35章:ガイア 残された人々、真実の答に
いつだったか、このなんともいえない空間の中にいた。そう、あの山でリサとであった時、そしてレイディアントへ足を進めた時、この空間の中にいた。自分の足が着いているのか、わからないくらいフワフワした感覚。淡い光に包まれ、どこが上なのか下なのかもわからない。
「ソラ、私の声が聞こえるかな?」
男性の声が、どこからともなく漂ってきた。この声は……
「クロノスさん、ですよね?」
「ああ。……どうやら、途絶えていないらしいな。これから、君はガイアへ行く。そこでいられる時間は最高で44時間。あちらの世界へ出ると、17時13分のはずだ。つまり、翌々日の13時13分までに『暁の門』へ入ってくれ」
クロノスさんの声は、この空間の中であっちに行ったりこっちに行ったりしている。体育館に一人で大声で叫ぶと、木霊が帰ってくるかのように聞こえるのと同じ感じだ。
「……あの、ワームホールを安定させて、ユートピアからガイアの日本に行けるようにするのはわかるんですけど、どうして戻る時も安定させる必要があるんですか? 安定させなくても、ユートピアに戻れるんじゃないんですか?」
「ミリアが言っていたように、2つの世界に存在するワームホールは非常に不安定だ。そのため、どこへ出るのかわからない。つまり、戻る時も同じだ。君が特殊な人間であるためにユートピアには入れるが、私が安定させていなかったら、君は次元の渦に巻き込まれ、他の次元へと飛ばされていたかもしれない」
「うわ……マジですか?」
ゾッとした。見も知らぬ世界に行っていたとしたら……。でも、レイディアントに来る時はどうだったんだろう? 偶然の賜物か?
「じゃあ、安定させてくれる人がいれば、ちゃんとしたところに行けれるということなんですか?」
「そういうことだ。君がレイディアントへ来れたのは、彼女のおかげだろう」
「彼女……リサですか?」
「そうだ」
リサ……ラグナロクの人間で巫女ってのはわかったが、なんつーか……わけのわからん奴だよな。怪しいと言えば、怪しいのだが。
「それと、君はその姿のままでガイアに行くつもりか?」
「ん?」
僕は自分の服装を眺めた。……この服装では、完璧に変人扱いだな。はっきり言って、警察に捕まりますよ。こんな服装、日本にはいませんから。
「ハハ、これじゃあ捕まりますね」
とは言っても、どうしよう。現代日本の若者風の服なんてレイディアントにはないし、今更戻るわけにもいかないし……。
「私が変化させてあげよう」
「……ハ?」
思わず、口を開けてしまった。
「今は10月だ。秋用の服装を思い浮かべてみなさい。私がそれと同じ格好にしてあげよう」
「で、できるんですか?」
「私が嘘を言うと思うか?」
「い、いえ……」
僕はまさかと思った。できるわけないだろうと。一応、目を閉じて連想してみた。自分の秋服、自分の秋服……。
すると、一瞬で服が変化した。去年、僕が秋に着ていた服装だ。
「うぉ! ス、スゲェ!!」
「私に任せれば、なんだってできるぞ」
クロノスさんは自慢げに言った。なんか、ここまでできるとクロノスさんはもはや、ちょっとしたドラえもんじゃないか。どこでもドアを出せるんじゃないのか?
「さて、もう一度言っておこう。君に与えられた制限時間は44時間だ」
「わかりました。絶対に戻って来ます」
変な次元に飛ばされたくはないからな。
「では、行きなさい。青の世界へ……」
その言葉が通り過ぎ、沈黙が流れると、僕の体は真っ白な光に包まれていった。あまりのまぶしさに、僕は目を開けていられなかった。
土の匂いがする。
僕は目をゆっくりと開いた。目の先に広がっているのは、懐かしい光景だった。そう、ここはあの山頂。扉の前。すでに太陽は沈み、上空に残されたオレンジ色の光だけが、この世界を照らしていた。この眺めから、僕が住んでいる町が見える。家々には、夕食の準備をしているのか、生活の灯火が煌々と輝いている。
すっかり、秋景色になっていた。山の木々は、きれいな紅葉や銀杏。赤色や黄色に囲まれた山は、大昔から人々の心を捉えて離さないのだろう。だけど、変な感じだ。僕がいた時はまだ春の香りがほんのりと残る時期だった。それが、タイムスリップしたかのように、夏を通り過ぎてしまっているのだから。まぁ、レイディアントで日本の夏を超える暑さを経験したわけだが。
さて、これからどうしよう。僕は辺りを見渡した。家に直行するのもいいんだけど、道端で知り合いに会ったりしないだろうか。いや、もう日が暮れている頃合だから、近くで見ない限り僕と気付かないだろう。
……とにかく、我が家へ行くか。
僕はこの山道を下り、家へと直行した。少し頭を伏せ、自分だと気付かれないようにする。ま、すでに忘れられているかもしれないけど。
山を下り、小学校を抜け、いつもの帰り道へと出た。この道の途中に、小さい頃遊んだ公園がある。そこで、空に告白したんだったな。
懐かしく思い、その公園を覗いた。滑り台、ジャングルジム、砂場、平均台など、僕の子供時代を持つ記憶の中に佇むものがそこにあった。そして、ブランコ。あそこで、海が落ちちゃって、大泣きして。
……? ブランコに誰かいる。暗がりの町の中、公園は電灯がすでに付いていて、不気味な明るさを出していた。
僕は誰なのかと思い、目を凝らしてよく見てみた。
……海?
あれは、海……か? どうして、ここに…?
もう、学校は終わっている時間帯だ。いても不思議ではない。しかし、すでに10月半ば。しかもこの時間。冬に匹敵する寒さだ。それを制服のまま、ブランコに座って下を向いている。
僕は差し足、すり足、忍び足でブランコへと近づいて行った。さすがに、地面を踏んだ時に生じる音は消せないけど。
今の海は傍から見ると、かなり暗い女に見える。海は、誰より明るい女だった。悪く言えば、それが取り得だと言ってもよい。それが、あんなに暗いと……知り合いでなければ話しかけたくない雰囲気だ。けど、あんな風になったのは、少なからず僕のせいでもある。いや、ほとんど僕のせいと言ってもよいかもしれない。海の小さな背中を見ているうちに、心の中の罪悪感がどんどん膨らんでいっているのがわかった。
海の背中から約4メートルの所まで来ると、海は伏せていた顔を上げ、後ろに振り返った。
そして、僕の体は硬直した。そう、だるまさんが転んだをしている時みたいに。
「……誰?」
彼女は暗いためか、僕の顔がよく見えていないようだった。
「よ、よぉ……」
この言葉が精一杯。ぼくは右手を挙げた。すると海は口を半開きにし、僕を見ている。
「……空……?」
海は小さく言った。けど、静まり返った夕暮れ時の公園では、聞き逃さなかった。
「空、空なの……?」
信じられないのか、疑問系で僕を呼びかける。
「えと……うん、まぁ空です」
疑問を確信にさせるために、僕は海に言った。海はフルフルと震え、泣き面になっていった。そして涙を一粒、流した。一つの宝石のように。
「ど……して…………」
海は涙でうまくしゃべれないようだった。
「帰ってきたんだ、海」
「そ……ら……!」
海はブランコから立ち上がり、僕の所に飛び込んできた。衝撃で、少し後ろに下がってしまった。
「空……空ぁぁー!!」
海は大声を上げて、泣いた。
「海……相変わらず、小さいな」
「うる、さぃ……! うわぁぁーーー!!」
海の泣き声が、小さい公園に響いた。
「…………」
僕は何も言えなかった。……泣かれるのは得意じゃないんだが、この泣き方……すごく懐かしく思えた。ほんの4、5ヵ月しか離れていなかったってのに。
彼女の無く姿を見るのが懐かしいだなんて、僕もよっぽどの「あれ」だな。
僕は海を連れ、自分の家へ向かった。家のチャイムを鳴らすと、ドタドタと足の音が聞こえた。この騒音は母さんだな。少し太り気味だから。
ドアが開き、母さんの顔が出てきた。
「どちらさ――」
「ただいま、母さん。僕がわかる?」
母さんは本当に時が止まったかのように、微動だにしなかった。時よ止まれ、ザ・ワール……じゃなくて。
「おばさん! 空だよ! 空が帰ってきた!」
海が僕の後ろからひょいと出て言ったが、母さんの開いた口と目が動かない。すると、今度は目をぱちくりし始めた。
「あ、あ、あ、あ、あ、そ、そ、そ、あ」
何を言っているのか理解できない。〈あ〉と〈そ〉しか言ってねぇじゃん。
「……あのさ母さん、僕だよ。まさかとは思うが、自分の息子のこと忘れたのか?」
「あ、あんたーーーー!!」
と、母さんはドアを開けっ放しでリビングの方へ入って行った。奥から声が聞こえる。
「あんた! そ、そ、空が!」
「空? 空がどうしたってんだ?」
「そ、そ、空が!!」
「空ぁ……? UFOでもいたのか?」
父さんの声だ。しかも、そっちの空じゃないよ……。僕は思わず、肩をガックシ落とした。
「違うよ!」
バチッ!
たぶん、父さんの頭をひっぱたいたな。かわいそうに、父さん。
「なっ、何すんだよ!?」
「そ、空が帰って来た!!」
「空ぁ? 空って……? ……なにぃぃぃい!?」
そして、ドタドタという足音が僕と海の所にやってきた。父さんは出口の前に立ち、僕を見ると体が止まった。
「空!? なんで空が!!?」
「化けて出たんだよ!」
母さんがおかしなことを言う。自分の息子が生きて帰って来たっていうのに、化けて出たはないだろーよ。
「ど、どうして、そ、空が!!?」
このままでは埒があかない思い、僕は大きくため息をついた。
「……あのさ、寒いから中に入れてくれる? 詳しい話は中でするからさ」
父さんと母さんは目をぱちくりさせ、うなずいた。……まったく、いちいちめんどくさいことさせやがって。
そう思いつつも、内心安心したのは言うまでもない。
僕たちはリビングのテーブルに座った。すでに、父さんと母さんは落ち着きを取り戻し、僕が生きていることを認識したようだ(遅いんだよ)。
「……で? どういうことなんだ?」
父さんが言った。僕の正面に父さん、その横に母さん、海は僕の隣に座った。
「……置いていった手紙に書いていた通り、僕が行方をくらましたのは、空を救うためなんだ」
「空ちゃんを……?」
「まさかとは思うけど、手紙のこと信じてなかったわけ?」
手紙とは、僕がガイアを出る時に残した手紙のことだ。まぁ……どこに行くのか、ちゃんとしたことは書かなかったが。
「い、いや、そういうわけじゃないんだけど……まさか、本当にそうだとは思わなくって……」
母さんは未だに何が何だかわかっていないようだ。こんがらがってるんだろうな。
「空ちゃんは生きてるのか?」
3人の中で、一番冷静な父さんが言った。僕はうなずいた。
「生きてる。けど、この世界にはいない」
「……この世界? じゃあ、どこにいるの?」
海が言った。
「信じられないと思うけど、空は……この世界とは違う世界に連れ去られたんだ」
3人はきょとんとした。信じられない様子だ。
「違う世界……? そんなもの、あるのか?」
「あるよ。……僕は空を救うために、その世界へ行っていたんだ。僕がいなかったということ、それが証拠にならないか?」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……ねぇ」
母さんは父さんと目を合わした。
「いきなり信じろって言われても、わからないだろうけど……信じてくれないか? それが真実なんだから」
「……まぁ、ね。うん。信じるほかないだろうさ」
父さんは腕組をして言った。まだ拭い切れない疑念はあるようだった。
「お姉ちゃんは、その世界のどこにいるの?」
「……空は、まだどこにいるかはわからない。けど、生きていることは確かだ」
「どうして?」
海はすぐに問いかけてきた。
「空をさらった奴らは、空を殺すことが目的じゃない。それに、まだ生きているって、奴らが言っていた」
「ホントに?」
僕はうなずいた。空が宝玉を取られて死ぬのが先か、僕が自分の闇に飲み込まれて死ぬか……とも言っていたが。
「……なぁ、『奴ら』というのはなんなんだ? 彼らが空ちゃんをさらった理由はなんなんだ?」
父さんが言った。
「……目的成就のためさ」
「目的?」
僕はそこで、「インドラ」という組織と、彼女がさらわれた理由のことについて説明した。そして、奴らの目的が「人類の滅亡」だということも。
「……いくらなんでも、話が飛躍しすぎちゃいないか?」
父さんは眉を曲げて言った。
「たしかに、僕もそう思った。……けど、奴らはできると断言している。あまりにも自信がありすぎている。それに、あの世界には……わけのわからないものがたくさんある。魔法もそうだしさ」
「う〜ん……」
父さんは再び腕を組み、唸った。そして大きく息を吐き、ボサボサの髪の毛がある頭をかいた。
「……それで、空はこれからどうするんだ?」
「これから?」
「やっぱり、あちらの世界に行くのか?」
父さんは眉間にしわを寄せた。少しの間、沈黙が流れた。
「……もちろん行くよ。まだ、空を救えていない」
あいつを救わない限り、こちらの世界に留まる理由はない。彼女を助けることが、僕の旅の目的の一つなのだから。
「じゃあ、お姉ちゃんを助けたら……一緒に帰ってくるの?」
海は飛びついたように言った。
「えっ?」
僕は一瞬、戸惑った。
「お姉ちゃんを助けだしたら、帰ってくるんだよね?」
空を助けて、ここに帰る。
……帰る?
そう考えた時、僕の中に言い表すことのできない疑問が浮かんだ。そう、空を助けて帰るということに、疑問を感じたのだ。
「ねぇ、空?」
期待の瞳を向けて、海は僕を呼ぶ。
帰る? 空を助けだして……それだけで?
僕は……何がしたいんだ?
空を助け出すだけでいいのか?
でも、最初の目的はそれだった。彼女を助け出すことだけが、僕の旅する理由だった。
僕は自問自答を繰り返す。自分という揺りかごの中で。
「ちょっと、聞いてるの? 空!」
「え? あ、あぁ……」
海は首をかしげ、眉を曲げる。
「僕……は……」
助けたいと思うのは、今でも変わらない。けど、それだけではいけない。どうして自分は真実を知ろうとしたのか。なぜ、真実の糸を探し求めたのか。
真実を知ることによって、僕は何を得たかったのか。
小さな、鼓動が聴こえた。
ドクン、と。
僕は……何がしたいのか。何をしようと思い、真実を知ろうとしたのか。
「君にはないのか? その答が」
クロノスさんの声が蘇る。
僕は何をしようとしているのか。真実を知って、どうしようとしたのか。
……僕は……
と、その時、僕の頭に誰かがチョップした。
「もう、さっきから何なのよ!!」
海はいつもの怒った顔で、僕を睨みつける。
「ご、ごめん。ちょっと、考え事を……」
「考え事? 何?」
彼女は頭をかしげた。
ああ……きっと、今自分の中にある言葉に心を宿し、彼女に届けると……きっと、彼女は泣いてしまうだろう。
確信にも似た想いが、そこかしこに溢れた。
「……僕は、帰らない」
「えっ?」
僕は自分の顔から笑みを消し、海を見た。さっきまでと様子が違い、少し当惑しているようにも見える。
「お前は訊いたな? 空を助けたら帰ってくるのかって。……答えは、帰らない……だ」
そう言うと、彼女の顔が硬直した。
「そんな……!! どうして!? どうして帰ってくれないの!?」
海は立ち上がり、叫んだ。
「海……」
「やだよ! 空だけ帰ってこないなんて!!」
海はそう言うと、イスを倒して玄関へ走り出した。
「海!!」
僕は彼女を追おうとイスから立ち上がったが、その時に玄関のドアが閉められる音が轟いた。
「……空」
振り向くと、母さんが心配した顔で僕を見ていた。
「あんた、本当に……?」
母さんたちも信じられない様子だった。僕はゆっくり深呼吸をし、再び椅子に腰を下ろした。そして、父さんと母さんに自分の視線を向けた。自分の想いを届けるために。
「……僕があっちの世界に行ったのは、空を救うためだけだった。……それだけだった。空が救えれば、あとはどうでもいいとさえ考えていた」
本当にそう思っていた。事実、空に関連しないことは、めんどくさくてやりたくないとさえ思った。
「けど……それでいいのかって思ったんだ。空を助けだして、ここに帰ってくるのはさ。なんつーか…………そう、嫌なんだ」
「……嫌?」
父さんの言葉に、僕は小さくうなずいた。
「あそこに行って、いろいろなものを見たんだ。この世界とは違って、あらゆる所に自然が溢れてる。山や草原がブァーって広がってて、海なんかすんげぇ透き通っててさ」
初めて降り立ったルナ平原や、ランディアナやミレトスで見た青海の姿。僕はそれらを見るたびに、心を震わせた。思いだしただけで、笑顔になった。
「すごく……きれいだった。ガイアとは違って不便だけど、ここにはないものがたくさんある。そこには、僕たちと同じようなヒトが住んでいたんだ」
ヴァルバ、アンナ、リサ、フィアナのおばちゃん、レンドの海賊仲間、ミレトスの飯屋のおじさん、アルベルト王子やレオポルトさん、皇隆王にラーナ様。
「みんな、僕に多くのことを教えてくれた。一日一日を懸命に生きて、あの世界で暮らしている。なんていうか……この世界のヒトにはない、輝くもんがあったんだよ」
「…………」
「それは、時に穢されて、時に何かを壊そうとする」
ステファン卿……愚かな権力者。最後の最後まで、哀れなヒト。あいつは、みんなが持つ輝くものを穢し続けた。
「でも、全部あの世界の宝なんだよ。いつだって僕を笑顔にしてくれて、安らかな心を与えてくれるんだ。そうやって、僕は生きていけれた。死ぬ目に何度も遭ったけど、それでも生き抜くことができた。みんなと笑顔で、旅ができたんだ」
言葉が溢れて来る。想いが重なって、言霊となってこの世界に放たれる。
「僕は……知ったんだ。あの世界で、何が起ころうとしているのかを」
インドラという、馬鹿げた連中がしようとしていることを。
「世界が滅ぼされようとしてる。あの世界の人々、みんなが殺されようとしてる。何もかもを知ろうとして、知ったのに、目を背けて帰ることなんてできない」
そうだよ、そうなんだよ……。自分で言いながら気付いた。見捨てておくことなんてできないんだ。見て見ぬふりなんて、できない。滅びゆくものを、放っておけない。
「あの世界が大切だ。ほんの数ヶ月でそう思うのは、もしかしたら馬鹿げた勘違いだって言われるかもしれない。けど、滅ぼさせたくない。あそこにいるヒトたちや、あそこの世界を」
真実。それを知って尚、僕は僕でいられるのか。
何がしたくて、何を求めているのか。
答えは、意外にも近くに眠っていたんだ。
父さんたちは目をそらさず、僕を見ていてくれた。
「そうか……うん、それなら俺は何も言わない」
父さんは穏やかな笑顔を向け、優しい瞳をしていた。
「父さん……」
「それでこそ、俺たちの息子だ。……母さんも、そうだろ?」
お父さんは母さんの方に目を向けた。
「……そうだね。けど、心配だよ。あんたが、死んじゃうじゃないかって……」
母さんの心痛な面持ちが辛かった。…心配させているんだと。
「大丈夫だよ。心強い仲間たちがいるから……さ」
「……そうかい、そうならいいけど……樹に続いて、あんたまで死んだらって思うと……」
母さんは、目の辺りを手で押さえた。小さな涙が溢れていた。
「あんたがいなくなった時、あんたまで死んだのかと……」
「…………」
そうだった。ここへ帰って来たもう一つの理由、それは両親に謝ることだった。どれほど、心配させたか……。
「父さん、母さん、ごめん」
僕はテーブルに額が当たるくらいまで頭を下げた。
「どうしたんだよ? いきなり」
父さんは見たことの無い僕の姿に、当惑していた。
「父さんと母さんが心配する気持ちを考えないで、一言も言わずに出て行ってしまって、ごめん。僕は、2人が心配するということを、簡単に考えていたんだ」
「空……」
僕は顔を上げ、再び二人を見つめた。
「あっちの世界で、息子がいなくなってしまった女性に出会ったんだ。その人に、親の気持ちがどんなものなのかを、教えられた。だから謝りたくて……どうにか帰ってきたんだ」
ラーナ様。最愛の夫を亡くし、唯一の息子まで……消えてしまった。何も言わずに消え去ってしまう悲しさ……。それはラーナ様の言葉から伝わってきた。
そして、親が子を想う気持ちも。
「……ごめん。けど、僕は明後日にはあっちの世界へ行く。そしたら、空を助け出して、やつらの計画を阻止するまでは……帰らないつもりだ。どんなに危険だとしても、それはやり遂げたい」
と、僕はそこで頭を振った。
「いや、やるんだ。だから……」
僕はもう一度、頭を深々と下げた。
「……わかってるわよ。悪者たちのしようとしていることがわかっているのに、それを止めないなら、あんたをぶったたいてたよ!」
母さんは笑いながら言った。そう言ってくれる、親だから僕はうれしいんだ。
「父さん、母さん……ありがとう」
僕は心の底から、そう思った。
「……もう、言うべき時なのかもな……」
すると、父さんと母さんは顔を合わせ、口で話してはいないが、アイコンタクトで相談しているようだった。
「空、お前に言わなくちゃならないことがある」
父さんはさっきまでの穏やかな顔とは打って変わって、深刻そうな顔になっていた。
「言わなくてはならないこと?」
「いつか……言おうと思っていたことだ。お前と、樹に」
「僕と樹?」
父さんはゆっくりと目を閉じて、静かに語りだした。
「……お前と樹は……父さんたちの子供じゃないんだ」
体が止まった。
「えっ……?」
硬直した僕を見据え、母さんが続ける。
「お前と樹はね………14年前、あんたの小学校の裏山で拾ったんだ」
14年前……9月24日の夜、母さんと父さんは昔、流産で死んでしまった子供を山に埋めたので、その日、お参りに行ったそうだ。
「その時、変な光が辺りを包みだして、あんたと樹……そして見たことのない女性が現れたのよ」
「女性は何を言っているのかはわからなかった。しかし、子供をお願いします、ということだけはわかった……」
その女性は大怪我をしていて、まもなく息を引き取った。僕と樹は、彼女が息を引き取る瞬間を、何もわからないような顔で見ていたという。
「……お前たちはきっと行くあてもないんだろうと思い、俺たちが引き取ることにしたんだ」
そうか……初めて〈暁の門〉に行った時に見えた不思議な光景。
夜空の中、僕はあそこで泣き叫ぶ樹と、真っ赤な血が付いた白いローブを羽織り、今にも消えてしまいそうな女性を見ていた。
あれは、その時のものだったんだ。
……じゃあ、その女性は……僕の……本当の……
「……あんたはね、いつも空ばかり指すから〈空〉って名付けた。樹は、大樹のペンダントを持っていたから〈樹〉と名付けた」
母さんの顔は、微笑んでいた。
「……ごめんな、今まで内緒にしていて……」
「ごめんね、空……」
2人はそう言った。けれど、うれしかった。
「……謝らなくていいよ。僕は、父さんと母さんに育ててもらって、うれしいよ。血の繋がりなんて関係ない。本当の親子だと思っているから……」
「空……」
「普通、いきなり現れた身寄りのない子供二人を助けるなんてのは、できない。けど、二人にはできた。……そんな二人に育てられて、本当によかったと思ってる。この上ない幸福ってやつだよ。……ありがとう、父さん、母さん……」
それは正直な気持ちだった。たとえ憐れみから救ってくれたのだとしても、平穏無事に育ててくれたことは、感謝してもしきれない。
「……もし、本当の父親と母親を知ったとしても、僕は二人を親だと思ってる。それだけは、変わらないよ。……これからも」
「……あんたって子は……」
母さんの涙腺はもう爆発寸前だった。
「うん、うん。よかったよ。否定されるんじゃないかと、冷や冷やしていたんだ」
父さんは頭をかきながら笑った。
「……ほら、海ちゃんの所に行ってあげな」
「……わかってるよ、母さん」
じゃあまたあとで。僕はそう言って、外に出た。
「……あの子たちを拾って、正解だったね……」
「正解もくそもあるか。あの子は……あの子たちは、俺たちの宝物だよ」
空の父は妻の手に、自分の手を添えた。
「……あの時、彼女の想いに応えてあげることが、その心を天国へ誘ってあげることだと思った。樹を失わせてしまったが……あいつは、大きくなってくれた……」
「……そうね……」
海が行きそうな場所……たぶん、あの公園だろう。それしか考えられない。自分の家に帰っているのなら、ついでにおばさんとおじさんに挨拶しておきたいところだが……何となく、自宅ではない気がするんだよな。
案の定、海は公園にいた。闇夜に包まれた公園の中、一際輝く電灯の光を浴びるベンチに腰を下ろし、俯いている。
「……おい、海」
僕は彼女の傍に立ち止まった。
「いくらこの辺りは知ってるって言っても、もう真っ暗なんだ。危険なことはすんな」
「………………」
彼女は俯いたまま。
「寒いだろ? 風邪ひくぞ」
僕はそう言って、持ってきたジャケットを彼女に羽織らせた。
「………はぁ………」
僕は小さくため息をついた。これじゃあ、いつかの時と同じじゃないか。海に内緒で空と付き合い始めた時と。不安定になって、泣き叫んで……ひたすら沈黙。
「……海、帰るぞ。きっと、おじさんたちも心配してるだろうし――」
「なんで?」
突然、海は言った。
「どうして、空は普通なの?」
「……普通?」
海は顔を上げ、僕を睨みつけた。思わず、たじろいでしまいそうだった。
「普通だよ!! お姉ちゃんがさらわれて、空は何も言わずいなくなって……」
「何も言わずって……一応、手紙置いておいたじゃないか」
さすがに何も言わずにいなくなるのはダメだと思い、一生で一度の本気丸出しの手紙。今考えると、ちと恥ずかしかったり。
「行くなら行くって言って欲しかった! どこに行くのか、何のために行くのか……はっきり言って欲しかった! 私、すごく心配したんだよ? お父さんも、お母さんも……!!」
「…………」
「なのに……どうして空は普通でいられるの!? 私たちがどれほど心配したのか……全然わかってない!」
「海……」
彼女の瞳から涙があふれ始めた。
「せっかく帰って来ても……また行っちゃうんでしょ? 私を……私たちを放って、自分はまた別の世界に行くんでしょ!!?」
「……………」
「心配させて……死ぬほど心配させて、帰って来てみたらいつも通りに振る舞う……それが嫌なの! 私はこんなにも心配してるのに……心配してるのに!!」
夜の静寂に轟く彼女の声。それから逃げるわけにはいかなかった。
「……そうだな。お前の言う通りだ」
「わかったようなことを言わないで!」
顔を振った彼女の下に、空中に舞った涙の雫が落ちてゆく。
「……お前の気持ちも考えずに出ていったこと……お前の気持ちも知らずに話しかけたこと。それが許せないんだよな、海は」
海の気持ち……わからなくもない。自分の気持ちとは裏腹に、平然と振る舞う姿が……許せないんだ。
「まずは、謝らなくちゃいけなかったんだよな。……今更遅いとは思うけど……ごめん」
僕は頭を下げた。
「……簡単に言わないでよ!」
「それでも、言わせろ。お前は、僕の大事な幼馴染なんだから」
手紙を置いてきたとはいえ、何も言わずにいなくなったのは間違いだったのかもしれない。……僕は、彼女の気持ちを理解していなかった。彼女の想いがどれほど大きいのか、考えていなかった。
「……お前の気持ちを考えていなかった。ごめん」
「悪いと思ってるなら、行かないでよ……!」
彼女は僕の手を握り締めた。この季節の夜のせいで、彼女の手は氷のように冷え切っていた。
「私を置いていかないで……これ以上、一人ぼっちにさせないで……!」
「……海……」
彼女は僕の服を掴み、懇願するかのように続けた。
「これ以上、あんな想いをしたくない……これ以上、空がいないところで生きていたくないの! たとえ、お姉ちゃんみたいに愛されなくても……同じ世界で、同じ場所で笑い合っていたいの! ただ、空とお姉ちゃんがいてくれたら……私、私……!!」
「…………」
実感する。ここにきて、彼女がどれほど僕のことを想っていてくれたのかがわかる。……これほどまでとは思わなかった。彼女を侮っていた自分がいた。
「お願い……もう、行かないで……! 私を……一人にしないで……」
僕を掴む手に、力が抜けていくのがわかる。ずるずると下へ落ちていき、ベンチの上に彼女の手がうなだれる。
「…………」
僕は何も言わず、彼女の隣に腰を下ろした。
「海、よく聞いてくれ」
そう言うと、海は僕を見つめた。
「……僕にとって、お前は大事な人だ。お前を悲しませるようなことは……できればしたくない。……けど、それは空にしても同じなんだ。あいつを知らない世界に一人で放っておくなんてのは…できない」
「じゃあ、お姉ちゃんを助けだしたら、一緒に帰って来て!」
「海……それは無理だって、さっき言ったじゃないか」
「じゃあ行かないで!」
空と帰って来ないのなら行かないでほしい。行くのなら、空と一緒に帰ってきてほしい。……彼女は、一途に願っているんだ。僕が〈この世界にいるという確証たる言葉〉を放つのを。
僕は顔を振った。
「……空を救いだしても、ここには戻らない」
「どうして? 目的を達成したら、戻ってくるのが普通でしょ?」
「新しい目的ができたんだ。空を救いだすっていうのも目的の一つだし、他にも目的があるんだよ」
「……それは……何?」
海は再び俯いた。
「……あっちの世界を助けることだよ」
夜空の下、公園の電灯だけに照らされるこの場所で、彼女の空色の瞳が揺れる。
「世界を救うなんて、そんな大それたことはできないかもしれない。無理なのかもしれない。たかが人間が数人集まったところで、世界の崩壊を望む人たちを食い止めることなんてできやしないのかもしれない。そもそも、そんな勇者が言いそうなこと、恥ずかしくて思いもつかない。……こっちの世界にいたら……ずっといたら、そう思っていただろうさ。いや、滅びようとしている世界があるってことすら知らないで、自分は平穏に生き続けていたんだろう」
思いもがけないところから、僕は真実を知り始めた。
「……でもな、知ったんだよ。僕たちは、知ってしまったんだ。だから、自分ができる精一杯のことをしたい。知らんぷりして生き延びるなんてのは、できない。せっかく知ったんだ。そこにいる人々のために命を懸けるのも……悪い話じゃないよ」
正直そう思える。そう思えるからこそ、海に言った。……彼女なら、わかってくれるだろうと信じてるから。
「……だから、海……」
海は顔を再び上げ、涙を流していた。
「信じてくれ」
「……空……」
彼女は何かを確かめたかのように、僕を見つめた。涙で溢れていた彼女の顔には、決意をしたような面影があった。
そして、海はゆっくり僕に抱きついた。
「……あったかい……」
「そりゃそうだ」
海はクスッと微笑み、言った。
「もう少し、こうしてていい?」
「……いいよ」