番外編:バルバトスとローブ
「ったく、あんたの商売センスのなさったら、本当に情けなくなるよ」
ぼてっとした腹をたわませながら、中年女が俺に悪態をついている。アンナは昔はそりゃーいい女だったんだが、今じゃこんなふうにドラム缶と見分けがつかないほど劣化してしまった。
「あん? なんか言った?」
「いやなにも」
その亭主の俺はすっかり尻に敷かれてしまっているわけで、そんなに偉そうに言える身でもないんだが。
でもま、アンナの言うことも分かるんだぜ。俺は目の前に積まれた布切れに、ボスっと顔を埋める。俺の家は先祖代々、王都で衣料店を営んでいた。十年前に親父から店を受け継いだ俺は、アンナと結婚した直後ということもあって張り切っていた。
最初は親父たちのやってきたことを忠実に守って、固い商売をしてきた。それはそれなりには正解だったのだが、反面面白くないとも思っていた。俺の、俺自信のオリジナリティはどこにもない。ただ先代の知恵と工夫をなぞっているだけ。
若かったんだろうな。そういうのに嫌気が差してきてたんだ。だから俺はちょっと変わったことをしたくなった。そうは言ってもアンナが言う通り、俺に商売の才能はない。それは今では身に沁みて分かっているが、そのときは俺の中にもまだ発掘されていない才能があると信じていたんだ。
そんなことも分からない俺は、新しい商品の開発に取り組んだ。はじめに手掛けたのは「子ども用冒険者セット」。今は大冒険時代と呼ばれている。猫も杓子も冒険冒険だ。昔のような命を賭けたようなものじゃない。あくまでもレジャー、エンターテイメントとしての冒険。
そういうお手軽さが、平和な時代の人々の心を掴んだのだろう。だがそれでも子供たちがダンジョンなどで遊べるようになるほど安全な場所じゃない。危険が減った、というだけで、多少の危なさは残っているからだ。
ただ子供がいる両親にとっては、それはちょっと困ったことでもあった。自分たちはダンジョンで遊びたい。しかし子供に行かせるわけにはいかない。でも子供は両親のしていることを真似したがる生き物だ。
だから俺の開発した「子ども用冒険者セット」は、家でも冒険者気分を味わえると大ヒットとなった。まぁ、これは後から言っていることだから、当時はそんな緻密な分析をしていたわけじゃない。ただ単に、ぽっと思いついたことをやってみただけだ。
作れど作れど店頭に並べた瞬間に飛ぶように売れていく。予約も台帳が何冊も必要になるほど埋まり尽くしていた。他の商店からは羨望の眼差しで見られ、商業ギルドからも表彰されたりもした。
これで天狗にならない方がおかしいってものだろ?
調子に乗った俺は、儲かった金を全て設備投資に回した。大規模な縫製所を作り、多くの人を雇って、大量に「子ども用冒険者セット」を生産した。アンナは遠回しに止めておけと言っていたが、それでも目の前で売れていく商品を見ていると、それほど強くは言えなかったらしい。
もう分かってるとは思うが、ブームってのはそんなに長くは続かない。縫製所が本格始動し始めたころ、店頭での売れ行きは鈍り始めた。焦った俺は、色違い、装飾を豪華にしたもの、他のシリーズなど新しい商品を開発しまくった。
結果残ったのは莫大な在庫の山。借金をしてなかったのが幸いだったが、縫製所は閉鎖し雇っていた人たちにもいくらかの金を握らせて故郷に帰した。山のように残った在庫は、店頭で値引き販売をしてなんとか売りさばいた。
そして最後まで売れ残ったのが、目の前に積み上げられている「魔王のローブ」ってわけだ。濃い紫色でそれっぽい雰囲気は醸し出しているとは思うんだが、逆に本物っぽくしすぎたのが不人気の原因だったらしい。しかもなにをとち狂ったのか、子供用じゃなく大人用にしてしまうという、追い打ちまでかましている。
自分の言うことを聞かなかった旦那に愛想をつかいているアンナは、バックヤードに積まれているこれを見るたびに俺に悪態をつくというのが、最近の日課になっているというわけだ。
しょうがない。これは一旦解体して、雑巾にでもして売り切ってしまおう。そう思いながらハサミに手をかけたときのことだった。
「ごめんくださーい」
店頭から声が聞こえてきた。「はいよぉ」と表へ向かう。店の中に一人の男が立っていた。
そこそこ背が高いが妙にやせ細った身体。ボロボロになった皮の鎧の下に、これまたボロボロの服を着ている。てっきり浮浪者かと思ったのだが、腰に下げている剣を見る限りどうやら冒険者のようだ。
正直こういう客はあまり相手にしたくない。金払いが悪いくせに文句だけは一人前に言うやつが多いからだ。しかし男は俺を見るなり「あ、すみません。お忙しいところ」と、変なほど腰が低い。案外悪いやつじゃないのかもしれない。
俺が用件を聞こうとしたとき、どこからかアンナが出てきて、男を見るなり「あらぁ、バルバトスちゃんじゃないの!」と猫なで声で近づいてきた。ボヨンとした腰で俺を突き飛ばすと「どうしたの、今日は? あらあら随分ボロボロじゃない」と、男の身体のあちこちを触りまくっている。
「いやぁ、ご無沙汰してました。ちょっと長い冒険に出てたんです」
「あら~、そうなの? それでこんなにボロボロになっちゃってるのね」
「はい。実は今度ダンジョンを開こうと思ってまして」
「へぇぇ、そういや最近ブームだものね」
「ええ、それもあるんですが、昔から好きだったので」
「ふーん、人は見かけによらないものね。それで今日は?」
「さっき家に帰ったんですけど、家族から『そんなボロボロなのはダメですー! キレイなのを買ってきて下さい!』って怒られちゃいまして」
「あー、ときどき一緒に来てた妹さんね。それじゃ、ちゃんとしたのを用意しなくちゃね。どんなのがいいの、バルバトスちゃんは?」
「いやぁ、正直こういうのはよく分からなくて」
「じゃ、お姉さんが相談に乗ったげる」
たるんたるんの腹を揺らせてても自分のことをお姉さんと言い切る図太さに呆れながら、俺は自分の仕事に戻る。バックヤードに行きローブをカゴに突っ込んで、表に持ってくる。女房はあの男にかかり切りだろうから、他の客が来たら俺が接客しなくちゃならないからな。あれだけボロクソに言われても、多少は気を使うことくらいはするものだ。それが夫婦ってものだからな。
アンナとあの……バルバトスと言われてた男は、あーでもないこーでもないと店内を歩き回っている。
「これなんてどう? マルセール公国の有名デザイナーが作った、この春最新のチュニックなのよ」
「うーん、悪くはないと思うんですが……」
「じゃ、こっちは? 今、王都ではこういうシンプルなデザインのシャツが流行ってるそうよ?」
「なるほど……悪くはないと思うんですが」
何種類もの衣服をとっかえひっかえしながら、何度も何度も「悪くはないんですが」を繰り返している。一体どんな服なら気に入るっていうんだ? 今着ているその冴えないシャツと防具に比べれば、どんな服でも上等だろうに。
バルバトスとアンナは店内をグルグル周って、やがて俺の前に来る。少し困ったような顔をしながら、バルバトスは俺が手に持っているローブをじぃぃっと見ていた。
おいやめろ、そんな目で見ないでくれ。
分かってるさ、こんなローブが流行りじゃないことくらいは。作った張本人が言うのもなんだけど、今じゃ冷静な目で見ることができるようになった。確かにこんなものを着て歩く奴なんて、いるはずかないってことくらい分かっている。
だが、バルバトスは突然俺の手からローブをかっさらうと「こ、これは……」と絶句してしまう。「ご主人!」突然大きな声をかけられ、俺は「は、はいっ!?」と驚いてしまう。
「失礼。ご主人、これはいくらでしょうか?」
バルバトスの言っていることが、全然理解できなかった。言葉としては「ローブの値段を訊いてる」ことくらいは分かる。しかしどんなに値引きしても1着も売れなかった商品だ。最早こんなものを買うやつなどこの世界にはいやしない。俺のローブに対する認識は、そんな域にまで達していた。
だから思わず「は?」と返してしまう。バルバトスはローブを手に取り、表裏と確認しながら「あの、これは売り物ではないのでしょうか?」と訊ねてくる。売り物か売り物でないかの分類で言えば、これは間違いなく売り物だ。正確には売り物だった、ということになるが、今でも売ろうと思えば売ることができるものだ。
狼狽していた俺は、本当は値引き後の価格を言うべきだったのだろうが、余程慌てていたらしい。販売し始めたときの価格を伝えてしまう。バルバトスは顎に手を当てて「ふーむ」となにやら思案顔。アンナは売れ残ったものを前の価格で提示したことに少し腹を立てている様子。
まずい、流石にちょっとふっかけすぎたか。そりゃ高く買ってくれるに越したことはないが、いくらなんでもその価格は高すぎるってもんだ。
ようやく冷静になってきた俺は、値引き後の価格、いやそれよりももっと安いものに言い直そうとしていた。だが、いくらなんでもいきなり半額以下にするのもおかしい。どう言えば違和感なく伝えられるだろうか……?
そんな考えが頭の中でグルグル回っていたときのこと。バルバトスは突然俺の手をギュッと掴んで言った。
「こんなに素晴らしいローブが、そんなに安くていいんですか!?」
□ ◇ □ ◇ □
「――ってな、話があったのさ」
目の前で「はえぇぇ」と話をじっと聞いていた女の子に言う。浅黒い肌の小さな女の子――アルエルは、言ってみれば俺の恩人でもある。
彼女が「服を買ってきて下さい」とあのタイミングで言ってくれなければバルバトスは店には来なかっただろうし、あのローブは雑巾に姿を変えていたに違いない。それに――。
「あなた、お茶が入ったわよ」
アンナがトレーに載せたカップを、カウンターテーブルに置いてくれる。あれ以来、アンナが俺を見る目が明らかに変わった。どういう理屈か分からないが、自分の亭主が案外悪くないのだと気づいたようだ。俺自身も失いかけていた自信が取り戻せたし、商売の方もようやく安定してきていた。
「アルエルちゃんも、飲んできなさいな」
「はいっ、ありがとうございます!」
美味しそうにカップを傾けている小さな女の子にもう一度礼を言う。
「いえいえ! バルバトスさまもすっかりお気に入りのようなので、私の方こそありがとうございます」
「まぁ、ぶっちゃけると、バルバトス以外にはあんなの着るやついないだろうけどな」
「あはは、でも私も結構好きですよ?」
「そうなのか?」
「はいっ。あ、でもやっぱりあれはバルバトスさまが着ているから、かっこいいなぁって思えるのかも」
「あー、なるほど」
妙に納得のいく言葉だった。
あの日、金を払いローブを手にしたバルバトスは「あの……ここで着てみてもいいでしょうか?」と、ためらいがちに聞いてきた。そして店の奥で着替えてきたバルバトスが、ローブをはためかせながら戻ってくる。
「ば、バルバトスさま……」
俺は思わずそう言ってしまっていた。どうしてだかは分からない。自然とそういう言葉が出てきた。そうとしか言えない。彼の方は「いやだなぁ『さま』は止めて下さいよ」と、慌てていたが。
ま、俺は生粋の衣料品店の店主だし、バルバトスは生まれついての魔王なんだろう。だがそれはアルエルには黙っておく。そういうのは、きっと彼女も気づいているだろうし、もしそうでないとしても、これから皆で自覚していけばいいだけのことだからな。
「ごちそうさまでした!」
「また来てね、アルエルちゃん」
「はい、ご主人もさようなら」
「はいよ、気ぃつけてな」
ガーゴイルの空中荷馬車に乗ったアルエルが、手を振りながら去っていく。なんでもお友達に洋服を買ってあげたいとかで、今日はたくさんの服を買って行ってくれた。ちょっと重いから、後で別のガーゴイル便で送るよう手配しておく。
「あのアルエルちゃんにお友達ねぇ……」
「あぁ、ずっとバルバトスと二人で来てたもんな」
「あの子いい子だから幸せになってほしいねぇ」
「なるさ、きっと」
俺もバルバトスと繋がったことで、今の生活を手に入れた。アルエルだってきっとそうさ。他人と関わることで、人は変わる。不幸せになることもあるが、彼女の様子だときっとそのお友達もいい子なんだろうさ。だったら幸せになれない方がおかしいってもんだ。
そうだろう?




