第五部⑤ ~僕の望み~
ガルザスによる帝国軍・ソティス軍もろとも葬り去ろうとした“ノーレイアの会戦”の後、軍を立て直すためにシリウスは東部エリアへと引いていた。
そんな中、彼らの前に一人の男が現れる。ソティスの兵であれば、誰でも知っている人物だった。自分たちを追い詰めた人間であるのだから。
「まさか、あなたがここへ来るとは思いもしませんでした」
シリウスは彼を見据え、言った。その男性は鋭い眼光でシリウスを見ていたが、シリウスもまたそれに劣らぬ双眸で堂々と立っていた。
「お待ちしていましたよ。ランスロット卿」
紫苑のような色をした髪の男性。帝国軍の実質的な総司令官・ランスロット=ペンドラゴンだった。
「敵軍の将である私を、シリウス殿下へお目通りさせていただき、誠にありがとうございます」
彼はそう言って、その場に跪いた。その様を見、シリウスはあることに気付く。身に纏っている軍服は、あちこちが皺になっており、薄汚れていたのだ。帝国軍のトップである彼の身なりが、なぜそんな状態なのだろうか――と。
そう考えていると、ランスロット卿は顔を上げた。
「……なるほど、父帝陛下に似ておられる。ガルザス閣下が忌み嫌うわけですな……」
彼はフッと微笑んだ。
「……そんなに似ていますか?」
つと、シリウスは言葉を漏らすようにして訊ねた。
「僕は父の記憶がありません。似ていると言われても……複雑なだけです」
アイン=ロロも“似ている”と言っていた。それはどこか、自分でない何かを見られているような気がして、嫌なのだ。
「あなたの父である“ジークフリート21世”陛下は、将来を嘱望されていた方でした。腐敗しきった帝室を、清める最後の天帝だと言われていたのです。……しかし、陛下はガルザスの策謀により暗殺され、帝室の混乱は拡大しました」
「なっ……! 叔父上が……!?」
全て、ガルザスの画策したものだったのだ。
自身たちの父を差し置いて即位したジークフリート21世を殺せば天帝になれる――と、ガルザスは父・ジークフリート20世を唆したのだ。彼は己の優位性を示すために、自らを“ジークフリート20世”にし、本当の“20世”である息子から名を奪ったのである。
「オドアケル枢機卿による混乱さえも、彼の計画の一つだった。……我々は、掌の上で踊らされ続けた哀れな道化師です」
自嘲するように、彼は笑った。帝国に忠誠を誓い、全てを捧げ尽してきたというのに、その報いがこれなのか――と、
「ですが……ガルザスの掌から零れたものがありました。それが……シリウス殿下、あなたです」
そう言って、ランスロット卿は立ち上がった。
「何度叩き落そうと、這い上がり戦うあなたを……ガルザスは恐れています。あなたは盤上から外れた、予想外の駒――と言えるのでしょう」
あの叔父上が……自分を恐れている? そんなこと、思っても見なかった。
「……で? あんたがここへ来た理由は何?」
ランスロット卿の後ろから、細身の片刃の剣が彼の首元へ添えられた。
「シリウスに何かしてみな。動いた瞬間、首をはねてやる」
彼女――ロスメルタの言葉には、憎しみが滲み出ていた。
「……単純に、我らの戦う理由がないだけだ」
「はぁ? あんたらは帝国軍――それだけで、十分に戦う理由はあるんだよ!」
ロスメルタは、柄を握りしめる手の強くした。
「言っただろう? 道化師だと」
ランスロット卿は、ノーレイアの会戦における“インドラ”の使用について、何も聞いていなかった。全てガルザスの独断でしたことだった。あの兵器により、ランスロット卿の部下も死んでしまった。なぜ兵器の範囲外へ誘導することさえもしなかったのかと問うと――
「餌がなければ、魚は寄ってこないだろう?」
剣を抜きかけた――。だが、傍にいた三神将の一人“ガラハッド”が止めに入った。
「俺に歯向かうとは、おこがましい。もう貴様に用はない、牢にでも入っているがいい」
そして、ランスロット卿は牢に入れられた。
しかし、拷問が始まる直前に、彼はアイン=ロロによって救出され、シリウスたちの前へと誘われた。
「……この国は限界だ。殿下の御父上が殺された瞬間に、死んでしまっていたのだ。躯となり果てた、巨大な虚像でしかない」
ランスロットは天井を仰ぎ見、目を細めた。己の愛した“国”は、もう存在しない。それならば――。
「せめて、最後の忠誠を殿下に捧げ、この国が……世界が創り変わることに尽力したい。それが、皇室に連なる“ペンドラゴン”の名を持つ者の責務だと思うのだ」
「ふざけんじゃない!」
ロスメルタの怒声が、響き渡る。
「忠誠だのなんだの言って、結局は自分のエゴのためだろ! あんたたちが……あんな“バケモノ”を裏切っていれば……」
彼女はランスロットを振り向かせ、胸ぐらを掴んだ。
「父さんやレーグが死ぬ前に、戦争は終わったかもしれないのに!」
彼女の双眸は、淡く潤んでいた。心の傷が滲み出るように。
「……ロスメルタ、やめるんだ」
シリウスは彼女に歩み寄り、掴んでいる手に優しく触れた。
「戦争なんだ。誰かを失うのは、初めからわかっていたことだ。僕たちはそうやって、ここまで来たはず。そうだろ?」
「そんなことくらい……わかってるよ! でも……でも!」
やりきれない想いが、彼女の体を震わせていた。
「……傷付くことを、恐れていない人はいない。それでも、僕たちは……意志を受け継ぎ、進んできた。ここで憎しみで剣を振るってはいけないんだ」
「わかってる……! だからって、そんな簡単に割り切れるはずが……ないんだよ!」
レーグを失った傷は、想像以上に深い。どれだけの絶望なのかと想像することさえ、シリウスにとっては恐ろしいほどに。
「……ごめん、ロスメルタ。全て……僕たち“カインの血”を継ぐ人間のせいなんだよ」
「……は? あんた、何言って――」
驚くロスメルタをしり目に、シリウスはランスロットの方へ向き直る。
「ランスロット卿。あなたの言うように、皇室に連なる僕たちに責任がある。この世界をこうしてしまったのは……僕たちだ」
哀しみと、憎しみの連鎖。負の円環、奇に連なる螺旋。呪われた運命――なのだ。
「世界を元に戻す。それが……僕の目的だ。ティルナノグなど、要らない。本当に必要なのは、人のための世界なんだ」
人のための世界――。
選ばれた者たちの意向で進むのではなく、全ての権利が等しくなった状態での世界。
「だから、協力して下さい。この国を……滅ぼすために」
哀しい瞳だと――ランスロットは思った。それでいて、我々の苦しみすらも受け止める器があると感じさせた。
ロスメルタは、当惑していた。
どこか、違和感を抱かせる。ただ、なんとなく――。