第五部⑩ ~穿たれし空の上で、僕たちは殺し合う②~
「くっ……!」
激しい戦いの末、ユリウスは片膝をつき、その場に多量の血を垂れ流していた。それを見るシリウスたちにも、大小様々な傷がつけられ、出血していた。
ユリウスとシリウスの力は拮抗していた。だが、ティルナノグの巫女・サリアと魔法のスペシャリスト・バルザックの援護により、ユリウスを敗北寸前にまで追い込んでいた。
「……もう、おしまいにしよう」
シリウスは剣を構えたまま、そう言った。呼吸が荒く、肩が上下に揺れている。
「この状況で、あなたは僕たちに勝てない。どう足掻いたって、状況は変わらない」
自分一人なら、おそらく勝てなかった。それだけ、破壊の力――“ロキ”は純粋な戦闘能力が高いのである。しかし、サリアたちがいたおかげで、その差を埋めることが出来たのだ。
シリウスは、この時点で勝利を確信していた。
だが、同時に間違いも犯していたのである。彼の性格が、彼本来の純粋な心が、この場では決してあってはならないミスを犯してしまった。
「だから、負けを認めてくれ」
シリウスは決断を彼に委ねたのだ。戦い死という敗北に至るか、或いは負けを認めるか。非情さを捨てきれないのが彼の性格の上での長所でもあり、短所でもあった。この時に、無駄な時間をかける必要などなかったのである。
「……なぜ、わからない」
ユリウスは血反吐を吐きながら、小さな声で言った。
「この世界は歪んでいる。そうさせたのは、我々の先祖である“神々”だ」
世界が歪んでいるのなら、それを正さなければならない。世界の均衡を崩しているのは、一体誰だ?
――そう、自分たちだ。
「いなくなった方がいいんだよ。もう、何もかもなくなってしまえばいい。私は……私たちは、何のために生まれてきたというのだ? 生きているだけでは、毒でしかない。……わかるだろう、シリウス? お前になら」
「…………」
その想いは、おそらくシリウスとユリウスの二人にしか理解し得ないものだった。歪ませているのは自分たち――なぜなら、自分たちを中心に世界は混乱していたのだから。
あらゆる発端は、自分たちなのだ。
「答えられないじゃないか」
ユリウスはほくそ笑み、ゆっくりと立ち上がった。滴る血が、白い大理石の床に落ちていく。
「お前もわかっているんだろう? 世界を歪ませているのは私たちだと。神の血族など――ティルナノグ皇室など、消えてしまえばいい。そうすれば、こんな争いも醜い戦争も起きやしない。そうだろう?」
畳み掛けるように、ユリウスは言った。彼はシリウスの性格をよく把握しているのだ。ずっと共に生きてきた兄弟だから。唯一の肉親だから。
シリウスは自己犠牲の心を持つ。自分が全てを背負い、他者を助けようとする。それは本能的なものだった。兄であるユリウスの言葉は、たとえ間違っていると思っていても、完全に否定できなかった。なぜならば、彼の言葉もまた、シリウスにとって心の奥底で抱いている本心の一つでもあったからだ。
「違う!」
その空間を破壊するように、凛とした声が響き渡る。皆が、その声の主の方へ視線を向けた。
「シリウスは……違う。ユリウス兄さまとは違う」
サリアのドレスはボロボロになり、彼女の血があちこちに滲んでいた。
「同じ一族だから? 兄弟だから? そんなの、関係ない!」
叫ぶようにして、彼女は言った。
「どれだけ世界が憎もうと、どれだけ人々から恨まれようと……私は、シリウスの傍に居たい。だから、消えてほしくなんかない」
華奢な体を奮い立たせ、サリアは強く前を向いていた。
「そう想えるのは、私たちが“ヒト”だから! 神の一族だとか……そんなこと関係ないのよ!」
その姿を――ユリウスとシリウスは、どこかで見た気がした。
泥に塗れ汚れていても、可憐な花を咲かせる蓮の如き立ち姿。その健やかで清廉潔白な心と共に在る彼女は、遥か太古の記憶の中に在る“彼女”と同じだった。
ああ、そうだ。
僕たち――俺たちは、忘れやしない。
この魂が、彼女の名を叫んでいる。いつだって。
この世界に舞い降りた、自由意志を携えた天使。それが君だったのだから。
ユリア=ファーシェ
「御託はどうでもいいのだけれど」