第五部② ~エンヴィー~
グラン大陸に入り、帝国軍との戦いは本格化した。
ガリア地方にて帝国軍との力量差を大きく感じなかったシリウスは、軍を二つに分けることにした。一つは自身が率いる“正規軍”。もう一つは、ロスメルタが率いる“ゲリラ部隊”。シリウス軍は正規ルートで進み、ロムルス地方を目指す。ロスメルタ軍の方は、海路で密かに東部エリアから入り、ロムルス地方を包囲する。この道中で、再び物資補給の都市を制圧していく。
帝国側も、多くの軍勢を地上へ向けた。総司令官であるランスロット卿は、ソティスを潰せば簡単に反乱は収まると踏んでいた。しかし、それが最大の誤算だった。
先のガルザスによる、全国に中継された残虐な行為。
それは天空だけでなく、地上人にも大きな影響を与えていた。逆らえばああなる――と思うよりも、これ以上あんな残虐行為を許すわけにはいかない、という“正義感”を抱かせることになってしまった。
事実、軍事力としては圧倒的に勝る帝国軍は、各地で起こる反帝国軍を鎮圧するべく軍を派遣していたが、それがあまりにも多く、ソティスへ向ける兵力が想像以上に少なくなってしまったのだ。あまりにも大きくなりすぎた戦線は、帝国軍の士気さえも摩耗していた。
これ以上の兵の追加は難しい。実際のところ、天空側もそれだけの余裕がなくなって来ていたのだ。あおこへきて、シリウス率いるソティス正規軍との戦いに加え、後方からやってくるロスメルタのゲリラ軍。
ランスロット卿は、ある程度の犠牲を考えておかねば……と思案していた。
―――――――――――――――――――
そんなある日。
正規軍に同行しているレナが、体調不良で寝込んでしまった。当初は単純に疲労だと考えられていたが、軍に常駐する医師が診断したところ、思いもよらぬ答えが返ってきた。
「妊娠しています」
その場にいたシリウスとサリアは、言葉を失った。
妊娠――?
いったい、誰の子供を……?
「おそらく、フェムト――ユリウスさんの子供でしょう。現在、妊娠四ヶ月目です。ちょうど連れ去られていた時期とも合いますから」
「…………」
シリウスとサリアは顔を合わせた。互いに、当惑の表情だったのは言うまでもない。
その事実を、サリアは自分一人で彼女に伝えると言い、レナのいる部屋へと向かった。
まさかとは思うが、“エンヴィー”が発露した状態のままだったのかもしれない。ならば、堕胎させるかどうかは、本人言委ねよう――そう、思ったのだ。
船室でレナはベッドの上で寝ており、サリアが来たので上半身だけ起こした。
「えっ……妊……娠………?」
その事実を知ったレナは、呼吸するのを忘れたかのように表情が固まってしまっていた。無理もない――とサリアが思い、声を掛けようとした瞬間。
「それって……ユリウス兄さまとの子供ですよね! あぁ、なんて……!」
まるで初めてその美しい色の花を咲かせるかのように、レナは笑顔を満開にさせた。いや、恍惚とした表情だと言った方が正しいのかもしれない。
「な……なぜ、ユリウス兄さんの子供だと……わかるの?」
そんな様子のレナを見つめながら、サリアは漏れるかのように言葉を放った。
「え? なぜって……」
レナは目をパチクリさせ、言う。
「だって、覚えているもの」
「……え……?」
覚えている――?
サリアは混乱していた。それは、どういうことなのか。エンヴィーが発露していても、ということなのか。
彼女が疑問を呈す前に、レナは話し始めた。
「“あの子”が、特別って……見せてくれたんです。その時の光景を。覚えているというよりも、“見た”と言った方がいいのかもしれません」
頬を淡い桃色に染め、レナはその時のことを想い返していた。なんという僥倖だろうか、と。人生でこれほど幸福な時間を得られたことは、神にも感謝しなければ――彼女にとって、それだけのことだった。
「どうして……そんなことを……」
呆然と、サリアは疑問の言葉を投げかけていた。瞬きを忘れてしまうほどに。
「お姉さま、忘れちゃったの? 私、世界で一番ユリウス兄さまのことが好きなんだもの」
レナはそう言い切り、フフっと微笑む。
「……だから、見せてあげたのよ。最高に幸福な瞬間を……ね」
雰囲気が一瞬にして変化した。サリアはそれにすぐさま気付き、椅子から立ち上がる。
「お久しぶりね、お姉さま」
「……エンヴィー……!」
サリアは彼女を睨みつけると、エンヴィーは口に手を添えてくすくすと笑った。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃありませんか。私も大事な大事な妹ですよ?」
「あなたはレナじゃない。レナに体を戻しなさい!」
サリアは声を荒げ、一歩後ろへ下がった。
「ふふ、それは不可能です。“泣き虫”には、そんな力ないですから」
「…………」
体の自由を、ほとんどエンヴィーが握っている……という状態になってしまっているのかもしれない。記憶まで見せられるのだから。
「あなたは、何が望みなの?」
「……今更、そんなことを訊くんですか?」
エンヴィーは小さくため息を漏らした。
「私の存在意義は、“泣き虫”の哀しみの芽を摘むこと。単純にそれだけよ」
しかし、彼女は「それに」と言って、少しだけ遠い目をした。
「“リリー・エバー”。知っていますか?」
「リリー……エバー?」
聞きなれないものだった。それは名前なのか、それとも何かの名称なのかさえわからない。
何もわかっていない彼女を見て、エンヴィーはほくそ笑む。
「私たちの本当の存在意義は、“彼女”の望みを叶えること。忘れてしまったの? 私の大事なひとかけら」
「ひと……かけ、ら……?」
原初の人類――そして、原初のヒト。
命の源を貫く、星の閃光。
――私は眠る。見るに堪えない――
――何度も滅ぼそう。あなたたち、ヒトの言霊が息衝く限り――
――だから“私たちの世界”に邪魔しないで――
――ウィレム、カール。……いいえ――
――バルドル、ロキ――
声が――聴こえる。突き刺さるように。
電流が走るかのような痛みが、サリアの脳内を襲う。彼女は思わず、その場にうずくまってしまうほどだった。
「くっ……!」
その様子を見ながら、エンヴィーは笑顔を広げた。
「ふふふ。今に知るわ。“リリー・エバー”の遺した呪いを。星の子らに降り注ぐ、彼女の歌を」
「……何を、言って……!?」
その場で、二人は意識を失ってしまった。




