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溺愛の母淀君

作者: 小野口英男

母三題

3 溺愛の母淀君


         一

 1600年7月、徳川家康の命令に従わない上杉景勝征伐の準備に入り、諸国の武将にもその旨のふれを出す。徳川家康に従う武将達は上杉景勝を討つため東北へ軍を勧める。7月21日徳川家康も会津へ出発する。徳川家康を豊臣家の最大の敵と見る石田三成は好機到来とはやる。

 奉行を解かれ佐和山に隠居していた石田三成は四日前の17日に諸国の大名に「内府違いの条々」なる書面を送り、徳川家康が亡き太閤様の意向に反する行為の数々を行っているかを綿々と認めたのである。通常徳川家康は大阪城に在って天下人の様に振る舞っている。家康に呼応する形で既に東北に出発した諸大名を支援するため家康自身も江戸にあった。

 家康が会津へ出発の翌日、大阪城に秀頼と淀君を尋ねた石田三成、

「秀頼様、淀君様には麗しく喜ばしい限りであります」更に話し続ける。

「久しぶりじゃのう。元気そうで何よりじゃ」

「有り難きお言葉。本日参上しましたのは徳川家康の事で御座います」

「内府がどうしたと言うのじゃ」淀君が尋ねる。三成はここぞとばかり、

「家康の傍若無人の振る舞いに付いてであります」三成の話しをいぶかる様に淀君は、

「傍若無人の振る舞いじゃと」

「はい」三成は話しを続ける。

「亡き太閤殿下は何事も五奉行で話し合って事を決め進めるように。五奉行で手に負えなければ五大老に図り五大老で話し合って事を決め進めるようと御指示されました」

「その通りじゃ」

「淀君様、それではお尋ね致しますが、よろしいでしょうか」

「何じゃ」

「淀君様、今の我が国において太閤殿下の御指示通りに運んでいるとお思いですか」

「妾は政ごとには関わっておらぬ。殿下の御指示通りに運んでいよう」

「とんでもない、淀君様。殿下の御指示通りに運んではおりませぬ」

「何故なのじゃ」

         二

「原因は徳川家康にあります」

「そなたは先ほど家康の傍若無人の振る舞いと申したな」

「その通りです、淀君様。殿下が亡くなられた当初は、家康も殿下の御指示を守っておりました。しかしそれは最初のうちだけです。そのうち牙を剥きだしたのです」

「牙じゃと」

「ハイ牙に御座ります」

「詳しく申してみよ」

「まず家康は殿下の生前、伏見城を在城とする事を殿下と約束しました。その約束を無視し事も有ろうに北の方様を追い出し大阪城を在城としてしまったので御座います」

「北の方様も御納得の事と聞いておる。内府は多くの豊臣家古来の大名に支持されていようが」

「その通りで御座います。大阪城から天下人の様に振る舞い、次々に各大名と家同士の婚姻を結び勢力の拡大を図っております」

「内府が支持されるのはそれだけではあるまい。五奉行いや三奉行にも内府を支持する者もおろうが。そなたは好かれぬか」

「ははぁ。勿論三奉行の中にも家康を支持する者もおります。奉行の目的は、豊臣家安泰と戦の無い世で御座います。豊臣家安泰の為には大名の所領を削り豊臣家に回すのを厭わない。私は率先して行っていたので嫌われておりました。反対に家康は婚姻を結んだ大名に対して勝手に所領を加増したりしております。これは大老が話し合って遣る事であります」

「朝鮮出兵でもそなた等国内組と清正等渡海組で対立があるとか云われていようが」

「朝鮮出兵は元々殿下お一人で決めた事。渡海組の大名は我々国内組の奉行が推し進めたと勝手に思いこんで怒って居る。しかし今は沢山の犠牲者を出す事は最初から分かっておりました、体を張ってもお留めすべきであったと悔やんでおります」

「政ごとをする者と戦で大名に成った者とでは考えに差が有ろう。秀次でも対立があるとか」

「私を嫌う家康はこれを三成追い落としの好材料と捉え、事ある事に利用しております。関白切腹後、三十九名の殺された女人子供の中には大名の子女もおります。その様な大名を家康は例の口車で味方に付けております。気の毒だとは思うが、殿下の決めた事で私には何ともしようがない。家康には散々私の攻撃材料に使われました」

         三

 佐和山に隠居していた三成は最初から家康を嫌っていた訳では無い。家康暗殺計画事件の際は計画する勢力への備えとして助勢として兵を出している。その良好な関係も家康の度重なる勝手な振る舞いから不安になり、不安は警戒心へと変わるのである。やがては家康との戦いを決断する事に成るのである。

 家康は大阪城内で天下人の様に振る舞い、一方で五奉行の内、浅野長政は秀次事件の影響で責任を取らされる形で蟄居となり、石田三成も豊臣譜代の大名との対立の責任を取らされ職を解かれる。同じく二奉行減った三奉行にも手を回し増田長盛、前田玄以、長束正家、の豊臣三奉行を味方に引き入れ豊臣政権内部での権力を強化する。一大老減り四大老の一角であるはずの毛利輝元でさえ家康に協力的な姿勢を示し、恭順の意を示している。三成の話しは続く。

「家康は次第に三奉行を無視し、大阪城から一人で勝手に政ごとを決め進めるようになりました。これは殿下が生前取り決めた約束を完全に破るもので有ります」

「しかし奉行の他にも大老がおるではないか」

「淀君様のおっしゃる通りで沢しく御座りませぬ。只し一大老減り今四大老の内、毛利様と宇喜多様は家康の力をおそれております。家康の勝手な振る舞いをやめさせるのには及び腰であります。まして家康と事を構える気概など最初から持ち合わせてはおりませぬ」

「加賀の前田や会津の上杉は」

「淀君様、前田利家様は生前家康に勝手な振る舞いを止めるように諫めました。その結果家康の勝手な振る舞いが収まるかにみえました」

「前田利家は亡くなったであろう」

「その通りです淀君様。前田利家様は殿下の若い時からの盟友。家康が如何に力を持つとはいえ、利家様の言う事を無視する事は出来ません。しかしその利家様が残念な事に病死されました。前田家は利家様あっての五大老の一角です。五大老は現在四大老で利家様が居なければ家康にとって前田様を恐れる理由は在りません。利家と言う重しの取れた家康は再び勝手な振る舞いを始めたのであります」

         四

 徳川家康の存在感が大きくなる中、家康にとって只一人目障りなのが大老の一角、会津上杉景勝である。恭順を示す為に再三上洛を勧めても拒否続けているのである。この様な状況下、慶長5年(1600年)春頃より上杉景勝と家康との関係が更に悪化。家康は新しい城の築城や津川への架橋を、政権への反逆で有り殿下に対する約束違反であると責め立てる。しかし家康の本心は別の処にある。自分に従わせる家康の力の誇示でもある。

 景勝は6月上旬期限付きの上洛を要求する家康に対し、上洛の意志を伝える。但し上洛は6月ではなく秋の延期と、上杉家に謀反有りの告げ口をした者を教える様に要求する。最終的に上杉の要求は聞き入れられず6月上旬に至って景勝の上洛は中止となる。これにより上杉と家康の対立は決定的となる。これが今回7月の上杉景勝征伐に繋がるのである。今度は淀君が三成に話し掛ける。

「会津上杉ははどうなのじゃ」

「会津上杉景勝は決して大阪退いては豊臣家に楯突いている訳では御座いません。家康の勝手な振る舞いに憤慨して大阪に上洛するのを拒否しているので御座います。家康は自分の意のままにならぬ上杉を討つべく、従う大名達を先に会津に行かせ、自分も昨日兵を率いて会津に立ったので御座います。好機到来家康封伐の狼煙を上げまる、その為にはどうしても家康と互角の大将が必要と成ります」

「大将がのう」

「東には徳川家康がいますが、西には大将が居りませぬ」

「毛利輝元が居るではないか」

「毛利様は四大老の一人格に不足は有りませぬが家康と戦うだけの気概がありませぬ。出来る事なら戦いたくは無いのが本性。そのような者は大将に相応しくない」

「それならそなたが大将になれば良いではないか」

「私は家康と戦うだけの気概はありますが佐和山十九万石。家康は勿論、毛利様より遙かに小さい大名。格が小さく大将には相応しく御座りませぬ」

「それで誰なら良いと」

「秀頼様に御座います」

「秀頼じゃと」

「はい」

「秀頼様が大将に成れば、現在どちらに付くか迷って居る者も此方に付きましょう。そうなれば勝敗は目に見えております」

「馬鹿を申せ。秀頼は未だ幼い子供じゃ」

「その通りに御座ります。秀頼様は御歳七歳、周りを我々がしっかり固め、猫の子一匹近付かせはしませぬ」

「成らぬ、成らぬぞ。秀頼が怪我でもしたら何とする」

「秀頼様は我々が必ずお守り致します」

「成らぬ、成らぬぞ。殿下が生きていらしたらお叱りを受けよう」

「殿下が生きていらしたら逆に良く遣ったと褒められましよう」

「何故じゃ」

「今こそ家康を叩かなければ、将来必ずや禍根を残す事に成りましょう」

「それなればそなたの願いを聞き入れましょう」

「有り難き幸せ」

「豊臣家の旗印をそなた等に持つ事は許す、但し秀頼を大将として戦場にかり出す事は絶対に認めん」

「大将の居ない旗印など何の役にも立ちませぬ、大将あっての旗印で御座います。家康に従う軍勢に対して従わぬ大名は西に多い。しかし我々に味方する大名は西だけでは無い。家康が封伐に向かっている上杉も我々の味方です」

「会津上杉か」

「はい会津上杉景勝で御座います。我々が家康追討に立ち上がれ ば、会津上杉景勝も戦い安くなりましょう」

「何故会津上杉景勝が」

「我々が家康追討に立ち上がり、会津上杉景勝と共に戦うのです。東西から会津に向かう家康に従う軍勢を挟み撃ちにするのです」

「上杉景勝かそうするとは限らんのでは」

「上杉の家老直江兼続と堅い約束の書状も届いております」

「上杉は信用出来ると」

「上杉は謙信以来戦に負けた事がない。それは堅い団結の為であります。有象無象の十万より一万の上杉の方が恐ろしい」

「大老上杉景勝は信用出来るとしても、家老が信用出来るとは限るまい」

「私は大阪城で暫く直江兼続とは一緒に仕事をしてまいりました。あの男ほど信用出来る者はおりませぬ。上杉の家老を長く務め大老上杉景勝の信頼も絶大に御座います」

         六

「淀君様改めてお尋ね致します。この先家康は豊臣の為に働くとお思いですか」

「そうじゃ」

「この先如何に力を付けようと、家康は豊臣の為に働くとお思いですか」

「内府は現に力がある。それでも内府は豊臣の為に働いて居るではないか」

「嫌々未だ力不足で御座います。だからこそ諸大名と縁を結び勢力の拡大を図っております」

「そなたは何故それ程内府を嫌うのじゃ」

「嫌いなのでは御座りませぬ、恐れているのです。家康ほど恐ろしい男は居りませぬ」

「何を恐れているのじゃ」

「家康ほど恐ろしい男は居りませぬ。言葉巧みに人を騙し、気が付いた時には地獄に堕ちている」

「それ程恐ろしい男とは思えぬがのう」

「嫌々家康は正に古狸で御座います。人を言葉巧みにその気にさせた後、騙し地獄に落とす」

「五奉行いや三奉行も内府に味方して居ろう」

「淀君様の申される通りで御座ります。三奉行も最初は騙されていました。その後家康の悪行に気づき、前田利家様の力を借りて家康を糾弾しました。一時家康の悪行も収まるかに見えましたが、利家様死亡で元の黙阿弥」

「毛利輝元はどうじゃ」

「毛利様は内心苦々しく思われて居ります。面だって家康を糾弾出来ませぬ。そこが利家様との大きな違い」

「清正、政則等豊臣譜代の大名も内府に味方しておる。多くが今回の会津征伐に加わっておろう」

「何度も話しました様に家康は言葉が上手い。自分の間違いに気づいた時は地獄に落ちているので御座います」

         七

「淀君様お尋ね申します。この先豊臣家の安泰を望まれるのか。それとも家康の天下をお許しに成るのか」

「勿論豊臣家の安泰じゃ」

「それなら直ぐ家康封伐の大将に秀頼様をお認め下さい。どうかお認め下され」

「成らぬ、成らぬ。秀頼を戦場になどと恐ろしい限りよ」

「秀頼様は我々が命に替えてもお守り致します。何とぞお認め下され」

「許さぬ。可愛い秀頼の顔に傷でも作ったらどうする」

「淀君様良くお考え下され。力を蓄えた者は次に必ず天下を狙います。古くは北条時政、足利尊氏皆天下を狙い取りました。時政は主だった頼朝の長男頼家を殺してまでも。早い話が殿下にしても、毛利を水攻めの最中に、信長様死去の知らせに接するや直ぐ毛利と和睦し、世に「鸚鵡返し」と云われる素早さでとって返し光秀を討ち、後に天下人になったので御座います。あの時殿下に素早い行動を取らせた原因は、他ならぬ天下を取るとの強い意思で御座います。家康が今回上杉景勝征伐を行ったのは景勝を征伐するのが目的ではなく、諸大名を家康に従わせる事にあります。それにより天下に家康有りを知らしめる事が出来ます。天下を取るに邪魔な上杉を排除出来れば一石二鳥となります。家康にとり上杉の次は他ならぬ豊臣家であり秀頼様であります。その前に家康を叩かねば成りませぬ。家康封伐の大将に秀頼様がなって戴ければ、西軍は圧勝しましょう」

「何故そう言い切れる。秀頼の命の保証など出来まい」

「今どちらに付くか迷っている大名は沢山居ります。そういう者は間違いなく我が西軍に付きましょう。戦わずして勝利は決まったのも同然で有ります。大将に秀頼様を」

「成らぬ、絶対成らぬ」

「豊臣家の安泰を望まれるなら大将に秀頼様を」

「成らぬ、成らぬ」

「豊臣家の安泰を望まれるなら大将に秀頼様を」

「成らぬ、成らぬ」

「豊臣家の安泰を望まれるなら大将に秀頼様を」

「成らぬ、成らぬ」

「大将に秀頼様を」

「成らぬ」

「大将に秀頼様を」

「成らぬ」

「大将に秀頼様を」

「成らぬ」

「秀頼様を」

「秀頼様を」

「秀頼様を」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」

「・・・・」

 額を畳に擦り付かんばかりに頭を下げ懇願し続ける三成、拒否する淀君。長い沈黙の後、二人の戦いは淀君の勝利を意味する三成の諦めで決着する。

 石田三成は退座し大阪城を後にする。関ヶ原の戦は小早川秀秋の裏切りにより西軍は破れたとされる。西軍は既に戦う前から敗因が存在した事になる。我が子秀頼に対する、溺愛の母淀君、と云う。

                                   <了>


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