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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆4部:運命に抗いし者ども
57/149

47章:月夜の草原 零れ落ちた夢の雫



 聖都から少し離れた場所に、僕たちはテントを張った。

現在、聖都では聖帝中央庁が崩れ去ったため、大きな混乱が生じている。多くの人々が犠牲となり、さらには政治の中枢・神聖騎士団さえも失い、ソフィア教徒の中心地としての機能を失っていた。

 テントはどこまでも広がるリーベリア平原に張った。このリーベリア平原は、僕が降り立ったルナ平原と並び称されるほどの美しさを誇る。とくに、聖都と聖地があるため、昔から多くの礼拝客や観光客が訪れる。

夜中のためにその美しさを見ることはできないが、満月のおかげで別の美しさを感じることができる。けど、僕にはその美しさを眺める余裕が無かった。

「くそっ! 俺たちはあいつらに利用されてたってのか!」

 ヴァルバはぶつけることのできない怒りを、大声で発散していた。

「……会議場で集結した各国の首脳部たちを皆殺し、か……。これで、奴らの脅威となるものは、取り除かれたということだな……」

 デルゲンは冷静に呟いた。たぶんあの時、最も冷静だったのはデルゲンだ。リサが発動した空間転移魔法は、急速な詠唱破棄によって十分な距離を飛べず、聖帝中央庁の城門までしか行けなかった。デルゲンは慌てふためく僕たちを率先し、危険範囲から脱出させたのだ。

 僕は……シュヴァルツによってあばらが数本折られ、体全体に裂傷、樹による光線で、足の骨などが折れていた。意識を失い、普通ならば死んでいるほど。しかし、〈聖魔の力〉による自然治癒リジェネレイトと、リサの魔法によって僕の傷はほぼ完治し、すでに立って動けるまでになった。


 リサは気を失っている空を看護していた。まるで看護師のように、額に手を置いて体温を測ったり、胸に手を置いたりしている。

「……そう言えば、空ちゃんに何を飲ませたんだ?」

 ヴァルバは僕の隣に立ち、腕を組んでいた。

「……私が飲ませたのは、増魔剤といわれるもの」

「増魔剤?」

 訊ね返すと、彼女は小さくうなずいた。

「ティルナノグ初期に造られたって云われてる薬品。……言うなれば、魔導注入みたいなものよ」

 魔導注入……人体に固形化・液体化させた元素を注入させること。人為的に体内元素を増幅させることができるが、代償もある。

「違うのは、人間の細胞に耐えられ得る元素であるということ」

「……つまり?」

「魔導注入で人体に入る自然元素――それは、生命そのものに順応するようには出来ていないの。けど、ティルナノグ……天空人と呼ばれた人々は、生命に順応できる元素の発明に成功した。それこそが、永遠の巫女が持つ特殊なエレメンタルなの」

 だが、当初、それらのエレメンタルを持つ人間は比較的高い確率で、分子と元素の乖離現象を起こし、死亡したのだという。

「それを防ぐために開発されたのが、増魔剤。自然に乖離していく元素を補充するためのものよ」

 本来、自然に乖離現象を起こす人間はいないし、時が経つにつれて増魔剤そのものを使用することはなくなった。しかし、空の場合は体内元素のほとんどを引き抜かれた状態であるため、これが一番の方法なのだという。

「……じゃあ、もう空は大丈夫なのか?」

 僕がそう言うと、リサはスッと立ち上がり、振り向いた。そこにある神妙な面持ちから、僕は答えを悟った。

 覚悟していた答えを。

「……所詮、人間が作り出した〈理への反逆〉。一時的に命を引き止めることはできるけど、徐々に元素は乖離して……もって、5ヶ月……ううん、4ヶ月程度」

 瞬きをせず、彼女は僕を見ていた。その瞳に、痛みと苦しみ……両方が浮かんでいた。

「そっか……じゃあ、それを過ぎたら……」

 リサは何も言わず、僕から視線をそらした。


 覚悟していた真実。答え。


 わかっていたことだ。受け止めるしかない。

 でも、本当はわかっているんだ。認めたくなくて、リサに詰め寄りたい。大声で叫んで、現実を否定したい。

 ただ、取り乱したくない。それだけなのかもしれない。

「もう……方法はないのか?」

 ヴァルバがそう言うと、リサは俯いてしまった。

「……ごめん。私には……わからないの」

 今まで見てきた、強気のリサの姿はなかった。



「謝らなくていいって」



 僕は顔を振った。それと同時に、彼女は顔を上げた。

「お前が薬を投与しなかったら……空は、死んでいた。お前がいなけりゃ、今頃、空はここにいない」

「……空……」

「お前のおかげで……空はこうして、生きてる。呼吸してる」

 白い毛布の中で、彼女は小さな寝息を立てている。

 僕の見える世界の中で、彼女は生きている。

「……リサのおかげで、こうして……」

 あいつは生きている。それだけで、いいんだ。

 だが、リサの表情は晴れやかではない。再び顔を俯かせた。

「……だけど、私は本当のことを言わなかった。あんたたちに……」

 彼女の瞳は小さく揺れ始めていた。罪の意識が、そこに溜まっている。

「みんなに、本当のことを言っていなかった……。私がインドラの幹部である、シュヴァルツとバルバロッサの……いや、アンナや空ちゃんや……多くの人を苦しめた奴の従妹だってことを……」

「リサ……」

「本当に……ごめんなさい」

 リサは礼儀正しいお辞儀をした。彼女の長い後ろ髪が、ぱさっと音を立て、垂れ下がる。

「だから、お前が謝る必要なんてないって」

 僕は彼女の肩を掴み、起こさせた。

「お前があいつらと従兄妹同士だからって、何か変わるわけじゃないだろ? お前はお前だ。お前は、僕たちの仲間だもんな」

 エメラルドグリーンの瞳は震え、小さな雫をいくつか流し、彼女のほほを伝ってゆく。

「けど、私……私……」

「ソラの言うとおりだ」

 リサはヴァルバに顔を向けた。彼はぼさぼさの頭をかきながら、言った。どこか照れ臭そうに。

「お前が罪の意識に苛まれる必要など、ない。お前はいつだって、俺たちを助けてくれた。俺たちを導いてくれたもんな」

 あごひげをさすりながら、彼はニコッと微笑んだ。

「そうそう、仲間だ。グランディア兄弟の従妹? だからなんだって言うんだ。血縁以外、何の関係も無いだろ?」

「レンド……」

「レンドにしては、いいことを言うな」

 ヴァルバはニヤニヤしながら言った。

「お前な、いちいち言うなっての……」

「ま、レンドはこういうところだけが、取り柄だからな」

「デルゲン! てめぇ!」

「あいたた!! ハハハ、ごめんって」

「謝る気持ちが、まったく感じねぇ!!」

 レンドは、げんこつを何度もデルゲンに食らわしている。

「……リサさん、これからもよろしくお願いしますね」

 アンナは笑顔をリサに向けた。この笑顔で言われると、何でも了承してしまいそうだ。

「アンナ……うん、みんな……本当にありがとう……」

 リサは自分のほほの涙を拭った。それを見たヴァルバが、ニヤニヤし出した。

「なんていうかな〜。やっぱ、あれだな」

「な、何よ?」

 リサはほほを赤くしたまま、ヴァルバを睨んだ。

「女が涙を流してるところは、なんとも言えないかわいさがあるよなぁ。普段とのギャップがあるからか」

「!! う、うるさい!!」

 ハハハー……からかわれると、かわいいなホント。そのうち、キレるだろうけど。

「リサは泣かないと思っていたが……うん、やっぱり、女は女らしくないとな」

「レンド!!」

 リサの素早い蹴りが、レンドの顔に直撃。そのまま、レンドは音を立てて倒れてしまった。

「ぬおおぉ!! あ、頭がぁ!!」

「こなくそこなくそ!!」

 倒れているレンドに追い打ちをかけるように、リサは何度も踏みつけていた。

「…………」

 その場を眺め、僕はこっそりとテントの外へ出て行った。草原を歩いていき、一望できる場所へ行った。



 きれいな満月。



 白いけれど、どこか青っぽく、その淡い光がこの草原へ降り注ぐ。

 草原を駆け巡る、優しい風。2月のため、体を震えさせるのだが……これはこれで好きだったりする。

 空……変わってはいなかった。あまり食事が与えられず、やせ細っているのではないかと懸念したが……外傷らしい外傷もないし、目立ったことはされていないようだった。

 空がさらわれて、約9ヶ月。


 あれから……もう9ヶ月か……。


 空を見つけるまで、9ヶ月もかかったのか。あっという間だと言えばあっという間だが、長かったと言えば……長かった。

 樹が現れて、今まさに宝玉を取り出されそうになっているのに……僕は、何もできなかった。すぐ近くにいたのに。

 強くなったと、思っていたのに。

 満月を見上げ、自分に怒りを覚える。

 リュングヴィという計り知れない力を持っているというのに、それをうまく扱うこともできず、愚かにも暴走し……仲間にも迷惑をかけた。

 ただ、見ることしかできなかった。殺されかけたところを。

 僕は何もしていない。空を助けてくれたのは……リサだ。自分の力では、何もできなかったんだ。

 それが悔しい。

 歯がゆい……。

 いつの間にか、僕は俯いていた。

 後ろで、草を踏む音が聞こえた。振り向くと、そこに立っていたのは……

「……アンナ」

「どうしたんですか? 一人で出ちゃって……」

 少し寒そうに、体を震わしている。

「……ちょっと、考え事だよ」

「そうですか……」

 彼女は悲しげに言って、俯いた。その理由がわからない僕としては、思わず首をかしげてしまった。

 すると、彼女は顔を上げて言った。

「あの……一緒にいても、いいですか?」

 どことなく小さな声。

「……いいけど、寒いぞ? テントに戻った方が……」

「それは、ソラさんも同じですよ」

「……まぁ、そうだな……」

 自分のことを棚に上げて言ったため、思わず夜空を見上げてしまった。

「じゃ、いいですよね」

「あ、あぁ」

 僕は小さくうなずいた。

 アンナは僕の横に来て、草むらに腰を下ろした。

「……きれいな満月ですね」

「そうだな……」

「以前にも、こうして一緒に月を眺めましたよね?」

 港町アルフィナの宿の上で、2人で月が浮かぶ海を眺めたっけ。なんだか、この世界へ来て、月を眺めることが多くなったな……。

「樹さん……聞いていた樹さんとは、まったく雰囲気が違いました……」

「……そうだな」

 僕がアンナに言った「樹」の過去の姿……それとはある意味、次元の違う……いや、別人のようなものだ。

 僕は小さくため息を漏らした。

「樹はさ、昔っから泣き虫で、弱虫で……小さい頃は、犬に吠えられただけで泣くような奴だったんだもんなぁ……」

 転んだだけでも泣いていた、小学低学年の時代。あの頃は、体調が一番芳しくない時だったか。

「すごく優しくて、人の悪口一つ言えない性格でさ。いつも、いつも優しく微笑んでいて……」

 僕とは似ても似つかない、一つ下の弟。勉強とかも、あいつの方が良く出来ていたもんな。

「なのに……」

 過去の姿と、今の姿が交叉する。




「崩れゆくこの世界を眺めながら、空の死を見届けな」




 赤紫――ルビーの瞳で、冷たく僕を蔑んだ。

 小さく微笑むその姿は、あの頃の樹の姿にはなかったもの。

「全ての命を滅ぼす、か……。馬鹿げてるよ、ホントさ……」

「ソラさん……」

「……何が、あいつをあそこまで変えたんだろうな……」

 僕は草原に目をやった。どこからともなく吹く小さな風によって、揺ら揺ら動いている。その向こうにある山々も、神秘的な青黒い輝きを放っている。

「自分の素性、自分の祖先、自分の力……この星の未来。それを、あの頃の樹が知ったからといって、あそこまで人個人の考え方が変わるのか……?」

 どこで覚えたんだろう……凍てついた瞳を。

 たかが数年で、知りえるようなものじゃない。変わるものじゃない。

「あいつは……あんな奴じゃなかった。あんなひどいことを考える奴じゃないんだ」

 再び、夜空を見上げる。寒さのせいか、満月が眩しいせいなのかわからないけれど、僕は目を細めた。

「じゃあ、原因は僕にあるのか? あいつのことを知った気になっていただけで、何も……何も理解していなかったんじゃないのか?」

 いつも優しく微笑んでいた樹。

 でも、あいつには陰りがあった。あの、病室で。




 ――世界が淡いよ――




 一人で、病室の窓から外を見つめる樹の姿を思い出した。

 あいつは……独りだったのか……?



「何もわかっちゃいなかったんだ」



 自然と、僕は顔を小さく振った。

「ソラさん……」

「僕はあいつの兄貴なのに、なんもわかってなかった。あいつはきっと……なんらかのシグナルを鳴らしていたはずなんだ」

 気付いてほしいって、小さな何かを光らせていたはずなんだ。ずっと見ていればわかる、小さな光――危険信号が。

 赤く、小さく、点滅していたはずなんだ。チカチカと。

「全部……全部、あいつのせいなんだ。アンナのお姉さんを殺したのも、他の巫女たちが犠牲になったのも、諸国の人々が会議で殺されたのも! 樹……樹……あいつが、弟のあいつが!!」

 無意識のうちに、声が大きくなっていく。答えるはずの無い夜空に向かって、息を白くしながら僕は続ける。

「どうして、気付いてやれなかったんだよ?  僕は……あいつの兄貴なのに!!」

 こうするほかない。こうするほか、僕は悔しさを……怒りを抑えることができなかった。

 あいつらに対してだけでなく、自分に対しても。

「ソラさんのせいじゃないですよ!」

 一瞬の静寂を切り裂くかのように、少女の声が響く。横にいるアンナは立ち上がり、僕の裾を掴んだ。

「……ソラさんは、まったく関係ないです。さっき、レンドさんが言っていたじゃないですか。〈血縁以外は何の関係も無い〉って」

 彼女はリサと同じエメラルドグリーンの瞳は、強くも小さく潤んでいる。

「樹さんの考え方に……行動に、ソラさん自身が関係したとは思えません!」

「アンナ……」

「……ソラさんは違う。いつだって、私を護ってくれました。アルフィナの町で、あなたは私を励ましてくれた! 幼馴染の空さんを救うために、一人でこの世界に来たじゃないですか!」

 訴えるかのように、彼女は言ってくる。

「だから……そんな、そんな悲しい顔をしないで……!」

 いくつか涙を流しながら、俯いてしまったアンナ。

「…………」

 たしかに、樹とは血の繋がり以外、関係ない。たしかに関係ないんだ。でも……心が付いて行かない。理解しているけど、理解できない。矛盾ばかりが、胸の奥で渦巻いている。

 自分が犯したわけでもないのに、罪の意識を感じる。それは、犯罪を犯してしまった人間の家族の心境に似ているのだろう。

 その時、僕の裾を掴む手が心なしか、震えているように感じた。

「……アンナ?」

 俯いたまま唇を噛みしめ、彼女は体全体を震わしていた。それは寒さのせいだけなのだと、その時は思った。

「私……は」

 唾を飲み込んだのか、彼女の頭が小さく上下する。そして、アンナは顔を上げて僕を見た。





「好きです」





 すでに涙は止まり、流れたそれの跡が、微かにほほに残る程度だった。

 僕の頭の中では、彼女が何を言ったのかを確かめている。

 なんて言った……?

 僕を……

「……ソラさんは悪くない」

 寒さで赤くなっている白いほほを、より一層赤くして彼女は僕を見つめる。

「悪いのは……彼をあそこまで追いつめた誰かです。……あなたは、何も悪くない」

 断言するかのように、彼女は大きく言った。

「それに……」

 一転して、アンナは……哀しくも、訴えかけるような瞳で僕を捉える。

「どんなことがあっても、私はソラさんが好きです。絶対に、それは変わりません」

 裾を掴む手から伝わる震えは、いつの間にか止まっていた。

「いつも、いつも守ってくれる、あなたが……」



「好きなんです」



 震える彼女の瞳。

 僕は……彼女を支えた。護って来た。でも、それは大切な……仲間だから。和樹や啓太郎に美香……そして、修哉がしてくれたように。

「私じゃ、支えれませんか?」

 彼女は僕に一歩、近づいた。

「ちょっ……ア、アンナ……」

 アンナは僕に抱きついた。彼女の細い腕が、僕の背中に回る。

 そのまま、僕とアンナは体を動かさなかった。僕は緊張と驚きで、体が固まってしまっている。

「…………」

 そのまま、時間が過ぎていった。何を言えばいいのかも、どうすればいいのかもわからない。

「ソラさん、私……」

 彼女は小さく微笑んだ。そっと指を伸ばし、細い指先が僕のほほに触れる。

「もっと……触れたい……支えてあげたい」

 僕に触れる指先から伝わる冷たさと一緒に、彼女の想いの温かさが流れ込んでくる。

 これを拒んだら、どうなる?

 だからって、受け入れてどうなる?

 答えなんてとうの昔に悟っているのに、何を悩む必要があるのか。

 僕は彼女の手を握り、そっと下ろした。

「アンナ……僕は……」

 瞬きをせず、大きな瞳で彼女は僕を見つめる。



「おーい! ソラ! どこだぁ!?」



 テントの方角から、レンドの大声が聞こえた。その瞬間、アンナは僕から離れ、何も言わずに数歩下がった。

「どこだぁ!? ソラの馬っっ鹿やろぉぉ!!」

 人を馬鹿呼ばわりして探すって、どうだよ……。まぁ、おかげで上がり過ぎていた心拍数を落ち着かせることができた。

「……レンド! ここだ!!」

 僕は挙手をして、声を上げた。レンドはまだわかっていないのか、視線を四方八方に向けている。僕はもう一度、声を上げた。

「レンド! こっちだって!」

「どっちだぁ!? ……ん? そこか!」

 レンドは僕と目線を合わせた。

「あのな! 空ちゃんが目を覚ましたぞぉ!! 意識を取り戻したんだ! 早く行ってやれ!」

 空が目を覚ました!? 急降下した心拍数が、再び急上昇した。

「わ、わかった!」

 走り出そうとした瞬間、僕は自分の服を引っ張る何かに気付いた。

「……アンナ」

 顔を沈ませ、まるで子供のように僕の服を小さくつまんでいる。

「……ごめんなさい。さっきのことは……忘れてください」

 僕に伝えようとしている言葉を、彼女は足もとの草原に放っている。

 忘れろって言われても……忘れることができるものじゃないよ……。

「早く……行ってあげて下さい」

 絞り出すように、彼女は言う。そこには、さっきまでこもっていた彼女自身の想いが無いように感じた。

「ああ……」

 僕が小さくうなずくと、彼女は指を離した。そして、僕はテントの方へ走って行った。


「……ソラさん………」








 テントへと走って行く最中、僕はとてもドキドキしていた。空の意識が戻った。空が目を開けたんだ。何を話そう。どんなことを話そう。いろいろなことを話したい。今までの旅のこと。途中で寄った町々のこと。そして、僕の仲間のこと。

 なんだか、ワクワクしてきた。話すことが、とても待ち遠しい。あいつの顔を見ながら。あいつの、声を聞きながら……。

 なんか、傍から見ると気持ち悪いな。でも、そんだけ嬉しい。ようやく、あいつの近くにいられるんだから。

 この9ヶ月が、余計に自分の想いを強くしてしまったようだ。

 僕は勢いよく、テントの幕を開いた。テントの片隅に、布団の上で起き上がっている空の姿があった。

 彼女の傍でしゃがんでいるリサと、会話を交わしている。思わず緊張し、体が硬直する。

「ソラ、ほら」

 と、僕の後ろにいたレンドが肩を押す。

 僕は空の近くへ行き、腰を下ろした。

「そ、空……気分はどうだ?」

 空は、あの瞳を僕に向けた。

 空色の瞳。日本人のはずなのに、なぜか黒くない。おじさんもおばさんも黒い瞳なのに。

「空、大丈夫か?」

 そう問いかけると、彼女は小さく頭をかしげる。

「……空?」

 もう一度、名前を呼ぶ。すると、空は何度か瞬きをした。






「……誰……?」






「えっ?」

 僕は言葉を失った。

 いまいち、現状を把握できない僕の脳みそは、もう一度問いかけようという結論を出した。

「そ、空? 僕だ、空だ」

 僕は自分で自分を指差しながら、言葉を放った。それでも、空は何がなんだかわからない様子だった。

「…………?」

 彼女は首をかしげた。その瞳には、僕は映っていない。僕は……そのまま、動けなかった。

「空……お前……」

 少しずつ、現実が戻ってくる。捉えたくない目の前の「光景」を、自分の中に引きずり込みたくない。

「空……あのね、空ちゃんは……」

 リサが何かを言おうとした。それが何を意味するのか、すでに理解している。けど……認めたくない。

「リサ……何も言うな」

 僕は彼女から目をそらした。聞きたくない。現実を聞きたくない。

「空……」

「なんも言うな」

「……空ちゃ――」

「なんも言うなっつっただろ!!!」

 噴き上がるものと同時に、天とを突き抜ける声が轟いた。

「頼むから黙ってくれ! こんな……こんなことがあるか!!!」

 僕は立ち上がり、外へ飛び出した。

「空!」

「ソラ!」

 後ろから、リサとヴァルバの声が聞こえた。それでも僕は振り返らず、さっき行った草むらのところではなく、別の方向へ走った。

 ずっと続く草原を、ただひたすら走った。体にぶつかってくるこの寒さなんて関係ない。僕は何も考えずに走った。どこまでも。

 息が切れてきたところで、僕は走りを止め、ゆっくりと歩き出す。そして、速く呼吸をしながら、空を見上げた。



「……なんでだ?」



 言葉を夜空に放つ。何も返っては来ないのに。

「何が……こうさせた? ただ当たり前でいることを、どうして頑なに否定すんだよ?」

 いるかどうかもわからない「何か」に向かい、問う。それはある意味、自問自答に似たものなのかもしれない。

 すると、後ろから草むらを踏みつけている足の音が聞こえた。

「空!」

 後ろへ振り向くと、同じく息を切らしたリサとヴァルバの姿があった。

「ソラ……」

 ヴァルバも、心配そうに僕を見つめている。

「……なぁ、どうしてだ?」

 僕は2人に問いかけた。

「どうして、空はあんな目に会わなきゃならないんだ?」

「空……」

「どうしてあいつが……どうしてあいつなんだ!! どうして巫女はあいつじゃなきゃダメだったんだ!? どうして……余命宣告をされて、記憶まで失わなきゃならないんだ!? なあ、教えてくれ………どうして、空はあんな目に会わなきゃならないんだ!!」

 何を否定しているのか、僕は顔を左右に振り続けた。

「……苦しむのは、僕だけでいい。リュングヴィっていう凶悪な力に蝕まれるとしても、覚悟はできている。自分の血も……理解している。……けど、空は何も関係ないじゃないか! あいつはガイア生まれの両親の元に生まれ、ガイアで育った。それがなんで、巫女にならなきゃならない! レイディアントとは何も関係が無いのに!!」

 僕はそのまま、草むらへひざまずいた。何かが込み上げてくる。そして、その込み上げてきたものは、僕の目から、草むらへ流れ落ちた。

「なんでだよ……。あいつが苦しまなくていいじゃないか……!」

 僕は顔を上げ、虚空を睨みつけた。

「運命だかなんだか知らないが……あいつが苦しむ必要なんかねぇだろ!? あいつの何もかもを奪う必要なんかあんのか!? ふざけるなァ!!!」

 僕の叫びは、冷気漂う夜空へと吸い込まれてゆく。そして、僕はうなだれ、再び涙を流した。

 泣くしかなかった。叫ぶしかなかった。この現実から……僕は離れてしまいたい。嫌なことを知った瞬間を、すべて忘れてしまいたい。


 樹のことから。

 空のことから。


 それができるならどんなものも捧げてやるとさえ、思ってしまった。

 命が奪われるということは……覚悟していた。けど、まだ生きている。だから、それまでの間、いろいろな話をしたかった。空白の時間を、共に埋めていきたかった。なのに……それさえも奪うというのか! それすらも、許さないというのか……!!



「空!」



 リサの声がし、僕は顔を上げた。その瞬間、彼女の平手打ちが僕のほほに直撃した。そして、僕は草むらへ倒れた。

「この……大バカ野郎!!」

 リサは、怒りの瞳を僕に向けている。

「たしかに、あの子はかわいそうさ! なんで、関係の無いあの子がこんな運命に弄ばれなきゃいけないって思うさ! けどね……」

 彼女は首を振った。

「そこで……あんたが泣き叫んじゃ、いけないんだよ!!」

 そう叫ぶと、彼女は僕の上に馬乗りし、胸倉を掴んだ。

「なんであんたが泣くんだよ! なんであんたが悲しむんだよ!?」

 僕の体を引っ張ったり押したりして、彼女は言い続ける。

「悲惨な現実からあの子を支えれるのは……あんたしかいないだろ!!? いや、あんたじゃなきゃダメなんだよ!!!」

 彼女の瞳に、涙がたまっていた。それを零さないようにしているのか、言葉を止めようとしない。

「支えてやらなきゃならない奴が、そうやって文句を言って泣き叫んで……! 1番悲しいのは、空ちゃんなんだよ!?」



「んなの……わかってる……!」



 彼女の顔が、すぐ近くにある。歯を食いしばり、彼女は僕を睨む。それにうろたえることなく、僕は言った。

「お前に言われなくてもわかってんだよ! 僕は……あいつを支えたい。記憶を失っているとしても、あいつを支えなきゃならない。そうやるしかないって……」

 それしかない。自分にできるのは、それしかない。けど……

「だからって……どうすりゃいいんだよ!? こんな現実を突き付けられて、知りたくもない真実を知って!!」

 脳裏に、蔑むかのような瞳で見つめる、樹が浮かぶ。

 死んだと思っていた弟が、大切な人を……自分がかつて好意を寄せた人を、殺そうとした。

 躊躇いもなく。

「……僕がここまで来たのは、こんな真実を知ることなんかじゃない……空を救うことだったんだよ!! なのに……なのに!!」

 本当はわかってる。わかってはいるが、心が付いていけない。僕のつたない脳みそは理解してるって言うのに……。



「わかってんなら泣くな!」



 乾いた音が、響く。

 彼女は思いっきり僕のほほを叩いたのだ。

「わかってんのに、なんで泣くんだよ! なんで叫ぶんだよ! どうして、今、自分ができることを考えようとしないんだよ!!」

 彼女の強烈な往復ビンタが炸裂する。僕の頭は、左右へ揺らされる。

 その時、小さな雫が目元に降って来た。それとほぼ同時に、彼女のビンタの速度が落ちていく。

「あんたが……やんなきゃなんないんだろ……!? 本当のことを知って、世界を護るって決めたんだろ……!」

「……リサ……」

 まぶたを強く閉ざし、涙を止めようとするも溢れ出て、僕の顔に落ちていく。僕をビンタする力も、もはや当てるだけになってきていた。

「途中で止めんな……! 何もできないまま、終わろうとするな! あんたが……空がやんなきゃなんないんだ……!」

 リサは体を震わしていた。

 声は小さくなろうとも、彼女の思いは強くなる一方だった。

「だから……泣かないでよ……! 私は……私は……!!」

 それ以上の言葉を放つのを止め……いや、泣き声を押し殺そうとするあまり、言葉が出なくなっていた。

「泣く……なよ……空……そら…………!!」

 彼女の長い髪が垂れ下がり、僕にかかる。涙が僕の唇に到達し、彼女の平手で切れた個所が染みる。心にも。

「……リサ……」

 僕は仰向けのまま、彼女の頭を抱き寄せた。

「……ごめん……ありがとうな」

「う……ぅ……」

 まだ震えている彼女は、僕に顔を見せようとしない。

「本当に……ありがとう」

 泣きじゃくる彼女の背中をゆっくりさすりながら、僕は言った。


 泣いている場合じゃない。

 運命を呪っている暇なんてない。


 僕は彼女をどかせて立ち上がり、手を差し伸べた。

「ほら……もう、泣くなよ」

「……あんたの……せいでしょうが……!」

 そう言いつつも、彼女は僕の手を取って立ち上がった。そこには、涙でボロボロの顔でありながらも、僕を強く見つめる双眸があった。

 僕は、うなずいた。

「……抗う。どんなに嫌でも、逃げたくても、抗うよ。それが、知ろうって決意したことなんだから」

 この運命を変えたい。いや、この悲惨な現実から、希望を見出したい。

 起きたことを悔やんでも、今は変わらない。

「空……」

 彼女は、ようやく笑顔になってくれた。さっきの泣き顔といい、この笑顔といい……どうして、リサは多くのことに気付かせてくれるのだろうか。彼女としては、当り前のことしか言っていないのだろうけど。

 ……わかっていることなのに、どうして人ってのは大事なところで、それを忘れてしまうんだろうな……。



「運命に抗う、か」



 何も言わずに見つめていたヴァルバが、呟くかのように言った。

「自分が信じたことを為せばいい。たとえ全てに裏切られ、全てに憎まれようと、お前が正義だと決めたことを為せばいい」

 夜空を見上げ、ヴァルバは続ける。

「ユグドラシルを……樹たちを倒そう、ソラ」

 彼はゆっくりと、僕に視線を向けた。碧い瞳が、満月の光を受けて小さく輝いていた。

「奴らを野放しにしておけば、奴らの望む理想が現実になる。それは、お前が望んだことでも、空ちゃんが望んでいることでもない。彼女は、そういう子なんだろ?」

「…………」

 僕は何も言わず、うなずいた。

「……俺たちが望んでいるのは、何もかもが消し去られた未来なんかじゃない。平凡な未来あしたなんだ。……空ちゃんや、リノアンのような犠牲者はこれ以上、出しちゃならない……」

 彼の言葉には、哀しみが含められていた。

 これ以上の犠牲は必要ない……そう、これ以上、無意味に命が奪われる必要性なんてない。

 僕は拳を握りしめ、自分の目の前に持ってきた。


「僕は決めたんだ。何のために真実を知ろうとしたのか……真実を知って、何をしようとしたのか」


 それは空を救うこと。それは、レイディアントを護ること。

 握り締める拳に、力を入れた。

「……運命の神様が僕たちを怨んでるってなら、勝手に怨めばいい。滅ぼそうとしてんなら、好きにすりゃいい」

 僕は「あの時」と同じように、そこにいもしない「何か」を睨みつけた。

「けど、それを易々と受け入れる僕たちじゃない。お前らが望んだようにはさせない。僕たちは……自分たちの夢を見続けてやるさ! 死ぬまで、抗ってやる! そして、空も……世界も救ってみせる!!」

 へへーんとした顔で、僕は「そこ」を見る。

 こんなところで、挫けてたまるか。僕たちは独りじゃない。独りじゃないから、つまずいても立ち上がれるのさ。

「空……うん、そうだよ」

 リサは大きくうなずいた。

「まだ私たちは知らないだけで、空ちゃんを救える術はあるかもしれない。諦めちゃ、いけないんだ!」

「リサ……ああ、そうだな。悲観的に考えるより、プラス思考でいかないとな」

 何にしても、そう言えるような気がする。僕は時折、ネガティブになりがち。そうなると、マイナス方面へと進んでしまう。それでは、気が病んでしまうってものだ。

「ハハハ、ソラらしくなってきたな」

 腕を組み、ヴァルバは笑った。

「よし、こうなったらとことんやってやろうぜ! 俺たちが目指す〈夢の形〉は、まだまだ先だからな」

 夢の形。それこそ、僕たちが望んだ未来あした

 彼の言葉に、僕とリサはうなずいた。その時――



 


「その想いは本当かな?」





 聞き覚えのある、誰かの声が聞こえた。僕たちは一斉に横を向いた。そこには、淡く白い光に包まれたクロノスさんが立っていた。

「クロノスさん……」

「久しぶりだね、空。そして……リサ」

「…………」

 リサは小さくうなずいた。

「君たちの決意、聴かせてもらった。……盗み聞きのような形になってしまったがね」

 クロノスさんはニコッと笑った。そして、あの紺碧の瞳を向けた。

「空、君の幼馴染を助ける方法、あるにはある」

「ほ……本当ですか!?」

 思わず、すぐに問い返した。

「奴らがすべての宝玉を得たとはいえ、まだ聖杯の覚醒は行わないはずだ。なぜなら、まだ〈聖玉〉が見付かっていないからだ」

「〈聖玉〉?」

 ヴァルバが言った。そういえば、以前クロノスさんが言っていた。ロキの封印を解く、3つの鍵。その一つが〈聖玉〉。

「〈聖玉〉は天空帝都の眠る浮遊大陸の、ある場所に封印されている。その時まで、〈聖杯〉は覚醒させない。あれは、〈聖玉〉が無いと機能しないからな」

「つまり……天空帝都が復活しても、見付かるまでまだ余裕があるということですか?」

「そうだ」

 と、クロノスさんはうなずいた。

「だが……それが、空ちゃんの命を救うことと、どういう関係が……?」

 たしかに、ヴァルバの言うとおりだ。

「簡単なことさ。奪われた宝玉を、彼女の体に戻せばよいのだ」

 少し微笑みながら、クロノスさんは続けた。

「そもそも、乖離現象はエレメンタル不足で引き起こされるものだ。取られたものを取り返せば、元に戻る。機械と同じだ」

 そっか……動力を失った機械には、同じ動力を与えれば動くようになる。

「じゃあ、樹たちに追いつけば……空は助かる……!」

「ええ! やっぱり、どうにかなるんだよ!」

 僕とリサは顔を合わし、笑顔になった。

 希望が湧いてきた。やっぱり……空は救えるんだ!


「楽観するのは早い」


 すると、クロノスさんはゆっくりと僕たちに歩み寄って来た。

「……今のお前たちでは、彼らを止めることはできないだろう」

 さっきまでの微笑とは違い、厳格な表情に変っていた。それが、厳しい現実なのだということを物語っている。

「樹……いや、シャルフィル=ヴェルエス。彼もまた、お前と同じカイン――リュングヴィの力を持っている、唯一無二の存在。しかも、すでに〈覚醒〉を果たしている」

「覚醒を……」

 暴走状態とは違い、自分の中に在る余りある力を、己の意思で操れる。あいつは、そういう存在になっているんだ。

「全ての生命と、星……そして次元そのものに関わることのできる、神々の決定権を持った存在――『調停者』。樹は、調停者として世界を滅ぼそうとしている」

 調停者……



 聴こえる。心の中から、言霊が届く。

 生命を超越せし、次元の支配者。



 それこそが――調停者。



「そして、シュヴァルツとバルバロッサ。あの双子も、ラグナロクの歴史始まって以来の最強の戦士。それはリサ、君が1番理解しているだろう?」

 リサはゆっくりとうなずいた。

「……あいつらは、私とは持って生まれた体格と才能が違う。天に与えられた才によって、一子相伝のラグナ流格闘術を極めし者。……しかも、あの2人が連携して攻撃してくると……その戦闘力は、数倍に跳ね上がると思う」

「たしかに、ヴァルカン――シュヴァルツは、神聖騎士団の中でも群を抜いた能力の持ち主だったと聞くしな」

 ヴァルバはため息をついた。敵は、果てしなく大きい。それは、想像以上だった。

「つまり……空、お前はリュングヴィを屈服させなければならない」

 クロノスさんの言葉に、僕は顔を上げた。

「そして〈覚醒〉を果たさなければ、奴らと戦うことなど、できはしない。……お前の決意、先ほど聞かせてもらった。あれに、偽りは無いな?」

 その問いに対する答えなんて、決まってる。

 僕は首を振った。

「ありません。僕は抗いますよ、とことん」

「それが、実の弟を殺すとしてもか?」

 弟……

 その言葉に、一瞬だけ心が揺らぐ。でも、わかってる。大丈夫だ。

「……相手がどんな奴だろうと……いや、違うな」

 そういうことではない。そうではない気がする。

「僕はあいつの兄として、一人の人間として、奴らの計画を阻止します。もう迷いません。たとえ、あいつをこの手で殺すことになっても」

「ふむ……」

 クロノスさんは瞬きをせず、僕を見ている。僕も同じように、クロノスさんを見つめた。

目線をそらしてはならない。この人は、人の意志をはかることができる人だから。



「……わかった。ならば、カナンへ行くがいい」



「えっ?」

 その時、僕の中で何かがざわつく。溶岩が溢れるかのように、僕の深淵から噴き上がる。

「う……あっ……!!!」

 僕の体が光り出し、「何か」が表面化した。それは――

「ソ、ソラ? どうし――」

「空じゃないよ」

 リサはヴァルバの声を遮った。彼女の瞳には、警戒心が映っている。なぜ、僕に向けているのか。その理由など、すぐに理解できた。






「勘がいいな、巫女」






「お前は……」

 ヴァルバは目を見開いていた。

「そんだけ大げさに出てくれば、誰だってわかるわよ」

 リサはため息混じれに言った。


 そう――これは、リュングヴィだ。


「久しぶりに物質世界に具現化したが……なるほど、あれだけ暴走した割には、損傷はないな」

 僕の体を乗っ取った奴は、自分の体となった肉体を見回す。僕の体は地面から離れ、光を薄く纏ったまま小さく浮かんでいた。

「巫女……貴様のおかげで、この貧弱な肉体は愚かにも強靭となり、精神の基盤も鋼鉄のように固くなった。……これで、俺の器となり得たってわけだ……」

 奴はニヤッと微笑み、リサを睨んだ。

「お前の中にいる、『穢れた女』と『聖なる女』の力だな……」

「…………?」

 リサは意味がわからず、小さく首をかしげていた。それを見て、奴はクククと笑い始めた。

「お前は自分が何かもわからぬ、愚かな少女。……このセヴェスと同じようにな」

「うるさい! あんたには関係ないだろ!!」

 リサは怒声を張り上げた。

「ふん、まぁいい……いずれ、その時が来るだろうしな……」

「…………」

 リュングヴィは嘲笑するかのように、鼻で笑った。

「……セヴェス、聴こえるか? 俺と決着を付けたいようだな……」

 突然、奴は夜空を見上げながら呟いた。



 ――ああ、そのつもりだ!!

 お前を倒し……僕は、僕となる!! 



「ククク……いいだろう。ならば、もう一度、聖地へ赴くがいい。あらゆる愛憎の集いし『聖域』の果てで、貴様の器を食い破ってやる!」

 奴は「僕の声」で、おぞましい言葉を吐いた。すると、再び身体が白く光り始め、離散した。それと同時に、ぼやけていた風景がくっきりし、僕がそこに立っていた。




 ――聖地カナン――




 そこで、決着を付ける。僕が僕であるために。

「……どうやら、行くべき場所がわかったようだな」

 静観していたクロノスさんは言った。

「では……健闘を祈るよ」

 そう言って、クロノスさんは背を向け、足元に魔方陣を出現させた。空間転移の魔法で、光に包まれながら、どこかへと消えて行った。






「聖地カナン……か」

 僕は、聖都の方に顔を向けた。聖都の中心にあった巨大な塔――聖帝中央庁は、跡形もなく崩れ落ちている。

「あそこは地下だから、無事だとは思うが……」

 あれだけの崩落だ。衝撃で、何が起きているのか予測できない。

「大丈夫よ。あそこは、古代の技術で造られた地都。あの程度じゃ、壊れないわよ」

 リサは腕を組みながら言った。

「あそこで……僕がどうなるかが決まるんだな」

 そう呟くと、二人は僕に顔を向けた。

「……明朝、行こう」

 二人はうなずいた。




 僕が僕であるため。

 僕が、僕として生き続けるため。

 自分が望んだ夢を見続けるために……




 樹。

 お前を好きにはさせない。


 お前を、この手で殺すことになっても。








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