第三部③ ~僕たちの使命~
サリアとレナと、そしてバルザックと再会を果たしたフェムト(ユリウス)たち。
彼らは素朴に疑問だった。なぜ自分たちがここにいると分かったのか。
「私の父が、もしかしたら反乱軍に身を寄せているんじゃないか――と言っておられまして」
そう口を開いたのは、幼馴染の一人――バルザックだった。
バルザック=グランディア……ガルザスの最大の政敵だったオドアケル=グランディアの息子・アイン=ロロ=グランディアの長男である。
この5人はユリウスが天帝に即位する前から、後宮で一緒に遊んでいた仲であり、親友同士であった。ユリウスたちがクーデターを画策する際には、危険だからということで一切その情報を知らされていなかった。そのため、サリアたちは最近までユリウスたちが生きていることを知らなかったのだ。
ユリウスたちが死んだと知らされ、ひどく落ち込み憔悴していたレナを憐れんだアイン=ロロは、バルザックを呼び出し“ある情報”を渡す。それはガルザス政権の中枢しか知り得ない、極秘情報だった。
ユリウスとシリウスは、クーデターを起こそうとした者たちにより殺害された――
それが7年前、帝都内で発表された情報だった。クーデターを起こした者たちは、即刻処刑された。その者たちとは、ユリウスを旗頭にクーデターを画策していた人たちのことだった。罪を着せられたのである。
しかし、バルザックが父から受け取った情報には全く違うことが書いてあった。ユリウスたちは殺されたのではなく、地上へ捨てられたということ。そして、もしかしたら生きている可能性もあるということ。
バルザックはその情報をレナだけに知らせるが、彼女は「今すぐ地上へ探しに行く」と言い出し、事が大きくなりかねなくなっていた。異常を察知した姉・サリアはバルザックから詳細を聞き、レナを説得する。仮に地上へ捜索しに行ったところで、見つけられる保証はないこと。ましてや浮遊大陸以上に、地上は果てしなく広い。彼らがどこにいるのか皆目見当もつかないに加え、生きている確証もない。
レナは冷静になり、説得に応じたがますます気分を落とし、体調を崩すまでになった。レナはサリアと同じく帝国の“巫女”であるため、彼女が不調になることはあまりよろしくなかった。そのため、サリアは情報を渡してきた張本人・アイン=ロロに、直接話を伺うことにしたのだ。
「グランディア卿、お聞きしたいことがあります」
アイン=ロロの執務室に、堂々と足を踏み入れるサリア。まだ齢12にも満たぬ少女だというのに、なんとたくましいことか――と、アイン=ロロは思っていた。それに比べ、自分の息子は彼女の後ろで困り果てた表情を浮かべている。なんと情けないことか、と。
「何かね、サリア王女」
アイン=ロロは書類を置き、彼女の方へ視線を向けた。
「ユリウス陛下とシリウスは殺されたのではなく、地上へ捨てられたというのは本当ですか?」
これまた単刀直入。その思慮さえも挟んでいないような真っ直ぐさに、アイン=ロロは笑うしかなかった。この愚鈍で直情的なところが、ユリウスやシリウスに足りなかったところでもあるのだ。
「そのとおりだ。ユリウス陛下とシリウスは、閣下の計らいで地上へ追放という形にされている」
「……ガルザス様の計らいですって? おかしなことを。あの人に優しさなんてあるはずがない」
あの人は鬼畜だ。それでいて、頭が切れる。自分に歯向かう人間を、それがたとえ天帝であろうと生かしておくはずがない。そういう人間だ。
だとすれば、誰かが陛下たちを護ったんじゃないだろうか。その時、彼女はハッとした。
「まさか……アムナリア姉さま……!?」
サリアはすぐに部屋を出て行こうと、向き直って扉の方へ駆け寄った。
「待ちたまえ」
それを止めるかのように、言葉が飛んでくる。サリアは立ち止まり、まるで睨みつけるようにしてアイン=ロロの方へ向き直った。
「アムナリア王女が懇願することで、地上人の血を引くシリウスも処刑ではなく、追放という形にできたのだ。閣下はかねてから、王女が欲しいと言っていた。致し方あるまい」
己らが血を分けた兄妹とも知らず、哀れなことだ――
アイン=ロロは全て知っており、敢えて何も言わずにいたのだ。それに、ガルザスは生まれつき繁殖能力がない。アムナリア王女がどうされようが、禁忌の子供は生まれない。
「君たちはしばらく、時間が過ぎるのを待ちたまえ。いずれ、時は来る」
「じゃあ、このまま何もするなって言うんですか? ……死んでいないなんて情報を与えたくせに!」
サリアは怒りを露わにし、アイン=ロロの前に進み机を強く叩いた。
「……生きているかもしれないという希望を持たせてやったのだ。感謝されこそすれ、そのような態度をされる筋合いはないのだがね」
「――!!」
「お、お待ちください、サリア王女」
拳を振り上げたところで、バルザックが彼女をその腕をつかみ制止させた。
「父上も、ひどいではありませんか。ただでさえ、ショックを受けているというのに……」
「……私はいずれ時は来る、と言ったのだ。最後まで話を聞きたまえ」
アイン=ロロは、そこで計画を話した。
反ガルザス派が暗躍しているということ。いずれ地上に反乱軍が結成され、戦争が起きる。おそらく、ガルザスはそれをあえて野放しにし、経過を見守るはず。敵を炙り出すために。戦争は数年に及ぶであろう。
おそらくだが、シリウスはその反乱軍に参加する。なぜならば、兄・ユリウスを再び帝位に就かせるために、帝国打倒を考えているからだ。
アイン=ロロがそう感じたのは、シリウスが地上へ追放される時。
飛空艇から降ろされたユリウスとシリウス。ただただ呆然とするユリウスに比べ、シリウスは違った。瞳の輝き――意志の強さが感じられた。奴は“まだ終わっていない”。そこから始めるのだと、言っているかのようだった。
紅き双眸は、誰よりも強く、たくましく砂ぼこり舞う地上を見つめていた。
アイン=ロロは、それをはっきりと感じていた。地上人の血さえ混じっていなければ……。
サリアたちは事が進むまで、大人しくするしかなかった。レナへの事情説明はサリアがしたものの、感情に振り回されやすいレナは、気分の躁鬱が少しずつ大きくなっていた。
それから3年が経ち、アドルフ=アルフォルスによる反乱軍が結成されると、瞬く間に飛び火し第一次天地戦争が勃発する。戦火がグラン大陸全土に及び始めたのは、それから2年後。ちょうどユリウスたちが反乱軍に参加した頃、サリアたちも地上へ降り立った。護衛としてバルザックも同行して。
「シリウス」
「……サリア」
「改めて……久しぶり」
話がひと段落したところで、サリアは通路で水を飲んでいるシリウスに語り掛けた。彼女も彼も、どこかぎこちない様子で互いの目を合わすことさえ、なかなかできずにいた。あの頃にはなかった時間の経過という見えない壁が、二人を隔てているかのように。
「うん、7年ぶりだね。まさか地上で君たちに会えるとは、思いもしなかったよ」
「私もよ。……それにしても、背が伸びたんだね。昔は私より小さかったのに」
サリアはそう言いながら彼に近付き、背比べをし始めた。シリウスは思わず、顔をそむけてしまったが。
「どうしたの?」
「い、いや、なんでも……」
姉御肌だったサリアが、こんなにも綺麗になるなんて。年頃の女性なんてリタくらいしかいなかったからか、妙に緊張してしまう。戦場や軍にだって、若い女性はほとんどいなかった。
「その感じ、あの頃にそっくり。やっぱり、シリウスなんだね」
サリアは自身の唇に手を当て、優しく笑った。大人と子供の境界線にある、淡くも切ない愛おしい表情。それは不思議と、シリウスの胸を小さく締めるようだった。
「……あの頃は、よく君にからかわれたからね」
やれやれ、とシリウスはため息交じりに言った。サリアとは同い年で、実は生まれた日も一緒という仲。皇族に相応しくない僕に対し、真っ先に優しく――そして友であろうとしてくれたのは、兄以外で言えば彼女が一番最初だった。
「私、からかってるつもりなかったんだけどなぁ」
「それ、いじめっ子の言うセリフまんまだよ」
そう指摘すると、サリアはびっくりした表情をして、
「まさか、根に持ってるってわけじゃないよね?」
「なわけないじゃない。変に心配性だなー」
ハハハ、とシリウスは笑った。それとは対照的に、サリアはさっきまでの明るい表情が消え、どこか物悲しげな雰囲気を醸し出していた。
「……心配、したんだよ。本当にね」
まるで独り言のように、サリアは言った。
「二人が殺されたと聞いて、信じたくなくてあちこち探した。一緒に遊んだ宮殿の隠し部屋とか、最上階にある庭園とかも」
でも――と、彼女は続ける。
「見つからなかった。本当に二人はいないんだって。ガルザス様にだって直接聞きに行ったよ。私の頭をなでながら、すまないって言うだけだった」
「…………」
「レナ、泣き叫んで。朝も夜も。涙が枯れ果てて、そのまま死んじゃうんじゃないかって。……私だって、泣きたかったんだけどさ」
彼女の方が、小さく震えていた。そこに再会した時の彼女の凛とした佇まいは消え失せ、幼い頃の――泣き虫な少女の姿が重ねられた。
「……生きているかもしれないって知って、居ても立っても居られなかった。すぐに探しに行きたかった。でも、できなかった。私たちが弱い女だから」
「そんなこと――ないよ」
シリウスの言葉に、サリアは首を振った。
「……だって、ほら……涙が、止まんない」
大粒の涙が、星の雫のようにして零れ落ちていく。
「今になって、涙が……止まんない。どうして……かな?」
哀しくも喜びを孕んだ微笑み。それは自然と、シリウスに罪悪感と――そう、決意を起こさせるに足るものだった。
「本当に……生きてて……よかっ……」
言葉に詰まり、サリアはそれ以上何も言えなかった。生きて会うことが出来た。たったそれだけで、私はもう何もいらないと思えるのだから。
「サリア……」
先ほどまで、時間という名の壁で隔てられていた彼は、それを取り払うようにして彼女を優しく、強く抱きしめた。
細く、華奢な体。いつの間にか、僕の方が大きくなっていたんだ。
「ごめん。逢いに行けなくて。……生きていると伝えられなくて、ごめん」
「シリ、ウス……」
サリアもまた、彼を強く抱きしめた。せきを切った涙に比例するくらいに。
「もう、我慢しなくていいんだよ。これからは……僕が……僕たちが傍にいる。君たちを……護るから」
決意。
それは、護ること。どんなことがあっても……大切な人たちを護る。それが、きっと僕の使命なんだ。
「……う、ん……信じてる……」
サリアは泣いた。
7年分の涙を――再び出会えた喜びを、この大地に降り注がせるかのように。