45章:惨劇の会議場 蹂躙された意思たち
※残酷な描写があります。
苦手な人はご注意ください。
なんとも言えない、虚しい気持ちが僕の心を踏みつけている。僕は、ゆっくりと立ち上がった。
「……ホリン……」
もう、動かない。魂が、肉体を離れて行ってしまった。
「……ソラ」
ヴァルバの声がした。彼は僕の横へ来て、肩に手を置いた。
「なんでかな」
僕は小さく呟いた。
「なんでか……虚しい。ホリンは……大勢の人たちを殺した。やってはいけないことをした、僕たちの敵なのに……」
ヴァルバは何も言わず、僕の肩から手を離した。
「……最後の最後だけ、ホリンは悪くないって思った。なんでだろう……」
そう言うと、ヴァルバはホリンの遺体の傍で、しゃがんだ。
「わかんないもんさ。……そういうのは」
彼はそっと指を伸ばし、東方民族らしからぬ白い肌に触れた。
「善悪を基準にして闘うのは、間違っている」
呟いたように言った言葉を、僕は聞き逃さなかった。いや、彼はわざとその程度の声量で言ったのかもしれない。
「……ホリンには、どうしても変えたいことがあったんだ。たとえ、何もかも殺して、憎むことになってもさ」
「…………」
何かを変えるには、己の命を失うことになってもいいっていうのだろうか?
――そんなの、違う。絶対に……
「ソラ、ここで立ち尽くしていても仕方が無い。俺は、ここに襲撃してきたのがホリンだけとは、到底思えない」
デルゲンは僕の隣に立ち、言った。
「デルゲンの言うとおりよ」
後ろへ振り向くと、大きく体を伸ばしているリサがいた。
「聖帝中央庁……いや、神聖騎士団を相手にするくらいだから、幹部たち――ユグドラシルが直々に来ているかもしれない」
たしかに……今まで陰で行動してきたインドラが、こうやって日の当たる場所に出てきたってことは……
「そうだとしたら、各国の首脳たちや教皇も危ない。……すでに、やられているような気がしなくもないが……」
ヴァルバは頭を抱えた。
「ともかく、会議場へ行かないと。空、行くよ」
リサは僕の背中を軽く叩いた。
「……わかった」
僕はホリンのペンダントを大切に、胸元へしまった。
「ソラさん……」
アンナが駆け寄って来た。心配そうな瞳が、うるうる震えている。
「あの……私……」
僕はアンナの頭に手を置いた。
「……僕は大丈夫だから、心配するな」
「…………」
彼女は俯き、小さくうなずいた。
「……会議場はどの扉だ?」
レンドは頭をきょろきょろさせていた。
「この北の門が教皇との謁見場だったから……東か」
「あれか」
僕たちは会議場へと向かった。
東の扉を抜け、長い廊下を走る。突き当りにあった会議場への扉を開けると、静けさと共に、血の匂いが漂って来た。会議場は、惨劇の場と化していた。
「う……ひどい……」
アンナは声を上げた。僕たちは、鼻に手を当てた。
すでに屍となってしまった人間の姿が、巨大な円形のテーブルのあちこちに倒れている。この会議場、あの謁見の間と同じくらいの広さを持っている。だが、その床のほとんどが遺体で埋まってしまっている。埋まっていない場所は、赤い血や黒い血が水溜りのように、陣取っていた。
壁にも黒い血や赤い血、何かに叩きつけられて頭を潰された人など、おぞましい壁画になってしまっている。
「ひ、ひどすぎる……なんだよ、これは……!」
デルゲンは顔を歪ませながら言った。それだけ、ひどい。
「お、おいおい、この遺体……大砲にでも撃たれたのか!?」
ヴァルバ大声で言った。その遺体の腹部を中心に、直径20センチほどの穴ができている。
けど……大砲にしては小さい。大砲じゃないとしたら……なんだ?
「……とにかく、生きている人を探そう」
僕はみんなに言い聞かせた。これだけの大人数だ。きっと、殺されていない人もいるに違いない。
なるべく遺体を踏まないように、捜索する。逃げ惑い、暗黒魔法をかけられ、その場で倒れてしまった人たち。剣か何かで、ズタズタにされた人たち。こんな光景……警官にでもならないと、見ることはないと思ったが……
会議場の角の所に、見覚えのある人を発見した。あの、黒髪の長髪の女性は……まさか……!!
「ラ、ラーナ様!?」
僕はその人のところへ駆け寄った。近くへ行くと、たしかに、シュレジエンのラーナ様だ!
「ラーナ様! ラーナ様!!」
僕は必死に呼びかける。ラーナ様の服や顔には、飛び散った血痕が残っている。いや、ラーナ様の血なのか!? そう考えると、心拍数が見る見るうちに上昇していく。
ラーナ様の手首に手を当て、脈を計ってみる。……生きている!
「ラーナ様、しっかりしてください!」
僕は体を何度も揺らした。
「う……」
ラーナ様の体が、少し反応した。僕は再び呼びかける。すると、ラーナ様のまぶたが、少しずつ開き始めた。
「……あなた、は……ソラ君……?」
ラーナ様は、細い声で言った。
「ええ、そうです! 僕です!」
僕が笑顔になった瞬間、ホッとしたようにラーナ様は微笑んだ。
「ああ……よかった、無事だったんですね……」
自分の方が危険な目にあったのに、僕を心配してくれるなんて……
「ラーナ様、魔法に当たってはいませんか?」
念のため、暗黒魔法に当たったかどうかを訊ねなければならない。
「魔法……? いえ、そのようなものには当たってはいないと思いますけど……」
「そうですか、よかった……」
僕は胸を撫で下ろした。
「……私、逃げる人たちに押しつぶされて、気を失っていたみたいです。それが、幸いしたようですね……」
ラーナ様は、悲痛な面持ちで辺りを見渡した。
「……ラーナ様、ここは危険です。すぐに、ソフィアから離れてください」
「やはり……インドラですか……」
「ええ。まだ、いる可能性がありますし……」
「ソラー!! こっちに来てくれ!」
ヴァルバの大声が、会議場に響いた。後ろを振り向くと、ヴァルバの手が見える。どうやら、他の生存者を発見したようだ。
僕はラーナ様を抱き上げ、ヴァルバの元へ行った。そこには、イザークの皇隆王がいた!
「おっ、ソラか……久しぶりだな……」
「陛下……大丈夫ですか?」
王の体には、裂傷の跡が見える。しかし、肩に剣を突きつけられたのか、包帯を巻いている。
「……まぁ、命に別状は無いと思う。暗黒魔法だって受けてないしな」
王はヘへっと笑った。
「そうか……ホリンがここに来たんですね?」
僕はしゃがんだ。王は、小さくうなずいた。
今から1時間ほど前。断末魔の叫び声が響く会議場で、ホリンと皇隆王は数年ぶりの再会を果たした。
「ぐっ!」
王の右肩に、ホリンの剣が突き刺さる。
「ふん……『剣聖』の称号を持つローランの剣士が、この程度か……」
冷たい目で、彼は王を見下ろしていた。
「ホリン……お前……!」
痛みに顔を歪ませながら、王はホリンを見上げた。
「……この時を、どれほど待ち侘びたことか……」
ホリンは目を瞑り、怒りで小さく震え始めた。
「くだらない言葉に踊らされ……何が真実かもわからないまま、てめぇは俺を……父上と母上を殺したんだ! あんたの……あんたの治世を助け続けた、俺の両親を!!」
「ホリン……」
緑の瞳がまるで、怒りの炎で赤くなっているかのような錯覚を覚えた。
「奴隷制を許さないとかぬかしておきながら、てめぇは多くの命を奪った! その罰を……俺が与えてやる……!!」
憎しみがホリンの全てを覆い尽くそうとした時、グルヴィニアの一人が走ってやって来た。
「ホリン様!」
ホリンは目を瞑り、小さく息を吐いた。
「……なんだ?」
「どうやら、巫女どもが……」
「……ふん、来たか」
ホリンは王の肩から剣を抜いた。
「……ホリン様、殺しておきましょうか?」
「いや、こいつは後で俺が殺す。お前たちは、ユグドラシルの所へ行け」
「ハッ!」
グルヴィニアは一礼し、奥へと消えて行った。
「……さてと……スカサハ、お前は後だ。俺の任務は……セヴェスたちだからな。俺が戻ってくるまで、今までの人生を振り返っておけ……!」
ホリンはそう言うと、会議場を後にした。
「……ホリンは、俺を殺そうと思えば殺せた。……なのに、殺さなかった」
王はうなだれた。あれだけ憎んでいたはずなのに。
「ホリンは、僕が殺しました」
「……そうか」
王は小さくうなずき、自分の肩に手を当てた。
「彼は……悔やんでいました。憎しみだけで生きていくことを……」
「……そうか……」
陽気な感じの王の雰囲気は、まったく感じられなかった。
「陛下、まだインドラの奴らがいるかもしれません。ラーナ様と共に、祖国へ戻ってください」
ヴァルバは辺りを見渡しながら言った。
「ああ……そうだな……」
王はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。よろけるその足を、ラーナ様が支えてくれた。そして、出口へと向かい始めた。
「……気を付けろよ。死ぬんじゃないぞ」
王は僕たちの方に向き直った。僕たちは、大きくうなずいた。
「皆さん、どうかご無事で………」
2人を外まで見送り、会議場へ戻り、再び生存者を探す。もう、生存者はいないんじゃないかと思った頃、死体に埋もれた生存者を見つけた。
「あなたは……レオポルト宰相!?」
この顔は、ルテティアの若き宰相レオポルトさんだ! その隣に、豪華な服を着ている男性の遺体があった。
……ルテティア国王ルーファス8世だ。触れてみたが、すでに事切れていた。
「う、く……」
レオポルトさんのうめき声。僕はハッとした。彼は……〈暗黒〉に侵されている……
「レオポルトさん!」
僕たちは必死に呼びかける。
「お……おお……懐かしい……ソラ君じゃないか…………ゲホ、ゲホ!」
真っ黒な血が吐き出された。これだけ吐くということは…もう…。
「イ、インドラの奴、らは……う、上へ………」
上は、教皇家の人間や上層部しか入れない場所。そうか、この国の上層部を殺すつもりか!
「……わかりました……」
僕は宰相の手を握った。もう、暖かさは感じられない。
「立派に、なっているんだ、な……よかった……」
レオポルトさんは目を瞑り、何かを言い始めた。
「……我が主神ヘイムダル、よ……彼、らを……護り給え…………」
そして、宰相は力を無くした。事切れてしまった。
ルテティアで、牢獄に入れられた僕たちを救ってくれた。
研究所へ、助けに来てくれた。いつも見透かしているような人だったけれど……苦しみを背負ったアンナのために、多くの手助けをしてくれた。
でも、もう……その人はいない。
「……空、急ごう」
リサが言った。僕は何も言わず、うなずいた。
上へ行くための階段は、会議場の奥にあった。もしかしたら……この上に、ユグドラシルがいるかもしれない。
インドラを統べる、元凶。
「……ふぅ、怖いな」
僕は高鳴る鼓動がする胸に手を置き、呟いた。言い終わったのと同時に、誰かが僕の頭を叩いた。
「いって! な、何すんだ!?」
叩いたのは、リサだった。呆れた顔で、リサは僕を見ている。
「あんたね、今更何言ってんのよ? 怖いことは、今に始まったことじゃないでしょーが」
「そ、そうだけど……」
「何度も言うよ。あんたは『独りじゃない』……ね?」
相変わらず、宝石のような瞳。僕を決して裏切らないのだと確信させる、
見覚えのある、懐かしい瞳。
「ほら、リサに見惚れてんじゃねぇよ!」
と、レンドが僕の頭に手を乗せ、髪の毛をグシャグシャにした。
「な、何言ってんだ! べ、別に見惚れてなんか……」
「あーあー、わかったって。お前にゃあ空ちゃんがいるもんな〜」
「レ、レンド!!」
な、なんで空の名前を出すんだ!?
「まったく……レンド、そのくらいにしてやれって」
苦笑しながら、ヴァルバは言った。
「おふざけはそこまでにして、気合入れろって」
ふざけているレンドを見ながら、デルゲンは微笑んでいた。
「そうですね。……が、頑張りましょう!」
と、アンナは気合を入れ始めた。
「ハハハ……よし」
僕は前を見据えた。
「……行こう!」
僕たちは意を決して、階段を駆け上がった。
その階段は、何を示すのだろうか。
これを上った先に、待ち受けるもの。それは……
長い螺旋階段を上ると、一つの広間に出た。思ったよりも狭い。天井は大きな穴がぽっかりと開いていて、満月の光がここに降り注いでいる。明かりはそれだけ。そのためか、幻想的な空間を作り出している。
「ここは……」
この広間は下の中央庁みたいに、大理石でできていない。ただの、黒っぽいレンガでできている。
「ようやく来たか」
男性の声が聞こえた。若々しい聞き覚えのある声。
この……声は……!!
僕たちは、先を見据えた。