第五部⑦ ~ロスメルタ~
帝都の住人は一人残らず、殺されたという。
その情報が入ってきたのは、シリウスたちが大都カナンに入ってから二週間後のことだった。帝都から地上へ、映像が送られてきたのだ。
「余の名は“ユリウス”。322代天帝である」
玉座に佇む、ユリウスの姿。シリウスが幼い頃見たあの玉座は、混じりけのない白さだったはずなのに、人の血でどす黒い色に塗りつぶされていた。その周りには、おびただしい量の肉塊が積み重なっており、数十メートルはあるあの空間の天井に届いてしまいそうなほどだった。
「地上の反乱軍よ。反逆者ガルザスは死に、帝都は余が占拠した。よって、この戦いは終結したとみなす」
足を組み、ユリウスは微笑を浮かべていた。あの時の戦いの状況で生きているとは……と、誰もが思っていた。
「余は考えた。ここで戦いは終わった――と言ったところで、既に点けられた戦いの灯を消すことは容易ではあるまい。地上の民は、この天空からの支配から脱却するために戦い続けた。その働きを無下にすることなど、余はできないのだ」
そう言いながら、ユリウスはため息を零す。
シリウスは視線を逸らさずに、その映像を見つめていた。兄上は……何をするつもりだ? 何を言うつもりなんだ……?
「そこで、だ」
ユリウスは玉座から立ち上がり、天を指差した。
「余は“約束の刻”を起こし、世界に終わりを告げる」
約束の刻――? なぜだろう、どこかで耳にしたような気がする言葉だ。シリウスが記憶の中で探索する最中、ユリウスは続ける。
「天空と地上――人は区別されるから、差別をする。差別をするから、争いが起こる。いつの世も、小さな燻りが大きな焔となって、世界を焼き尽くそうとする。我らの世界が始まって幾星霜、その“理”から逃れる術など、存在しない」
ならば――と、ユリウスは拳を強く握りしめた。
「我ら愚かな人類に等しく与えられているのは、“死”のみだ。死はあらゆる生命に等しく訪れ、等しく無に還す。我々が人の世を終焉させ、この次元の未来を閉じる。そうすることで、我々人類は本当の意味で“一つ”になるのだ」
バカな……!!
まさか、兄上は“セレスティアル”を……!
「我が民よ、宴の始まりだ。余が終わりをもたらすのだから」
その言葉が放たれた瞬間、映像が消えた。
――――――――――――――――――――――
シリウスは最後の戦いを決意していた。
既にガルザスは死に、天空は躯の都市となり果てている。残されたのは、調停者である己と兄との戦いのみ。ユリウスを倒さなければ、この世界は滅びてしまう。
「……ロスメルタ。地上の人々を、なるべく早く南へ移動させてくれ」
アリアンロッド内にあるシリウスの執務室で、机を前にして座るシリウスは言った。
「被害が大きくなるのは、おそらくこのカナン付近だ。少しでも南へ行けば、被害を抑えることが出来る」
「ちょ、ちょっと待ちなよ。どういうこと?」
当惑するロスメルタは、首を傾げていた。
「……たぶん、兄上は“星の遺産”をメルトダウンさせるつもりだ。それが起きれば、最低でもこの大陸のほとんどが木っ端みじんになってしまう。……最悪の場合、この惑星が消えてなくなるかもしれない」
「はぁ!? な、何よそれ! そんなことが……」
「待って、シリウス」
割って入るように、サリアが言った。
「“星の遺産”の制御は、私とレナがいないとできないはずよ。ユリウス兄さんだけでは、何も起きないと思うけど……」
「それが、そうじゃないんだ」
シリウスは首を振った。
「……僕たちの中に在る、この力……調停者の力と呼ばれる“創造と破壊”、“聖魔のエレメンタル”――これは異次元の力なんだ」
「異次元……?」
サリアたちは、意味が分からず目をパチクリさせていた。
「ずっと昔……約五万年前、この世界に神が降臨したんだ。そう、僕たちが“ヴァナヘイム文明”と呼んでいる時代に」
この時代の人間であれば、伝説として知っている文明の名である。
「僕たちティルナノグ皇室には、その“神”の力が受け継がれている」
「神の……力?」
だが、ロスメルタは妙に納得していた。あの力……常人を遥かに凌駕している。“神の力”と評されてもおかしくないのだから。
「そして、この力の源であるエレメンタルは、この次元に存在しないものなんだ。あらゆるエレメンタルに干渉することが可能で、また逆に干渉を受けることもない。つまり、この世界に存在するものなら強制的に制御できるんだ」
「そっか……星の遺産は、“紺碧のエレメンタル”の結晶体。あれをコントロールできるのは、同等のものか、それ以上のもの。文献にあった“カインの力”って、そのエレメンタルのことだったのね」
サリアの言葉に、シリウスは頷く。
「この世で、僕と兄上だけが持つ力。サリアとレナがいない以上、可能なのは自分たちだけだ」
だけど、どうして――と、シリウスは疑問を浮かべる。
自分だけでも制御できるのに、なぜ兄上は“ティルナノグの巫女”であるサリアとレナを必要としたのだろうか。
彼女たちには、自分さえも知らない何かがある……?
「僕は天空帝都へ向かい、兄上を倒す。だけど、僕一人じゃ心もとない。だから、ランスロット卿。バルザック、そして……サリア。僕のフォローに入ってほしい」
彼がそう言うと、指名された三人は「もちろん」と頷いた。
「それでも、完全にメルトダウンを防げるかはわからない。だから――」
「まさか、だから私に軍を連れて南へ行けってこと!?」
ロスメルタはずい、と前に出て言った。
「意味わかんない! 私も一緒に行くに決まってんでしょ!」
「ロスメルタ、君にしか頼めないんだ。ソティスの実質的な指導者は、僕じゃない。君なんだから」
「私はあんたの仲間でしょうが! 最後まで一緒に行くって決めたのよ!」
ロスメルタは声を張り上げた。
「大勢の人が、ここ……カナンに集まっている。統率する人間がいないと、無為に時間を要してしまう。迅速に指示が出来るのは、君だけなんだ」
シリウスは難しいお願いをしていると、自覚していた。彼女の強い想いは、知っている。この旅路を――戦いを見届けたいのだ。
「……あんたまで、いなくなるの?」
ロスメルタは哀しく、微笑んだ。
「私は、要らないの?」
小さな涙の粒が、彼女の頬を伝う。
「あんたの役に……立ちたいのに。もう……これ以上、一人になりたくないのに……」
「ロ、ロスメルタ……?」
彼女はその涙を止めることなく、シリウスを見つめる。
「大事な人のために……剣を振るえって、父さんは言った。私の剣は、あんたのために在りたいの。あんたのために、最後まで剣を振るっちゃ……ダメなの……?」
彼女の――健気な彼女の内面が、恥ずかしげもなくさらけ出される。それは強く在ろうとし続けた彼女の中にある、純粋で、か弱くて、何よりも美しい宝物だった。
「私だけ“行け”なんて言われるなら……あんたなんか、好きにならなきゃよかった!」
ロスメルタはそう叫び、執務室から走って出て行ってしまった。
「追わないのか?」
ランスロット卿は、そう問いかけた。
「……少し、驚いてて」
そう思ってくれているなんて、思いもしなかったから。僕のことなんて、眼中にないとさえ思っていたのに。でも、単純に嬉しかった。あのロスメルタに、そう想ってもらえたなんて。
「巻き込みたくないという君の優しさ。きっと彼女なら、わかってくれるはずだ」
と言って、ランスロット卿はシリウスの背中を押した。
「ほら、早く行ってあげなよ」
と、サリアはシリウスの肩を叩いた。
「どれだけ信頼しているかって、言ってあげないと。言わないと伝わらないもん」
ね? と、サリアは微笑んだ。
「……うん。ありがとう、サリア」
シリウスは頷き、ロスメルタの後を追った。
――――――――――――――――――――――
ロスメルタは艦橋から出てバルコニーで一人、座って顔をうずめていた。
そこへ、シリウスがゆっくりと歩み寄る。
「……どうして、私だけ置いていくの?」
彼女は、微動だにせずに言った。それと同時に、シリウスも歩を止める。
「私じゃ、あんたの力になれないって言うの?」
「違うよ。そうじゃない」
見えもしないのに、シリウスは否定するように顔を振った。
「最後の戦いになる。……たぶん、僕も生きているかどうかわからない」
「……え?」
すると、ロスメルタはシリウスの方へ向き直った。夕陽を背に、彼女の輪郭に沿って夕焼けが滲んでいる。
「兄上――兄さんも、同じ調停者なんだ。ただでは済まないよ。……だから、ソティスを……地上を君に任せたいんだ」
シリウスは小さく頷く。
「無事で帰って来れないと思う。それに、これはやっぱり……僕たち“皇族”のしてきた罪なんだ。それを拭うのは、僕たちじゃないといけないんだ」
「……私は、そうだと思わない」
彼の言葉に、ロスメルタは間髪入れずに反論する。
「あんたには特別な力があるよ。サリアにだって。……でも」
彼女は顔を上げ、シリウスを真っ直ぐに見つめた。銀糸のように細く黒い髪が、風に撫でられ優しく揺れる。
「あんたが皇族じゃなくたって、私は好きになってたよ」
彼女は強く、彼を見つめていた。少女の可憐さを残しつつも、強く在ろうとし続けた彼女独自の強靭さを秘めて。
「どの一族だろうが、能力が無かろうが……それでも、私はあんたのことを……好きになってると思う。きっと」
だから――と、彼女は小さく微笑んだ。
「あんたの気持ちはわかってるよ。それでも、私はシリウスと……あんたたちと一緒に居られたら、それでよかったんだ。……そんなことを望んじゃ、ダメなの……?」
乾いたバルコニーの床に、涙の雫となった彼女の想いが落ちていく。
「たったそれだけのこと……なのにさ」
それだけのこと。だけど、それを得るのは至極難儀なものなんだって――僕は知っている。そして、僕がもし皇族でなくて、ただの“ヒト”で在れたのなら……彼女と同じように思っていたんだと思う。
シリウスは、そう思った。
「ロスメルタ」
シリウスは彼女に歩み寄り、微笑む。
「君に、生きていてほしいんだ。だから、地上に残ってほしい」
素直に、そう思っている。僕の……大切な友人だから。
シリウスはロスメルタの手を取り、優しく握りしめた。その瞬間、ロスメルタの頬が仄かに紅く染まった。
「全てが終わったら、君に会いに行くよ。約束する」
「……シリウス」
「君と一緒に旅をしてこれたことを、誇りに思う。弱い僕を……何度も助けてくれた。本当にありがとう」
戦場で、何度彼女に救われたことか。彼女がいなければ、僕は――。
「ロスメルタがいなければ、僕はここまで来れなかった」
ここまで。
最後の戦いに臨める、この瞬間まで。
「……卑怯だよ」
握りしめた彼女の手から、彼女が小さく震えているのが伝わってくる。
「そんなこと言われたら……行くしかないじゃない。卑怯だよ……」
涙をこぼしながら、ロスメルタは言った。
「ごめん」
「……卑怯だよ……」
「ごめん……ロスメルタ」
「…………」
どれだけ涙を流せば、この苦しみを――この寂しさを取り除けるのだろう。
どれだけの時を過ごせば、この恋を忘れることが出来るのだろう。
でも。
それでも、私たちは誰かを好きになる。
生まれ変わっても、必ずそうなるんだ。
何度も。
だから、生きるよ。
あなたと生きた、この世界で。
ロスメルタはただ、泣いた。
ありったけの想いを、その涙と声に乗せて。