31章:船旅 寒空の下で
今回はストーリー的にはあんまし進みません。
9月27日。アルフィナの港で僕たちは大きな船に乗った。ルテティアのほこる大型船『ラビリンス』だ。
大きいとは言っても、ガイアでもっと大きい船とかを見てきた僕にとっては、あまり驚くものではなかった。隣で口を開け、船を見上げている二人には悪いけど。
今日は晴天なり、であるが、なんと言っても風が寒い。この晴天の太陽光がせめてもに救いか。
かかる日数は約15日。船で15日って、結構な距離なのだろうが、地図が無いので距離を把握することはできなかった。ヴァルバにも訊いてみたが、二大陸の地図と7つの海を網羅した地図というのは、一般人では手に入れることができないらしい。そもそも、このレイディアントはまだまだ未知なる大地があるらしく、世界を把握し切れていないのが現状のようだ。つまり、ガイアの大航海時代を迎える以前の世界、といったところか。いずれ、見つけるようになるんだろうけど。
船に乗り、指定席へ向かった。中はいつか乗った義賊(もしくは海賊)のレンドの船を思い起こさせる。ほとんどが木で作られていて、そこはかとなく彼らの雰囲気が漂う。ガイアによくある、船の色が黒と白の半々で中はほとんど白だったり、青緑色だったりしたら、少々明るい感じはするんだけれど。ま、ようは色の問題ということなんだけどね。
部屋はヴァルバと同室だった。アンナだけ、違う部屋だった。
「なんだか、心配だな」
僕は部屋の二段ベッドの上でねっころがりながら言った。
「何が?」
二段ベッドの上のせいか、ヴァルバの声が頭の下から聞こえる。
「何がって……アンナだよ」
「アンナ? 何でよ?」
「そりゃあ、女の子を一人にすると何かと心配だろ」
「ああ、何かあったら、一人じゃ何もできないからな」
「だろ? 大丈夫かな……」
「……ふ〜ん、なるほどねー」
ヴァルバは少しにやついたように言った感じがした。
「……なんだよ?」
無粋に言ってやった。
「そこまで心配するんだな、お前って」
「当たり前だろ。アンナはまだ14歳だぞ?」
と言うと、ヴァルバは小さく笑った。
「お前だって俺の約半分程度しか生きてないくせに、なに偉そうに言ってんだよ」
「違うっての。ただ、あいつと一緒に旅をしている以上は、僕たちがあいつを守らないといけないじゃないか」
「まぁ、な」
ヴァルバはどことなく受け流したように言った。
「なんだよ、その適当な言い方は?」
「俺はお前ほど立派な人間じゃないからなぁ」
まるで、自分を嘲笑っているかのように、ヴァルバは笑った。
「……僕は立派な人間なんかじゃないよ」
「そりゃそうだ」
「馬鹿にすんなっつーの!」
「ハハ、怒るなって。……俺はお前がうらやましいよ。そうやって、他人を思いやる気持ちを育むことができる生活の中にいれたことがさ」
ヴァルバの顔は見ていないが、どことなく悲しい感じが漂ってきた。言葉だけで伝わってくる。
僕は訊いてみたくなった。ヴァルバがどこで育ち、どのような生活をして、どんな考えを持って生きてきたのか。
「……なぁ、訊いてみてもいいかな?」
「ん? どうした? 改まって」
ヴァルバはさっきとはうって変わって、陽気な感じで返事をした。
「……ヴァルバはどこ出身なんだ?」
「…………」
沈黙。やっぱり、訊かない方がよかったのだろうか。
そう思った時、ヴァルバは口を開いた。
「俺の故郷か……そうだな……」
ヴァルバはうーんと少し唸った。
「俺はさ、ゼテギネア出身なんだよ」
「ゼテギネア……?」
アルカディア大陸の大部分を支配する、中央集権国家だったか。
「驚いたか?」
「えっ? ま、まぁ少し」
少々、驚いた。てっきり、ルテティア出身だとばかり。もしくは、イデア。
「……何で黙ってたんだ?」
そうだな、とヴァルバは一呼吸入れた。
「……ゼテギネア出身なんてこと言ったら、ロンバルディアでは嫌われ者になっちまうからな。旅をするには、『ゼテギネア出身』つーのは不便なんだよ」
なるほど、ね……。
「俺は純粋なゼテギネア人の父と、純粋なイデア人の間に産まれたんだ。だから、生まれつき肌が褐色なのさ」
「ゼテギネア人とイデア人……」
交流のありそうな2国ではなさそうだけどな。
「父親は一年中、仕事ばかりで俺の顔もろくに覚えていない有様でよ。母親は母親で病弱だったし。だからさ、お前が羨ましかったんだ。きっと、両親に愛されて生きてきたんだろうなってさ」
「……愛されて、か……」
ちょくちょくケンカしたことはあるけど……両親は、僕と樹を思いやってくれていた。直接聞いたわけではないが、何となく、十数年過ごす中で気づいたものなんだよな。
「……感謝しろよ、親に。そうやって育ててくれたことをな。感謝する気持ちを失うと、お前は必ず堕ちてしまうだろうよ」
「堕ちる……?」
そう訊くと、ヴァルバはフッと鼻で笑った。
「俺が教えることじゃないさ。それに、堕ちるところは人によって様々なはずだしな。……それがわかるようになれば、お前も他人を『護る』に足る人物になってるはずさ」
「……まだ、僕は他人を守ることができるほど強くないってことか?」
「そういうこと」
またもや、ヴァルバは笑い出した。
「馬鹿にすんなって!」
「怒るなよ。俺も、まだそれ相応の強さを持っていないしな」
「……んだよ、偉そうなこと言う割には、ヴァルバも大したことねぇじゃんよ」
「うっせ!」
「……だけどさ、強さを持つまで大切な人は守れないってことなのか?」
ヴァルバは何も言わなかった。たぶん今、鼻の辺りを指先でかいているはずだ。
「守るに足る力を得るまでに、大切な人を守ることができないっていうのは……嫌だよ。だから、力が無くても精一杯守ろうとする気持ちも大切なんじゃないのか?」
要は気持ちの問題……な部分もあるはず。
「……そうだろうな。たぶん、お前の言っていることは正しいよ」
珍しく、ヴァルバは僕の意見に賛成した。けど、そう思った次の瞬間、再びヴァルバは言った。
「けどな、そういった気持ちを持っているからって、守れるとは限らないんだよ」
「…………」
「どんなに想っても、想いを積み重ねたとしても、どうにもならないことは存在するんだ。守るに足る力が無ければ、結局のところ意味が無いんだよ」
まるで、ヴァルバは自分のことを言っているようだった。そういう経験があるからこそ、今のように言えるのだろうか。
「だけど……」
「俺としての、一個人の考えだ。俺は俺。ソラはソラ。お前は自分がやりたいようにやりゃいいんだよ。きっと、な」
ヴァルバは僕の言葉を遮って言った。
「さてと、俺は一眠りするよ」
「おいおい、まだ昼前だぞ?」
「昨日、あまり寝てなかったんだよ」
「ふーん……」
「なんで寝れていないの?」と訊きたかったが、なんとなく訊かない方がいいような気がした。なんとなく、だが。
ヴァルバは寝てしまったので、僕は甲板へ出ることにした。
甲板に出ると、冷たい風が吹き抜けていった。今から、雪の降りしきる島へ行くのだから、こんな格好で出るのは馬鹿だよな(長袖一枚と長ズボンしか履いていない)…。
甲板には、他の乗船脚の人たちがいた。全員というわけでもないと思うが、結構人数は多い。……40人くらいか。高校の一クラスってところ。
すでに、大陸は青白く霞んで見えなくなっていた。乗船して数時間。まぁまぁの速さのようだ。海賊のレンドの船に乗った時もそうだったけど、晴れた日の航海って、旅してるなぁって実感する。上には真っ青に広がる青空と白い雲、そして下には紺色の大海原。水平線の彼方では、その空と海の青の境界線があった。きっと、自分が昔から思い描いていた「旅路」の姿だからこそ、胸が躍るんだろうな。
潮風の匂い、実は苦手だ。小さい頃、家族と日向家と一緒に海水浴に行った時も、泳いだ後、気持ちが悪くなってしまい、もどした経験がある。だけど、この世界の潮風の匂いはあまり気にならない。海がきれいということと関係があるのかな。
「あ、ソラさん」
後ろから、アンナの声が聞こえた。振り返ると、風になびかれているアンナが立っていた。
「ソラさんも展望ですか?」
展望…。展望なのかな。
「まぁ、そんなとこ」
アンナは僕の横に立ち、海を眺めた。
「……きれいな海ですね……」
「ああ」
「ソラさんのいた世界の海は、この世界のとは違うんですか?」
僕はうーんと唸った。あんまし海ってのを眺めたことが無いしな……。
「たぶん、場所によってはここの海と大差はないんだと思うよ」
「場所によってはって?」
「……僕のいた世界は、文明の成長に伴って星が蝕まれていってるんだ」
「そう、なんですか?」
「その過程の中で、海もまた汚れていってさ。泳ぐこともできない海なんて、たくさんあるんだよ」
ゴミの吐きだめになった時代もあったしな。
「どうして、そうなったんですか?」
好奇心に襲われた瞳で、彼女は僕を見る。
「もちろん、人間のせいさ。言ったろ? 文明の成長に伴ってって。生活の豊かさを求めるために、多くのものを犠牲にしてきた結果が、現れてきているんだ。地球温暖化って言ってさ、平均気温がどんどん上昇して、海面が上昇するっていう現象が起きてるんだよ」
「え? なんで気温が上昇すると、海面が上昇するんですか?」
「ガイアには南極と北極っていう、氷だけの大地があるんだよ。気温が上昇すると、そこの氷が溶けちゃって、海面が上昇するんだ」
「へぇー。じゃあ、なんで暑くなっちゃうんですか?」
「それは……」
と、小1時間ほどアンナにガイアについてのいろいろな話しをした。こんな国があるとか、こういう法律があるとか。他にも世界遺産(個人的に、歴史関係の物を見るのは好きなため)についても話した。アンナは、見たこともない世界の話を聞いているためか、子供が英雄譚を聞く時かのように、目を輝かせながら聞いていた。
数日が過ぎ、ガレ島に到着した。甲板からガレ島を眺めると、小さな島ということがわかる。殺風景な島には、港くらいしか町らしい町というものが見当たらない。人も、ぽつんぽつんとしか見えない。
「ガレ島はな、ミッドラント帝国がシュレジエンを制圧しようとした時に、両国が戦った戦場になったんだ。それまでは、2大陸を繋ぐ一つの貿易都市として、隆盛をほこっていたんだってさ」
「ここも、戦争の被害を受けたのか……」
「ガレ島は、シュレジエンへの物資流通拠点でもあったからな。ミッドラントは、ここを潰しておけば、兵糧を確保しにくいシュレジエンを苦しめることができると思ったんだろ」
「どうしてシュレジエンは兵糧を確保しにくいんだ?」
「そりゃ勿論、シュレジエンでは年中、雪が降りしきる、厳しい土地柄だ。自国内で兵糧を確保しようとするのは無理があるんだよ」
「なるほどね……」
戦略の過程の中で標的にされてしまい、今は過去の隆盛の影も残さない島となってしまった。この世界もまた、あの世界と同じなんだと実感した。違うのは、自然だけなのかもしれない。
数時間後、日が暮れそうになった頃に、ラビリンスは再び出発した。
それから次の日の夕方には、オルーヴェ島に到着。ここはガレ島とは打って変わって、賑わいを見せていた。島も一回り大きく、人々が忙しくあちこちに行ったり来たりしている。
どこと無く、ミレトスのように感じた。町の作りも似ているし、貿易都市ということも相まってそう感じるのかもしれない。とは言っても、ミレトスは暑かったが、この島は寒い。ずいぶんと北に来たようで、アルフィナよりも何度か低いように感じる。
……そろそろ、雪でも降りそうだ。
翌日、昼過ぎにアルテスタ島へ向けて出発した。毎日、甲板へ出て海を眺めていたが、いい加減、寒さを我慢できなくなってきたので、部屋でぐーたらすることにした。
そういえば、何もしない日は、今みたいにしていたっけ。こうすることを、しばらく忘れていた気がする。違う世界だから、当たり前かもしれないけどね。
またもや、思ってしまった。
父さんや母さんはどうしているだろうか。先月(今日はもう10月5日)の空と海の誕生日の時に、その二人のことを考えたが、親のことを考えていなかった。
元気にしているかな。この世界の時間と共に、あっちの世界も同じ時間を経過しているのだとしたら、僕がいなくなってしまったあの家は……両親はどうなってしまっているんだろう。
……すごく心配しているんだろうな。なんだかんだ言って、父さんと母さんは心配性だったからな……。
手紙を置いてきたといっても、一言も言わずに姿を消したんだから。
翌日、アルテスタ島に到着した。アルテスタ島は、一つの島ではなく、いくつかの小さな島が連なってできた島らしい。満潮時にには、島々を繋ぐ浜辺が消えてしまい、分離するようだ。
海がすごくきれいで、沖縄みたいな『夏の海』ではなく、『秋・冬の海』という感じだった。
この島で、十数人の乗船客が降りて行った。どうやら、この島は観光地としても有名らしい。しかも古代遺跡が残る島でもあり、それによる効果もあるようだ。
日が暮れて、リーフ島へ向けて出発した。
「あー……寒い!」
アンナと一緒に小さな丸テーブルを囲んでトランプをしていると、ヴァルバが文句を言うかのように呟いた。
「どうしたんだよ? 急に」
僕はカードを一枚出した。
「ドボンです」
と、アンナはニコッと笑った。
「げ、また負けちまった」
「寒いんだよ〜。体が震えるんだよ〜」
「今に始まったことじゃないだろ〜? 僕たちだって寒いんだよ、我慢しな」
「お前は俺の奥さんかっつーの」
「なわけないだろ、バカ」
僕とアンナは互いのカードを混ぜ合わせ始めた。この世界のトランプゲーム、意外とルールは単純で、暇つぶしにはちょうどいい。
「ヴァルバさんとソラさんは男同士ですよ? 結婚できませんって」
「……そんな、真に受けなくても……」
久しぶりに、アンナの天然ぶりが出た。思わず、肩を落としてしまった。
「とにかく! 寒いからどうにかしてくれ!」
ヴァルバは子供のように言い出した。
「あーもう、うっせー! 33の親父にもなって、ガキみたいなこと言うなっての! アンナ、うるさいから甲板行こうぜ」
「あ、はい」
「お〜い、ホントに寒いん――」
部屋から出て扉を閉めると、ヴァルバのセリフが途切れた。どうせ構ってほしいんだろーなんて、心の中で微笑んだ。
階段を上り、扉を開けるといっそう寒い風が入って来た。以前よりも、数倍寒い風だ。
「うわっ、寒いな」
「そうですね……」
青空が見えるかと思ったら、どんよりとした雲が上空に広がっていた。どこもかしこも、白と灰色が混じった雲がこの世界の空を全て支配しているかのようだった。
「なんだ、今日は曇りか」
「いい天気だったら、寒くても甲板に出る価値はありますもんね」
「そうだな。……海ってこんなにきれいなんだ、って思うようにもなったしね」
あっちじゃあ、きれいだなんて思ったことはほとんどなかった。
「昔、ソラさんが海が苦手だったなんて、なんだかおかしいんですよね」
アンナはそう言うと、クスクス笑い始めた。
「わ、笑うなよ。誰だって、弱点ってのはあるもんなんだよ」
「そうですね」
フフッと微笑みながらアンナは言った。
その時、白いものが見えた。小さくて、丸みを帯びた物体。
「あ……」
「どうしたんですか?」
アンナは顔をかしげた。
「……雪だ」
「え?」
僕は上を見上げた。アンナも、同じようにした。その目の先には、いくつもの白い粒がチラホラ降っている。
「これが……雪?」
「ああ、雪だ」
まだ10月。なのに、もう雪が降り始めている。ガイアでは、日本ではありえないことだ。いや、東北地方からは降ってるのかも。
「初めて見ました……」
彼女の顔は、最初は驚きの表情だったが、だんだん笑顔に変わっていっていた。自然と口が開いて、首が疲れても白い粒を降らしている白い雲を見上げている。
「アンナは見るのは初めてだったよな」
「はい。すごくきれい……」
風に吹かれながら、雪はどんどん降ってくる。一つは顔に当たって溶け、一つは甲板に到着して水と化して行った。
「雪はな、よく見ると丸いわけじゃないんだ。小さな六角形の形をしたものがいくつも組み合わさって、丸くなってるんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。ちょっとした宝石みたいなんだよ」
僕は服の袖に降り立った雪を、アンナに見えるように差し出した。
「ほら、わかる?」
「あ……ホントだ。すごいですね……。本当に宝石みたいです」
「自然界が生み出したものって、なんだか人間では敵わないよな」
「ホントきれいですね……」
僕は再び、目線を海の向こうへと向けた。少し灰色の混じった雲から、無数の白い粒たちが風景をさえぎるかのように、この海へ降り注いでいる。
その先に、島の影が見えた。
……リーフ島だ。やっと、シュレジエンが見えてきたんだ。