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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆4部:運命に抗いし者ども
56/149

46章:カナンの聖塔 星の宿命という名の下に



 目線の先には月の光が届いておらず、暗い。

 この広間の奥には4メートルほどの段差があり、その上にトンネルみたいなものがある。その トンネルの、入り口の部分までしか月光は届いていない。どうやら、声の主はそのトンネルの中――影の部分にいる。

 僕たち全員が、その先を見つめていた。

「予測通り、来たのは君たちか」

 若々しい声。この声に、聞き覚えがある。

「この声……あなたは……!」





「――教皇!?」





 ヴァルバが叫んだ。

 そう、この声の主は……ソフィア教皇クピト1世だ!

「そのとおり」

 答えを待っていたかのように、あの声が聞こえる。

「ほ、本当に……猊下なんですか?」

 未だに信じられぬ僕は、自信の無い声で言った。


「ええ、そうですよ。僕こそ、ウラノス――ユグドラシルさ」


「そん……な……!!」

 教皇は初めて謁見した時のように、優しい声で言った。

 まさか……本当に教皇が、あの……ユグドラシルだなんて……!!

「教皇……貴様が、ユグドラシルだったのか!」

 ヴァルバの声は静かだが、怒りに震えている。




「そうやで」




 違う場所から、違う男性の声がした。広間の右奥の隅、月光の当たらぬ場所から一人の男性の姿が現れた。藍色のウェーブがかった髪に、首には金色のリング。Vネックのような黒い服と、黒いズボン。


 あの人は――


「ヴァ、ヴァルカンさん!!」

守護天使ガーディアン……きさまもか……!」

 教皇親衛隊のヴァルカンさん……いつもニコニコしていたあの笑顔で、あそこに立っている。

「まったく、待ちくたびれたでぇホンマ。お前らが、ホリンみたいな雑魚にてこずっとるからや」

 ヴァルカンさんは腕を組み、小さくため息を漏らしていた。そして左手を小さく揺らし始めた。

「ホリンもホリンやで。目をかけて強うさせたゆうに……糞の役にも立たへんかったか」

「……死んだ奴を侮辱するな!!」

 込み上げた激情のまま、怒声を放った。だが、ヴァルカンさんは首をかしげて言った。

「カッカすんなや。そもそも、ホリンはお前の敵やったんやで? なんで怒んねん? 理解できひんわ」

 呆れたように言葉を放ち、彼はあの細い目で僕を見据えた。 

「……せやけど、ただの小僧風情がよくここまで来れたな。褒めたるわ」

「何……?」

 ヴァルカンさんはその微笑のまま、小さく拍手をし始めた。



「予想以上だった?」



 リサがそう言うと、ヴァルカンさんの拍手が止まった。微笑みを消し、細い目で彼女を捉える。

「……久しぶりやな……リサ――だったか、今は」

「……そうね」

「? ……リサ、知り合いだっ――」

 隣にいる彼女の顔を見た瞬間、僕は目を見開いた。

 彼女は、怒りの形相だった。歯を食いしばり、今にも唇から血が出てきそうだった。それは、今まで見てきた彼女の姿ではなかった。

「何が守護天使ガーディアンだ……何が、神聖騎士団のヴァルカンだ……!!」

 床へ、彼女は吐き捨てるかのように言った。そして、顔を上げて奴を……睨みつけた。その双眸には、燃え盛る憎悪の意思が宿っていた。









「――シュヴァルツ!!!」









「えっ――?」

 ヴァルカンさんが……シュヴァルツ……?

 あの……空を、さらった……

「ハハハ、何を戸惑っとんねん」

 ヴァルカンさん――シュヴァルツは笑い始めた。

 あの笑みこそ、畏怖されし……鬼神の微笑み。

 あの体格、あの筋肉。そして、今まさに解き放たれた――どす黒い雰囲気。これこそ……あいつの……シュヴァルツの……!!

「改めて自己紹介させてもらおうか」

 と、シュヴァルツは笑顔で一歩前に進んだ。

 本当に……シュヴァルツか? 僕が見てきたあいつは、あんな口調じゃないし、あんな声でもない。一体、どういうことだ……!?

「ワイの名はシュヴァルツ=グランディア――」

 そう言い、奴は左手にはめている黒い手袋を外し、手の甲をさらした。そこには――紅い魔方陣のような紋章が刻まれている。



「――ラグナロクの人間や」



「ラグナロクだと!?」

 ヴァルバは思いがけず、叫んだ。

 あいつも、リサと同じラグナロクの一族なのか!?

「どや? すごいやろ〜。ワイも、お前らがリサと呼んどる女と同じ一族なんやで?」

 笑顔で手を広げ、陽気に奴は言った。

「なんで知り合いなんか……教えてやったらどうや? ……『リリーナ』。まだゆーてへんのやろ?」

 その言葉と共に、僕たちはリサの方に顔を向けた。彼女はさっきまでの憎悪の瞳を消し、静かにシュヴァルツを見つめていた。

「……そう、私は……」

 彼女は自分の服を掴み、胸元を出した。そこには――









「私の名は、リリーナ=グランディア……あいつらの従妹さ」









 奴と同じ、紅い魔方陣のような紋章。あれこそが、グランディアという家の……証!?

「そうだった……んですか? リサさん……」

 アンナは震える声で、言った。

「…………」

 リサは唇を噛みしめながら、再びシュヴァルツを睨んだ。

「シュヴァルツ……あんたが、空ちゃんをさらったんだろ?」

 その言葉に、僕はリサに対する一瞬の疑念を吹き飛ばされた。

「そうだ……シュヴァルツ、お前が……!」

 僕は怒りが湧いてきた。

 この男が空を……海を、僕たちを狂わせた人間!

「まぁ待てや」

 僕の苛立ちとは対照的に、奴は笑顔で僕を見る。

「お前の彼女をさらったのはワイやない。それに、お前におうたのは、聖都での時が初めてや」

「あれがお前じゃなくて、誰だって言うんだ!!?」

 僕は声を荒げた。もう、落ち着いてなんかいられない。



「――そうか」



 リサは前へ進み出した。

「空ちゃんをさらったのは……巫女たちをさらっていたのは、あんたじゃなく……バルバロッサの仕業だったのか……!」

 その言葉が終わるのと同時に、シュヴァルツはニヤリと微笑んだ。

 その時、もう一人の人間の足音が聞こえた。今度は、広間の左奥だ。一斉に、そこへ視線が向く。



「ようやくわかったか」



 暗い影から出てきたのは――

 ……!?

「リリーナの言うとおりや」

 そこにいたのは、声も、体格も、顔も……シュヴァルツと同じ人間……!! 違うのは、首元まである黒いタイツに、黒いぶかぶかのズボン。そして、藍色の髪の毛を後ろで束ねていることだけ。

「バルバロッサ……あんたが……!!」

 リサは歯ぎしりと共に、その名を呼んだ。

「リリーナ、ワイはな、シュヴァルツとして行動してたんや」

「シュヴァルツとして……?」

 リサは頭をかしげた。

「そんなことをする必要は無いはず……」


「正体がばれないようにするためさ」


 その時、教皇の口が開いた。未だ、あの暗い影の中にいる。

「僕たちは影で行動をしてきた。……その姿を、あまり出すことはしたくない。だが、資金と調査の問題で、クテシフォン公爵ステファンと協力せざるを得なかった」

「せやけど、奴は諸国の情勢に詳しい。もちろん、ソフィア教皇の片腕――ヴァルカンのことも知っとる。特徴的な口調も、顔もな」

 左のバルバロッサが言った。

守護天使ガーディアンがインドラ……そこまで、あの屑公爵が知る必要はない。知れば、余計な事をしかねなかったからな」

 教皇の言葉の意味、よくわかる。インドラの幹部だということがばれれば、奴は脅してくる。それを餌にして……

「ど、どうして、シュヴァルツが2人いるんですか……?」

 震えるような声で、アンナが言った。それを聞いたバルバロッサは、二コッと微笑んだ。

「教えたろうか? お嬢ちゃん」

 そして、奴は右手の甲を僕たちに見えるように突き出した。









「ワイの名はバルバロッサ=グランディア。シュヴァルツの双子の兄や」









 右手の甲には――紅い魔方陣の紋章!!

「双子だと……!?」

守護天使ガーディアン最強の戦士が……!」

 レンドとデルゲンは、驚きを隠せなかった。

「小僧、久しぶりやな」

 バルバロッサは僕を眺めながら、不敵な笑みを浮かべていた。

「ガイアでおうたのが……9ヶ月前かいの? ん? あかんな、最近もの忘れがひどいわぁ〜」

「カカカ、ボケとんちゃうの?」

「この歳でボケたらショックやわ〜」

 シュヴァルツとバルバロッサは、同じ笑い声で笑い始めた。

 あいつが……空をさらった張本人? だけど……

「お前……声が……?」

 そう、あの時と声が違う。もっと暗く、深い声だった。ずぶ濡れのセーターのような、重い声なはずなのに。

「声? ハハハ、その程度、ワイにかかりゃ簡単なもんやわ。ほら、こんな風にな……」

「!!?」

 バルバロッサは喉に指を当て、声色を出して見せた。この声は……あの時と同じだ! あいつは、たったあれだけのことで、僕を騙して……!

「ワイらが醸し出す雰囲気を変えることができるゆーても、まったく気付かへんって、お前ホンマ……アホちゃう?」

 バルバロッサは僕を指差し、下品な笑い声を響かせた。僕は、握り締める剣の鍔に力を入れた。悔しい。気付かなかった自分が悔しい……!


「んなのはどーでもええんや」


 と、バルバロッサは笑いを止めた。

「小僧、お前は気付かへんのか?」

「えっ?」

 僕はシュヴァルツの方へ向き直った。すると、シュヴァルツは近くにあった階段を上り始めた。その階段は、あのトンネルのある場所――ユグドラシルが立っている台場へ繋がっている。

「……何をだ?」

「カカカ……どんくさいやっちゃやでぇ」

 今度は、左から声がした。バルバロッサも階段を上り始めていた。そして、2人はユグドラシルを挟むように立ち並んだ。しかし、ユグドラシルだけがまだトンネルの奥にいて、顔が見えない。

「お前は、自分が誰か……そんで、どういう血族なんかもすでに知っとんのやろ?」

 自分のこと……それは……

「破滅の調停者――カイン=ウラノス。あの血を受け継ぎし、ティルナノグ皇室。その直系者……アイオーンの子孫である、教皇家の人間やということを知っとるんやろ?」

「……だから、なんだっていうんだ?」

 そう言うと、二人は鼻で僕を笑った。

「そこまで気付いておきながら理解できないとは……やれやれ、とんだ馬鹿だな」

 再び、教皇の声がトンネルの奥から聞こえた。僕はその方向を睨みつけた。

「見えないところから言ってんじゃねぇ! 姿を見せろ!!」

 満月の浮かぶ夜空に、僕の声が響く。

「……まったく……声を聞いてもさっぱりなようだ」

 教皇は小さく笑ったように感じた。

「声……?」

 そういえば……教皇の――ユグドラシルの声を初めて聞いた時、言い表せない違和感を感じた。



 ……違和感?



 いや、違う。違和感じゃない。これは……

「しょうがないな」

 ユグドラシルの足音が、どんどん近付いてくる。そして、ようやく足が見える範囲まで出てきた。白いズボン……スーツだろうか? そこで、再び立ち止まった。

「まぁ……わからないのも無理はないのかもな」

 影に隠れていても、奴がため息を漏らしたのがわかる。

「どういう……ことだ?」

 奴は何も言わず、足を進め始めた。少しずつ、少しずつ、彼の体が見えてきた。月光が徐々に上がっていき、奴の膝、奴の腰、奴が着ている白いスーツ。そして、奴の…………




「っ………ぁ…………!!!!」




 僕は、言葉を失った。

 全て止まる。

 震えることも、瞬きをすることも、呼吸することさえも、忘れてしまったかのようだった。

「な―――……ん……で…………!」

 そこには、見覚えのある姿があった。

「よく、ここまで来たね……セヴェス=ヴェルエス――いや、そう呼ぶべきではないな。こう呼ぶべきだな」

 奴は微笑み、小さく言った。




「――――ん」




 ゆっくりと言葉を放ったあいつの声を、逃すことは無かった。

 あいつの口の動きを、見逃さなかった。

 聞き逃せば……現実を知らなくてもよかったのに。

 あんな、苦しみを覚えることも無かったのに。




 でも、言葉が漏れる。

 認めたくないのに。












「――――樹――――」











 僕は無意識のうちに、言葉を放った。

 懐かしい名を。


 僕の…………弟の名を。



「樹? それは、たしか……」

「ソラさんの弟さんの名前……?」

 ヴァルバとアンナは顔を合わし、その名を呼ぶ。

 樹と思われる青年は、僕に目線を合わせた。この瞳に見覚えがある。


 赤紫――ルビーのような瞳。


 以前とは違う。でも、知っている。



 あれは……樹。

 4年近く前に死んだはずの――弟。



「もう一度言ってやるよ」

 あの頃とは違う、大人びた声であいつは言った。



「僕はクピト1世――ユグドラシルだ」



 インドラの頭領だと、奴は言った。

 体が、震える。

 恐怖とか、そういうものじゃない。

 信じたくないんだ。現実を……

「久しぶりだね、兄さん」

 樹はあの懐かしい微笑みを向ける。大人びたその顔は、当時の幼さを思い浮かばせる。

「な……んで、お前が…………お前、が……!!」

 僕は顔を振る。現実を否定したい。否定して、何もかも忘れてしまいたい。

「あれから約4年、か」

 ふーと息を吐き、彼は上空にある満月を見上げた。

「月日が経つのは、意外と早いものだな……」

 優しい瞳はうろたえる僕を見つめて、疑念を浮かべた。

「まだ信じられないのか? 4年近くも経てば、成長もするけど…ホラ、よく見てみろよ。あなたの弟、樹……東樹(アズマ イツキ)だ」

「そん、な…………」

 あいつが……ウラノス――ユグドラシル……!

 嘘だ……嘘だ……!!



「空の弟――樹、か。あんたが、ユグドラシル……ふん、〈樹〉と伝説の大樹を掛け合わせるとはね……」

 リサは大して驚いた様子も見せず、腕を組んだ。そんな彼女を、樹はルビーの瞳で見つめる。

「……リリーナ、貴様でさえわからなかったようだな。東空の弟が教皇、そしてインドラの頭領だってことをさ」

「…………」

 樹はにこやかに言った。そして、彼は再び僕に顔を向けた。

「ここまで、なかなか楽しい旅路だったんじゃないのか? 兄さん」

 兄さん。

 成長した声で、僕を呼ぶ。呼ばれる度に、呼吸が荒くなっていく。

「どうだい? レイディアントは。僕たちが育った世界には無かった、多くのものが存在している、美しい世界だろ?」

 変わらぬ微笑み。

 その微笑みは、幼き頃から僕を捉えていた。あの頃と違うのは、一片の温もりさえ感じられぬものだということ。

「青い世界――ガイア。あそこは、ヒトによって穢された世界。歩むべき道を違えた、愚かな次元。……そう、あれはイレギュラーなんだよ」

 まるで演説者のように、樹はしゃべっている。

「この世界とはあまりにも違い過ぎている。そうは思わないか? 兄さん……」

 台場から僕たちを見下ろしているその様は、どこぞの権力者のようだった。温かい視線などない。どこで覚えたのか知らない――冷たい視線。

 その時、リサが一歩前に出た。

「ユグドラシル……いや、東樹。あんたは……4年近く前に交通事故で死んだ――はずでしょ? どうして、生きてるの?」

 リサは一番の疑問をぶつけた。樹は、頭をかしげた。

「……交通事故で死亡? まさか、それを未だに信じていたのか?」

 樹は目を細め、嘲笑うかのようにクククと笑う。

「死体も無いのに、どうして死亡扱いなんだ? どうして、生きているんじゃないかと想像しなかった?」

「そ、それは……」

 あの状況で……生きているとは、思わない……思えない……

「ククク……生きていると仮定すれば、聖魔の力を持つ兄さんの弟であり、先々代教皇の息子である僕が教皇ではないかと、考えられたかもしれないのに、さ」

 口元を手で隠し、樹は笑っている。

「考えてもみろよ。僕が『死んだ』頃とソフィアでクーデターが起きた頃……同じだろ?」


「!!!」


 樹が死んだのが約4年前……ソフィアでのクーデターも、4年前……!!

「ハハハハ! お前たちは、本当に馬鹿だな。ヒントがあったのに、何一つ気付かないなんてさ」

「馬鹿馬鹿……連呼してんじゃねぇ!!」

 その時、レンドは怒りの形相で叫んだ。だが、樹はそれに冷たい目で見下ろしていた。

「フッ……お前には話していない。単細胞は黙ってな」

「な、何!!?」

「レンド、落ち着け」

 デルゲンはレンドの肩を掴み、小さくうなずいた。レンドは、何も言わずに前を向いた。

「へぇ、この状況で冷静だなんて……海賊如きの中にも、お前みたいな奴がいるとはな」

 樹は小さな拍手をデルゲンに送り始めた。

 その時、あいつは僕のことを思い出したのか、再び僕に視線を向けた。それと同時に、僕は無意識のうちに口を動かしていた。



「どうしてだ?」



 ようやく出てきた言葉は、震えている。

「お前は……なんで、インドラなんかを結成したんだ……?」

「………………」

 彼は何の反応も示さず、瞬きもせず、僕を見ている。

「どうして……空を……」

 僕の中に、どうすることもできない激情が浮かんできた。それは――怒り。

「どうして、あいつをさらうような真似をしたんだ!! どうして、あいつらを傷つけたんだ!!?」

 僕は顔を上げて叫んだ。

「あいつらは……空と海は、お前の大事な幼馴染だろ!? なんでこんな……こんなことをしたんだ!!」

あの優しかった樹が……こんなことをするなんて信じられなかった。いつも優しく微笑み、いつだって周囲の人たちのことを気にかけていた。

 あいつが、空と海を傷つけた。そして、世界を滅ぼそうとしている。わけのわからない真実の中で、僕は未だもがいていた。

「なんとか言え! 樹!!!」

 〈樹〉。その名に反応したのか、彼のまぶたが少しだけ動いた。



「……星が誕生して数十億年」



 彼は満月を仰ぎ、呟いた。

「人類が誕生して数百万年……その中で、どれだけの命が奪われたか」

 目を瞑り、静かに言葉を放っている。

「数え切れないほどの虐殺……殺し合い、憎み合い……。とことん、堕ちるところまで堕ちた――」

 そして、彼は僕たちに顔を向けた。ルビー色の双眸が、僕たちを睨みつけている。

「それがヒトだ。間違いなんだよ、ここまで穢れてるのは……」

「だから、お前が神に代わって天罰を与えるとでも言うのか?」

 その時、僕の後ろにいるヴァルバが、前に出て樹の言葉を遮った。

「そうだとしたら、驕りが過ぎてるんじゃないのか?」

 ヴァルバの怒りにも似た声が、この広間に響く。しかし、樹はそれを鼻で笑った。

「違うな。そもそも、驕りが過ぎるのは〈存在するすべての人間〉だ。多くの動物や植物を管理し、自分たちにとって都合のよいように作る。遺伝子操作なども行い、新種の生命まで誕生させた。まるで、自分たちが生命の統制主であるかのようにな」

「それはガイアでの話だろ! たしかに、あそこでは自分たちのために研究だと言って、生物を弄んでいる。……だけど、それはレイディアントを滅ぼそうとする理由にはならない!!」

 僕は叫んだが、樹はそれを不敵な笑みで吹き飛ばす。

「……元は同じ世界。いずれ、同じような文明を築き上げる。それはある意味、人類が必ず歩む道なんだよ。あちらの世界での『星の遺産』がどこにあるのかわからない今、こちらの世界を滅ぼす方が手っ取り早いんだよ。ガイアの文明レベルなら、放っておいても近い将来に滅びるからな」

「手っ取り早いだと……? 世界の……全ての命を握っているのは、貴様らだというのか? お前らは、神にでもなったつもりか!?」

 今度のヴァルバは、思わず怒声を上げていた。

「僕が神になったつもりだというのなら、存在する人間全ても神になったつもりなんだよ。もちろん、そうだと気付いている奴はほとんどいないがな。……それに、僕たちがやっていることは表面上たいして変わりはしないからね」

 樹は微笑を浮かべながら横髪をいじった。彼は横髪だけが、胸に到達するくらいの長さだった。

「人を憎んでいるのなら、なぜ俺たち人類と同じようなことをする!!?」

「同じじゃない。人類の馬鹿げた妄想の果てにある現実と、僕たちが目指す果てには、あらゆる憎悪がその楔から解き放たれ、癒される。履き違えるな」

「貴様……! 履き違えているのは、お前たちだろうが!!」

 抑えられなくなった怒りの言葉を、樹は小さく笑いながら受け止めていた。

「声を荒げるなよ。落ち着いて話をすることもできないほど、お前は馬鹿なのか?」

「この……貴様ァ……!!」

 わなわなと震える、ヴァルバの拳。今にも、血が滲み出そうなほどだった。

「ヴァルバさん、堪えて……」

 アンナがすぐさま、ヴァルバの震える手を押さえる。

「ぐっ……!」

 アンナの言葉で、ヴァルバは深呼吸をして、落ち着きを取り戻した。

「ヴァルバ、確かにお前の言う通りかもしれない。だがな、よく考えろ。なぜ理不尽に生命は傷つけられ、星は汚されるのか。……貴様ならわかるんじゃないのか? 多くの喪失を経験してきたお前なら、さ」

 その言葉を、ヴァルバは受け止めてはいなかった。床へ顔を俯かせ、悲痛な面持ちだったのだ。

「……人が弱いからだ。そうだとしか……」

 ヴァルバは小さな声で言った。


「人が弱いとか、そんなんやない」


 関西弁の声――シュヴァルツが言った。

「この星の上に、命があるからや」

 今度は、バルバロッサだ。

「命……?」

 樹はうなずき、続けた。

「命ある限り、この星は食い物にされ、同時に命は傷つけあう。その中に、人類のように生命の統制主であるかの如く暴虐の限りを尽くすものも出てくるのは、ある意味、自然の摂理と言える」

 そして、彼は右手を掲げた。

「さて、そこから導き出される結論とは何かわかるか?」

「…………」

 誰も答えなかった。答えようとしなかった。……わからないけれど、とても恐ろしいというのは容易に想像できた。

 誰も言おうとしないことを想定していたのか、あるいは代わりにと思ったのか、樹は――言ってはならない答えを放った。




「全ての生命を根絶させる。それが結論だ」




 背筋を、冷たい感触がよぎった。

「なん……だって……?」

 全ての生命を滅ぼす……だと!?

「お、お前、何を考えてんだ!!?」

 恐ろしさ、そして驚愕のあまり、僕は叫んでしまった。

「お前らは知らんやろ? この星の未来を」

 シュヴァルツは睨みつけるかのように言った。

「星の未来……だと?」

「……数千年を経た遥かなる未来に、この星は滅びる。逃れようのない死を迎えるんや。それはなぜか?」

「人類によって、この星は滅びる」

「えっ……?」

 バルバロッサが続くように言った。

「愚かな人類……くだらない理想という名の妄想の果てに、己らの世界ごとこの星を……ワイらの『母』を殺すんや」

 奴の目――リサと同じエメラルドグリーンの双眸が激しく、猛々しくも静かに、憤怒で燃えていた。

 この星を、人間が滅ぼす? まさか、そんなことが……

「……もし、そうだとしても……他の生命を殺す必要が、どこにある!? 無駄に血を流させるつもりか!?」

 樹たちに向かって、大声を放った。樹は、再び目を閉じた。

「無駄? 無駄じゃないね。言ったろ? 僕たちが目指す先……全てのものが癒されると」

「癒される……!? そんな殺戮の果てに、何が残るって言うんだ!? 何も……何も残らないじゃないか!!」

「残るよ。星が」

 即答だった。同じ質問をするなと言わんばかりに、樹は僕を蔑んでいた。

「人類ほど醜悪で、破壊衝動に駆られた生命なんていない。だろ?」

「……信じられないのか? 信じるに値しないってのか?」

 ヴァルバの言葉に、樹はニコリと微笑んだ。シュヴァルツ――いや、バルバロッサが見せていたような、冷たい微笑を……

「違うのか? ヴァルバ=ダレイオス。お前はよく知ってるはずさ。お前は」

「…………」

 ヴァルバは口をつぐみ、ただ樹を見ていた。

「いいか? 生命ある限り、人間のような劣悪種が生まれてくる。だからこそ、人類は『神々の鉄槌』が落ちても尚、こうして生き延びているんだ」

「…………?」

 その言葉の意味がわからない。



 ――神々の鉄槌――



 あれ……?

 なんだ? 今の感覚は……

「もう遥か昔の話さ。気が遠くなるほど、ずっと昔」

 そして、樹は僕を見据えた。

「兄さん、あなたも何度か見たはずだ。その直前の光景を」

「直前の光景……?」

 そんなもの、見た覚えは……

 意味を理解していない僕を見て、樹は小さくため息を漏らした。

「……覚えていないのも無理はない、か。……まぁいい、話を元に戻そう」

 そう言って、彼は一度手をパンと叩いた。

「僕が言いたいのはさ、結局のところ人類は一度滅んでおきながら、再び隆盛の時代を手に入れたってことだ。無数の犠牲と、星の痛みによってな」

「…………」

「どうしてそうなったのか……生命は死に絶えていなかったからだ。生命の中から再び人は育まれ、全てを愛そうとする星によって、今日に至る。……わかるだろ? 人間という生命が生まれないようにするために、全ての生命を根絶させる。それしか方法はない」

 樹はきっぱりと断言した。強固な意志……それが垣間見えた気がした。けど……考え方が……飛躍している。いや、し過ぎている。

「全てを束ねる負の連鎖を断ち切るには……大いなる破壊と殺戮が必要だ。何も生み出せないよう、無に還すのさ。そうすれば、この星が傷付けられることは永遠に無くなる」

 そんなひどいことを……どうして考え付くというんだ……?

 心の中が、暗転する。昔の記憶が、グニャグニャに捻じ曲げられている。

 虫一匹、殺すことさえできなかったあの樹が……



 あの場で、全てを殺すと言っている。



「どうして……そういう方法を選ぶんだ?」

 そう言わざるを得ない。それしか、出て来なかった。

「どうして、最もひどい方法を選び取るんだ!」

「……知っているはずだよ、兄さんは」

「えっ……?」

 彼は目を瞑り、少しだけ微笑んでいた。

「兄さんは……ずっと、護ってきた。自分の大切なもの、全てを」

 僕が……護ってきた?

「空と海……そして、僕を」

 想い出を語るかのように続ける樹。

「それと同じなんだよ。結局さ」

「同じ……?」



「僕はこの星を護る。この星の未来を……護る」



 この星を護るために……全ての命を殺すっていうのか……?

 違う! そんなの、絶対に違う!

「護るためなら、何もかもぶっ壊してもいいっていうのか!? それは違うだろ!」

「違っているのは兄さんだよ」

「!!?」

 彼は小さく頭を振った。

「絶対的な摂理……何かを得るには、それと同等の犠牲が要る。星という巨大な生命体を救うには、それに住まう全ての生命の犠牲が必要なんだよ」

「そんなの間違ってる! なんで、もっと考えないんだ! もっと、他の方法があるかもしれないだろ!?」

 僕が叫ぶと、シュヴァルツとバルバロッサは笑い出した。

「カッカッカ。小僧、お前は本当に甘ちゃんやなぁ。あほかっちゅーねん」

「んなきれいごと、ゆうとる場合やあらへんのや」

「きれいごとだと!?」

 僕はキッと2人を睨んだ。

「きれいごとの何が悪い! そういった方法の方が、誰しもが平和に過ごせることだってあるだろうが!!」

「あほか。んなの、とうの昔から知っちょるわぃ」

「まったく……話にならないな」

 樹はわざとなのか、大きくため息をついた。

「兄さん、あなたの言っていることは所詮、理想論だ。その理想論を叶えられた人間がいると思うか? きれいごとは、叶えられない。その途中であきらめるか……もしくは、朽ち果てるのが関の山さ」

「くっ……!」

 僕は言い返せなかった。歯を噛み締め、ギリギリと音がする。

 その時、リサが僕を守るかのように手を前に差し出した。



「あんたたちは、楽な道を選び取ったんだろ?」



「……楽な道?」

 樹は首をかしげた。

「そうさ。万物は、創るよりも壊すことのほうが簡単だからね。あんたらは手っ取り早く、理想を実現しようとしている。最善な方法を行い、時間をかけて理想を実現することをあきらめたってことだ。……それを楽な道と言わずに、なんて言うのさ?」

「なるほど、御尤もだ」

 樹は不気味な笑顔を浮かべてながら、リサの話を聞いている。

「あんたたちは、ただ星を救いたいんじゃなく、星を食い物にする存在が許されないだけだ。……〈星を救う〉っていう大義名分を掲げ、憎んでいる存在を消し去りたいだけなんだ!」

 リサは今まで見た中で、最も声を荒げていた。許すことができない……その気持ちが、伝わってくる。

「……ふーん、なるほどね」

 樹の態度は、まるで母親が子供の愚痴を聞いている様子だった。

「リリーナ………かつて、この星の未来を救おうと、太古の人間と戦った存在がいたじゃないか。それを知っていて、そんなことを言っているのか?」

「……え?」

 リサは頭をかしげた。

「まさか……知らないのか? ハハハハ!」

 樹は笑い出した。同時に、シュヴァルツとバルバロッサも笑い始めた。

「なんや、リリーナ……お前、知らんのかいな?」

「何……何のこと?」

 彼女は戸惑いを隠せない。

「ハハハ……知らないなら、知る必要は無い。なぜなら、そいつの理想は兄さんと同じようなものだったからだ」

 僕と同じ考え……そんな人が?

「その男は……最も犠牲が少なく、最も星と生命を癒すことのできる方法を求め、戦った。だが……男は結局その理想を実現することはできず、逆に世界を2つに分けてしまったんだよ。星を癒すどころか、さらに次元の混沌を深めてしまったのさ」

「!!!」

 まさか……その人こそが、ガイアとレイディアント……一つの世界を二つに分けたっていうのか!?

「人の仕業だったのね……!」

「何だ、そんなことまで知らずにここまで来たのか? まったく……無知なのもほどほどにして欲しいな」

 ム、ムカつく……。樹って、この4年近くの間でかなりひどいもんになってるな……。

「僕が言いたいのは、結局きれいごとでは……いや、お前たちが理想とする最善な方法では、星は救えない。救えなかったんだ。この星を滅亡の未来から解き放つには、僕たちの理想でしか実現できないんだよ………」

 樹は僕たちに背中を向けた。上半身の白いスーツが、月光に当たって青っぽく見える。

「さて、話は尽きた。そろそろ、ディナーショーといこうか」

「お前ら……何をするつもりだ!?」

 レンドは怒りで震え、叫んだ。

「レンド……だったっけ? 君は、あまりしゃべらないほうがいい。……命が惜しいならな」

 彼は振り向かないまま、言い続ける。

「さもなくば……ブリアンのように、死ぬことになるぞ?」

「なっ……!!?」

 ブリアンのように……!?

 その時、レンドの双眸が見開いていたのは言うまでもない。

「て、てめぇ……! やっぱり、てめぇらの仕業か!!」

 レンドの怒声に、バルバロッサは笑った。

「たしか……ブリアン=カシュフォードやったかの? あいつは『緑風の巫女』をさらった現場を見とったからな……」

「たしか、シュレジエンの王女やったか? 緑風の巫女は」

「あーそうそう、それや」

 と、シュヴァルツは思い出したかのように手を叩いた。

 シュレジエンの王女? シュレジエンには、王子しかいなかったんじゃあ……

「待て、シュレジエンには王女はいない! どういうことだ!?」

 デルゲンが声を荒げた。

「知らんかったんか? ラーナ女王には、王女しかおらんかったはずなんやけどな」

「なんだと……!?」

「ブリアンは、その場を目撃した。あの頃は、まだインドラの存在を明かすべき時ではなかったからな」

「……口封じのために、ブリアンを殺したってわけね」

「そのとおり」

 樹はくるっと、僕たちの方に向き直った。その顔には、笑みが浮かんでいた。最早、レンドは怒りを抑えることができなかったのか、腰のベルトに付けてあった斧を取り出した。



「うあああぁ!!!」



 そして、彼は怒りの赴くまま、奴らの方へ走って行った。

「よせ! レンド!!」

 デルゲンは止めようとしたが、遅かった。

「しゃーないなぁ……ワイがやったろか」

「いいよ、シュヴァルツ。僕がやろう」

 レンドは段差の上にいる樹を目掛け、持っていた数本のナイフを投げつけた。しかし、樹は微動だにしない。このままでは、当たってしまう。

 すると、樹は掌を広げてた。



「――消えろ、パニッシュ」



 一瞬の間に、円形の光が出現し、ナイフはそれに当たると消えて無くなってしまった。

「何!?」


「――ゼロ」


 樹はそう呟くと、彼の掌から巨大な赤紫のレーザー光線が飛び出した。あれは……僕と同じものか!?

 光線は一瞬にしてレンドを襲った。

「ぐわぁぁー!!」

 そのまま、レンドは壁に叩きつけられた。崩れていくレンガと共に、レンドは埋もれて行く。

「ぐっ……は……!」

「レンド!!」

 デルゲンがレンドもの元へ駆け寄る。僕もそこへ行った……しかし、彼の意識はすでにもうろうとしていた。服は破け、焼けただれたような傷や、裂傷などがある。

「樹!!」

 僕は樹を睨んだ。樹は……冷たい微笑を僕たちに向けていた。

 あいつは……ためらいも無く、レンドを殺そうとした……!

「くだらないことでいちいち怒るなよ……。あなたはまだ覚醒していないんだから、暴走するだけだぞ?」

「樹……お前……!」

「まぁいい。ディナーショーを開始しようか。……バルバロッサ、連れて来い」

「あいよ〜」

 バルバロッサは陽気な返事をし、トンネルの奥へ入って行った。

「何を……するつもりだ?」

 そう言うと、樹は僕に笑顔を向けた。

「兄さんが喜ぶことと、悲しむこと……両方だよ」

 意味をまったく理解できなかった。ただ、この時の樹の笑顔が、とても不気味だったことを……後の僕はよく覚えている。

「連れて来たで〜」

 再び、バルバロッサの陽気な声が聞こえた。月の光で彼の姿が見え、そして、彼が連れて来ている人間の姿も……ようやく、見えた。





「――空?」





 言葉が漏れた。

 あれは……空なのか?

 一度見ただけでは、僕は信じられなかった。


 彼女は後ろで両手を縛られていて、腕を掴んでいるバルバロッサの手を離そうと、もがいていた。

「離して!」

 空の声……

 彼女の声が、こんなにも懐かしく感じるなんて……ほんの、9ヶ月しか離れていなかったのに。

 僕は自分の中に沸々と湧き上がる想いによって震える体を何とか抑えつけ、もう一度、彼女の名を呼ぶ。今度は、彼女に届くように。


「空!」


 僕の声が、この空間に響き渡る。空はそれに気が付くと、抗っている行動を止め、声がした方へ顔を向けた。ゆっくりと首が回り、瞳が僕を捉える。



「そ、空……?」



 そう言って、彼女はもがくのを止め、動かなくなった。しばらく、沈黙が流れた。

「空なの……?」

 その沈黙は、彼女が僕の名を呼ぶことによって引き裂かれた。

「本当に……空なの?」

「ああ、僕だ……空だ!」

 なんて表現すればいいのだろうか。わけのわからないくらい……理解できないほど喜びが込み上げる。今までの辛さ、苦しみが、水泡に帰すかのようだった。

「来てくれた……本当に、来て……くれ……!」

 彼女は想いを抑えられず、あの懐かしい――空色の瞳から、多くの雫を落とし始めた。





「感動の対面はここまでだ」





「!!」

 その時、僕は現実に引き戻された。今、この場には……奴らがいるということを。

「兄さん、忘れてはいないか? 僕が、何のために空をさらったのか」

「…………!」

 あの真実が、頭の中をよぎる。


 ――永遠の巫女。


 あいつら……!!

「そうそう。空ちゃんは、ここで死んでもらわなあかんのや」

 シュヴァルツの陽気な笑い声が聞こえた。その声の奥に、闇の淵のような殺意を感じる。いや、殺意ではない。僕が感じる恐怖だ。命そのものを、なんとも思っていないんだ。

「や、止めろ! 空に手を出すな!!」

 僕は叫んだ。ダメだと、心の底ではわかっているのに。

 あいつらは止めない。犠牲をいとわないのだから。

「空の元素の結晶――『宝玉』を取り出すことによって、『聖杯グラール』は完成する」

 すると、バルバロッサは樹の前に空を突き出した。

「……樹……」

 空は顔を上げ、樹を見つめた。

「さて、覚悟はできたか? 空」

 樹は、空にもあの冷たい笑顔を見せる。

「どうして……どうしてなの? 樹……」

「…………」

 彼女は小さく頭を振る。未だ信じられないのは、彼女も一緒だった。そんな彼女を、樹は無表情で見つめる。

「あなたは、そんな人じゃなかった……そんな人じゃ……なかったじゃない!」

 空は泣きながら叫んだ。

 すると、樹はクスクスと笑い始めた。僕たちは理解できなかった。

「何が……おかしいの?」

 そして、彼はようやく笑いを止めた。

「どうして、か。お前には関係ないことだ……」

 まるで玩具を見るかのように、樹は空を見る。


 あいつは……樹?

 違う……あれは、樹なんかじゃない……!


「樹……私は……私たちは、いつだって一緒だったじゃない。あなたがいなくなって、死んだと思ってて、私も海も……空も、みんなも……すごく悲しんだ。それだけ、あなたを愛していたのよ? どうして、それがわからないの? あなたなら……簡単に気づくことでしょ? どうして、目を背けようとするの?」

 疑問しか浮かばない。僕も空も、昔のあいつしか知らない。


 なぜ? どうして?

 それしかない。


「何を勘違いしている?」

 彼は、彼女に向けたこともない……いや、向けるはずもない瞳を向けた。

 あいつは――空を睨みつけたんだ。

「4年前、お前が見てきたいつもの樹は死んだんだよ」

「……!!」



「僕は……ユグドラシル――シャルフィル=ヴェルエスだ」



「……いつ、き……?」

 彼女の体が大きく震える。恐怖と、真実に打ちひしがれて。

「どうして……そんな考え方をするの? ねぇ、どうして?」

「それは、お前が知るべきことじゃない。どうせお前は、ここで死ぬんだからな……」

 すると、樹の右手が光り始めた。

「樹!! やめろ!!」

「うるさいな……黙って見ていろ。あんたでは、どうしようもできないんだからさ」

 彼は僕を虫を見るが如く、吐き捨てた。

「くっ……樹ィーー!!!」

 僕は走り出した。それと同時に、剣を引き抜いた。リュングヴィの力を、出せるだけ出すんだ! そして、空を取り戻す!!

「やれやれ……シュヴァルツ、相手してやれ」

「あいよ」

 シュヴァルツは台場から下へ飛び降り、首を右や後ろへと回した。準備体操のつもりだ。

「小僧の力がどないなもんか……見させてもらおうやんけ」

 さらに、指の骨を鳴らし始めた。

 不気味な威圧感が漂う。いつもの僕なら、足を止めて慎重に行くのだが……今は、そうできなかった。怒りだけが、今の僕を支配していた。

 その時、僕の中で力が大きく膨れ上がった。



 ――馬鹿が……消え去るつもりか――



 リュングヴィの声が聴こえる。だが……

「るっせぇ! 引っ込んでろ!!」

 僕は叫んだ。


 うるさい! 邪魔だ!!

 空のためなら……少しくらい……!!



 ――愚かな末裔だ――

 ――シリウスの野郎も浮かばれんな――



「ダメ! 空!!」

 リサの声が後ろから響く。しかし、僕の心にはとどいてはいなかった。

「はああぁぁ!!!」

 僕はシュヴァルツに剣を振り下ろした。しかし、シュヴァルツは動こうとしなかった。



 ガキィィ!!



「なっ……!?」

 僕の剣は、シュヴァルツの手で止められていた。そう、素手で。

「う、嘘だろ……!!?」

「なんや、こんなもんか?」

 シュヴァルツは大きくため息をついた。そして、にこやかな笑顔から、鬼も退く、冷たい顔に変化した。

 鬼神の微笑み――

「ふん!!」

 気が付いた時には遅かった。いや、剣を掴まれた以前から遅かった。シュヴァルツの豪拳が、僕の腹部に直撃した。とんでもない衝撃が、体の中へ突き抜ける。口から、胃液が吐き出される。

「がっ!!?」

 僕はその衝撃で、後ろの壁まで吹き飛ばされた。その場で、僕はのた打ち回った。

「ぐっ……がああぁぁぁ!!」

「ソラさん!」

 口から、胃液と共に大量の血液が出た。

 痛い……! 内臓が……!!

「嫌ああぁぁ! 空ぁ!!」

 泣き声で、悲鳴が聴こえる。彼女の声が……

「お願い! 空にひどいことはしないでぇ!!」

 空は嘆願するが、それを受け入れる奴らじゃない。樹たちは、僕を見下ろしながら微笑んでいた。

「こきゅ……う、が……ぐっ……!!」

 呼吸がうまくできない。口の中に、鉄の味が広がる。まさか、折れた骨が肺に突き刺さったんじゃあ……?

「なんや〜? ホンマ雑魚やな。こんなんに、ホリンの馬鹿は負けたんかい」

 シュヴァルツは右手をぶんぶん振り回していた。

「ま、印を持たん人間なんぞ、小僧程度にやられるねんて」

 バルバロッサがそう言うと、シュヴァルツと共に笑い始めた。

「く、そ……!」

「ソラさん!!」

「ソラ!」

 ヴァルバとアンナが駆け寄って来た。

「兄さん、そこで見ていろ。あんたの大事な人間が、死ぬところをな……」

 僕は危険信号を出している体を起き上がらせた。だが、それをヴァルバとアンナの二人が止めようとする。

「ジッとしてろ!!」

「うる……せぇ!」

 差し出すヴァルバの手を跳ね除けた。

「空……ぜってぇ……!!」

 口から滴る血が、床のレンガに小さな円を描く。

「止めろ! ソラ!!」

「動かないで下さい! 血が……」

「邪魔……するなぁ!!」

 退き止めようとするアンナの手を、僕は振りほどいた。

「これ以上リュングヴィの力を使うと、暴走しちまう!!」

 ヴァルバは僕の体を力いっぱい、引き止めた。

「だけど、空が……! ぐっ!」

 僕は大きく咳き込んだ。再び、真っ赤な血が吐き出された。胸の奥が、ズキンズキンする。

「暴走しちまったら、お前は自分を失うんだぞ!? 敵味方関係なく、殺そうとするんだぞ!?」

「だけど……だけど!!」

 僕は必死にもがいた。

 その時、樹の視線を感じた。そして――



「ここまで来れない、自分の無力さを呪うんだな」



 哀れな者を見る目で、あいつは僕に言った。その言葉が、引き金だった。

 僕を喚ぶ崩壊の導――

 砕けて――

 死ね――




 ――コロセ――




「う…………」

 僕の周りに淡い、緑の粒子たちが出現した。一瞬にして、痛みが消えた。

「ガアアアァァァ!!!」

 僕は獣のように、雄叫びにも似た声を轟かせた。

「青い髪――それに、魔痕が額に現れとる。暴走やな」

「へぇ……暴走にしては、なかなか強力なリジェネレイトだな」

「あんな小僧でも、お前と同じカインの直系者や。そんくらい無いと、奴に選ばれんやろ」

 樹たちは冷静に何かを言っている。

「空! やめなさい!!」

 僕の前に、リサが立ちはだかった。だが、この時の僕はもう――僕じゃない。

 化物だ。



「ドケェ!!」



 僕は彼女に向って、掌からレーザーを出した。

「なっ!?」

 リサはその巨大な光線を右へ飛んで避けた。彼女がいた場所に、砕け散った大量のレンガと粉塵が舞いあがる。

「うおっし! 今度はちゃんとやろうか!」

 シュヴァルツは何度か屈伸し、僕を見据えた。

「おあああぁぁあ!!」

 僕――化物は叫びながら、そこへ突撃した。中程まで行ったところで、印を結ぶ。

「破滅の旋律、我が膝下にありし言霊を喰らえ…………汝、時の底へ堕ちろ……」




「クダケロ――カタストロフィ!!」




 シュヴァルツの足元に、巨大な黄色い魔方陣が出現した。それは瞬時に黄金に煌めき、破滅の宴を呼び起こす。

「これは……」

 床が砕け、土砂が噴水の如く溢れ、そこを中心に全てが砕け散る。シュヴァルツを包み込み、破片や土砂と共に大爆発を起こした。

 化物はそこへ斬撃による衝撃波を幾重にも重ね、飛ばした。

「なるほど……禁忌聖魔術か――だが!!」

 彼を包んでいた魔法の造形物が、奴が発動させたアンチマジックにより、一瞬にして弾けて消えた。

「せっかくの聖魔術も、小僧程度じゃあ使いもんにならんわ!!」

そして、奴は右手を前に出して巨大な障壁を出現させた。化物が放った剣の衝撃波はそれに当たり、塵となって消えた。

「ガアアァ!!」

 雄叫びを上げ、シュヴァルツへ再び突撃する。瞬速の斬撃を、奴は右へ・左へと素早く避ける。

「なかなかのスピードやな……暴走状態にしちゃあ、大したもんやで!」

 奴が発動させた強力なソリッドプロテクトによって、化物の攻撃は全て防がれる。

「ウアアアァ!!」

 振り降ろされた剣は奴に当たらず、床のレンガを破壊する。

「ほぅ! 破壊力もなかなかやな〜!」

「シネェ!!」

 刹那の横一文字をしゃがんで避けたシュヴァルツは、水面蹴りを繰り出した。化物はそれを小さく跳躍して避け、剣撃を繰り出す。しかし――

「うるあぁ!!」

 シュヴァルツの豪拳が、化物の剣を砕いたのだ。だが、化物はすぐさま回転し、空中蹴りで奴を攻撃する。

「甘いわ!」

 それを左手で防御した奴は、右手を引いた。



「荒れ狂う竜巻、切り刻め! 奥義――嵐龍裂襲閃ランリュウレッシュウセン!!」



 奴が繰り出したコークスクリューから、全てを切り裂く竜巻が飛ばされた。

「がああぁ!!」

 それに巻き込まれた化物は吹き飛び、ソリッドプロテクトもろとも、体中をズタズタに切り裂いた。

「空ァァ!!」

 空の叫びが響く。化物は床に落ち、あまりのダメージにリジェネレイトが追い付かない。

「お前に奥義使わせるとは、なかなかちゃうん?」

「なーにゆーてんのや? さっさと終わらせたかっただけやっちゅーねん」

 シュヴァルツは手を広げて、余裕の笑いをした。


「グ……ククク……ハーハハハハハ!」


 体中から血が流れ出ているのに、化物は何事も無かったかのように立ち上がった。

「暴走にしちゃあ、ちと自我の崩壊がひどいのぉ……」

「お前の奥義が、余計に油を注いだんちゃう?」

 バルバロッサは腕を組んだまま、笑っている。

「死ね……死ね、殺せ、刹せ、屠れ――キエロォ!!」

 咆哮と共に、化物は樹の方に手をかざした。


「シネ……ゼロ!!」


 その手から、青紫の巨大なレーザーが出現した。それは樹の方に、高速で直進していった。


「ふーん……本物を見せてやるよ。――ゼロ」


 再び、樹の手から赤紫のレーザーが飛び出していった。

 二つのレーザーは中程で激突し、一瞬だけ停滞した。しかし、樹のレーザーは化物のそれを消滅させ、化物に直撃した。

「ゴアアァ!!」

 壁に叩きつけられ、化物はその場に屈した。

「お願い、樹! もう……もうこれ以上、空を傷つけないで!」

「……お前は黙ってろ」

 泣き叫ぶ空に小さい声で言い、樹は化物を見つめた。

「馬鹿が。その状態で、覚醒している僕に勝てるわけないだろ?」

「ぬぅ……ガ……!!」

 それでも立ち上がろうとする化物の所に、リサが駆け寄る。

「空!!」

 彼女は手を添え、何かを呟き始めた。黄金の粒子が、彼女と化物の周りに漂い始める。

「何、ヲ……スルツモリダ……!?」

「――ジェ・レル・ヴェスナ・セスタ――悠久なる精霊の灯火よ、我らが幼子を護りたまえ……!」

 あの時の魔法を唱えたのだ。



「!! ――リア、キサマ……マタシテモ……!!」



 僕を覆い尽くしていた、あの冥い残像が……霧が晴れていくかのように、消えていく。

 霞んだ意識が、僕の中に戻ってきた。それと同時に、体中からとてつもない痛みを感じた。これは……シュヴァルツにやられた技によるものか……!

「空!? 大丈夫?」

「リ……サ…………」

 言葉が漏れると、彼女はニコッと微笑んだ。しかし、疲労が見える。

「……まさか、あいつがあれを唱えられるとは……」

 樹は瞬きをするのを忘れ、呆気に取られていた。

「次元の巫女だからといって、できるものじゃないはず……」


「……サリアの力かもしれへんな」


 ボソッと、バルバロッサが言った。

「サリアの? ……まぁいい。始めようか」

 樹は空の腕を掴み、自分に引き寄せた。

「樹……やめて……やめて……!」

 恐怖で震える彼女の目の前で、樹は印を結び始めた。

「や……めろ……!」

「空!」

 その時、リサは立ち上がろうとする僕の体を押さえつけた。

「リサ……!」

「動くな! 大丈夫だから……」

 大丈夫? それって、どういう……

「……天と地、狭間に眠る幽玄なる魂よ。聖なる杯の道標とし、真実の光を具現せよ……」

 樹を包み込む、金色の魔方陣。

「や……止めろぉぉ――――!!」

「空ぁぁぁ――――!!」

 僕と空の叫び声が、共に重なる。それと同時に、樹はいくつもの天使の輪みたいなものが付いた手を、空の胸の辺りに突っ込んだ。




 ズドッ!!




 血が吹き出るのかと思った。が、違った。樹の手は、水面のように揺れる空の胸の中に入っていた。

「あ、あ……はっ……!」

 空は、自分の胸に入り込んだ樹の右手を見つめていた。

「……これか!」

 ゆっくりと、樹は光の輪を付き従える手を引いた。その指には、青々と輝く一つの宝玉が掴まれていた。空の胸に開いていた空間はだんだん小さくなり、消えて無くなった。

「……そ、ら……」

 空は、そのまま倒れてしまった。ドサッと倒れるのではなく、まるで紙が倒れるかのように、フワッと倒れて行った。

「そ…………空ァァ!!」

 僕の叫び声は、空に届いているのだろうか。

「これが……『蒼空玉』か。最後の宝玉に相応しい、神々しさを放っているな……」

 樹は取り出した宝玉を、まじまじと眺めていた。

「空……空ァ!!」

 僕は何度も名前を呼ぶが、倒れた彼女は何の反応も示さない。その時――

「!!?」

 彼女の体が白く光り始めた。所々から、小さな白い粒子が立ち昇っていた。



「我に眠る、聖魔の血よ――具現せよ! 魔闘気!!」



 すると、リサが飛び出して行った。シュヴァルツの方へと、向かって行く。

「ほぅ、魔闘気か……かかって来いや!!」

 シュヴァルツはうれしそうに笑った。彼も、リサ目掛けて突進した。



「天駆ける、水流と化せ――奥義! 崩縛竜水閃ホウバクリュウスイセン!!」

「させるかぃ! 奥義、崩縛竜水閃!」



 シュヴァルツとリサは蒼い闘気を纏い、舞いのような蹴りと掌底の攻撃を、素早く繰り出した。2人とも同じ技なせいか、両者の攻撃はまったく同じところでぶつかり合う。まるで、鏡にした自分に攻撃しているようだ。


「死ねや! 魔獣よ叫べ! 獣牙閃!」


 シュヴァルツは、ボクシングのフックパンチのような攻撃を繰り出した。リサはそれを、ジャンプしてかわした。

「何!?」

 シュヴァルツのパンチの風圧で、リサの靴の先が吹き飛んだ。そして、リサはそのままの勢いで、シュヴァルツの肩を土台にして、樹の元へと向かった。


「このまま行けれると思うなよ? 砕け散れ――轟魔衝打!」


 リサの前に、今度はバルバロッサが立ちはだかる。そして、豪拳の連続攻撃を繰り出した。


「宙舞う、鮮鋭の影となれ――奥義! 皇斜影衝コウシャエイショウ!!」


 リサは空中で、花びらのようにバルバロッサの連続攻撃をかわす。そして、シュヴァルツの時と同じように、彼を土台にして樹の所へと飛んだ。

「な、なんやて!?」

 バルバロッサは避けられることに、驚いていたようだ。

「むざむざ、やられに来たのか?」

 樹は、リサに手をかざした。すると赤紫の光が、樹の手に集結してきた。

「あんたには、まだ用はないよ。ただ、返してもらいたいだけさ」

「何――?」

 リサは樹に攻撃するのではなく、意識を失い、白く光っている空を抱きかかえ、僕たちの所へ瞬時に戻って来た。

 そして、リサは何かを空の口に入れた。その瞬間、彼女を包んでいた白い光が、スーッと消えていった。

「ちっ、こんにゃろ……!」

「放っておけ、バルバロッサ」

「せやけど……」

「いいんだよ。用は済んだ」

 バルバロッサは掲げていた腕を下ろし、大きくため息をついた。

「……あいよ」

 そして、二人は樹のいる台場へと跳躍して戻った。



「おっと、ついでだから教えといてやるよ」

 樹は僕たちの方へ向き直った。

「兄さん、あなたがこの世界へ来て、不思議に思ったことはないかい? なぜ、リュングヴィの力を持つ自分は、インドラにとって脅威なはずなのに、生かされていたのか」

「…………」

 僕は痛みと苦しさで、答えることができない。

「お前たちは、殺そうと思えば殺せた。だが、殺さなかった。なぜなら……お前たちには、利用価値があると思ったからだよ」

「利用価値だと……?」

 ヴァルバは樹を睨むが、あいつはほくそ笑んでいる。

「……僕たちにとって邪魔だったのは、各国の首脳部だ。いくら僕たちが特殊能力を有しているとはいえ、各国が結託し、数十万という大軍で攻めて来たらさすがに敵いっこないからね。……だからといって、首脳部を排除しようにも王城や宮殿に攻め込むのは、ちょっと無理がある。自分たちの存在を教えることにもなってしまうしね」

 彼は僕たちによく聞こえるかのように、顔を前に出した。

「そこで、お前たちを利用させてもらった。お前たちは、僕たちを止めようと各国を協力させようとする。諸国会議にこぎつけると思った。そして、その会議の場は中立地である……この聖都にしようとするだろうと踏んだ」

「首脳部が集まった場で、一網打尽にしようとしたのか!?」

「そういうこと」

 デルゲンの言葉に、樹は再び笑みを零す。

「ハハハハ! お前たちは、僕の思い通りに動いてくれたよ。リサだけが危惧すべき存在だと思ったが……そんなことは無かったな。取り越し苦労だったようだ」

「…………」

 リサは何も言わず、空を抱き抱えている。

「わかったか? お前たちは、僕たちに踊らされていたんだよ。生き抜いてきたんじゃない。生かされていたんだ。……それをよく覚えておけ」

 そう、樹は吐き捨てた。

 後ろへ振り向き、トンネルの入り口に差し掛かったところで、彼は足を止めた。

「まぁ……ホリンを倒したことだけは認めてやるよ。……けど、あいつは所詮〈印〉を持たない『ただの人間』だったがな……」

「いつ……き……!!」

 僕は腹部を押さえながら、樹を睨んだ。未だ、口から血が出てくる。

 彼は背中を向けたまま、顔を横にし、横目で僕たちを見た。あの――ルビーの瞳で。



「じゃあね、兄さん。大好きな空を守れなかった自分の無力さを呪うがいい。そして、崩れゆくこの世界を眺めながら……空の死を見届けな」



「いつ……樹………樹ぃぃ――――!!」

 樹は僕たちに手を振り、トンネルの奥へ消えて行った。シュヴァルツとバルバロッサも、それに続く。

「……全ての歯車は動き出した。カナンの聖塔は――消える。跡形も無く、の」

「はよう脱出せんと、お前らも巻き込まれるで〜」

 シュヴァルツは笑顔で僕たちにそう言った。そして、二人も奥の闇へと消えていった。

 その時、地響きのような音と共に、広間が揺れ始めた。いや、広間だけじゃない。この、聖帝中央庁が揺れているんだ!

「ほ、ホントに崩れるのか!?」

 デルゲンは傷だらけのレンドを抱え、立ち上がった。

「早く脱出しないと……!!」

「そう言うけど、どうすんだよ!?」

 ヴァルバは焦っているのか、辺りを見渡している。

「……大丈夫。私が、魔法で脱出させる!」

 リサはそう言うと、空を抱えたまま詠唱を開始した。

「ホラ、早く魔方陣の中に入って!!」

 青い魔方陣が、リサを中心として現れた。

「ソラさん、立てますか?」

「よし……ゆっくりとだ」

 アンナとヴァルバが肩を貸し、僕を起こしてくれた。

「……いつ、き……」

 奴らが消えていったトンネル――天井から落ちてくる瓦礫によって、その道が徐々に塞がれてゆく。



「精霊の力のあずかりし地に、その翼を現したまえ! アース!」



 リサの魔法の詠唱が完成し、僕たちはこの場から消えた。

 聖帝中央庁は大きな轟音を立てながら、崩れていった。





「じゃあね、兄さん」





 蔑視しているかのような、ルビーの瞳……

 お前は……どうして、そんなに憎んでいるんだ?




 どう……して…………











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