第五部① ~第二次天地戦争~
第五部 ――終わりのない旅路――
ロンバルディアで蜂起をした新生イデア解放軍――“ソティス”。イデアの壊滅で離散していた各地の反乱軍も徐々に集まり、組織は大きくなっていった。
アイン=ロロ=グランディアの後ろ盾を得、ソティスは人材だけでなく、技術も手に入れた。最も顕著なのは飛空艇であるが、移動式要塞“アリアンロッド”が復活したのである。厳密に言えば、イデアの時のアリアンロッドは単純に神国戦争時代の遺産の一部だったのだが、新しくなったものは改良が加えられ、海も移動が出来るようになっていた。
ロンバルディア大陸の中心地……ミッドランド。神国戦争期の遺跡を改修した都市で、シリウスは演説を行った。それは“解放宣言”として有名なものである。
「“地上”と“天空”、その二つに分けられているこの世界を一つに!」
ロンバルディアで軍を整えたソティス軍は、グラン大陸へと進攻を開始した。
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「閣下」
白塗りの大理石が広がる、果てしない空間の広間。その奥に、玉座だけが鎮座されている。
「地上において、反乱軍が結集しつつあります」
その玉座にある人物に対し、卿――ランスロットは跪いた。
「反乱軍だと? ……性懲りもなく、まだやろうというのか。愚かな地上の民よ」
玉座で足を組み、ガルザスはほくそ笑んだ。
「それが、どうも“イデア”の残党が中心となっているようです。おそらく、シリウス皇子がトップかと思われます」
「奴は皇子などではない。間違えるな」
「……失礼いたしました」
ランスロットは深く、頭を下げる。
「シリウス、か」
あいつを生かしておいたこと、まさか後悔することになるとは。あの時――アムナリアの懇願など無視して、首をはねておけばよかったか。俺の勘は当たるようだ。……嫌悪感を抱いた相手というのは、少なからず己自身の道を阻む可能性があるもの。
それが、現実となったか。
「如何いたしましょう。現状、天空もまだ完全な鎮圧は出来ていませんが」
「地上の軍勢など、気に病むものでもあるまい。ランスロット、お前は東の天空都市の制圧を急げ。あそこを落とせば、天空は鎮圧したも同然だからな」
果たして、そう簡単にいくものか――と、ランスロットは思案した。地上の鎮圧に向け、天空の兵力を裂きすぎた結果、こちらの方は戦線が拡大している。今までのガルザスによる恐怖政治のためか、ここにきて離反者が多発しているのも要因の一つ。
「……私としては、早急に地上の反乱軍を始末した方が良いかと思いますが」
ランスロット卿がそう言うと、ガルザスは視線だけを彼に向けた。自分に意見する人間など、虫けらかのように見る目で。
「地上反乱軍がもしロムルス地方を制圧するようなことがあれば、こちら側は物資不足に陥ります。既に困窮している都市もあるとの報告もあります。帝都は頑丈なエレメンタルによる防壁により守られているので、包囲されたとてしばらくは持ちこたえられるでしょう。それまでに地上反乱軍を活動不能までにすれば、自ずと天空の反乱軍も勢いを落とすことでしょう。地上が引っ掻き回せば回すほど、天空は混乱に陥るのです」
「…………」
「認めたくはないですが、シリウスが反乱軍の指導者ならば簡単に打ち倒せるものではありますまい。おそらく、今地上にいる我が軍では歯が立たない可能性が大きいでしょう。戦に勝ち、勢いづく前に叩いておくべきかと」
勢いというものは恐ろしい。そこには“戦略”というものさえ跳ねのける力がある。そうなる前に、奴らを潰しておかねば災いとなる――ランスロットはそう考えていた。
「……よかろう。ランスロット、地上の鎮圧はお前に一任する。帝国に歯向かう者どもを、皆殺しにしてこい」
「――仰せのままに」
ランスロットはすぐに立ち上がり、宮殿を後にした。
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グラン大陸へ向かう船の中で、レナが三ヶ月ぶりに意識を取り戻した。皆、彼女が“あの時”のように敵であるのかどうか、気にかけていた。
「……あれ? シリウス兄さま、ここは……どこですか?」
目を開けた彼女の表情には、あの時のような気配は感じられない――と、シリウスは思った。
だが、彼女の様子はおかしかった。
なぜか、一連のことを覚えていないのだ。ユリウスに連れ去られたことや、シリウスたちと対峙したことなど……すべてを。
「……レナの中に、もう一人のレナがいるのよ」
レナのいない船室で、サリアは言った。
「私とあの子は……父が違う。それを知ったのはずいぶん後だったし、一時期、離れて暮らしていたから」
サリアは難しい表情を浮かべ、説明を始めた。
「幼い頃、あの子の父親は……レナを虐待していた」
彼女たちの母親は、レナを産んですぐに亡くなってしまった。元々、体が弱かったせいでもある。だが、レナの父・ロンバルディア公爵ウーニウェル卿は、それをレナのせいにしたのだ。それだけ妻を愛していた――とも言えるのかもしれない。しかし、異様な憎悪は愛情と混ざり、歪な感情へと変貌していた。
ウーニウェル卿は暴行だけでなく、性的虐待もしていた。それは幼いレナの心を少しずつ破壊し、彼女の中に“もう一人の自分”を創らせた。
自身の痛みを受けずに済むよう、痛みを請け負う人格を。
事が判明した時には、遅かった。サリアの後見人・セントジネス公爵はウーニウェル卿を追求するも、彼は服毒自殺。レナの中に在る“別人格”は、切り離すことが出来なかった。
「別人格――“エンヴィー”と呼んでいるんだけど、“彼女”は滅多に出てこない。ユリウス兄さんとシリウスたちがいなくなった時にも出てきたけれど」
つまり、心的ストレスが大きくなると、別人格“エンヴィー”が発露するのだ。
「……じゃあ、その“エンヴィー”とやらが、あの時のあの子ってこと?」
ロスメルタは顔をしかめて、訊ねた。サリアは大きく頷く。
「口調は似ているけど、あんな言葉は普段口にしない。レナはね、人一倍臆病なの。人を傷つけることを、簡単にできない優しい子なのよ」
「……人の腕を切り落としたのも、その別人格のせいだって言いたいわけ?」
「え――」
シリウスは、驚きを隠せなかった。ロスメルタの腕を切断したのは、兄さんじゃあ……!?
「あの時、魔法の刃で腕を切断したのは、紛れもなくレナだよ。……さすがにわかるさ」
シリウスの心中の疑問に答えるように、ロスメルタは言った。
「レナはユリウス兄さんが大好きだから。もしかしたら、あなたに嫉妬していたのかも」
「……それとこれと、どう関係があるって言うのさ? あれは“レナ”じゃなく、“エンヴィー”だって言うんでしょ?」
サリアに対し、ロスメルタは眉間にしわを寄せて言い放った。
「“エンヴィー”は……これは憶測なんだけど、主人格の願望を果たそうとしている」
「願望……?」
ロスメルタたちは首を傾げる。
「ユリウス兄さんと一緒に行動していたのも、レナの“一緒に居たい”という気持ちからだと思う。……ロスメルタ。あなたに嫉妬していたということは、多少なりとも……敵意を抱いていたのかもしれないわ。だから、それを“エンヴィー”が過剰に表現した結果――なのだと思う」
「ってことは、私は嫉妬されて殺されそうになったってこと? 笑い話にもならないわね……」
彼女は蔑むようにして、ハッと笑った。
「でも、それが“エンヴィー”なんだよ」
そこで、バルザックが口を開く。
「シリウスたちは知らないだろうけど、君たちがいない時に天空で“エンヴィー”が発露し、都市の一つを破壊し多くの人を殺害する事件を起こしたんだ」
「なっ……!?」
天空の都市一つ――ということは、下手をすれば数千人以上だ。シリウスは驚きのあまり、瞬きをするのを忘れてしまうほどだった。
「あれも、彼女の心的ストレスが要因なんだ。ユリウス様たちがいなくなり、彼を誹謗中傷していた貴族の支配する都市だった……」
その時を思い出したのか、バルザックはまぶたをぎゅっと瞑り、その恐怖を堪えようとしていた。
「彼女の内なる力……あれは、古代ヴァナヘイム文明にある“破壊神エヴァ”の記述そのもの。セントジネス公は彼女の封印を提言したんだ」
だが、それを突っぱねたのがガルザスだった。セレスティアルを制御するには、必要不可欠なファクターだったからだ。
「でも、どうしてレナは覚えていないんだ?」
シリウスがそう訊ねると、サリアは「眠っているから」と答えた。
「“エンヴィー”が出ている間、あの子は眠ってるのよ」
「何よそれ! じゃあ、レナなのに“別人格”がやったことだから、許せって言うの? 無責任にもほどがある!」
ロスメルタは怒りを露わにし、その場に唾を吐き捨てるくらいの勢いで言い放った。
「……“エンヴィー”は、レナの怒り……苦しみ、妬み……負の感情の全てを感じ取り、その要因を排除しようとする。それもまた、あの子の防衛本能の一つなのよ。父親に虐待される自分を、なんとか護ろうとした幼いあの子の……」
サリアは唇をキュッとかみしめ、頭を下げた。
「許して――なんて、都合がいいのはわかってる。でも、あの子を責めないであげて。お願い……」
その場でサリアは膝をつき、まさに土下座をするような恰好を取った。その場にいた皆が、その姿に唖然としていた。
「レナの心の傷は……私では癒しきれなかった。そして、止めることが出来なかった。本当にごめんなさい……」
「サ、サリア! お願い、顔を上げて!」
ロスメルタはハッとし、跪き彼女の手を握った。
「そういうつもりで言ったんじゃないの! あんたがいなければ、私は殺されていた。……私だけじゃない、みんなも。サリアの力がなければ、ここまで来れなかった! そんなあんたを責めるつもりなんて……微塵もない! 私の方こそ、ごめんなさい……!」
「ロスメルタ……」
サリアは涙を浮かばせ、ロスメルタを優しく抱きしめた。それのせいか、ロスメルタもまた涙を流す。苦しいのは、自分だけじゃない。サリアも、レナも同じなのだから。
シリウスは思う。
どうやれば、歯車うまく回るのだろうか。
どこかで、ネジの一つが緩んでいる。どれだけ入念にしていても。
心の歯車を正常に動かすには、どうしたらいいのだろう。
人の弱き心が、世界に充満している。
シリウスは虚空を見上げ、睨みつけるしかなかった。
※補足
サリアとレナは異父姉妹になります。一緒に暮らしていなかった――というのは、サリアは自身の父方の祖父・セントジネス公爵バイロン卿に引き取られていたため。
サリアたちの母はカルデア公爵家の令嬢エルミルで、元を辿ればロンバルディア公爵ウーニウェル卿と同じ一族の出になります。