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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆5部:全ての約束が紡がれし時へ
102/149

87章:久遠の歌 星の雫が集う頃へ

「意識はありますか?」



 女性の声が聴こえ、僕は目を開けた。

「……あなたは……?」

 白いローブを羽織った、真っ白な長い髪を持つ女性が僕の前に佇んでいた……というより、わずかだが空中へ浮かんでいた。優しい眼差しで、僕を見ている。

 どこかで、見たことがある。そして、声も聴いたことがある。それを深く考える前に、僕は自分がいるこの空間に気を取られた。

 周りは、あの聖域リーヴェの時と同じみたいだった。上にも下にも星空が広がり、遥か遠くには銀河が見える。

「私は、あなた方から“神”と呼ばれる存在――とでも言いましょうか」

 フワフワと漂いながら、彼女は言った。

「神……?」

 もし、ここがあの世とかって言うのなら、あながち間違っていないような気がする。

 銀色のストレートな長髪、透きとおるほど白い肌、黄金の瞳、白いローブ――彼女はまるで「女神」という抽象的な存在を、そのまま現実世界の女性として具現化したように見えるほど美しい。

「……ここは、一体どこなんですか? 僕は、死んだんですか?」

 そう訊ねると、女性は顔を振った。

「あなたは死んでいませんよ」

 そう言われても、僕はいまいち納得出来ていなかった。それに気付いたのか、女性は言葉を続ける。



「ここは、遥遠なる次元。あなたがいた二つの次元とは、まったく別次元の空間。虚無の狭間。物質が入ることを許されない異次元――いわば、無」



 無、という言葉に、少なからず恐れた。それはある意味、死後の世界と同じようにも感じたからだ。

「……妖精たちの世界、ユートピアみたいなもんですか?」

 すると、女性は少し困った表情になった。

「厳密に言えば、同じではありません。あそこは、あなた方の次元と同程度の次元です。ここはそうではない」

「とすると……あなた方のような“存在”しか入り得ない場所、ですか?」

「そうです。強いて言うならば、聖域リーヴェに近い。あそこも、本来ならあなたのような生きるものは入り得ない場所ですから」

 聖域リーヴェ。あそこは、命を落とした者が来る場所。精神だけの存在となったものたちだけが入れる場所。……聖域ではなく、僕たち人間が信じている〈天国〉や〈地獄〉に相当する場所なのだろう。


「僕は、生きているんですか?」


 ゆっくりと、僕はその質問を投げかける。リーヴェにいないということは、やはり死んでいないのだが、それでも訊きたいことだった。

「ええ。今、ここにいるあなたは物質から離れた精神体。あなたの肉体は、しばしの間眠りに就いているだけです」

「そう、ですか……」

 嬉しい反面、僕はクロノスさんや樹がここにいないことに、胸を痛ませた。

 どうして……。



「あなたは、レイディアントの『滅びの未来』を回避しました」



 しばし顔を俯かせていた僕に、彼女は言葉を放った。

「それは、どういう……?」

 顔を上げて彼女を見ると、そこには先程までの微笑は消えてしまっていた。それどころか、どこか哀しそうな雰囲気にも見える。

「あなたたち〈調停者〉は、物質でありながら未来を変える権利を持つ、唯一の存在。あらゆるものを凌駕する、理の破壊者。あなたはその権利を用いて、この次元が歩むべき未来を変えました」

「じゃあ、星は……世界は、滅びないんですか?」

「ええ、そうです。」

 そうか……僕たちの旅は、無意味じゃないんだ。

「……ですが、この次元から分岐したもう一つの世界……ガイアの〈滅びの未来〉は未だ生き続けています」

 安心している僕を咎めるかのように、彼女は言う。

「あなたが救ったのは、レイディアントのみ。ガイアの未来は変わっていないのです」

「…………」

「それに、あなたには〈調停者〉としての権利は残されていません。この次元を救うのと同時に、消滅しました」

 一回ぽっきり、ということか。そうそう、うまい話はない。



「……これから、どうするのですか?」



 女性は、穏やかな表情で問いかけてきた。

「これから、ですか?」

 問い返すと、彼女は小さくうなずく。

「もちろん、ガイアの未来を救うために尽力するつもりです」

 それこそが、真実を知ったから為せることなのだから。

「……ですが、あなたには〈調停者〉としての権利も、力も残されていません」

「…………」

「それに、ガイアには〈調停者〉となり得る人物は今のところ存在しません。……そのような状況で、一体どうすると言うのですか?」

 優しい声だが、厳しい質問だった。それでも、僕にはそれに答えなければならない。適当なことを言っては、彼女に失礼だと思ったのだ。

「そうですね……きっと、レイディアントでやったようにうまくいかないでしょう」

 今回は、うまく事が運んでいったような気がする。リーヴェに二度も堕ちたのに、そこから戻ることができたわけだし……。

「でも、僕は一人じゃない。一人で変えることができなくても、僕たちには可能性があります。そうだと、信じてます」

「……あなたの意思に、みなが賛同すると思いますか?」

 遠い目をしながら、まるで僕の奥を見つめるかのような視線で、彼女は言う。

「どうでしょうね……かなり苦労するでしょう」

 今回だって、想像以上に苦しかった。たくさんの痛みと、喪失があった。

「……けど、僕はあきらめません。特別な存在だからだとか、そうではなく……自分たちの未来は自分たちで選び取る。始めから定められていることなんか、壊してやりますよ」

 僕は自然と笑顔になった。ヒトってのは、信じないといけない。信じていかないと、生きていけない。信じてもらいたいなら、信じるしかない。そうやって歴史は積み重なっていくのだから。

「……そうですか……」

 女性は小さく微笑み、目を瞑った。



「遠い……もう、何が起きていたのかもわからぬようなほどの遠い昔に……あなたのような心を持った、存在がいました」



「存在?」

 女性は横を向き、この空間の果てにある渦巻き――銀河を見つめる。

「私と同じ、この次元に存在する意思。星の数だけ存在する次元の狭間で彷徨う存在。何によって生み出されたのかも、何のために存在するのかもわからない存在。……そう、まるであなたたち……ヒトのように」

 風が吹いているわけでもないのに、彼女のローブと長い髪が揺れる。

「彼は、ヒトとなることを夢見、ヒトの世界に具現化しました。実体としての肉体を持つことが、どれほどの喜びなのか……きっと、想像し得ないほどの幸福だったに違いありません」

 微笑む女性の表情は、想い出を語るようなものだった。

「滅びゆく人類を救おうと、彼は闘いました。どんなに時間がかかろうとも、愛するもののために闘いました」

 その「愛するもの」というのは、人類のことなのだろうか。

「けれど、彼は運命に打ち勝つことができませんでした。ヒトとしての範疇を超えたものでありながらも、予想だにしなかった事態に対してどうしようもなかったのです」

「……その人は、もういないんですか?」

 そう言うと、女性は首を振った。

「いますよ。……そこに」

 女性は僕の胸を指差した。その瞬間、胸が青く光る。





「バルドル……我が古き友よ」





「――!!」

 バルドルが…!?

 そう思った時、それに呼応したかのように女性はうなずいた。

「う、ウソだろ!? そんなの……」

 よくわかっていない僕に対し、彼女は顔を振る。

「あなたは何度も見ていたはずですよ。垣間に過ぎないけれど、あなたは見ていたわ。まだ、何も知らない頃に……」

「えっ……?」

 その時、ふとある映像が浮かび上がった。

 まさか……あの、わけのわからない会話をしていた……









 葬られた文明

 忘れ去られた歴史

 黄昏の歌声

 凍てついた焔

 穢れなき暁の天使

 失われた星の遺産







 ――全てが始まりし時より、全ての終わりを告げし万物の源――









「そう、あなたは彼らの血を受け継ぐが故に、彼らの記憶の端末も一部引き継いでいる。あなた方の宗教の中にある考え方に沿って言えば、輪廻――とでも言うのでしょうが、あなたの精神構造に彼らは影響を及ばせることは不可能であり、あなたはあなたとしての自我を持つ。完璧に彼らと同じではなく、不可分な意思が受け継がれたに過ぎないということです」

「………?? ……難しいな」

 いまいちよくわからない。僕がバルドルの子孫であるが故に、彼の意識や記憶、想いなどを引き継いでいる。けど、それはあくまで〈影響〉に過ぎず、僕の意志は僕としてのものであり、バルドルそのものではない……ってことだろうか。

「そして、その記憶はバルドルであり……ロキでもある」

「ロキ!? ロキも、同じだったのか?」

 まさか、あいつまで一緒だったとは……。でも、二人が元は同じような存在であったのなら、理解はできる。二人は、同じような力を持っているのだから。

「彼らは同じ……カードの表と裏。鏡の内と外。ですが、具現化するのと同時に分化したのです」

 女性は微笑みながら、僕へ手を伸ばした。

「あなたは知るべきね。全てを」

 彼女の指先が光り、僕を包みだす。その瞬間――


 何かが降って来る。それは言霊。それは想い。

 無数の星の如く、僕の心の中に降りしきる。




 遠い――約束の欠片











 五万年前

 神々の時代と謳われる時代

 それは、神の時代なんかじゃなく、同じ人の世。



「そんなことさせるか!!」


「これもまた、我々の罪か……」


「ああ、リリー……君は美しい。さぁ、僕の心と繋がってくれ……」



「私は眠る。もう、見るに堪えない」



 バルドルとロキは世界に降臨し、世界を救おうとした。滅びの道を歩む、この世界を。

 だけど、彼らが創り出した“ヒトのための神”とその端末である“ヒトの紛い物”は、世界を破滅させた。

 彼女――“希望と絶望(リリー=エバー)”を残して。








 一万年前

 創世時代の末期



「お願、い……見ないで……」


「君は、世界を新たな繁栄に導く道標になるんだ」


「いいよ、死んでやるよ。俺は、俺のものだ……!」




 核の冬が過ぎてから、千年後――カイン=ウラノスは、時のカナン政府によって捕らえられ、ありとあらゆる実験を繰り返された。吐きだめのような中で、彼は二人のヒトと出逢う。その中で、彼は愛することを知った。

 だが、世界はそれを許さなかった。全てが、一つの計画であったがために。

 自分を殺し、自分の中の『憎悪』を消そうとした。そうすることでしか、自分の心を傍に置くことができなかったから……








 二千年前

 天空の夢が、穿たれようとした頃



「いいえ、私は一緒に行きます。兄様たちと、一緒に……」


「ガルザス閣下。彼らを助けてくれるなら……私は、あなたのものとなりましょう」


「お兄様、必ず……必ず、帰ってきてください。約束ですよ?」


「私も……ヴェルエス家も必要ない。なぜなら、我らはヒトではないのだからな」


「こんなの、僕が望んだ世界の姿じゃない!!」




 地上へ捨てられた十二歳と十一歳の兄弟……ユリウスとシリウスは、地上の人々に愛され、裏切られた。

 ヒトに絶望したユリウスは、世界を殺そうとした。優しく接してくれた人々でさえ自分を憎むから……世界が、彼を必要としていないと悟ったから。


 アイオーン……シリウスは、兄を止めようとした。従妹であるレナ、サリアたちと共に。

 兄を殺したシリウスは、世界を見つめた。そこには、統一国家が座っていた玉座を手に入れるために、殺し合うヒトの姿があった。



 ――ヒトは、どうして――



 世界を変えようと願って、最愛の兄を殺したのに。

 世界を愛していたから、それと引き換えに兄を自分の手で殺したのに。



 愛するもう一つの欠片は、自分を裏切った。



 支配する者と支配される者――結局、行き着くところはそこなのかと……

 ヒトが歩むのは、同じ道なのかと……

 


 彼は逃げた。この世界を愛し続けることから。

 あらゆる権利を捨て、彼は逃げだした。この世界を見つめることから。





 カインの仕組んだ自爆システムに、約二千年のリミットを付け、天都を中心とする空中都市群を封印した。


 兄の剣「エクスカリバー」と天帝の証「グラール」、そして死んでしまったレナの元素の結晶――「マナ」を鍵として改造した。


 「永遠の巫女計画」……サリアの遺伝子に特殊なプログラムを組み込み、彼女の血を受け継ぐ者たちだけ覚醒するようにした。


 叔母であるアムナリアに計画を記した書物を渡し、南へと渡らせた。彼女たちを南に渡らすことで、北と遮断させようとするために。




 そして、自分は……世界を渡った。何も考えず、何も望まずに。

 彼の傍には、兄とレナの子――ジュリアスだけがいた。その子だけは、自分の手で育てようと傍に置いていたのだ。もしかしたら、彼が……自分の代わりに世界を愛し、世界を殺すかもしれないから。



 シリウスは世界を愛していた。けど、裏切られたと感じた彼は、世界を滅ぼすも生かすも、ジュリアスとその子孫に託して……死んだ。レナや両親の眠る、カナンの地で…………。





 全ての決定権(ジャッジ)を……自分の子孫に託して。








 僕の意識は、今立っているこの場所に還って来た。あのような情景が浮かんだのは、きっとここが高次元だからだろう。


「泣いているのですか?」


 女性はさっきまでと変わらずに、目の前に浮かんでいた。

 僕は自分でもよくわかるくらいに、泣いている。涙が絶えることなく、ほほを伝っていく。

「今のは、一体……?」

「私が見た、世界の姿ですよ。……数々の、辛い現実です」

 ああ、そっか。

 無数の言霊と、永遠の叫び。どうやっても繕うことができず、紡いでいけなかった夢。果たすことのできなかった、数々の約束。

「……彼らは、本当に……僕たちと一緒なんですね」

 笑って、喜んで、ふざけて、泣いて……悲しんで。

 何もかも、僕たちと変わらない。変わらないのに、特別な力を持つが故に、世界が普通でいることを許さなかった。

「もし、彼らと一緒の時代に生まれていたのなら……きっと、僕たちは互いに手を取り合って、笑い合えていたような気がするんです」

 僕は涙を拭わないまま、女性を見つめた。

「だからこそ……僕は、彼らに笑顔で生き続けてほしかった。あんな……あんな悲惨なことばかりじゃ、辛過ぎる……」



 僕だったらどうだろうか。



 あの苦しみを背負って、生き続けられるか? あの喪失を味わって、世界を愛せるか?

「……あなたが泣いているのは、悲しいからですか? それとも、悲惨だからですか?」

 そう問われ、僕は涙を手で拭い、彼女を見つめた。

「わかりません。自分のことなのに、理解できないんです」

 勝手に溢れ出た涙。理由なんてわからない。けど……

「でも、僕はこの涙が、先へ進むためのものであるとは確信できるんです」

 いつの間にか、涙は途絶えていた。

「全てを知り、全てを受け止め……彼女たちと一緒に、歩み続けるための」

 それこそが、彼らの想いを受け継ぐ者として為し得ること。


 セヴェスとして、空として。


「そうですか。それもまた、運命なのかもしれませんね」

 彼女は微笑みながら、上空を見つめた。僕はその時、ふと疑問を浮かべた。自分なりの答えを出したつもりだが、それでも訊きたかったこと。

「もしも、運命というものが存在するのなら……ヒトや、生命の意思とは何なんでしょうかね」

 僕は常々思う。

 運命に抗ってきたつもりだが、そうすることさえも何らかの意思なのではないだろうか。全宇宙が誕生したその時に、全ての歯車は定められていたのではないだろうか。己の意思を謳っておきながら、そう考えるのは朽ちていった者たちへ申し訳ないかもしれない。

 それでも、僕は訊きたかった。それは、彼女が特別な存在であったからかもしれない。

「……それは誰にもわかりません」

 彼女は僕に視線を向ける。

「運命とは、不確かなものです。残酷のようであり、幸福をもたらすものです。もし、全てが始まった一点――そこに何かの意思がいたとすれば、そのものによってあらゆる運命は定められていたのかもしれません。あなたたちがそうであるように、私たちも運命に束縛されているのです。……それは、『運命』というものがあればの話ですが」

 そして、彼女はそれを否定するかのように顔を振った。

「そうは言っても、あなたたち生命は自分の意思で考え、行動している。それは間違いないものでしょう?」

「そう、ですね」

「それは定められた行動であるかも知れませんが、必ずしもそうであるとは限らないのです」

 思わず、僕は頭をかしげた。



「いいですか? 結局は、本人次第なのです。己自身の意思を運命という言葉、一つで片づけるか。それとも、己の未来は己のものであり、今ある意志は己自身が築いたものであると考えるか。あるかどうかも分からない『何か』に固執する前者より、後者の方が“いい”と思いませんか?」



 微笑んだ女性の顔。

 結局のところ、自分でどう思うかってことか……。どれが真実か虚偽だなんて……考えなくてもいいのかもしれない。そう考えるには、非常に難儀なことではあるが。

「……星の滅亡のシナリオを描いていたのは、セレスティアルの意思……ということなんでしょうか?」

 セレスティアル自身が滅ぼうとしている。彼女が見せてくれた数々の光景の中で、セレスティアルが何度も関わっているからだ。

「一概にそうとは言えません。……ただ」

 彼女は顔をしかめた。

「あれは、星が生まれた時と同じ時に生まれたもの。つまり、星自身と言えるのです。もし、星の意思を宿していたのだとしたら、星はこの世を全ての生命もろとも滅ぼそうとした。……あるいは、自分さえも消し去ろうとした……ということなのかもしれません」

 星と同時に誕生した物質。そこに、星自身の意思が潜んでいたとするならば……。

「こういった次元の存在であるあなたでさえも、無数の次元の一つの次元にある星の意思に対しては、何ら影響を及ばせることはできないんですか?」

 そう言うと、女性は顔を曇らせた。

「……あなた方人間や生命が不完全であるように、私もまた不完全なのです。全知万能の存在など、森羅万象――どこにも存在し得ません。だからこそ、セレスティアルも……星も不安定なのです」

 何もかもが、そうである。そうだからこそ、争う。

「もしかしたら、セレスティアルは永い……永い時の中で、多くのものを見すぎたのかもしれません。ヒトや命が積み重ねゆく歴史――それは、血と殺戮の歴史。それに染められ、愛憎が膨らみ、完全なる無への回帰……自らも滅びようとしたのかもしれませんね」

 それは、どこか修哉に似ているような気がした。

「そして、それは完全になろうとすることと同義……」

 リュングヴィの謳っていた、完璧な存在になること――。



「哀しいですね……完全になろうともがけばもがくほど、堕ちていってしまうなんて……」



「…………」

 永い間、自分の懐の中でもがき、苦しみ、憎み……愛し合う生命たちを見続け、何かが壊れた。そういうことがあるのかもしれない。

 彼らも、そうだったのだから。

「いずれにしても、滅びようとする破壊の意思は何も生み出しません。残るのはただの空虚。無。そこには何も存在しません」

 修哉の望んだ世界は、そういったものだったのだろうか。そう考えると、余計に胸が辛くなってくる。

「それでは、この次元が……宇宙が生まれたことさえも否定しかねません。存在しようとするからこそ、全ては存在している。今、そこに息衝いている。……私も、あなたたちも……」

 彼女は自分の胸に手を当て、まぶたを閉じた。

何かを感じているのだろう……生命の息吹のような、かすかなものを。

「……なんだか、一つの真理ですね」

 彼女の言葉には、重みがある。「たしかにそうだ」と自信を持って言えるような、確かなものが。

「……考える時間は永遠と言っていいほどありますからね」

 彼女は微笑みながら、僕を見つめる。

「あなたはヒトの身でありながら、超越的な存在であったバルドルたちが為し得なかったことを成し遂げた」

 手を差し伸べ、僕に触れようとして触れない。目に見えない、何かを掴もうとしているかのように。

「ヒトは不完全で、未熟で、欺瞞に満ちているけれども……不完全だからこそ、為し得ることもある。……そう、あなたたちはあなたたちの手で未来を紡ぐ権利があり、希望を創り出すのもまたあなたたちでしか出来得ない」

 黄金の瞳が、小さく輝く。

「バルドルたちは、そこを履き違えていたのかもしれない。……驕っていたのです。神の如き力を持つのだから、ヒトを救えるのだと……」

 彼女の遠くを見つめる瞳の奥に、確かに陽だまりの中でのバルドルとロキ――二人への愛が見えた。

切なく……哀しみが詰まったその瞳に。

「……でも、彼らがいなければ僕はいなかった。樹も、クロノスさんも……」

 僕も、修哉も……。

「……あなたのように考えられるからこそ、私やバルドルたちは羨望の眼差しであなたたちを見つめ続けていたのかもしれませんね……」

 優しさの中に、陰りが見えた。



 不完全な存在。それはすべてのものに当てはまる。

 不完全だからこそ傷付け合い、争い、殺し合い、憎み合い…喜びを分かち合い、愛し合う。

 だからこそ生きたいと願うんだ。

 この星の上で……。



「さぁ、あなたがいるべき場所へ帰りなさい……空」

 遥か彼方を指差し、彼女は言った

「帰れって言ったって……どうやって?」

 僕はきょろきょろと辺りを見渡す。聖域と同じ光景が広がってるし、出口っぽいのはないし。

「目を閉じ、心を落ち着かせるだけでいいんですよ」

「そ、そうですか……」

 僕はあることを想い出した。初めてリサと出逢った時も、こんなんだった。同じような掛け合いだったな。




 ――いいから、言われたとおりにする――




 僕は小さく微笑み、彼女を見つめた。

「最後に、あなたの名前を教えていただきますか?」

「……私には名というものはありません」

「? そうなんですか?」

 こくりと、彼女はうなずく。バルドルとロキには名があるのに、彼女にはないってのはなんだか寂しいな……。

「あなたが名を付けてくれる?」

「へ?」

 そんなことを言われるとは思わなかったので、少なからず仰天してしまった。

「えっと、それじゃあ……」

 僕はほほをかきながら、考えた。

 幼い頃、僕を護ってくれたいたあの人の名を。



「リリス……ってのはどうです?」



「リリス、ですか?」

 彼女は目をパチクリさせる。

「リリス……いい名ですね。これからは、そう名乗りましょう」

 そう言って、彼女……リリスは自分の胸に手を添えた。

「……そっくりです。あなたは、その人に」

 忘れていた、その人の温かさ。僕と樹を護った、その白い腕。

「きっと、その人はあなたの心に息衝いています。あなたが、あなたである限り」

「……きっと」





 僕は目を閉じた。





 消えていく。

 この場から、消えていく。

 これでもう、この夢のような旅は……本当に終わりを告げる。

 調停者でなくなった僕は、普通の人間へと戻る。




 

 普通の人間でできることとは?





 たぶん、かなり小さなことしかできないだろうさ。けど、僕は知ってる。この世界の中で、たくさんの人たちが遺していった〈希望〉があるってことを。

 



 一歩踏み出せば、僕は空の下。

 そこに広がる、無限と永遠の世界。

 果ての無い、星と生命の夢。



 歩き出そう。






 新しい未来を見るために。










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