決してこれは後悔などではない
リンドワールから来た青年は、この国の外で起きていることを教えてくれた。
「この世界にいる魔女はもう数少ない。彼女たちは遊びを始めました。国を滅ぼす遊び──遊びにして、復讐とも言えるでしょう。魔女たちは、持って生まれた邪悪な力ゆえに爪弾きにされてきました。そうしてきた人々への、復讐」
リンドワールの魔法使いたちは、すでに他に魔女を拘束しているという。
「すでに捕らえた魔女によると、最終的には全ての国を滅ぼすつもりだったようです。大昔は魔法使いや魔女なんて、各地にいたもので対等な位置関係を築いていたようですが、次第に魔女が……という話は細かすぎるので止めます。かつて──いや、既に彼女らにはそれぞれ罪があります。少なくとも一国ずつ、滅ぼしたという罪です」
息を飲む、微かな音が聞こえた。
また、重い『事実』が重なったのだ。
「彼女らは多くの人間が死ぬ根元となりました。実際、多くの者が死んだ『とき』があります」
この国も、これからそうなっていたかもしれません──そう大魔法使いは言ったが、その『事実』が『かつて』の世界のことだとセラには分かった。
実際に起きたが、現在の世界では起こっていないこと。
しかし、起こったこと、なのだ。彼は未来のことをすでに罪とした。
「……陛下、発言をお許し下さい」
アレンが、奥に座する王に許可を求めた。
現在、城の一室で急遽リンドワールの大魔法使いの、王への謁見が行われていた。彼らが捕縛したアルヴィアーナは、アレンの婚約者であったことからも、王の知るところでもあった。
そのような存在となった彼女を連れて行くに辺り、リンドワールの大魔法使いは説明を行った。
魔法使い、魔女という存在の根本的なところから、なぜこの国に来て、アルヴィアーナを捕まえたのか。無論、『かつて』の話はしていない。
この場で、改めて魔女という存在、つまりアルヴィアーナの正体に知ることとなったアレンは、固い表情をしていた。
彼に発言の許可を求められた王は、頷き、許した。
アレンは、大魔法使いの方を見た。
「アルヴィアーナは、これからどうなるのですか」
「『塔』──リンドワールにある魔法使いの最高機関にて身柄を拘束、監視し続けます。詳細はこれから決めることになりますが」
そうですか、とアレンが言ったのは、それだけだった。
「王の騎士殿たちには、ぎりぎりで私の使い魔が届きまして。急にお手伝い願ったことをお詫び申し上げます。そして、感謝を」
リンドワールの大魔法使いは、セラとエリオスに頭を下げた。
彼は、前々からセラたちが独自で動いていたのではなく、ぎりぎりでギルを使わせることができ、事情を話して先に阻止を頼んだ形にしたのだ。
*
リンドワールの魔法使いたちは、王の言葉を受け、一夜を城で過ごすことになった。
魔法使いたちは、単なる社交的な面で申し出を受け取ったというよりは、随分強行軍だったのか、ありがたそうにした。
セラは、ギルに案内してもらって、リンドワールの大魔法使いに会った。
彼は、与えられた部屋に行くのではなく、外にいた。
銀色の髪、白い服と全てが白っぽいため、近づけば暗闇の中でもぼんやりと見えた。
『おい』
猫が雑に声をかけると、銀色の髪を揺らし、大魔法使いは振り返った。
「ウルシュじゃないか。久しぶりだな。おいで、友よ」
『誰が飛び込むか』
腕を大きく広げた青年に対し、猫は舌打ちせんばかりに吐き捨てた。青年が苦笑する。
「ウルシュ……?」
セラは、猫を見下ろした。
「それが名前なの?」
『そうだと言えばそうだ』
「ああ、彼が名乗らなかったのだね。それはどうか許してあげてほしい。使い魔の名前はとても大事なものだから、ウルシュというのも半ばニックネームなんだ」
『おい、止めろ、抱き上げるな』
大魔法使いの手に抱き上げられた猫は不服そうに言い、するりと手を逃れ、大魔法使いの肩に乗った。
しっくりくる組み合わせだった。
猫の姿を追い、視線を上げたことで、深い緑の目と視線が合う。
「リンドワールの、大魔法使い様」
「元、だよ。僕はもう魔法使いでさえない」
便利だから、今回は元でも使っている肩書きなのだけれど、と青年はやはり苦笑した。
「君が記憶を持って戻ってきた者か」
深緑の目が、セラを見る。しっかりと目を合わせ、見た。
『もう一人いるけどな』
「もう一人?」
『エリオスっていう、こいつの兄弟子だ。お前さぁ、テキトーなこと言うなよな。全っ然、俺気づかなかったんだからな』
「そんなに不確かなことは言っていないのだけれど……そうか……もう一人……? その彼にも後で会おうかな」
彼は元々進んでいた方にセラを誘ったため、セラは歩きはじめる。
「本当にぎりぎりだったようですまないね。改めて申し訳ない。僕に魔法が使えたら、各地に分身くらい飛ばせたんだけれど、そうもいかなくて」
大魔法使い──元とはいえ、大魔法使いとは大層な地位に感じる。
それに似合わず、青年はとても申し訳なさそうにする。親しみさえ感じられそうだった。
「間に合って良かったよ」
不意に、その目が、遠くを見るようになった。
「あなたは、どうして時を巻き戻そうと思ったのですか」
セラは、尋ねた。
セラも戻ってきた、起点。それが、この青年だ。
青年の目が、セラに向けられる。
「ギル──あなたの使い魔は、時を戻すに当たって、大きな代償を払ったと言っていました」
見た目には、何を失ったのか分からないが。
「それに──全員ではなく、わたしたちだけ、戻したのはなぜですか」
「魔法は万能じゃない。後者に関しては、単に全員なんて無理だからだ。君たちが、という点は、単に魔法につけた条件で君たちが選ばれたんだろう。前者の問いに関しては、愚問かと思うが。僕が失ってはいけないものを失ったからだ」
「失っては、いけないもの、ですか」
「そう。僕が守り続けると決めた王だ。そして、彼女が愛した国だ。──君も、何か失ったんだろう?」
柔らかな問いかけだった。
「何をしてでも取り戻したいものがあったはずだ」
確かに、愚問だった。
同じだったのだ。セラも、この元魔法使いも。
根本は同じで、失ったものを、取り戻したかった。それは、人であり、時間でもあった。
そこを理解したところで、セラは、元魔法使いの歩みについていくばかりだった道の先がどこかに、気がついた。
「この先は」
「魔女の牢を確認してから、休ませてもらおうと思ってね」
アルヴィアーナは、城の敷地内の罪人の収監用の建物の牢に入れられている。
そして、牢は、この先にあった。セラは歩みを止めた。元大魔法使いも。
「魔女に会う気は?」
「……なぜ」
「言いたいことがあるなら、言っておいた方がいい。これが最後だよ」
セラは、とっさにはあるともないとも言えなかった。
「君は、後悔をしているのかい?」
胸を突かれたような衝撃を受けた。
「後悔は、していません。──ただ、納得できないことがあります」
「何だろう」
「アルヴィアーナは、この国にいました。ですが、かつて彼女はこの先他国に行き、この国を侵攻させました。なぜ、彼女がアレンの側にいて、アレンを殺して、他国に行ったのか、それが分からない。わざわざ、そんなことをする必要はなかったでしょう」
アレンが殺す必要性はなかった。魔法を使って人間を直接殺してくれれば良かったという話でもないが、納得できない。
ギルの推測では遊びか利用。魔女を揺さぶってやりたい気分が僅かにあった。
元大魔法使いは、「ふむ……」と視線を宙に投げた。
そして、ぽつりと呟く。
「『愛している』、と言った者がいたな」
と。
「魔女がいる場に行くにあたり、場の特定をし、駆けつけるまで中の様子を聞かせてもらっていた」
もちろん僕の魔法ではなく、他の魔法使いの魔法でね、と注釈がつけられた。
「あの『愛している』は誰が誰に発した言葉だろう、とそのとき一瞬考えた。突入するべき場での会話にしては、そぐわない言葉だったから、戸惑ったんだ。だが、それは、魔女への言葉だった。どうだろう?」
アレンがあの場で、アルヴィアーナに叩きつけるように向けた言葉のことだろう。
セラは、微かに顎を引いて答えた。
すると、青年は目を細めた。先ほどと同じで、遠くを見るような眼差しになる。
「魔女というのは、悲しい宿命にある存在だ」
魔女を語る内容だった。
「彼女らは人を害するような魔法しか使えない。それ以外を知らず、それ以外の生き方も知らない。昔々、絶対的な線が引かれてしまったからでもあり、実際どうしても人間が受け付けず、混ざれない性質を持つ。魔女は、本当の意味では愛されることがない。同族同士で『愛』を向け合うが、外から言わせてもらえればあれは愛というには、歪みきっている」
そこで、目がセラに戻された。
「アルヴィアーナというあの魔女は、あのような愛を与えられたことが初めてだったかもしれない。そして、与えた者を愛してしまったのかもしれない」
セラの、灰色の瞳が揺れた。
「あの魔女は何の魔法も使わず、この国で過ごしていた。ずっと。他の魔女は、計画通りに大なり小なり魔法を使いはじめていたのに、だ。普通に暮らしていたのだろう? 考えられることは、それしかない」
「……」
「不可解さを挙げるなら、今回の件はどれも大規模なものだったが、一番回りくどくて、大がかりだったのは君たちの件だった。魅了の魔法で国の権力者を落とし、別の国を滅ぼさせたと考えられる方法。国同士がぶつかって、人間同士が殺し合うんだ。そう言えば、最悪の件かもしれないが……直接の魔法で殺さなかった」
ひどい矛盾だろうけれど。
酷い矛盾だ。アレンは殺したくせに。
そして、最悪だ。魔法でどのようにか国が滅ぼされることと、間接的に国同士が争い滅ぶこと、どちらがましかなんて比べようがないが、最悪だ。矛盾どころではない。そんな可愛いものではない。
「……リンドワールの大魔法使い様」
元だ、とは訂正されなかった。
セラがまっすぐに見た彼は、黙ってセラの言葉を待った。
「これはあなたに言うべきことではないかもしれませんが」
「いいよ」
「……あなたは、アルヴィアーナがアレンを──彼女に愛を向けた者を愛してしまったかもしれないと仰いました」
「うん」
「けれど彼女は、今回もこの国を滅ぼそうとしていたでしょう。そして、かつてアレンを殺し、今日も殺そうとしました」
「そうだね」
「わたしは、……わたしは、彼女がしたことを忘れません。万が一にでも、もしも彼女がアレンを手にかけたことを悲しんでいたとしても──彼女がかつて奪ったのはわたしの兄弟子で、国も、何もかも、すべてを奪った。そして、わたしの前で笑った」
かつて起こったことであり、今は起こっていないことだ。でも、そんなこと関係ない。
アルヴィアーナは、同じことをしただろう。
愛していたとして、愛していたのに殺したのだ。そんな気持ちは分からないし、分かろうと寄り添うつもりはない。
かつてセラが入っていた牢の前で、アレンを殺し、国を侵攻させたのは自分だと告白したアルヴィアーナは、笑った。
あのように笑える者が、どのような思考回路をもって、アレンを愛していたというのか。理解ができない。理解しない。
そして、結果として、かつて彼女がセラに与えた喪失は大きすぎた。
「わたしは、かつてを、忘れない」
忘れるものか。
全てを失ったあの出来事を。
「アルヴィアーナには、会いません」
彼女がアレンを純粋に愛していたと確かめるのが、嫌だった。
だとしても、殺したのだ。その事実は変わらない。
結局、セラは、アルヴィアーナが憎くて仕方がない。
アレンのあの場での姿を見ようと、かつて抱いた感情をこれからも忘れることは未来永劫ないのだ。
悔いているのかと大魔法使いが問うた。セラが悔いている、収まりがつかないところがあるとすれば、アレンの反応、様子だ。
決してアルヴィアーナ自身にではない。アルヴィアーナを排除したことに、悔いはない。
「分かった。余計な世話を働いたね」
「いいえ、リンドワールの大魔法使い様、今回のような機会を与えてくださったこと、心から感謝しています」
結局何かは明かされなかった、大きな代償を払い、時を戻してくれた大魔法使いに感謝を。それだけは、迷いようもなく、セラの本心だった。
「それなら、良かったよ」




