第四部③ ~虚ろな瞳~
ユリウスの狙いは、サリアだった。なぜ彼女を狙うのか――シリウスは彼に問うた。
「“星の遺産”を起動するためだ」
星の遺産――それは、天空都市群の核となっている物体のことで、この時代では“セレスティアル”と呼ばれていた。だからこそ、サリアを狙ったのだ。
“ティルナノグの巫女”と呼ばれる、ある“エレメンタル”を保持した女性。それは人の中に息衝く、星自身の元素を属性として持つことを意味し、セレスティアルを制御することができる。この時代、その力を持った女性は二人存在していた。
それがサリアと、レナである。
「兄さん、何をするつもりだ? まさか……」
シリウスは嫌な予感を抱いていた。“調停者”になることで、自身の脳裏に流れ込んできた、数多の言霊と記憶の階層。それは遥か太古の時代を生きた、様々な者たちの魂の情景だった。
「そうか……! サリアたちを利用して、セレスティアルをメルトダウンさせるつもりか……!」
シリウスがそう言うと、ユリウスは歪んだ笑顔をして見せた。セレスティアルを制御する二人を利用し、エネルギーを逆流させ大爆発――メルトダウンを引き起こし、世界を滅ぼす。自身もろとも、世界を消し去ろうというのだ。
「そんなことをして、何になるって言うんだ! 何も解決しない。何も変わらない!」
「解決も変化も、必要ない。世界は消える。そうなれば、何もいらない。そうだろう?」
さも当然かのように、ユリウスは首を傾げながら言った。
「求めるから、人は奪い合う。求めてやまないから、人は殺し合うことを止めることが出来ない。そう……どうしようもない。その運命から逃れられないというのならば、運命そのものを破壊すればいい。何もかもを無くす。それが俺の――この“ロキ”の力が存在する理由だ」
「馬鹿げた理屈だよ」
対峙するユリウスたちの間に割って入ってきたのは――ロスメルタだった。
「ユリウス、あんたは逃げたんだ。世界を正し、導くことから。あんたにはそれだけの力があったし、資格もあった。でも……」
ロスメルタは拳を強く握りしめ、顔を歪ませた。それは今までの、様々な感情が渦巻いている故だった。彼らと出会って、二年以上の月日が経った。頼りにしていたのに――信じていたのに。
「辛いことから逃げて、楽な方法を選び取ったんだ。世界が悪いから……他人が悪いから。そうやって責任転嫁して、自分の心が癒されるとでも言うの?」
違うでしょ!? と、ロスメルタは叫ぶ。
「あんたのしようとしていることは、駄々をこねる子供と同じだ! シリウスのように、生きて……方法を模索しようとすることもせずに、自分の運命や血を呪って、世界を憎んでさ! そんなことをして、リタが喜ぶとでも思ってんの!?」
「――お前に、何がわかる!」
リタの名を出した瞬間、ユリウスは激情を吐き出した。それは、今まで彼女には向けたことのない感情の現れだった。
「リタのためにしているんじゃない。俺自身のためだ! この呪われた螺旋を破壊し、世界を無くす。全てを無に帰すことで、また始まりの時が刻まれる。復讐だのなんだの、そんなくだらないものではない!」
「じゃあ、なんでそんな顔をするのさ!」
間髪入れずに、ロスメルタは言った。その漆黒の瞳には、涙が浮かんでいる。
「私には、あんたが無理しているようにしか見えないよ。ユリウス……あんたは、そんな人間じゃないはず。私が知っているあんたは、世界を殺すとか……そんな大それたことはできない。だって、優しいから」
諭すように、彼女は続ける。
「リタに比べれば、付き合いは短いよ。それでも、あんたはそんなことをするべきじゃない。もっと、別のことが出来る人間だ――って、思ってる」
彼女の言葉に、ユリウスは言葉を失っていた。ユリウス自身が求めていたものの一つが、そこにある。何なのかがわからぬまま、もがいてきた。
そうか――
俺は、認めてほしかったんだ。
誰かに――
「何を言っているの?」
そこの空間に、小さくもはっきりとした声が入り込む。まるで裂けた割れ目が埋まるかのように。
「兄さまのこと、何を知っているって言うの? 冗談もほどほどにしてくれないかな」
フラッとその場に現れたのは――
「レナ!?」
思わず、シリウスはその名を呼ぶ。よかった、無事だったんだ――と思った瞬間、彼は気付く。彼だけでなく、その場にいる人間全員が。
虚ろな瞳を浮かべた少女。そこに、優しく微笑んでいたレナの姿はなかった。いや、微笑んでいるのだ。しかしながら、それは今までのものとは似ても似つかわしくないものに変貌していた。
シリウスは思う――空っぽの笑顔だと。
「兄さまは愛を与えてくれた。愛を与えられる人間が、この世界にどれだけいると思うの? あなたでは無理よ。戦うことばかり考える、野蛮なお姫様」
レナはロスメルタを指差し、蔑視した。
「……あんた、喧嘩売ってんの?」
ロスメルタは呆れた面持ちで、そう言った。この女は、初めから胡散臭かった。信用ならないとは思っていたから、驚きもしなかった。
「最初に売ってきたのはあなたじゃない。兄さまを理解できるのは……私だけ」
だから――
その刹那、何かが落ちる音が届く。何が落ちたのかに気付いた時、ロスメルタは悲鳴を上げた。そこに落ちていたのは、彼女の左腕だった。
「ああああああぁああぁ!!!」
「ロ、ロスメルタ!」
思わず、シリウスは声を上げる。その時、ユリウスが攻撃を仕掛けてきた。瞬時に“聖魔の神剣ティルフィング”で応戦する。
「兄さん……! ロスメルタに、何を!!」
鍔迫り合いをしながら、シリウスは兄を睨みつける。
「俺を取り込もうなんて、そうはいかない。わかってるんだよ。地上の奴らは、俺を利用したいだけだということを」
「な、何を馬鹿なことを!?」
驚くシリウスをしり目に、ユリウスはほくそ笑んでいた。
「俺たちの力を使って、目的を果たしたいんだよ。その女は」
俺たち――即ち、今具現化しているこの力だ。
「自分にできないことを、他者に預けようとしている。反吐が出るんだよ、そういう輩は」
「何……言っているんだ! ロスメルタだぞ!? 彼女がそんなことをすると、本気で思っているのか!」
シリウスは怒気を孕んだ声を発する。それは凡そ、兄に向けて発したことのないものだった。容易にそうさせるほど、兄の言葉は許せなかったのだ。
「今までだってそうだったじゃないか。忘れたのか?」
その言葉に、シリウスはハッとする。
帝都でも、地上でも。
「“あの存在”との対話で理解したんだろう? この力故に、争いが周りで繰り返される。俺たちなんて、初めからいない方がよかったのさ」
「…………」
それは、以前自身も放った言葉だった。月夜の草原の上で。
でも、自分には受け止めてくれる人が――それを否定してくれる人がいた。兄さんにはいないのか? レナは? どうして、二人はこうなってしまっているんだ。
殺し合おうというのに、シリウスは突然、果てのない悲しみが全身を覆ってゆくことに気付く。僕は単純に恵まれているだけなのかもしれない、と。
「……たとえそうだとしても、僕は兄さんを止める。止めて見せる!」
シリウスは歯を強く食いしばり、ユリウスに対し強い目を向けた。その悲しみを――怒りを受け止める人がいないというならば、僕がそれを受け止めて見せる。世界でたった一人の、家族のために。
「お前なんぞに、止められてたまるか!」
激しい戦いが、始まる――
それは、まさに“調停者同士”にしかできない、人外の力のぶつかり合いだった。
「ああ、兄さま……。そうよ、それでいいの」
レナはその様を、恍惚とした表情を浮かべ見つめていた。まるで殺し合いを見つつ酒を嗜む、残虐の限りを尽くす為政者のように。
「私たちを否定する人たちなんて……殺してしまえばいいわ。滅尽滅相、それが求める形。そうでしょう?」




