13章:ミレトスにて しばしの安息と己の剣
今回の章は、のんびりとした様子が描かれてます。
話的にはあんまり進展しません。
僕たちが行くべき道は定まった。秘密組織インドラのことについて、ルテティア国王に謁見すること。
レンドは物資の調達やら何やら、いろいろと忙しそうだ。僕たちと出会ったのは、ちょうどお昼時、ということだったか。
「俺は港の方にいるから、なんかあったら言ってくれ」
とレンドは言い、港のほうに走って行った。リサもシュレジエンへの切符を買うために、ミレトスの街中へと消えていった。「晩飯を一緒に食べようね〜」なんてのんきな言葉を残して。……一緒に食べるって言っても、場所を決めておかないと会えないだろ? 決めずにどっかに行っちまいやがった。計画性のない女……。
残された僕たちは、「どうしようか?」というアイコンタクトで意思を伝え合った。
「……前から言おう言おう思っていたんだが……」
考えていると、ヴァルバが口を開いた。
「…………?」
ヴァルバが僕をじーっと見ている。いや、僕を見ているというか僕の服を見ているのか?
「な、なんだよ?」
「お前の服装……変だよな」
へ、変!?
「な、なんだとぉ!?」
僕は顔をカーッと赤くし、ヴァルバに言った。
「だってよ、どう見てもここらじゃない服装だし、それにそういう服装をしていると、無駄に注目を集めちゃうんだよ」
と言われても、これは僕のお気に入りの私服だったんだが……。自分のお気に入りを否定されるのはなんだかファッションセンスを疑われたみたいで、なんだか嫌だ。………あら? よく見ると、ところどころ汚れている。そうだった……この世界に来てから、服を洗っていないんだった……。
「……もう汚れちゃっていますしね」
アンナが服の汚れに気が付き、ボソッと言った。
「決まりだな。ソラの服を買いに行こうか」
「服を?」
アンナとヴァルバは顔を合わせ、ニッと笑った。アンナはニコッとしただけだが、ヴァルバは白い歯がこぼれるほどの笑顔をしていた。
「せっかく、ミレトスに来たんだ。ここには各地で製造されたいろいろなものが輸入され、売られている。ソラに似合う服だって、たくさんあると思うしさ。お金は俺が払ってやるからさ」
とヴァルバは言い、僕の肩を片手で叩いた。意外と強く叩きやがったので、思わずふらついてしまった。
「…んなこと言われても」
「いいじゃないですか。その服って、〈ガイア〉のものなんですよね? こっちの世界にいるんだし、こっちの世界の服に着替えたほうがきっと似合いますよ」
アンナはフフフと笑いながら言った。そして、ヴァルバが頭をかきながら、付け加えるように言った。
「それに、これからルテティア国王に謁見するんだ。そんな服装じゃあ、怪しまれるからな」
たしかに……。初見というのは大事だ。第一印象で疑わしいのか、信頼するに足るのか……。普通の人はそうやって判断するだろう。
「……御尤もな意見ですな」
「だろ? そうと決まれば行こうぜ。暇つぶしだと思えばいいんだよ」
「暇つぶしって……」
まったく、ヴァルバは見た目どおり、大雑把なやつだ。
ミレトスの出店が立ち並ぶ、大きな街道を〈中央商店街道〉というらしい。来る時に通った道だ。ここにはロンバルディアの内陸や、西海岸で取れた畜産物を取り扱っており、海鮮物などの日常に必要なものが出店から売られている。
その街道から、南のほうに行くと、〈総合交易街道〉というのがあり、貿易によってもたらされた各国の特産物や珍品など、人が趣味で買うようなものが売られている。見る限りでは、物好きな奴しか買わないようなもんがある。どこぞの貴族とかが、無駄に金をはたいて手に入れそうな壷みたいなもんもある。
この街の特徴、それはロンバルディア建築であるという。イメージとしては古代ギリシャであろうか。前にも述べたが、この街のほとんど…いや、全部と言ってもいいほどの建物が白い。街道に敷き詰められているレンガのようなものさえ、白いものとなっている。白くないのは民家の庭にあるオリーブのような樹や、出店、そして空と海だけだ。しかし、貿易都市だがなんだか知らないが、ちょっと建築物を詰めすぎではないだろうか? 街中を這うように張り巡らせている街道は、そのため狭くなっており、どうしても窮屈だ。市場が開かれる時は人でごったかえすのに、これでは仕事の効率などが悪くなるのではないだろうか。
とはいえ、この街で唯一気にいっていることがある。それは〈色〉だ。
街の白。海の蒼、空の青。それぞれが見事にマッチし、驚くほどの美麗さを放っている。それぞれの色との境界線がはっきりとしており、より一層の輝きを放っているようにも感じる。できることなら、この風景を写真にでも収めたいのだが……まぁ、無理なんだよな。持ってきてないし、持ってきたとしても印刷もできねぇし…。
〈総合交易街道〉の一角に、服屋さんがあった。店名は〈オリーブの海域〉。……独特で……変なネーミングだな……。それに、服を売っているイメージが皆無と言っていいほど浮かばないのだが…。店長に突っ込みたい次第です。
店の中に入ると、見たこともない服やズボン、男物も女物も無造作に飾られている。その数は、ガイアの世界の服屋より断然多い。ていうか、こんなにあっては良い物も見つけることができないのでは。
どれもこれも、僕から見れば「なんじゃこりゃ」という感想しか出てこないんだが、ヴァルバの言うとおり、国王に謁見するのにこの世界ではありえないような服装で行くのは、怪しまれてしまうものだ。
この世界の一般人っぽい服装は、僕では決めることはできないのでヴァルバとアンナに任せることにした。僕は彼らが決めている間、他の服を見ることにした。
いろいろと見ていると、ここの服は短いものが多いように見える。短パン、半袖シャツ。女物は、スカート類や白い服が多い。あと、タンクトップっぽい物もよく見かける。もしかして、港町だからこういった服が多いのかもしれない。それにミレトスはフィアナに比べれると、気温が高いように感じる。5月の後半(以前、アンナに聞いたのだが日にちはガイアとおなじだった。……不思議だが)にしては、けっこう暑い。しかし、汗が出るかといったら、そうでもない。なぜなら、海からの風が町中を吹きぬけているからだ。ちょっとぬめぬめするのが嫌だが、汗でなるよりかはマシだ。
この店では、ほとんど長袖がない。まあ、これから夏に向かうんだと思えば、半袖の服を買ったほうがいいよな。
個人的に、夏より冬のほうが好きだ。夏はむしむしするし、汗は出るし、やること全てがめんどくさくなってしまう。7月とかに学校に行くのは、かなり気分が削がれるものだ。プールに行けばいいと思うかもしれないが、真夏、真っ盛りにプールに行くと、人が多すぎて気分よく泳ぐこともできない。川で泳ごうにも、それなりの都会に住んでいたため川は汚染されており、泳ぐことなんて絶対に無理だ。そういうとき、田舎に住んでいる人たちがうらやましい。最近では、ヒートアイランド現象とかいう都市部にしか起きない現象で、気温は高くなる一方だったし。
それに比べ、冬はいい。寒いのが得意…というわけでもないのだが、寒いならたくさん服を着たりすればいいし、寝るときとかなんか布団や毛布をくるんで寝ると、かなり気持ちがいい。夏だと暑すぎて、快眠なんてほとんどできっこない。そして、何と言っても雪。しんしんと降りしきる雪は、一つの絵。夜の黒と、ゆらゆらと降っている雪の二つが織りなす憧憬は、どこか魅入ってしまうほどだった。
……そういえば、なぜか僕の中に〈空〉は雪のイメージがある。いや、〈白〉……と言ったほうがいいだろうか。
真っ白な風景の中に、彼女1人でたたずんでいる。そんな、イメージがある。彼女の名前どおり、青空の下にいる空ってのも好きなんだが……白い世界の中で微笑む彼女は、哀しさを漂わせているというか……。それが好きなのかもな。
「おーい、ソラ。来いよー」
ヴァルバの声でうつろだった精神が、正気に戻ったようにハッとした。後ろに振り向くと、カウンターの前でヴァルバとアンナがこっちを見ている。
2人のところに行くと、カウンターの上に服が置かれていた。
「これは……?」
「もちろん、ソラの服」
ヴァルバが得意そうな顔で言った。いや、それはわかってんですけどね…。
「似合うといいんですけど……」
アンナが照れながら言っている。
「あ、いや……自分で選ぶより、他人に選んでもらったほうが大体似合うもんだよ。(……たぶん)」
というわけで、試着することになった。
服は二枚重ねで、長めのタンクトップと半袖シャツ。上のほうは全体が青色、いや、空色かな。下のタンクトップは、真っ白に染まっている。ズボンは、長ズボンだった。茶色の長ズボンで、はいてみるとちょうどいい長さだった。あと、黒いスカートみたいな腰に巻くもの、装飾品であろう腕輪、ベルト。そのベルトに引っ掛ける小さなバック。あと黒い手袋。あんまり手袋は好きではないのだが。
「お、けっこう似合ってるじゃないか」
「そうですね。ぴったりです」
2人にそう言われ、なんだか照れくさい。
「ソラは背が高いわりに、ほっそりとした体だから、服のサイズがそれで合うかどうか心配だったが………ちょうどいいな」
まあ、180センチだけどLサイズでは少し大きすぎていたからな。これは、Mサイズのほんの少し大きめのサイズかな。たしかに、ぴったりだ。
「そうだ。あと、お前にはこれをやるよ」
ヴァルバが差し出したのは……
―――剣だった。
僕はそれをなかなか受け取ることができなかった。剣なんて、初めて見た。これ……本物か?
「こ、これ……」
「もちろん、剣だ」
ヴァルバがすんなりと答えた。
「けど、こんなもの……」
「絶対に、お前には必要になる」
ヴァルバは眉間にしわを寄せ、厳しい口調で言った。さっきまでの雰囲気が、風で流されたかのように消えていた。
「インドラの連中と戦うことだってあるかも知れない。そのほかにも、盗賊だとか、悪人だとかに襲われるかもしれない」
「そ、そうかもしれないけど……」
「お前は、男だ。だから護られる側じゃなく、護る側なんだ」
「……………」
護る……。
「もしアンナが危険な目にあったとき、俺がいなかったらお前が護ってやらなくちゃならない」
ヴァルバは僕に無理矢理、剣を渡した。その剣はズシリと、僕の体にのしかかってきた感じだった。そんなに重くないと思っていたが、違う、想像よりももっと思い。……いや、そうじゃない。勝手に重いと感じているのかもしれない。
「……お前は、幼馴染の女の子を助けるんだろ?」
「………あ、ああ」
僕は力なく答えた。
「だったら、これが絶対に必要になる。これは護るために使うものだ。その意味を絶対に忘れるな」
ヴァルバは僕の目を見ている。きっと、僕が心の底から戸惑っているのがわかっているだろう。
「そして、覚えておけ。……その剣の重さが〈人を殺す〉ことと〈命の重さ〉だということを、な」
「…………」
武器とは、殺めるもの。そのために、作られたもの。
「……まっ、どう扱うかはお前次第なんだけどな」
「……………」
剣を握っている手が微妙に震えている。意識していないのに、震えている。まるで、地震が起きたときの初期微動みたいに。
「わかってるんだろ? お前の世界と、この世界は違うってことを」
その言葉に、僕は顔を上げた。
「……もうお前はこの世界にいるんだ。迷いもするだろうが、自分のためにも早く吹っ切れておけよ」
ヴァルバのさっきまでの厳しい顔が、縄が解けるかのように緩んだ。
「ソラさん……」
アンナが心配そうな顔をして僕に近寄り、顔をうつむかせながら言った。
「………戸惑うことのほうが多いと思います。でも、頑張ってください………。ソラさんなら、きっとできると思います。いえ、絶対に!」
そんな自信、どこから来るんだ? どうして、僕をそこまで……。
……と疑いたくなったが、彼女の笑顔を見ているとそういう気が無くなってきた。彼女の笑顔には、暗い影に光を照らす力がある。そんな気がした。
「……僕に…できるか……?」
この〈重さ〉に耐えることが……。
「ええ、きっと………!」
「…ありがとう」
護るための剣。殺すための剣。武器を扱うということは、その二つを行うということ。二極の……相容れぬもの。時として、人はやらなければならないことがある。この世界に来たからには……空を救うと決めたからには、やらねばならない。そこから逃げても、結局ダメなんだ。何も…変わらない。
そういえば、ヴァルバだけ昼飯を食べていないので同じ店に食べに行くことにした。
「それにしても……アンナはよく1人でお姉さんを探そうと思ったな」
ヴァルバがミートスパゲッティみたいなものを、大きな音をたてながら、アンナに訊いた。
「たしかに。普通、女の子が1人で行くなんて考えられないもんな」
「……どうしても、お姉ちゃんに会いたかったし…それに、真実が知りたいんです」
「…どうして家族が離れ離れにされた…とか?」
僕は、アンナの方を見ながら、ロールキャベツみたいなものを口にほおばった。ここの料理は、『ガイア』のものとそんなに変わりばえはしない気がする。別世界だといっても、食べ物まで変わらないのだろうか。ゲームとかでよくある、亜人といった類の人たちも存在しないし…。
「…そうです」
アンナはうなずいた。
「ブルターニュ伯爵ダグラス……だったか」
ヴァルバがそう言うと、再びアンナはうなずいた。
「ダグラス伯……当時の王国師団主席隊長だったかな」
「有名なのか?」
「まぁ、な。元は子爵だったんだが、17年前まで行われていた先の戦争時、最も功績を挙げた将軍でね。それによって伯爵を賜った…と聞いたがな」
しかし、とヴァルバは続けた。
「10年前、ハロルド10世に反発する過激派の神聖騎士団が反乱を起こし、それに軍事介入したルテティア。…その時、戦死したんだったか…」
「…あんまり記憶にないんですけど、なぜか私だけがヴィンラントを離れさせられて……」
そして、お父さんの従姉にあたるフィアナ村の宿屋のおばさんのところに引き取られたのだという。
「実はお姉ちゃんだけ、他の人に引き取られたんです」
「……どうして?」
「……フィアナでは、私とお姉ちゃん……二人を養うのはちょっと無理があったんです。だから……」
そっか、あの宿屋にはおじさんはいなかった。おばさん1人で養うのは、かなり無理があったんだろう。
「それで、お姉ちゃんは王都に行ったって聞きました」
王都か…。じゃあ、没落してすぐに王都へ連れて行かれたのではなく、最初から王都にいた……ということか。
「…それでようやく帰って来たのに…」
アンナは顔を俯かせ、弱い声で言った。
「……やっと、やっと、一緒に暮らせるようになったのに、たったの2年で……また離れ離れに……」
たしか、2年前にお姉さんはさらわれたって言っていたな…。
「……だから、どうしてもお姉ちゃんを助けだして…もう一度、一緒に暮らしたかったんです……」
アンナの目が少しだけ潤んでいた。
「……毎度毎度思うが、アンナは本当に優しいな」
ヴァルバはニッコリ微笑みながら言った。
「そ、そんなことないです。ただ……お姉ちゃんに会いたい一心で……」
彼女はほんの少しだけ、照れていた。
僕はふと思った。お姉さんを引き取ったという人が、インドラ…シュヴァルツを使って、さらったのではないだろうか。その人こそ、呪術研究院に勤めている人なんじゃないだろうか。
「…アンナ、訊きたいんだけど……君のお姉さんを引き取った人……君は、その人が全ての犯人なんじゃないかって思ってるんじゃないのか?」
「……………」
アンナの顔がこわばった。
「……そうなんじゃないの?」
僕はもう1度聞いた。アンナの顔から察するに、当たりかもしれない。
「…お姉ちゃんは言ってました。………その人が、王都の呪術研究院で…お姉ちゃんに対し、あることを………」
「…あること?」
アンナはうなずいた。あんまり口には出したくないという感じがした。
「……魔法の実験……をされていたみたいなんです」
「魔法の実験………?」
魔法と言われても、無縁の僕には何も想像できなかった。
「私もよくわからないんですけど……お姉ちゃんによると『私だけが王都に連れて行かれたのは、アンナにはない特別な精霊力を持っていて、そのせいで怪しい薬物実験とか、魔道注入とか、体がおかしくなるようなことをされてきた』……らしいんです」
「…つまり……えぇっと…」
「……精霊力というのは『エレメンタル』……元素とも言って、人間の体を構成するものだ。一般的に、人間の体内にあるのは基本属性のみなんだが、リノアンには特殊な元素があった……ってことだ」
「はぁ…なるへそ」
ヴァルバはご丁寧に説明してくれた。こういう人がいないと、そのうち頭がパンクしそうだ…。
「ソラ、あんまりわかっていないだろ?」
「あ、いや……大まかなことはわかるよ。アンナのお姉さんが、ある実験対象にされていたということは……」
「簡単に言えばそういうことだな。……〈魔道注入〉のことが、1番の問題だ」
ヴァルバは黒いあごひげに付いた、ミートを取りながら、説明した。
〈魔道注入〉というのは、もともと魔法を扱う素養のない人物に対し、人工加工された〈精霊力〉を人体に直接注入、あるいは液体化させたものを飲ませることによって、強力な魔力を得れるのだという。生まれつき精霊力の備わっている人に行うと、尋常でないほどの魔力を得、操作の難しい魔法も扱えるのだとか。
「この魔道注入を施された人間は、一般の魔術師より強い魔術を操ることができるようになる。体内に持っている元素の量が多くなるわけだしな。……だが、これにはそれなりの〈代償〉がある」
「代償……?」
「……無理矢理、精霊力……つまり元素であるエレメンタルを人為的に体の中に入れてるんだ。体に拒否反応が起こり、徐々に細胞が壊れ始め………死に至る。それも、平均寿命よりも若い段階でな」
だんだん、ヴァルバの顔がこわばっていった。
「……だから、数百年ほど昔にルテティアでは魔道注入、そして魔力を増幅させるような薬の開発・使用そのものが禁忌とされたんだ。もちろん、他の諸国も禁止している」
「禁忌にされているはずのことが、どうして……?」
僕はすぐに訊ねた。
「ルテティアのある人たちが禁止……禁忌とされていることを、行っているということだ」
その言葉を聞き、ハッとした。
「呪術研究院……か」
「…そういうことだ」
ヴァルバがうなずいた。
「…………アンナ、君のお姉さんを連れて行った人の名前はわかるか?」
僕はアンナの方に向き直って聞いた。
「えっと………ちょっとうろ覚えなんですけど……ステファン……とか言う名前だったような………」
アンナは天井を見上げながら答えた。その時、
「ステファン……………!!」
突然、ヴァルバの顔が硬直した。頬の辺りに、一筋の冷や汗が見えた。
「………どうした?」
僕がそう言っても、ヴァルバの表情は変わらない。視線も、一向にこっちを向こうとしない。さっきから時が止まったかのように、ヴァルバは動かなくなっている。
「なあ、ヴァルバ?」
「あ…? ……ああ」
やっと、ヴァルバは動いた。と言っても、目しか動いていない。
「もしかして、知り合いなんですか?」
アンナがずいとヴァルバに寄って、言った。
「……いや、知り合いじゃない。だが、そいつのことは知ってるよ。………有名だからな」
「……有名?」
彼はうなずいた。
「……ステファン……ステファン=ロベスピエール…。現在のクテシフォン公爵さ」
「!!!?」
「クテシフォン公爵!?」
クテシフォン公爵と言えば、呪術研究院を設立させた人物じゃないか。レンドが言うには、アンナのお父さんとは犬猿の仲だったと…。
「クテシフォン公爵がアンナのお姉さんを………ということは………」
「……ちょっとトイレに行ってくるよ」
と言って、ヴァルバは暗い顔をしたまま立ち上がり、トイレに向かった。
「…ヴァルバさん、どうしたんでしょうか…」
その後ろ姿を眼で追い、アンナはつぶやいた。
「わからない。……でも、もしかしたらあいつ…クテシフォン公爵と知り合いだったのかもしれない」
「えっ? 知り合いじゃないって言ってたじゃないですか」
僕は顔を振った。
「……様子からして、嘘か何かだろう。知り合いじゃなくても、あいつは知ってるんだよ。クテシフォン公爵を………」
あいつは顔色が悪くなるほど、クテシフォン公爵の名前を出すのが嫌だったんだ。それだけ因縁のある仲だっていうのだろうか……。気になるところだが、本人が言いたくないのなら訊かない方がいい。……空が行方不明になった時、友達がそうしてくれたように。
「……アンナはステファン=ロベスピエールってのを知ってるのか?」
アンナは少し間を空けた。
「……実は、私もよく知らないんです。ただ、遠縁にあたる上流貴族の方で何度か家の屋敷でみたような……気がします」
無理もない。まだ3歳とかそこらの頃だ。
「たしか、〈クテシフォン〉というのは王都の近くにある城塞都市だって聞きます。軍事的な拠点らしいですよ」
「城塞都市で軍事的拠点、ねぇ……」
そんな重要な所を治めるステファン=ロベスピエールというのは、かなりの権力者なのだろう。
城塞、というのを聞くと想像としては中国の万里の長城を想像してしまうが、あそこまで大きな建造物はこの世界には無いだろ。だって、万里の長城は、唯一、宇宙から見える建造物らしいし。
「クテシフォン公爵が呪術研究院の設立者で、アンナのお姉さんを連れて行った人物……か」
「…何から何まで、その人が秘密を握っているとしか思えませんね…」
「だな。インドラとの関係も持っているのかっていうのもあるし…。アンナ、他にステファン公について知ってることはないのか?」
「……ごめんなさい。それ以上はよく知らないんです。ほとんど会ったこともないですし、私って結構世間に疎いし……けど…」
アンナは窓の外を見つめた。
「……ヴァルバのほうが知っている、か?」
アンナはゆっくりとうなずいた。
「どうしてでしょうか……。ヴァルバさん、あんなに顔色悪くして………」
「さあ………けど、言えるのはヴァルバはただの旅人じゃないってことさ」
「…………?」
アンナはわからないような顔をした。
「旅人って、あそこまで情報を持っているもんかな?」
「あそこまでって?」
「旅人にしてはよく知りすぎている気がするんだよ。現在の情勢やらなんやらさ。ただの旅人にしては知りすぎているような気がしてならないんだ」
「それもそうですけど……」
「1番は、リサを知っているということだ」
「……どうしてですか?」
リサ。彼女を知っていることが最も怪しいと、僕はふんでいる。
「…リサは、次元を超えて僕のいるガイアに来た。世界が二つあるってことを知っていて、さらにはその移動の仕方まで知ってる。それに、たかが一少女が一国の女王に謁見できるなんてのが、そもそもおかしい。……いろいろな知識を持っているし、諸国の知らない組織であるインドラのと、奴らの目的……そして、誘拐の実行犯の名前さえも知っている。そんな謎だらけの少女と知り合いで、妙に情報を持っているなんて、怪しすぎんだ」
僕がそう言うと、アンナは目をぱちくりさせながら顔が固まっている。
「ただの旅人だなんて言っていたけど、絶対に嘘をついてる。胡散臭いってのも程があるってんだ」
彼女はちょっと苦笑していた。
「か、考えすぎじゃないですか?」
「いや、絶対におかしい。……それに、あいつ年齢ごまかしてるよな? 25歳だなんて言ってたけど……あのひげ面、どう見ても30代くらいじゃないか!」
僕は半分笑いながら言った。これは、どうしても言いたくてしょうがなかったことなのだ。共感者が欲しい…その願いが、このセリフを発させたのだ。
「そ、それもそうかもしれませんけど……ただ単に、顔が老けているだけかもしれないですし……」
「…それはそれで、結構ひどいよな…」
「えっ…え?」
アンナはよくわかっていなかった。やっぱり、アンナって天然だよな…。素直とも言えるのかもしれないが。
「……まっ、とやかく言ったって意味ないか。あいつが言いたくないのなら、言ってくれるまで待ってあげなきゃいけないんだよな……。一緒に旅してるんだから」
心にしまっておきたいことってのは、誰もが持っていることだ。言えないということは、心の整理ができていないってことだ。本当は聞きたいことだらけだが、言ってくれないのは信用されていないからなもかもしれない。そこは、仲間として少しずつ信頼されるようになっても和うしかない。……かなり難しいことだとは思うけど。
それに、出逢ってまだ日は浅いが……悪い奴ではないと思う自分がいる。彼は信じるに足る人物だと。いや、信じたいのだと。
「……厳しいかと思えば、優しいんですね、ソラさんって」
「……なわけないだろ。ただ、相手の気持ちを酌んでやってるだけさ」
「そういうところが、優しいんだと思いますよ」
あんまり、アンナがはっきりと言うので、顔を赤くしてしまい、とっさにアンナの目線から背けてしまった。
店の外で、人々が足早に通り過ぎていく街道を見つめ、ヴァルバはつぶやいた。
「……どっちにしても、お前は逃れられなかったのか……」
……リノアン……
ヴァルバはいつの間にか宿に戻っていた。僕たちはというと、店から出て海の見える場所でのんびり過ごしていた。
気が付けば、日が暮れてきた。どうやら今日の貿易船の出入りは終了したらしく、さっきまでにぎやかだった港が、静かになった。荷物運びの男たちも、そこらへんでくつろいだり、談笑したりしている。
この世界の海の夕焼けもきれいだ。ガイアで初めて海に行った時も、夕方に見た海と夕焼けは幼い子供心が奪われるほどだった。静かな波が、黒い影を作りながら遠くに見える浜にゆっくりと押し寄せる。この世界でも、それがある。自分のいる港には浜なんてのはないが、それでもやはり僕の心を奪う。
それにしても、ここの海はガイアの海に比べて断然きれいだ。サンゴ礁は見えないが、ごみなんて1つも浮かんでいないし、太陽の姿がくっきりと、海に映っている。ここは、まだ文明が発展途上だからだろう。ガイアにもまだいくつかの美しい海は残されてはいるが、それが汚されてしまうのも時間の問題だろう。……遠くない未来、全ての海で泳げなくなってしまうかもしれないな…。
21世紀に生きていた自分はそれなりに幸せだと思っていたが、この世界の風景を見ていると、そうでもないんじゃないかって思ってしまう。この世界をまだそんなに回ってはいないが……海辺で荷物を運んだり、商品を売ったりする人々、ひっそりと暮らす小さな村の人々。みんな、笑顔がきれいだった。
なんでだろうな………。夕焼けを見ていると、いろいろと物思いにふけってしまう。けど、こういうときはあんまり悪いことは考えなくなる。よく、嫌なことがあった時空を見上げる僕は、よく陰鬱なことを考えていた。
生きることとか。
無為に存在するものとか。
でも、この世界ではあまり考えていない。世界が美しいからだろうか。
「ん?」
ふと気付き、アンナを見てみると頭が揺らいでいる。よく見てみると、アンナは寝てしまっているんだ。「ここで寝ちゃダメだろ」と小さく言いながら、起こそうとしたら、アンナが僕の方に倒れ掛かってきた。
一瞬、どうしたらいいかわからなくなってしまった。しかも、なぜだか体が動かなくなってしまった。某漫画の「時よ止まれ、ザ・ワー●ド」をかけられた感じだ。
身動きができないので、僕はそのままでいることにした。
「…………」
こうやっていると、空を思い出してしまう。
空……。どうしているだろう。僕が見ている、この夕焼けをどこかで見ているだろうか。それとも、夕食でも食べてんのかな。……いや、1番の願いは、とにかく無事であって欲しいことだ。この世界に無理やり連れてこられ、あいつは………。
「ありゃ、不倫ですかい?」
前触れもなく、女の声が後ろから聞こえた。あまりの驚きで、立ち上がってしまいそうだったが、なんとかそれを抑えることができた。
心拍数が下がってきたところで、恐る恐る後ろに振り向いてみると、そこに立っていたのは……リサだった。
荷物バックを後ろに背負い、朝の格好のまんまで、あの銀色の瞳が夕日で反射しながら僕を見下ろしている。僕の背中に、一筋の汗が流れたような感じがした。たぶん、冷や汗だ。
「お、お前……」
僕は驚きで、言葉がうまく出てこない。口が空気を食べているように、パクパクしている気がする。
「やっぱり不倫か? 肩なんか貸しちゃって」
ニヤニヤしながらリサは言った。
「な、な……」
「『何言ってんだよ』……ってか? はっきり言えよな〜」
「お、お前なっ!!」
僕はアンナを起こさないように、小さくも大きな声を出すように言った。
「まったく、お盛んだね〜〜最近の若いもんは」
「ば、ババアかお前は!」
リサの顔が一瞬でムッとした顔になり、肩に担いでいるバックで僕を殴った。見事に顔面に直撃。
「い、いってぇな!」
「ババアとは何さ! これでもまだ16歳なんだ! あんたと一つしか違わないんだよ!?」
あれ? 16歳だったっけ? にしては、口調がお姉さんみたいな感じだ。というより、なんだか知っている感じなんだよな……リサって。誰かに似てるとも思ったし……。うーん。
……なんでそんなに暗いの? あんた……
えっ?
今の声は……誰だ?
「どったの? ぼけーっと口を開けて」
不思議そうな面持ちで、リサは僕を見る。
「いや……」
懐かしく……温かく、それでいて厳しい女性の声…。
「あんたって、ホントに変な人間よね」
「な、なんだと!?」
「だって、よく上の空になるし。変だよ。変人」
「変って言うなっつの!」
僕たちがそんなふうに言っていると、アンナが「う、う〜ん」と唸った。そして目が覚めたのか、目をこすりながら頭を起こし、辺りを見回した。
「あれ………? リサさん、どうしたんですか?」
「ん〜? なんでもないよ、アンナ。切符も買い終わって手続きも済んだし、夕焼けでも見ようかな〜ってね」
そう言いながらリサは微笑んだ。
「……んな柄じゃねぇだろうに……」
と、僕がつぶやくと、荷物を持っていないほうの手でおでこにデコピンをしてきた。
「な、何すんだよ!!?」
「減らず口だからね! ほら、晩御飯でも食べに行こ。約束したじゃん」
「……晩飯?」
「そ。……あれ? ヴァルバは?」
リサは頭をきょろきょろさせながら、辺りを見回していた。ヴァルバがそこら辺にいると思ったんだろう。
「ヴァルバなら宿屋だよ」
僕は宿屋のほうを指差しながら言った。
「そっか。じゃっ、あいつなんかほっといて3人で行きましょ」
「え……? ヴァルバさんは……」
まだ、アンナは寝ぼけているのだろうか。目が開いたり閉じたりしている。
「いいのいいの、あんな飲んだくれ。おいしそうな店を見つけたから、行きましょ。おごってあげるからさ」
そう言いながら、リサは半ば強引に僕とアンナを連れて行った。
リサに連れて行かれたのは、朝と昼に行った店とは違って少し高価そうな店だ。きらびやかな看板が飾られており、窓から光が溢れている。電気がない世界だってのに、贅沢なもんだ。油を使いまくってんだろうな。
どうやら、ミレトスの都市内の北側に料理店が立ち並ぶ街道があり、ここにはパブに居酒屋、他にも風俗っぽい店もある。
「お金持ちばかりが集まるところさ。居酒屋だって、どっかの商人や旅行に来た貴族でないと買うことのできない酒ばかりさ」
「じゃあ、この料理店は? 見るからに貴族とかが出入りしていそうなんだけど」
と言うと、
「ここは海賊とかみたいな荒くれたちでも受け入れてくれる、良心的な店さ」
リサはにこやかに答えた。どうやら、リサは貴族とか大して何もしていないのに、偉そうに踏ん反りかえっている人間が大嫌いらしい。まあ、見た目通りというか、予想通りというか………。
中に入ってみると、たくさんの人が料理を食べながら談笑していた。中には、リサの言うとおり海賊みたいな人もいる。予想していた、丁寧な食べ方をしながら「ウフフフ」とかって、上品な笑いをしている人がいるのかと思った。こういう雰囲気なら、気分よく料理も食べれるってもんだ。
僕は二人にガイアでの話を訊かれ、世界観的なもんを説明した。そうやって話していると、僕は望郷の念に駆られた。
父さん、母さん。
おじさん、おばさん。
和樹、啓太郎、美香。
そして……修哉と海。
みんな…何を想っているだろうか……
ベットに就き、ヴァルバから手渡された剣を眺めた。
真っ黒な鞘。何の変哲もない、一般的な中世の剣。もっと太いかと思ったが、ヴァルバが僕のために軽めの物を選んでくれたんだ。柄の部分は、青い染料が使われているんだろうが少し緑色に変色している。
剣を抜いてみると、白銀の刀身が現れた。ところどころ傷が付いているが、それなりに使えそうだ。
………僕は、これで人を殺めるのだろうか。この白銀の刀身を、血で濡らしてしまうのだろうか。……ヴァルバの言うことは、よく理解しているつもりだが……僕にできるだろうか……そんなことを。
〈インドラ〉
〈永遠の巫女〉
〈…人を殺めるということ〉
僕は、なかなか寝付けることができなかった。