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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆5部:全ての約束が紡がれし時へ
103/149

最終章:〜Liebe〜

 土の匂いがする。懐かしい香りだ。

 僕は目を開けた。



「……………」



 目の前には、青空と緑の葉っぱたち。気が付けば、僕は地面の上で仰向けになっていた。

 僕は立ち上がり、無意識に体に付いていた土などを払いながら、周りを見渡す。周囲には、緑や樹木が生い茂っている。



 ここは――小学校の裏山だ。暁の門があった、あの裏山。



 しかし、もう暁の門は見当たらなかった。セレスティアルが消滅したために、ワームホールを安定させることができなくなった――ということか。

 つまり、ワームホールを見つけない限り、レイディアントに行くことはできない。しかも、この世界の人間はエレメンタルをほとんど持たないため、ユートピアに行くこともできない。それ以前に、リサやクロノスさんがいない今、どこに出されるのかもわからない。かなり危険が伴ってしまうのだ。

 僕はふと、自分の服装に目をやった。この服は……レイディアントで着ていたものではない。今の服装を、僕は忘れていない。なぜならば、レイディアントへ旅立つ時に着ていた服だったからだ。決意の朝、この服を着て家を出たのだから。

 しかし、どうして僕はこれを着ているんだろうか。レイディアントで服を別に買った際に、汚れてしまっていたので捨てたのだ。もしや、彼女――リリスが何かをしたのだろうか?

 まぁともかく、これからどうするかだ。とりあえず、自分の家に戻ってみるとするか……。

 ふと、僕はそこから見える光景に目を奪われた。

 この山の頂上から見渡せる、僕が住む町の姿。

 懐かしい……本当に、懐かしく感じる。

 一度戻ってから、半年近く経っているんだっけ。あの時は、まだほとんどのことを知らなかったよな……。

 僕はしみじみと思いながら、山を降りた。






 山道に落ちた木の枝を踏むと、「パキ」という音がした。レイディアントでもこういう音は聞いてきたけど、なんだか懐かしい音に感じる。

 鳥の囁き――忘れかけていた、母国の野鳥の鳴き声。ああ、ここは自分の生まれ育った場所なんだな。そう、実感させる。

 ようやく、小学校の裏門の所に辿り着いた。……不法侵入っぽいけど、卒業生だからいいよな。そう勝手に解釈し、僕は閉められていた門を飛び越え、小学校の敷地内に侵入した。

 今日は、土曜日だろうか。それとも、日曜日かな。元気な小学生の声が聞こえない。この時間帯、太陽の高さを見るとまだ昼間だ。普通だったら、昼休みの時間だ。その時間帯だと、小学生の元気振りと言ったらもう……スッゲーの何の。

 この小学校に通っていた頃は、樹も修哉も、笑っていた。樹は体が弱かったけど、楽しげに学校に通っていたっけ。修哉とは、毎日のようにいたずらをして、二人とも先生に叱られたな。

 けど、あの2人はもういない。過去が目の前を通り過ぎ、現実が視界を埋め尽くす。


「ちょっとあんた!」


 グラウンドを堂々と横断していると、女性の怒声が聞こえた。恐る恐る後ろへ振り返ると、そこには女性教師が立っていた。

「勝手に小学校の敷地に入らないで下さい!」

「あ、すんません。ちょっと、近道をと……ん?」

 その見覚えのある姿に、僕は思わず目の辺りを手でこすった。その教師も、僕を見ながら頭をかしげる。

「君、空くんじゃないの?」

 女性教師は僕を指差した。

「――坂本先生!?」

 僕たちも同じように指をさした。

 坂本先生は、僕の担任だった先生で、眼鏡をかけていて意外にほっそりしている。あと、小さい。小学生の頃、何度も叱られたもんだ。ちなみに30台半ばで、2人の子供がいます。

「久しぶりねぇ、空くん! いつ以来かしら。中学校卒業以来?」

「あれ、そんな前になりますっけ?」

 うーん、あんまし思い出せない。そうやって唸っていると、「相変わらず背だけは高いんだから」とか言いながら、先生は僕の背中を叩く。

「ところで、なんでこんなところに?」

「えっと、ホラ。あの裏山から降りて来たところなんですよ。んで、今は帰り道ってことです」

「なるほど。あんたたち、あの裏山でいつも遊んでいたもんね」

「ハハ、そうですね。いつも修哉たちと……」



「修哉?」



 先生は頭をかしげた。頭の上に、クエスチョンマークが浮かんでいる。

「修哉……なんて名前の子、いたかしら?」

「えぇ、覚えていませんか? 柊修哉。ほら、滅茶苦茶頭が良くて、運動神経抜群の奴ですよ」

 と、僕は苦笑しながら言った。さすがに、あそこまでインパクトのある児童を覚えていないわけがない。きっと、冗談だろう。そう思っていた。

 しかし、先生の表情はそうではない。“本当に知らないという顔”だった。

「ごめんなさい、本当に覚えていないの」

「…………?」

 まさかとは思うが、修哉はいなかったことになってるのか?

「そもそも、柊――なんて苗字は聞いたこと無いけどね。珍しい苗字は同じように忘れないはずだし」

 つまり、柊家自体の存在自体が消えてしまってるのか? 修哉の父親も、妹の咲希ちゃんも。

「あの頃は、君の弟――樹くんだったっけ? 体は弱かったけど、いつもあなたの後を付いて回っていたわよね。懐かしいわ……」

 考え込んでいる僕を置いてけぼりにして、先生は思い出話を話し続けている。

 樹の存在は消えていない。つまり……?

「あの子が亡くなってから、もう少しで三年かしら? 早いわよね……」

 先生は遠い目をして、そう言った。

 三年……? あいつが死んだのは、四年前のはずだ。

「あ、思い出させちゃってごめんね」

 先生は申し訳なさそうにして言った。僕の難しそうな表情を見てそう言ったのだろうけど、先生が想像しているような哀しい感情を出していたわけではない。どちらかといえば、困惑しているのだ。

「いえ、気にしないで下さい」

 樹の存在は、死んでしまったことになってる。あの時に、死んでしまった――ままなのだろう。この世界では。

「あの……ちょっと訊いていいですか?」

 訊くのはちょっと変な感じもするが、どうしても確かめておきたいことがある。

「ん? 何?」



「今日って、何月何日でしたっけ?」



 こういう質問をするのは、なんだか恥ずかしい。やはりというか、先生は怪訝そうに頭をかしげている。

「あんた、頭でもおかしいの?」

 いきなし、なんつー失礼なことを。

「いえいえ、ちょっとど忘れてしまいまして。ほら、いい天気ですし」

 どんなど忘れかっての。自分自身に突っ込み。

「……今日は5月19日だけど」

「5月19日、ですか?」

 たしか、僕がレイディアントへ行ったのは5月19日の朝。

「あの、今年って……2007年……ですよね?」

 僕は恐る恐る質問した。どんどん先生の顔に疑問が広がっていく。

「当たり前でしょ? あなた、そんなことまで忘れちゃったの? まったく……いつも物忘れが激しい生徒だとは思ってたけど……」

 先生は大きくため息を漏らし、僕の頭を軽く叩いた。まるで僕の頭の中に、脳みそが入っているのかどうかを確認するかのように。

「や、やだなぁ、そんなわけ無いじゃないですか。ちょっと確認しただけですよ」

 僕は苦し紛れに笑った。なんだか、変な意味で怪しまれそうだ。

「あっ! やっべ! ちょっと急がなきゃならないんで、失礼します! さよなら!! また今度!」

 僕は再び嘘を言って、この場から走って逃げた。



「さようなら。……変な子になったわねぇ……心配だわ」







 今日は2007年5月19日、土曜日。



 どういうことだ?



 どうして、時が戻っているんだ?

 僕が歩んできた一年は、なかったことになっているんだろうか?

 いや、たしかにある。僕の身体には、その傷が刻まれていた。そして、僕の記憶も残っている。あの旅も、想いも。

 たしかに、僕はレイディアントで一年近く過ごしたんだ。そして、帰ってきた。もしかしたら、リリスが何かをしたのかもしれない。確信は無いけれど、“時間が逆流した”ということだろうか。

 そして、修哉の存在が消えている。みんなの記憶の中から、消えてしまってるんだ。いや、記憶が無くなったというよりも、“彼の存在自体がそもそもなかったことになっている”と表現した方が正しいかもしれない。この世界では死んだことになっているという樹は、そのままなのに。

 一体、何のために?

 ……深く考えても、わからないことだろう。遥か深淵の彼方でこの世界を覗き込んでいる存在が彼女以外にいるとすれば、もしかしたら――――

 いや、やめよう。今の僕には、それを探る“権利(ちから)”は残されていない。

 ともかく、自分の家に帰ろう。

 僕は足早に家へ向かった。







 家の前に辿り着いて、僕は足が止まった。

 ここへ来ること。それは、帰ってくるということだった。他の人からしてみれば些細なことかもしれないが、今の僕にとっては――かなり重大なこと。少し、緊張してしまう。

 ここは、僕の家。帰るべき場所。

 僕は心臓を落ち着かせるために深呼吸をし、意を決して玄関の扉を開けた。この時間帯、母さんはねっころがっているため、テレビの音しか聴こえない。父さんも仕事が休みだからといって、ゴロゴロとしているはずだ。

 僕は家の中へ上がり、リビングへ進んだ。そこには、テレビの前で横になっている母さんと、テーブルを囲むイスの上で新聞を広げている父さんの姿があった。


「空、どこ行ってたんだ?」


「……へっ?」

 久しぶりに聞いた、父さんの声。

「んなすっとぼけたような顔をして。お前、朝飯も食わないでどこかに行くもんだから、心配したじゃないか」

「あ? ああ……ごめん」

 今さっき見た、のほほんとした様子から心配の欠片も見えないんですけど……。ていうか、やっぱり時間が逆流しているのか? 僕がいるってことが、普通のまんまだ。


「お帰り〜」


 母さんは僕を見ず、テレビを見ながら言った。このおばはんは……相変わらずだな。

「……ちょっと、用事があってね」

 僕は少し笑いながら言った。

 何も、変わっちゃいない。時間は進んでいない。まったくと言っていいほど。

 平凡な日常。

 これが……一年前までの普通だったんだな。これがどれほど安心でき、どれほど平和であり、幸せなことか。それを強く、強く実感した。

「そうなのか? まぁ、心配はしてなかったけど」

「……さっき、心配したって言ったじゃないか」

 僕は苦笑しながら、言った。

「ああ、あれは嘘だ」

 父さんはニコッと笑い、再び新聞に目をやる。

「やれやれ……」

 僕は大きくため息をついた。相変わらずだよ、ホント。

「母さん、空に昼飯作ってやんな」

「えぇ〜? 昼食タイムは終了してるんですけど」

「おいおい……」

 父さんも、いつもどおり呆れ顔だった。

 なんだか、心がホッとする。レイディアントの仲間たちから別れてしまったという哀しさの反面、なんだかうれしい。それどころか、僕は泣いてしまいそうだった。こんなにも、家族というのは温かいのだと。平和なのだと。



「そう言えば、海ちゃんが来たぞ?」



「海が!?」

 な、なんでいるんだよ!? いきなり、心拍数が上昇してしまった。

「というより、お前の部屋にいるけどな」

「な、なんで勝手に入れてんだよ!」

 せめて本人の了承を得てからしてほしい。

「なんか、ゲームがしたいんだとさ」

「なんじゃそりゃ……」

 プライバシーってもんは東家と日向家にはないのかね……。今更ながら、おかしいんじゃないかって思ってしまう。

 僕はリビングを出かけたところで立ち止まった。

「ねぇ、父さん」

「ん?」

 父さんは僕の方に振り向かず、新聞に目を通している。


「柊っていう名前、知ってる?」


「ヒイラギ? 知らないな。お前の友達か?」

 首をひねり、少し思慮する父さんだった。

「……うん」

 親友だよ。最も大切な、僕の親友。

 唯一無二の親友だった。

 でも、世界の記憶から――彼は消えてしまった。

「そうか。なら、今度連れて来れば?」

 父さんはニコッと微笑んで、再び新聞に目をやった。

「……いつか、ね」





 階段を登りながら、自分が緊張していることに驚くとともに、それを如何に隠せるかを考える。もしかしたら、あいつは記憶を残しているのかもしれない。そうだとしたら……はてさて、どう切り出そう。

 僕は部屋の前で大きく息を吐き、心を落ち着かせた。よし、開けよう。

 そう思ってドアノブを掴もうとした瞬間、扉が開き、僕の顔に直撃した。


「ぶっ!!」


 僕は後ろへよろけた。

「あっ、空。帰って来たんだ」

 部屋から出て来たのは、海だった。目をパチクリさせている。

「お、お前……」

「どこ行ってたの? 昨日、宿題を教えてくれるって約束してたのにさ」

 なんだか、海は不機嫌そうである。そんな約束、まったく覚えちゃいないんですけど。

「そ、そうだったっけ?」

「そうだよ。もう終わっちゃったよ」

 フン、と海はそっぽを向いた。それを見て、僕は思わず笑ってしまった。

 そっか……海も、今までのことは覚えていないんだ。いや、そういう現実に遭遇しなかったことになってるんだ。覚えているはずも無い。

「何笑ってんのよ!」

 と、海は僕の頭をはたく。とはいえ、彼女と僕の身長差は結構あるので、眉間を叩かれたみたいになった。

「いや、ちょっと……懐かしいなぁと思って」

「はぁ?」

 海は眉を八の字にし、頭をかしげる。まぁ、それが普通の反応だよな。

「懐かしいって、昨日も会ったじゃない」

「うーん、そうだっけか?」

 僕にとっての昨日では、会っていないんだよな〜。

「……頭でもおかしくなったの?」

「アホか」

 ズビシ

 僕は海の頭にチョップをした。

 おぉ。この感じ、久々。

「いたっ! 何すんのよ、この馬鹿空!!」

 今度は、海は僕のほっぺたをつねってきた。

「いてて!」

「まったく……」

 ため息をつき、彼女は腕を組んだ。その仕草は、どことなくリサのようだと感じた。たぶん、そういった仕草は昔からしていたのだろうけど、リサを知ることで実は共通点がたくさんあるのだということを、僕は改めて思う。

 すると、海は僕の顔をジーっと見つめ始めた。何度か瞬きをして、彼女の空色の瞳が隠れたり、表れたりする。

「なんだよ?」

 ほっぺたをさすりながら、僕は言った。



「なんだか、様子が変わったね」



「え?」

 海はよくわからない、という顔をした。うーんと唸りながら顎に指を当て、天井を見つめる。

「昨日も見てるのに……なんだろう、昨日とは別人みたいに見える。見た目とか変わってるわけじゃないのに。なんでだろ?」

 言い表すことのできない違和感に、彼女は率直に疑問を感じていた。それはある意味で、本能的に。

 僕をいつも見ている彼女は、気付くんだ。見た目は変わらなくても、たしかに“変わっている”ということを。そのことがわかるだけで、僕は――とてもうれしくなった。

 僕は小さく微笑んで、言った。

「一日程度で何が変わるってんだ? 髪型程度だろ」

 そう言うと、海は顔を下ろして僕を見る。

「……そうだよね。うん、そうだよね。私、何言ってんだろ」

 と、彼女は屈託のない笑顔を浮かべた。

 彼女の笑顔を見るのは、久しぶりだ。表情は空とそっくりなんだけど、やっぱり違う。

 そして、やっぱりリサにも似ている。

 けど、違う。



 別世界のリサ。別世界の空と海。

 運命って、不思議だよな。



「あっ……そう言えば、空は?」

 僕は気になっていた質問をした。無事なら、あいつはちゃんとこっちに帰ってきているはず。

だが、もう一つ不安があった。時が戻ったなら、空がさらわれてしまった時に戻っているんじゃないのかって。

「お姉ちゃん? お姉ちゃんなら、さっき出かけちゃったよ」

「……そっか」

 ホッとした。あいつは無事に帰ってきている。もしかしたら記憶の全てを失って、僕と同じように時間を遡ったのかもしれない。

 ……でも、それでもいい。あいつが無事に“ここ”に帰って来たのなら。

「空はどこに行ったんだ?」

「たしか、そこら辺ぶらついてくるって言ってたと思う」

「そこら辺って……」

 まったく、せめてどこに行ったのかを明確に言っておけよな……。

「とりあえず、一・二時間程度で帰って来るって言ってた」

「……そっか。わかった」

 僕がうなずくと、海はどこか顔を曇らせてしまった。

「お姉ちゃんに用でもあるの?」

「……まぁ、ちょっとな」

 と、僕は苦笑する。ただ会いたいだなんて、口が裂けても言えない。恥ずかしすぎるし、今の彼女にとっては酷だ。

「ふーん。……じゃあ、私帰るね」

 そう言って、彼女は階段を降り始める。すると、頭だけが見える位置まで降りたところで、僕の方に向き直った。



「空の部屋、掃除してあげたから」



「は?」

「だから、掃除してあげたって言ってるでしょ?」

 彼女は何度も言わせるなと言わんばかりの顔だった。

「…………」

 僕が瞬きもせずに見つめるもんだから、海は何度も瞬きをし出した。

「な、何よ?」

「ありがとさんってこと」

 そう言うと、海は照れくさそうに顔をそらす。

「だっ……だって、部屋に入ったら散らかってたんだもん。あれじゃ、宿題しようにも集中できないよ」

「ハハ、それはごめんな」

「……変な空」

 そして、海は小さな足音を立てながら、下へ降りて行った。

 あの時のことも、無くなってるんだろうな。海が告白してくれた時のことも。

 必ず帰って来る――と約束をしたことも。

 空がさらわれることの無かった世界……だから、それに関連した事象は全て消えてしまっているのだろう。

 あれらの約束さえも遭遇しなかった未来となってしまったんだ。

 僕は、海が歩いて行った階段を見つめた。



 ――でも、約束は果たしたよ。君との約束を。

 ちゃんと、帰ってきた。

 君がいる、この世界に。






「空、今度はどこ行くつもり?」

 玄関で靴を履こうとした時、母さんの声が聞こえた。後ろに振り返ると、リビングから顔だけをひょっこり出している母さんの姿がある。

「ちょっと、そこまで」

「そこまでってどこまでよ?」

「……そこら辺だよ」

 そう言われたら、返答のしようが無いんですけど。

「せっかく、あんたの昼飯作ってやろうと思ったのに」

 その言葉に、僕は動きを止めてしまった。

「じゃあ、お願いする」

「あら? なんだか変に素直ね」

 と、母さんは怪しげに微笑む。

「んなんじゃねぇっての。作るなら、早く作ってくれよ」

「ハイハイ」

 めんどくさそうに言いながらも、母さんはキッチンへ向かった。

 僕はうれしかった。普通のことなのに、これほどうれしいなんて……自分でもびっくりだ。

 出てきたのは、みそ汁とオムライス。母さんは相変わらず、卵を乗せるのが下手で、崩れてしまっている。それを、ケチャップで隠そうしているのが……なんというか。

 久しぶりに口にした母親の手料理は、涙が出そうなほどうまかった。一度帰って来た時に食べたけど、あれからまたずいぶん月日が経ってしまったもんな……。

「いくらなんでも、そんな速さで突っ込んでたら窒息するよ?」

 僕があまりにも速いスピードで食べ進めるもんだから、母さんは呆れ顔で言う。

「おいおい、大丈夫かぁ?」

 父さんまで新聞を読む目を止めて僕を見ていた。

「いや……なんか、すっげぇうまく感じて」

「なんだぁ? 今日の料理は手が込んでんのか?」

 そう言って、父さんは僕のオムライスを覗き込む。

「それ、いつもは手が込んでないって言いたいわけ?」

 母さんはテーブルに頬杖をつき、ギロっと父さんを睨んだ。

「いや……まぁ、もうちょっと贅沢なもんが食べたいかな〜……と」

「あんたが安月給だからでしょうが!!」

「そ、それを言っちゃあいけないだろ!?」

 とまぁ、よくある変な夫婦ゲンカが始まったわけで。

「…………」

 それを見ていても、なんだか泣きそうだった。ありきたりな光景であるはずなのに。涙脆くなったわけではないんだけど……。



 父上、母上。



 この人たちが、僕の“父さん”と“母さん”です。

 ここまで大きくなれたのも……ここまで“来れた”のも、二人のおかげです。

 見てくれてますか……?




 父上……母上……













 食事をし終え、僕は外に出た。

 空が帰ってくるまで、そこら辺でぶらつくか。そうすれば、もしかしたら遭遇するかもしれない。そんな期待も込めて、僕は歩きだした。

 さっき、山から家に帰る時は急いでいてあまり見ていなかったのだが、こうしてこの町の風景を眺めていると……当たり前のように見ていた景色が、どことなく色褪せているように感じた。よくわからないけど、レイディアントの風景が目に焼き付いているからなのかもしれない。


 レイディアントとガイア。


 太陽と星のように遠く、男と女のように近い二つの世界。

 ヴァルバが言っていたっけ。“赤の子と青の子という双子の体が、二つの世界となった”――って。

 レンド、デルゲン、シェリア……アンナ。みんな、元気にしているだろうか。全てを終え、お前たちに映る“世界”はどう見える? きっと、今までとは違うものに見えるんだと思う。

 僕は。

 僕は――すごく、愛おしく思えるよ。たとえ、滅びの未来をまだ歩んでいたって、自分にとってどう見えるかが大事なんだ。




 僕はそう信じるよ。

 樹、修哉。









 学校。

 ここに来るのも、すごく久しぶりだ。一年ぶりになるんだが……今の時間軸では、昨日以来なのだろう。

 何も変わっちゃあいない。というより、何も変わる必要性がないもんな。

 白い壁、茶色いグラウンド、その端にある銀杏の木。いつも町を眺めていた屋上。あそこで、僕はよく修哉と話していた。

 目に映る全てのものが、今の僕にとっては感傷に浸らせるものだった。

 ……また、ここに帰ってこれるなんてな……。



「あれ? 空じゃんか」



 懐かしいこの声――僕は、後ろに振り返った。

「和樹、啓太郎……それに、美香か?」

 そこには、高校での友達3人が立っていた。

 変わっていない。なんら、変わっちゃいない。それが、とても……。

「どうしたんだ? 学校になんか来ちゃってよ」

 和樹がそんなことを言いながら、こっちに歩み寄って来た。髪は相変わらず茶髪で、ピアスもしている。

「? 空?」

 美香が僕の顔を覗き込んだ。

「どうしたの?」

「あっ……いや、別に」

「別にって……変なの」

 彼女は首をかしげる。すると、和樹が笑い始めた。

「空が変なのは、今に始まったことじゃねぇだろ?」

「……和樹が言うかな」

 啓太郎はため息交じりで言い放つ。

「んだとぉ?」

 てめ〜と言いながら、和樹は啓太郎にチョークスリーパーをかけた。よく、僕も和樹にやられたもんだ。

 そんな光景を見ていて、僕は笑い出してしまった。そんな僕を、彼らはキョトンとした顔で見ている。

「ど、どうしたの? 空」

 美香は腹を抑えている僕に、少し戸惑いながら言う。

「いや……なんか、すごくおかしくてさ……」

「おかしいって……別に、いつものことじゃない。特に進藤なんてさ」

 と、彼女は彼らを指差す。

 そうだよ。そうなんだよ。いつものことなんだよ。それがたまらなくおかしくて、うれしくて……

「なんか、空に笑われると腹が立ってくるのはなんでだろうな」

「ハハハ、そりゃどっちともあれだからだよ」

「……あれってなんだ? 啓」

 和樹はギロッと彼を睨んだ。

「それで、空ってばどうしたの?」

 そんな和樹を無視し、美香は訊ねた。

「そういう美香たちこそ、今日はどうしたんだ?」

 僕の笑いはようやく収まり、普通にしゃべれるようになった。

「私は買い物に行く途中。そしたら、和樹と啓太郎にばったり出会ってさ」

「俺たちはちょっくら服でも買いに行こうかってな」

 和樹はケータイを取り出し、時間か何かを確認していた。

「ふーん……そっか」

「んで? お前は?」

 和樹は僕を指差した。こうして和樹を見てると、ホントにチャラ男だなぁ。これも懐かしくて、笑っちゃいそうだよ。

「僕は、ちょっと散歩」

「散歩ぉ? お前がぁ?」

「……そのあからさまな驚き方はないだろ」

「いや、だって空だもんよ」

 まるで突っ込みを入れるかのように、和樹は言う。

「ハハ、まぁね」

 と、啓太郎までもが言う。

「そんなにおかしいかぁ?」

 散歩とか、個人的には嫌いじゃないいんだけどな。寧ろ、好きな方かもしれないし。

「なんていうか……散歩したかったんだよ。今日は、なんだかめちゃくちゃ気分が良くてさ」

 僕は自然と笑顔になり、上空を見上げた。

 青い空と白い雲。この空も、あっちの空も変わらないな。どの世界でも、僕の心を奪ってくれる〈星の雫〉。

 こっちの空も、あっちの空も同じだ。


 果てしなく青い空――。


 遥かな“夢の形”が、そこに浮かんでいるようだった。

「…………」

 ふと、僕をじーっと見つめる視線に気が付いた。美香は、目をパチクリさせながら僕を見ている。

「どうした?」

「なんか、空ってば変わった?」

「…………」

「それはちょっと思ったな。なんか、大人っぽくなったっていうか」

 うなずきながら、啓太郎は言った。

 わかるんだな、お前たちも。

 僕は変わったよ。自分でも、それがよくわかる。そして、そんな変化を察知してくれるからこそ、僕はお前たちを“親友”って思えるんだ。

「そうかぁ?」

 和樹はそう言いながら、僕をジロジロと見回す。

「……和樹は馬鹿だもんな」

「てめぇ! 啓!!」

 再び、和樹は啓にチョークスリーパー。

「こーら、いい加減にしなさいって。進藤なんかいつまでたってもガキっぽいんだから」

 こうして見ていると……似てるような気がした。和樹はレンド、啓太郎はデルゲン、そして美香はアンナ。

 もしかしたら、空と海とリサのように、ガイアでの三人なのかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。そして、この世界のどこかにシェリアみたいな男の子のような女の子もいるのかもしれない。


 二万年も昔に分かたれた、二つの世界。

 もしかしたら、僕たちは遠い昔に出逢っていたのかもしれない。


 僕と、リサのように。



「なんか、ホッとした」



「は?」

 三人はキョトンとした様子で、顔をかしげる。

「んじゃ、僕は行くよ」

 僕は歩きだした。すると、

「おーい、空。一緒に行かねぇか? どうせ暇なんだろ?」

 帰ってくる答えを知っているような感じで、和樹は言った。

残念、和樹。僕はまだいろんな所を見て回りたいんだ。……この故郷を。それに……

「悪い、ちょっと今日は無理」

「なんでだよ?」

 そりゃあもちろん――


「今日はどうしても会いたい人がいるんだ」


「はぁ?」

 和樹は意味がわからず、口を開けている。

「じゃあな」

 僕は大きく手を振り、再び歩き出した。そう、どうしても会いたいんだ。あいつに……。




「空ってば、どうしたんだろ? 私たちと一緒に行けばよかったのに」

「さぁ……好きな人でもいるんじゃない?」

「それって、空ちゃんだろ?」

「……和樹でもわかるか」

「そりゃどーいう意味だ? 啓」

「別に、気にしなくていいって」

「こんにゃろ!!」

「いたっ! 痛いって!!」

「まったく……二人も飽きないわね」



 僕はとりあえず、山に行ってみることにした。あそこからレイディアントに行ったんだし、あそこからもう一度この町を眺めてみようと思ったからだ。

 山へ行く道の途中、僕は公園に行った。

 ブランコに砂場、滑り台。ジャングルジムに平均台。どこにでもあるような公園。でも、僕にとってはある意味、たくさんの宝物(おもいで)が詰まった場所。


 ここで、僕は空たちと出逢ったんだ。


 十三年前――レイディアントでの一年を加えれば、十四年前になる。

 あの時、僕は白い服を着た女の子たちに出逢った。

 十四年前、この世界へとやって来た僕と樹は、父さんと母さんと一緒に暮らし始めた。あの時の記憶を失い、一から……セヴェスとシャルフィルではなく、空と樹として。

 ようやく思い出せたよ。

 母上が、母さんたちになんて言ったのか。



「この子たちを、お願い……」



 それが、母上の最後の言葉だった。大ケガを負っていながらも、母上は僕たちを護り続けた。聖帝中央庁で反乱兵に見つかり、僕たちを庇って何度も傷を負いながらも。奴らは、僕たちが目当てだったのだから。



「いいか? どこに行っても、私たちの心は離れ離れにはならない。きっと、また会える。お前たちを、護ってくれるから……」



 父上は優しく微笑みながら、僕たちをレイディアントから避難させてくれた。禁忌とされていた、次元彎曲の魔法を使用して。

 父上は――知っていたんだ。僕の叔父である大司祭の反乱が、“ある男”に唆されて勃発したものであり、レイディアントの別の場所に逃げたって無意味であることを。なぜなら、その人は自分の義理の弟でもあるから。


 今ならわかる。




 ――ヴェリガン……いや、柊克正。




 あなたが、父上を殺したんだな。

 聖帝中央庁を襲撃し、わざわざ僕たちが住んでいる後宮から攻め入ったのは、調停者となり得る僕と樹を奪うため。

 母上に……自分の義理の姉である母上に致命傷を与えたのも、あなただった。


 あれから僕は、当時のショックで記憶を失い、ガイアで生活していた。そして、灰色の砂がある場所で僕は君と出逢った。



「わたし、ひなたそら。あなたは?」



 それが、最初の言葉だった。

 あの時から、僕は“東空”としての生を始めた気がする。記憶を失ってしまったのは、もしかしたら、君と出逢うためだったのかもしれないな。

 僕の今までの人生のほとんどが……空、君にあるよ。

 僕はこれから“セヴェス”として――“空”として生き続ける。そして、太古の昔より続くこの螺旋を壊し、新たな邂逅を見出す。

 それこそが、君たちの願いに繋がる。

 そうやって、君たちと一緒に夢を見続けられるんだよな……。




 どこかにいるか? リサ。




 僕は君と出逢えて、本当によかった。君に出逢ったその時から、僕の中に在った『何か』が動き出したのだから。

 遠い昔――遠い想い出の中で、僕たちはともに未来を夢見ていた。その果てに、どんな結末があろうとも。



 今こそ、君の――“君たち”の名を呼ぶよ。







 ユリア=ファーシェ――


















 僕は山へ向かった。

 この森を進む時に、変な声を聞いたんだよな。それからも、何度も聴こえた声。優しく囁いた、あの声。

 おそらく、あの人だろう。今頃、遥かなる次元の果てで、この世界を覗いているのかもしれない。

 大丈夫、僕たちは弱くない。弱くても、強くなれる可能性を秘めてる。

 そんなことを心の中で呟きながら、僕は先へ進んだ。



 ようやく、頂上へ辿り着いた。まさか、一日に二度もここへ来ることになるなんてな。爽やかに体をなでてくる風が、少し火照った僕の体を冷ましてくれる。もう5月半ばだ。ちょっとした山道を登るだけで、汗が出てきてしまう。

 額に滲んで来た汗を拭い、僕は前に目を向けた。



 ――そこに、“それ”はいた。



 そう言ってしまったら、怒られてしまうかもしれない。

 町を一望できるその場所で、彼女は青空を見つめていた。爽やかな風になびかれ、世界を包み込む太陽の淡い光を受けながら。



 


 ――空――





 腰までありそうなほど長く、黒い髪。夏の青空の蒼さよりも黒く、美しい髪。

 白い肌――それは、シュレジエンの人々を思わせるような、雪のような肌。

 彼女の来ている白いワンピースは、あの時と同じだった。



 僕に手を差し出してくれた、あの天使のような指先。



 幼い彼女の手を握り締めた時こそが、全ての始まりだったのかもしれない。

 十四年前――僕は、彼女に恋をした。

 そう、彼女も……。



 何かに勘付いたのか、彼女はこちらに振り向いた。それと同時に、美しい長い黒髪が泳ぐように動く。





「…………」

「…………」





 少しの間の沈黙。その止まったかのような空間の中に、五月晴れの中を優雅に漂ういくつもの緑風が、優しい旋律を奏でながら入り込んで来る。その風たちは二人を包み込み、この世界が美しいことを悟らせた。



 その風が途絶えた時、再び時は動き出す。



 彼女は小さく震えている。その理由など、考えなくても理解できた。

 僕はうなずく。すると、彼女の表情が変わった。その煌めくような彼女の笑顔は、僕の見る世界に光をもたらしてくれる。本気で、そう思えた。

 彼女はゆっくりと頭を振る。これは現実なのかどうかを、確かめるように。

 僕は笑顔で彼女を見つめる。それに応えるかのように、彼女も僕の瞳を捉える。



 あの、空色の瞳で。





 ――今、約束を果たすよ――





 その心の言葉が彼女に伝わったかどうかは分からない。けど、彼女はその宝石のような瞳から、いくつかの小さな宝石を流し始めた。キラキラと輝くそれは、彼女の白いほほを伝っていく。

 でも、笑顔だった。ヒトとして、最も美しい顔。



 この青い世界の中で、僕たちは巡り逢えた。

 それは運命だったのかもしれない。

 それは奇跡だったのかもしれない……



 彼女は笑顔のまま、ゆっくり歩き始める。 

 僕も同じように、ゆっくりと歩き始める。


 この始まりの山頂から見える、ぽっかりと開いた景色から青空と町が望める。



 ここから、もう一度始めよう。

 僕たちの物語を。



 彼女はそっと手を差し出した。

 僕はその彼女の手を握り締める。


 あの時と同じように












 もう一度、紡ごう




 『Liebe(リーヴェ)




 という名の物語を。
























   お帰りなさい





 挿絵(By みてみん)






















   ただいま


























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