」

 僕は上を見上げた。所々、くもの巣が見える。

「全てを滅ぼそうとする意志は、計り得ぬほど大きく、強靭なものだ。それを構築するまで、今まで知っていたこと、今まで愛してきたものを捨て去るほどの〈絶望〉を知ったのかもな」

「絶望……? 世界や、人に対してか?」

 そう訊ねると、リュングヴィはクックックと笑い出した。

「さぁな……。だが、奴の意志にそれが関係している可能性は少なくないだろう。絶望は憎悪へと変わり、あの強靭な意志を完成させた」

「…………」

「空……お前はどうだ? お前には奴の意志と同じほどの〈意志〉を持っているか? それが無ければお前はあいつを倒すどころか、俺を倒すことさえもできないだろう」

「そんなこと……知っている。お前に言われなくてもな」

 僕は奴を睨んだ。端っから、知ってるさ。そんなことは。

「ならば……上がってくるがいい。全てが始まった、聖域へと……」

 リュングヴィは大きな光を発して、消えて行った。まだ上があるのか……。






 大広間の奥に、再び螺旋階段を見つけた。ここを隠すかのように、黒いカーテンが垂れ下がっていた。

 階段を上っている途中、再び壁が青く輝き始めた。そう、僕の記憶が映像化されているんだ。

 中学生になったばかりの頃だ。僕は空たちとは一つ年上であるため、中学1年生の時は、あまり遊ばなかったような記憶がある。というより、部活が忙しかったのもある。ちなみに、僕はバスケを。修哉もバスケ部だった。

 修哉が天才だということを、この1年間で思い知った。テストでは何百人といる学年の中で常に1位、バスケ部では1年生の最初からレギュラーとして活躍。チームは予選を突破し、県大会に初出場。しかし、所詮修哉だけのワンマンチーム。県大会の1回戦で敗れた。すると、修哉は負けた理由は、他のレギュラーである先輩たちにあると発言してしまう。結果、先輩たちから集団暴力を受けた。だが、その後にすぐに返り討ちにしてしまい、停学処分、退部させられた。その頃のことを、修哉は笑いながら言っていたっけ。

 そして中学2年生になり、空や樹たちが入学してきた。これで小学生の時のような、当り前の日常が始まる。……あの時は、そう思っていた。

 この年に、樹は死んでしまう。いや、正確には行方不明になった。あの時にレイディアントへ行っていたなんて、想像すらしなかった。いや、生きているということさえも想像できなかった。

 樹がいなくなり、数ヶ月の間、僕たちは落ち込んでいた。周りから見ても、不気味と思われるほどブルーだった。しかし、それを修哉が励ましてくれた。遊びに来てくれたり、休みの日には町へ誘ってくれたり……。空と海が早く元気になれたのは、他ならぬ修哉のおかげだった。……修哉にとっても親友であり、弟のような存在であった樹が死に、苦しかったはずなのに。

 中学3年生の時、僕はちょっと離れた高校へ進学しようかと最初は思っていた。そう考えていた時が実は1学期の頃だけであり、あの頃、毎朝空が迎えに来てくれていたのは、もしかしたら別れるのが嫌で、少しでも長くいたいという気持ちの表れだったのかもしれない。しかし夏休みに入り、勉強が難航してしまい、あきらめた。修哉が進学する地元の平凡な高校に行くことにした。それを知ってからなのか、空は迎えに来てくれなくなった。あの頃、僕はいつも頭の上にクエスチョンマークを浮かべていたな。空の行動の意味がわからないからって。

 進学する高校が変わったとはいえ、勉強が難航していたのは変わらなかった。地元の平凡な高校とはいえ、いちおう公立。問題が難しい。いつも、修哉が付きっ切りで教えてくれた受験勉強。修哉はそんなシーズンに入っても、のんびりとしていた。ホント、天才はいいよなぁと実感した。



 ここで、壁の映像はフッと消えた。



 懐かしいものばかり。置き忘れ去られていきそうだった、僕の奥底にある記憶たち。いつも、呼びかけていたのかもしれない。大切な何かは、その中にもあるっていうことを。

 ……あぁ、そうなのかもな。

 僕たちが生まれる前から求めている「真実」は、そこに眠っていたのかもしれない。だからこそ、生きて……生きて、抗い続けようとする。




 階段をずっと上っていくと、一つの扉が現れた。見た瞬間、僕はギョッとした。扉の全てが、金でできていたからだ。そして、中央に2つの紋章が刻まれており、所々に宝石が埋め込まれている。赤や青、緑や黄色、そしてダイヤモンドのようなものまで。この扉だけ、つい最近にできたんじゃないかと思った。

 その黄金の扉を、僕はゆっくりと押し開けた。

 その先に広がっていたのは、6畳くらいの部屋だった。正方形の形をしており、角には縦長の天空石が設置され、青緑の光を発している。そして、部屋の中央部にある段差の床に、あの扉と同じような紋章が刻まれていた。

 その紋章のところへ、僕は近づいた。すると、その紋章が突然、光を放ち始めた。まるで、大地の切れ間から光が漏れるかのように、光もまた紋章の形をしていた。

 この光の所に、進めばいいのだろうか?

 僕は自問自答をした。部屋を見渡してもこの紋章以外、めぼしいものは無い。リュングヴィが現れる気配も、まったくしない。静寂した空気が、どこか寒く感じた。

 ゆっくりと、自分の足を進めた。まず、右足を紋章の中へ。次に、左足を紋章の中へ、進ませた。そして、僕は紋章の上に立った。



 ――お帰りなさい――



 頭上から女性の声が聴こえた。……あの裏山で聴こえた、大人の女性の声。どこか懐かしく、どこか切なさを灯った声だった。



 ――決定権を持ちし、私たちの幼子――

 ――永遠なる時の流れを彷徨い、始まりの刻に戻られし者――




 ――あなたは、調停者――




 僕は身動きをせず、優しく受け止めるかのように、目を閉じたまま立っていた。言葉が、まるで雨のように降って来るような感覚。



 ――夢と約束を紡ぎし、その時へ相見えんことを――

 ――今こそ、その扉を開きましょう――



 四隅に配置されている縦長の天空石が、その光をさらに強くし始めた。光が届いてなかったこの部屋の天井にも、その美しい輝きが手を伸ばす。



 ――全てが集いし地――

 ――『失われた聖域リーヴェ』へ――



 すると、紋章の光が激しく動き始め、上空へと立ち上り始めた。それは意志を持つかのように、くるくると回り始め、螺旋を描きながら僕を包み始めた。



 ――古き友よ……その血に連なりし者よ――



 言葉さえもが、光を纏っているかのように響く。





 ――全ての始まりにして、全ての終わりなる時へ――





 その瞬間、僕の視界は真っ白になった。

 シュ――――……………という音と共に、僕はどこかへと消えて行った。








 床に、仰向けになっている自分に気が付いた。ゆっくりと体を起こし、辺りを見渡す。

 ……見たことも無い、空間だった。

 周りは上空に燦然と輝く、星がある夜空のようだった。しかし、下も同じような風景が続いている。つまり、すべてが夜空のような空間なんだ。

 小さく、夜空は動いている。自分が勝手に動いているのか、それとも周りが動いているのか、さっぱりわからない。

「これは……宇宙?」

 テレビとか、アニメとか……そういったもので見た、宇宙の姿のように感じた。全てが黒い風景で、無数に散らばる小さな光の点。

 それでいて、自分は正確だった。自分の手が見えないわけでも、姿が見えないわけでもない。言うなれば、自分だけが光を纏っているようなものだった。

 その時、再び巨大な光が僕とこの空間を覆った。あまりの眩しさで、僕は目を閉じてしまった。

 そして、目をゆっくりと開くと、広がっていたのは遺跡の中だった。古びた遺跡……だが、上空には先程までの夜空のような宇宙があり、床は水面――自分が立っている両足の部分から、波紋がゆっくりと広がっている。この水面の奥には、壊れた宝箱や、ギリシャ風の柱などが、無造作に転がっている。

 正面には左右対称の支柱が立ち並び、その奥に一つの大きな石造りの箱が、横たわっている。そして、その上に紺碧の光を纏った一つの剣が吊り下げられていた。




「ようやく、辿り着いたか……」




 上空から大きな光の玉が、石造りの箱の上に降り立った。そして瞬く間に、リュングヴィの姿へと変わった。

「……ここは?」

 僕はリュングヴィが人の姿を成すと同時に、訊ねた。

「始まりにして、終わりなる地」

 奴は足を組んだまま、言った。

「全てが始まった、一つの空間、次元、世界……。あらゆる命が、自らの肉体が滅び、堕ちゆく狭間の中で放出された、正と奇の感情が複雑に入り乱れる、禁じられた聖域……『リーヴェ』」

「リーヴェ……? それが、この空間の呼称なのか?」

 そう言うと、リュングヴィはうなずいた。

「……ここは、レイディアントじゃないのか?」

「ここはどの時間軸にも属さない、特別な次元だ。簡単に言えば、妖精の国ユートピアと同じような空間さ。まぁ……ここは高次元だがな」

 ユートピア……あそこは、世界が2つに分かたれてしまったことにより、2つの世界の間に引き寄せられてしまった、別の次元の場所。妖精は掌サイズだったが、ミリアという妖精だけは、小学生くらいの大きさだった。

「……この空間では、時が経ても生命は死ねない」

 リュングヴィの声のトーンが、少しだけ下がった。

「なぜだかわかるか?」

 すると、奴は石造りの大きな箱から降り、この水面のような床に立った。

「この空間では、時間が無いからだ」

「時間が無い…? どういうことだ?」

「時間とは、形あるものが緩やかに死へと向かうために用意された、いわば道標のようなものだ。生から死へ……一つの直結した道を、物質が外さないようにするためにな」

「……ここには、そういった物質が無いって言うのか? じゃあ、そこらにある遺跡や、その大きな石の箱とかはなんなんだ?」

 僕は辺りを指差した。天井もないのに並んでいる支柱。それぞれ、5〜8メートル間隔できれいに並べられていた。

「これらは、お前のために用意された風景さ。この空間は、選ばれた者の心情、あるいは心の内の風景を具現化する場所だ。目に見えるとはいえ、決して壊れることの無いものだ」

 いまいち、よくわからないんだが……。

 そんな僕を無視し、奴は言葉を続けた。

「俺は長い間、この空間の中を彷徨っていた」

 リュングヴィは僕に背を向け、上空を見つめた。

「10000年前……肉体が死滅し、俺は穢れなき幼子たちが眠る地には行けず、この異空間で彷徨い続けた。それもこれも、〈新の器〉と融合するため……完璧なる〈生命〉となるため。セヴェス、お前こそ俺が求め続けていた俺の〈器〉そのものだ」

 くるっと振り向き、僕を指差した。

「……古の神々から与えられた、全てを滅する力。星と生命の命運、それらを左右させることができる唯一の存在……」

「……それが『調停者』のことか?」

 リュングヴィはニヤッと笑った。

「そのとおり」

「じゃあ……リュングヴィ、お前は……『調停者』だったのか?」

 そう訊ねると、奴は笑みを消した。少しだけ間を開け、奴は言った。

「……一万年以上も昔の話だ。あの頃の俺は、レイディアントにおける最初の調停者であり、尚且つ不完全だった」

「不完全……?」

 目を瞑り、奴は小さく顔を振る。

「半分しか俺は俺として成り立っていなかった。そして、俺は〈肉体〉の檻に囚われ、己の為すべきことを理解していながら実行しようとしていなかった」

「…………?」

 言葉の真意を理解していない僕を、奴は鋭い眼光で見据えた。

「わからないか? 俺はリュングヴィ――奴そのものではない」

「それって……」

 その時、何かが僕の心に語りかけた。







 ――カイン――







「お前は……カインじゃ……ない…………?」

 自分の心に従わず、何らかの声が出るのと同時にリュングヴィはニヤリとした。

「カイン、か。……そう、あいつはそういう名前だったな」

 クククと、奴は笑い始めた。

「……お前は一体、何者だ!」

 僕はキッと奴を睨んだ。それに気づいても、奴は笑みを崩さなかった。



「俺はリュングヴィ……奴が憎しみと怒りと哀しみ、その全てに支配された時、分離した思念体……とでも言えようか」



 驚きを隠せない。カインだと思っていた奴は、カイン――リュングヴィと名乗った人間ではない。

「お前はリュングヴィじゃないのか……!」

「そうさ。一万年前、リュングヴィ――カインはあることが原因で、己の精神が破壊されていた。まだ〈カイン〉だった頃に受けた大量投薬と、巨大な喪失感、調停者であるが故の絶大な力による精神不安定…………カインの心は、混迷に混迷を極めていた」

 誰かの声が囁く。



 カイン――



 彼は、ただの人間だった。だが、ただの人間であることを許さなかった者たちいより、その運命を呪うことになり……破滅へと突き進んでしまった。

 誰かが……囁く。哀しい調を奏でながら……。

「そして肉体が死滅する間際……奴と俺は完全に解離した。奴自身の魂はすでに遠い彼方へ消え去り、俺は残留思念としてリーヴェに遺された」

「残留思念だって……?」

「俺は奴の怒りの炎。燃え盛る紅蓮の憤怒そのもの」

 一瞬、奴の体が紅く光る。

「……だから、僕を求めていた。己の肉体と……依り代となるべき者と融合し、己の至高目的を果たすために……」

 そう言うと、リュングヴィは拍手をしだした。

「よくわかっているじゃないか。それもこれも、お前の内にいる朽ちていった者の鎮魂歌レクイエムか……」

 鎮魂歌レクイエム――遠い昔、無念を遺して逝ってしまった者たちの悲痛の言霊。

「俺の存在理由は――大いなるの意志に則り、全てを滅すること。そのために、セヴェス……貴様と融合せねばならない」

 鮮血のような、朱色のような艶やかな瞳は、僕を見つめている。

「全てを滅するだと? そんなことが大いなる意志……そのものだとでもいうのか?」

「そのとおり。我らが〈母〉のな……」

 そう言って、リュングヴィは星空を見上げた。

「……たとえそうであったとしても、僕たちはそんなことを望んじゃいない」

「はたしてそうかな? 樹たちはなぜ滅ぼそうとしているのだと思う?」

「…………」

「奴らも知っているからだよ……。我らの〈母〉が何を望んでいるのか……そして、何を夢見ているのかをな」

「自殺願望とでも言うのか? 違うね。僕たちは滅ぶことなんて望んでない。ただ、普通に明日を生きたいだけだ」

 すると、奴は鼻で笑った。

「そんなものはヒトのくだらん願望だ。命が命をむさぼり続ける。……この悪循環、いつまで続けるつもりだ?」

 眉を曲げ、奴はため息を漏らす。

「遠い昔から交わされていた約束なんだよ。そのために、調停者という存在はこの世に生まれたのだからな……」

 僕はそれを認めまいと、首を振った。

「そんなの、認めない。僕たちに与えられたこの力が、全てを破壊するためだけに存在しているだなんて思いたくない。だったら、どうしてバルドルの『創造の力』が存在しているんだ? ……そういった『力』があるのは、全ての未来を切り拓くために存在しているんじゃないのか? 新しい命を育む時に感じる、愛おしい心……そういったものを護るために存在しているんだろ?」

 言葉が溢れる。まるで、昔っから知っているかのようだった。



「未来、か……」



 フッと、彼は笑った。

「お前も知っているんじゃないのか? ……この世界、レイディアントが歩んだ先にあるのが何なのか………」

 この世界の未来……樹たちは言っていた。この世界は未来で、逃れられない死を迎えると。

「この世界は死ぬ。逃れられぬ〈運命〉だ。どうせ滅びるというのなら、俺は完全なる生命となってやる。そして……滅びる運命にあるこの星を、殺してやる」

 リュングヴィは拳を高く上げた。一瞬だけ、いつかのステファンの姿が重なる。

「……そんなことのために、僕にしたように……他の調停者をたぶらかしていたのか?」

「たぶらかす? ……あぁ、なるほどな。たしかに、俺はかつての調停者たちに語りかけてきたさ。何度も……何度もな」

「樹をあんな風にしたのも、全てはお前のせいか!!?」

 僕は怒声を上げていた。それを、奴は馬鹿にするかのような笑い声で返し始めた。

「ハハハ……勘違いするな。たしかに、俺はお前にしたのと同じように樹に語りかけた。だが、失敗だった。それは、奴が〈完璧なる器〉ではなかったからだ。全ての調停者になり得る者は俺が消えない限り、俺という存在に〈リンク〉できるようになっている。それのシンクロ率が高いほど、器となり得る存在なのだ。……かつての調停者であるユリウス、アイオーン……奴らもいい器ではあったが、完璧にシンクロはできなかった。所詮、奴らはできそこないなんだよ……」

 当時を思い出したのか、口元を押さえて奴は笑っている。

「……お前は神々の血を受け継ぐ者たちの中でも、最も純粋な存在だ。さすが〈傾いた男〉と〈聖なる光神の巫女〉の息子だ」

 リュングヴィの声は少しずつ、大きくなっていっている。興奮して来ているのかもしれない。

「………? それは………」

 聖地カナンへ初めて来た時、こいつはそんなことを言っていた。僕は、その2人の間に生まれた存在なんだって。

「貴様の父は調停者の権利は持っていないものの、〈ロキ〉の血を濃く受け継いでいた。そして、貴様たちの母リリスは永遠の巫女――『聖焔の巫女』だった。調停者に近い存在と巫女の中でも強力な力を持つ者同士が交わった時、新たな調停者が生まれる……」

 リリス……? 僕と樹の母親、か。顔さえ、思い出すことができない。

「……予想通り、お前たちは他の血族とは違う遺伝子構造を持って生まれてきた。特に、お前は俺と同等――あるいは、それ以上の存在」

「まったく同じ……〈聖魔〉ということか?」

「聖魔は光にも闇にも成り得るもの。お前は傾いた男の息子であるために傾いている。……ロキになる確率の方が高いんだよ」

「じゃあ……樹は違うのか? あいつも、同じ血を受け継いでいるんだぞ?」

「同じ実がなる木にも、うまい実がなるものがあれば、まずい実がなるものもある。あいつはイレギュラーなんだよ。つまり、失敗作だ」

 僕はムッとした。

「失敗作だと? あいつは、誰かに作られた人間じゃない。そういう言い方をするな!」

「……すべての生命は運命という一つの道上に立たされ、それをただひたすら歩いているだけなのだ。樹は〈失敗〉という運命の下に生まれた存在なのさ。お前とは出来が違う。いくら〈ロキ〉を支配しているとはいえ、結局は調停者でありながらお前と時を同じくして生まれたが為、その権利を得ることができない存在だ。お前と一緒にしてはならない」

 失敗だと……?

いくら思想や理想が違えたとはいえ、自分の弟を〈失敗〉呼ばわりされるのは、なんとも言えない怒りを呼び起こさせる。怒りで小さく震える僕を見ず、リュングヴィは続けた。

「……古の記憶に埋もれていった神々だけが持ち得る〈権利〉を手にした唯一無二の存在……『調停者』」

 リュングヴィは再び、僕と目線を合わせた。



「東空……いや、セヴェス=ヴェルエス。一つになる時が来た」



 僕は首を振った。

「お前の言う〈一つになる〉というのは、僕がお前に飲み込まれ、〈ロキ〉として覚醒するということか?」

「……そのとおりだ。この星もろとも全てを破壊するには、〈闇の調停者〉として覚醒しなければならない。俺だけでは無理だが、お前が俺の不足な部分を補うことにより、覚醒することができる。お前は……この俺のために生まれてきたんだよ……」

「違う。僕は僕だ。誰かに用意され、誰かのための器なんかじゃない。そんなの、認めない」

 リュングヴィは顔を左右に振った。

「認めろ。お前は、大いなる意志の下に運命(さだめ)られた生を与えられた人間……。お前が俺の一部となるのは、逃げることのできない運命なんだよ……」

「僕が認めると思うか? 大いなる意志に運命られていただと? 馬鹿にするな。僕の運命は、僕が作り得るものだ。誰かに用意され、機械のようにそれに従って進むわけじゃないんだ。僕の意志は、僕のためにある。お前らなんかに、作られた意志なんかじゃない!」

 自分の意志は、自分の意志で決定されたものなんだ。僕は力いっぱい、リュングヴィに言ってやった。だが、やつも負けじと張り詰めた声で返してきた。

「なぜ認めない? ヒトは……いや、全ての生命が、己の生きる理由も生きる価値も見出せない、惰弱で未完成な存在であり、大いなる意志によって敷かれたレールを進むしかない。自らの運命に抗っているようで、そうするように仕向けられているのだ。あたかも、自分の意志でその道を歩んでいるように見せてな。そのレールを歩くことにより、生命は満ち足りた存在に成り得るのだ。自らの意志では結局、途中で諦め、惨めで情けない存在へと成り下がる。お前の世界にもいただろう? 人生というものに失敗し、社会から見放された者たちを。あれらは自らの運命を受け入れず、無駄に抗ったが故に、ああなったのだ。お前も、そうなりたいというのか?」

「そうなることが自分の運命だ! 抗って、戦って、失敗してしまうのも、自分が創った未来の一つなんだ。何かに、決められていたものじゃない。どうしてそれを、運命さだめられていたものだと決め付けるんだ!?」

「俺自身がそうだったからだ! 聖地カナンを見ただろう? あそこで、人間の叡智の歴史が始まった。魔法という、とんでもないものが開発され、多くの人間が実験台にされた。地上が瘴気から脱出し、人類が地下から這い出ても、その実験は続けられた」

 リュングヴィは、大きく歯ぎしりしていた。

「……そうか……お前……いや、カインは実験体にさせられていたんだな?」

 奴は、なずきもせず、再び僕に背を向けた。

「……かつて、俺の〈主〉は地下帝都カナンで悲惨な実験を受けさせられていた。それは肉体的、精神的苦痛だった。言っただろう? 薬物投与だと。長い間薬漬けにさせられていたせいで、奴の精神は〈俺〉という存在を生み出した」

 そして、僕の方に向き直った。

「奴と同じであった頃、友とともに全ての世界を掌握せんがために地上へ出た。そして、世界を支配した。……それは、遠い昔から俺たちに与えられていた責務であり、〈誓約〉だったのだ」

「…………」

「死にも勝るこの地での長い時間……あれらの苦しみは、最終的な地点へ至るための、試練だったのだ。世界を支配するという運命の過程の中に、そういった苦痛があったのだ。運命は一つの終着点へ向かわせるために、俺たちにあのような試練を与えたのだ」

「……それは、絶対に違う」

 僕は顔を左右に振り続けた。

「お前は、自分の苦しい時間の中で運命を呪ったと言ったな? あれは、抗おうとする意志じゃないのか? それに、お前がこの地下王国から脱出できたのは、お前が自分自身の未来を、もっとすばらしいものにしようとして、自分で考え、決心したことじゃないのか? そうやって創り上げた自分の道を……どうして、与えられた運命だと決め付けるんだ!?」

「貴様に、何がわかる?」

「わかるもんか! 僕は、お前と違ってありふれ、それでいて幸せな家庭の中で育った。お前の苦しみなんて、まったく理解することはできない。けれど……それが、与えられたものだとは、思えない。僕があそこで生きて来たのは、父さんや母さんが努力をし、僕たちを愛し、大切に育ててきたからこそ、僕はそういう道を歩んでこられたんだ。……大切な何かを育むために、人は努力する。その過程の中で、他の命もまた、幸せな道を歩むんだ」

「ならば、生まれた時から苦しみを背負わされる生を受けた命はどうなんだ? あれも、開かれた未来の一つだとでも言うのか!?」

「……それは、わからない。けれど、お前が苦しみから脱却しようとしたのは、お前の切実な意志によるものだろ? 自分の意志で地下王国を脱出し、そしてあくなき挑戦で、自分の未来を切り開いたんだ。……そりゃ、最初からハンデを背負わされた人間もいるだろうさ。だからって、理不尽な運命だと決め付けるのは、自分が弱いからだ!」

「弱い……?」

 奴は鮮血の眼差しで、僕を睨みつけた。

「自分の不幸は、定められていたんだって決め付けるのは、弱いものの証さ。いわば、言い訳のようなものだ」

「ならば、自分のせいだとでも言うのか? 生まれた時からハンデを背負うのは、己のせいだとでも言うのか!?」

 カインの憤怒そのものであるリュングヴィは、目を見開き、歯ぎしりをしながら前へ一歩出た。

「そうじゃない。生まれた時の不幸は、自分ではどうしようもないことさ。けど、そこから未来を切り開かなければならない。やるチャンスはあるんだ。そのチャンスを生かし、未来を切り開く命は限りなく強く、勇ましい。お前が帝国を築き上げたのも、そういうことをしたからなんだ」

 すると、リュングヴィは小さく笑った。

「俺が? 違う。俺は、神によって定められた運命を受け入れ、あの帝国を築き上げた。ただ、流れる落ち葉のように、俺は生きてきただけだ。……俺は、星に選ばれた〈調停者〉だ。物質世界にいる時は不完全だったが、俺は待ち続けた。ただ、運命に身を任せ……。そして、ようやくお前が生まれた。これを、定められた運命と言ってなんと言う!?」

「……僕は、お前のために生まれた存在じゃない!」

「……受け入れろ。誰かは違う誰かのために存在し、その違う誰かもまた、違う誰かのために存在している。そうやって、星の歴史は刻まれてゆくのだ。そう、犠牲によって構築された歴史だ。お前は、その犠牲となる命の一つなんだよ……!」

「なら、僕の意志は何のためにあるって言うんだ! こうして一人で考え、悩み、決意することが何の意味も無いとは思えない! 誰かのために生きているってのは、犠牲になることじゃない! ……僕は、絶対に認めない!!」

 静寂な空間に、僕の声が響き渡る。

 お前の言うとおり、誰かは誰かのために存在しているのかもしれない。

 けど、それは決して屍の上に成り立つものではない。絶対に。





「………話は終わりにしよう」











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