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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆3部:記憶を求めて
39/149

32章:風精に愛されし都 ジニー


 10月9日。やっとシュレジエン王国の王都があるリーフ島に到着した。今までで最も楽な旅だった。ルテティアへ行く時や、イデアに行く時は汗だくになったりしたもんな。まぁ、お金がかかりましたけども。


 リーフ島の港に降り立つと、町のほとんどが雪に覆われていた。といっても、5センチほどしか積もっていないが。それでも、僕たちの心を躍らせるには十分だった。

「おおぉ……積もってるなぁ」

 体を小さくしながらヴァルバは言った。結構着込んでいるのに、まだ寒いのだろうか。

「すこし、小降りになってきたな」

「さっきよりは、多く降っていませんね」

「そのほうがいいよ、俺は。雪が多く降っていると、なんだか寒く感じちゃうんだよ」

 鼻をすするヴァルバの姿は、なかなか笑える。

「今からもっと寒くなるんだろうなぁ。やれやれ」

 ヴァルバは大きくため息を漏らした。その息は白くなって霞んでいった。

「やっぱり、ヴァルバはおっさんだよな。この寒さを我慢できないなんてさ」

「ちぇっ、ほっとけ。それより、ジニーへはどうやって行くんだ?」

 ジニーとはシュレジエンの王都だ。風の妖精の名前が由来だとかって訊いたことがある。

「そんなの僕が知るわけないだろ。初めて来たんだしさ」

「私もです」

「おいおい、俺も初めてだぞ」

「……みんな、初めてなんですね。どうしましょう」

「どうしましょうって……なんだか、アンナが言うと緊張感に欠けるなぁ」

「そうですか?」

 アンナは顔をかしげた。

「と、とにかく、今晩泊まる宿を探そう。場所もわからないのに、雪が降りしきるこの道のど真ん中で、突っ立っていることほど間抜けなことはないからな……」

 ヴァルバは体を震わせながらそう言った。

「あれ……ヴァルバ、顔色悪くないか?」

 ヴァルバの顔は、少し青ざめているようだった。そう、血の気がない感じだった。

「ホントだ。熱があるんじゃないですか?」

「馬鹿言うなよ。この俺が、熱なんか出してたまるか」

 無理に言っているのは明白だった。僕はヴァルバの額に手を置いた。熱があるのかどうか確かめるためだ。

「やめろよ、気持ち悪いって」

「子供みたいなこと言うな。僕だって、できればやりたくなんかないんだよ」

 ヴァルバの額から手を離し、今度は自分の額に手を当て、温度を比べてみる。…少し、僕よりも熱い。やはり、熱があるようだ。

「……熱があるな。どこか、宿を探して医者に見てもらおう」

「医者!? 嫌だよ、医者なんて!」

 な、なんで医者が嫌なんだ!? つか、30越えてんのにその言いわけはねぇだろ。

「ホント、ガキみたいなやつだな。大したことないものでも、見といてもらって損は無いんだぞ」

「そうですよ、ヴァルバさん」

「ちぇっ……もう好きにしてくれ」

 アンナが言うと納得するところが、少々気に食わないのだが、とにかく今は宿を探そう。

 だんだん、雪が強くなり、視界もかなり悪くなってきた。宿を見つけるまではいいかもしれないが、医者を探しに行くとなると、難儀かもしんないな……。



 歩く足が重く感じる中、ようやく宿を見つけることができた。

「ほら、ヴァルバ、宿見つけたぞ」

「あぁそうか……」

 もはや、答える元気がほとんど無いヴァルバ。足取りはふらついている。

 宿に入り、すぐに部屋を借りてヴァルバを寝かせた。布団に入るなり、ヴァルバは激しく呼吸をし始めた。どうやら、我慢をしていたようだ。

「ど、どうしましょう……?」

 アンナはオロオロし始めた。初めて直面することにうろたえるのはわかるが、こういう時こそ冷静に行動しなきゃならない。

「一応、この宿の人に薬を頼んどいた。とは言っても、ちゃんとした医者に見せてあげたほうがいいからな。それより……」

「……?」

「この大雪だからな。開業しているかどうかが不安だ」

 窓の外を眺めると、白い雪が猛威を振るっていた。隣の住宅さえ見ることはかなわない。さっきまで降っているとは言えども気にならない程度だったのに、今ではあの様だ。気候なんてのは気分屋なのを実感した。

「そんな、どうしたら……」

 アンナは今にも泣きそうだった。

「アンナ、大げさだよ」

「でも……」


「僕が何とかするっから」


「え……?」

 僕はイスから立ち上がり、

「アンナはここで待ってな。僕が医者を探してくるから」

「あ、危ないですよ! こんな雪の中、外に行ったら!」

「大丈夫だよ。前に言ったろ? 寒いのは得意だって」

 まぁ、嘘なんだけどね。

「でも……」

「大丈夫。心配するだろうけど、ヴァルバはお前が見ていなくちゃ、嬉しくないと思うし。それに、お前を連れて行くわけにもいかないもんな」

 僕は厚手の服を羽織り、外へ出ようとした。

「ソラさん、気を付けてくださいね……」

 どうも悲痛な面持ちだな、アンナは。彼女を安心させるため、僕は微笑みかけた。

「ああ、わかった」



 外へ出ると、さっきよりもいっそう、雪の強さが増していた。というか、もう吹雪じゃないか。5メートル先さえ、見ることができないほどだ。

 この中で、どうやって医者を探せばいいんだ?

 その時、宿の扉が開く音がした。振り返ると、受付のおばさんが立っていた。

「医者を探してるんだろ? だったら、この通を行って大きな木がある場所に行きな。そこの近くに小屋があるんだ」

「大きな木、ですか?」

「ああ。そこにある人がいるから、その人に頼めばきっと診てくれるよ」

 地元の人が言うことだ。きっと、正しいに違いない。

「ありがとうございます」

 僕はおばさんに頭を下げ、猛吹雪の通へと向かった。



 顔を上げていることができない。目を開けることも、少し苦しく感じる。中学生の時、学校帰りに大雨が降ってきたために走っていると、雨の粒が顔や目に当たって痛いの何の。あれに比べれば痛みはマシなのだが、今回の雪はなんと言っても冷たい。手や足などは何かで覆っているから大丈夫なのだが、顔は覆っていないものだから、もろに雪の冷気を受けてしまう。

 通には人通りは当然のように全くなく、ただただ吹雪の音がするだけだ。すでに、雪の深さは30センチくらいになっている。ここに着いた時には、ほんの5センチほどだったのに、ものの数時間でここまで積もるものなんだな。

 雪のせいで、足がなかなか前に進まない。

「うう〜、めんどくさいな〜」

 久しぶりの雪で忘れていたが、雪はかなりめんどくさいんだよな。バスは動かなくなるし、電車も……。交通機関が麻痺してしまうと、人間ではどうにもならない。いや、自然には全く敵わないものだ。

 ゆっくり、ゆっくりと足を進ませ、通の先へと進む。

 この港町はルヴィアと言い、王都ジニーと他国を繋ぐ貿易都市で、冬季以外では交易が非常に盛んだという。冬になると海が凍ってしまうため、ほとんど機能しないらしい。そのため、ジニーは輸入できる間にできるだけ輸入しておいて、長く厳しい冬を過ごすのだという。

 そういえば、ロシアでもそういうのがあったっけ。世界史で習った。ロシアは寒い地域を支配しているため、冬になると港が凍ってしまうらしく、凍らない港を目指して、ヨーロッパ諸国や時の大帝国オスマン=トルコと戦ったって。

 このシュレジエンは話を聞く限りでは侵略戦争を行わず、諸国とも同盟を組み、平和路線を行く国である。だから、不凍港を求めて対外戦争は行ったことは無い。

 代々のシュレジエン国王は建国以来、平和外交を続け、極力戦争を避けてきた。だからこそ『平和王国』と呼ばれるのだ。ヴァルバが聞いた話ではこの国は寒くても、心はどこの国の人々よりも豊かなのだという。

 目の前に広がる雪の嵐。こればかりはどうにもならない。10数分かかって、ようやく木の目の前に来た。

 たしかに、大きい。吹雪で高さがどのくらいかはわからないが、10メートルくらいあるのではないだろうか。この吹雪にもかかわらず、木はほんの少ししか傾いていないほどだ。

 宿屋のおばさんはこの木の下にある人がいるといっていたが、本当だろうか? この木の周りには何も無いし、家らしい家……はあるにはあるが、この吹雪で閉め切っている。医者っぽい家もないし。

 顔をきょろきょろさせて辺りを見渡すが、人がいそうなものは全く見付からない。あまりにも視界が悪いから、見付からないだけなのかもしれない。

もはや、あたりは白い雪だけになってきた。しかも、あまりの寒さに顔の感覚も無くなってきた。

 ……戻ったほうがいいかもな。このままでは、自分の体も危うくなってきそうだ。

 そう思ったとき、雪の勢いが和らいだ。

「あれ……?」

 思わず、声が漏れた。すると、後ろに人の気配を感じた。



「私をお探しかな?」



 僕が後ろを振り返る前に、声の主は言った。すぐさま振り返ると、そこに一人の男性が立っていた。

「あなた、は……?」

 和らいだ雪のおかげで、姿をちゃんと確認できた。全身を白いローブで纏い、頭にはターバンのようなものを着けていた。


「私はクロノスという者だ。……医者を探しているのだろう?」


 クロノスと名乗った男性は、揺ら揺ら降り注ぐ雪の中で、寒そうな顔もせずに言った。

「……どうして、僕が医者を探しているとわかったんですか?」

「こんな吹雪の時に私を訪れてくるというのは、それ相応の理由があってのことだろう?」

「まあ、そうですけど……」

 クロノスさんは微笑みながら言った。怪しさ満点だが……今はそんなことはどうでもいい。医者を探していたことを見抜くほどなんだから、宿屋のおばさんが言っていた人はこの人なのだろう。

「仲間が熱を出したんです。診てもらえないでしょうか?」

 そう言うと、クロノスさんはゆっくりとうなずいた。

「もちろん」

 不思議と、雪がクロノスさんに降りかかっていないような気がした。

 知らない人に診てもらうのは危険、だと言えば危険なんだろうけど……なぜだろう。この人からは、一切の危険が感じられない。そう、『シグナル』が聞こえないんだ。本能がそう告げてる。心の奥底の声が、「危険ではない」と囁いている気がした。それは、クロノスさんから感じる独特の雰囲気のためなのかもしれない。それがどういったものなのか、具体的にはわからないけれど……。


 僕はクロノスさんを宿へ来てもらい、ヴァルバを診察してもらった。宿に着くと、ヴァルバは昏睡していた。

「ふむ……なるほど」

 クロノスさんはヴァルバの顔色をうかがったり、瞳孔の状態を見たり、脈も計っていた。医師というのは、やることは世界が違っても同じなんだな。

「ヴァ、ヴァルバさんはどうなんですか?」

 アンナが恐る恐る訊いた。

「……これは、ビジョラ病だな」

「び、びじょら病?」

 聞いたことも無い病名だった。

「命に関わるような病気ではない。そこは安心していいよ」

 アンナは胸を撫で下ろしたかのように、大きく息を開いた。ここで、命に関わる病気、だったら心臓が飛び出しそうになっちゃうけどな。

「ただ、あまり長く放っておくと、身体に影響を残しかねない病気なんだ」

「そうなんですか?」

「ビジョラ病というのは、ビジョラレス菌というウィルスに感染すると引き起こされる病気で、長い潜伏期間を経て、高熱や嘔吐などを引き起こすんだ。たしかに、命には関わりは無いのだが……ウィルスが神経にまで及び、下半身不随などを引き起こす可能性がある」

「下半身不随……脊髄関係か」

「なんなんですか? カハンシンフズイって?」

 どうやら、アンナは初めて聞く用語らしい。

「……下半身が麻痺して、動かなくなるということなんだ」

 彼女の顔が凍り付いた。

「そんな……!」

「確率の問題だがな。とにかく、抗ウィルス剤があるジニーへ向かうとしよう」

 クロノスさんはスクッと立ち上がった。

「治せるんですか?」

「もちろんだ。ここ10年の間に、この世界の医学は飛躍的に伸びたのだよ。難病といわれたこの病気も、今では抗ウィルス剤が開発されているんだ」

「じゃあ、王都に行けば、薬は手に入るんですね?」

 僕は少しトーンが高くなった。治るというのがわかると、胸の奥にあった不安感が取り除かれたからだ。

「シュレジエンは最も魔法による医学研究が発展している国だからな。確証は無いが、きっとあるだろう。有名な病気の抗ウィルス剤は、どこの国でも手に入るからね」

「じゃあ、大丈夫なんですね! よかった、本当によかった……」

 アンナはペタンと床に座り込んでしまった。体に力が入っていたのが、安心して気が抜けてしまったのだろう。

「あの、クロノスさん。できれば、ジニーまでの道を教えてもらえないでしょうか? 僕たち、シュレジエンへ来るのは初めてでどうやって行けばわからなくて、途方に暮れていたんです」

 クロノスさんはニッコリと微笑んだ。もう、返ってくる答えがわかった。

「いいよ。私も一緒に行こう。……少々気になることがあるのでね」

 少し意味深な気がしたが、今はあまり気にしなくてもいいだろう、たぶん。

 一安心したところで、食事にしようと部屋から出ようとすると、クロノスさんが小さい声で僕を引きとめた。

「ビジョラレス菌は、特定の地域にしか生息しない、極めて珍しいウィルスなんだ」

「……と言うと?」

 僕は小さい声で問い返した。

「ゼテギネアの都アヴァロン付近によく生息していると言われている」

「帝都……?」

 いまいち、声を潜めて言う意味がわからなかった。だって、ヴァルバがゼテギネア出身というのは本人から聞いていたし。



 翌日、雪が止んだので、ジニーへ向けて出発した。昨日の猛吹雪が嘘のように、今日は雲の隙間から青空が覗いていた。

 外へ出ると、雪は1メートルくらいの高さまで積もっていた。これにはアンナも僕もビックリだ。一面に広がる雪景色は、朝日を浴びてきらきら輝いている。白銀の世界とはまさにこれだ。

「王都ジニーへはこの町から北へ歩いて半日のはずなのだが、雪が多いから日が暮れた時くらいの到着となるだろう」

 リーフ島はこのシュレジエン諸島で最も大きな島であるらしいが、北半分は年中雪で覆われているため、人が住めるような状態ではないらしい。そのため、リーフ島にある町や都市は、南半分に位置する。王都ジニーもまた、南よりだという。

 馬車(ヴァルバの愛馬はアルフィナに住む農業者に預けてきた)に乗り、除雪された通をノロノロと進んでいった。



 ルヴィアの外に出ると、広がる雪景色に目を奪われた。辺り一面、雪がきらきら輝き、反射された太陽光がまぶしい。所々に立っている木にも、葉っぱの一つ一つが雪に覆われていた。雪の道の果てには。真っ白な山々があり、まるで白い世界が延々と続いているように感じる。こういった風景は、テレビでも見たことがない。

「ここらの平原はリーフ島唯一の平原で、セルシウス平原というんだ」

「セルシウス……?」

 たしか、『摂氏何度』とかの『摂氏』というのは、セルシウスっていう人の名前から取ったって科学の授業で習った記憶がある。…曖昧だが。しかし、そういった名称などが、2つの世界共に微妙に関連しているのは、少々疑問に残るところだ。



 王都に到着したのは、クロノスさんが予想したとおり日が暮れた頃だった。とは言っても、まだ6時くらいで、『冬になると日が沈むのが早い』ためである。

 ジニーはルテティアには劣るものの、イデアより大きな城門を構えている都だ。けど、壮麗さでいえばルテティア以上だろう。なんたって、城門や城壁が全部、銀色に輝いているからだ。朝や昼ならば、城壁は太陽光で光り輝き、見る者の目を奪うのは間違いない。

 王都の中に入ると一直線の中央通があり、他の王都と同じようにその通を挟むようにして商店や住宅が立ち並んでいる。通のずっと先には、宮殿が建っていた。もちろん、王宮であろう。トルコのイスタンブールにある、ソフィア聖堂みたいな形をしていた。だけど、王宮はイデアやルテティアに比べれば少々こじんまりとしている。

「わかるだろうが、この通の先に行けば王宮に行くことができる」

 クロノスさんは王宮を指差して言った。

「ということで、私はこれで失礼するよ」

「えっ? 王宮に用があるんじゃなかったんですか?」

「いや、私はこの近くに用事があったのだよ。友人に会うのでね」

 クロノスさんはそう言うと、右手の人差し指を口に添え、口笛を鳴らした。そのまま、人差し指を立てていた。何のことかはわからなかったが、しばらくすると一匹の小鳥が上空から飛んできて、クロノスさんの指に降り立ってきた。そうか、よくある鳥を呼ぶやつか。生で見るのは初めてだ。

「わぁ、すごいですね。どうしたんですか? その鳥」

 アンナは笑顔を見せながら小鳥を指差した。

「二日前に知り合いの元に伝言として送ったのだが、昨日の猛吹雪で帰ってこれないと思ったのでね。ついでに、迎えに来たのだよ」

「つまり、伝書鳩ってやつですか? 鳩じゃないけど」

「ああ、よく知っているね。……まぁ、伝書鳩は本来、戦争で使われる遺志伝達方法だったのだがね」

 クロノスさんは細い目で、小さく微笑んだ。

「では、さよならだ。うまく女王に謁見できるとよいな」

「え? どうして、ラーナ様に会うことを知っているんですか?」

 僕たちが女王様に会いに来たことは一言も言っていないはず。

「ハハ……何となくだよ。機会があればまた会うこともあるだろう」

 そう言って、クロノスさんは暗がりの細い通路へ消えて行った。

「……お礼を言うタイミングを逃がしちゃいましたね」

 アンナがボソッと言った。

「あっ、そうだった。じゃあ、ありがとうございました」

 と、僕はクロノスさんが消えた方へ一礼した。

「今言っても意味ないじゃないですか」

「気持ちの問題だよ、気持ちの」

 すると、アンナは笑いながら歩き始めた。



 馬車を引きながら、僕たちは王宮へと向かった。

 王宮の前の門に着くと、衛兵に止められた。

「王宮に何の用だ?」

「ええと、女王様に謁見したくて来ました」

 超ストレート。あまりにも直だったので、兵士は質問するどころか当惑している。

「ラーナ様に……」

「はい。あと、仲間がビジョラ病という病気にかかっていて、薬をもらいたいんです」

 そう言うと、衛兵は驚いた顔をした。

「な、なんと、ビジョラ病!? それは大変だ。すぐに医者に診てもらおう。おい、医者に連絡しろ!」

 すると、一人の衛兵がダッシュでどこかへと行ってしまった。

「君たちは王宮へ!」

「えっ? い、いいんですか?」

「何を言っている! 早く診てもらわなければ!」

 僕たちは連れて行かれるがままに、王宮へと進んだ。あまりに協力的なので、少し混乱してしまう。ちょっとくらい、疑ったほうが安全だと思うんだけどな……。


 王宮には馬車は入れないため、僕はヴァルバを背負って進んだ。70キロを超えるであろうヴァルバの体を持つのは、結構辛いけれど、この世界に来る以前の僕だったら持つことはできなかっただろうな。何かと鍛えられたからなぁ。

 王宮の中に入ると、僕は驚かされた。大きくて広いから驚いたわけではない。今まで見てきた王宮に比べると、質素だったからだ。そう、壮麗さに欠けるのだ。質素な広間の中央には定番の階段があり、その奥には『王の間』があるのだろう。

 煌びやかなものはほとんど飾られておらず、絵画も一つも見当たらない。床には緑色のじゅうたんが敷かれているが、それ以外はどこかの下級貴族の館(見たことはないが)となんら遜色は無いようだ。

 ……シュレジエン王家はこんなところに住んでいるのだろうか? 王が住む場所にしては、本当に質素だ。

「さ、病人の方はこちらへ」

 どこからとも無く現れた衛兵の人が、丁寧に言った。

「あっ……お願いします」

 僕は背中に抱えていたヴァルバをその衛兵にゆっくりと背負わせた。その衛兵は鎧を付けているにもかかわらず、軽々とヴァルバを運んで行った。さすが衛兵。

「お2人はこちらへ。陛下がお待ちでございます」

 言われるままに中央の階段を上り、『王の間』へと進んだ。そこの扉を開くと、一直線の長い廊下があった。ゆうに100メートルくらいはある。もちろん、それと同じ長さのエメラルド色のじゅうたんが敷かれていた。どうやら、シュレジエン城は緑がテーマカラーなのだろう。

 長い廊下を進み、扉を開くと今度は横長の部屋に出た。向こう側の壁にはいくつかの扉があり、中央の扉が1番大きかった。

「こちらです」

 衛兵が差し出した方向は、その最も大きな扉だった。

 扉を開くと、大きな円形の部屋に出た。そして、その奥にいくつかの玉座が対になるようにあり、一人の女性が座っていた。

 あの人が……ラーナ様か……。黒く、腰まである長い髪で、着物に似た服を着ている。西洋風に改良した着物、という感じだ。穏やかな顔をしていて、どこか懐かしさを感じた。

「どうぞ、お座りになってください」

 その女性は凛とした声で言った。あまりにも優しい声なので、思わず体が固まってしまった。威厳のある声とは違い、こういう感じの声をされると逆に緊張してしまう。

 僕たちは恐縮しながら指し示されたイスへ座った。


「初めまして。シュレジエンを治める、ラーナと申します」


 すると、ラーナ様は丁寧に頭を下げた。僕は慌てて頭を下げた。

「そんなに緊張しないでいいのよ。あなたたちは下がっててくれる?」

 メイドのような人や、衛兵たちはペコリと一礼して、垂れ幕の奥へと消えていってしまった。

「自己紹介してくれるかしら?」

 ラーナ様はニコリと微笑んで言った。優しい笑顔……。まるで、母親の笑顔のようだった。

「わ、私はアンナと言います。じゅ、14歳です」

 アンナは以前みたく、カチンコチンに固まっていた。まだ慣れていないみたいだ。

「年齢は言わなくてもよかったのに」

 クスクスとラーナ様は笑いながら、「よろしくね」と言った。

「僕はソラと言います。よろしくお願いします」

 僕はペコリと一礼した。

「よろしくね」

 ラーナ様の声から優しさが伝わってくる。……こういう声を持つ人っているんだな……。こういった人に出逢ったことが無いので、少々驚いた。

 空や海も優しさ……が伝わってくる雰囲気を持っているのだが、違う。この人が持っているこの雰囲気……なんだろう、心が安らぐ。

「あなたたちのことは、リサちゃんから聞いているわ。ソラ君が、別世界の人間ということもね」

 僕は顔を上げた。リサはそこまでのことを言っていたのか。

「……信じてもらえるんですか?」

 僕は恐る恐る聞いてみた。信じてもらわないと、話は進まないからな。

「そうね……少なくとも、別世界があるということは知っているわ」

「えっ!? ど、どうしてですか?」

 僕は早口になった。

「このシュレジエン諸島にはね、古代遺跡がたくさん眠っているの。もちろん、彼の古代魔法文明ティルナノグのもの」

 リサの言っていたとおり、か。

「リーフ島の北半分は一年中深い雪に覆われていて、その中に古代遺跡がいくつかあるの」

だから、このシュレジエンは技術機関を用いて研究や古代文字の解読を長い間行っていたらしい。

「その中で、今から数千年ほど前の古書が見付かり、この世界と繋がっている、もう一つの世界があることがわかった」

「それだけで、信じることができるんですか?」

 たかが書物。伝説と同じようなものの類かもしれないのに。

「このシュレジエンにも、別世界の伝承が残っているんです。それも相まって、別世界伝承は本当だと信じられるようになったのです」

「その、シュレジエンに伝わる伝承とはどういったものなんですか?」

 僕は少し身を乗り出して訊ねた。

 ラーナ様によると、『かつて世界は一つだった。記憶さえも失ったのではないかと思うほどの古に、全てを握りし者、世界を滅ぼす。世界は消え、星の遺産は二つの世界を生み出した。創造の時に分たれた〈天〉と〈地〉。それぞれは世界となり、天は〈レイディアント〉、地は〈ガイア〉。全てを握りし者、神々の呪縛にて罰を受ける。断罪の審判、永遠の黄昏に沈む』……これが、伝承。

「……創世神話に似通ったものですね」

 アンナが言った。

「全てを握りし者……神々の呪縛……」

 そう言えば、この世界に降り立った頃、ヴァルバとアンナが言っていたような……。

「……その、見付かった古書にはなんて書いてあったんですか?」

 そう言うと、ラーナ様は小さくうなずいた。

「古書には、ティルナノグの『時空研究員』の研究結果が書いてありました」

 その内容とは、研究員による時間軸を固定する実験の最中、ある時間軸を発見したというものだった。その新しく見付かった時間軸というのが、もう一つの世界……ガイアのことなのだという。

「時間軸……? どういうことですか?」

 僕にはよくわからない単語なので、訊かずにはいられなかった。

「私もまだよくわからないのです。ただ、技術機関によると……何らかの影響で生じた時間の流れ……簡単に言えば、この世界が歩む1つの『道』ということらしいわ。そうね……世界の『運命』そのもの、というものでしょう」

「運命、か……」

 命を運ぶと書いて、運命。そのレール、軌跡、最初から敷かれていた進むべき道。僕としてはそんなもの信じていない。というより、信じたくない。

「つまり、2つの世界は何ならかの事象によって分岐して生まれた……ということなんでしょうか?」

「古書や伝承を信じれば、そういうことになるでしょうね。でも、実際にありえるのかしら……たかが一つの事象で、世界が二つに分かれてしまうということが……。いえ、実際になっているのだから、本当なのでしょうけれど……」

 ラーナ様は顔を曇らせ、俯いた。

「答を知る術は無いんでしょうか?」

 僕は質問を変えた。

「わからないわ。もっとたくさんの古書や遺跡を調べたら、ちょっとした情報はあると思うのだけど、調べるのに数十年単位でかかりますし……」

「数十年かかっちゃ、もう意味が無いですよね」

 僕は苦笑いをして言った。

「実は、この島より北に開拓されていない大陸があるの」

「……初めて聞きました。2大陸だけじゃなかったんですね」

 アンナは少し驚いていた。そう、教えられてきたのだろう。僕としては、この世界がそんなに狭いとは到底思えなかったから、まだまだ開拓されていないんじゃないかと考えていた。

「その大陸には、ティルナノグの都や重要都市が眠っているという伝説もあるの」

 伝説と云われたティルナノグの?

「そんなものがあるっていうなら、どうして調べていないんですか?」

 ティルナノグ時代の都市などがあると噂される大地を、放っておく意味がないからな。

「……北の大陸は、このリーフ島北部よりも環境が厳しい大地で、目を開けていられないほどの吹雪が猛威を振るっています。しかも、永久凍土の大地が形成されるほどのものです。もちろん、人間が行けるような場所ではないのです。……だから、建国されてから一度も調査が行えなかったのです」

 ラーナ様は少し、申し訳なさそうに言った。

「そうだったんですか。……じゃあ、『聖魔の力』っていうのをご存知ですか?」

 僕はもう一つの疑問をぶつけた。自分の持つ、不思議な力のことを。

「聖魔の力ですか? ごめんなさい、知らないわ」

 ラーナ様は顔を小さく振った。

「そう、ですか……」

 僕は顔を沈ませた。リサに「自分を知ることになるかも」と言われたので、期待していたのだが……。少しでも、あの力に関する情報が欲しかったのに。このシュレジエンに来たのは、そのためだったのに。



「……ただ」



 ラーナ様の声に反応し、僕は顔を上げた。

「関係しているかどうかはわからないけれど〈聖魔の神剣〉というのがあるのを知っていますよ」

「えっ!?」

 がっくりから一転、僕は仰天した。

「な、なんですか!? その〈聖魔の神剣〉っていうのは!?」

 思わず興奮気味になり、声が大きくなる。ラーナ様はそれに驚き、少しだけ目をパチクリさせていた。

「ソフィア教団に伝わる、神の剣といわれるものです。太古の昔、世界を〈闇〉が支配していた頃、一人の若者に神が与えた〈神剣〉。その若者は闇を払い、光を取り戻した。けれど、力に溺れた若者はその〈神剣〉を血で染め上げ、最後は〈魔剣〉と化した〈神剣〉によって滅ぼされてしまった、という伝説があります。故に、〈聖魔〉の神剣と呼ばれているのです」

「……? どういうことですか?」

「所有者の心によって、闇を屠る剣にも、光を穿つ剣にもなってしまうということですよ」

「つまり、持ち主の心次第ってことか……」

 心を反映する、神の剣。……持ち主を選ぶ、心を持った神々の剣……なのかもしれない。

「聖魔の神剣は、ソフィア教の創始者アイオーンが破壊神リュングヴィを倒したという伝説もあるんです。これは、子供たちの間では英雄譚として語られているんですよ」

 英雄譚ねぇ……。ナポレオンやアレキサンダー大王とかみたいなものか。

ん? 今、リュングヴィって言った?

「あ、あの、破壊神リュングヴィって……?」

 僕は恐る恐る訊いた。胸がドキドキする。奥底からの声は、聖魔の力はリュングヴィの力だとも言っていた。もし、それが本当なら……

「本当かはどうかはわからないけれど、2000年近く昔に、ティルナノグを滅ぼしたといわれている破壊神リュングヴィを、聖者アイオーンが〈聖魔の神剣〉を携え、壮絶な戦いを繰り広げ、破壊神を倒したという伝説よ。たぶん、ソフィア教団が創始者を神格化させるために、破壊神というものを作り上げたのでしょうね」

「どうして、そうだと思うんですか?」

 アンナは挙手して訊ねた。まるで、生徒みたいだ。

「正史ではティルナノグは時の天帝によって、滅ぼされたと書かれているからよ。〈破壊神〉が滅ぼしたという記述は残っていないもの」

「えっ? ちょ、ちょっと待ってください。ティルナノグは天罰で滅びたんじゃないんですか?」

 僕はそう聞いていた。世界を蹂躙するティルナノグに、神の雷が落ちたと。

「それは他国に伝わる伝説でしょう? シュレジエンには独自の歴史学が発展していて、それは古書の研究に基づいているからそれなりに信憑性はあるといわれているの。ゼテギネアやルテティアで伝わっている歴史は、口伝によって伝わったものを都合のいいように、あるいは神がかり的なものを付け加えたものなのです」

「そうだったんだ。へぇ〜……」

 きっと、物知りなヴァルバさえも知らないことだろうな。後で教えてやろ。


「最後の天帝の名は……ユリウス。彼が、世界を支配したティルナノグを滅ぼした人間です」


 彼は皇室に伝わる禁じられた封印を解き、その力をもって世界を支配していたティルナノグを滅亡させたのだという。彼は民を解放するために、帝国を滅ぼしたとされるが、実際、彼はどうやって滅ぼしたのか……そこらは謎である。なぜ滅ぼしたのかは、それについて書かれているとされる『プラニッツ聖典』の腐敗が激しいため、わからないという。

「たかが人間……か」

 どうも、重要な部分だけが偶然なのかわからない。今までもそうだった。いや、わからないようにされているんじゃないのか?

 そんな疑問を考えていると、この部屋に一人のメイドさんが入って来た。

「お客様、ヴァルバ様には抗ウィルス剤を投与いたしましたので、もう大丈夫とのことです」

「ホントですか!? ああ、よかった……」

 アンナはペタンとへたり込んだ。きっと、今の今まで内心、ずっと心配だったんだろうな。

「もう、大丈夫なんですか?」

 僕は念のために訊ねた。

「ええ、もちろんです。お医者様はそう仰っていました」

 メイドさんはニコッと微笑みながら言った。思わず、僕は恐縮した。

「では、ヴァルバさんの所へ行ってきてもいいですよ」

 ラーナ様は立ち上がった。

「い、いいんですか?」

「ええ。また、後でソラさんとお話したいですけど、よろしいかしら?」

「あ、はい。もちろんです」

 ラーナ様は微笑み、奥の垂れ幕へと消えて行った。



 僕たちはメイドさんに付いて行き、ヴァルバがいる部屋へと向かった。部屋に入ると、白いベッドの上で横になっているヴァルバがいた。

「……よぉ」

 ヴァルバは僕たちに気付くと、横目で見つめた。

「済まなかったな……迷惑をかけて……」

 変な笑いをしながら、そう言った。

「別にいいって。どうせここには来る予定だったし、ついでだよ、ついで」

 僕は笑いながら嫌味を言ってやった。

「へん、うっせーやぃ。お前にもうつしてやろーか?」

「皮肉を言う元気があるなら、もう大丈夫なようだな」

 僕は思わず微笑んだ。いつも通りのヴァルバだと、安心する。

「……おかげさまでな」

 ヴァルバは目を閉じた。そして、大きく息を吐いた。ようやく、落ち着いていられるといった感じだろうか。

「ホントによかったですね、ヴァルバさん……」

 アンナは本当にうれしそうな声で言った。

「そんなに心配したのか?」

「当たり前です。麻痺が出るとか言われたから……」

「ああ、それか。ビジョラ病、か……」

 遠い目で、彼は天井を見つめた。

「ヴァルバ……」

「勘がいいやつなら、気付くが……あまり深く考えるなよ、ソラ。俺は俺だからな……」

 そう言われても、ちょっと僕にはわからなかった。

 クロノスさんは言っていたっけ、「ビジョラレス菌は帝都付近にいる」って。けど、ヴァルバはゼテギネア出身ということは、本人から聞いているから驚くことではない。偶然、帝都の近くに住んでいたってことなんじゃないのか? それとも、言葉の裏に隠された意味でもあったんだろうか? 副音声でもあったのか?

「……その様子じゃあ、まだわかってないようだな。まぁ、いい。俺は少し疲れた……寝るよ……」

 そう言うと、ヴァルバはゆっくりと目を閉じた。

「薬が効いてきたようですね」

 白衣を着たおじさんが言った。メガネをかけ、いかにも医者って感じのおじさんだ。

「薬?」

「ええ。抗ウィルス剤の副作用で、眠ってしまうんですよ。眠くなったということは、抗ウィルス剤が効いてきたということです」

 医者はメガネをクッと上げた。どこの世界も、医者っていうのはどうもメガネが好きだよなぁ。たまたまかもしれないけどさ。

「では、私はこれで……」

 医者は荷物をまとめ始めた。

「あ、あの、ありがとうございました」

 アンナは医者に大きく頭を下げた。僕も急いで一礼した。感謝の心を忘れるな。それが、父さんの教だったもんな。

 医者は僕たちの方に向き直ると、ニコリと笑って会釈をした。

「ともかく、よかったな」

「そうですね。ラーナ様に感謝しなくちゃ」

「そうだな。……ラーナ様って、今まで見てきた王様とは全然違う人だよな」

「なんていうか、すごく優しい人ですよね」

「うーん、僕は母さんみたいだと思ったな」

「……お母さん?」

 僕はうなずいた。

「ああ。母性を感じさせる人というか……理想の母親像っていうのかな」

「理想の母親……たしかに、女王様っていうよりはお母さんっていう感じですよね」

「それなんだよ。なんだか、王様独自の緊張感じゃなくて、もっと和やかな雰囲気を作り出してくれるんだよな」

「……ラーナ様って、結婚されているんでしたっけ?」

「ラーナ様は……ホラ、いつだったか、誰かが言ってなかったっけ?」

「誰か……?」

 僕は記憶の糸を手繰り寄せた。えーと、えーと……そうだ! レンドの船に乗った時、誰かが言ってたんだ! その誰かは思い出せないけど。

「たしか……ラーナ様は先代国王の奥さんで、後継者だった息子の王子が亡くなったとかで、分家ながらも王家の血を継ぐラーナ様が即位することになったって言ってたよ」

「……ラーナ様、お一人できっと寂しい想いをなさっているんでしょうね」

 アンナはしゅんとした声で言った。

「……女性が家族を失って、感情を押し殺して自国の長としてやっていかなきゃならないっていうのは、僕たちでは想像できないほど辛くて、苦しいことなんだと思う。けど、ラーナ様はきっと、国民にとても愛されてるんだろうな」

「どうして、そう思うんですか?」

「……この国の人たちを見れば一目瞭然だよ。笑顔が溢れてる。みんながみんな、きっと平等にされているんだよ。それに、ラーナ様のあの優しさ……あれを嫌う人の気が知れないしね」

 僕は笑いながら言った。だからこそ、この国は「平和王国」と謳われるんだよ。

「フフ、そうですね」



 その後、ヴァルバは2日ほど寝続けた。イデアに行くまで灼熱地獄の砂漠で迷い(自業自得だが)、ホリンと戦って死に目に会うし、それから気温が正反対のシュレジエンまで直行でやって来て、そりゃあ疲れもたまるだろうよ。僕も実を言うと、かな〜りくたくただった。ヴァルバが寝込んでくれて、ゆっくりと休むことができた。今となっては、感謝感謝。

 ヴァルバが寝ている間、僕はラーナ様と話をした。ラーナ様は僕のいた世界のことにすごく興味があったようで、どうやらリサの言っていたことはこのことだったようだ。

 ラーナ様はまるで母親のように、自分の子供が学校での話を話す時のように訊いていた。不思議と、それは嫌ではなかった。上から見られているような気がしないからだ。だから、話をしている僕も心地がよかった。やっぱり、どことなく懐かしさを感じる。シュレジエンは寒い土地なのに、どうしてか暖かく感じる。それは、ラーナ様がかもし出す、雰囲気……人間の暖かさ本来の雰囲気なのだろう。

 ああ……そうだ。わかった。

 この雰囲気は、母さんのそれと似ているんだ。懐かしいと感じたのは、それが理由だ。

 そういうこともあり、僕はこの3日間、王宮に滞在させてくれる代わりにラーナ様に肩たたきをしてあげた。ラーナ様の肩は予想通り、小さくてほっそりとしていた。僕の母さんといえば、少々太り気味だったので、ラーナ様の体型をコピーさせてあげたいよ。

 肩たたきといえば、母さんよりも父さんにしてあげてたな。父さんは仕事から帰るとたまに、「肩もんでくれ〜」とかって言っていたので、渋々ながらもやってあげていた。母さんには、本当に時々しかしてあげていない。そう、母の日とかにね。まぁ自主的にではなく、やってあげたらお小遣いやらくれるので、めんどくさくてもやっていたのだ。たぶん、同世代の子供は同じような理由でやっていたんだと思うけど……古いかもしんないな。

 ラーナ様に肩たたきをしていて思ったけど、やっぱり無理をなさっているんだなと思った。うちの父さん以上に固かったのだ。やっぱり、国王というのは常人では想像ができないほど激務なんだろう。それも、支えてくれる家族がいないということも相まって。


 僕は失礼を承知で、そこのところを聞いてみた。


 ラーナ様の旦那さんは、85代国王アレクセイ14世という人で、若干20歳で即位されたそうだ。即位と同時に、太子時代からの恋人だったラーナ様と結婚され、一児をもうけたという。ちなみに結婚時はまだ18歳だったそうだ。しかし、ラーナ様が33歳の時、つまり2年前、国王が原因不明の病気で急逝してしまい、王子である息子はその翌日に姿を消したという。どうやら急死というのは嘘らしく、王子が政務を嫌って行方をくらましたという風評を出さないためにも、急死……事故死にしたのだという。他に子供はいなく、旦那さんの兄弟もいないため、王妃だったラーナ様が即位することになった。

 ラーナ様が言うには、旦那さんも息子さんも一日中、外の風景を眺め、暇があれば笛を奏でる人だったという。2人とも、王族でなければ吟遊詩人になりたかったと言っていたそうだ。けど、国を思う気持ちは人一倍大きく、宮殿を質素なものにして国民の負担を軽くしたり、昔は王族や貴族しか入学できなかった王立学校に平民の人も入学して勉強できるようにしたり、国民のために自分の命を削ってきたらしい。……そういうこともあり、旦那さんは若くして体を悪くすることが多かったそうだ。

 ラーナ様がそういったお話をされる時、とても優しかった。にこやかな笑顔をして、よき想い出の日々を振り返るその姿は、母親が幼子に昔話を語る用でもあった。しかし、やはり辛いことがあった時期のことを話をする時は、感極まってぽろぽろと涙を流す場面もあった。つまり、それほど旦那さんと息子さん……家族を愛していた証拠なのだろう。


 僕も、つい泣きそうになってしまった。


 ……僕はもう元の世界には戻れないから、父さんと母さんに会うことはできない。つまり、死に目にも会えない。それを考えると、本当に僕は泣いてしまいそうだ。息子2人がいなくなってしまって、2人はどれほど悲しい思いをしているのだろう。きっと、2人にしかわからない、深淵に落とされたかのような、絶望に近い悲愴なのだろう。

 よく、考えていなかった。僕は別れが悲しくなるからって、最後の日に父さんと母さんに、一言も言わなかった。僕は今、それをとても後悔している。自分の息子が突然、一言も言わずにいなくなるという悲しみの大きさは、ラーナ様から聞いてようやく理解した。


 だから、後悔した。どうしてあの時、何も言わなかったのだろうと。


 ……神様がいるのなら、もう一度会わせてほしい。そして、ちゃんとした別れの言葉を交わしたい。それが、僕ができる唯一の恩返しのような気がする。別れの言葉が恩返しっていうのもおかしな話だけど……。



 その日の夜、静まり返った暗い寝室のベッドの中で、小さく泣いた。隣のベッドで寝ている、アンナに気付かれまいと。



 久しぶりに涙の味を思い出した。それも、僕が最も嫌いな、悲しみの涙の味を。

しょっぱく、切なく、どことなく冷たい。そう、まるでシュレジエンの空気のようだった。



 シュレジエン。風の吹く王国、か……。



 そこにあった風は、親の香りを運んできた。






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