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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆外伝
106/149

外伝:Leine

 黒煙が昇る。

 周囲からは、悲鳴と叫び声の混じった音が飛び交う。


 一つの宮殿。


 真っ白な通路を走る銀色の長髪を持つ、女性の姿があった。片腕で1〜2歳程度の子供を抱き、片方の手で3歳の少年の手を引きながら、必死に前へ走っていた。すでに夜のため、窓の外は暗い。しかし、それでも少し明るいのは、この宮殿の周囲に火柱が昇っているからだ。

「ははうえ……もぅ、走れないよぉ」

 3歳の少年は、泣き顔でそう言った。

「もう少し頑張って。もう少しで、お父様の所に着くから」

 走りながら、母親である女性は少年に笑顔を向けた。

 自分の夫の所に行けば、きっと大丈夫。子供たちを安全な場所に連れて行くことこそが、今の自分のすべきこと――その女性は、そう考えながら逃げていた。




「逃げられるとでも?」

「!!」




 女性は立ち止まり、前の暗闇を見据えた。そこから、黒いローブを羽織った男性が、ゆっくりと姿を現してきた。

「……生きていたのね」

 彼女の言葉に、黒衣の男は小さく、不気味に微笑む。

「既にここ、聖帝中央庁は包囲している。ハロルド側に寝返った神聖騎士団も、金をちらつかせればいい仕事をしてくれる」

 宮殿の外から聞こえる悲鳴や爆発音――それに耳を傾かせながら、男は蔑むかのように言った。

「全てあなたの仕組んだことだったのね?」

 女性は彼の表情を見て、そう確信した。

 そうだとは思いたくなかった。たとえ仲違いしたとは言っても、目指す場所は同じだと思っていたから……。

「動かしやすい“駒”だよ、奴は」

 クククと、男は笑う。暗闇の中で微笑む彼の顔を、女性は容易に思い浮かべることができた。それと同時に、もう私が知っている彼ではないということにも、気付いてしまった。

「……こんなことを引き起こして、多くの人が犠牲になったわ。無意味な戦いに巻き込んでまで、あなたは何を得たいというの? そんなに“あの力”が欲しいとでもいうの!?」

 彼女は声を荒げ、そう訊ねた。訊ねずにはいられなかったのだ。

「リリス……君にも見えるだろう? 愚かな肉親が、己の欲望のままに君たちを殺そうとしている姿を。それが本来の“姿”なんだよ。家族だろうが、固く結ばれた絆を持つ者同士だろうが、この楔から逃れることはできない。人など所詮、こんなものなのさ。……その真実に、私は気が付いた。だからこそ、奪い、穢し、この手を血に染め上げる。そうすることでしか、この次元の運命を――宿命を変えることはできない。それこそが、我々“神々の眷属”がせねばならないこと。フェレスが思い描く本来の“姿”なぞ、所詮空想のものでしかないということだ」

 碧く、氷のように冷たい双眸。いつの間にか、あの瞳には温もりが消えてしまっていた。私たちが一緒に笑い合っていた時は、あんな姿など一時も見せなかったのに。

「民族としての同化――まだそれを目指しているの? こんなことをして、それが叶うと思うの?」

 彼はかつて、私たちと同じ未来を思い描いていた。同じ理想を追い求めていた。でも――いつからだろうか、彼が力による支配を望むようになったのは。


 ――中途半端な誠実さは、己を殺す刃になり兼ねない――


 そう言って、よく夫と口論になっていた。彼はいつだって、誰よりも現実的に物事を見ていた。理想だけでは……正義だけでは、何も得ることはできないと。

「私が目指した方法の“一つ”は頓挫した。矢面に出過ぎた――いや、少々甘く見ていたせいでもあるがね」

 クククと、男はほくそ笑む。

 あの皇子――出来損ないの、正統派の正義感を振りかざすだけの甘ったれた小僧だと思っていたが、なかなかの手腕の持ち主だった。まさか父殺しをするとは、な。

「今回は陰に徹しようと思ってな。そのために、まずはあの“出来損ないの弟”を利用させてもらった」

「……やはり……!」

 女性――リリスは、歯を食いしばった。あの気弱なハロルドが、こんなことをするはずがない。きっと、彼にたぶらかされたのだ。

 黒衣の男はそんな彼女の表情を見、微笑んだ。

「人の心は脆く、儚い。それでいて、複雑に絡み合った姿をしている。あいつが何を想い、剣を手に取ったと思う? 仄かな恋心など、フェレスしか見えていない君にはわからないだろうな」

「え……」

 驚く表情を浮かべる彼女を見て、男は呆れたようにほくそ笑む。

「一つのものしか見えていないんだよ、君たちは。だからシリウスが施した“約束の刻”が何を意味するのかということに対しても、短絡的で主観的な答えしか見出せない」

 彼が放った言葉の真意を探ろうとする前に、彼は彼女の施行を阻むかのように、鞘から剣を抜いた。


「さて、本題に入ろう」


 氷のように透き通った美しい刀身を持つ、ペンドラゴン家に伝わる“もう一つの宝剣”。その剣を操る様は、何よりも美麗だと――何度も、何度も感じていた。自分の妹とともに。

「要件はわかっているはずだ、リリス。その子供たちを渡せ。……尤も、拒むという選択肢はないがな」

 その言葉の真意――たとえ義姉(あね)であっても、殺すということだった。

「私が……この子たちを離すと思う?」

 彼を睨みつけるようにしながら、笑みを浮かべつつ彼女は言った。それと同時に、3歳の息子を自分の後ろに隠す。

「いいや、君はそんなことをしない。絶対にね」

 彼女の問いに、男は顔を振った。その行動は確信していたが、それでも彼女は、どんな場面・状況であろうと、それを“選択”する。そういう女性なのだ。

 ――自分の妻と同じだから。あの金色の双眸も、銀色の挑発も、あの表情も……彼女のものと同じ。

 それを思うと、男は少しだけ心が揺れた。彼女にそっくりなリリスを、殺せるのか――と。

「リリス。できれば君とは、穏便に済ませたかったんだがね」

 ため息交じりに、男は言った。それと同時に、余計な雑念を振り払った。もう自分に、護りたい人などいないのだ。ともに歩むべき人は、もうこの世に存在しない。

「ヴェリガン……あなたが手を引けばいいだけよ。これ以上、罪を増やさないで……!」

 女性は強く子供を抱きしめ、それよりも強い双眸で彼を見つめた。彼女にとって、彼は大切な友人には変わりはないのだから。

「――罪? 人によって形成された罪と罰の範疇など、世界が壊れてしまえば関係ない。私が世界を殺すのだから」

「……ヴェリガン……」

 偽りのない、宝石のように輝く皇室の証――碧き瞳。あれは、“何もかも決心した者”の双眸だ。妹を死ぬまで護ると誓った、あの時の彼と同じだった。

 でも――目的のために、関係のない命を奪おうとする獰猛な牙を隠していることも、私には理解できた。それを成就させるために、周囲を利用する――たとえ、それが親友であっても、肉親であっても。

 男――ヴェリガンは手を差し出すかのように、自分の前に出した。

「我々はカインの末裔として、神々の末裔として世界を導かねばならない。カリ・ユガを回避するためには、調停者……その子供たちが必要だ。どうしても渡さないというのなら――」

 すると、ヴェリガンは剣をゆっくりと鞘から引き抜き、切っ先をリリスたちに向けた。それが自分を殺す、という意味だと悟ったリリスは、彼を睨みながら身構えた。その心を察知してか、場の雰囲気を感じてか、腕に抱かれた幼児が泣き始めてしまった。

「シャルフィル殿下も察しておられるのだろう。自分たちがどんな運命を辿るのかを」

 笑みを浮かべ、男は彼女にゆっくりと近づいていく。

「ふざけないで! この子たちは――私が護ります!」

「……ならば、逃れてみせろ。その貧弱な体でな!」

 男は一瞬にして彼女との間合いを詰め、切りかかった。しかし、リリスはそれにも勝る速度で、魔法を完成させる。


「クリスタルシェル!」


 女性たちを包み込む水晶のような壁が出現した。

「無駄だ!」

 男は剣を一振りした。すると、女性の障壁は破壊され、彼女の体に大きな爪痕を刻んだ。真っ赤な血が舞い散り、女性の体が崩れる。


「あっ……」

「は、ははうえぇ!!」


 3歳の子供は叫び、倒れた母の体を揺する。

「聖女としての力は、既に半分を失ってしまっている状態。私に勝てるわけがない」

 否定するかのように顔を振り、男は女性に近寄って来た。泣き叫ぶ子供を見下ろし、切っ先を向ける。

「リリス。お前たちの夢も、未来もここで終わる。素直に、“あちら”で彼女と眠っていてくれ」

「……!」

 男を睨みつけるも、女性の体力は血と共に流れていく。その時――



「うああぁぁ!!」



 そこから放たれた光は男を襲い、後ろへ退かせた。

「これは――!?」

 男はそれが少年によるものだと知り、驚嘆した。一瞬ではあるが、少年の中に在る「力」が発露したのだ。



「――アース!」



 女性はうつ伏せの状態のまま魔法を唱えた。すると、彼女を中心として魔方陣が出現し、子供たちと共にどこかへ消えて行った。

「しまった! 空間転移の魔法か……」

 舌打ちをした男は、すぐに笑みを戻した。




「なるほど……既にその“兆候”は出ているというわけか」

 男は剣を鞘に納め、周囲を見渡した。

「私にその力が――権利があったのなら、こんなことをしなくても済んだのだがな。……シリウスよ、これも貴様らが課した“責務”の一つだとでもいうのか?」

 暗い微笑を浮かべ、男は肩を震わせていた。












 大きな広間。今ちょうど扉を抜けた男が入って来た。その右手にある剣は、血塗られている。

「リリス!」

 暗闇に倒れていたのは、さっきの女性。魔法で近くまで来たものの、この広間で倒れてしまったのだ。下の子供はただ泣き叫ぶだけ。上の子供は、何度も母の名を呼んでいた。

「あなた……」

「ちちうえ!」

 自分の夫の姿を確認するや、女性はホッとしたように微笑んだ。彼女には、まだ息があった。

「よかった、無事だったのだな」

 白いローブを羽織った清廉な男性は、しゃがんで上の子供を抱きしめた。

「あなた……やはり、今回の反乱は――」

 そう言いかけた時、男はこくりとうなずいた。

「わかっている。全て、奴の仕業だ」

 男はギリギリと歯ぎしりをし、悔しさを滲ませた。

 大司教ハロルド――自分の弟による、突然の反乱。彼を慕う神聖騎士団の一部も加わり、更にはほとんどの神聖騎士団が遠征でゼテギネアにいるため、聖都はほとんど空っぽだった。

 安穏し過ぎていると言えば、そうかもしれない。だが、それほどこの国は平和だったのだ。

「……リリス、お前は子供たちの傍にいろ」

 妻の肩に手を置き、夫は言った。

「この世界のどこに行っても、きっと無駄だろう。奴から逃れきるなんて、できるとは思えないからな」

 こんな時に、なぜか笑みを零す夫。そうでもしないと、今の現実を直視できないのかもしれない。

 そして、その言葉の意味をリリスは理解していた。

 ――あの男は、あまりにも天才過ぎる。

「……わかりました。でも、私も……」

 妻の顔色は、悪くなる一方だった。治癒術の知識がない夫は、妻に対して何もできなかった。

 流れ過ぎた妻の血。これが、今生の別れとなる――


「……セヴェス」


 男は泣き続けている息子を体から離し、その幼い顔を見つめた。

「泣くな。お前は男の子だろ?」

 いつものように、男は言った。

「だって、ははうえが……ケガしてるんだもの」

 まだ3歳の子供でも、少なからず現状がどれほどのものなのか、理解できているのかもしれない。

「……いいか?」

 男は大きな手を、息子の頭に置いた。

「どこに行っても、私たちの心は離れ離れにならない」

 いつも厳しい顔をしていた父が、稀な微笑みを息子に向ける。それは、息子の心に驚きと安心感を与えた。

「きっと、また会える」

「ちちうえ……?」

 男は立ち上がり、妻が抱きしめている下の子供に触れた。そして、自分が付けていたネックレスを外し、その息子の首にかけた。

「……お前たちを、護ってくれるから……」

 下の息子も兄と同じように、父の微笑みをキョトンとした顔で見つめた。

「……リリス、子供たちを頼んだぞ」

「はい……あなた」

 二人はキスを交わし、互いに抱き合った。

 ――それが、最後だとわかっていたから。

「ちちうえ、ちちうえぇ!!」

 自分を呼ぶ息子から離れ、男は印を結び始めた。



「……ビフレスト」



 光の円環が3人を包み込み、発光と共にどこかへと消えて行った。その場に残された男は、3人がさっきまでいた場所を見つめ続けていた。

「セヴェス、シャルフィル…………リリス」

 自分の大切な子供たちと、最愛の人。

 もう二度と、会うこともないだろう。

 そんなことを考えていると、彼の心に静かな風が吹き始めた。

「全ては……触れてはならないものに触れてしまった、我々の罪というところか」

 真っ暗な天井を見上げ、男は剣を床に放った。




「そうだろう? ヴェリガン」




 そう言って、男は後ろに振り向いた。そこには、黒衣の男が立っていた。あの水色の刀身を持つ剣を、血で濡らせて。

「……久しいな」

 ニコッと微笑み、男は剣を振って血を吹き飛ばした。

「死んでいたものと思っていた。またこうして会えるとは、夢にも思わなかった」

「嬉しいことを言ってくれる……さすが、オディオン教皇猊下、と言ったところか」

 黒衣の男は皮肉交じりにそう言って、笑みを浮かべる。

「……国境付近での小競り合いを起こし、我が神聖騎士団を派遣させ、その勢力を削る。そして、弟のハロルドをたぶらかして反乱を引き起こさせた。……あいつの純粋な想いを操る気分は、どうだ?」

 教皇の問いに、男は小さく手を叩き始めた。まるで“さすが”とでも言わんばかりに。しかし、それが挑発であると、教皇は悟っていた。

「さすが“兄弟”。俺のことをよくわかってくれる。説明する苦労が省けるよ」

「……理解していると思うのか?」

 教皇――オディオンは顔を振る。

「お前の中には、生への渇望と死への羨望しかない。己の欲望に、無関係な大勢の人々を巻き込み、それが一つの意思であると勘違いし、自分を正当化する愚か者だ」

 男を指差す彼の瞳は、男に対して睨みつけるのではなく、哀れなものを見るかのようなものであった。

それに対し、男は目を瞑り、フッと笑う。

「中途半端な正義を振りかざす貴様には、到底達し得ぬ理想さ。この“夢”は、五万年前に始まったのだ。我々はそうすることで、本当の夢を見ることができる」

 男は拳を強く握った。爪が肉に食い込み、血が滴り落ちるまで。

「私たちが生きているのは、このヒトの世だ。その世を破壊し、“次元の執行権”を行使したところで、行き着くのはカリ・ユガではないのか? それが神々の目指した未来だと思うのか!?」

 オディオンは怒気を込め、言った。

「今の世は神々が手を加えたものだ。元に戻さなければならない。それが人類の“自立”のための一歩となる」

 天井を仰ぎ見て、男は顔を振った。

「我々は“神の代弁者(イシュラエル)”――ヒトの行く末を定めねばならない。その責務がある。……築き上げる“先”のために、お前には死んでもらう」

「……」

 小さく笑いながら、男は教皇に近付き始めた。教皇は、彼を見つめたまま動こうとしない

「ニーナは生きているのか?」

 その問いに、男は立ち止まる。

「……死んだよ。あの時に」

 虚ろな微笑を浮かべ、男は言った。それによって、教皇は悟った。



 ――この表情は、ニーナがいないためか。



「もう、無駄なようだ。後は好きにするがいい。……ヴェリガン」

 教皇は胸に手を添え、目を瞑った。最早、抗っても意味はない。自分には、奴を倒す――いや、傷つけることさえできない。

 最愛の妻の妹が愛した、唯一の男なのだから。

「潔いのは美しいものだ。我がアロンダイトで…………死ね」

 男は微笑み、水色の刀身を輝かせながら教皇に直進した。


 その場に、真っ赤な血しぶきが散る。






 

 夢とは何だ?

 何を求め、何を望んだのか。


 どこが間違っていたのか。どこで、歯車は狂ったのか。


 

 狂っていたのは、元からなのかもしれない。

 


 それもまた、同じことでしかないのに。









 ヴェリガンは暗闇の天井を見上げた。聖帝中央庁の天井には、絵が描かれている。幼い頃、この場所で彼女たちと、フェレスとともに遊んだ。当時は、世界があまりにも穢れているということや、世界の歴史が――ヒトの歴史が、あまりにも血に塗れているなんて、思いもしなかった。


 あのままでいることができていたなら、俺は親友を殺さなくても済んだのかもしれない。


だが、後悔は――ないと、彼は心に刻んだ。



「フェレス、ニーナ……“リーヴェ”で見ていろ。俺が実現する“夢”を。“奴”が実現できなかった計画の行く末を……」




 ――プロジェクト・ジェネシスの果てを――

 






































 星空の広がる中で、幼い子供たちは泣いていた。血塗れの母親――リリスは、今にも閉じてしまいそうなまぶたをなんとか開けたまま、その場にたまたま居合わせていた男女に懇願した。

「この子たちを……お願い。私はもうダメだから……この子たちだけでも……」

「え? ちょ、ちょっと……」

 男女は困惑しつつも、目の前の悲惨な状況からリリスが助かるのは、無理だと悟っていた。

 リリスは視線を息子――セヴェスに向けた。セヴェスは目を見開き、硬直していた。母が死んでしまうという状況を、呑み込んでしまったが故に涙を流していないのかもしれない。その反対に、母は涙を堪え切れなかった。


 もっと、もっと息子たちに愛を注ぎたかった。

 その成長を、傍で見守りたかった。

 その笑顔を、いつも見ていたかった。


「セヴェス……生きてね……。どうか、どうか……神様……セヴェスと、シャルフィルだけには……普通の生活を……させてあげて、くだ、さい。どうか……」

 祈るように呟きながら、リリスは目を閉じた。そして――


「ごめんね……」


 母の魂が、そこから消えて行った。

 セヴェスはただただ、その光景を見ていた。






 ここから物語は、紐解かれてゆく――




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