10章:フィアナの村 新しい出逢いと檸檬の門出
何時だかわからない。それでも朝が来たというのは、どんな生物だって理解できる事なんだろうな。命の鼓動が呟いてるんだ。「朝が来た」ってさ。
小さな窓から差し込む朝日がやけに眩しく感じる。そこだけが、ほんのりと新しい一日の温かさを伝えているようだった。
隣のベッドでは、ヴァルバが布団を抱いてまだ眠っていた。まだぐっすりと夢の中…という雰囲気だった。僕は起こさないように、ゆっくりと床に足をおろした。そして、忍び足で部屋から出た。もちろん、ドアを閉めるのもゆっくりとだ。他人が寝ている時、なぜか忍者のようになってしまう。理由はわかんないけど。
階段から降りると、リビングの方から何かを準備しているような音が聞こえてくる。これは、まな板の上で何かを切っている音だ。どうやら、女将さんが朝食を準備しているのだろう。この世界の朝食の時間というのがどれくらいかは知らないが、たぶん朝7〜9時くらいかな。
僕は外へ出て、大きく体を伸ばした。こうすると、寝ている間に固まっていた細胞たちが目を覚まし、活動を始めるような気がする。現に、ちょっとさっきより動きやすくなった。…要は気持ちの問題なのだが。
小鳥たちのさえずりが聞こえてくる。彼らは家屋の屋根などに並び、右を見たり、左を見たりしている。朝を伝える陽気な歌声ってか。
それにしても、どの世界でも同じなんだな、朝の雰囲気というのは。どこの家の煙突からも、煙がもくもくと出ている。あちこちから食欲をかきたてる香りを漂わせている。スープでも煮込んでんのかな。
「あ……おはようございます」
僕は声が聞こえた方に視線を向けた。宿屋の隣にある馬小屋の傍に、宿屋の少女がほうきを握って立っていた。どうやら掃除をしていたようだ。
「おはよう」
僕はぎこちなく微笑んだ。
「起きるのが早いんですね、ソラさん」
彼女はそう言いながら、僕の方に歩み寄って来た。彼女の金色の長髪が朝日を反射し、少々眩しい。
「たまたまだよ、たまたま。朝は苦手なんだ」
「そうなんですか? …フフ、寝ぐせ、付いてますよ」
クスクス笑いながら、少女は僕の目の前で立ち止まった。
「こりゃ失敬。それにしても、朝から仕事なんてすごいな」
右手で寝癖が付いた部分をいじった。垂直にはねてるな、こりゃ。後で水で濡らすか。
「いつものことですから。それに朝日がきれいだから、気持ちいいんです」
「なるほどね。気持ちはわかるな」
「ソラさんも、早起きしたのはこれを見るためですか?」
彼女は上を指差した。
……あぁ、なるほど。
青い空。白く、半透明で、自由気ままな雲。
僕たちは上空を見上げた。人って、なんでか知らないが、意味もなく空を見上げるんだよな。そこには何もないのに、何かあるのではと思っているのかもしれない。あの空の向こうに、自分たちの答えが潜んでいるのかもしれない。
もしくは、理由なんてないのかもしれない。
「……まぁ、そうと言えば…そうだな」
「朝の青空って……とてもきれいですよね。私、夕焼けの空よりも、星空よりも好きです」
「奇遇だな。僕もだ」
どこまで続くのか分からない青空。全ての生命は、この空の下にある。そんなことを考えると、生命ってのは意外と身近な存在な気がする。
「こうして見てると、今日一日も平和に過ごせそうな気持になっちゃいますね」
彼女は掃除をしに来たのを忘れたかのように、口元を少し弓なりに微笑ませながら、上空を見つめていた。
「…そう思えるのは、君の想いが優しいからだよ、きっと。そういう人間ってすごいと思う。……率直に」
「…ソラさん…」
細長い三日月のような形をした、薄い雲がある。それは、この紺碧の空をより一層碧く見せているようだった。
「あっ、そう言えば君の名前を聞いてなかったな。……よければ、教えてくれる?」
僕は視線を戻した。ほんの少し間を開けて、彼女も視線を戻した。
「アンナです。アンナ=カティオ……」
そう言って、彼女は微笑んだ。白い頬が朝日を受け、輝いていたように見えた。
「アンナ、か。よろしくな」
「…はい…!」
そうやって、自然と僕たちは握手をした。ヴァルバの時もそうだが、握手ってのはやはり全世界共通のようだ。…なんでだろうな。
「…そろそろ朝食ができると思いますから、行きませんか?」
「そうなの? わかった」
「あ、でも……まだ、ヴァルバさんは起きていませんよね?」
アンナは辺りを見渡した。
「まだ熟睡中。何やら、イノシシに襲われたとかで寝不足なんだとさ」
「…変なの」
彼女は笑いながら、宿屋に向かった。
「ふあぁ〜……よく寝た」
大あくびをしながら、ヴァルバはホットミルクを一口入れた。
「髪の毛、ぐっちゃだな。てか、ヴァルバって結構長いんだな」
彼の髪は肩まで届いている。前はそうでもないのだが。
「あぁ……いつもは後ろで結んでるからな…」
「…そうやっていると、どこぞの不審者みたいだな…」
「不審者ってお前……。いいから、さっさと食って出発するぞ」
「へいへい」
僕は野菜スープを手際よく口に運んだ。
「あの……ちょっと訊ねてもいいですか?」
すると、僕の目の前の席で食事をしているアンナが挙手した。
「…ん?」
僕は食べる手を止めた。ヴァルバはと言うと……彼女に目をやりながらまだ食ってやがる。
「あの…お二人は、旅人ですか?」
「ああ、そうだけど」
パンを頬張りながら、ヴァルバは言った。ヴァルバはともかく、僕は違うような気がするけど…。まぁ、人探しの旅みたいなもんだからな。
「それがどうかしたのか?」
「…実は、折り入ってお願いしたいことがあるんですよ」
女将さんが言った。少し神妙さを漂わせていたのを感知したのか、ヴァルバは食事を止めた。
「この子を、一緒に連れて行ってくれませんか?」
僕たちは目をパチクリさせた。
一緒に…って、おいおい。展開が速いよ。
「ダメですね」
少しの間を置き、ヴァルバは言った。
「…込み入った事情があるのはなんとなくですが察します。…ですが、いくらなんでも初見の俺たちに頼むような話ではないと思いますよ。それに、彼女はまだ幼い。危険です」
どこぞのエリート社員の丁寧な話し方のように、ヴァルバは淡々と述べる。
「ヴァルバ……でも…」
「俺がお前を拾ったのは、男で、十分しっかりしていると思ったからだ。そもそも、女性を旅に参加させるっていうことだけでも俺は反対なんだ」
僕は旅をするということが、どれほど危険を伴うのかわからない。けど、ヴァルバの顔を見てみれば旅というのがどんなものなのかが、どことなく察することができる。
「…とにかく、連れて行く・行かないかは、話を聞いてから決めてもいいんじゃないか?」
僕がそう提案すると、ヴァルバは少しため息をついた。
「お前ってやつは……。まぁ……放っておけないのはわからんでもないしな」
ヴァルバは座り直した。
「んじゃ……どういった事情で、君は同行を願い出たんだ?」
「……わかりました」
アンナも、真剣な面持ちになっていた。
「……私は姉を探したいんです」
「姉?」
「…この子には、9歳離れた姉がいたんだ。リノアンと言って、母親譲りの赤毛だったよ」
母親譲り? …そうか。たぶん、この女将さんは本当の母親じゃないんだろう。でなければ、そんなこと言わないはずだ。
「…もともと、アンナの家はとある貴族の家柄だったんだ。けど、10年ほど前に取り潰されて、アンナとリノアンは離れ離れになってしまった」
そんな姉が、4年前に突然フィアナ村に来たのだという。
「知り合った男性のおかげで、監禁されてる場所から逃げ出すことができたらしいんです。…でも、2年前に……お姉ちゃんはまたさらわれてしまったんです……」
「…………」
「…まさか、お姉さんをさらったのは…監禁してた奴ら……?」
僕は少し声が小さくなった。
「…たぶん、そうです」
「…つまり、君はお姉さんを見つけるためにある所に行きたいってこと…だな?」
ヴァルバがそう言うと、彼女はうなずいた。
「そして、お姉さんがいるであろう場所も知ってる。そうだな?」
同じようにうなずく。
「えっ……わかってるのか?」
「はい。……ルテティアです」
ルテティアってことは…この国の王都か?
「どうしてそれが?」
「…私、お姉ちゃんが誘拐される現場にいたんです」
アンナは顔を伏せ、当時のことを話し始めた。
2年前、アンナはリノアンさんと一緒に近くの川へ水を汲みに行ったのだと言う。すでに夕方で、暗くなり始めていた時間帯であった。
水を汲み終わり、帰ろうとした時……その男は現れた。何人かの武装した兵を連れ、首謀者であろう男はリノアンさんを気絶させ、さらっていったのだ。アンナは何もされず、ただ恐怖で怯えていた。
幼い少女に、何ができようか……。
「…私、覚えているんです。あの時、青黒いマントをかぶった男が連れていた兵士の鎧に、王家の紋章……〈金色の鷹〉があったのを……」
「金色の鷹……なるほど……」
ふむ、とヴァルバは唸った。
「? 金色の鷹?」
「ルテティアの王家……ルシタニア家の家紋だよ。それにしても、鎧に王家の家紋……ということは、王家直属の兵か…あるいは王室特務師団か……」
ヴァルバは独り言のように呟いた。
「その家紋ってのは、特別な兵士しか付けられないってことか?」
「ん? ああ、そうだ。一般的に、王家にゆかりのある軍団や大きな功労を挙げた人間に許されるものなんだが、昨今では王室直属の機関に配属された者にも許されているらしい」
「…つまり、リノアンさんをさらったのはこの国ってこと?」
アンナは「たぶん」と言ってうなずいた。
「ルテティアにいるかもしれないってのはわかったけど…だからって、それだけの情報じゃ王都に行ったってどうしようもできないかもな。王都って限りなく広いしだろうし」
「いえ、確信はあります。帰って来た時、お姉ちゃんが言ってました」
彼女は首を振った。
「お姉ちゃんは…〈呪術研究院〉という場所に監禁されてたって…」
「呪術研究院…? まさか、王室特務機関の…」
僕はヴァルバの肩をつついた。
「あのさ……何? それ」
あ、そっかという顔をしたヴァルバ。
「えっとな……ルテティア国王直属の機関ってのがこの国にはあって、王室親衛隊である『緋王騎士団』とかがあって、魔法やエレメンタル、科学・生物学などを専門に研究するのが『呪術研究院』って言うんだ」
…なんか、よくわからん専門用語まで出てきたな…。
「いまいち理解できないんだけど…」
「…あのな…」
ヴァルバは苦笑しながらうなだれた。
「…ともかく、その呪術研究院ってのは王様の命令で研究をしていて、そこは王都にあるってことなんだろ?」
「まぁ、そうだけど……」
「なんだ、じゃあ話が早いじゃないか。さっさと行けばいいんだよ」
「お前な…簡単に言うが、王室特務機関は王城の中にあって、一般人には非公開になってるんだよ。そんなところに、どうやって行くっていうんだよ?」
呆れ顔で言うヴァルバに、僕はイラっとした。
「んなの、着いてから考えるに決まってんだろ?」
「…な、何?」
「ここでとやかく言ったって、ここは王都でもないんだ。こんな所であれこれ考えても、何の解決策は見つからないよ。王都に行って情報を集めるのが、一番賢明だと思うけど?」
「おいおい。そもそも、俺は連れて行くなんて一言も……」
「お姉さんを心配してるアンナの気持ちを考えてやれよ。たとえ危険であったとしても、行かなきゃならない時だってある。行動しなきゃ、結果もくそもない。…助けを求めてんだ。それを放っておくなんて、男の風上にも置けないね」
僕はきっぱりと言い放った。ヴァルバの顔は「やれやれ」というものだった。
「ヴァルバがなんと言おうと、僕は彼女の同行に賛成だね。考えてもみろよ。アンナはまだ少女なのに、勇気を振り絞って同行を願い出たんだ。それも、見知らぬ男性二人にだぜ? どれだけお姉さんのことを想っているのか容易に想像できるじゃないか。それでも、ヴァルバは反対するってのか?」
「…………」
そう言いきると、僕は彼女に顔を向けた。
「アンナ、僕は君と一緒に行く。君の手伝いをさせてくれ」
「…ソラさん……ありがとうございます」
さっきまでの哀しそうな彼女の顔が、少し喜びに変わってくれた。
「…あくまで一般論を言ったつもりなんだが……まったく、そこまで言われたら、許可しないといけないかな」
ヴァルバは頭をかきながらため息をついた。
「わかったよ。アンナ、君の同行を許可しよう。どうせ、俺……俺たちは自由気ままに放浪する旅人だからな。目的地があった方が旅のし甲斐があるってもんだ」
「あ……ありがとうございます!」
アンナは大きく頭を下げた時、勢い余っておでこをテーブルにぶつけてしまった。思わず、僕とヴァルバは吹き出してしまった。
「お、おいおい……大丈夫かよ?」
口元を押さえながら、ヴァルバは言った。
「す、すみません…」
「この子、すごくおっちょこちょいでね」
えへへと笑うその姿は、とてもかわいらしかった。
「よかった……。この子、どうしてもあなたたちと一緒に行きたいって言って聴かなくてね」
ようやく、女将さんにも笑顔が戻った。
「さて、と……話がまとまったところで、準備しますか」
ヴァルバはぬるま湯程度になったホットミルクを一気に飲み干し、立ち上がった。
「あれだけ反対してた割には、行動は早いんだな」
「言っただろ? 俺はあくまで一般論を言っただけだって。俺だって、こんな健気な少女を放っておけるかっての」
そんな彼のひげ面は妙に面白かった。
「…都合のいい奴だなぁ」
「ハハハ、気にすんな。ほら、荷物まとめるぞ」
「はいよー」
僕はやる気があるのに無いような声で答えた。
「まったく………」
ヴァルバはため息を漏らした。
「………これも、運命か………」
ヴァルバは小さな声で、何かを言った。そういう風に感じた。
「…? なんか言った?」
「なんも言ってねぇよ、俺は」
準備を済ました後、僕たちは宿屋のおばさんからあるものを受け取った。
「これは…?」
「お金さ。アンナを連れて行ってくれるお礼だよ」
「…ちょ、ちょっと……こんなにたくさんもらえませんよ!」
お金が入れられた袋を掴んだヴァルバは言った。
「そのくらいさせておくれよ。…私にできる、唯一の手助けなんだからさ」
「……そうは言われても……」
ヴァルバは苦笑いをして僕の方に顔を向けた。後で聞いた話では、100万セルトほどあったらしい。日本円で……いくらだ? 一般平民のヴァルバが驚くくらいだから……数十万か、数百万か?
手渡した後のおばさんの大きな笑顔は、強く見えた。……母親、か。
「アンナ、頑張ってね」
「うん……絶対に、お姉ちゃんを見つけて帰って来るから……絶対に…」
顔を伏せていたアンナの肩が小さく震え始めた。
「…ほら、泣くんじゃないよ。あんたが決めたことだ。後悔せず、前だけを見つめないと」
おばさんはアンナの頭を優しくなで始めた。
「だって……なんて…お礼を言えば……」
「…お礼なんていいよ。あんたのおかげで、私の田舎暮らしは楽しくなった。アンナがいてくれたから、寂しい思いをせずにすんだよ」
「う…ぅ……」
涙を流し始めたアンナを、おばさんは優しく抱き締めた。それは、本当の親子のようであった。…血が繋がっていようがいまいが、二人は本当の親子だった。
「…頑張るんだよ…」
「うん……ありがとう………ありがとう……お母さん…」
僕とヴァルバは馬車に乗り込んだ。
「ほら、アンナ」
「あ…、ありがとうございます…」
僕は彼女の手を取り、馬車に引き上げた。
「それじゃあ行きますか。…今日のお天道様も、張り切ってるね」
眩しそうに彼は上空を見上げた。
「それじゃあ、行って来ます……お母さん」
「ああ。無理するんじゃないよ。お二人さん、アンナのことをよろしくね」
「大丈夫ですよ。大船に乗ったつもりで任せてください」
僕はニッコリ微笑んだ。
「ま、お前じゃあ心許ないけどな」
「…いちいちうるさい。ほら、さっさと馬ちゃんたちを動かしなさい」
「よっしゃぁ。元気に、明るく行きましょうかねぇ」
ヴァルバの合図とともに、馬車は動き始めた。まだ朝の陽気漂う中で、僕たちは草原の向こうへ進み始めた。
「…アンナ……どうか、生きて帰ってきてよ…」
哀しみを浮かべた女将さんは、青空を睨んだ。
「…ステファン……ベオウルフ…。待っていなさい。災いをあんたたちに降らせてあげるよ……」
緑だらけの草原。四方八方がそればかりの中、僕たちはのんびり進んでいた。こうしていると、馬のひづめの音ってのはなんだか安心させてくれる。穏やかな空気を作ってくれるというか…。とはいえ、激しくなったらなったで、非常事態っぽいのだが。
「……あーぁ……村がもうあんな遠くに……」
アンナは村の方向を見ながらぽつりと言った。
「あっという間だな」
僕はアンナの隣に座った。
「そう言えばさ、アンナが貴族の生まれって、ホントなのか?」
彼女は少し間をおいて、僕の方に顔を向けた。
「…私は元々、ヴィンラントという都市を治める貴族の生まれ…らしいんです。あの頃はまだ小さかったし、あまり記憶にないんですけど…」
「ヴィンラントって言うと……ブルターニュ伯爵か?」
後ろで、ヴァルバが少し大きめの声で言った。
「え、えぇ…たしかそんな名前でした」
「そっか……君は、あのブルターニュ伯爵のご令嬢だったのか」
どうやら、そのブルターニュ伯爵とは由緒正しい一族であったらしく、過去の戦争で多くの武功を挙げたのだという。
「たしかに、ブルターニュ伯爵家は10年くらい前に取り潰されたと聞いたな。…何でも、当主が戦死して跡取りがいなくなったとかで」
「…その当主が、私の父です」
アンナは顔を俯かせた。10年ほど昔なのだから、彼女はあまり記憶にないに違いない。…それでも、父が死んだというのは……理解しようのない悲しみがある。
「……今現在、ヴィンラントはブルターニュ伯爵家が取り潰された後、王国宰相レオポルトが治めていると聞いたがな」
「え? あの宰相様が…?」
「…有名なの?」
置いてけぼりな僕。
「レオポルト=ヴァッシュ。たしかまだ36歳で、ヴァッシュ家当主にして宰相になったかなりのやり手のもんさ。爵位も公爵だし、王の信頼も厚い。将来、国を背負う者になるだろうな」
「…まさかとは思うけど、その宰相がアンナの家をめちゃくちゃにしたんじゃないのか?」
跡取りがいないからヴァッシュ家のものに…なんてのは都合がいい気がするけど。
「可能性としてはなくもないが、滅多なことは言うもんじゃないよ。それに、レオポルト公には悪い噂が全くと言っていいほどないからな」
僕の予想は簡単に打ち砕かれた。実際に会ってみないと宰相がそう言う人なのかどうかは知らないが、ただの民衆がそう言っているならそうなのかもしれない。確信が持てないことは嫌なんだけど。……行き当たりばったりな選択ばかりしてるけどね。
「…やっぱり、王室特務機関〈呪術研究院〉が怪しい、か…」
「だろうな。あそこは、前々からよくない噂を聞くからな」
「というと?」
例えば…と、ヴァルバはひげを触り始めた。
「生きた動物を使って実験を使っているとか、戦乱や病気で死んだ人の肉体を回収して、変な実験をしているとか…」
それを聞いたとたん、気持ち悪くなってきた。まぁ……生体実験などをしてるってことを聞いてから、どことなく想像はしていたんだが…。
「あくまで噂…なんだがここ最近、誘拐事件が多発しているんだよな…」
「誘拐事件……ですか?」
「ここ数カ月の間に、王侯貴族の少女が何人も誘拐されたらしいんだ。これはルテティアだけでなく、ゼテギネアなどの他国でも起こっているらしい」
少女が誘拐される……!?
「現場に居合わせた人は何人かいるんだが、犯人はいずれも巨体で、強靭な筋肉を持った男性だということだ」
そこで僕は確信した。
奴だ……奴らだ。
空をさらった…あの男……。
――憎むか――?
「……っ…!!」
小さな電流のような痛みが走る。ほんの一瞬だけだったが、僕は思わず頭を抱えてしまった。
「ソラさん? どうしたんですか?」
「いや…何でもないよ。それより……」
少し頭を振り、意識をしっかりさせる。
「それより、その話……詳しく聴かせてくれないか?」
僕は立ち上がり、ヴァルバの傍に言った。
「詳しくって言われてもな……」
ヴァルバは頭をかしげた。
「……ただ、巷の噂では国家規模の誘拐なんじゃないかって言われてるらしいけどな」
「国家規模……?」
アンナのお姉さんは兵士を連れた屈強な男性にさらわれた。そして、その兵士たちの鎧にはルテティア王家の家紋〈金色の鷹〉があった…。
噂の国家規模による犯罪……。
「…もし、それが本当なら呪術研究院にみんなさらわれてしまったっていうこと…か?」
「アンナの言っていることが正しいとすれば、そうかもしれないな」
「だったら、早くルテティアへ行こう!」
いつの間にか、僕は声を大きくしていた。
「ど…どうしたんだよ? 突然」
ヴァルバは僕をチラッと見た。馬を操作しているため、あまり目が離せないようだ。
「いや……」
これから、たぶんこのメンツで旅をしていくことになる。何でかわからないけど、直感的にそう思う。空を探すには情報が集まるような場所……そう、王都のような人の多い場所に行くことが大事だと。だからこそ、アンナを連れて行くことに賛成した。もちろん、彼女の意思も尊重してだ。
空を助けるためにこの世界に来た。なら、協力を求めるのが一番いい。リサが言うように、空をさらった奴の背後にいる「何か」は甘いもんじゃないとしたら、一人でどうにかなる話じゃない。
そして、仲間を作るのが賢明だ。その仲間を作るためには、隠しごとをしてはならないと思う。じゃないと信頼してもらえないからだ。信頼してほしいのならば、信頼しなければならない。だから、本当のことを言わなければならないのだ。
僕は少しつばを飲み込んだ。
「……実はさ、二人に…言っておきたいことがあるんだ」
「…………ん??」
「驚かないで聞いてくれよ?」
僕は自分のことを話した。自分がどこから来て、何のためにこの世界にやって来たのか。
ガイアとレイディアントという二つの世界。幼馴染がレイディアントの世界の何者かにさらわれたこと。
話し終えた時、二人は驚きを隠せなかった。
「…あの…さ、信じてもらえるかな?」
僕は二人を見渡しながら言った。
「………遥か太古の昔、時と星、あらゆるものが生まれたとき、一組の双子が生まれた……」
突然、ヴァルバが何かを淡々と話し始めた。
「…兄を赤の子、妹を青の子と呼ぶ。二人は命と時を紡ぎ、世界を創る。ある時、遥か彼方より現れし災いにより、二人は離れ離れとなる。二人の肉体は星の大地となり、二つの世界が生まれた。…兄の世界はレイディアント。妹の世界はガイア…。全てを握りし者、神々の呪いが刻まれし呪縛にて永遠に彷徨う………」
「…それって…」
ヴァルバは小さくうなずいた。
「ああ…。〈創世神話〉の第1部、第1章さ」
「…新たなる創造主……古の災厄を持って、二つの破滅を取り除く…ですっけ?」
「そうそう。たしか、そう続くんだよな」
「………?」
僕は頭をかしげた。
「…まさか、本当にガイアがあったなんてな」
「…信じてくれるのか?」
そう言うと、二人はニッコリと微笑んだ。
「信じるよ。もちろん」
「私もです。…ソラさん、とても嘘を言っているようには見えません」
「ヴァルバ…アンナ……ありがとう」
本当にそう思った。別世界だのなんだの、そんなことを言う奴は気が触れてるんじゃないかって思われても仕方がないって思っていたからだ。
誰かに自分を信じてもらえるってのは、いいもんだ。……ガイアにいた頃、思い知らされたもんな……。
「それにしても、幼馴染を助けるため単身別世界に来るなんてなぁ…。なかなか、かっこいいことするじゃないか」
「な、なんだよ…?」
ヴァルバはニヤニヤしている。あんまり訊かれてほしくないところを訊いてきそうで怖い…。
「本当にすごいです。私じゃあ……無理です。さらわれた幼馴染の方のために、ここまで来るなんてこと……」
「な、何言ってんだ。アンナだって、同じようなことをしてるじゃないか」
「…同じ世界の別の所に行くのと、別世界に行くのは次元が違うと思います。だって、文化も…人も違うじゃないですか。…とてもかっこいいです」
「…………」
アンナは微笑んだ。やばいな……照れる。
「…ソラの話を聞く限りじゃあ、アンナのお姉さんをさらった奴と同一人物と考えてもあながち間違っていないかもしれないな」
「…犯人は同一人物による犯行…と仮定すれば、やっぱり王都…ですかね」
「そこが妥当だろうな。やっぱり、呪術研究院は怪しすぎるし……」
とは言え断言もできないが、とヴァルバは付け加えた。
「王室特務機関は王城に設置されている。そこに行くしかない、か」
ヴァルバはなぜか小さくため息をついた。
「ところで、どうやってルテティアへ行くんだ?」
「方向的にはここから北に行けばいいんだが、北にはパルティア山脈があるため、海路を利用して行くか、東の〈ダーナ砂漠〉を通って北上するか……。砂漠を通るのは危険だから、無難に海路を行く方がいいだろうな」
たしかに、砂漠は嫌だ…。想像を絶するだろう…。方向感覚失って、彷徨って、のどカラカラになって、ミイラみたいに干からびて…。あぁ、想像すんじゃなかった。
「とりあえず〈ミレトス〉っていう町に行こう」
「ミレトス?」
「この大陸の最西端にある、貿易都市ですよ。2大陸の中では最も盛んに商業活動が行われていて、諸国からいろいろなものが集まるんです」
つまり、昔のコンスタンティノープルみたいなもんかな?
「ミレトスから船に乗って北上し、王都に近い〈ランディアナ〉から陸地を渡って行くしかないな」
王都まで行くのに、結構な長旅になりそうだな…。
「…あの、ちょっといいですか?」
突然、アンナはまるで先生に質問するかのように、挙手した。
「ヴァルバさんって……ルテティアの方ですか?」
「…え?」
「ルテティアの土地や、情報に詳しいですよね? だから、ルテティア人ですか?」
「……まぁ、そんな…もんかな…たぶん」
なぜか、ヴァルバははぐらかした。
「…………? そうですか……」
アンナはこれ以上、訊こうとしなかった。言わないということは、言いたくないってことかもしれない。それを彼女は察したのだろう。
たかが出身地……もしかしたら、ヴァルバはこの国の人にとって忌み嫌われるような土地で産まれたのかもしれない。あるいは、自分の生まれに対して憎悪を抱いている、とか…。
「俺は陰鬱な場所で生まれてね。そこは閉鎖された場所だったんだ」
だから、言いたくないのだろうか。…それとも……。
いや、これ以上自分の憶測だけで考えるのはよそう。他人のことで首を突っ込んでいいことと、ダメなことがあるのだから。