第三部④ ~幼い心~
シリウスはなんとなく、感じていた。
あの時から、レナの様子がおかしいことに。
それは、リタを紹介した時のことだった。約1年前、クイクルムを帝国軍から解放した時、リタはその街に留まることを良しとせず、ユリウスたちと共に行くと言い出したのだ。
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リタが兄さんに対し、特別な感情を抱いていることは、結構前から知っていた。その感情はわかりやすくて、そしてとても繊細で。まるでまっすぐ空へ伸びる向日葵のように、素直な現象だった。
二人はお似合いだななんて、昔からよく思っていた。リタは僕より一つ年上――つまり、兄さんと同い年――だからか、彼女は僕を弟のように見ている節がある。だからと言って、それが悔しいだなんて思わないし、至極当然なのだと思っていた。
どうも恋愛は苦手なのだ。彼女を恋愛対象に見るなど、考えたこともなかった。
だけど、二人が両想いになるのは、必然だったように思う。兄さんはリタを一番大事に考えている。ガリア軍が敗れ、帝国軍が侵攻を始めた際、兄さんはクイクルムのことばかり考えていた。それはお世話になった人や、今までの大切な思い出があるというのも理由の一つだろうけれど、最も重要なことは、リタだ。兄さんはリタのこととなると、感情的になる。冷静でいられないのだ。
それを恋だとするのは、クイクルムが解放された時だった。
二人は友人同士から恋人同士へと、自然に変貌していった。その変異に、僕はあまり驚かなかった。なるべくして、なっているのだから。その様子を、僕は微笑ましく見ているのに対し、ロスメルタはというと、
「こんな時代に、よくもまぁ恋愛なんてする気になるわね」
「まぁまぁ。こんな時代だからこそ、じゃないかな」
「あんた、おっさんみたいね。ヤダヤダ」
などと言って、目を細くして二人を遠くから眺めていた。なんとなく、羨ましいのかなと思った。だから、訊いてみた。
「ロスメルタは、好きな人いるの?」
「は……はぁ!?」
……そんなに驚くことだろうか。流れ的に、そこまで不自然ではないと思うのだけれど。
「な、なんでそんなこと訊くのよ!」
顔を真っ赤にして、鬼の形相で僕を睨む。
「えっ、おかしいかな? 素朴な疑問なんだけど」
はて、と僕は頭を傾げる。
「お、おかしくなくはないけど……急なのよ、あんたは!」
彼女は僕の目を突かんばかりに、僕を指差した。鼻先との距離、5センチもない。
「そんなに急かなぁ。いや、なんとなく疑問に思って」
「な……なんとなくで、こんなこと訊くな! バカ!!」
バチン。
なぜか僕はしばかれた。なぜだ。彼女は僕を放って、ズンズンと歩いてどこかへ行ってしまった。
「おおっと。またやられちまったなぁ、アイオーン」
だはは、と大きく口を開けて笑いながらレーグが歩いてきた。いつも事が済んでから、彼はやって来る。おそらく、ロスメルタの暴走に付き合わないためだ。
「うーん……なんだか、いつも怒らせちゃうんだよな。そのうち嫌われそうだ」
「そうでもないと思うがな」
と、レーグは彼女が歩いていった先を見つめて微笑んでいた。
「え?」
「あれで、君のことを信頼してんだよ。表現が乱暴だけどな」
彼女なりの表現、か。そう捉えれば、悪いもんじゃない。暴力的だけど。
「……そっか。それは僕も同じなんだけどね。戦場であれほど頼りになる女の子なんて、ロスメルタ以外にいないと思うし」
「…………」
レーグはさっきのロスメルタが兄さんたちを見ていたように、僕を細い目でジーっと見ていた。その様子が気味悪く、思わず半歩後ろに下がってしまった。
「な、なに?」
「アイオーン。君は何かと損するタイプだなぁ」
苦笑しつつ、レーグは言う。
「急にどうしたんだよ……」
「なーに、俺の勘みたいなもんさ。その内、意味が分かると思うぞ」
「…………?」
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そうしたユリウスとリタの関係は、自然と“夫婦”というものになっていった。各地を転戦するイデア軍に所属しているため、どこかで挙式を行うことはできなかったが、移動要塞“アリアンロッド”内にて、二人は結婚をした。
そしてそれから半年ほどして、レナたちと再会したのだ。
「紹介するよ、レナ」
アリアンロッド内の中庭で、花を見つめながら休んでいるレナの下に、ユリウスが声を掛けた。彼の隣には、見知らぬ女性が経っており、レナは思わず怪訝な表情を浮かべた。
「初めまして、レナ王女。リタ=ペインツと申します」
リタは深々と、頭を下げた。
「あ……。は、初めまして」
急な自己紹介をされて、レナは思わずたじろいだ。そんな様子を見ていたサリアは、呆れたようにして、
「なーに緊張してるのよ」
と言って、レナの頬をつんと突っついた。それでも、レナは少し呆然としているようだった。
「姉さま……えっと、こちらの方は……?」
彼女の頭の上に、疑問符が大きく浮かんでいる。
「あら、聞いてないの? ユリウス兄さんの奥さんなんだって」
「……え……」
言葉を失ったかのように、レナは静止してしまった。だが、それはただ単に驚いているだけだと、その場にいる人は思った。
「そうなんだ。半年ほど前に、結婚してね」
照れ隠しなのか、ユリウスはわざとらしく声をいつもより大きくして、笑っていた。その隣で、リタは何度も何度も頭を下げている。
「お、恐れ多いのですが、フェムト……いえ、ユリウス陛下の……」
「おいおい、その“陛下”は止してくれ。もう天帝じゃないんだからさ」
と、ユリウスは苦笑する。
「だけど……まさか、あなたがそんな高貴な身分の人だと思わなかったんだもん」
リタは少し頬を膨らませ、言った。そんな様子が愛おしく感じ、ユリウスは優しく微笑む。
「リタにとって、俺はただのフェムトだよ。それ以上でも、以下でもないからさ」
「……うん」
ユリウスの言葉に癒されるかのように、リタの表情に笑顔が零れる。おそらく、皆は感じていたに違いない、二人の周りだけ、異様な――それはまるで、愛という見えない力に護られているかのように――空気が循環していた。
「こらこら、勝手に自分たちの世界に入るんじゃないよ」
などとサリアは言って、無理やり割って入った。
「まったくだ」
うん、とシリウスは頷いた。
その時、横目にレナの表情に目がいった。言葉を失う――とはまさにそのことなのだろう、とシリウスは思った。ただ一点を見つめ、表情を変えずにいるレナ。それは今まで見たことのない、彼女の姿だった。と同時に、シリウスはあることに気付いた。
それが――僕の仮説が正しいならば――事実ならば、僕は一瞬にしてどん底に落とされてしまう。どうかそれだけは間違いであってくれと心の中で願いつつも、ほぼ確信に近いということに対し、言いようのない不安感を抱いていた。
きっと、レナは兄さんが好きだったんだ。命を投げ打って、愛に来たいと願うほどだから。
シリウスはレナのことが、幼い頃から好きだった。
自分より年齢は二つほど下の少女。女の子の中でも、特に女の子らしかったという点が、彼が彼女に好意を抱く要因の一つだった。
いつか兄を天帝に据え、帝国を変革させる。きっと、サリアだけでなくレナだって喜んでくれる。レナが喜ぶようなことを、してあげたい――。
それもまた、彼の願望であり、野望でもあったのだ。自身の暗い部分――それは、己の兄を使って大義名分を掲げ戦ってきた、自分自身だった。
だからこそ、わかる。
きっと、レナは兄さんが好きなんだ。
ずっと……。
だから、現実を見れないような表情をしているんだ。あれではまるで、世界の片隅に取り残された、哀れな子供のようだった。




