12章:インドラ 破滅を謳う、古の隠者とは
そこにいたのは、リサだった。僕は当惑し、目を2度こすってからもう一度彼女を見た。
――やっぱりリサだ!
「あれ? 空じゃない。やっほー」
リサは僕に元気良く両手を振った。思わず、僕も手を振ってしまった。
「ハハハ……って、じゃなくて!!」
と声をあげると、レンドとアンナは驚いて僕を見上げた。
「ど、どうしたんですか?」
「え? えっと……」
「おーい、空ぁー」
と、リサは足早に僕たちの方に向かってきた。ポニーテールの髪型に、爽やかな笑顔。藍色のデニムショートパンツに、黒い服の上に半袖タイプの黄色いジャケット。以前見た服装と同じだ。
「約1週間ぶりだね。まさか、こんな所で再会するなんて思わなかったよ」
「……そりゃこっちのセリフだっての」
どこに行っているのかと思ったら、こんな所にいるとは。まさかこんなに早く再会するとは、さすがに想像していなかったが。
「……あぁ? お前、いつかの乱暴女じゃねぇか」
すると、レンドはしかめっ面を浮かべて言った。
「あら、そういうあんたは、ケンカ吹っ掛けてきた奴らの親玉じゃないか」
それに呼応するかのように、リサは不敵な笑みを浮かべた。
「えーと……二人は知り合いなのか?」
「そういうお前こそ知り合いなのか?」「そういうあんたこそ知り合いなの?」
「……えと……」
二人は同時に言った。まぁ、さっきの口ぶりからどういったことで知り合いになったのか、結構簡単に想像はできてしまうが。
「リサは……まぁ、僕にとって旅を始めるきっかけを作ってくれた……みたいな」
そう言った瞬間、リサに後頭部をはたかれた。
「いて! 何すんだよ」
「あんたね、もっとあるでしょ!」
「……?」
ないだろ……。命の恩人とかってことでもないし。
「と、ところで、レンドは?」
「…………」
そう訊ねると、レンドは頭をかきながら唸った。
「あー……以前、ゼテギネアのアルツヴァックって所で、俺の仲間がこいつとケンカになったらしくてよ」
ケンカ……そんなこったろうと思った。思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
「ふん。私が買おうとしたものを、勝手に横取りするからいけないのさ」
リサはつーんとすねていた。
「んなことより、お前一体どこ行ってたんだよ? お前のおかげで、僕は――」
「そこまで苦労しているようには見えないけど?」
うっ……。見透かしたような細目で、リサはにやついていた。なんかいちいち癇に障る女だよ…。
「…もちろん、あんたをこの世界に来させておいて放っておいたのは謝るよ。ごめんね」
「……………」
思わず、僕は耳を疑った。
「…何よ? その目は」
「……別に」
ちょっと驚いた。こんなに素直に謝るなんて。意外だったもんで、彼女を見つめてしまった。
「…言い訳するつもりじゃないけど、私も急いでやらなきゃならないことがあったからね」
「………?」
リサは表情を変え、僕の前に顔を出した。
「いい? 思ったよりも奴らの行動が早い。このままでは、あんたの幼馴染が間に合わなくなる可能性がある」
「!!!」
僕の体が固まった。一瞬、信じられなかった。
「ど、どういうことだよ!?」
「それを説明すんのよ、これから。…その前に…」
すると、リサは辺りを見渡した。
「……ここじゃあ関係ない人が多すぎる。ちょっと、静かな場所に移動しましょ」
「それじゃあ、宿屋に行こう。ソラのお仲間さんも連れてったからな」
「……あんたがいるのは、なんか納得できないんだけど」
リサはレンドに冷ややかな視線を送った。
「んなこと言うな。もう関わっちまったんだからな」
ハハ、とレンドは笑った。
ミレトスの中心部から少し離れた住宅街に、一件の宿屋。従業員用なのか、あまり大きな宿屋とは言えない。
部屋を開けると、ヴァルバがベッドの上で胡坐をかいていた。
「あれ? 目が覚めたのか」
「ん? ああ……おかげさんでな」
「……んな目するなよ」
ヴァルバは思いっきり不気味な笑みを浮かべた。「よくも〜」という怨念が見える……。
「あらら? ヴァルバじゃないの」
僕たちの間から顔を出したリサが言った。
「……お前、リサか?」
「なんだ、空の連れってあんたのことだったんだ。まさか、こんな所であんたに会うなんてね」
「稀有なことだな…」
ヴァルバは首をかしげていた。
「…なんでお前、こんな所に?」
「まぁ所用でね。それにしても、まだ生きてたとは感心感心。しぶとい人って好きよ♪」
と、リサはウィンクして見せた。なんか、笑ってしまいそうだった。
「…そのセリフ、そっくりそのまま返すよ」
ヴァルバは呆れ顔で答えた。
「…二人も知り合いだったのか」
「まぁね。……こうなっちゃうのも、ある意味因果なもんなのかね」
そう言って、リサはもう一つのベッドに座った。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。この話は世界に関わることだ。あんまり関与したくないのなら、この場から出ていってちょうだい」
リサの表情はいつの間にか真面目なものに変わっていた。否応にも、大切な話だということがわかる。
「…ソラさんに関係するなら、私のお姉ちゃんにも関係していると思います。だから……聞きます」
「俺も、何も知らないまま生きていくなんてのはごめんだからな。聞かせてもらうとするよ」
「同意」
ヴァルバは賛同するように手を挙げた。
「…んじゃ、話そうか。まずは、少女連続誘拐事件。……あれは、ある組織による犯行なの」
「…ある組織?」
レンドは腕を組んだまま壁にもたれかかった。
「…秘密組織〈インドラ〉」
「インドラ?」
リサはうなずいた。
「インドラ……邪神ロキを崇拝する、古のカルト集団さ。今の〈インドラ〉と呼ばれてる組織は、3年前に〈ある男〉によって結成された殺人集団。太古の暗殺魔法や暗殺技術を持った秘密組織」
「なんだよ? その、暗殺魔法やらなんやらって…」
「…ソラ以外の人は知ってるだろうけど、〈ティルナノグ〉のことを知ってる?」
他の3人は、「あぁ……」という風にうなずいた。
「たしか……今から約2000年ほど昔まで繁栄していたって云われる伝説の古代文明ですよね? おとぎ話でよく出てきます」
アンナが丁寧に説明してくれた。
悪さをしたティルナノグの偉い人たちを、聖なる神様は裁きを下しました。
その程度の童話のようだ。
「…天空の神々に愛されたヒトは、禁忌とされた遺産を用いてティルナノグを建国した。しかし、栄華を極めたティルナノグ帝国は〈驕り〉のため神の怒りに触れてしまい、地獄の業火に焼かれて大地の砂となった……と教わったがな」
レンドがそう言うと、
「……ティルナノグは己たちを司る天空の神々を滅ぼすために、古の破壊神を喚び起こした。しかし、その破壊神によって逆にティルナノグは滅ぼされてしまうこととなった……。俺はそういう伝承を聞いたがな」
ヴァルバは違う伝承を説明した。地域によって、伝わっている話が違うのだろうか。
「いちおう、今伝わるティルナノグの歴史はそうでしょうね」
リサの言い方は、まるで違っているようなニュアンスを含めた言い方だった。
「…インドラは、そのティルナノグの時代に在ったと云われる暗殺するために開発された〈暗黒魔法〉を復活させた」
暗黒魔法…。聞いただけで、恐ろしいものだというのがわかる。
「暗黒魔法ねぇ……。そんなことができるほど大きな組織なのか?」
レンドが言った。
「いや、本当は100人より少し多い程度……と思う。私も実際に彼らを見たわけではないし、本拠地がどこなのかも知らないし。もしかしたら、1000人くらいいるのかもしんないけど」
リサはお手上げみたいなポーズをした。
「……彼らは、古代ティルナノグの技術や研究を用いて、本当にとんでもないものを復活させようとしている」
「とんでもないものって…例えば悪魔や幽霊の類か?」
レンドは少し笑いながら言った。この世界にも、悪魔や幽霊、あるいは妖精とか、非現実的なものが存在するんじゃないかと云われてきたようだが、レンドの表情から察するに、すでにいないものだとほぼ決定づけられているようだ。
「そんなものだったらどれほどいいことか…。それ以上にやばいものさ。……奴らは本当に〈邪神〉を復活させようとしてる」
「…邪神…?」
邪神というのは、ティルナノグが滅んだ原因である暗黒神ロキのことらしい。2000年前、当時の皇帝などをそそのかし、神々に喧嘩を吹っ掛けさせたのだとか。そして、神々に敗れたロキには永遠なる封印を施されたとか…。
「そんな伝説のような話にある神をか? 馬鹿げた話だ」
たしかに、ヴァルバの言う通りだ。
「普通に聞けばそうでしょうね。けど、奴らはその復活のために少女たちを誘拐している。これは紛れもない事実だ」
「……………」
「…だが、邪神の復活ってのはどうやって知ったんだ? それに、どうやって?」
そんなおとぎ話のようなものを本気で信じている組織ではないはずだし。
「…よくわからないけど、彼らを統率する幹部のような者たちはそれ関連のことに詳しいらしいの。なぜなのかはよく分からないけど………これは憶測だけど、『組織の存続に関わっている人物』が伝授したんだと思う」
おそらく、考古学や科学にかなり精通している人物が彼らのバックアップとして存在しているのではないかということらしい。専門分野に特化している者でなければ、魔法を復活させることなどできないと、リサは付け加えた。
「……私としては、インドラの長…設立した男というのがそれらの技術を復活させたんじゃないかって思うけど……」
彼女は「うーん」と唸り、俯いた。
「…なんで、少女たちが誘拐されなきゃならないんだ?」
ヴァルバはあごひげを触りながら言った。
「邪神の封印を解くため…でしょうね。それしか考えられない。彼女たちは普通の人間ではないからこそ、さらわれるの」
「…普通の人間じゃない…?」
そう言うと、彼女はうなずいた。
「………彼らは〈聖杯〉と呼ばれる鍵を使える状態にするために、特殊な能力を持った少女をさらい続けている。……それを〈永遠の巫女〉と言うの」
「永遠の……巫女?」
なんつーか……すごく清楚で陰湿な女性をイメージしてしまったんだが…。
「…鍵である聖杯の鍵を解くために、必要な女性たちのこと…だと思う」
「だと思うって……」
僕は呆れ気味に言った。
「しょうがないじゃない。彼女たちのような存在については、謎が多すぎて憶測でしか言えないもの」
再び、彼女はお手上げのポーズをして見せた。
「…聖杯と呼ばれる〈鍵〉を〈鍵〉たらしめるのを抑制する何かを解除するために必要なのが、彼女たち永遠の巫女なのだと思う。…私の見解として、ね」
つまり、聖杯の鍵としての機能を封印している、一種の暗号を解除する鍵となるのが巫女、らしい。
「…なんで、そんな女性たちが存在するんだ?」
レンドが訊ねると、リサは頭を振った。
「さすがにそこはわからない。……もしかしたら、誰かの血を受け継ぐとか何とかでそういう風になっているのかもしれない」
誰かの血を受け継ぐ…。ある能力を持った人物の子孫であるが故に、永遠の巫女である…ということか。
「…あの、その聖杯…というのは何なんですか?」
アンナが微妙に挙手していた。
「たしか、聖女サリアが初代教皇アイオーンに与えたと云われる、神々の楽園に流れる聖水が入った杯…だったか。アイオーンに聖なる力を与えたものであり、そのために彼は奇跡を起こせるようになり、人民を救済した…らしいけどな。ソフィア教典に載ってたと思うが……」
レンドがそこで説明してくれた。ヴァルバにしても、なんかレンドも物知りだな。海の人間や、一介の旅人が知っているようなことなのか? でも、アンナは知らないわけだし…。二人には教養があるってことか?
……えぇ? でも、レンドとヴァルバは教養があるっていう雰囲気じゃないし、むしろアンナの方が一般的な教養は備わっていると思うのだが…。たぶん、これを言ったら二人にすごく怒られてしまいそうなので、胸の奥にしまった。
「……………」
リサは顔を険しくしていた。
「…リサ?」
「え? ……あ……ごめん。…聖杯………か。私もよく知らないんだ。ただわかるのは、邪神の封印を解く鍵の一つ……ということだけしか…」
「鍵の一つ? …じゃあ、他にもいくつかあるのか?」
「たぶん、そうでしょうね。詳しくはわからないけど」
聖杯を使えるようにするため、インドラは永遠の巫女をさらい続けている…。どんどん話が飛躍していき、付いていけなくなってきた。ここまで聞く限り、ゲームのような内容みたいだ。
……でも現実。僕はそんな世界の中にいる。だから、空はさらわれたんだ。
「……それにしても、インドラという組織を諸国は知らないのか?」
ヴァルバは頭をかいていた。
「知っているのはシュレジエンだけよ。ルテティアの貴族の中に、その存在を知っている人もいるけど…」
「…イデアはともかく、ソフィア教を信仰するルテティア、ゼテギネア、シュレジエン…そしてソフィア。この国々が邪神の復活を目指すインドラを放っておくわけがない」
「…すでにシュレジエンのラーナ様には謁見した」
「陛下に?」
レンドは目を輝かせていた。
「空。私があんたをこっちに来させたのにも関わらず、どっかへ行ったのはルテティアやゼテギネアに行ったからなの」
「そうなのか?」
リサはうなずいた。
「…でも、どちらの陛下にも謁見は叶わなかった。まぁ、正式な取り次ぎもしてなかったんだけどさ」
彼女は笑っていたが、そりゃ当たり前だろ……と、僕は心の中で突っ込みを入れていた。
「ルテティアやゼテギネアのような大国の主に謁見は叶わなかったんだけど、シュレジエンの女王様は快く謁見を許可してくれた。……陛下は嘆いていた。インドラのような組織が存在するってことが」
女王か…。男性じゃない王ってのもいるもんなんだな。
「私の計画では、イデアを含めた全ての国々にインドラのことを知ってもらい、同盟を組むことによって対抗してもらう」
「…たかが小規模の組織に、そんなことが必要なのか?」
「ヴァルバ、知らないの? 奴らが持つ暗黒魔法は、かつてのミッドランド最強の黒獅子団の強さの秘密そのものなのよ」
〈ミッドランド〉。彼らの説明によると、約600年ほど昔、ロンバルディア大陸を一時的に統一していた帝国。主君であったランディアナ帝国を滅ぼし、公国から帝国となり、わずか十数年の間にロンバルディアは統一。それを行ったのがアルヴィス1世で、彼は〈黒獅子団〉と呼ばれる直属の騎士団を用い、敵を蹴散らしたと云われる。…あまりの強さに、人々は〈死神を従えし騎士団〉と畏怖したのだという…。ヴァルバが言うには、現在のルテティアはそんなミッドランドから独立した小国であったとか。
「…あれって、ただの伝説の類じゃなかったのか?」
ヴァルバは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。
「事実よ。ミッドランドの騎士団並みであるインドラに対し、2大陸諸国で対抗するのは大げさな話じゃないと思う」
「じゃあ、そういった脅威を説明すればいいんじゃねぇの?」
レンドがそう言うと、リサは首を振った。
「それだけじゃあ、ただの狂信としか思われないでしょーよ。ミッドランドに関連することなんて、所詮作り話だって思われてんだから」
狂言ねぇ…。たぶん、そのことを言っているのが一般人である僕たちだから、そう思われてしまうんだ。…なら、説得力のある人……貴族……いや、国家元首に匹敵するくらいの人に……あっ!
「だったらシュレジエンのラーナ様から書状を賜って、それを使ってルテティアやゼテギネアに行けばいいんじゃないの?」
そう言うと、リサは手を叩いた。
「あら、空ってばいい勘してるじゃない」
なぜかリサは僕にウィンクした。僕は無視したが。
「空の言うとおり、ラーナ様の書状さえあれば各国の首長たちに謁見は叶うと思う」
「だったら最初っからそうすりゃいいのに……」
「だって、まさか断られるとは思わなかったんだもん」
「…………」
ヴァルバとレンドは呆れ顔だった。「かわいらしく言ったって、普段とギャップありすぎてなんだか逆に萎えちゃうな〜……」なんてことを考えてんだろうな。事実、僕は思ったわけだし。
「…ルテティアとゼテギネアはいいとして、ソフィア教国とイデア王国はどうすんの?」
「ソフィア教国……はまだ無理かもな」
「?? どうしてですか? ソフィア教国はソフィア教の中心地ですし、邪神を崇拝するような集団を許さないとは思うんですけど……」
アンナは頭をかしげた。ソフィア教は他神教に対して敵愾心を抱き、とくに数百年前、実際に存在した邪神教を〈異教徒〉として殺害した…らしい。
「宗教的なことで言えば、必ずインドラを許しはしないだろうさ。けど……ほら、あれだよ。3年前のクーデター」
「ああ、あれか。そう言えば、そんなことがあったな」
ヴァルバとレンドは納得していたが、僕とアンナは顔を合わしてクエスチョンマークを浮かべた。
「なんですか? クーデターって」
「なんだ……アンナは知らないのか?」
「田舎に住んでたからだよ」
と、ヴァルバが説明し出した。
「発端は14年前、ソフィアで教皇の弟である枢機卿が反乱を起して即位し、ハロルド10世を名乗り、政権を奪ったことに始まるんだが……つい3年前、独裁政権を築いていたその教皇がクーデターで倒されたんだ」
クーデターを起こしたのは、まだ成人してもいない少年だったという。
「その少年が即位し、新たな教皇となったんだが……未だに旧大司祭派…反乱分子が残っていて、それらの駆逐に少々手間取っているようなんだ」
「そのため、ソフィアは他国との貿易などを一切断絶してる状態なんだって。今はそれなりに治安は回復して限定された貿易船は入れるんだけど、旅人とかみたいな素性の知れない人は入国できないのよ」
リサはそう言うと、ヴァルバを見た。
「……なんで俺を見るんだよ?」
「素性の知れない、怪しい旅人だからでしょ?」
「…リサには言われたくないけどな…」
「でも、あながち間違っていないと思うけどな」
僕は笑いながら言った。
「…ソラにだけは言われたくないな…」
「……否定できん」
僕の時だけやけに力強く言ったな…。
「これじゃあ、私たちは絶対に入国なんてできませんね」
アンナは微笑みながら言った。うーん……僕たちは素性がほとんどわからない者ばかり。見つかったら即刻取調、でしょうねぇ。
「まっ、そんなこんなでしばらくはソフィアには入れないってことだ。治安は先々代教皇の統治時なみに回復してるから、入国禁止令が解かれるのも時間の問題だとは思うぜ?」
レンドの言うとおり、ソフィアの暴徒はほとんど駆逐されたのだとか。
「そしてイデアは……こここそ無理があるだろうな。それこそ宗教的な問題で」
「……イデアだけがソフィア教を信仰していないってことが問題あるのか?」
以前、ヴァルバがそんなことを言っていた。
「まぁそういうことだ。あそこは古代から土着の神を信仰する国で、ソフィア教の聖典にある〈光神〉とかは信じていないんだよ」
「イデアは2大陸の諸国の中で最も古い歴史を持つ国で、2400年くらい昔に建国されたって言われてるの」
ガイアで言えば、日本の天皇家が統治し始めた頃だったかな。…まぁ、あそこらへんは後世の人々の作り話だろうけど。
「あそこは土着の神を異常なほど信仰してるし、頭が固い人ばっかりだから、インドラと闘うことは〈ソフィア教徒のため〉のように捉えないかもしれない」
「? なんで?」
「邪神ってのは、ソフィア教の聖典に記されている〈神々の戦乱〉を引き起こした神で、ソフィア教徒がそんな邪神を信仰するような組織を糾弾するのはわかるが、それらとなんら関係のないイデアまでが協力する義理はないってことさ」
ヴァルバが言うには、イデアの神は聖典に載っている神でもあるんだが、イデアの人々はそれを信じていないらしい。彼らには彼らの奉ずるものがあり、それ以外は関係ないということか。
「…イデアはともかく、せめてルテティアとゼテギネア……二つの大国さえ協力することができれば、インドラはどうにかできるかもしれませんね」
「そうだな…。ソフィアにも神聖騎士団、シュレジエンやイデアにも独自の兵団がいると言っても、2国の兵力には到底敵わないだろうしな」
「どうかしらね」
リサが言った。
「言ったでしょ? 奴らはかつてのミッドランド並みの可能性があるって」
「とは言っても、現在のルテティアとゼテギネアさえいればなんとか………」
ヴァルバが言うと、彼女は首を振った。
「たとえそうだとしても、味方は多いに越したことはない。それに、諸国の宗教的首長であるソフィア教皇の承認さえ得れれば、ルテティアとゼテギネアは協力してくれるし、なんて言ったって団結力も生まれる」
ルテティアとゼテギネアは昔っから仲が悪い。もしもソフィア教国が協力してくれなかったら、2国も団結して戦おうなんて思わないだろうし。
「念には念を入れないと、ね」
たしかに、リサの言う通りだ。世界をどうにかしようとしている奴らを止めるには、卑怯とは言われても強大な見方をつけるのは当然の策略だ。
「しかし、諸国に協力を要請するって言ったってはたして間に合うのか? 永遠の巫女たちの命だって……」
「……これも私の憶測で悪いんだけど……」
ヴァルバが言うと、リサは片足で足踏みをしだした。
「……奴ら、巫女たちをさらうにしては人数が多すぎる」
「…つまり?」
「たぶん、聖杯の解除に必要な巫女の数が、彼らの想像以上に多い……っていうことだと思う。もしかしたら、まだ巫女を見つけようとしているのかもしれないし…」
「ということは、まだある程度の時間はあるってこと……なのか?」
だろうね、とリサは言った。
「…少なくとも、1年くらいは大丈夫なんじゃないかな。どうやって解除するのかはわからないけど、たかが特殊な人間を集めただけで簡単に封印が解かれるはずがないと思うから」
たとえ永遠の巫女を全員集めたとしても、彼女たちを解除のための〈鍵〉とするには別の時間も必要。…あるいは、まだその方法を見つけていないかもしれないということだ。
「それにしたって、これからどうするんだ?」
レンドが言った。大体の内容は理解できた。これからはどのように行動するか、だ。
「とりあえず、ソラにはルテティアに行ってもらいたいんだけど」
リサは僕の方に視線を向けた。
「ルテティア…? まぁ、最初っから行くつもりだったけど」
「そうなの? じゃあ都合がいいや。あんたにはルテティア国王ルーファス8世に謁見してもらいたい」
「おいおい……さっき、謁見は叶わなかったって……」
「実はさ、私の知り合いに貴族がいるんだ」
リサは僕が言う前に言いだした。
「アンジュー伯爵ってのがいるから、そいつに会えばたぶん何とかしてもらえる」
「なんとかって…なんだよ?」
「さぁ? 昨日か一昨日くらいに連絡がきて、もしかしたら国王に謁見できるかもしれないらしんだってさ。たぶん、貴族の力を利用してなんとかしてくれたんだよ」
「…だったら、お前が行けばいいんじゃないのか?」
リサは首を振った。
「タイミング悪いっていうのか……私には私のやることがある。だから、あんたたちに頼んでんだ。ルテティアに用事があるんだろ? ちょうどいいじゃないか」
まぁ、それもそうなのだが…。
「とりあえず、俺はシュレジエンに用事があっから、物資調達のためにランディアナに寄港する予定だ」
「僕たちはそこで降りて、王都へ向かう……と」
「なんだ、さらに好都合じゃないか。思ったよりも事が早く運びそうだ」
と、なんだかリサは上機嫌だった。
「…あの………一つ、質問してみてもいいですか?」
僕たちはアンナの方に振り向いた。
「ずっと疑問に思ってた事なんですけど……お姉ちゃんがさらわれたのは永遠の巫女だから…ですよね? …じゃあ、どうして別世界の空さんの幼馴染の方をさらったんでしょうか?」
「……………」
たしかに、それもそうだ。関連のある二つの世界とは言っても、血脈的な関連はないはずだ。…そうだよ。リサは言ってたじゃないか。誰かの血を受け継ぐからこそ、永遠の巫女なのだと。だったら、どうして別世界の住人である空がその巫女なんだ? 矛盾が生じてしまうじゃないか。
「……ごめん、それはわからない。なぜ奴らが彼女の存在を知ったのか……なぜ、別世界の人間が永遠の巫女としてなり得ていたのか……」
リサはうーんと唸った。
「前々から思ってたのよね………あの子たちには謎が多すぎる。……どうして別世界の人間が永遠の巫女に? …この世界とあの世界……遠い昔に何かあった……? ……けど、あの空間は約束の刻まで封じられていたはず…………」
彼女は一人で何かをブツブツ言い始めた。
「……その、空の幼馴染が元は〈レイディアント〉の住人であったっていうことはあり得ないのか?」
ヴァルバが言った。
「……いや、それはないと思う。彼女たちは正真正銘あそこで生まれた人間だし…」
正真正銘、彼女はおじさんとおばさんの子供だ。
…もしや、彼女の先祖の誰かがレイディアントの人間だったのでは? 遠い昔にガイアへ移り住んだ…ということではないのだろうか?
「……まぁ、わからねぇこと考えててもしょうがねぇだろ。ともかく、予定通り目的地に行くしかないんじゃないの?」
「…レンドの言う通りね。ここで考えてても時間の無駄だ。とりあえず、行動しようか」
「じゃあ俺たちはルテティアへ行く……でいいんだよな?」
「そゆこと。ルテティアへはランディアナから東……わかるよね?」
「んなこと知ってるっての」
馬鹿にするなっていう感じのヴァルバ。
「それにしても……話が大きくなったな。…インドラ、か」
レンドは少しため息をついた。
「何? 知らない方が良かったって思う?」
リサはちょっとにやついた顔で言った。
「…後悔はしねぇよ。知っちまったんだからな。知らないふりして何もしないより、行動した方が何かと男らしいだろ?」
「そーでもないけど?」
「…くっ、腹立つ女…」
彼女は全否定しやがった。せっかく、レンドがかっこつけたのに…。
「…ともかく、さっきソラたちには言ったけど、俺の船の準備とかもあるから出発は明日の朝だ。それまで、この町で自由に行動しといてくれ」
「せっかくのミレトスだ。いろいろ買い物したいところだな」
ヴァルバはそう言うと、ベッドから降りた。
「あれ? 酔いは大丈夫なのか?」
「……頭痛い」
「なんだよそれ……」
彼は頭を抱えてテーブルにあった水を一気に飲み干した。
「まったく…情けない」
「誰のせいだと思ってんだよ……」
「飲んだヴァルバのせい」
「…お前なぁ…」
ヴァルバは「とほほ」と苦笑した。
「あっと……空」
「ん?」
僕は彼女の方に向き直った。
「一つだけ言っておくよ」
「…なんだよ?」
「あんたはきっと……インドラの奴らと闘うことになる。首長にも……そして、奴にも」
「…奴?」
リサはうなずいた。
「………〈シュヴァルツ〉………それが、空ちゃんをさらった男の名よ…」
シュヴァルツ。そして、インドラの首長……。
彼らとの闘いが始まることとなる……。