第三部⑤ ~忍び寄る牙~
それから、戦闘は激しくなっていった。イデア軍の活躍により、各地でガリア軍躍進の時よりも多くの反乱軍が立ち上がり、大陸全土に広がっていった。戦闘の激化を懸念したユリウスは、妻・リタをクイクルムへ避難させた。既に彼女は懐妊していたためでにある。
圧倒的な軍事力を持つ帝国は、ガリア軍を殲滅してからというものの、一向に事態を収束できずにいた。イデア軍が想像以上に強いというのも理由の一つではあるが、最大の要因は天空都市群における混乱だった。
反ガルザス派は、ガリア軍殲滅を受けて行動を開始したのだ。せめて帝国直轄領ロムルス地方を制圧……若しくは軍事衝突があればなおよかったが、その前にガリア軍がやられてしまったため、計画を早めたのだ。
彼らはかねてより賛同を得ていた各天空都市で反乱を起こさせた。それは政府の予測をはるかに上回る数で、さすがのガルザスも地上の戦力を天空へ向けるしかなかった。それは、地上の反乱軍を野放しにするという意味であった。
ガルザス自身は、その反ガルザス派が天空で反乱を起こすことまでは予測していた。そのため、ある程度の準備はしていたのだが、イデア軍が誤算だった。イデア軍はガリア軍と違い、主要都市を制圧したら即座に他エリアに移動していたため、なかなか殲滅することが出来なかった。さらにメインの物資調達を行うエリアも制圧されていたため、補給路を半分以上絶たれた結果、地上と天空、双方の混乱鎮圧が出来なかったのである。
ガルザスは一つの疑念を抱いていた。
メインの補給路――天空への物資調達装置を置いている都市――を知っているのは、政府の中でも知っている人間は少ない。それをイデア軍は正確に制圧できる……ということは、現政府内にイデア軍に情報を渡している人間がいるということ。それも、ガリア軍を隠れ蓑にして。つまり、反ガルザス派にも繋がっている人間の可能性がある。
ガリア軍殲滅後、反ガルザス派による反乱。そしてイデア軍の出没――
裏で操っている奴がいる。
そんな折、ガルザスにある“情報”が降ってくる。
ガルザスはすぐさま側近たちを集め、協議に入った。まずはイデア軍殲滅のために。
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イデア軍はロムルス地方を囲むようにして、各地方の主要都市のみを制圧していった。この戦いの中で、フェムトとアイオーン、ロスメルタたちは先頭に立って奮迅し、戦果を上げていった。特にアイオーンは戦略家としても優れており、対帝国軍戦ではほぼ負け無しだった。しかし、ロムルス地方に入る直前、“堅牢ダマスカス”と呼ばれる要塞をなかなか落とせずにいた。
ダマスカス――南部エリア・キサルピナ地方とロムルス地方の境に位置する巨大な要塞都市である。背には岩肌がむき出しの山が連なり、その斜面のあちこちに砲台が設置されており、正面からの攻撃はほぼ無意味に等しかった。
ここはロムルス地方に通じ、さらには最大の天空都市物資補給路としての役割も担っている。ここを落とせば、帝国軍にとって致命的となる。未だ天空都市群の反乱を鎮圧できていないため、軍をここへ割けない今こそ、最大の好機だった。
それでも、ここを包囲して1ヶ月。未だ戦況を打破するに至ってはいなかった。
「頭領、これを見てください」
フィンの執務室にアイオーン――シリウスが急いで入り、携帯電話のような端末から画像データを彼に見せた。そこには、ダマスカスの要塞を巡回しているであろう一人の男性の姿があった。
「……こいつは、まさか……」
「ええ、おそらく“ランスロット卿”かと」
シリウスは、こくりと頷く。
ランスロット卿――ランスロット=ウェル=ペンドラゴン。爵位は侯であり、帝国軍中将。実質帝国軍の実権を握っているのは彼と言われている。
強欲なガルザスがランスロットにある程度の軍事権を預けているには、理由がある。
まず、己の妻――非公式ではあるが――アムナリア=ペンドラゴンの従兄であり、代々帝国軍幹部を輩出している貴族家・ペンドラゴン家であるということ。
そして、単純な戦闘能力で言えば、自身に匹敵するからである。ペンドラゴン家は皇室の遠い血筋であるため、皇族に及ばないものの人外の力を持っていた。その一族の中で、最も突出していると言われたのがこのランスロット卿である。1年以上前、ガリア軍を殲滅したのも彼だった。
「今までに比べ、あちらさんの士気が高いとは感じていたが……やれやれ、厄介な奴が来たもんだ」
背もたれに全体重を預けるかのようにして、フィンはため息交じりに天井に目をやった。
「強敵ですね。あの時の“カナンの戦い”以降、地上戦では指揮を執らず、天空都市での反乱鎮圧に出向いていたと聞いていましたが」
地上戦に顔を出すとは、思ってもいなかった。シリウスはため息交じりに言った。
「“上”の戦いに一定の目途をつけたか、こちらを先に叩きたくなったか。或いは――」
「……ダマスカスは絶対に落とせないか、ですね」
シリウスの言葉に、フィンも大きく頷いた。
「おそらく、それが本音だろう」
それだけに、こちらとしてもダマスカスは絶対に落としたいところなんだが……如何せん、戦力差では到底埋められない地の利があちらさんにはある。
「指揮を執る人間が変わると、同じ軍隊とは思えないレベルに変貌するからなぁ。こりゃ、長丁場になりそうだ」
「戦線が硬直するとなると、仮に天空の内乱が鎮圧されていた場合、長引けば援軍が来る可能性があります。そうなると僕たちの方が不利になります。ここは天空の情報が入るまで、攻撃をせずに防御に徹するべきかと」
「そうだな……。以前、忍び込ませた“蟻”は起動しているか?」
「もちろんです。まだ本陣へは辿り着けてないみたいですが」
「できれば人の方がいいんだが……やむを得んか」
フィンがそう言うと、シリウスは苦虫を噛んだかのような表情を浮かべた。
「こればかりは難しいとしか言えません。帝国軍兵士は個体№が割り振られていますから……しょうがないです」
帝国兵には識別するための個別№が割り振られている。
「……アイオーン。もし攻めるとしたら、どうする?」
「攻める、ですか?」
うーん、とシリウスは顔をしかめた。
「……撤退と見せかけて、ダマスカスの敵をおびき出させ各個撃破。そのためには準備するための時間がしばらくいります。奴らがおびき出された隙に、別動隊は山を登り後ろから叩く、でしょうか」
「なるほど。だが、それもあちらさんは考えているだろうな」
フィンの問いに、シリウスはこくりと頷く。
「ええ。これはあくまで、あちらのトップが凡人だった場合です。ランスロット卿は、おそらく読んでいると思います」
「成す術、無しか?」
「……こちらに帝国軍の持っているような飛空艇があれば、可能性はあります」
「うちの欠点と言ったら、それなんだよなぁ」
飛空艇とは、擬似Cをエネルギーの核として使用しているもので、擬似Cは天空人且つ割り振られた№を持つ者でしか起動できないため、単純に飛空艇を得たからと言って扱えるわけではない。
イデア軍は個々の戦闘力が高く、ゲリラ的な戦いや小規模な戦闘に対して無類の強さを誇っているが、大局的な戦闘となると、策が乏しく状況を打破できないのだ。
「ここは素直に撤退するしかない、か」
「わかりました。ですが、ランスロット卿もそこまで読んでいるはず。撤退していないと見せかけて、撤退しなければいけません」
戦うことよりも、退くことの方が難儀だ。シリウスはそう考えていた。
イデア軍は戦況を変えることが出来ぬまま、撤退することになった。帝国軍もそれを追おうとはしなかった。もちろん、シリウスの言うようにランスロット卿はおびき出されて挟撃される可能性が高いことを予測していたというのもあるが、実は違う。
その夜、一つの連絡が入る。
「……クイクルムが……制圧された?」
ユリウスはその情報を聞き、呆然とした。彼らにとってもう一つの故郷――アガルタ地方のクイクルムが、帝国軍に制圧されたというのだ。
「あそこの人たちは、既に別の同胞軍が防衛していたはずだが……」
レーグは険しい表情を浮かべ、地図に目をやる。1年前にあそこを解放した後、帝国軍の脅威にさらされる懸念が高かったため、イデア軍は別の反乱軍を用意し、防衛に当たらせていた。尤も、クイクルムの住民はほとんどが僻地へ疎開しているため、残っているのは軍人のみのはずだった。
なのに、ユリウスとシリウスは、まるで光さえも抜け出せない深淵を覗き込んでしまったかのようなものだった。
映像と共に、音声が流れる。
そこに、懐かしい人たちが並べさせられて。
「聞こえるか? イデアの諸君――いや、ユリウス、シリウス」
そこに立っていたのは、己らの叔父であるガルザスだった。