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BLUE・STORY  作者: 森田しょう
◆5部:全ての約束が紡がれし時へ
101/149

86章:遥か彼方の夢へ 遠い友たちの記憶よ

 入り込んでくる強めの風。潮風のように、目を痛ませる。目頭が熱くなるのは、やはり哀しいからだろうか。

「修哉くん……」

 崩れた壁から青空を見つめる僕の傍に、空は立った。


「気付いてやればよかった」


 呟くかのように、僕は言葉を放った。

「時折、気になってたんだ。あいつに対する、違和感に……」

 どこを見ているのか――何を思いつめているのか、あの頃はまったく理解できなかった。でも、それに気付いていながら、僕はあいつを支えることができなかった。それを訊くことさえ、しなかった。

「……でも、今さら何言っても、どうしようもできない」

 あの頃に戻ることはできない。修哉も、いない。

「だけど……」

 それでも、悔いが残る。頭の中では後悔しても、仮定のことを考えてもしょうがないってのは理解できている。

「馬鹿だよ、ホントに」

「空……」

 僕は思わず、目頭を押さえた。

 こうするほかなかったとしても、どうしてあいつと殺しあわなければならなかったのだろう。ずっと一緒だった、親友のあいつと。


 よりによって、修哉と。


 あいつは、こうなることがわかっていたんだろうか。いつか相見えることを、予知していたんじゃないか?

 わざわざ僕をレイディアントへ行かせようとしたのは、彼にはまだ「何らかの」理由があったんじゃないだろうか。

 そう思えて仕方がないのは、修哉がもういないからだろうか……。




「終わったようだな」




 この声は……

 僕は後ろへ振り向いた。

「……クロノスさん」

 どこか涼しげな顔で、僕と空に歩み寄って来ている。

「とうとう、セレスティアルの眼前に来たんだな」

 そう言って、彼はセレスティアルの前に立ち、それを見上げた。

「……柊修哉――いや、リオン。彼が調停者の力を使えたのには、理由がある」

「理由、ですか?」

 僕に後ろ姿を向けたまま、クロノスさんはうなずく。

「彼は、ユリウスたちの叔母『アムナリア』の子孫。たしかに、ヴェルエスの力を持ってはいたが、もともと傍族であり、二千年の間にその血は薄れていった」

 たしかに、リサのラグナロクならばともかく、ペンドラゴン家にはそこまで能力がなかったはず。あるとはいっても、微々たるものだ。



「しかし、彼の母は『ニーナ』……君の叔母だよ」



「え!?」

 僕の叔母ってことは……僕と修哉は、従兄弟同士ってことか!?

「君の母、リリスの妹さ」

 僕と修哉の母はもともと教皇家の直系であったが、女系の教皇が即位することはなかった。そのため、傍系であった僕の父・オディオン5世が即位し、直系としての流れを組ませるために、結婚したのだという。

「ニーナは時のアヴァロン王太子……ヴェリガンの妻となった」

 直系の子供である修哉にも、僕と樹ほどではないが調停者になる権利を持っていたのだ。

「空と修哉くん……従兄弟だったんだ。でも、あまり似てないような……」

 と、空は訝しげに言った。

「まぁ、似てたら僕もそこはかとなく気付いてたはずだよ。……あいつは、何もかも知っていて、僕たちと付き合っていたんだろうけどな」

「……だったら、ずっと隠そうとしてたんだね。死ぬまで……」

 彼女は顔を俯かせた。

 普通に接していたはずの修哉が、全てを知っていた。どれが嘘で、どれが本当だったのか、わからなくなっているのだ。

「もしかしたら、ヴェリガンはその頃から知っていたのかもしれないな。調停者という存在と、ロキの力――即ち、『破壊の執行権』が現世に残されていることを」

 クロノスさんは、小さくため息をつきながら言った。

「それって、どういうことですか?」

「……樹は闇の調停者でありながら、ロキの解放を目指した。しかし、調停者ならば、わざわざロキの解放を望まなくてもよいはずだ」

 それは、クロノスさんの言うとおりだ。ロキの力を得たのに、どうしてロキの力を望んだのか。

「前の調停者ユリウスは、その権利を執行しないまま死んだ。だが、アイオーン……シリウスは、彼の元素をセレスティアルに転写した。結果、現世に『破壊の執行権』だけが取り残されることになったのだ」

 それから長い時を経て、僕と樹が誕生した。僕が権利を持っていたのは、前の調停者であるアイオーンがその時に権利を執行していたから。

「肉体的な能力は受け継がれたが、ヒトとしてではなく、物質として移行されていたロキの権利は、受け継がれることはなかったのだよ」

 彼は僕の方に振り向き、小さくうなずいた。

「そうすることもまた、シリウスの想定内だったのかもしれない。消し去ろうと思えばできたはずのことを、しなかったのだから」

 いつか、兄の力を解放することを。

 いつか、自分の願いを叶えることを……。




「さて、これから――」




 クロノスさんが何かを言いかけた瞬間、セレスティアルが輝き始めた。その中心から青い光を放ち始めたと思えば、小さな電流を撒き散らしている。

「な、なんだ?」

 さっきまでゆっくり回転していたのに、スピードが増しているように感じる。

「……そうか、結局は予測どおりか」

 クロノスさんはそう呟き、セレスティアルを見つめる。

「空、君だけ傍に来てくれ」

 と、彼は僕を手招きした。「君だけ」というのが妙に気になるが……とりあえず、僕はクロノスさんの傍に立った。

「どうしたんですか?」

 思わず、僕は声を小さくしてしまった。それは、クロノスさんが神妙な顔をしているからだろう。

「とうとう、迎えた」

 クロノスさんも、小さくもはっきりとした声で言う。

「何をですか?」



「……約束の刻を」



 約束の刻……? 何度も聞いたけど、それがいったい何を表わすのか、未だにわからなかった。

「それはセレスティアルのタイムリミット。かつて、ユリウスが引き起こそうとしたメルトダウンが、再び始動することを意味する」

「……?」

 いまいち、意味がわからない。僕は頭をかしげた。

「ユリウスは世界を滅ぼそうとした。その方法は、このセレスティアルのエネルギーを使うことによる大爆発だ」

「大爆発? ……こんなものが爆発するだけで、世界を?」

 と、僕は苦笑しながらセレスティアルを見上げた。

「セレスティアル――星の遺産は、星の元素『紺碧』のみで構成された物質。そのエネルギー量は、星のエネルギーそのものに相当する」

「……本当なんですか?」

 僕がそう訊ねると、彼はうなずいた。

「星の遺産は、各地に散らばる天空石のエネルギーの源。そして、それを基に造られた『暁の門』……不安定なワームホールを無理やり制御しているのは、これがあるおかげだ。お前も知っているだろう? このアトモスフィアは、これが核となって浮かんでいることを」

「……!」

 アイオーンがロキの力をわざわざ封印したのは、このメルトダウンを防ぐためだった。すでに始動していたシステムを止めるためには、大きなエネルギーが必要だった。そこで、兄の元素を使って無理やり封印したのだという。

 しかし、修哉によってそれは解かれた。彼の言っていた「終わっちゃいない」というのは、このことだったんだ!

「じゃ、じゃあどうすればいいんですか? 止めることは、できないんですか?」

「要はシリウスと同じことをすればよいのだが……これもまた、奴の計画の一端。止める術は、ない」

「そんな……!」

 ここまで来て、そんなことってあるか! これじゃあ、何もできないまま……



「だが、破壊するとなれば別だ」



「え……?」

「私とお前にある『聖魔』は、次元にあってはならない元素。全てを癒し、全てを壊す能力を持つ力。これならば……」

 この力……? 存在してはならない、ヒトが持ってはならない力。だからこそ、星の遺産をどうにかできるのか?

「……だが、覚悟しろ」

 そう言って、クロノスさんは顔を振った。

「世界の崩壊は防ぐことができるかもしれないが、アトモスフィアに残った場合、その程度は吹き飛ばされる。それはつまり――」

 クロノスさんの口から、その言葉が出された。

 一瞬だけ、ほんの一瞬だけ心臓が止まった。ああ、そうするしかないのかって。

「……やるか?」

 クロノスさんはすぐに訊いてきた。少しくらい、考えさせてくれって言いたいもんだが――まぁ、彼も僕の答えなんて知っているから、そう言ってきたのだろうけど。

「やりますよ。抗うって、決めましたからね」

 そう言って、僕は微笑んだ。クロノスさんも、フッと笑う。

 とうの昔に覚悟なんてできていたし、怖いなんて思っちゃいない。だって、僕はそうならないって確信しているから。

 約束を、破りたくないから。






 僕はみんなの方に顔を向け、歩み寄った。

「ソラ、お前……」

 レンドは何かを言いかけたが、自らそれを止めた。

「これから、みんなにはここから避難してもらう」

「……えっ?」

「僕とクロノスさんの2人で、セレスティアルのメルトダウンを防ぐ。けど、完全に抑えることはできないと思う。だから、ここにいては危険ってこと」

「……吹き飛ぶ、ということか?」

 デルゲンは、落ち着いた声で言った。その問いに、僕は小さくうなずいた。

「そうか……」

「なるほど、な」

 レンドとデルゲンは同じようにうなずき、納得したようだった。けど、他の3人はそうでもない。

「どういうこと? ねぇ、空。どういうことなの?」

 空はなんとなく理解しているはずなのに、それを見ようとしない。少しだけ微笑んでいるように見えるその表情こそが、それを物語っている。

「ソラさん。一体、どういうことですか? 吹き飛ぶって……」

「……まさか……」

 アンナはまだよくわかっていない。シェリアの方が、先に現実を悟ったようだ。

「ここは危険だから、先に避難しておいてほしいってことだよ」

 僕がそう言うと、落ち着きの無かったみんなの動きが止まった。その中で、レンドとデルゲンだけが僕から目をそらしている。

「空は? 空はどうするの? 一緒に……逃げるんだよね?」

 彼女は再び戸惑った様子の微笑みを浮かべ、言った。

「みんなで脱出するんですよね?」

 アンナもまた、期待と不安を混じらせた表情を浮かべている。彼女たちの言葉に対し、僕はゆっくりと顔を振った。



「僕はここに残るよ」



「えっ?」

 空は目をパチクリさせた。そして、

「どうして? どうして空は逃げないの?」

 と、あまりにもわかりきった質問を投げかけてきた。何で僕だけが残るのか、理解しているはずなのに。

「わかってんだろ? 理由なんて」

「…………」

 僕はせめてはっきりと言わず、彼女自身に問いかけることにした。その方が、彼女を絶望させないんじゃないかと思ったから。

 ――でも、違った。彼女は僕を直視したまま、その体を小さく震わし始めていた。

「どうして?」

 少しの間続いていた沈黙を破ったのは、その言葉だった。

「どうして、そういうことをするの?」

 彼女はそう言って顔を上げ、僕を睨みつける。空色の宝石が、僕を否定しようとしている。

「……なんでって、そりゃ――」



「空が言ったんじゃない!」



 僕の言葉を遮り、彼女は声を上げる。その瞳に、溢れんばかりの涙を浮かべて。

「自分を犠牲にするようなことはするなって、空が言ったんじゃない!!」

 このフロアに入り込んでくる風になびかれる彼女の長い髪を、自分で大きく顔を振って更に揺らす。

「私やリサさんにはそういうことを言って、自分は平然とするって言うの? 矛盾してるよ! そんなの!!」

 彼女は僕の胸に、手を叩きつけた。

「たとえ、それがみんなを救うことになっても、残されたみんなは……私たちは悲しむんだよ!?」

 何度も何度も、彼女は僕の胸を叩く。精一杯、瞳にある雫を零さないようにしながら。

「どうしてそれを考えないの? どうして、誰かが苦しむことになるって考えないのよ!?」

「…………」

「ねぇ! 何か言ってよ! ちゃんと、理由を説明してよ!!」

 僕はただ、必死に言葉を放つ彼女を見つめているだけだった。彼女が今言いたいこと全てを吐き出す、その時まで。

 何も言わない僕に対して、彼女は手を打ちつけるのを止めた。そして、強い眼差しで再び僕を突き刺す。



「約束したじゃない」



 そう言って、空は小さく顔を振った。

「ずっと、傍にいてくれるって……」

 彼女の声が、揺れ動き始めていた。微かに。

「あの時……約束した。終わりが来る、その時まで一緒にいるって……傍にいるって!」

 ああ、そうだな。

 大都カナンの地で、そう約束したよ。それは僕の願望であり、希望でもある。今も、それに変わりはない。

 それも、彼女はわかっているはず。わかっているはずなのに、僕の心を揺さぶろうとしている。本意ではないのが、よくわかる。

「だから……残るなんて言わないで!」

 そして、彼女は僕の胸に顔を沈ませた。泣いている顔を見せず、ただ嗚咽だけが聴こえてくる。

「お願……い。傍にいて……ひとりにしないで……」

 さっきまでの強い声は消え、弱弱しい声だけが僕の胸に木霊する。そんな現状に対し、僕は「彼女」らしいと思ってしまった。それを言ってしまうと、きっと彼女はポカンと口を開けて、戸惑うのだろうけれど。

 僕は上空に広がる青い風景に目をやった。




 ――自分はどうしたいのか。




 いつも求め続けていた答えは、ずっとそこに在り続け、僕が触れるのを待っていた。今もまた、あの時と同じように僕が掬い上げるのを待っている。

 僕が彼女に告白する時と、同じように



 ――僕はそれに触れた。怖いなんて、思っちゃいない。



「空」

 僕は彼女の名を呼び、そっと抱き締めた。

 小さな体――そして、柔らかな髪。ふんわりとした長髪で、生まれつき毛先がパーマをかけたかのようにくるんとしている。



「僕は生きるよ」



 そう言うと、彼女は体の震えを止めた。それと同時に、僕は優しく彼女の背中かを叩いてやった。カナンの時みたいに。

「自分と引き換えにするなんてこと、考えてないよ。そんなの、絶対にやりたくない」

「…………」

 自分を犠牲にするほど自分は立派でもないし、する勇気もない。そうすることは、美徳でも何でもないのだから。

「僕は、自分を犠牲にしてどうこうするんじゃない。自分が何をできるのか……今、調停者として、セヴェスとして――“東空”として、やれることをはっきりと示すだけだ」

 リサと同じように、精一杯やるだけ。そう、あいつのように。

「もちろん、約束を反古にするつもりはないし、こんなところで死ぬつもりもない」

 すると、彼女は顔を上げて僕を見上げた。大量の雫を流しながら。

「でも、残ったら……そうなるじゃない!」

「そうだな。そうかもしれない」

 うん、と僕はうなずいく。

「だったら!!」

 僕は顔を振った。彼女の言葉は、それ以上出て来れなかった。



「そうじゃないかもしれないじゃないか」



 僕は微笑みながらそう言った。彼女の顔が、硬直したかのように固まる。

「絶対にそうなるとは限らないだろ?」

 物事は何でも百%ではない。方程式で完成されていないのだから。まぁ、確率としては、なってしまう方が高いだろうけど。

「でも……」

「でもじゃないっつの」

 と、僕は彼女の脳天に軽くチョップをお見舞いした。

「な、何するのよ!」

「信じろよ。少しはさ」

 怒りかけた彼女の表情が、再び止まる。その頭を、僕は優しくなでた。



「それに、約束したんだ。海と」



 ガイアに戻った時、そう約束した。絶対に、空を連れて帰るって。

「ひとりにしないで」と言ったのは、空だけではない。彼女もまた、孤独に苛まれていた。彼 女の想いに応えることのできない僕にとって、空を彼女の下に帰させることは、一つの償いでもある。

 空をあそこへ――長束町へ戻すことは、この旅の目的でもあったのだから。

「あいつが、お前を待ってる。お前の帰りを」

「……それは、空に対しても同じでしょ? 海は、空のこと……」

 彼女は俯き、そこから先の言葉を繋げることができなかった。それはきっと、海の気持ちを理解しているからだろう。

「僕は少し遅れるだけさ。ほんの少し、な」

 完璧にそうなのかどうかはわからない。知っているのは、いるかどうかもわからない神様だけなのだから。

「ちゃんと、約束は守るよ。絶対に」

「…………」

「それにさ…………えぇ……っと」

 この後、僕は僕らしからぬことを言ってしまう。それはすごく恥ずかしく、通常は口に出さない言葉。そうであるからこそ、大事な時に取っておくべき言葉だったのか。

 ――今まで、ほとんど言ったことの無い言葉。それに近い言葉は言ったことがあるかもしれないが、はっきりと告げたことはない。

「まぁ、なんつーかさ……」

 ぼりぼりと、僕は頭をかく。そんな僕を、彼女はずっと見つめている。

 もしかしたら、この時のために言わなかったのだろうか。

 後になってそう思えるのは、自分が幸せだったからなのかもしれない。



「君のこと、愛してるから」



 気付いた時には遅い。なんでいきなしこんなセリフを言ってしまったのか、僕にはわからなかった。ただ、恥ずかしさだけが尾を引いている。

「…………」

 空はただ、僕を見つめている。見られれば見られるだけ、恥ずかしさが増していく。彼女からの視線から逃れるように、僕は双眸を辺りにチラつかせていた。

「私も……」

 彼女は、優しく微笑んだ。まつ毛に、涙の雫が付いたまま。

「空のこと、愛してるよ」

 僕とは違い、一切恥ずかしがらずに言う彼女は、どこか凛々しく見えた。それが、彼女のすごいところなのかもしれない。

 僕は彼女を抱きしめた。彼女もまた、同じように抱きしめてくれた。そして、ありったけの想いをその双眸から流し始める。

「……ありがとう」

 僕は彼女の耳元で囁いた。修哉に刺された時、ちゃんと届けられなかった、あの言葉を。



 ……やはり、以前思ったことは当たっていた。

 ――僕は彼女のために存在していて、彼女の存在は僕の存在そのもの。









「お前らしいと言えば、お前らしいけどな」



 レンドは僕の前に立ち、小さく微笑む。どこか恥ずかしげに、自分のほほを指でかいている。

「この旅の目的は――空ちゃんを救って、星を救うこと」

 そうだよな? と言って、彼は僕を見る。

「お前が犠牲となって、星を救うというのなら、止めはしない。それが、お前の選んだ道なんだからな」

「…………」

「俺にも……誰にも、それを止める権利なんてありやしない」

 彼は目を閉じた。何かを感じ取るかのように。

「だけど、俺はお前にこんなことをして欲しくは無い。……絶対にな」

 そして、彼はまぶたを開け、穏やかな視線で僕を見つめる。そこには、いつもの彼の陽気さは感じられなかった。

「お前との旅、かなり苦労することばかりだった……。何度も死にそうになったし、怖い思いもした」

 微笑む彼の顔の中に、どこで恐怖を感じたんだろうって思ってしまった。それを言ったら、失礼かもな。

「お前に出逢わなければ、俺はきっと何も知らないまま、海賊として生きていたんだろうな。……そうじゃなくて、本当に良かったって思える」

 もしもの未来。もし、みんなと出逢わなかったら……

「本当なら知るはずのない世界のことを知って、この星のことを知って……。俺たちは、もう一度未来(あした)を生きようって決心できたんだな」

 誰かに傷つけられて、誰かに怨まれて。

 僕たちは、それでもこの世界で歩んで行こうと決めた。そこには、きっと求めるものが在るから。

「お前と出逢えてよかった。お前と旅をすることができて……本当に良かった。ありがとうな、ソラ」

 そう言って、レンドは拳を突き出した。


「お前といると、楽しかったよ」


 ニッと笑い、彼は白い歯を見せつける。

「レンド……ありがとう。僕も、レンドと一緒にいて楽しかったよ。まるで、友達みたいだった。年上なのに、変な話だな」

 ホント、変な話だ。どうしてか、簡単に話せるようになっていたもんな。きっと、それは彼の持つ雰囲気のおかげなのだろう。

「ハハハ、違いねぇ」

 レンドは髪をくしゃくしゃにしながら笑った。

「無事に生きて帰ったら、一緒に酒を酌み交わそうぜ」

「……僕は未成年ですけど?」

「おいおい……こんな時に、んなこと言うかぁ? 普通よぉ」

 さすがのレンドも、苦笑いだった。

「ハハハ、そうだな。でも、いつかしたいもんだね」

 酒と言えば、一番最初に思い出すのは――そう、ミレトスだ。初めて港町ってのを見たし、飯屋に行ったし。うわっ、すげぇ懐かしく感じる。

「酒飲み勝負……あれが、僕たちの出逢いだったもんな」

 ミレトスの飯屋。酒飲み勝負をしたヴァルバ。アンナがちょっかい出され、対決になった時、僕は無理やりヴァルバを矢面に立たせたんだったっけな。あいつ、かなり焦ってたもんだ。

 その表情が、昨日のように思い浮かぶ。あの時、「船に乗せてやるよ」と言ってくれた、レンドの表情も。

「だったな。……いつかまた、あん時みたいに……」

 僕たちはうなずき、彼の拳に自分の拳をぶつけた。一種の挨拶みたいなもんだ。








「俺も、レンドと言いたいことは大体同じなんだが……」



 デルゲンは照れ臭そうに頭をポリポリとかいていた。

「俺の人生で、起点となった人物は二人いるんだ。それはレンドと」

 そして、彼は僕をチラッと見る。


「お前だ、ソラ」


 そう言って、彼は僕から再び視線をそらした。

「俺の価値観すべてを変え、俺の新しい生き方を見出させてくれたのがレンドだ」

 昔を懐かしむかのように、彼はフロアの先を見つめる。どこか、微笑んでいるようにも見えた。

「そして、俺にとって大切なものは何なのかを気付かせてくれたのは……ソラ、お前さ」

 彼はゆっくりと、僕に顔を向けた。シュレジエンの人にとっては珍しい、翡翠の瞳。

「俺は――平民出身だからか、常日頃から平民なんてのは生きててもしょうがない……とかって思ってたんだ」

 彼は幼い頃に両親を戦争で亡くし、妹と共に孤児院に預けられ、そこで育ったという。

「平民には平民の、高貴な者には高貴の者たちなりの人生があって、決して相容れぬもの同士、だと思っていた」

 すると、デルゲンはフッと笑った。まるで、そう考えていた頃の自分を嘲笑するかのように。そうかと思えば、彼は再び僕に微笑みを向ける。

「だが、そんな考えは貴族出身のレンドによって変わった。レンドのおかげで、俺は自分の価値を改めることができた」

 だからこそ、レンドと共にいようと決めた――

 デルゲンは天井を見上げて、そう言った。

「そして、お前が理不尽な現実に対して、必死に抗っている姿を見ていると……俺は、この世に覆せないものなんてないんじゃないかって思えた」

 彼は小さく顔を振り、目を瞑る。

「……絶対的に覆せないものも、あるのかもしれない。だが、結果は決して悪いものになるとは限らない。たとえ、俺たちは一人一人がちっぽけであっても……一つ一つが弱くても、互いに寄り添うことで真実を得ることができる」

 掴み損ねた、ちっぽけな欠片。それはきっと、自分たちが生まれ出でたその時から、握りしめていた種なのかもしれない。

「この星に生まれたんだから、一緒に生きていっていいんだよな? 俺たちは」

「……ああ」

 僕はうなずき、彼に右手を差し出した。

「デルゲンは、僕にとって兄貴みたいな存在だ。厳しいことは言ってくれるし、優しいことも言ってくれた。……今まで、ありがとう」

「ハハ、よせよ。俺はそんなに立派な人間じゃないっての」

 デルゲンは照れながらそう言って、僕と握手を交わした。

「いつか、お前ともう一度旅がしてみたいもんだ」

「デルゲン……」

 すると、彼はニッコリ微笑み、僕の中で泣いている空の肩をちょんちょんと叩いた。彼女が振り向くのと同時に、

「そん時は、空ちゃんも一緒だからな」

 と、彼は言った。

「約束な?」

「デルゲン……さん」

 空は泣きながらも、小さく微笑んだ。

「そうだな。いつかきっと……」

 いつになるかわからない。それでも、僕たちは心を繋げることができるだろう。

 それだけは、はっきりとわかること。








「ソラさんと出逢って、もう一年……一年も経っちゃったんですね」

「ああ……そうだったな。もう、そんなに経ったんだな」

 アンナに言われ、僕はあの頃を回想した。この世界に降り立ったその日に、アンナと出逢ったんだよな。

「初めて会った時は変な名前をした人だと思ってたし、ヴァルバさんもふざけてたし」

 クスクスと、彼女は口元に手を当てて笑った。

「ハハ、そうだったな」

 僕もあの頃のヴァルバを思い出し、笑ってしまった。あの頃、僕はあいつのことを「年齢詐称」だとかって思ってたもんだ。

「いろいろなことがありました」

 そう言って、彼女は祈るかのように手を合わした。

「お父さんやお母さん、お姉ちゃんのこと……国々のことや、世界の秘密。そして、いなくなってしまった人たち……」

 優しく言葉を放つアンナ。いつにも増して、穏やかな彼女の雰囲気が僕を包み込む。

 ああ……僕は、いつも彼女のこんな雰囲気に救われていたんだ。心が、ゆっくりと癒されていくかのような感覚。幾度となく、僕を救ってくれた。

「私にとって、辛いことばかりでした」

 彼女は、哀しげな瞳で床を見る。

「……でも、真実を探し求めるためにソラさんたちに付いて来たこと……決して、後悔していません」

 そして、彼女は首を振る。

「ううん、すごく……すごく、大切なものを見つけられた旅でした」

 リサと同じエメラルドグリーンの瞳――永遠の巫女の証であるその双眸で、彼女は僕を見つめた。

 聖女サリアの力を受け継ぐ証、その宝石の瞳で。

「お姉ちゃんも、リサさんも……ヴァルバさんも、どこかで星と私たちの未来を……祝福してくれてますよね」

「……ああ。きっと、な」

 そううなずくと、アンナも同じようにうなずいた。そして、彼女は再び僕に微笑みかける。

「ソラさん、私はあなたのことが好きです」

 はっきりとした口調で、彼女は言った。満月に照らされるリーベリアの草原の時とは違い、彼女には涙もか弱さも見えない。

 アンナは、空に対して小さく頭を下げる。



「ごめんなさい。私はやっぱり、彼が好きです」



 彼女は空にはっきりと言った。申し訳ないような感じではなく、誇りさえ感じるような面持ちで。

 そう、誰かを好きになることは罪でも何でもない――普通のことなのだと。

「アンナ……」

 そんなアンナの意思を、空はしっかりと受け止めていた。それに応えるかのように、アンナはニコッと笑う。

「……だから、信じてます」

 彼女は、僕に顔を向ける。


「あなたは、生きて帰って来るって」


 レモン色の長い髪が、優しく揺れる。初めて会ったあの時とは違い、少しだけ大人びた表情。

 時間は、たしかに過ぎて行っていた。彼女を強くしながら。

「いつかきっと……ソラさんに負けないくらい立派な人を見つけます。そして、今回くらい大きな恋をしたいです」

「……アンナならできるよ。君には、多くを愛せる力がある」

 ふわりと流れ込んでくる想い。それは、彼女の持つ「治癒」の元素の為せる業なのかもしれない。

「ええ、きっと」

 自信を持って、アンナは答えた。

「アンナ……今まで、ありがとう。君がいたから、乗り越えることができたことがたくさんあった。多くのことを、教えてくれた……」

 そう言うと、アンナは首を振った。

「それは、私のセリフですよ」

 クスッと笑い、彼女は顔を振る。

「ソラさんは、いつだってみんなを護ってきました。あなたがいたから、私は大切なことを知れたんです。だから……」

 何かを言いかけた瞬間、彼女の声が震えた。それを隠そうと、アンナは視線をそらす。

「ダメですね、私。これ以上、甘えちゃいけないのに……」

 ほんの少しだけ、彼女の瞳が揺れていた。それに気付いた彼女は、溢れだす前に目の辺りを拭う。

「……またいつか、フィアナの村で食事がしたいな。おばさんの味、結構いけてたからなぁ」

 この世界での初めての食事――それは、あの村での料理だった。あの時、僕はガイアとレイディアントは近いものだと感じた。

「ソラさんらしいです。いつでも来てください……私も、準備して待ってますから」

 アンナは笑い返してくれた。そうしてくれることが、この世界で恐怖を感じることを滲ませてくれる。

 後にも先にも、彼女のような「聖女」に出逢うことはないのかもしれない。








「残るんだね」

 シェリアは、下から僕を見上げていた。

「ああ」

 僕がうなずくと、シェリアは俯く。

「……短い間だったけど、ありがとね。特に、役には立てなかったけどさ」

「ハハ、そこのところは気にしなくていいよ。だって、シェリアちゃんはまだ子供だもんよ」

 僕はシェリアの頭の撫でた。すると、彼女は顔を赤くして僕を睨みつける。

「こ、子供扱いするなって!」

「そういうこと言う間は、まだ子供なんだよ。」

「……むぅ……」

 シェリアは子供らしくほほを膨らませ、再び俯く。

 幼いながらにも、多くのことを知った少女に対して僕が言えることは……一つだけだ。

「ありがとう、シェリア。生き延びれたこの世界の中で、たくさんの美しいものを見、成長してくれ……。お前みたいな子供にこそ、いなくなった人たちの想いを繋げられる可能性があるんだからさ」

 これから何をするのか、何を為すのか。それを定めるのは、本人でしかない。誰にも、それに干渉する権利はない。

「……ソラ……」

 シェリアはぽろぽろと涙を流し始める。そこには、いつもの少年らしい少女の姿はなかった。



「……死ぬなんて、僕は許さないからな」



 すると、シェリアは顔を上げて僕を再び睨みつけた。

「死んでもいい……なんて考えるなよ! 死んだら、もう何もできないんだ! 〈絶対に生き延びてやる!!〉って考えるんだぞ!!」

 いきなり大声で言ってくるその様は、驚かされるものがあった。

「……驚いたな。ガキのくせに、なかなか――」

「ガキって言うな!!」

 その時、シェリアは僕のすねを思いっきり蹴り飛ばした。

「い、いってぇ……!!」

「ふんだ! 絶対に、空姉ちゃんの所に帰るんだぞ!? 約束だかんな!!」

 シェリアはふんぞり返るくらい、威張った調子で言った。さっきまで女の子らしかったのに、すぐに男の子っぽくなって……。将来、リサみたいになるんじゃないかと思ってしまう。

「まったく、言われなくてもわかってら」

 そう言って、僕は再び彼女の頭をなでた。

「……約束、だからね……」

 再び、少年面の少女は本物の少女に戻った。何度も何度も涙を拭い、僕を見つめる。

「元気でな。シェリア……いや、シルヴィア」

 小さくも、力強くうなずいた少女。泣きそうになったら、風を呼んでみると良い。きっと、風精ジルフェたちが歌ってくれるからさ。








 僕はみんなの方に向き直り、彼らを見回した。彼らもまた、僕を見ている。

「じゃあ、空を頼む。ガイアに、帰してやってくれ」

「ああ、任せろ」

 レンドがそう言うと、みんなは小さくうなずいた。

「……空」

 僕は彼女の肩に触れ、彼らの所に行くように促した。それでも、彼女は顔を俯かせたまま、離れようとしない。

「ほら、早くしないと」

 セレスティアルが消えれば、暁の門は消えてしまい、確実に帰ることができなくなってしまう。

「……ねぇ、空」

 彼女は俯いたまま、僕の名を呼ぶ。



「私たち、きっと会えるよね?」



 涙声ではなく、はっきりとした口調。

「また、会えるよね?」

 彼女は顔を上げた。そこには、リサと同じような――見たこともない、天使を思わせるような微笑みがあった。それは、自分の奥底にある「何か」を揺さぶる。そう確信させる。




 ――星に愛されし少女と、星に惑わされた少女――




「だから……待ってる」

 涙をこぼしながらも、彼女は言う。その、女神のような笑顔で。



 ――ああ、そうか。



 はっきりとは言えない。絶対にそうだとは言い切れないけど、微かに感じるこの想い。それは、遥か彼方に飛び立ったはずの願い。約束を紡ごうとした、一つの希望。

 だからこそ、彼女は僕の目の前に現れた。

「ずっと待ってるから。空が、帰って来るまで……」

「空……」

 思わず、僕は微笑んでしまった。

 お前を好きでよかった。お前を愛してよかった。

 誇りを持って、それを言えるよ。


 

 僕はクロノスさんの方に顔を向けた。

「クロノスさん……お願いします」

「ああ。シュレジエンへ飛ばしてあげよう」

 クロノスさんは手をかざし、詠唱を始めた。すると、みんなを囲むようにして光の円環が出現し、それが消えるのと同時にみんなは消えた。

 みんながいた場所を、僕はずっと見つめていた。


 名残惜しい、とはこのことなのだろう……。











 僕は、何も言わずに上を見上げた。

 空。青い空。ただそこに、広がる風景。

 そして、残された僕が知るべきこととは――

「クロノスさん。あなたに、訊きたいことがあります」

 僕はクロノスさんに背を向けたまま言った。

「あなたは、一体誰なんですか?」

 何度も訊いてきた質問。それでも、納得のできる内容ではなかった。

「あなたは、この世界の人間でも――ガイアの人間でもない」

 彼は何も言わない。ただ、僕へ向けている視線があるってのを感じれるだけ。

「僕の一部となったバルドル……彼のおかげで、あなたがどういう存在なのか……なんとなくですが、わかりました」

 僕は振り向き、クロノスさんを見た。

僕に融合したバルドルが告げている。彼は違う。僕たちとは、違う世界のヒトだと。



「教えてください。あなたは、一体誰なんですか? クロノスさん……いや、『ズルワーン=クロノ=ヴェルエス』」



 そう言うと、クロノスさんはフッと微笑んだ。

「その名を知っていたか。……懐かしいものだ」

 微笑みながら、彼は修哉が作った壁の穴から外を見つめた。

「ここまで来たのだから、隠す必要もないようだ」

 僕は内心、ドキドキしていた。たぶん、僕が知らない謎の中で最も大きいのはクロノスさんのことだから。

「……君の言うとおり、私は二つの世界の人間ではない。……いや、詳しく言えばこの時代の人間ではない、だな」

 彼は僕の方に向きなる。



「私は、新暦7655年のレイディアントから来た、未来人だ」



「えっ……!?」

 クロノスさんはうなずいた。

「……私が世界を分岐させた張本人だ」

「!!!」

 僕は息を飲んだ。

「あなたが……ガイアを生み出したんですか!?」

 樹やシュヴァルツが言っていた、次元を混沌させたヒト。

「……新暦7655年、レイディアントは滅びてしまう。ヒトによって」

 世界の技術は進歩し、未曾有の戦争が起きた。それはこの星だけでなく、すでに人類は宇宙空間にまで手を出していたため、数々の惑星で戦乱が行われた。当時の技術によって、瞬く間に多くの惑星、ヒトが死んでいったという。

「その戦争を打開するために、当時の枢機卿代理……ジークムントという人間によってある計画が遂行され、その過程の中で次元の制御実験が行われた」

 セレスティアルを用いたその計画は、詳しくは知らないのだという。ただ、当時の人類を救うための方法ではあったと、クロノスさんは言った。

「しかし、それによって世界は消えた。星だけでなく、存在するもの全てが」

 失敗したのか、成功したのかわからない。だが、カインの末裔であるクロノスさんだけが、なぜか生き残っていたのだという。

「……私は焦土と化した星を見て、悟った。ヒトは、いくら年代を重ねても進化しない。進歩していない。ただ、無為に繰り返すだけ。ただ、それだけなのだと」

 それが、クロノスさんは許せなかった。どうにかして、それを変えようとした。

「私は最後の〈調停者〉として、己の力を使ってその年代から二万五千年前……創世時代初期といわれる時代に遡った」

 当時の世界もまた、戦争に明け暮れている時代だった。進歩した科学技術を持つとある帝国に、クロノスさんは潜入したのだという。

「そこに、セレスティアルがあった。当時は、『GAIA』と呼ばれていたがな」

 彼はそれを使って戦争を終結させ、後にセレスティアルを破壊しようとした。それは兵器として使うのではなく、抑止力として。

 しかし、セレスティアルに魅せられた皇帝がそれを邪魔し、自国に攻め入って来た諸国を滅ぼすため、GAIAを起動した……。

「兵器として使用されたセレスティアルは、瞬く間に世界中を破滅させた。他国だけでなく、その帝国さえも」

 クロノスさんは消滅し、精神だけが取り残されたのだという。

「……セレスティアルは消えなかった。滅びの未来を変えることはできず、更には次元の混沌を生み、君の住む次元を創り出した」

 約二万五千年前に、ガイアは生み出されたってことか……。

「それだけでなく、新しい次元は魔法が存在しないのにレイディアントよりも早く進歩し、早くに滅びを迎えることとなっていた」

 それは新しい暦の時代になって、千年後だという。それがいつなのかは、詳しくはわからない。

「そして、私によって人間の運命を変えてしまった。次元が歩むべき道を狂わせてしまった。……そのため、罰を与えられたのだ」

「罰、ですか?」

 クロノスさんは青空を見上げた。

「……私は時の呪縛により、リーヴェに堕ちなかった。永遠に魂は消滅することは無く、時が流れるのをじっと待ち、世界の事象に関わることもできなくなってしまった」

 彼は、顔を小さく振った。

「想像できるか? 〈死〉というゴールの無い、永遠の旅路……人に触れることも話すこともできず、未来永劫……一人で彷徨い続けるという苦痛を……」

「……………」

 じゃあ、この人は約二万年もの長い間、ずっと一人で……。

「私の自我と想いが世界に溶け込むようになり、私と同じ血を受け継ぐ者たちに、その光景を見せることとなった。それこそが、シュヴァルツとバルバロッサの見た、未来の姿なのだよ」

 彼らが言っていた「滅びの世界」の姿は、クロノスさんが見たもの。彼が見た当時の光景が、夢として彼らに映し出されたんだ。

「……でも、どうして僕たちにはあなたが見えるんです? どうして、話すこともできたんですか?」



「それは、君が未来を変える可能性を持つ存在だからだ」



「………?」

「調停者とは、未来を変えることができる唯一の存在。そして、リュングヴィの血を受け継ぐ人間やその人間に関わる周りの人間にも、その影響のせいか私を見たり、話したりすることができるのだ」

 僕がこの世界の降り立ち、わかるはずの無い言語と文字が理解できたのには、調停者になる権利を持ち得ていたことも関係しているのだという。樹もそうだったから。

「ただ、それは私たちの知る由の無い、別の存在によって操作させられているのかもしれないがな……」

 クロノスさんは僕に背を向け、セレスティアルの方へ歩き始めた。

「リサと日向姉妹もまた、そういった『何か』に操作させられていたのかもしれない」

「……クロノスさんは、知っているんですか? 彼女たちがなんなのか……」

 そう問うと、彼は顎に手を当てて上を見上げた。

「リサと日向姉妹が似ているのは、同時代に誕生した別次元のヒト……ということだが……」

 つまり、リサはレイディアントでの『空と海』で、空と海はガイアでの『リサ』らしい。だが、それだけではいまいち納得できないところがある。あの三人が似ているのは、それだけではないはずだ。

「ガイアで誕生するはずだった『カイン』となり得るヒトの末裔が日向姉妹……ということにしても、『永遠の巫女』がガイアで誕生するはずはない」

 巫女は聖女サリアの末裔でしかなり得ないのだという。

「シリウスは、計画のために従妹のサリアのDNAに細工を施した。ティルナノグで開発された、特殊元素の情報をインプットし、女性だけが持つ因子によって、巫女として覚醒するように」

 そう、ガイアにはカインとなり得る存在がいたとしても、サリアのように何かをされた人間がいたわけじゃない。だから、ガイアに巫女が誕生するはずがないのだ。

「じゃあ、空と海は一体……?」

「……私もわからない。遥か古……気の遠くなるような時代に、何か起きたのはたしかだ」

 何か……あった? 修哉の言っていた、「アベル」とかに関連しているのか?

「それこそが、『原初のヒト(イヴ)』と『原初の人類(イヴズ)』と呼ばれる、謎の人類に関係しているのかもしれない」



 イヴ、イヴズ。

 ……アベル。



 何かが、胸の中をよぎる。切ないような、苦しいような……。

「わかっているのは、その力のほとんどを持つのが日向空であり、微々たるものを持つのが『青海の巫女』――日向海だということだ」

「!! あいつも、巫女だったんですか!?」

「ああ。姉は星の元素を、妹は生命の元素を持っていた。能力差は、かなり大きいがな」

 海がさらわれなかった理由は、そこだった。樹は、エネルギー量の多い空を選んだんだ。

「いずれ、わかる時が来る。彼女たちは、ある意味でお前と同じ『普通のヒトではない何か』なのだから」

「…………」

 誰かが言っていた。



 調停者と星の幼子。それは、対となっていると。



 それがわかるのは、まだ後のことだった。

「さて、そろそろ取り掛かるとするか」

 そう言って、クロノスさんはセレスティアルに触れた。その瞬間、さっきよりも大きな電流が辺りにほとばしる。いつの間にか、回転の速度も速くなっているようだ。

「私は、ずっとお前たちを待っていたよ」

 バチバチと電流が鳴る中、呟くかのように言う。

「この世界の未来を変えることのできる、君たちを」

「…………」

「きっと、こうすることが……私が望んでいた『夢』なのだろうな……」

 遥か未来から、遥か過去より願い続けていたもの。

 それは、朽ちることなくそこに在った。

 まだ見ぬ、夢の果てを望もうと。





「いいか? 自分の力を放出する時のように、セレスティアルにぶつけるんだ」

「はい」

 僕はこくりとうなずき、精神を集中させた。

「……準備はいいか?」

 僕は大きく息を吸い、大きく息を吐いた。

「はい!」

 クロノスさんはうなずき、両手をセレスティアルにかざした。僕も、セレスティアルに手をかざす。

「さぁ、行くぞ!!」

「はい!!」

 僕は気を集中させ、両手からエネルギーを放出させた。クロノスさんも同時に、エネルギーを放出させる。

 すると、セレスティアルから放たれる電流が僕たちを包んだ。ビリビリする。いや、ちくちくする。

「くっ……!!」

 やっていてわかる。セレスティアルのエネルギーは……半端ではない。とんでもないほど大きい。二人の力を、軽々と上回っている。

「これは、想像以上だな……!!」

 クロノスさんは苦笑しており、このエネルギーには驚いていた。いつも平然とした表情をしている人が、この時は苦しそうに顔を歪めている。

 激しい音が、このフロアに駆け巡る。それに伴い、セレスティアルの光が増し、地響きが起きているかのように全体が揺れ始めた。

 セレスティアルから放たれるエネルギーが、僕たちを襲う。すると、腕の血管が大きく浮き出し、破裂した。宙に血が舞い、腕に激痛が走る。

「ぐっ!! いってぇな……こんにゃろぉ!!!」

 腕が震える。勝手に震える。怖いからだとか、そういうものじゃない。強大なエネルギーに反動して、体が反応しているんだ。

 星と同じエネルギーを持つものと、たかが人間二人の力の差は歴然としている。さすが星の生み出した産物……と言いたいところだが、そうもいかないってのがこっちの事情。こんな空の上で、死ぬわけにはいかない。

 約束したから。みんなと。

 あいつと……。



「だぁー!! いちいち粘ってんじゃねぇ!!!」



 痛みを堪え、僕は叫んだ。同時に、セレスティアルに蹴りを入れてしまった。

「くるくる回転して、我慢すんな! ここだけぶっ飛ばして、お前だけが消えちまえってんだ!」


 ずっと一緒にいると、歩いて行こうと約束した。

 帰って来ると、約束した。

 絶対に生きると……約束した!!


「とっとと、ぶっ壊れちまえぇ!!」

 頭の血管が切れてしまいそうなくらいに、大声を上げた。声を出せば、さらに力が出る気がする。要はハンマー投げの時と一緒だ!!

「うらあァァ!!!!」

「……いいぞ、これなら!!」

 セレスティアルが激しく回転する。メルトダウンも、間近だ。

 だけど、これが爆発するのと同時に、本当に死ぬかもしれない。さすがに、今回はあそこから戻っては来れないだろう。

 ああくそ、何となくそれを察知してしまう自分が嫌だ。

 何もわからず、ただ全力を尽くせただけならば、救いようがあるってのに。

 あーあ、さよならくらい言えばよかっ――





「死のうとするな」





 いきなり、後ろから声が聴こえた。この声は――

「樹!!」

 振り向くと、そこには樹が立っていた。白いスーツはボロボロで、血で赤く染まったまま。だが、傷はほとんどが癒えているようだった。

「どうして……お前……!!」

「…………」

 樹は何も言わず、僕の傍へ歩いてきた。そして、同じように手をかざす。

「兄さんは僕に勝ったんだ。何が正しくて、何が間違いなんてどうでもいい。僕がそうしたいから、そうするだけさ」

「樹……」

 僕は、顔がほころんだ。樹が、僕に協力してくれるなんて。うれしさのあまり、泣いてしまうそうだった。

「だが、その前にやっておかないとな」

 すると、そのかざした樹の手から何かが具現化される。



 ――ティルフィング!?



 その瞬間、樹はティルフィングを僕の足に突き立てた。

「ぐっ!!?」

 僕は、思わずその場に膝を付いた。

「樹……お前、何のつもりだ!?」

 顔を上げ、僕は樹を見た。彼はどこか、微笑んでいるように見える。

「どうするも何も、見てわからないか?」

「な、なん――」

 樹はティルフィングを突き立てたまま、僕の胸倉を掴む。

「すぐにガイアへ送り帰してあげたいけど、ほとんど魔力が無いから我慢してくれよ」

 そう言って、樹は苦笑した。

 わ、笑ってる場合じゃないだろ!?

「樹、何をするつもりだ! 止めろ!!」

 そう言っても、樹は手を離そうとしない。僕は、クロノスさんの方に顔を向けた。

「クロノスさん!! 樹を止めてください!!」

「…………」

 クロノスさんは何も言わず、僕を見ていた。その手を、セレスティアルにかざしたまま。あの紺碧の双眸が、悲痛な思いを物語っている。

「……すまないな」

 まさか、最初から……!?



「そういうことだ」



 樹は僕の足からティルフィングを抜いた。

「!! いつ――」

 言いかけた瞬間、樹は修哉が壊した壁の穴から、僕を投げ飛ばした。僕は、空の中へと飛ばされたんだ。

「じゃあな。空と海に、よろしく言っておいてくれ」

 遠のいてゆく天空に浮かぶ宮殿。

 遠のいてゆく、二人の姿。



「さようなら、兄さん」



 樹は笑い、手を振った。

 今……そんなことをする時じゃないだろ!?

「樹……樹、樹!!」

 僕は落ちていく中、必死にもがいた。だが、みるみる宮殿は遠のいてゆく。遥か下には、あちこちに広がるアトモスフィアの姿がある。

「樹―!! クロノスさん!!」

 この声はすでに届かない。あの青空にぽつりと浮かぶ、小さな空間には。

「うそ……だろ……」

 言いようのない絶望が広がる。

 なんで僕を……なんで、なんで!!

「いつ……き」

 僕はこの時になって、涙がこぼれ始めてきた。涙はこの空の中で、小さな宝石のように光り輝き、どこかへと消えていく。

「クロノスさん………樹ィ!!」

 僕は空を漂う中、叫んだ。もう、離れてしまって彼らの姿は見えない。見えるのは、遠のいてゆく空中都市群と、青空と雲だけ。

 二人は、自分たちを犠牲にして助けようとした。

 最後の最後に、どうしてこんな……!!



「樹……の、馬鹿やろぉーー!!」













「……とうとう、この時が来たか……」

「ようやく、か?」

 樹は笑みを浮かべ、クロノスに目をやった。

「そうだな……二万年……途方もない時間を過ごした。これで、ようやくこの呪縛から解き放たれると思うと……」

 クロノスもまた、彼と同じように笑みを浮かべる。そこには、いつもの強張った表情が消えていた。

「何となく、わかる気がするよ」

 樹はセレスティアルに歩み寄り、見上げた。

「四年前のあの日……僕は死ぬべきだった。たとえ、修哉やヴェリガンの謀であったとしても、あの時……死んでしまうべきだった。」

 樹は思い出していた。四年前の、あの日を。

 あの日……消えてしまいたいと思ったのは、本当だった。何もかも、忘れて…亡くなって、砕けて……消えて無くなりたかった。

 なのに、生き延びた僕は復讐しようとした。手にすることのできない、あいつの愛を手にするあの人を殺し、愛したあいつを滅茶苦茶にして。

「……終わりを迎えたと思ったからこそ、僕はロキとして歩くことを決めた。既に、それは帰ることのできない現実なんだよ」

言い訳をするつもりはない。

でも、悔いがあるとしたら……

「……もう一度、微笑んでほしかった」

 自分の目の前で――

 そう思うと、彼はため息が漏れてしまった。

「……誰に?」

「さぁね。あんたにとってみれば、些細なことさ」

 樹が手を広げて苦笑すると、クロノスも同じように苦笑した。

「まぁ……消えてしまうべき時を逃したんだから、もう一度そこに立ち会おうってことさ」

「……そんなことを言ったら、空に怒られるぞ?」

 と、クロノスは微笑みながら言った。

「ハハ……そうだね。……リーヴェにいる、父上や母上にも……」

 肖像画でしか、見たことが無い両親。彼には、その頃の記憶がなかったから。

「さて……最後の大仕事だ。いくぞ、樹」

「言われなくてもわかってるよ」




 兄さん……

 あなたは、あなたが信じる道を行けばいい。

 そうすれば……きっと、星も、命も……僕の心も癒されるはずだから。

 きっと……修哉も……。




 さようなら……

 兄さん……

 海……

 父さん、母さん……

 ……ごめんな、空……




 ……さようなら……















 その時、巨大な発光と共に、大爆発が起こった。

 一瞬にして空中都市群は爆発に呑まれ、灰燼に帰していった。僕は爆風に飲み込まれてしまい、どこかに吹き飛ばされる。

 視界が回転する中、ほんの少しだけ確認できた。爆発は、天空帝都だけに留まっていた。爆発は、世界を飲み込んではいなかった。

「樹、クロノスさん……!!」

 雲に、風。そして、青い空。もう午後だな。太陽が、西に見える。

 下を見ようとしても、風が強いためになかなか目を開けられない。だけど、何とか見ることができた時、僕はふと気が付いた。

 この風景は……あの時の『夢』に出てきた風景。



 青い空。

 白い雲。

 体を包み込む太陽の温かい光と、優しい癒しの風。



 僕自身は、空中に漂っていた。この時だけ、まるで一切れの紙のようにヒラヒラと。

 地上には、緑色の草原が広がる大地があった。その果てには、大海原が見える。

 青海と蒼空の境界線。その果てに、僕たちが求める「永遠の答え」があるような気がした。遠い昔から追い求め続けている、神秘の宝石。誰にも奪うことのできない、光輝なる秘宝。

 心が奪われてしまいそうなほどの、美しい地球の姿。


 

 ああ……そうだったんだ。そうだったんだよ。

 あの時が、始まりだったんだ。

 僕が『夢』を見た時が……。


 


 そのまま、僕は気を失ってしまった。







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