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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆1部:僕と彼と彼女たちの日常
3/149

1章:故郷にて 陰りのない日々

 4月11日、新学期初日。


 再び学校生活が始まった。高校の春休みは大体1ヶ月近くあるんだけど、思えばあっという間だった。高校に内緒でしていたコンビニのアルバイトを辞め、春休みはゆっくりしようと思っていたのだが、それはそれで結構暇だった。毎度のように日向姉妹が押しかけるので、いつもどおりと言えばいつもどおりなのだが、修哉は「他にやることあるから」などとぬかし、和樹や他の友達も部活が忙しく、僕と遊ぶ暇など無かったのだ。


 今日の朝は、毎度のことながら日向姉妹に叩き起こされた。


「おらー起きろ! 朝だぞ! 遅刻するぞ!」

「……朝っぱらからやかましい女だな……」

 うざったいほどに朝から元気な海ちゃん。耳障りだっての。

「私とお姉ちゃんの高校生活最初の日に、寝坊ってのはダメでしょ?」

「だったら僕は関係ないだろ」

 僕は半分閉じている目で、時計を見た。

「7時10分……って、おいおい。まだ1時間以上もあるじゃんか……」

「8時までが登校の時間のはずだよ?」

 空はいつもの如く、呆れながら呟いた。

「朝の読書が始まるまでに行けばいいんだよ……。お前らは新1年生だから、そうもいかないかもしれないけど」

「どっちにしても、早く行って損はしないよ? やり忘れた宿題はできるしさ」

 ね、と空は海と顔を合わせて微笑む。

「春休みの宿題をどうやって、ものの数十分で片付けろってんだ? もう間に合わねぇよ……」

「……それはどんなに早く登校したって無理だと思う……」

 彼女もさすがに、春休みの宿題をやっていなかったとは思わなかったのだろう。その微妙な表情で言いたいことが全てわかる。

「ともかく、あと20分寝させて……」

 そんな空の呆れた表情から逃げるようにして、僕は布団の中へ潜り込んだ。もう4月とはいえ、まだまだ朝は寒い。

「ええい、いいかげんにしろーい!」

 僕を暖める優しい布団が、海によって宙を舞う。




 結局、この日は僕の学生生活の中で、最も早く学校に到着することとなった。校門の近くで毎朝掃除している校長先生が、「おや、東君じゃないか。こんな時間帯に君が来るなんて、珍しいこともあるものだね」と言ってくる始末。

 僕の教室は2年3組。教室に到着したのは、7時51分。教室に入ると、真面目な人及び女子の数人しかいなかった。

「おはよ……」

 僕は流れるように教室の中を進み、自分の席に座り、机に頭を乗せて眠ろうとした。しかし、ここでも障害が待ち受けていた。

「おはよ、空」

「……ああ、美香か……おはよ……」

 小山内美香(オサナイ ミカ)。中学3年の時からクラスが一緒の同級生。女子生徒の中では、最も仲が良い女子だと思う。女子にしては身長が高く、160センチ台半ばくらいだったか。

「どうしたの? 空がこんな朝早くに来るなんて。朝、何か起きたの?」

 美香は笑いながら言った。

「やかましい奴らに起こされたんだよ」

「何よそれ。誰?」

「あの日向姉妹だよ。知ってるだろ?」

「あぁ……空の幼馴染の双子ね。そっか、この高校に入学したんだったっけ」

 彼女にとっても日向姉妹は後輩にあたるが、あまり面識は無い。中学時代、たまに美香とは一緒に帰ったことがあって、その時に何度か空たちと遭遇したことはある。

「家が近いんだよね、たしか」

「そうそう。“高校生活の初日だから、記念として一緒に登校しよう”だってよ」

 僕はカバンから枕を取り出し、ため息をつきながらその上に頭を乗せた。あまりに眠い時は、僕はこうやってマイ枕を持参するのである。

「ふーん。相変わらず仲良いよね、3人は」

「ま、腐れ縁だからな。……そゆことで、寝させてくれ……」

「ハイハイ。まったく、ホントに朝は弱いんだから」

 美香は呆れながらも、笑いながら自分の席へと戻って行った。


(……ようやく眠れる……)


 僕の席は教室の1番左奥であり、最も先生の視界から届きにくい場所でもある。だから、朝の読書が始まっても、何も言われないだろうと思った。

 ものの1分程度で、僕は眠りに就いた。



 青い空。

 白い雲。

 体を包み込む太陽の温かい光と、優しい癒しの風。

 僕自身は、空中に漂っていた。まるで、一切れの紙のようにヒラヒラと。

 ゆっくりと後ろ……いや、地上へ目をやると、緑色の草原で広がる大地があった。その果てには、大海原が見える。

 青海と蒼空の境界線。その果てに、僕たちが求める“永遠の答え”があるような気がした。遠い昔から追い求め続けている、神秘の宝石。誰にも奪うことのできない、光輝の秘宝。

 心が奪われてしまいそうなほどの、美しい地球の姿。

 これが……本当の宝物なんだろうな……。


 結局ホームルーム直前まで寝ており、授業も眠気眼でまったく頭に入ってこなかった。


 その日の昼、僕はいつものように、和樹と啓太郎――同じクラスの友達で、彼とも中学の頃から知り合い――の3人で昼食を取っていると、

「そう言えば見たぜ? 空」

 和樹がニヤついた表情で言った。

「……気味悪い顔するなよ……」

「まあまあ。今日の朝、一緒に登校してた女の子、誰なんだよ?」

 僕は思わず箸を止めた。

 こいつ……見てやがったのか……。

「あの子、昨日の入学式で新入生代表だった女だろ。知り合いなのか?」

「何の話?」

 啓太郎は何も知らないので、サンドウィッチをほお張りながら言った。その姿はどことなく子供っぽい。

「啓太郎には後で説明してやるから。で? 誰なんだよ?」

「誰って……幼馴染だけど」

「ほほう、幼馴染か。なるほどなるほど。で?」

 なんでしたり顔なのか……。別に隠しておくことじゃないし、教えておいてやろう。後々めんどくさそうだし。

「家が近くで、まぁ昔っからよく一緒に遊んでたんだよ。彼女たちは双子でね」

「双子? あぁ、たしかにもう一人いたな。よく見えなかったけどさ。それにしても、なんで今まであんなカワイイ幼馴染がいたことを教えなかったんだよ?」

「別に教えなかったってわけじゃないんだけど」

「ホントかぁ?」

 疑心に満ちた顔をする和樹。

「ホントだよ。証拠に、啓太郎は知ってるもんな?」

「その双子?」

 啓太郎はきょとんとした顔をしていた。

「覚えてないか? 中学の時、1つ下の“日向姉妹”って」

「あー、あの日向姉妹ね。和樹が言ってたのって、日向姉妹のことか」

 他に双子はいないと思いますけどね……。

「おいおい、俺だけかよ? 知らなかったのは」

「和樹は中学が違うもんな。有名だったんだよ。空の幼馴染で、美人で聡明な日向姉妹って。まぁ、美人というより可愛いって言ったほうが妥当か」

 少したれ目で、大人の女性受けしやすい童顔の萩原啓太郎(ハギワラケイタロウ)。中学の頃からの友達。啓太郎はマンションが一緒だった和樹と知り合いで、そのつてで僕は和樹と知り合った。啓太郎は美香のことも知ってるし、修哉は勿論、日向姉妹のことも知っている。ちょっと天然な性格だが、根はしっかりしている。何事もそつなくこなし、みんなと分け隔てなく接することだ出来る。裏表のない性格だが、物事を見極められるやつだ。

「美人で聡明? おいおい、修哉の女バージョンじゃねぇか」

 たしかに、言われて見ればそうだ。修哉もルックスは学校随一だしな。数ヶ月前、町中でモデル雑誌の人にスカウトされたって言っていた。……断ったらしいけど。

「そんなんじゃあ、男子生徒が黙っちゃいないだろうな」

 和樹は笑いながら言った。

「中学の時でも、結構騒がれてたんじゃなかった?」

 啓太郎は苦笑していた。

「あの頃、あいつらの幼馴染だからって、僕が取り次ぎ役とかさせられたんだぜ? 迷惑な話だったよ、ホント」

「と言うことは……空の幼馴染で、仲が良いってことがばれると、また同じことが起こるな」

 和樹はハハッと笑った。

「おいおい……冗談じゃねぇよ」

 あの時のことを思い出すと、ホントにめんどくさかったもんだ。「紹介してくれ」、「俺の印象を良くしておいてくれ」とかさ。しかも、空と海は「代わりに断っておいてくれない?」などと言う始末。そりゃ、面識の無い人だから会いたくないのもわかるけど、相手を生殺しにするようなことをするなっての。おかげで、怨まれることは多々あったんだからさ。いい迷惑だったよ……。

「ところで、その姉妹の名前は?」

「和樹さ、昨日の入学式で聞かなかったか?」

「ハハ、ボケッとしてた」

 こいつは僕以上に怠け者だな……。こんなやつらが生徒会役員をしているこの学校って、おかしくないか?

「日向空と海……だったっけ?」

 啓太郎は確認するかのように僕の顔を見た。

「日向空? マジで!? お前と同名? 女なのに!?」

 リアクションが大きすぎるぜぃ、和樹君……。

「女でもアリな名前だとは思うけど」

 まぁ、啓太郎の言うとおりだ。

「なるほどなぁ……」

 和樹はお茶を少し飲み、イスに深々と腰掛けた。

「飛びっきりの美人で、しかも頭が良い双子の姉妹が自宅の近くに住んでて、一人は同名。……なんかさ、運命を感じないか?」

 和樹は薄気味悪い笑顔を浮かべた。と言うより、人の恋路をネタに笑う奴の顔だな。

「何言ってんだ。たまたまだろ、たまたま。偶然が重なっただけだよ。うちの両親と、あちらの両親の名付けセンスが同じだっただけさ」

「偶然ねぇ……」

「……なんだよ?」

 和樹は意味深に呟いたので、思わず訊ねてしまった。

「それほど偶然が続くと、もはや運命だとは思わないか?」

 運命って、大げさだな。

「もしかしたら、空ちゃんか海ちゃんのどちらかが、お前と結ばれる運命にあったりして」

 啓太郎の言葉で、僕は思わず吹き出しそうになった。

「啓太郎、あり得ないことを言うなよ」

「思い当たる節はあるんだよ。彼女たちってかなりの秀才だろ? あの三瀬高校に100パー合格できるほどの」

「おいおい、マジかよ。そんなに頭良いの?」

 和樹は目を丸くした。前にも言ったが、三瀬高校はそれほど良いところである。

「そんな彼女たちが、わざわざ平凡高校のここに入学してくるかな?」

「……理由を聞いたら、“近いから”とかって言ってたけどな」

「それだけかなぁ。もしかして、空と同じ高校に行きたかったんじゃないの?」

「…………」

 僕は啓太郎に何も言い返せなかった。そんなこと、考えもしなかった。

「けどさ、あれだけの美人は空に勿体無いだろ?」

「和樹くん……それは、どういう意味だ?」

「セリフどおりの意味ですが?」

 和樹は自信満々の顔で言い放った。僕は一発、頭をはたいてやった。

「ハハハ、図星を突かれたからって怒るんじゃねぇよ」

「うっ……まだ言うか」

 たしかに、僕と彼女たちではつり合わない。それは、中学の頃になってようやく気付いたのだが。

「けど、空はそこそこ良い方だと思うけどね。背も高いし、割と女性受けしそうな顔をしているし」

 啓太郎がサラッと言った。そんなこと言われたことがなかったので、僕は照れてしまった。

「……そ、そういうことを言うなよな……」

「ハハハ、照れてんなぁ。けどたしかに、啓太郎の言うとおりではあるな。空はいつも修哉とつるんでたから、みんな忘れがちになっちまうんだよ」

「そうそう。修哉は飛び抜けてるからね」

 啓太郎はハハッと笑った。

「あいつと一緒にされたら、たまったもんじゃないよ」

「俺も、あいつと一緒にされたら嫌だな」

 僕たちは同時に笑った。

 修哉は誰もが認める、完璧な人間だ。全国模試でいつも上位を取るほどの頭脳に加え、運動神経抜群で長身。スタイルもモデル体型で小顔ときた。街中を一緒に歩いていると、彼の方へと振り向く女性は数知らず。学校で数えるのが馬鹿らしくなる、女子からの告白のオンパレード。どれだけの玉砕を目の当たりにしたことか。

 そんな修哉だが、実は今まで一度も女性と付き合ったことが無い。と言うより、付き合おうとしなかったと言ったほうがいいか。

「女性と付き合うと、いちいちめんどくさい」

 そう言って、いつも微笑んでいる。そこのところは、人によって感じ方が違うから、僕はなんとも言えない。単純に恋愛とか、そういうことに()()興味がないのかもしれない。

「お前は好きじゃないの? 日向姉妹は」

 と、素朴な疑問化のように和樹が言った。

「……好きではないけど」

「おいおい、ホントかぁ? あれほどの女の子がいると、たまったもんじゃないと思うけどな」

「たまったもんじゃないって……オッサンみたいなこと言うなよ」

「でもさぁ、やっぱり気にならない? 幼馴染で、可愛くて頭も良くて。寧ろ好意を持たないってことの方が、不思議に思えちゃう」

 どこか女子っぽく、彼は言って見せた。僕はそんな彼に突っ込みを入れる前に、口をへの字にして唸ってしまった。

「……深く考えたことはなかったけどな」

「ふーん……。そんなんじゃあ、お前は他の女には見向きもしないんだろうな」

「どういう意味だよ?」

「日向姉妹くらい可愛い女の子に恋愛感情を持たないなら、他の女の子には目もくれないでしょってこと」

 啓太郎が丁寧に説明した。

「そ、そんなこと無いよ」

「だったらお前、誰かを好きになったり、誰かに告ったりしたことあるのか?」

「……うーん、ないな。そう言えば」

 そういったことは、今までなかったように思う。

「そう言えば、空に関する恋愛という類の話は挙がらないよな、昔から」

 啓太郎が言った。

「勿体無い人生歩んじゃってるなぁ、お前は」

「余計なお世話だっての」

 僕は弁当のおかずの最後、ウィンナーを口に運んだ。


「逆に、日向姉妹のどちらかが、空のこと好きだったり」


「むぐっ」

 僕は啓太郎の言葉に、思わずウィンナーを口から発射しそうだった。

「それこそあり得ないだろーよ」

 和樹は笑いながら言った。

「いやいや、意外とあり得ると思うけど。よくある話じゃん、実は昔から好きでした――なんてね」

「なぁにぃ〜? それは実に許せん! ……ああぁ! そうか!」

 和樹は何かを思い出したかのように、立ち上がった。その瞬間、他の席で食事をしているクラスメイトの視線が和樹に集中した。

「入学式の時、空ちゃんがニコッと微笑んだ相手は……お前か!」

 和樹は勢い良く、僕を指差した。

「な、なんだよ? それの何が――」

「てめぇ!」

 その時、和樹はご飯粒をデコピンで、僕の顔に飛ばし始めた。

「ちょ、ちょっと、止めろっての! そもそもその証拠もねぇだろ!

「うるせ! 絶対そうに決まってら! うりゃ、うりゃ!」

 そんなことを言いながらも、飛ばしてくるのは止めない和樹だった。


 運命――と言えば、人によってはそう捉えるのかもしれない。

 僕たちは近所で生まれ、互いの両親も昔馴染み。幼稚園、小学校、中学校……そして、高校。16年と半年生きてきた自分の人生の中で、4分の3以上が彼女たちと一緒だ。

 今までの自分にとって、それは至極当たり前のことであり、日常の一つなのだ。彼女たちが近くにいるということが。それを“特別”と呼ぶのか、なんなのかはわからない。でも彼女たちのいない日常というのも想像がつかないし、だとするならば、やはり“特別”なのかもしれない。

 だけど、単純に運命だとか……そういった言葉で片づけたくないようにも、思う。



 午後3時半頃。6時間目が終わり、ようやく初日が終了した。ほとんどが授業と言うより、これからの授業の説明や、新しい先生と生徒の自己紹介みたいなのばかりで、楽と言えば楽だった。しかし、1ヶ月近くもグータラな生活をしていた自分としては、なかなかにこたえるものがあった。しかも、空たち――ほぼ海なのだが――に早起きさせられたために、普段よりも眠気に襲われる頻度が凄まじく、正直なところ前半の授業は意識が遠のいていた。

「おーい、空ぁ」

 クラスメイトが教室から出て行く中、出入り口付近で美香が呼んでいた。

「何?」

「柊君が来てるよー」

「修哉が?」

 僕は教科書をカバンに詰め込み、のらりくらりとそこへ行った。

「おっす、空」

 教室から少し出た所に、修哉がカバンを持って突っ立っていた。相変わらず、制服をきちんと着ていない。ネクタイはきちんと結んでいないわ、シャツのボタンは閉めていないわ。これで超優等生なんだから、こちらとしてはたまったもんじゃない。

「おっす。何か用?」

「まぁ少しな。帰り道で言うから、帰ろうぜ」

 彼はそんな風にして、さらりと言う。なんだろうと思いつつも、大したことはないのだろうとも思う。

「ああ、わかった。じゃあ、また明日な。美香」

「あ……うん、バイバイ」

 美香は小さく笑って、手を振った。

 廊下を歩いていると、時おり修哉は後ろへ振り向いていた。

「さっきから、何を気にしてんの?」

「ん? ああ、さっきの……小山内だったか? お前と仲が良い女」

「そうそう。よく名前覚えてたな、お前」

「女の名前は忘れねぇよ」

 修哉はハハッと笑った。

「ホントかよ? ふった相手の名前とか、覚えてんのか?」

「面識の無い奴の場合は、覚えないんだよ。覚えても、話すことなんて未来永劫無いだろうからな」

 未来永劫無い――って、ひどいセリフだな。少しだけ振られた女性に同情してしまう。

「相手もかわいそうに……。で、美香がどうしたって?」

「ああ、そうだった。お前、なんであの女と仲が良いわけ?」

 思わず、僕は目をパチクリさせてしまった。なぜそんな質問をしてくるのか不思議だが……とりあえず、僕は動揺を隠しつつも、理由を述べた。

「仲が良いことに、そんなり理由ってあるか? 強いて言うなら、それなりに話が合うんだよ。中学の時からのクラスメイトだからな」

「ふ〜ん」

 修哉は微笑を含んだため息をついた。

「……なんだよ? その意味深なため息は」

 僕がそう訊ねると、修哉はフッと笑った。まるで、余裕を持つ大人のように。

「いや、なに。お前には空ちゃんと海ちゃんがいるのにってことよ」

「おいおい、何言ってんだよ。空と海は、別に僕の恋人でもなんでもないだろ?」

 和樹と言い、なんでこうも変なことを言ってくるのか。

「そりゃそうだけどよ、小山内のほうはそう思ってないんじゃないかってことさ」

「……?」

 僕は頭をかしげた。そんな僕に対し、再び彼はため息を漏らす。それも、さっきよりも大きく。

「つまりさ、小山内だけじゃなく、他のやつから見れば、空ちゃんと海ちゃんはお前の彼女に見えちまうってことさ」

「……そうかぁ?」

 そう言うと、修哉はやれやれと言いたげに手を広げる。

「ようするに、これからは彼女たちと接する時は気をつけろってことだ」

 その言葉で、僕は彼の真意に辿り着いたような気がした。

「なーんとなくだけど、お前が言いたいことわかった気がする」

「おっ? マジで?」

 僕の苦笑とは対照的に、修哉はうれしそうに笑った。修哉が言いたいことはつまり……。

「中学の時と同じことが起こるって事か」

 僕は()()を想像し、大きくため息をついた。

「ハハ、そういうこった」

「……人事だと思ってさ」

「だって、人事だもんよ」

「……ぬぅ……」

 修哉の笑い方が、妙に腹立つ。

「そういうお前も、周りの女が放っておかないんじゃねぇの?」

「俺は問題ないさ。簡単にあしらっておけばいいじゃん」

 僕は皮肉染みたことを言ったつもりなのに、修哉は軽くかわしやがった。

「お前も大変だよなぁ。かわいい幼馴染がいるとさ」

「それ自体は別にいいんだよ。そもそも、空と海が自分で対応すればいいんだよ。憎まれ役を、なんで僕が……」

 僕は顔を沈めた。嫌なんだよなぁ……僕が代わりに断る時の、相手の悔しそうな顔や、悲しそうな顔とか。たまに、突っかかってくる奴もいるし。

「そういう星の下に生まれたんだよ、お前は」

 修哉はポンと僕の肩に手を置いた。

「星の下って……大げさだな」

「ハハハ、たしかにな。ま、俺のクラスの野郎どもが3人、明日2人のどっちかに告るらしいから、よろしく」

「僕に言わないで、本人に言えっての!」

「それも俺に言わないで、告白しようとしている野郎どもに言えよ」

 修哉は笑いながらあしらった。


 その日、修哉と僕は一緒に帰った。久しぶりに、僕の部屋でゲームがしたいんだとさ。家に着いたのは4時前。僕の家から高校までは、ほんの15分程度の距離なので、登下校には便利なのである。自転車があれば尚良いんだけど。

「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

「あらあら、修哉君じゃないの」

「お久しぶりです、おばさん」

 修哉は玄関から、礼儀正しくお辞儀した。

「相変わらずカッコイイわねぇ〜。惚れ惚れしちゃうわ」

「……気持ち悪いこと言ってんじゃねぇっての」

 僕は吐き付けるように言った。40代半ばのババァが何言ってんだって話だよ。

「……あんたも、修哉君みたいな男の子になってくれればねぇ……」

「あのな、遺伝的に無理ですよ。遺伝的に!」

 僕はそこを強調して言った。

「ほほぅ? 実の母親に向かって、そんなこと言っていいのかな?」

「…………」

 僕はそれ以上言われたら不利になりそうなので、何も言わず2階へ上がろうとした。

「あれ? 逃げるつもり?」

「……ハイ、逃げるつもりです。ホラ、修哉、行こうぜ」

「ハハハ、相変わらずですねぇ」


 僕たちは僕の部屋で、昔懐かしのゲームをした。現代の小学生はきっと経験したことの無いゲーム機で。まだ高校生だが、それでも幼い時に遊んだゲームというのは、不思議と今のそれらよりも楽しかったように思う。

 そんなゲームをしていると、日が山に隠れ始めた。この時期だと、6時過ぎの時間帯と言ったところか。

「こんちは〜!」

 元気の良い声が、下の方から響いた。この声は――

「元気良いなぁ、海ちゃんは」

 修哉は笑いつつ、僕の方へ目をやる。彼もすぐに誰かわかるのだ。

「それがあいつの取り柄だからな」

「“大海原”の海。元気が良いと言うより、何もかも包み込む大きな優しさ……っていうイメージなんだけどな」

「ハハハ、なんだか海とは対照的な気もするんだけど。修哉にしては、うまいこというじゃん」

「“海”って名前を付けたってことは、そういう人になってほしいっていう両親の想いが込められてるんじゃないかと思ってね」

「自然の名前って、結構たいそうな名前なんだよな。でも――」

「こんちはー!!」

 言いかけた瞬間、僕の部屋の扉が勢いよく開いた。そこから、空と海が入ってきた。想像通りのご登場です。2人は、高校の制服のままだった。

「あっ! やっぱり修哉君だ」

「おっす、海ちゃん」

「こんにちは」

 空はペコリと一礼した。

「こんちは。相変わらず、空ちゃんは礼儀正しいな」

「何? 私は礼儀がなってないと?」

 海はギロッと、上から修哉を睨んだ。

「ハハ……冗談だよ、冗談」

「で? お2人は何の用で?」

「なんで怒ってるの?」

 空は目をパチクリさせた。特に怒っているような表情を浮かべたわけでもないのに、何かを察知したのか、空は言い当ててきた。

「……別に」

 僕は些細なことを見破られたと思いつつ、そっぽを向いた。

「明日、大変な目に会うってわかってるからイライラしてるんだ。気にしなくていいよ」

 修哉は笑いながら言った。毎度のことながら、他人事だと思いやがって。

「……?」

 空はよくわかっていないらしい。まぁ、別にいいんだけどね。

「そんで、何か用?」

 一呼吸を置き、訊ねる。

「別に用は無いよ」

 海の言葉に、僕は思わず肩を落とした。

「だったら来んなよな……。てか、今日の朝に来たばっかじゃねぇか」

「海、高校生活最初の授業日のことを話したいんだって」

 空がなぜか優しく微笑みながら説明し、その横で海もニコニコしていた。

「なんでわざわざ僕に言いたがるんだよ……」

「まあまあ、聞いておくんなし」

 なぜか海は昔話をしようとするおばあさんのように、満面の笑みで今日一日のことを話し始めた。

 同じ中学の順子ちゃんと同じクラスだったとか、女子の友達ができたとか、お姉ちゃんが学級委員に抜擢されたとか、男子生徒が何度も何度も話しかけてきてめんどくさかったとか、担任の先生は少しはげてるとか……。

「……ってことでさ、なんだかおもしろかった! やっぱり三瀬高校に行かなくてよかったよ。あっちに行ってたら、知り合いが少なくて嫌になってたかも」

「ハハハ……なるほど……」

 修哉は笑顔で答えていた。しかし、内心「めんどくせぇ〜」とかって思ってんだろうな……。

「空、聞いてんの?」

「……はっきり言って、聞いてませんね」

「この、馬鹿空!」

 海は僕の頭をはたこうとしたが、僕はその前に海の手首を掴み、未然に防いだ。やられる前に、どうにかするってことさ。

「いちいち叩こうとするなっての。ホント、めんどくさい女だ」

「なんですってぇ!」

 もう片方の手で、海は僕の頭をはたいた。

「いってぇな!!」

「うっさい! お姉ちゃん、帰ろ!」

 海は立ち上がり、部屋から出ようとした。

「もぅ……巻き込もうとしないでよ。私、もうちょっとゆっくりしたいしさ」

「ちぇっ。じゃあ、私は先に帰ってるね。……明日は、起こしに来てやんないからね!」

 海はいたずら小僧みたいに舌を出して言った。

「お願いした覚えはありませんがね!」

 僕も彼女と同じように、舌を出して言った。海はドアを強く閉め、出て行った。途中で、「お邪魔しました〜!」と、海の声が聞こえた。

「なんだかんだ言って、海ちゃんも礼儀正しいよな」

 修哉は窓の外から、その向かいにある海たちの自宅に向かう彼女を見ていた。さながら、親のように。

「そんなこと言ったら、怒られちゃうよ?」

「おっと、危ない危ない。空ちゃん、海ちゃんには言わないでくれよな」

「ふふ、もちろん」

 と、二人は互いに笑いあった。 

「……ああやってやんちゃっぽく見せようとしているのは、空との違いを強調するためなんだと思うけどな。髪の長さ以外、まったく同じだもんな」

 なんとなく海を思い浮かべながら、僕は言った。空はロングで、海はショートである。

「海は、私と2人っきりのところじゃあ大人しいもん」

「……だろうなぁ。まっ、それがわかってるから、多めに見てやれるんだけどな」

「…………」

 僕はハハっと笑った。

「それじゃ、そろそろ俺もお暇するとしますか」

 すると、修哉は立ち上がり、カバンを掴んだ。

「もう帰るのか?」

「ああ。7時過ぎてるしな。沙希が7時半までには帰れってうるさいしさ。まぁ……この分だと怒られるのは必至だな」

 修哉は優しく微笑んだ。咲希ちゃんのこととなると、なんだか表情が和らぐんだよな……修哉って。

「じゃあな空、また明日。じゃあね、空ちゃん」

「ああ、またな」

「うん、バイバイ」

 そして、修哉は部屋から出て行った。

「……お前は帰んないの?」

「帰ったほうがいいの?」

「……別に、いたいならいてもいいけど」

 なんだか調子狂う。空はたまに、わけのわからないテンポを繰り出す奴だからな。

「昨日の新入生代表の言葉といい、1番最初の学級委員になったといい……お前はいきなり優等生ぶりを発揮か」

 僕はその変なテンポを脱却すべく、笑いながら言った。

「好きでなったわけじゃないよ。結局、押し付けられたようなものだもん」

 と、空はため息交じりに言った。

「嫌なことなら、嫌って断ればいいのに」

「それが出来るなら、苦労しないよ」

「……よくよく考えれば、だから僕が苦労するんだよな」

 などと、僕は一人で納得していた。一人で断れるなら、僕が嫌な役を押し付けられることもないのだ。その意味が分からず、空は頭を傾げていた。

「どういうこと?」

「修哉のクラスメイトが、空に告白したいんだってさ」

「えっ? こ、告白?」

 空は思いもよらぬことのせいか、顔を赤くしていた。

「らしいぜ。お前は中学の時もそうだったけど、今回もなんだか大変なことになりそうだな」

「もう、嫌だなぁ……。空、どうにかしてよ」

 本当に嫌そうに、まるで体調でも悪くなったのかというくらいに表情を暗くする空。それでは名前負けしてしまっている気がする。

「なんで僕が。今までさんざん代わりに断ってきたんだから、自分でどうにかしろって」

 そう言うと、彼女は「たしかにそうなんだけど……」と言った。

「……それにしても、なんで知らない人から告白されなきゃならないんだろ。一度も話したこと無いのに」

 空はため息をつきながら天井を見上げた。彼女の言葉に、僕は変に呆れていた。何度も経験しているというのに、いまだに理由がわからないということがあり得るのだろうか、と。

「あのな、空。それじゃ嫌味だぞ」

「え、え? ど、どうして?」

 慌てる空。それはそれで、かわいく思える。

「自覚がないってのはダメだろ。はっきり言って、空は可愛いんだよ」

「……えっ?」

 彼女は驚いた――それは虚を突かれたかのように、想像すらしなかった言葉をぶつけられた故に、その表情を浮かべたのだ。

「幼馴染の僕から見ても、学校内ではトップクラスだと思うけどな」

 中学の時でも、トップクラスだった。そんな彼女たちと幼馴染であることは、少しだけ自慢でもあったのだ。

「まぁ、男ってのは単純だから、かわいい人を見つけるとどうにかして近付きたいって思うんだよ。修哉のクラスメイトも、当たって砕けろって考えでもしてんじゃないの?」

「はぁ……嫌だなー……」

 再び肩を落とし、顔を沈める彼女。

「そんなに嫌なんだな、お前」

「だって、これから目が合ったりすると気まずいじゃない。同じ学校にいる以上、廊下ですれ違う可能性はあるんだからさ……」

「まぁ、たしかに」

 彼女の落ち込む表情を見ると、本当に嫌なんだと思った。彼女は相手の心を傷付けることが、最も嫌なのだ。そういうやつだから。

「気にすんなよ。修哉のクラスメイトなんて2年生なんだし、学校行事や校外でしか遭遇しないはずだから」

「遭遇って…………モンスターじゃないんだから」

「お前に近寄ってくるモンスターってことで」

「変なの、それ」

 空は小さく笑った。

「じゃあ、空がその人たちから守ってくれるの?」

「ん?」

 彼女が僕を見つめる瞳は、きれいだった。

 あれ……こんなんだったっけ?

「私をモンスターから守る役目……でしょ?」

 彼女の言葉で、ハッとした。いかんいかん、何ボーっとしてんだ。

「……なわけねぇだろ。嫌だよ、めんどくさい」

「私だってめんどくさいよ」

「あのなぁ、僕は関係ないだろ? 相手は、お前に告ってるんだ。お前……お前たちがちゃんと言ってやらないと、相手がさらにかわいそうだろ?」

「…………」

 僕はそこで、あることを閃いた。頭上に照明がパッとつくように。

「そうやって断ったりするのが嫌なら、さっさと誰かと付き合えばいいんじゃないの?」

「えっ?」

 空は顔を上げた。

「お前が誰かと付き合っていれば、他の男は寄り付かないよ。と言うより、告白しようとする奴はいなくなるんだろうけど」

「誰かって……誰と?」

「そりゃお前、好きな奴だろ? んな当たり前のこと聞くなよ」

「好きな人、か……」

 いちいち訊ねなくても、わかることだとは思うのだが。空って時々ではなく、結構な頻度でボケたことを言う。……一般的なものが抜けてるのかなぁ。

「まさか、今までいないことはないだろ〜」

「……まぁ、そりゃ……いないことは、無いけど」

 空は恥ずかしそうに顔を隠し、小さくうなずいた。

「へぇ、そうなんだ。初耳だけど、誰なの?」

 野次馬精神とでも言いましょうか。こういう話を聞くと、聞かずにはいられない。それが幼馴染の彼女なら尚更だ。彼女ほどの女を恋に落とさせている奴ってのは、どんな奴なのか?

「誰って……教えなきゃ……ダメ?」

 彼女の顔は頬紅を付けたように染まり、形容し難い艶めかしさを孕んでいた。それは今までの彼女たち――彼女からは感じなかった、女性としての内面だった。それは図らずも、僕自身の心に漠然とした鼓動の高鳴りを引き起こした。思わず、生唾を飲み込んでしまうかのように。

 僕は()()()()()()()()()()()、「えーと」と前置きをした。

「い、嫌なら言わなくてもいいよ。でも、やっぱり幼馴染としては気になるところかな。空だって、逆に気にならない?」

「え……? 空の好きな人ってこと?」

「ああ」

「そ、それは……気になる、けど」

「けど?」

 僕はニヤニヤしながら言った。何でか知らんけど、困ってる空の姿はちょっとおもしろい。

「……もう! 変なこと言わせようとしないでよ、恥ずかしいじゃない!」

 空は顔を振り、僕から完全に顔を逸らした。

「ハハハ、ごめん、ごめん」

「……空って、いつも思うけど私をからかうよね」

 彼女はどことなく頬を膨らませていて、その姿は子供のようだった。もちろん、今だって子供なのだけれど。

「いやいや。お前と海、同じくらいからかってるつもりなんだけど?」

「私の時の方がひどいような気がする」

「海の場合は、すぐムキになるからそう見えるんだよ。まぁ、あいつのそういうところはある意味、からかいやすいんだけどね」

「何よ、それ」

「……なんにしても、僕からしたらお前たちはある種の妹みたいなもんだからなぁ。一応、年下だし」

「妹?」

 空はどことなく、気を落としているような表情を浮かべていた。その理由を、今の僕にはわからなかった。

「生まれた時から隣同士で、物心つく前から知り合いで。何をするにしても、幼い頃は一緒だった。……時間が過ぎていくのと同時に、一緒にいる時間も減っていったような気はするけどさ」

 僕はそう言いながら、ベッドの上で横になった。

「……そうだね」

「僕はお前たちと出会った時のことなんて……覚えて無いもんな。初めて会った時、何を思ったんだろうな……」

「…………」

 人間というのは、生まれから見てきたもの……すべてを記憶し、脳に内包している。しかし、人は歳を取っていくのと同時進行で、その引き出しを開ける力を失っていく。記憶することがどんどん多くなり、末端のものは引き出されないまま、隅に追いやられていく。物置に入れられた、子供のときのおもちゃと同じような気がした。

「……私は覚えてるよ」

 空はどこか恥ずかしげに、自分の頬を指でかいていた。

「私は空と初めて会った時のこと、覚えてるよ」

「え、マジで?」

 空は小さくうなずいた。

「うん。……いつもニコニコしてて、私が泣いたら励ましてくれた」

「ハハ、そんなことしてたのか? 全然記憶に無いなぁ」

「いつも、空の後を追っかけてた……」

「……空はのろいからな、何かと」

「余計なお世話」

「そりゃそうだ」

 僕と空は同時に笑った。

「……でも、もうあの頃には戻れないんだね……」

「まぁな。もうガキじゃないんだし。あと何年かしたら成人するわけで」

「……そうだね」

「けど、これからもお前が泣いたりしたら、昔の時と同じように、お前を励ますよ」

「……空」

「それが幼馴染の専売特許だろ?」

「……ありがとう……」

 空はニコッと微笑んだ。


「…………」

「…………」


 なぜか、変な沈黙が流れた。何かを言わなきゃって思うんだけど、同時に言い掛けたりしそうで、なかなか言葉が出てこない。そういうもんじゃないか?

「……あのね、空……」

 空がこの沈黙を破った。

「ん? 何?」

「……私、いつも空に言いたかったことがあるの」

「うん?」

「……私……」



 ……聴こえる……?



「!!」

 僕は天井を見上げた。そして、すぐさま部屋の隅々を見渡した。

「…………?」

 何もいない。なんだ? 今のは……。

「?? どうしたの? 空」

 空は頭をかしげていた。

「……今、何か聞こえなかったか?」

「え? 別に、何も聞こえなかったけど……。どうかしたの?」

「……いや、なんでもない……」

 僕は肩の力を抜き、視線を落とした。

 今のは……ただの幻聴か? 女性の落ち着いた声……。なぜだかわからないけど……とても懐かしい……感じがする。

 幻聴――だよな。



 ……お願い……



「っ!」

 まただ! また聞こえた!



 ……永遠に……りし、言霊…………私たちの……を……



「な、なんだ!?」

 僕はベッドの上から降り、立ち上がった。

「ど、どうしたの?」

 空は目をパチクリさせている。

「聞こえなかったか!? 今、変な声が―――」

 その瞬間、頭の奥で何かが雷鳴が轟くように響き渡る。それと同時に、何度も叩かれているような痛みを感じた。

「ぐっ……!」

 その痛みに耐えられず、僕は顔を沈めた。経験したことのない痛みだ。生まれてこの方、頭痛なんて発熱した時くらいしか出なかったのに。

「ちょ、ちょっと……大丈夫? 頭でも痛いの?」

 空は心配そうに、僕の頭をさすった。



 ……ワレ……エニ……ミヲカタ…………ケヨ……ムクナル…………テイシャ……ヨ……



 なんだ!? この声――違う、すごく不気味だ! 体が、心がそう叫んでいる。

 やめろ、やめてくれ! 僕を蝕むな!

「いっ……てぇ……!!」

 あまりの痛みに、僕は立っていられなくなり、ベッドから転げ落ちてしまった。

「そ、空!? どうしたの?」

 空は何がなんだかわからず、声を上げる。

「あた…………まが…………!!!」

 鐘が鳴り響くかのように、大きな振動となった頭痛が波紋みたいに広がる。



 ……ありとあらゆる………………メイヲ……ワガテニ……ルソノトキ……タ……!



「くっ……!!」

 なんだ……なんだって言うんだ……!?

 この痛みは……一体……??

「空!? 空!!?」

 空の声が、遠くから聞こえる。

 沈む。沈む。

 どこかへ。

「しっかりして! 空…………空ぁ!!」

 彼女の僕を呼ぶ声が、僕の奥で木霊する。あっちに行って、こっちに行っている。


 その時、僕は気を失ってしまった。






「……ここは……どこだ?」

 辺りを見渡すと、見たことも無い風景が広がっている。……いや、真っ暗だ。何もかもが、黒い。黒く塗りつぶされているみたいだ。

「おーい! 誰もいないのかぁー!!?」

 還って来るのは、沈黙だけ。

 足を進ませてみた。けど、それがわからない。前へ進んでいるのかどうかさえ、わからないのだ。

 完全なる暗闇。

 人間、こういう場所に立たされると、今、自分が何をしているのか、どこを向いているのか、立っているのかさえも不明になってくる。



 ――……ヴェス…………………………セヴェス……――



 誰かの声が、遠くから聴こえて来た。

「……誰かいるのか?」

 そう言っても、何も還って来ない。なんだってんだと思った時、



 ――二つの螺旋と円環。そして運命……お前はどう生きる――?



「……?」

 まったく、意味がわからない。その言葉は、僕に向けて言ってるのか? そもそも、僕はセヴェスって言う名前じゃあない。



 ――道のりは厳しく、同時に激しい。それは川の濁流の如し。獰猛なる風の如し――

「……だからさ、意味わかんねぇよ!」

 僕は呆れ交じりの声で叫んだ。



 ――時を同じくしてその権利を得たのならば、その権利を行使し、すべきことがあるということだ――



「おいおい、僕の声、聞こえてるんだろー?? 無視すんなー!!」



 ――あぁ……そう、私たちは還るのだよ――

 ――時は……来た――







 僕の意識は、また遠くなった。

 また、沈む。

 どこかへと。




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