16章:海賊襲来 その先を奪うということ
何艘ものボートで、この船の横に群がっている。あの大きさでは、甲板から乗り出さない限り、見ることはできない。海賊たちは登ろうとしているのか、ロープを準備している。
そこから100メートルほど離れたところに、この船と同じくらいの大きさの船が一艘見える。たぶん、あれがこの海賊たちの船だろう。ひっそりとこの船に入るために、小さなボートで来たんだ。
僕は驚きはしたが、哀愁に浸っていたせいかそこまで焦ってはいなかった。冷静に考え、僕はレンドたちを起こすことにした。離れしているのは、彼らなのだから。
音をたてずに早足で階段のところに行くのは、けっこう骨が折れる。まず始めに、船長であるレンドを起こしに行った。
部屋のドアの前で、ものすごい音が聞こえてきた。2人のいびきだ。この通路にまで響くとは、よっぽどだ。すぐにドアを開け、レンドを起こす。
「レンド! レンド!」
その声に、レンドは反応した。いびきが止まり、つらそうな顔をする。
「なんだよ…。どうしたんだ…?」
目を開けずに、レンドが言った。
「海賊がこの船に登ろうとしてるんだ!」
「何言ってんだ…。俺たちは海賊だ…」
寝ぼけてる…。僕はレンドの両ほほをつねり、
「レンドたちのことじゃなくて、だ他の海賊がこの船を襲おうとしてるんだっつの!!」
と叫んだ。レンドは飛び上がり、僕の顔を見た。
「それ、ホントか!?」
「そうだっての!」
彼はぼさぼさの髪を、まるで髪を洗うときかの様に手でクシャクシャにした。
「ちっ…何人くらいいたかわかるか?」
「たしか……10〜15人くらいだったかな」
そう言うと、レンドは少し間を空けた。
「…フン、たかがその人数で俺たちを襲うとはな…。ただの無謀か、自信の表れか…」
彼は冷静に分析し、自分の顔を叩いて眠気を吹き飛ばした。
「うし!! まずはみんなを起こさないとな。ソラ、手分けしてみんなを起こそう」
「わかった!」
さすが船長だ。声を荒げることも無く、冷静に対処している。いつの間にか、さっきまで開けきっていないまぶたが、スッキリしたかのごとくぱっちり開いている。
僕は言われたとおり、ルーシーたちを起こしに行った。どこの部屋に行っても、いびきがうるさい。さすが海の上で生きる男たち……寝る時も豪快、というべきか。まぁ……こういうのには慣れてっけど。
みんな、最初は寝ぼけていたが2回ほど言うと、レンドと同じく表情が変わり、急いで着替え始めた。そして近くにあった武器を手に取り、通路に出てきた。しかも外に漏れないよう、静かにだ。
レンドとデルゲンが船長室から出てきた。レンドは片手で持てる斧を持ち、デルゲンは想像していたとおり槍を持っている。
レンドは僕たちを見渡すと、静かに、早い口調で言った。
「どうやら、俺たちの船を襲おうとしているバカどもがいるらしい。…野郎ども!! この船に乗り込んできたこと、後悔させてやろうぜ!」
そう言うと、みんなは大きな声で叫んだ。僕が「外に聞こえる!」と思った瞬間、みんなは甲板に出て行った。
すると、戦いが始まったのか、いろいろな声が交じり合った、歓声にも近い声が聞こえてきた。
「なんだ。動くのが早いなぁ」
けつをかきながら、ヴァルバが言った。後ろにはアンナが立っていた。少し怖がっているのか、眉を中央に寄せている。
「のんきだなぁ、ヴァルバは」
「はは…。起きたばっかりだしな。さて、俺たちも行くか」
ふと気付いた。ヴァルバの右手には、槍があった。
「ヴァルバって、槍扱えんの?」
「まぁ、人並みにはな」
彼は小さくほほ笑む。
「ソラ、お前も行くんだぞ」
「え?」
わずかに、体が震えた。
「こういうときのために、その剣はあるんだ。わかるだろ?」
ヴァルバが指をさして言った。その先は、僕が右手に握っていた剣だった。
「お前も、この船の一員なんだ。この船を守らなきゃならない」
さっきまで、大きないびきをしていた男とは思えない。ヴァルバは、僕を真剣に見ている。
戦う…。人を、殺すのか…?
僕が?
「お前は、幼馴染を救うんだろ?」
ヴァルバの碧い瞳が僕の意思を覗く。
殺す。
人を……。
「…ああ」
僕はうなずいた。きっと、ヴァルバは分かっていたはずだ。力が無いってことを。
「…彼女を救うには、剣を取って戦わなければならないってことも理解できるだろ?」
「……………」
そうだけど…。『ガイア』ではなんであろうと、どんな理由があろうと、人殺しは最悪の犯罪とされていた。そう教えられて育ってきた僕に、武器をもって敵を殺すなんてできるのか?
僕は己に問う。
殺すってことは、どういうことなんだ?
「…行くぞ」
ヴァルバは僕の答えを待たずして、上に行った。
「無理しなくても、いいんですよ?」
ヴァルバの後ろに隠れていたアンナが言った。
「…無理なんて、していないさ。大丈夫」
僕は作り笑顔を浮かべた。どうして、大丈夫なんて言ったんだ? 本当は、嫌だってわかってるのに。
「僕は大丈夫だから、アンナは部屋に戻りな」
「…わかりました」
心配そうな面持ちで、彼女は一歩下がった。
僕は甲板に向かった。
どうして僕は走っているのか、わからなかった。自分でも答えなんて出ていないのに。なのに、足が動いていた。自分だけ恐れてちゃいけないとわかっているからだ。それを理解しているのに、僕はまだ震えている。…心が。
甲板に出ると、みんなが入り乱れていた。大きな声を出したり、叫んだりしながら相手に向かって行っている。
よく見ると、敵は赤色のしましまの服を着ている。幸い、今日は満月。敵の姿もよく見える。
しかし、ここに来たのはいいが、どうすればいいのかわからなかった。みんな僕に気付かず、敵に攻撃している。ヴァルバも、4メートルほど先で槍を振り回し、敵を寄せ付けない。敵の多くは剣や斧が武器のようだ。
すると、誰かの叫び声が聞こえた。人のものとは思えない、大きな声。
その声が聞こえた方向に向くと、1人の男の体がゆっくりと倒れていっていた。いや、そう見えた。倒れた人が誰かはわからない。誰が斬ったのかもわからない。けど、その声が断末魔の叫びだということは理解できた。そして、その男から血が吹き出している。まるで、噴水のように。男の体は電気が走ったように、微動している。
その光景を見て、僕は足が震えた。
こんなもの見たことが無い。映画で見たような、戦いのシーンではない。これは本物なんだ。そう頭が理解するのは、遅くはなかった。
本物の血。本物の戦い。日本では到底ありえない光景。
目をそらし、後ろのほうに向くと、レンドとデルゲンが戦っていた。
レンドは、さっき見た剣で敵の攻撃を防御し、反撃している。デルゲンは重そうな槍を軽々と振り回し、敵に攻撃している。彼らの足元には、すでに4人の死体が転がっていた。全て見えなかったが、死体の目は大きく見開いたままのように見える。
僕は、思わず後ずさりをしてしまった。情けない。頭ではわかっているのに、体が言うことを聞かない。勝手に足が後ろへ下がっていく。
何かに、僕は気付いた。すぐさま横を見ると、1人の男が叫びながら向かってくる。その手に、剣を握り締めて。
「でやあぁぁぁ!!」
彼がそれを振り下ろす前に、僕は慌てすぎて後ろに転げてしまった。そのおかげで、敵の攻撃をよけることはできた。だけど、剣が1メートルぐらい先に投げ出されていってしまった。
まずい!
武器がないと何もできない。敵の攻撃をよけるなんて、僕にはできやしない。レンドのように、武器で防御するしかないんだ。
僕は横になりながらも、剣に飛びついた。ぴったり右手に収まった。後ろを向くと、男が走りながら僕に向かっている。
すぐさま剣を抜いた。月光により、黒く光っているように見えた。
――シネ――
何を考えていたのかわからない。ただ、向かってくる敵に向かって僕は剣を突き出していた。何も見ないように横に顔をそらし、目を強くつむった。
すると、変な感触が右手に伝わってきた。ズルっとした感触。まるで、少し硬いこんにゃくに包丁を突き刺したみたいに。
恐る恐る、目を開けた。顔を横に向いてるから、見えるのは甲板の板だけ。ゆっくりと前に顔を向けると、僕はその目の先にあるものに驚愕した。
僕の剣が、相手ののどに突き刺さっている。
「うあ……あ……!」
情けない声が漏れる。口から出る言葉が震える。
敵は圏を上にかざしたまま、体が硬直している。目は見開き、口を開けたままになっている。そう思ったとき、しゃべっているんだろうか……口を動かし始めた。パクパクと、魚がえさをもらうときのように動かしている。
そして、その口から真っ黒なものが流れ始めた。それを理解するのは難しくなかった。満月を後ろにしているからといっても、この状況ならばわかる。そう、血だ!
男がそのまま僕に倒れ掛かってきた。
僕の上に覆いかぶさるように、男は倒れてきた。
「うわ……ああぁ!!」
僕はそれを払いのけようとしたが、男の体が重くて上手く動けない。
すると、男の首から突き出ている剣が目に入った。それは、月の光を浴びているため、刀身が真っ赤な血で染まっているのが簡単にわかる。それを見て、僕は『これ』を自分がしたことだと理解した。
男はまったくと言っていいほど、動かない。まるで石のようだ。
死んでいるんだ。昔、祖父ちゃんの葬式のときに見た、あの体みたいに。
潮が引くように、血の気が、引いていった。
僕が、殺したんだ。
どうして? 殺すつもりなんて、微塵もなかったのに。
どうして? 僕が、殺したのか?
僕は目の前の光景から、必死に逃げようとしていた。尻もちをついて、這いずるように。
怖い。真っ赤な刀身の剣。動かない男の体。そして最も怖いのは、まだ剣を握っている自分だ。怖いと思いながら、どうしてか離さない。
いや、それが怖いんだ。離すことが怖いんだ。離すと、僕を守るものが何一つなくなってしまう気がした。
僕がそうやって怖がっていると、前に影が見えた。顔を上げると、そこに別の男が立っていた。
「残念だったな、坊主」
「!!!」
そう言いながら、男は笑っている。気持ちが悪い笑顔だ。けど、そんなことを思っている場合ではない。男は剣を持って、振りかぶった。
「死ねぇ!!!」
男はそう叫んだ。僕は殺されると直感した。思わず、目をつむった。
「………?」
しかし、何も起こらない。どうしたんだろう。
目を開け、前を見ると男の姿はなかった。倒れる音が聞こえた。倒れていっていたから、見えなかったんだ。でも、どうして?
そこに、ヴァルバが立っていた。ものすごい形相で。
「まったく…」
息を切らしているため、言葉が続かないのだろうか。ヴァルバは息を整え、僕に言った。
「1人殺したからって、ぼうっとするんじゃねぇよ…」
怒っているんだろうが、声があまり出ないようだ。
「…ほら、上手く横に出て剣を抜きな」
そう言われ、僕は動いた。しかし、剣を抜くことにためらいがあった。また、あの感触がするんだろうか。
「早く抜けって」
ヴァルバは僕に近づき、無理矢理剣を引き抜いた。
すると、血が溢れ出した。もちろん、あの男の血だ。そういえば、聞いたことがある。突き刺さったものを無理矢理抜くと、血が出てきて出血多量で死んでしまうという話を。
身動きできない僕を見て、ヴァルバは言った。
「…お前は悪くない」
…悪くない? 僕は顔をあげ、ヴァルバを見た。満月を背負っている彼の顔は、よく見えない。
「どちらかといえば、こいつらが悪い」
少し辺りを見渡してみると、みんなの動きが止まっていた。敵は、殲滅したということか。
「…どうしてだ?」
僕はヴァルバに訊いた。
「なんでって、こいつらが悪さしようとしたんだ。…この船を乗っ取ろうとした。俺たちは、それを阻止するために戦った。…どちらに正義があるかといえば、俺たちに正義がある」
「…正義」
僕は血塗られた剣を見つめた。
「自分たちを守るために、戦わなきゃならない。お前のいた世界と形が違うかもしれないが」
形。僕がいた世界では、どうだっただろう。『正当防衛』といったものがあった。やられそうになったとき、自分を守るためにやりかえすのは、『正当』。
けど、今回のはどうなんだろう。
正当なのだろうか。こんなに、人が死んでいるのに。
「…ごくろうさん、ソラ」
後ろから、レンドの声がした。振り向くと、彼は汗だくだった。汗が月の光に当たって、輝いている。
「…そうか。お前、人を殺したのは初めてか」
僕の様子を見て、レンドは悟った。他のみんなから見ると、今の僕の様子はどうなんだろう。震えているんだろうか。それとも、泣きそうな顔をしているんだろうか。
「誰だって、初めて人を殺すことにためらいはある」
レンドは汗を拭い、呼吸を整えた。
「俺だって、初めて人を殺めた時はそんな感じだったよ。今のお前のように、ほとんど何も考えることができず、考えるのは、『殺したことは正しいのかどうか』だった」
殺したことは正しいのかどうか。
「俺は何度も何度も考え、迷った。その結果、俺はある結論…いや、自分なりの答えを出した」
「答え…?」
うつろに、僕は言った。
「俺は俺を守る。そして仲間を、俺たちの船を守る。そのために戦うときもある。そのときはやむをえない、という答えさ」
守るため…。
「お前も安易な答えは出さずに、迷って、迷って、考えて……結論を出しな」
レンドは肩に手を置き、優しく言った。
「…そこまで考えんなきゃいけないのか?」
「ああ。『人を殺すこと』は簡単なことじゃない。『人を殺すこと』は、相手の命を……全てを奪うということだ」
その言葉に、恐怖した。僕は、あの男の全てを奪ったということか…?
「そして、未来も希望も、消え去ってしまう。だから、俺は安易な答えを出さないで欲しいんだよ」
「……………」
相手の全てを奪うこと。それは何を意味するのか。
「なんだ、レンドのほうが説得力あるじゃないか」
ヴァルバが苦笑いしながら言った。
「ハハ……。ま、海賊だからな。ソラと同じ境遇になったことはあるんだ。だから、俺は俺なりのアドバイスをしたつもりだ」
「なるほど」
「さて、戦いは終わった。みんな、死体を片付けるぞ」
レンドは汗を拭いながらみんなに言った。
「…片付けるって?」
「死体を海に捨てるのさ」
「………!!?」
な、なんだって!?
「驚くのも無理はないだろうが、これがこいつらのためでもあるんだよ」
ジョナサンが体に付いた血を取りながら、僕たちのほうに近づいてきた。
「『海賊』っていうのは、帰る家なんてないんだ。それに、俺たち海賊の間には『海で生き、海で果てる』という信念がある。だから海の上で死ぬことに後悔なんてないし、海の中に捨てられることも、こうして殺されてしまうことも、覚悟してるんだよ。『かわいそう』とか、『邪道だ』というのは、ただの偽善でしかない」
偽善的…。
「こういった、送り方もあるってことさ」
デルゲンがそう言い、僕の肩を軽く叩いた。
「………………」
「…ほら、みんな作業に取り掛かるぞ。ロルグ、相手側の船に知らせな。『お前たちの作戦は失敗した』ってな」
「あいさ」
そして、みんなは死体を背負い始め、甲板から海へ落としていった。
ロルグは言われたとおりたいまつを持ち、それを振りながら相手の船に何かを伝えている。どうやら、そういった情報伝達の方法があるらしい。
ドボン、ドボン。
次々と、死体が海に投げられていく。敵は数えると14人いたらしく、全員殺した。そのうちの1人は、僕が殺したんだ。
「ソラ、こいつだけはお前の手で海に入れてやりな」
「え…?」
1つ年上のルーシーが言った。腕に抱えているのは、さっきの男。僕が殺した男。
「こいつは、お前がやったんだろ? だったら、お前が入れてやりな。…母なる大海原に」
僕はうなずき、男を持った。しかし重すぎて……いや、力がないため持つことができなかったので、他の人に手伝ってもらった。
船から海へ。水面に、波が立つ。そして、すぐにもとのどこまでも続くような深淵の海に変わった。
「母なる大海原に、か…」
ふと、ルーシーが言ったことを口にした。
なんともやりきれない思いと、自分がこれからこういった場面に遭遇したとき、どんな対応をすればいいのかを考えた。今回のように戸惑い、あわや殺されそうになるということにならないために、ちゃんと結論を出さなきゃならない。
レンドの言ったとおり、安易な答えを出してはいけない。
そして、いずれ相見えることになるであろう、『インドラ』の人たち。空を救うには、この剣を手に取り、戦わなければならないんだ。
空を見上げればまん丸のお月様が、深淵の夜空を泳いでいた。雲も月を囲むように、うっすらと漂っている。
僕はまだ、血塗られた剣を握りしめていた。




