第五部⑮ ~プロジェクト・ジェネシス~
シリウスは呆然としていた。
どうして、謝るんだ。悪いのは兄上じゃないか。世界を殺そうと……サリアを殺そうとした。レナを独り占めにした。あなたは、絶対的な悪役じゃないといけないのに。そうでなければ、僕は何のために戦ってきたというんだ。
いったい、何のために……?
「やはりお前が勝利したか」
シリウスの前に、光の柱が立ち上る。そこから男――アイン=ロロが現れた。赤子の“ジュリアス”を抱いて。その場にいた者は、皆言葉を失っていた。
「お前たちは面白い。実に」
アイン=ロロは微笑を浮かべ、ユリウスの亡骸に目をやった。
「同時代に“真の調停者”と“闇の調停者”を拝見できるなど、私が歴史上初めてであろう。……いや、“ロンバルディア時代”の神々を同等だと考えれば、二度目と言った方が正しいか」
独り言のように、彼は続けた。
「……グランディア卿……あなたは?」
開いた口から言葉が漏れるように、シリウスは言った。
「何が目的だった……んですか?」
「目的? わからないのか」
フッと、アイン=ロロはほくそ笑む。
「私は歴史の変わる瞬間を見る“唯一の人類”になりたかった」
「……え?」
意味が分からない。シリウスはそう思い、何も言わなかった。言えなかったのだ。そんな様子のシリウスたちを無視し、アイン=ロロは続ける。
「調停者――神の権利を与えられた存在。星と次元とを紡ぐ存在。この星が誕生し幾星霜――“次元の執行権”が行使されたことはない。それが行使されない限り、この星の、いや、次元の未来は変わらない。私は耐えられないのだよ……己が死にゆく世界を生きているなど」
侮蔑するようにして、彼は言った。
「あなたは、何を言っているんだ……?」
シリウスは呆然としたまま、疑問を投げかける。それしか出なかったのだ。
「かつて、古代の天才科学者“ロタール=フェイウス”は“カイン=ウラノス”という人間を発見した。彼はその人間こそが、星のエネルギーたる“エレメンタル”を持つ究極の生命体だと考えた。彼の遺伝子構造を解明し、その力を人類に移植する計画を立案したのだ。それは私たちがヴァナヘイム文明と呼ぶ“ロンバルディア”という古の世界政府が立案した計画に近かった。“創世計画”――という名の計画だ」
創世計画――
なぜだろう、聞き覚えのあるようなものだった。だが、シリウスにはそれがなんなのか、理解できなかった。
「しかし、カイン=ウラノスの持つエレメンタルは“神のエレメンタル”だった。その当時の人類では扱いきることのできない、高次元の力だったのだ。だが――それを応用させることに成功した人間がいた」
そこでアイン=ロロはジュリアスを抱いたまま、手を広げた。
「私は彼を“統制主”と呼んだ。彼もまた、計画の推進者だった。だからこそ、私もこの“創世計画”を進めてみようと試みた。……しかし、そのために必要な“鍵”が足らない。もっと時が要るとわかり、それは私が生きているうちに解決できるものではないことを悟った」
彼はため息を混じらせ、言った。
「ならば、せめて“権利の執行”を見届けようと思ったのだよ。私の計画通り、君たちは唯一無二の“調停者”として覚醒した。そして世界を変革させた。約八千年も続いたティルナノグ帝国が崩壊したのだから。残すは……君たちだけが持つ“権利”を行使されるだけ。だからこそ、私は今、ここに現れたのだ。歴史的瞬間を見届けるために!」
演説のようだった。と同時に、吐き気を催す邪悪である――と、シリウスは思う。
僕は彼に踊らされていただけなんだ。
僕も兄上も。
死んでいった、たくさんの人たち……。
フィン、レーグ。
何もかも、彼に……。
シリウスはその場に、座り込んでしまった。生気を失ったかのように。
「さあ、シリウス。あとは君が“紺碧の間”にあるセレスティアルを破壊し“次元の執行権”を行使するだけだ。そうすれば、この世界は救われる。遥か古の盟約――“崩壊の時”を破壊するのだ」
彼はそう言って、シリウスに歩み寄った。
「全てが終わり、新たなる始まりが訪れる。君がそのトリガーなのだ」
アイン=ロロはシリウスへ手を差し伸べた。
その時――
刃が、アイン=ロロを貫いた。
「……なるほど。お前にそんな度胸があるとはな。少々、見くびっていたよ」
後ろにいる人間が誰なのかを悟り、アイン=ロロはフッと笑った。
「シリウス。ジュリアスを受け取れ」
「…………」
言われるがまま、シリウスは血塗れの手でジュリアスを抱いた。まだ生後半年足らずのジュリアスは、半壊した天帝の間には似つかわしくないほど純朴に、本能に従順して眠っていた。
「……父上。わかりますか?」
アイン=ロロを貫いた張本人――バルザックは、問いかけた。父の背中から。
「あなたのそのくだらない願望のために、世界は混乱した。多くの血が流れた。多くの人の命が失われた。どれだけの悲劇が生まれたのか……わからないのですか!?」
「くだらないだと?」
アイン=ロロは自分の腹部を貫いている刀身を掴み、バルザックから無理やり剣を引き離した。そして、彼の方に向き直った。
「人類は愚かだ。世界は脆弱で、常に崩壊の一歩手前で揺らいでいる。世界を変革させるということは、その道筋を大きく変えるということだ。ただあるがままに、心の平穏と世の安寧を願うだけの貴様にこそ、理解できまい」
自らの息子に対し、アイン=ロロはありったけの蔑視を送った。それは凡そ、自分が最も嫌悪する人間に向けるものだった。バルザックは思わず、目を逸らすしかできなかった。
「いいか、お前たち」
アイン=ロロは再び、シリウスの方へ体を向けた。
「古代――この星が誕生して以来、数多の血が流され続けてきた。魂は悔恨と怨嗟の声をまき散らし、地表は憎しみに溢れていた。それが故に、この星の神は審判を下したのだ。崩壊への道を」
それはバルドルやロキではないということに、シリウスは気付いた。
「ただの人間でしかない私では、それを覆すことは出来ん。可能性があるのは――そう、カイン=ウラノスの血を受け継ぐ神の遺児たるヴェルエス宗家。そして、“原初のヒト”の力を持つ“星の幼子”。そして……星の心である“星の遺産”だ」
しかし――と、アイン=ロロは続ける。言いかけたのと同時に、大量の吐血。命が消耗されている。もう、死ぬのだ。
「どうやら、運命はまだそれを果たそうとはしていないようだ」
アイン=ロロはシリウスやサリアを見つめ、どこか物悲しそうに微笑んだ。
結局、私も道化師だったのだ。この星の上で踊らされ続けた。
そして、息子に殺されるのも――私の罪であり、罰なのだ。
「シリウス……さあ、お前の手で私を殺してくれ」
アイン=ロロはそう言って、手を差し伸べた。シリウスはその手をじっと見つめ……そして、はたいた。
「嫌です」
嫌悪も憎悪もない、無関心な顔。アイン=ロロはそれを見て、優しく微笑んだ。
ああ、結局失敗してしまった。成功だと思いあがっていたのは、私だけのようだ。
アイン=ロロはうつ伏せに倒れ、薄れゆく意識の中で“彼”を想った。
ガルザス。
お前の言うように“世界”は壊してやったぞ。お前の望んだように。
お前は歴史に名を残すだろう。だが、私はそうではない。
統制主よ――
あなたの“創世計画”とは違うが、私なりの“創世計画”だ。
いずれ、あなたの計画を進める人間も生まれよう。
再び……世界が…………変わ……る……