第四部① ~心とその温もり~
第四部 ――世界の終わりを望んで――
ユリウスは行方をくらませた。しかも、レナと共に。
クイクルムの生き残った人たちも、ユリウスによって惨殺されていた。彼の中で、怒りだけが体に宿る感情だったかのように。
二人の行方を捜すも、手がかりは何も見つからなかった。帝国軍の追ってもあり、シリウスたちイデアの残党軍は安全とされる南の大陸――ロンバルディア大陸へ渡った。
ロンバルディア大陸。
そこは遥か古の時代、ヴァナヘイム文明が起こったとされる伝説の地の名を冠された大陸だった。その文明はほとんどの文献が残っておらず、“審判の日”と呼ばれるものにより、文明は滅亡したと伝えられていた。
当時のロンバルディア大陸は、新暦の時代(EPISODEⅣの頃)では砂漠化してしまっていた南東部にも緑が溢れており、グラン大陸よりも気候が穏やかなため、人口もそこそこ多かった。グラン大陸は帝国の管轄都市が多く科学技術もそれなりに流れていたため、人々の生活は豊かだった。逆にロンバルディア大陸は浮遊都市群から離れすぎていることもあり、自由な風土が形成されていた。その反面、科学はそこまで進歩していなかった。
ロスメルタたちイデアの人間は、ロンバルディア大陸南東部から派生した遊牧民族の出であり、フィンはある部族の長の息子だった。その伝手を頼り、ロスメルタはまだ会ったことのない祖父へ会いに行くことを提案。それは憔悴しきった兵士の慰労も兼ねてだが、何よりシリウスのことが心配だったのだ。
一行はロンバルディア大陸南東部――通称“イデア地方”へ赴き、しばしの休息を得た。
シリウスは考えていた。兄はどうなってしまったのだろうか。
異様なエレメンタルの動き。今まで自分たちが扱っていたものとは、次元が違うものだった。いつだったか、フィンが言っていた。“聖魔術”――と。
フィンの父・フーリンは言う。それは“神の力”だと
フーリンらディルムン家は、遡れば創始暦よりもずっと昔――神国戦争が長らく続いていた“創世歴時代”から続く一族だった。
伝承の中に在るものだが、とフーリンは前置きをして話し始めた。
ヴァナヘイム文明の時代、人類は“星の心”と“星の人”を手に入れた。
そこへ、神が降臨した。人類はその神へ“星の心”と“星の人”を捧げた。神は代わりに、人類に力を授けた。それが現代へ続く魔法の力の基である。
そして、最たる者が――世界を平らげ至上天帝リュングヴィ1世と謳われた“カイン=ウラノス”だった。彼は一般の平民だったが、カナンの地に連れて行かれ人体実験の結果、エレメンタルの力に目覚めたという。
ヴァナヘイム文明の頃の内容は、口伝による伝承でロンバルディア大陸に伝わるもので、真偽のほどは定かでない。ただ、実際にカインという“神の如き力を持った人間”がいたのは事実であり、少なくとも人類そのものに何かをした――或いは施した“存在”がいたことは確かである。
カナンの地――そこは、ロンバルディア大陸の西に位置する、アルカディア大陸の南西部にあるリーベリア地方にある禁忌の地とされている。
「行ってみたらどうだ? 君はカインの末裔なのだ。もし、力を求めているのならば……可能性はあるだろう」
フーリンは、彼の悩みを見抜いていた。力があれば、たくさんの人を――大切な人たちを護れたのに。その後悔が強いことに、気付いていたのだ。
事実、シリウスはずっと悩んでいた。
きっと、兄さんは自分以上に苦しんでいた。リタを死なせてしまったのは、他でもない自分たちだと。それでも、行きようのない怒りを抑えることができなかった。……たぶん、彼らが一言でも……謝ってくれたら……違ったのかもしれない。
――お前たちのせいだ――
本当の故郷だと、思っていた。両親がおらず、行く当てのない僕たちを暖かく見守り、育ててくれた。
買い物に行くと、「今日はおつかいかい?」なんて声を掛けてくれた、近所のおじさん。
壊れた宿屋のベッドを補修してくれた、何でも屋の手本にした家具屋の兄ちゃん。
一年のほとんどを他エリアで働き、帰ってきたら土産話と共に現地のおいしいものをくれたおっちゃん。
……みんな、リタを穢していた。自分たちは悪くない……そう言えるだけ、彼らは罪の意識から逃れられていたのかもしれない。
シリウスは、不思議と涙を流していた。
思い返せば、泣くことなんてほとんどしなかったのに。いつ以来の涙だろう――と思いつつも、彼はそれを止めることが出来なかった。
あの頃の暖かさも、想い出も、みんなの声も、笑顔も……消えてなくなってしまった。一生拭うことのできない色で穢されて。
「シリウス?」
月夜が照らす草原の中で、シリウスを探していたサリアは、彼を見つけホッとした。だが、そこにいた彼は……大粒の涙を流し続けていた。
「ど、どうしたの?」
「…………」
「ねぇ、シリウス? だ……大丈夫?」
「僕は……無力だ。何も、できなかった」
彼は呟くように、言った。聞こえてほしくないのか、それとも聞いてほしいのか。それが曖昧なくらいに。
「兄さんの気持ち、わかるんだ。……僕は……僕たちは、結局自分たちの血に抗えない。天帝の血があるから、争いが起こる。帝都でもそうだった。……自分たちの権威のために、兄さんを利用しようとする人間ばかりだった」
地上でもそうだよ――と、彼は続けた。
「僕たちが魔法を扱えるから……特別扱いされていた。他者と違うから、最後には忌み嫌われる。僕たちがいなければ、クイクルムの人たちも……リタも……頭領だって、死なずに済んだかもしれない。全部、僕のせいなんだ。元はと言えば、僕は……」
「シリウス、そんなことない。あなたのせいじゃない」
サリアは否定するように、首を振った。胸が痛む。そんなことないよ、と大声で叫びたい。でも、できない。意味もなく、怖いから。
「そうさ……あの時も、僕が兄さんを……兄上を誘わなければ……」
彼はクーデターを画策した時のことを思い出していた。昔の文献を読んでいる中で、過去の動乱に目を奪われた。僕たちなら、きっと叔父上からこの国を取り戻すことが出来る。そんな幼稚な勇気と中身のない野心のせいで、兄上を巻き込んでしまった。
「そうだよ。全部、僕のせいだ。僕が生きていなければ……生まれなければ、こんなことにならなかった。みんな、失わずに済んだんだ」
全部、自分のせいだ。
「僕さえいなければ、何もかも全て――」
「シリウス!」
その瞬間、彼に衝撃が走る。それは驚いたということではない、渇いた音と痛みが、頬から全身へ響いていく。サリアはその原因となった自分の掌を胸に当て、彼を強く見つめた。
「何もわかってないよ。何もわかってない!」
彼女に似つかわしくない、大声だった。月夜の空と、澄んだ大気の中をそれが駆けてゆく。
「あなたが、どれだけ周囲の人に必要とされているか……わからないの?」
諭すように、今度は優しく語り掛けた。それは自分と同い年の女性とは思えないほどのものだった。
「イデア軍に来て、皆口々に言っていたよ。……あなたのことを」
どれだけ頼りにされているかを。
「些細なことに気付いて、悩んでいたらすぐに声を掛けてくれる。誰にも優しくて、前向きで。あなたに何度も助けられたって……みんな言っていた」
「……サリア……」
「あなたのことを、みんな……頼りにしているんだよ。それがわかるだけで、私が……どんなに誇らしかったか……わかる?」
冷気を孕んだ夜風が、彼女の翡翠色の髪の毛を優しくなでる。月夜に照らされたエメラルドグリーンの双眸は、水面のように潤んでいた。
「あなたに出逢えて、本当に良かった。生まれてきてくれて……ありがとう。そう言いたいくらい」
その言葉は、今の彼にとってどれだけ強く、強く刻まれたか――自分の存在意義そのものを肯定してくれたようなものだった。それがあらゆる人にとって、生き抜くための糧そのものであるように。
「だから……自分さえいなければ……なんて言わないで。あなたは必要とされている。みんなに」
零れる涙を、シリウスは止めたかった。それが自分のせいだとしても。彼女を泣かせたくない、そう思っていたのに。
「ごめん……サリア。僕は……」
シリウスも自身の涙を止めることが出来ず、そう謝るだけだった。
その時、彼は彼女に優しく――まるで柔らかい衣を抱くかのようにして、抱きしめられた。彼女の鼓動と、彼女自身の香り嗅覚と聴覚を支配する。
「謝らくていい。……いっそのこと、たくさん泣いちゃいなよ」
「え……」
サリアはクスッと、微笑んだ。
「ずっとユリウス兄さんを護って……たくさんのことを抱えていたんだから。今くらい、いいじゃない」
「……ありがとう、サリア……」
シリウスはサリアと同じように、彼女を抱きしめた。夜風は不思議と、彼らの温まった心と体をほのかに冷やしてくれていた。
満月が空の中心に浮かぶ。
二人はお互いにそれを見つめ、微笑む。
ユリウスもまた、その満月を――どこかで見つめていた。
決して、笑みを零さずに。