ある小さな国の惜別ソネット
むかしむかしある国では、年寄りほど国の役に立たぬものはないと、60歳を迎えた者は全員、国で一番奥深い山に捨ててしまえというそれはそれは厳しい掟があった。
そんな国の小さな村に働き者の母親と息子の嘉吉が二人仲良く暮らしていた。朝から畑を耕し、太陽が沈むころにはいろりを囲んで飯を食う、平凡だが穏やかで慎ましい暮らしを送っていた。少なくとも今日までは。
「おーい嘉吉や、さっきから黙ってどうした。体でも悪いんか」
「・・・」
「なんじゃ、四宮さんとこに今から行って薬を作ってもらおうかいの」
「いや、体調は悪くないが・・・今日でおっ母が・・・」
「ああ、おらは今日で60歳になるなあ。年は取りたくないもんじゃの、カカカカ」
「この国の掟とはいえ、おっ母をあの深い山に連れていくなんてとてもできねぇよ」
「仕方のないことじゃよ。決まりは決まり、年寄りは大人しくいなくなる定めよ」
この国では飢饉が度々起こっていたため、国の殿様が食い扶持を確保するため、老人はすべて捨てるという大胆なお触書を発した。そのため確かに一定の食糧は確保され、国として危機を乗り越えることも増えた。だが本当にこれで良いのだろうか。ここ最近嘉吉はずっとそんなことを悩みながら過ごし、暗い顔をしていた。何も悪いことをしていない母親をなぜ山の奥に捨てなくてはならないのか。
「おっ母!おらやっぱりおっ母を見殺しにすることなんてできねぇ!」
張りつめた気持ちが決壊したかのように嘉吉はボロボロと泣き出した。そんな嘉吉の頭を母親は優しく撫でて、もう一方の手でほっぺたに触れた。昔から母親が嘉吉が悲しい時、辛い時にしてくれた仕草だ。この仕草ももう最後かもしれないと思うと嘉吉の涙は止まるどころかますます込み上げて来るのだった。
「やれやれ、嘉吉のやつ泣き疲れて眠ってしまったね。こんな泣き虫で本当に大丈夫か心配だねぇ・・・」
涙の後を残しながら、膝枕の体制のまま嘉吉の寝顔を眺める母親の目にも涙がつたう。母親だってもちろん離れたくはないが、自分が60歳を迎えてなおこの家に留まってしまっては嘉吉にも厳しい罰が下る。それだけは嫌だった。
「早いもんだねぇ・・・お前が生まれたときは本当に嬉しかったんだよ。おらの子どもに生まれてきてくれて本当にありがとう・・・」
そうつぶやくとそっと嘉吉の頭に膝の代わりに枕を差し入れ、布団をかけた。しばらくじっと寝顔を見た後、母親は後ろの引き出しを開けた。
「お前は私の宝物。お腹を痛めて生んだ大切な宝物・・・」
チュンチュンとさえずる鳥の声で嘉吉は目を覚ました。いつも通りの朝、いつも通りの家の光景、しかしいつも先に起きて朝飯の支度をしているはずの母親の姿がなかった。
「おっ母!?」
飛び起きて家中を探した後、ふと枕元に何か置かれていることに気が付いた。それは、嘉吉の好きな塩結びと、見慣れない手作りの着物だった。台所を見ると、薪の燃えカスと米粒のついたお釜が残っていた。
「おっ母が握ってくれたんだ・・・この着物もおらのために縫ってくれていたんだ・・・自分だって農作業で毎日疲れ切っていたはずなのに・・・」
昨晩涸れ果てたかに思えたが、大粒の涙が止まらなかった。
「それなのに・・・何も言わずに自分で山に行った・・・おらはきっと山に連れていくことができないと思ったに違いねぇ・・・」
塩結びにかぶりつき、母親の縫ってくれた着物を抱きしめながら泣く嘉吉の目には、次第に怪しい光が灯っていくのだった。
「お前、知ってるか。最近このあたりに獣が出るんだってよ」
「あー?獣って猪かなんかか」
「違うって!見た目はでっかいサルみたいな姿で、すばしっこいのなんのって」
「サルなんてなんも怖くねぇじゃねぇか、鉈か鋤でぶったたいてやればいいのよ」
「いや、それは無理だ。人並みに賢いからこっちの動きは全部かわされるんだって。そんでもって凶暴だからもう何人も殺されたらしいぜ」
「おー、恐ろしいねぇ。おちおち農作業もできやしねえ」
農民の男二人が作業の休憩中に世間話に花を咲かせていた。その二人の後ろに侍の隊列が近づいて来ていたが、二人は話に夢中で気付かない。
「おい、そこのもの!」
「はい!ってお侍様じゃないですか!ははー!」
「ははー!こんな小さな村に何の用でございましょう」
「用向きは話せぬが、国の殿から仰せつかった任である。時に、この付近には獣が出て被害を受けておると聞いておるが」
「そうでございます。そいつらは決まってあのうば、いや、あの深い山からやってきて近隣の村々にそれはひどい被害を与えるのです」
「なるほど、協力感謝する。その件についても、この黛儀十郎が解決して見せよう」
そう言い残してその侍は数十人の武士たちを引き連れて深い山に入っていった。
「黛儀十郎って、戦場での百人切り伝説を持つあの黛儀十郎だぜ!これは獣のことなんかすぐ解決してしまうんでねぇか!」
「誰かは知らねえが、それは心強いってもんだ」
二人の農民は明るい表情でまた農作業に戻るのであった。
「さすがに奥深くまで来ると気味が悪いな」
黛率いる一行は山の中腹に差し掛かるあたりまで進行していた。周囲は高い木々に囲まれ、日も差さない薄暗いためおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。ふと黛が足を止めた。
「全体止まれ!」
「どうしたんでさぁ、黛の大将」
「太刀を構えろ!空気が変わった・・・何か来るぞ」
そう言うや否や、一行の最後尾の後ろの草むらから黒い塊が飛びかかってきた。
「チッ!後ろかあ!!」
「ぐわあーー!!」
黛が振り返ると、最後尾にいた武士数人が既に重傷を負って倒れていた。そしてそこにいたのは、見るも醜い獣だった。全身が長い体毛に覆われ、爪は長く鋭く伸び、そして目は真っ赤に光っていた。こちらを威嚇するかのように牙をむき出しにしてその獣は低く唸りを上げる。
「グオオォォ―――!!!」
その異様な姿に黛は一瞬たじろいだ。これがさっき農民が言っていた獣か。ここでやらねば被害は止まらぬ。そんな考えが巡り、恐れを決死の覚悟で押さえつけ、前に踏み込んだ。
「皆、下がれ!私が切る!」
ダッと踏み込んだ黛はそのままの勢いで太刀を振り上げ、獣に振り下ろした。獣はかわそうとしたが、黛の切っ先が一歩早く獣の体を捕らえ、切り裂いた。
「ギャァァァ―――!!!」
耳をつんざくような悲鳴を上げながら獣は気に飛び移り、山の奥に消えていった。
「あの太刀筋を食らってもまだ動けるか・・・皆の者、一旦体勢を立て直すぞ!水の音がする!近くに川があるはずだ!そこで傷を負ったものを手当てする!」
一行は周囲を警戒しながら、川に向かって進路を取った。数人が深い傷を負ったため、一度引き下がるべきか考えなくてはならない。そう判断した黛であったが、獣を切った時に不可思議な感覚を覚えていた。まるで人を切ったかのような手ごたえだったのだ。
川に辿り着いた一行は、傷の手当てが必要なものに治療を施し、先ほどの戦闘で動揺したものは川の水で顔を洗って気を持ち直していた。黛はこの先進むべきか、それとも退却した方がいいのか考えあぐねていた。そこに、周囲の見張りに立たせていた武士の一人が黛のもとに息を切らせながら走ってきた。
「黛大将!大変だ!こっちに来てくれ!」
「何事だ!」
武士が見張っていた所まで黛が行くと、そこには・・・
「これは・・・やはりこの山には・・・」
目の前の光景を見て黛の中の迷いは消えた。一刻も早くこの先に行かなくてはならない。そう確信した。自分が、今日ここですべてを終わらせなくてはならないと直感したのだ。
「先の戦闘で切った獣の血の跡を追って先に進むぞ!負傷したものはここで待機せよ!」
判断を下した黛の目には決意の色と、悲しみの色が写っていた。
山頂にほど近いところまでついに黛たちはやってきた。そして目の前の光景を疑った。山頂であるはずのこの場所には、村のように切り開かれた土地が広がっていたのだ。人家や畑があり、水路もあった。ただ、誰もおらず、ひっそりと不気味に村が存在している。
「ギィャァァァー!!」
村の奥の方から先ほどの獣に似た叫びが聞こえた。ついにここまできてしまった。黛は最後の覚悟を心の中に決め、部下たちにはこの村の入り口にあたる場所で待機するよう伝え、自分一人で村の奥に進んで行った。
叫び声がこだまする方向には、山の断崖を利用してつくられたであろう人口的な洞窟の入り口があった。この先に、すべての答えが待っている。少し震える足をいなし、ゆっくりと洞窟の中を歩き出すと、中に松明が備えられており、やはり明らかに人の手によって作られていることが分かった。そして、一段と大きな空間に足を踏み入れた刹那、その中央部に人間の姿が見え、同時に轟くような低い声が洞窟内に響いた。
「誰だ」
黛はその声に畏怖した。何か直接されたわけではないが、声に含まれた憎悪や怨念といったものに近い黒い衝動に胸が苦しくなった。洞窟内に侵入してきた黛だけではなく、世界中のすべての人間に対して向けられている敵意を感じた。あまりの圧に立ちすくんでしまったが、気力を振り絞って対峙する相手を見据えた。
「お前は、嘉吉だな」
内部の松明に照らされて相手の顔が明らかになった。似顔絵で見たものとは比べ物にならないほどやつれ、頬はこけているが、面影はあった。山奥の村で農業を営んでいたという嘉吉本人であった。
「そうだ、お前は俺のことをどこまで知っている」
「お前のことは、薬屋の四宮東次郎から聞いた。もし四宮から聞いたことが本当ならば、私はお前を切らなければならない」
「四宮・・・?ああ、昔の家の近くにいたあの薬屋か。あいつは元気にしているのか」
「何を言うか!四宮は二年前お前から受けた傷によって今も不自由な暮らしを強いられてるんだぞ!」
「そんなこともあったな。今となっては全部過去のことだ、俺には関係ない」
この山に向かう前、その噂を聞き付けた四宮が黛に進言するために、不自由な体を引きずるようにやってきた日のことが想起された。
「黛の旦那、あの山にあなたが行かれると聞きました。その上でお聞きいただきたいことがあります」
「なんだお前は、私は出自の準備で忙しいのだが」
「あの山には獣が出ます。そしてそれは恐らく山に捨てられた年寄りたち、つまり人間です」
「何を申しておるのだ。私に下らぬ冗談でも言いに来たのかお前は」
「そのようなことは決してございません。ただ、昔ある友人が、この国に絶望し私にこう言ってきたのです。国崩しを行う、と」
「・・・分かった。ひとまずお前の話を聞いてみよう。すべて話せ」
「ありがとうございます」
「その時四宮が私に話した内容は、自分の母親を奪っていった姥捨て制度を課す国の殿様を許せず、山に捨てられた年寄りたちを使って謀反を企てるお前のことだった」
「いかにもそうだ、俺はこの国に絶望し、すべてを破壊すると決めたんだ」
「そして薬屋の四宮にこう言ったんだ、年寄りを若返らせる秘薬を作ってくれと。偶然にも四宮家は何代にもわたって薬屋を営んでいて、その歴史の中でずっと不老不死の研究をしていた。そこにお前は目を付けた」
「あいつは優秀だった。雲をつかむような俺の頼み、叶わねばそれも運命と諦められたが、あの男は完成させた」
「お前はその後、邪魔になった四宮を手にかけ、姥捨て山にこもった。その目的は捨てられた年寄りたちを若返らせ、大軍勢をつくるつもりだったんだろうが、そう簡単にはいかなかった。若返りの薬は肉体を活性化させる効果は示したものの、理性を失わせ、人を野生動物のレベルにまで退行させるものだった。近くの村に現れた獣がその証拠だ」
「何事も誤算は生じる。それでも十分な戦力を備える戦士の誕生には違いない。見ろ、この兵力を!」
嘉吉が松明を手に取り、背後の暗闇に向かって投げた。照らし出されたその場所には、おぞましい数の獣たちがこちらに襲い掛からんばかりの勢いで唸っていた。
「この頂上に来るまでに捨てられたはずの年寄りをほぼ見かけなかったが、お前がここに集め、薬によって獣に変えていたんだな!この鬼め!」
「年寄りたちを獣に変えたのはこの国さ。何の罪もない年寄りをただ自分達が生き永らえるために切り捨てた。悔しかっただろう、辛かっただろう。俺がこうして反撃の機会をつくってやったんだ」
「・・・姥捨て制度は終わった」
「は?」
「姥捨て制度を制定した今の殿様が昨日60歳を迎えたんだが、自分は絶対に山に行きたくないと以前から必死になっていてな。しかしこれまで、逆らうものには容赦なく罰を与えてでも強行してきたこの姥捨て制度。自分だけ例外として扱えば民衆からどんな目で見られるかわからない。ならばと手のひらを反したように制度そのものをあっさり廃止したよ」
「・・・そんな簡単に、一人のわがままで姥捨てが終わっただと。し、信じられるか!」
「殿様もさすがに立場を危ぶんで、私たち部隊にこれまで捨てられた年寄りたちを保護して国に連れて帰ってくるよう命じた。私がここにこうして来たのがその証だよ」
状況を理解した嘉吉は、腰を抜かしたようにスルスルとその場にしゃがみこんだ。先ほどまでの気迫が徐々に薄れ、目の光が淡く、暗くなっていく。
「では俺はいったい、何のために、年寄りたちを・・・おっ母の敵を、おらが、とるん、だ」
「・・・お前は間違いを二つ犯した。一つは、自分の恨みのために無関係な年寄りたちを利用したこと。もう一つは、自分の母親を殺したことだ」
「なにが、なにをいってるんだ、お前」
「ここに来る途中、お前が放った獣を打ち取ったが、そいつが現れた方向にあった川のそばに、そいつにやられた息も絶え絶えの老婆がいた。今部下が手当てをしているが、あの出血量ではまず助からんだろう」
「うそだ・・・」
「その老婆は、嘉吉とつぶやきながら今お前が着ている着物と同じ布で作られた手拭いを抱くように倒れていた。お前の母親は今日まで生きていた。そしてお前のつくった獣に殺されたんだ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
嘉吉は雄叫びのような呻き声を上げながら完全に壊れた。長年の生きる目的を失い、たった一人の母親を自分のせいで殺してしまったという事実に心が耐え切れなかった。
「お前らすべてを殺して、この国を終わらせてやる!!!年寄りはもう使わない、俺自身が獣となって、皆殺しにしてやるぞ!!アハハハハ!!俺が!この国を!!」
嘉吉は着物の袂から丸薬を取り出し、口に含んだ。
「まさか若返りの薬か!やめろ嘉吉!!」
「アハハハハ、もう遅い、俺は獣の王だぁ!!みなごろ・・・なんだこの感覚は」
「四宮が言っていたことだが、その薬は60歳以上の人間の細胞活性にしか効果がなく、60歳未満の人間が摂取すれば、逆にその人間の細胞は急速な老化が進むと。伝える前にお前は四宮の前を去っていった。そのツケが回ってきたんだ」
「ハア、ハア、息が苦しい。体が重い。助けて、おっ母!おっ母!おらはただおっ母と一緒に、もう一度・・・もう一度・・・」
いくぶんしぼんでしまった嘉吉がゆっくりとした動きで地面に倒れこみ、そして動かなくなった。その背中を見つめる黛の目には、うっすらと光が宿っていた。嘉吉の着物の袂を探り、例の薬をじっと見つめる。
「あとは俺に任せておけ、嘉吉」
(了)




