30章:港町アルフィナ 月夜に輝く願い
シュレジエン王国に行くには、このイデア王都ローヴナーからルテティアまで戻り、大陸の1番北にあるアルフィナという港町へ向かう。そこから船で北上し、シュレジエンへ行く。
ルテティアまでは皇隆王が遣わしてくれた護衛兵や案内人がサポートしてくれる。そこから、ヴァルバの馬車で港町アルフィナへ行く。予定では……あれ? そういえば今日って何日だっけ?
「なぁ、今日って何月何日だっけ?」
おもむろにヴァルバに訊いた。
「おいおい、そんなことまで忘れちまったのか? 今日は9月6日だぜ」
「ヴァルバさん、今日は9月9日ですよ」
アンナが絶妙なタイミングでヴァルバに言った。僕は吹き出しそうだったが、何とか我慢した。……大笑いしたら、本気でヴァルバが落ち込みそうだったし。
それにしても、いつの間に9月になってたんだろう。9月は空と海の誕生日がある月だ。
9月24日……あと2週間あまり、か。どうやら、今年は「誕生日おめでとう」と二人に言うことはできないようだ。
皇隆王と重鎮の方々が見送りをしてくれた。あつ〜い青空の下、僕たちは再びルテティアへ向かった。
ルテティアへは約10日余りで到着した。今回は案内役の人がいてくれたし、リサもいたので迷うことなくスムーズに進むことができた。前回はヴァルバのせいでちょっとだけ黄泉の世界に行っちゃったもんな。
ルテティアに着くと、やっぱり圧倒されてしまう。多くの区域に分けられた見事な町並み。レンガ通りの美しい住宅街。そして、なんと言っても都の中心部にある、空にまで届きそうな城。青く広がる空とその城は、何度見ても圧巻の一言。とても、中世並みの文化を持つこの世界の人間が作ったとは思えない。ガイアでも、昔のヨーロッパの建造物はすごかった。バロック式だとかルネサンス式とか。
ここでリサと僕たちは一度別れることになった。リサはシュレジエン女王ラーナ様から渡された書状をルテティア国王に渡すためだ。そして、いろいろな話もしていくつもりらしい。…その話がなんなのか、詳しくは教えてくれなかった。あとついでに、イデアとの交渉成立の報告もしておくとのこと。それが済んだ後、シュレジエンに来て僕たちと合流する、という予定だ。
「じゃ、寒いと思うけどがんばってね」
リサは王城の前で、にこやかに手を振って言った。
「なーんか、心がこもってないよなぁ。もうちっと、『がんばってね!』みたいなさ〜」
ヴァルバがそう言うと、リサは素早くヴァルバの額を手ではたいた。個人的に共感できる部分ではあったが、彼女にやられてしまいそうなので知らんぷり。
「あ、そーだ。空、あんたにいいこと教えてあげる」
リサがずいと僕の目の前に顔を持ってきた。思わず、僕は目をそらしてしまった。きれいな顔立ちをしたリサの顔が近くにあると、面と向って話せられないというか。
「な、なんだよ?」
「あのね、シュレジエンは過去の遺産が眠っている国なのよ」
「過去の……遺産?」
そう言うと、リサは小さく微笑みながら顔を引き戻した。
「うん。この世界の過去の遺産……古の魔法帝国の謎を持っている可能性を持っている」
「古の魔法帝国……ってことは、ティルナノグのことか?」
古と言えば、この王朝しか思い浮かばない。
「そうよ。ティルナノグのことを知ることは、もしかしたらあなたの持つ力について知ることができるかもしれないし、あるいはガイアとレイディアント、2つの世界の秘密も隠されているかもしれない」
「力、か……」
僕は自分の掌を見つめた。生命線……かなんかが短い。
心の隅から語りかけてくる、どこか懐かしい不気味な声。遥かなる昔、僕が命を授けられた時に聞いていた子守唄の主なのかもしれない。
「ま、ホントにあるかどうかはわかんないけどね〜」
リサはニコッと微笑んで、そう言った。期待させといて、不安になりそうなことを言う。まったく、手助けしたいのかそうでないのか教えて欲しいよ。
「じゃあね、ソラ、アンナ。ついでにヴァルバ」
「……なんで俺だけついでなんだよ」
「冗談だって。んじゃ、また今度会おうね!!」
リサは城の手前で元気よくジャンプしながら手を振り、城の中に消えて行った。ああいう姿を見ると、リサってまだ16歳の女の子なんだよなと実感する。時々大人っぽくて、子供っぽい。
「ふぅ……やかましいのがいないと、なんだか気が抜けるな」
ヴァルバがボソッと言った。
「そうですね。リサさんといると、なんだか楽しい気分になっちゃいますもんね」
アンナはそう言って、フフッと微笑んだ。
「……まぁな。ああいった風にしていないと、一人でいる時にふさぎ込んじまうかもしれないし」
僕は王城を見つめながら呟いた。リサの醸し出す雰囲気……というか、時折感じるもの。初めて見た時から、初めてじゃない感覚。懐かしいものと……言い表せることのできない感覚。そこからわかる、あいつのオーラ。……どことなく、我慢してる感じがするんだよな……直感的に。
「なるほどなぁ。ソラも、たまにはわかった風なこと言うじゃないか」
「……なーんか癇に障る言い方だな」
こうして、僕たちはアルフィナへ向かった。一週間余りでそこへ着く予定だ。
「アルフィナって町、女性の名前みたいな名前だよな」
馬車に揺られながら横になって、いつもどおり操作しているヴァルバに訊ねた。
「お前なぁ、俺が何でも知ってると思ったら大間違いだぞ?」
ヴァルバは笑いながら言った。
「だってさ、僕はこの世界の住人じゃないんだし、知らないことがたくさんあるんだよ」
「まったく……。アルフィナっていうのは、元々は港町じゃなくて、今町のある場所からもっと離れた場所にあったんだ」
「へぇ、なんでまた?」
「ミッドランド帝国は覚えてるよな? ミッドランドが皇帝アルヴィス1世が暗殺されたためにルテティアなどの小国によって滅ぼされた時、その戦乱によって当時のアルフィナ……元の名であるゴルドバっていう町は破壊されてしまったんだ」
「戦争のせいで……かわいそう」
アンナが言った。圧政から解放される為とはいえ、その過程の中で一つの町が破壊された。……皮肉なものだよな。
「そのゴルドバの町の生き残り、アルフィナっていう女性が、荒れ果てた土地から離れ、今の町の場所に町を復興させたんだ」
「たった一人で? そりゃすごいな」
「……けど、アルフィナさんが生きている間に、町は完成できなかったんだ。なぜなら、ルテティアによるロンバルディア制圧で、各地で反乱が起きたから」
「もしかして……アルフィナさんは……」
アンナが恐る恐るヴァルバに訊いた。彼はどことなく遠い目で、馬たちを見つめながら、うなずいた。
「あぁ……アルフィナさんは蹂躙されそうになった復興中の町を守るため、軍隊に反抗し、殺されたんだ」
「ひどい……」
その言葉を聞き、ヴァルバは彼女に向けて優しい顔をした。
「そうだな。そうだけど、アルフィナさんがしたことは無駄にはならなかった。戦争が終結し、彼女の遺志を継ぐ者たちが現れ、今から200年位前にようやく町を再建することに成功したんだ」
「だから、再建された町の名を死ぬまで復興することに努力したアルフィナさんの名前を取ったのか」
すごいな……。死んでもなお、彼女の遺志は受け継がれていったことが。普通、ヒトの遺志ってのはよっぽどじゃないと、受け継がれていかない。受け継がれていったとしても、都合のいいように解釈されたりする場合がある。
「この話から学ぶべきことは、『あきらめるな。自分があきらめた時が全てが終わる時なのだから』ということなんだよ」
ヴァルバが広がる空を見上げながら言った。
「へぇ……一つの真理だな」
「なんだか、ヴァルバさんがかっこよく感じました」
アンナが何気なく言った。思わず、僕はアンナの顔を見てしまった。「えぇ〜!?」という心の言葉を放つが、届いてっかなぁ。
「ハハ……まぁ、今の言葉は俺が考えた言葉じゃないんだ」
照れながら、ヴァルバは言った。
「なんだよ、本気ですげぇなって思ったのに」
「じゃあ、誰の言葉なんですか?」
そうアンナが言うと、ヴァルバは再び青空を見上げた。僕も思わず、上の空を見た。そこには、1匹のトビが翼を大きく広げ、風に導かれるかのように飛んでいた。悠々自適で、羨ましく感じる。
「……もう、空へと消えた人の言葉なんだ。遠い、遠いあの頃に生きていた人の、な……」
そう言うヴァルバの碧い瞳は、想い出の中を見つめていた。そこには楽しいものもあり、穏やかなもの、哀しいもの……多くのものが詰まっているようだった。
「大切な人だったんですか……?」
その空気を察してか、アンナは気遣うような声で訊いた。
「ん? ん〜……」
今の話から、ヴァルバの知り合いだったことは悟った。それも、亡くなってしまった人だということも。
「そうだな……うん、大切な人だった。昔のことだ。本当にずっと昔の、な」
ヴァルバは僕たちに笑顔を向けた。どことなく、作り笑顔に見える。
「昔って……ヴァルバは今25歳なんだろ? ずっと昔っていうと、子供の頃なのか?」
からかうつもりで、そう言ってみた。すると、ヴァルバは顔を赤くした。
「な、なわけねぇだろ! ……まぁ、今更言うけど、俺25歳じゃないし」
「……へ?」
あまりにも突然なせいか、僕の思考回路が一時、中断した。いきなりバグったゲームの時みたいに。
「えと……ヴァ、ヴァルバさんって一体いくつなんですか?」
アンナが慌てながらも、冷静に質問した。
「実は、俺32歳なんだよ。ハッハッハ!」
「さ、32歳!?」
僕とアンナの声はピッタリ揃ってしまった。恥ずかしさを隠すかのように、ヴァルバは大きめの声で笑う。
「い、いくらなんでもサバ読みすぎだろ!?」
「お、大声出すなよ、ソラ」
誰だって大声を出すと思う。だって、7歳も偽ってたんだぞ? 女ならともかく、男が……。まぁ、年齢詐称の疑いあったし、今更っちゃあ今更なんだけど。
「俺なりに、どこまで若く見せられるかが問題だったんだよ」
「なんでさ?」
「そりゃあ、お前……秘密だよ」
僕はガクッとなった。思わず、馬車から落ちてしまいそうだった。
「ひ、秘密かよ。……待てよ、今更歳を明かすなら、隠していた理由を教えてくれてもいいんじゃないか?」
そう言うと、ヴァルバはばつが悪そうに頭をかいた。
「ん〜、今は話せねぇ。ごめんな。俺にもいろいろあったんだよ。歳を隠さなきゃならない理由、そして、こうやって馬車を引いているってこともな」
ヴァルバは苦笑いをして、小さく頭を下げた。
「馬車を引いている理由?」
アンナがそう問うと、ヴァルバは何も言わず、首を横に振った。話さないには、結構大きい理由があるんだろうな……。
僕やアンナ、リサにもヴァルバにも、それぞれ生きている理由……みたいのがある。千差万別とは、このことだ。
9月24日、ロンバルディア最北端の港町アルフィナに到着した。
ここは北の北海に接し、その海独自の魚介類が取れるため、漁業が盛んである。そして、ルテティア王国公認の高等治癒機関が設置され、魔法学校もあるという。それらは、名のある魔道士として活躍したアルフィナさんに関連しているのだとか。
町は賑わっていた。通を多くの人々が歩いていて、どこか懐かしい香りを感じさせた。
ああ、そっか。ここは一般的な町なんだ。今まで、僕たちの旅では大きな町しか通ってこなかったもんな。2大陸随一の貿易都市に王都、水上の都に、砂漠の都。アンナが住んでいたフィアナの村は、なんというかRPGゲームに出てくる田舎の町って感じだったし。この町の人はそこまで多くないし、賑わっているとはいっても、どこかの商店街みたいな感じだし。
「それにしても……寒いな」
通を歩いていると、肌寒い風が僕を包んだ。
「ここはロンバルディア大陸最北端の町だからな。大陸で唯一雪が降る地域でもあるし」
ヴァルバも寒いのか、両手で体を包むようにしていた。
「雪か……。この世界にも雪が降るんだな……」
僕は寒空を見上げた。薄らとした白い雲が、視界の端から端まで続いている。
長束町にも雪が降るには降るのだが、ここ最近、地球温暖化のせいか雪が降る量がめっぽう減ってしまい、5センチ積もればいいほうだったな……。父さんや母さんが言うには、僕がうんと小さい頃までは、20センチくらい積もっていたそうだ。
「ガイアでも降るんですか?」
「ああ、もちろん。ほんの少ししか降らなかったけどね」
「私、雪は見たこと無いんです。お母さんがどんなものなのか教えてくれたけど」
アンナは僕と同じように上空を見上げた。寒い地域なせいか、空が高く感じる。そういった空も僕は好きだな。どこか寂れているけど……「憧憬」っていう雰囲気だ。
「俺も、長いこと雪は見てないなぁ」
「……ヴァルバはシュレジエンとかには行ったことないのか?」
そう問うと、彼はうなずく。
「まぁな。シュレジエンに行くための船に乗るには、かなりの費用がかかるもんで、一人旅してる俺にとっては大変な出費になっちゃうからな」
ヴァルバは笑いながら言った。
「じゃあ、アルカディア大陸では降るんですか?」
「アルカディア大陸は……このロンバルディアとは対称的に厳しい環境の大地でさ、ゼテギネア帝都より北は毎年ものすごい量の雪が降るらしいよ」
「環境が厳しいっていうと?」
「大地が乾燥していて、作物が育ちにくい。土壌的にもあまり農業をするのに適していないしな。しかも、北以外の地域もここアルフィナと同じくらい寒いんだってよ。……だから、ゼテギネアは輸入する食料がとても多いというがな」
逆に、ソフィアはそうでもないとか。
「ものすごい量の雪って、どのくらい積もるんですかね?」
アンナは目を光らせながら訊いた。どうやら、見たことも無い雪に対して、大きな関心を持っているようだ。
「さぁな…。行ったこと無いからさ」
ヴァルバは苦笑いしながら言った。
「たぶん、1メートルくらいじゃないか? 僕が小さい頃、まだ記憶も無い頃には故郷に1メートル以上降ったって、親が教えてくれたけどね」
「1メートル!? だったら私のここくらいまで積もるんですね」
アンナは自分の胸の少し上辺りに手を置いた。そっか、アンナは150センチにギリギリ到達していないくらいだから、1メートルの雪が積もるとかなりの高さに感じるんだろう。……ま、1メートルは十分な高さだけどな。
北の港町だからだろうか、魚臭さを感じる。男の人が店の前で手を叩き、客を呼んでいる。その後ろには、新鮮な魚たちが無造作に並べられていた。秋刀魚のような魚や、シャケのような魚もあった。前から思っていたが、この世界も元の世界も、食材はあまり変わらないようだ。魚も似たようなものが多いし、肉も同じだ。いろいろなものを食べてきたが、味も変わらない。
フルーツにしても、リンゴやミカン、バナナ、パイナップル……これらは気候の暑い地域に入る貿易都市ミレトスに売ってあった。アンナがいたフィアナ村にはジャガイモや玉ねぎ、ニンジンがあった。
今更ながら思うが、ここまで食料が同じなのは、レイディアントとガイアは『まったく別の世界』というわけではないのだろうか。密接に関係する2つの世界……つまり、別の道を歩んでしまったが故に2つに分離してしまったんじゃないかと思った。そう、世界は元々一つだったんだんじゃないかという仮説が浮かび上がった。あくまで、仮説だが。
「それでは、我々はこれで……」
イデアの護衛役である人と案内人が言った。
「あ、そっか。ここからは、船を使えばいいんだもんな」
「じゃあ、ここまでありがとうございました」
アンナは丁寧に2人に頭を下げた。僕とヴァルバはそれを見習って、一足遅れて同じように頭を下げた。2人はニコッと微笑んで、何かの印を結んだ。
「あなた方の旅に、クロトの御加護があらんことを……」
そして、2人はもと来た道を引き換えして行った。
「……なぁ、クロトって何?」
2人の姿が見えなくなったところで、僕はヴァルバに訊ねた。
「クロトは『運命の神』の一人だよ。『人の運命を創る神』だな。他に、運命を生む神と運命を断ち切る神がいるのさ」
「たしか、イデアは最高神に始祖ローランを置いて、その次の神にクロトを置くっていう独自の宗教でしたよね」
「じゃあ、ソフィア教は?」
僕は続けざまに質問をぶつけた。
「主神は光神ヘイムダル、聖皇バルドルにそれを補佐する知恵の神エッダと、武勇の神アーレス。そして人を統べるラケシス。ちなみにラケシスが『人の運命を生む神』なんだ」
そういえば、いつだったかアンナが話してくれたっけ、「ラケシスの涙」とか。
「最後に、混沌を統べる邪神ロキ」
「ロキ……か」
インドラは邪神ロキを復活させようとしている、というのが表面上の目的、らしい。
「けど、なんで混沌を統べる神なんかがソフィア教の中にあるんだ?」
「宗教の聖書の中には、神々と邪悪な神の絶え間ない戦いがあるもんなのさ。それに、英雄がいるということはそれと相反する存在がいつの時代にもある。そうしておくことで、人心を得ることができるからな」
俺なりの見解だけどね、とヴァルバは付け足した。
「じゃあ、ロキは付け加えられた神っていうことなのか?」
ヴァルバは顔をしかめた。
「う〜ん……どうだろうな。そもそも、ソフィア教が成立したのがティルナノグ王朝の終焉と同時期だし、ソフィア教を創始した人の考えていたことなんてわからないしな」
そして、ヴァルバは寒空を見上げて言った。
「もしかしたら、神様なんていないのに、創始者が人心を得るために、ありもしない話を作り上げたのかもな。俺たちだって、ティルナノグのことは伝聞によるものでしかほとんど知り得ないのだし。その伝聞によるものが本当なのか、虚偽なのか、今では到底わからない」
「…………」
何が本当で、何が嘘なのか。それを知ることができないために、人は間違いを犯すのかもしれない。
けど、インドラは邪神ロキを復活させようとしている。ということは、邪神ロキという『存在』は無いのかもしれないが、世界を震撼させるほどの『何か』があるのかもしれない。
?? それが何を引き起こすんだ?
とんでもないこと?
ホリンが言っていた、ヒトの世界を滅ぼすこと?
……わからないことが多すぎる。永遠の巫女や聖杯、インドラ、そして何より……自分。
わけのわからない力。声。
お前は、一体――
――無為に探るな、愚者が――
「いつっ……!!」
頭の奥に氷が突き刺さるような痛み。思わず、僕は顔を歪ませた。それに気が付いたアンナが、僕の顔を覗き込む。
「ソ、ソラさん、どうしたんですか?」
「……いや、なんでもない」
僕は顔から自分の手を離し、彼女に微笑みかけた。
「…………」
彼女が放つ疑問の視線を振り払うかのように、僕は海へ顔を向けた。
……冷たそうな海だな。
僕たちが出発するのは、明日。大型船に乗ってシュレジエンの首都があるリーフ島に行くには、ガレ島、オルーヴェ島、アルテスタ島と、3つの島を通りながら行かないといけないらしい。食料を補給したり、人手を補給したりするためだとか。どうやら、リーフ島に行くには結構な日数がかかるようだ。
僕たちはとりあえず、今日宿泊する宿を見つけた。
その夜、みんなが寝静まった宿屋の中、一人だけこそこそと動いていた。
僕は自分の寝室の窓を開けた。すると、冷たい空気が流れる水のように入って来た。そして、僕の体を震わせる。
「さむっ!」
思わず、そんな声が漏れてしまった。僕は凍える体に毛布をくるませ、ベランダに出、屋根によじ登った。
真夜中の空には、少しだけ欠けた月が浮かんでいた。それでも、この町を照らすには十分だった。凍える夜中にこの月…。まぁ、雰囲気は結構いいんじゃないかと思ってみたり。
僕は屋根の上にゆっくりと腰を下ろし、息で手を温めながら呟いた。
「空、海……誕生日おめでとさん。今年は直にいえないようだけど、勘弁してくれよ」
今日は9月24日。彼女たちの16回目の誕生日。ガイアにいた頃、毎年のように誕生日プレゼントをあげていた僕。いつもは「金が勿体無い」、「めんどくさい」などと思っていたが……こうして、おめでとうも言えずに迎えると、少し寂しいもんだな。いつも、彼女たちの傍で二人の成長を見ていたからかもしれない。
「はぁーあ……。みんな、どーしてっかなぁ……」
空を思い出すと海を思い出し、家族を思い出し、友達を思い出す。妙に連携して、僕の心に寂しさを訪れさせる。
その時、誰かの気配がした。恐る恐る右下を見ると、アンナが顔をひょこっと出して僕を見ていた。
「ソラさん?」
「な、なんだ、アンナか。びっくりさせるなよ……」
僕がそう言うと、アンナは少し照れ笑いしながら屋根をよじ登り始めた。なんだか危なっかしいので、登るのを手伝った。
「あ、ありがとうございます」
アンナは寝巻き姿だった。
「寒いんだから、毛布でもくるんで来れば良かったのに」
「……物音がしたんで、覗くだけにしておこうと……」
アンナは照れながら言った。
「じゃあ戻りな。寒いし」
僕がそう言うと、アンナは顔を横に振った。
「じゃ、邪魔はしないので、居させてください」
「?? まぁいいけどさ……」
屋根の中央に僕とアンナはちょこんと座った。月明かりで、アンナの顔がはっきりとわかる。チラッと横目でアンナを見ると、体を震わせていた。
「ほら、これ」
僕は毛布を差し出した。
「え……? でも、ソラさんは……」
「僕はいいよ。寒いのは得意だし」
これはただの強がりだ。本当は寒い方が苦手。……というより、暑いとか寒いとかに得意もくそもあるかって話。人間の構造上、耐えられません。
「でも……」
「いいんだって。お前は女の子なんだしさ。……風邪でも引いたら嫌だろ」
「ソラさんが風邪を引いちゃいます」
「男の子は風の子、というのがガイアの常識なんだよ」
これは正しいんだっけ? 幼い頃、何かと母さんに言われ続けたもんだ。……おかげで、冬でも半袖・短パンで遊んじゃいましたよ。
「だけど、ソラさんが風邪引いちゃうと……」
「このくらい大丈夫だって。気にするな」
「…………」
そう言うと、アンナは観念したのか、毛布をくるんだ。
その後、しばしの間沈黙が流れた。ただ、2人ともずっと先の海を眺めていた。月の光が海面に当たり、きらきら輝いている。ただ、その美しさに惹かれているだけなのかもしれない。
「……どうして、ここに?」
アンナが言った。
「なんでここに居るのかってこと?」
「いえ、どうして屋根に上ったのかなって……」
「ああ、そういうことか……」
てっきり、どうしてこの場に居るのかという質問なのかと思ってしまった。
「……誕生日なんだ」
「えっ?」
アンナは顔を曲げた。
「ソラさんの、ですか?」
「いや、僕じゃない。わざわざ自分の誕生日に、こんな寒い真夜中に屋根に上るわけないだろ?」
「それもそうですね」
アンナは微笑んだ。
「じゃあ、どなたの誕生日なんですか?」
笑いが収まったところで、アンナは訊ねた。
「幼馴染の2人の誕生日」
「幼馴染……空、さんですよね」
「ああ」
「でも、2人ですよね? もう一人はどなたなんですか?」
「言ってなかったっけ? ……空には、双子の妹がいるんだよ」
「そう、なんですか……」
アンナは少し、物悲しそうに言ったような感じだった。
「妹さんは、元の世界に?」
「……あいつは無事だったからね。それだけでも、よかったと思ってる。……二人を同時に失っていたらと思うと……想像したくねぇな」
本当にそうだ。二人同時にいなくなったら……いや、考えるのはよそう。
「……ソラさんは、幼馴染の空さんを助けるために、この世界に来たんですよね?」
「そうだけど……なんかさ、今更だけど同じ名前だとややこしいな」
「フフ、そうですね」
再びアンナは微笑んだ。その笑顔に、誰かの面影を感じた。
僕は体を小さくして、体育座りをして海の果てを眺めた。小さく動く水面と共に、月の光が揺れ動いている。
「ソラさんは……彼女のことが好きなんですか?」
突然の質問で、僕はびっくりしてしまった。
「な、なんだよ? 急に」
僕は焦りながら、問い返した。
「……気になったんです」
アンナはプイッと顔を正面に向けた。
空、か……。
好きなのかと問われ、あの頃の感情が浮かび上がって来た。彼女に告白され、不思議な感覚の中、僕は遠い昔に置き忘れた宝物を掬い上げた。
あの時、彼女さえいれば何もいらないとさえ思うほど、愛おしくなった。
僕は小さく微笑んだ。
「あぁ……好きだ。あいつのこと、誰よりも……」
そして、月夜を見上げた。
あいつのことを考えると、会いたくて、話したくて、抱きしめたくて……しょうがない。こうやって離れてると、今更ながら実感した。
僕がどんだけ彼女のことを愛しているのか。
だからこそ、助けだしたい。絶対に。
「……いいなぁ、ソラさんは」
「えっ?」
僕は縮こまっているアンナを見つめた。彼女は、顔を俯かせていた。
「……大事な人は、この世界にいるんですもん」
「…………」
「私には……いない。もう、誰も……」
そして、彼女は呟いた。
「……私、なんのために生きてるんだろう……」
本音なのか。それとも、無意識に発した言葉なのか。
「探し続けたお姉ちゃんは……もういない。お母さんも、お父さんも……」
彼女の体は震えている。それはきっと、寒さだけではない。
「誰もいないのに……どうして、私は旅をして……こうして……呼吸してるんだろう。どう、して……」
忘れていた……と言ったら、ひどいかもしれない。彼女はまだ14歳の少女。なのに、あれほどの残酷という名の真実を知った。普通なら、言葉を放つことさえ敵わなくなるはずなのに……彼女は……。
僕はそっと、彼女の頭部に手を置き、自分の胸に抱き寄せた。……空、ごめん。お前には悪いけど、彼女は仲間だ。支えてやんないとな。……などと、心の中で懺悔しながら。
「ソ、ソラ……さん?」
か弱く、震えた声が漏れる。ちょっと涙声だ。
「聴こえるか?」
「えっ……?」
「鼓動」
トクン、トクンと鳴っている僕の拙い心臓。
「その音は生きている証拠。僕がここにいるって証拠さ」
「…………?」
「お前の隣で、生きてる。ちゃんと呼吸して、こうして話してる。お前は独りなんかじゃない。アンナには僕もヴァルバも、リサもいる。フィアナのおばさんだっている。レンドもデルゲンも……どっかにいるしさ」
最後だけ、半笑いになってしまった。そう言えば、あいつら元気かななどと思ったり。
「アンナの見つめてる世界には、こんなにも仲間がいる。大事な人たちがいる。お前を想って、お前を支えてくれる。どんなに悲しくたって、辛くたって、傍にいてやれる。アンナを笑顔にしてくれる奴がいる」
受け売りだけどな、修哉。
「大丈夫。今は悲しくても、きっと笑顔になれる。僕たちがいるからさ」
「ソ……ラさん……」
彼女は僕の服を掴み、更に顔を沈ませた。
「ソラさん……ごめん、なさい……。私、私……」
僕は小さな彼女を、自分の腕の中に入れた。
「いいよ、無理すんな」
軽く、彼女の背中を叩いてあげる。ポン、ポンと。
「う……うぅ……」
大きく震えだす、小さな体。14歳、か。彼女は小さいから、まるでどこかの小学生くらい。
「わああぁぁぁ!!」
静寂の夜空に、彼女の鳴き声が飛び立つ。
「……我慢してたんだな。もう、我慢なんてしなくていいからな」
「ソラ、さん……ソラさん……!!」
何度も僕の名を呼びながら、泣き続けるアンナ。
もし、自分に妹がいたらこんなんかもな。いつかは空たちを妹みたいに見ていた頃もあったが……違ったんだよなぁ……。
いつか、お前をこんな風にして抱きしめることができるだろうか。
この旅路の果てに、お前は笑顔を向けてくれるのだろうか。
ただ、お前の無事を祈るだけ。
……僕は、お前のために……
しばらくして、僕は三度、月を見上げた。
「きれいだな、お月さま」
「……そうですね。本当に……」
―――窓から差し込む月の光が当たらぬ影の中で、彼は壁にもたれかかりながら、木造の床を見つめていた。
「………………」
ヴァルバは目を瞑った。
この悪戯は誰の差し金なのかね……
神様とやら、面白半分なら、俺だけにしておきゃいいのにさ……
ホント……嫌になるよ。