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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆外伝
108/149

外伝:Nihility

 1



「最初の仕事だ。お前には、ある貴族を殺してもらう」


 あれは何歳だっただろう。10年近くも前になるから……小学生になるかならないかくらいだっただろうか。

 違う世界――そこはレイディアントと呼ばれる、親父と母上が生まれ育った世界。本当ならば俺もそこで生を享け、両親と共に生活をするはずだった。

「期待しているぞ」

 微笑を浮かべながら、親父は俺に言う。暗がりの部屋で、四隅に2メートルほどもあるロウソクの明かりだけが広がっている。

「今、ソフィア教国とゼテギネアとの国境線で、軍事衝突が起きている。ハロルドが無為に国境を脅かしていたせいだがな。それに反応するゼナンも、愚かなものだが」

 二人を知っているのか、親父は彼らを小馬鹿にするように、小さく笑った。

「そこのルテティア駐屯地の司令官――ダグラス=ロアーノ。奴の命が“依頼者からの要望だ”」

 最初の「仕事」――いわゆる暗殺。既に親父から剣と魔法を習い、それを使って人間の命を断ち切ることに慣れていた俺は、「こんな簡単なこと」などと、幼いながらも思っていたような気がする。10年も前の話だ、そんな気持ちなどよく覚えていない。

 それでも、大国の要人を殺害するというのは初めてのことだったし、それを決行した時のことは忘れてはいない。

 自分の2倍くらいはある大きさの黒装束を身に纏い、黒いひげを蓄えた、巨躯の貴族。俺は奴だけになったのを確認し、駐屯地のテント内に入った。奴は木製のテーブルに広げられた地図――おそらく、土地勘がないため必死に頭に叩き込んでいるところだったのだろう――を見つめながら、蝋燭の明りに当てられていた。

 俺は奴の背後に忍び寄り、切り掛かった。マントごと背中を切り裂き、奴が振り向いた瞬間に、喉に剣を貫いた。

「ごっ……ぶ……」

 男の口からせきを切ったように、どす黒い血があふれた。俺がかぶっているフードが真っ赤に染め上がり、顔にもかかった。だが、俺は瞬きをせずに、貫いた刃をもっと強く、奥へ押した。

「……こ、ど――も……」

 絶命したのか、男の目は焦点を失い、一気に俺の方へ倒れ掛かってきた。急に奴の重さが降りかかってきたため、剣を手放しするりと横へ逃れた。

「…………」

 息をしていないことを確認し、俺は手で顔についた血を拭った。ふと、机に目がいく。机の端には、小さな絵が飾ってあった。

 二人の少女――幸せそうな顔で、屈託のない笑顔を向けている。きっと、男はその絵から向けられる笑顔に、心が安らいでいたのだろうと、幼いながらに思う。

 俺はその絵が気に入らなくて、それに火を付けて駐屯地から脱出した。


 ――気に入らなくて?


 なぜ俺は、“気に入らない”と感じたのだろうか。それを嫉妬という感情だと認識するには、俺は幼すぎたようにも思う。


「どうして、あの人を殺させたの?」

 幼い俺は、そう訊ねた。暗がりの部屋で、親父は書類に目を通しながらその言葉を受ける。しかし、表情にはそれに対する反応は微塵もなく、俺の言葉は素通りしていったかのようだった。さらには、自分の発したものは、父に届いているのかとさえ、思わせるほどだったのだ。

「知りたいのか?」

 親父は俺の方に見向きもせず、はっきりとそう言った。

 知りたい……? どうなんだろう。よくわからない。ただ俺は、自然とそう訊ねてしまったのだと思う。胸に去来する、この言い表せられない感情。嬉しいとか、悲しいとか、そういう単純なものではなかった。ただ一つ言えるのは、俺は“何かを失ってしまった”ということだけ。

「……たぶん」

 しばらく考えて、小さな声で俺は答えた。親父は俺を一瞥すると、再び書類に目を通し始める。

「ルテティアのクテシフォン公爵の依頼だ。彼を殺せ、と」

 突然、親父は話し始めた。

 クテシフォン公爵――ロベスピエールだったか。顔を合わせたことはあるが、嫌悪感を抱かせる顔つきだった。俺の一番嫌いな、“自分を優秀である”と思っている奴の顔。

「奴は“我々”の一番の出資者だ。その依頼を断るわけにもいくまい。それに、お前が殺した卿の妻――どうやら、古代アヴァロン皇室の流れを組むネヴァルド王家の出でな。つまり、サリアの末裔、ということだ」

「……?」

 幼い俺には分からなかったが、そのダグラス卿には娘が二人いるとのこと。その娘たちには、ユリウスの封印を解く鍵の一つ“永遠の巫女”としての素養を持っており、クテシフォン公爵はそれを狙っているのだ。


 娘がいたのか……悪いことをしたな。


 少しだけそう思ったが、そんなもの寝て起きれば、脳みそからきれいになくなっていた。





2


 親父に親父自身が知っていること全てを教えられたのは、10歳になった時だった。

「始まりは神々の時代。人の文明も文化も、頂に達してしまい、あとは衰退するばかりの時代だった」

 それは想像だにしない物語だった。まるで童話の中に在りそうな話であり、SFの作品にしか描かれない物語が、そこに広がっていたのだ。空想でも何でもなく、それはまさに“史実”だった。

「当時は“hetero”、或いは“KARMA”とも呼ばれていた物質。……ヒトの業ではなく、まさしく“パンドラの匣”だったわけだがな」

 星の遺産――人の世を狂わせてきた、禁断の果実。アダムとイヴが口にした、知恵の林檎のようなもの。それを手にしてしまったから、人は狂ったのだ――と、親父は言った。

「神々と“統制主”の“創世計画(プロジェクト・ジェネシス)”……。リオン、俺たちはそれを受け継ぐ“唯一の存在”なのだ。カリ・ユガを切り抜けるためには、それを果たさねばならない。」

 親父は手を伸ばし、俺の頬に指先で触れた。親父を見上げると、遠い目をして俺を見つめていた。だが、その双眸は俺のずっと向こう――未来の俺を見ているような気がした。俺は親父が“今の俺”を見ていないのだということに、なぜか気付くことができていた。


 ――親父にとって、俺は手駒でしかないのかもしれない――


 そう感じ取ってしまうには、些か乱暴なのだろうか。結果としてそれは、本当の事だったのだが。





 それからのことは、再び曖昧な記憶へと変わっていった。親父に言われるがまま、俺は任務という名の「暗殺」を行い、その人たちの返り血を浴びる度に、俺の心の奥底が凍りついていくかのような、冷たく、ぽっかりと空いたかのような感覚に囚われていった。

 でも、嫌ではない。なぜか、そう感じてもいた。

 剣を握り、その刃が肉を貫き、切り裂いて、他人の生き血を浴びる。生温かさは、人の生きた証そのもの。それはゆっくりと、確実に冷えていって、肉塊の垂らされたヘドロでしかなくなる。冷え切った俺の体と剣が、そうさせているような気もした。

 残された魂と言霊は、どんなに足掻いても俺や親父に届くことはない。他人は所詮、他人でしかない。ヒトの生き死など、俺の価値観や人生観、あらゆることに影響を及ぼすことはない。俺は幼いながらに、それが最も“合理的”な思考であると思っていた。その“合理的な思考”から導き出された結果――殺人、暗殺、世界に蔓延する亡者の共通観念が忌避し、嫌悪するもの――は、俺にとっての真実であり、正義であり続ける。

 そう、思っていた。あの時、あいつに――

 

 あいつらに、出逢うまでは。



 俺が小学四年生の時だった。親父は再婚した。それは父子家庭というものから、一般的な家庭の姿を形成するために採った、いわば“妻としての役割を与えられた者”を傍に置いただけであった。再婚相手――彼女は、親父のそういった想いになど気付くはずもなく、一匹狼の親父に好意を持たれているという“優越感”に浸っていたように思う。それは真相を知る俺にとって、何よりも滑稽な光景でしかなかった。ああやって、ヒトはヒトに心を支配されるのだ――と。

 彼女は娘を連れていた。まだ小学生になっていない、年齢だった。

 それが咲希との出逢い。


 そして、もう一人。

 名を、東空――という。




 おかしな奴だと、最初は思っていた。いや、もしかしたらずっとそう思っているのかもしれない。そう思えるほど、そいつは俺とは違う人間だった。見れば見るほど、俺が持つ色とは似ても似つかない色を持つ、別世界の住人のようで。

 そう――別世界の人間みたいだった。築き上げられたものだけでなく、人を構成する成分までもが、同じではないように感じた。白が黒ではないように、水が油と混じり合わないように。


 だからか、最初は嫌だった。


 そいつをいつものように――いつもの癖で、隅々まで見ていると、どうしてか自分が穢れているかのような、妙な不快感を抱くようになるのだ。子供心にそれが嫌で嫌でたまらなくて、それはいつしか彼への「嫌悪感」へと変貌していった。たぶん、それは自然の成り行きだったと思う。

 それでも、俺はそういった感情は表に出さないようにしながら、彼を見ていた。それはそれで面白かったというのもあるし、このままでもいいとさえ思っていたからだろう。


 面白い――? いったい何が?


 このままでいい……どうして、俺はそう思ったのか。幼い俺には、その理由がわからなかったのを覚えている。


 彼の周りには、近場の人しかいなかった。幼馴染の女の子とか、弟とか。学校の外で彼らが一緒にいる光景を見ていると、どこか自分と共通している部分が浮かんでいる気がした。それはきっと、見えない「区切り」のようなものなのかもしれない。外の世界と自分たちの世界とを区切るための、柵――檻のようなもの。自分の世界へこもるための、守り神。

 俺と違うのは、その檻が持つ意味合いが違うのだということ。それに気付かされた小学生時代、気付けば俺は独りで上空を見上げていることが多くなっていた。学校の屋上とか、ビルの屋上とか。そういったところで青空を見ていると、自分の心はここではないどこかに飛び去っていくかのような気がしてきて、空っぽになった俺の心には何もなくて、今まで浴びてきた真っ赤な血の光景も薄らいでいって、自分自身が何も持っていない空虚な存在であるような気がするのと同時に、小さな安らぎも感じていた。

 安らぎ…………そう。それは安らぎだったのだ。俺が何者でもない、「俺自身」であるのだと知らせるための。



まだ続きます。

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