41章:ソフィア教国 神々に祝福された地へ
「レンドは……まだ部屋か?」
ヴァルバは部屋の片隅で、デルゲンに訊いた。
「たぶん、な」
デルゲンの言葉には力がなかった。ジョナサンが死んでしまって、すでに1日ほど過ぎた。ジョナサンの体は、海賊のしきたりで海へと還っていった。
「……リサ、暗黒魔法っていうのは、詳しく言うとどういうもの何だ?」
僕はベッドで横になっているリサに訊ねた。彼女は天井の木目を見つめ、言った。
「……ティルナノグが建国された頃、当時の先進技術を全て担当していた科学者が発明した、いくつもの対人用兵器……その中で、魔法として生成されたものの一つが暗黒魔法。正式には暗黒術。最・上・中・下の4つがあって、どれも付加能力で〈暗黒〉がある」
「そこらは、普通の魔法と同じなんだな」
「暗黒は空が受けた〈毒〉をさらに強力にした〈猛毒〉のようなもの。〈毒〉よりも潜伏期間が短く、受けてから数分〜数十分で発症、致死率は100%。しかも、発症すると治す術は無い」
致死率100%……ゾッとする。
「……あまりにも強力で惨殺、しかも暗黒を治す術を見つけることができず、後世のティルナノグ人はそれを禁呪として封印した」
「そんな危険なものを……インドラの連中は復活させたのか……」
デルゲンは怒り混じりに言った。
「いや、実際に復活させたのは……ミッドランド皇帝アルヴィス1世よ」
「アルヴィス1世? 魔王と恐れられたっていう……」
ヴァルバが言った。たしか、ロンバルディア大陸を一時的に統一した皇帝だ。今から1000年ほど前になるか。
「彼は禁呪を復活させた。それこそが、彼の従えた騎士団の無戦無敗の理由さ。……滅亡後、その研究の一部がルテティアへ持ち込まれ、インドラから古書などの情報を手にしたステファン=ロベスピエールによって再び復活したのよ」
リサは小さくため息を漏らし、続けた。
「ステファンは科学者・考古学者としても権威のある人物だけど、欲が大きく、そこに目を付けたインドラが彼に協力したんでしょうね。たぶん、世界の覇王にしてやるとか言って」
「そんなことを、あのじじいは言ってたな」
やれやれという顔で、ヴァルバはイスに座った。
「……ま、ステファンはインドラに、いいように利用させられただけなんでしょうね」
あの時のシュヴァルツの口ぶりからして、そうだろうな。……今となっては、哀れとしか言いようがない。
「治す術が無いなら、これから奴らと戦うのに苦戦を強いられそうだな」
当たれば死に至る。ということは、こっちとしてはかなり不利になる。
「……治す術は無いけど、予防することはできる」
「そうなのか!?」
「〈毒〉とか、〈眠り〉とかの状態異常を阻止する、補助魔法っていうものがあるの。これを戦う前にしておけば、〈暗黒〉にかかることは無いはず。ただ、その魔法の効果は長くないから、戦うとわかっている直前に使用しないと、効果は望めないと思う」
リサはゆっくりと目を閉じた。まだ、疲れているようだ。
「……それに、今の私じゃあ、みんなにかけてあげることはできない……」
「リサ、やっぱり体調が悪いんじゃあ……」
僕はリサの傍へ行った。闘いが終わってからというもの、彼女の青ざめた顔色は一向に治る気配を見せない。
「……私が使った魔法とかはね、もう失われてしまった魔法……そう、禁呪なの。空間転移の魔法と同じさ」
「禁呪……」
前からよく聞いてはいたが、実際にはどういうものか知らない。ただ、今存在する攻撃魔法を遥かに凌駕する魔法であることは確かだ。
「禁呪は詠唱が難しいため、詠唱破棄なんてできない。……普通はね」
と、リサは自分の掌を見つめた。
「光の民……ラグナロクの一族の持つ強大な魔力を持ってすれば、大量のエレメンタルを消費して詠唱破棄できる」
なるほど……だからこそ、ミランダは詠唱破棄できたことに驚いていたのか。
「……ミランダも私と同じ聖霊術師だけど、元からの出来が違うからね」
強力な格闘技を使えて、しかも魔法に特化したミランダを超えるほどの魔力……想像していたとはいえ、これほどまでにリサが強いとは思わなかった。あの細い体のどこに、そんな力があるのだろうかと思ってしまう。
「ただ……何回も行使すると、体内のエレメンタルを無くしていってしまうから、力が出なくなるの」
リサは見つめていた手を、僕たちに見せるように出した。その手は、小さく震えている。
「……今は、たかが下級魔法さえも使えない状態。もし、この状態で禁呪とかを使うものなら体の元素は消失し、分子と元素の乖離現象が起きて死に至るでしょうね」
「!!!?」
リサは驚く僕を見て、首を振って微笑んだ。
「大丈夫よ、空。……時間を置いていれば、直に回復するからさ」
そうはいっても……僕のせいで、禁呪の詠唱破棄を何度も行ってしまった。それの罪悪感は、拭い去れない。
「……デルゲン、お願い。空たちをソフィアへ連れて行ったら、シュレジエンへ連れて行ってくれない?」
「……どういうつもりだ?」
ヴァルバは問いかけた。
「今の私じゃ、あんたたちに付いて行っても、邪魔になるだけだからね……」
「だが……」
「シュレジエンへ行って、クロノスに頼めばすぐに回復させてくれる。そうすれば、空間転移の魔法を使って、ソフィアまで行けれる。……こうしたほうが、時間はかからないからさ……」
ヴァルバは何も言わず、大きくため息をついた。渋々ながらも、納得したようだ。
「それでお願いできる? デルゲン」
「……俺の一存じゃあなんとも言えないが……まぁ、一度シュレジエンに行かないといけないからな。いいぜ」
レンドが船長ではあるが、今はデルゲンが船長のようなものだ。仕方ないと言えば、仕方ないが。
「……どうして、デルゲンさんたちはシュレジエンへ、また戻るんですか?」
ベッドの端に、ちょこんと座っていたアンナが訊いた。
「ジョナサンの親御さんに、知らせなきゃならないからな」
「あっ……そうなんですか……。すみません……」
「ハハ、謝る必要はないよ」
デルゲンは頭をかいた。
「……あいつの親はもう10年以上、息子と会っていない。だから、せめて海に還ったことだけは伝えないとな」
微笑みながらも、その目には哀しさがこもっていた。それを払拭するかのように、デルゲンは手を叩いた。
「さて、出航の準備をしようか。半日もレンドを動かさないのは体に悪いからな」
デルゲンは笑いながら、部屋を出て行った。
「……知っている人が死ぬのは、辛いな」
僕はボソッと呟いた。
「まぁな……。生と死は一つの直結する道。それが早いか、遅いか……。けど、運命の神様がいるなら、理不尽な死を与えないでくれって言いたいよな……」
ヴァルバの言うことは、最もだ。だけど、神様なんて信じない僕にとっては、運命も信じない……けれど、実際はどうなんだろう。その答えが知りたくても、生きている間に知る術は見付からない。もしかしたら、死んでしまった後に、知ることができるのかもしれないけど……。
一週間後、船の修理のためにミレトスへ寄った。どうやらこの港からソフィアへの乗客船があるらしく、それに乗ることした。修理するのに、約10日あまりかかると思われるからだ。
「レンド、デルゲン、それに他のみんな……」
「おいおい、俺たちの扱いは適当だなぁ」
僕がお礼を言おうとした時、ルーシーが笑いながら遮った。
「ご、ごめん。とにかく、わざわざ船に乗せてくれてありがとう」
僕たちは一礼した。
「レンド、リサを頼むよ」
「ああ。任せとけ、ソラ。どうやらこいつはちゃんとした服を着れば、思ったよりいけると知ったわけだし」
レンドはリサを指差しながら言った。リサはあの日以来、女性の服を着ようとしない。あまりにも、大勢の人に目撃されたからだろう。
「う、うるさい! 服を着ないとかわいくないみたいなことを言うな!」
「ハハハ、なかなか可愛げのあるとこもあるじゃねぇか〜」
と、笑い始めたレンドの腹部にリサの正拳突きが炸裂。音もなく。レンドは砕け散った……。
「ハ、ハハ……なんだかんだで、リサは元気だな……」
「まぁな。……ああやって、照れているリサもかわいいもんだな」
僕の耳元で、ヴァルバが言った。リサはそれに気付いたのか、ヴァルバを鬼のような形相で睨んだ。
「ヴァルバ! 今、なんて言った!?」
「へ? い、いや……その…………ごめんなさい」
ヴァルバの言葉は、恐れのためか小さかった。ていうか……ちょっとした誉め言葉だったような気がしなくもないんだが……。
「まぁまぁ、落ち着けって」
デルゲンは笑いながらリサをなだめた。
「笑うな!」
リサはデルゲンにアッパーカットを食らわした。おお……さすが殺人格闘術の使い手……手が早い。
「と、とにかく、リサをシュレジエンへ連れて行ったら、俺たちもすぐに聖都に行くからな」
レンドは悶絶しながら言った。せっかくのセリフも、その姿じゃ台無しだ。僕たちは笑いながら、うなずいた。
「ああ、頼りにしてる。……じゃあ、みんな、また聖都で」
こうして、僕たちはソフィア教国へ。レンドたちはリサを乗せて再びシュレジエンへ。
その頃、とある宮殿の内部。大きな円形のテーブルに、一人の男が座って、国語辞典ほどの厚さの本を黙読していた。
「――ウラノス、ただいま帰還しました」
テーブルの前方に、ホリンとミランダがやってきた。二人の服はボロボロで、傷口を手当した姿が見てとれる。
「ご苦労様。さて、報告を聞こうか」
パタンと本を閉じ、ウラノス――ユグドラシルは彼らを見据えた。
「……失敗しました」
悔しさで顔を歪め、ミランダは小さく頭を下げた。その姿を、ユグドラシルは何も言わず見ていた。
「ふーん…………彼は、それほどのものだったのか?」
頬杖を突き、ウラノスはどこか二ヤついていた。
「いや……奴は、聖魔の力をある程度引き出せるようにはなっていたが、覚醒するまでには至っていない」
ホリンは思っていた。
聖魔術の高速発動……身体・特殊能力の急激な増大……覚醒しきっていない。じゃあ、本当の『調停者』として覚醒すれば、俺は……
「それで、お前たちはそんな奴から逃げおおせたのか?」
『その時』のことを想像しかけた時、ホリンは現実に引き戻された。
「……俺たちを付け狙う、漆黒の剣士が邪魔に入ったんだ」
「……………」
漆黒の剣士。
その言葉一つで、ユグドラシルの目色が変わったのは言うまでもない。
「奴の参戦で我々が分が悪いと思い、撤退しました」
ミランダは淡々と説明する。
「……漆黒の剣士、か……」
何度も何度も自分たちの邪魔をする、謎の剣士。自分たちを邪魔するというのなら……二人を引き返させるほどの能力があるならば、殺せるはず。
なのに、殺さなかった。
「申し訳ありません……」
ミランダは頭を下げた。彼女は、横眼でホリンにそれを促せた。
「……すまねぇ」
ホリンは性に合わないのか、ぎこちない謝り方をした。その姿を見て、ユグドラシルは思わず微笑んでしまった。
「いや……気にしなくていい。これからのことはまた後日、話そう。下がっていいぞ」
「はい……」
ミランダとホリンは一礼すると、その場から立ち去った。
その時、
「なんだ? 結局、ダメだったのか?」
いつの間にか、一人の男がユグドラシルの背後に立っていた。ユグドラシルは気付いていたのか、振り向きもせずにイスに深く腰掛けた。
「リオン、どこに行っていた?」
暗闇の中から、リオンと呼ばれたはろうそくの灯りが届くところまで足を進ませた。
「どこって、そりゃ監視に決まってんだろ?」
微笑みながら、リオンは言う。
「……お前、ホリンたちが闘うところを見ていたのか?」
「まぁ、な。気配を消す程度、なんてことはないからな」
「…………」
リオンはクククと笑いながら、宮殿を支える巨大な大理石の柱に背中をかけた。
「それにしても……不甲斐ない奴らだな」
灯りの行き届かない奥を見つめ、リオンは呟いた。
「……印を持たない人間では、印を持つ人間には敵わない……結局、そういうことか」
あの血に勝ることは、一般人にはやはり無理ということか。
ユグドラシルはドーム状の天井の中心部分を見つめ、小さくため息を吐いた。
「印、ねぇ……」
その時、リオンは笑いを堪え切れずに、口に手を当てていた。
「……何がおかしい?」
訝しそうに、ユグドラシルは言った。
「おかしいだろ? たかが普通の人間が、特異な人間に敵うはずはない。そう、『神に人間は勝てない』のさ。わかりきってるのに、あいつらと言ったら……」
と、再びリオンは笑い始めた。
「…………」
「ククク…………ところで、シュヴァルツとバルバロッサは?」
笑いが収まったところで、リオンは訊ねた。
「シュヴァルツはすでに帰還して、用意をしている。バルバロッサは〈聖典〉の捜索を引き続き、行っている。……あいつも、奴らが聖都に来たらこちらへ向かうことになっているがな」
「ふーん……そろそろ、事は大きく動きそうだな」
「とはいえ、諸侯が集まるまでもう少し時間がかかりそうだがな」
「巫女の覚醒を考えれば、ちょうど良いんじゃないのか?」
「……そう、だな」
巫女。
最後の巫女――日向空。
星の元素を持つ、唯一無二の存在……か。
「まぁいい。俺は一眠りさせてもらうとするよ。浮遊魔法を使ったりして、体内元素が消耗してら」
リオンはそう言って、再び暗闇の中へ消えて行った。
「………………」
ろうそくの火だけに照らされる宮殿は、光の届かない闇の中に、何かが潜んでいそうな雰囲気を漂わせていた。
怖い?
別にそうでもないかもな……
自分で選んだ道だから――
後悔など、しない。
貿易都市ミレトスを出航して約一週間。僕たちは、ソフィア教国の最東端である、港町ペルルークへ到着した。
「ふぅ……やっと着いたか」
ヴァルバは大量の荷物を抱え、一息をついた。
「やっぱり寒いけど、シュレジエンとかに比べればマシな方だな」
「そうですね。ぽかぽかした陽気が気持ちいいです」
アンナは大きく背を伸ばした。暖かいとはいえ、冬用の服装は欠かせない。
町を眺めると、大きくはないがミレトスのような町並みが並んでいる。白を基調とした建築物。ギリシャ風だ。さらに、教国なためか大層立派な教会が建っている。十字架が飾られているのは、ソフィア教がキリスト教みたいなものだからなのだろうか。
以前、レンドが言っていたように、貿易などのために多くの商人たちの姿が見える。閉鎖される前から、ソフィア教国の中でも随一の交易都市であるペルルークは、教会への寄付だけではなく商いを目的とした人々がたくさん訪れるのだという。
「さてと、聖都に行くか」
商店街を歩きながら、ヴァルバは言った。この商店街には、活気を取り戻した港町の匂いがある。そこかしこに、魚介類が並んでいる。教会の建物とはミスマッチングだな。
「ヴァルバ、聖都までの道知ってんの?」
「一応、な」
と、ヴァルバは白い歯を見せて笑った。
「もしかして、来たことあるのか?」
「いや、来たことはない。ただ、聖都はこの町の近くだという話を聞いたことがある」
「じゃあ、教会に行って訊いてみたほうがいいんじゃないですか?」
「初めて来た土地だもんな。それに、ヴァルバの言うことはあんまり信用できないし」
「聞き捨てならないなぁ」
ヴァルバは微妙に笑いながら言った。顔が引きつっている。
「だって、砂漠じゃあお前のトンチンカンな道案内のせいで、死に掛けたんだぞ?」
それを言うと、ヴァルバの口元が引きつった。
「そ、それはな、たまたま……」
「お前、リサから聞いたけど、あの砂漠で何度も行き倒れになったんだって?」
「ま、まぁ、とにかくだ。俺たちは聖都に行かなきゃならない。そうだろ?」
「本題に戻すなよ……」
「教会に行くか! 念のために!」
勝手に引っ張るヴァルバ君。呆れつつも、ヴァルバらしくて面白い。とても、自分の倍近くの年齢だとは思えない。
僕たちは町の中央に尖った塔を持つ、大きな白い教会へと向かった。近くへ行ってみると、その教会はなかなか高く、重厚な扉がある。教会の脇には小さな噴水や庭園があり、華やかさを感じさせる。
教会の扉の前に立っている、聖職者っぽい(にこやかな顔をしており、白いローブを着ている男性)人に訊ねたみることにした。
「あのー、すいません、聖都ってどうやって行けばいいのか教えていただけませんかね?」
「ソラ……なんでじじ臭い言い方なんだ?」
聖職者のおじさんは、僕たちの顔を眺めた。
「おや、巡礼の方々ですかな?」
そのおじさんの声は、想像していたとおり、温厚なタイプの声だった。
僕はいまいち意味がわからず、一歩後ずさりしてヴァルバの耳元で言った。
「……なぁヴァルバ、巡礼……っていうことにした方がいいのかな
「う〜ん、どうしようか。アンナはどう思う?」
「えっと……いいんじゃないですか?」
「いいのかよ……」
「ソラ、とにかく巡礼ということにしておこうぜ。めんどくさいし」
「お前な……」
相談した意味がないなぁ……。
「どうされたのです?」
おじさんの声で、思わずビクッとしてしまった。
「あ……まぁ、いちおう巡礼です」
僕は自信なさげに言ってしまった。
「そうですか。聖都へは、この町から西へ約2,3日行けば着くと思います」
その程度か……思ったよりも、楽な旅路になりそうだ。今までが、結構面倒だったしね。
「ところで……教皇猊下は、今どこに?」
ヴァルバはおじさんの方に向き直って、訊ねた。
「猊下は聖都におられると思いますが……もしや、謁見なされるおつもりですかな?」
「ええ、そのつもりなんですけど」
僕がそう言うと、おじさんは少し顔を困らせた。
「……あなた方も知っておられると思いますが、この国は教皇猊下を認めないとする、反乱分子が制圧されたばかりです。それゆえ、謁見なされるのは少々難しいかもしれません」
「なるほど……つまり、まだ猊下は身を狙われる身だということですか?」
いつか見た、ヴァルバの礼儀正しさが出た。どうも、この姿が胡散臭いのは何でだろう……。
「そのとおりでございます。ただ、あなた方が自分の身分を証明できるものがあれば、大丈夫だと思いますよ」
「身分を証明できるものか……とにかく、ありがとうございました」
僕たちはおじさんから離れ、噴水の方に行った。
「なぁ、身分を証明できるものなんてあったっけ?」
「うーん、俺は旅人用の通行書があるからいいけど……」
ヴァルバは僕とアンナを眺めた。
「2人はどうするかなぁ……」
「……何も無いな」
「そうですね」
アンナはなぜか笑顔だった。というより、ペルルークに来てからというものの、ずっとだ。
「アンナ、何でそんなに笑顔なんだ?」
「だって、すごくポカポカしてて、気持ちいいじゃないですか」
「………」
「ハハ、緊張感が無いな」
ヴァルバは笑いながら言った。そう言えば……長いこと寒い地域にいたからな。ここも暖かい部類には入らないが、シュレジエンなどに比べればかなりマシだ。
「……ソラさんが持っている剣はどうですか?」
アンナは閃いたような顔をしていた。
「僕の剣?」
「たしか、それってルテティアのアルベルト王子から頂いた剣でしたよね? 身分を証明するものじゃないけど、信頼性はあるんじゃないでしょうか?」
たしかに、この剣はイザークを行く時にアルベルト王子から〈守るために使うもの〉として頂いた。あの時は新品できらきら輝いていたが、今は少々ボロボロになっている。まだまだ、使えないことはないけど。
「なるほどな。どう思う?」
「……まぁ、いちおう信頼されるに値するかもな。けど、アンナはどうするんだ?」
「アンナなんて、貴族出身なんだけどなぁ。証明するものがないよな」
「私はいいですよ。2人謁見できれば、ちゃんとしたお話はできると思うますし……」
「だけど、インドラのせいで被害を受けた人の証言っていうのは必要なんだよ、きっと」
ヴァルバは真剣な顔で言った。なるほど、それは一理ある。
「……ヴァルバの言うとおりだ。アンナの証言は絶対に必要だもんな。あいつらのしてきたことを、教皇に示すために」
きっと、最も被害を受けたのはアンナだ。インドラの野望に加担したステファンによって、家族を失った。その悲しみは、誰にも理解することはできないほど、深く、辛いものだったんだから。
「……一度、ルテティアへ行って、証明書を発行してもらおうか?」
「いや、そうすると約2ヶ月はかかる。ただでさえ、今の時期は最終決算のことなどで政府は大忙しだ。発行するのに、下手したら半年近くかかるかもしれない」
「半年もかかるとさすがに……」
時間の経過が1番重要だ。たぶん、空が魔道注入によって覚醒するのも、時間の問題。
嫌な予感がする。早くどうにかしなければと、内心焦っている。
「じゃあやっぱり、このまま突入するのか?」
「それしか手はないだろうな」
いい案が浮かばず、ヴァルバは虚空にため息を放った。
「……じゃあ、私は入れませんね」
「ま、そこは何とかしよう。土下座でも何でもして、謁見させてもらえるように嘆願すれば、何とかなる気がする」
「何とかなるって……適当だなぁ、ソラ」
ヴァルバは僕を見ながら、苦笑いをしていた。
「だって方法が思いつかないんだから、しょうがないだろ。教皇はまだ若いし、たぶん優しいから大丈夫だよ」
「その〈優しい〉というのは、どこから出てきたんだ?」
「……〈クピト〉っていう名前からして、なんか優しい感じがしない?」
「……あ、そう」
「何だよ? その呆れた顔は」
「いや、気にするな。じゃ、とりあえず聖都まで行くか」
ヴァルバはよっこらしょと、置いていた荷物を担いだ。
こうして、僕たちは大した方法も思いつかないまま、聖都へ出発することになった。
聖都ソフィア――
そこにあるのは、真実という名の運命。
現実は、優しくなんかないのだと…………思い知った。