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『猫』は理解する。『彼』は忘れられない『過去』を思う。





 『猫』は、暇潰しに、邸の中を散歩していた。

 ふらふらと歩いていると、飽きて、どこかで休みたい気分になってくる。

 セラの部屋にでも戻るか。でも随分歩いて来たからなぁ、と来た道を見て、ちょっと億劫だ。

 別に、そこらに落ち着いてもいいのだが、座り心地のいいクッションか何か欲しい……と思ったところで、ひげをピーンとした。

 誰かがいると、察知したのである。


 気配を感じた方を見ると、思った通り、一人の男が窓の外を向いて立ち止まっていた。

 太陽の光がこれでもかというほど似合う容姿をした人間。エリオスという、セラの兄弟子の一人だ。

 今日は休みらしい。服装は騎士服ではない。


 他の使用人であれば気にも留めず、素通りするところ、『猫』の足はそちらに向く。

 気まぐれだ。断じて足が吸い込まれていっているわけではない。

 こいつのブラッシング、中々なんだよなぁ。

 別に期待しているのではない。

 ただ単に、そんなに何を見ているのかと声でもかけてやろうかと思っているだけだ。


 『猫』が側に行く前に、身動きせずに外を見ていたエリオスが、気配でも感じたのか、動いた。

 後ろを見て、誰もいなかったため、視線は──下へ。


「ギル」


 『猫』を見つけたエリオスは、左右を見て、誰もいないかどうかを確かめた。

 そんな愚は犯さないというのに、と『猫』は床に沿って尻尾を揺らす。


『何外見てたんだ』

「え? ああ、特に何かを見ていたわけでもなく、単に見ていただけだよ」

『ふーん』


 返事に面白みがなく、元々大して興味がなかったこともあり、『猫』は適当な声を出した。

 エリオスの後ろ、窓越しに見えた外は、よく晴れているようだ。空は真っ青で、雲がない。最高の日向ぼっこ日和ではないか。

 この機会に、外で、日向ぼっこにいい場所でも探すのもありだ。

 とか、考えていたのだが、妙に視線を感じた。『猫』は、尻尾をゆらりと揺らす。


『何だ』


 こちらを見ている者など、目の前にいるエリオスしかいない。

 つられて窓の外に目を戻すでもなく、話しかけるでもなく、じっと『猫』を見ているエリオスは、首を傾げる。


「ギル、お風呂は平気な方か?」

『……勘弁してくれ……お前もかよ……』


 どれほど風呂に入れたがるんだよ。『猫』は、苦手な感覚を思い出し、半ば無意識に後ろに下がった。


「冗談だよ。思い付いただけで、ギルはとても綺麗な猫だ」


 後退る『猫』の様子に、エリオスが笑った。

 質の悪い冗談だ、と『猫』は少し気分を害する。とんでもない。


「毛をとかそうか?」

『おう、特別に許してやるぜ』


 機嫌が曲がりかけていた『猫』だったが、そう答えていた。すましつつ、いそいそと近づいていくと、エリオスは『猫』を抱き上げた。

 『猫』は思わず、おい、と言おうとしたが止めた。

 抱き上げ方が中々悪くなかった。こいつ、分かっていやがる。大人しく運搬されてやることにした。

 セラは女のくせに、何かと雑なんだよなぁ、とか思いながら。

 どうしてこうも違うのか、とまで思い、違うのは当たり前だと思い出す。兄妹弟子であるだけで、本当の兄妹ではない。

 兄妹弟子というのは、それほど強い繋がりなのだろうか。


『今日は天気がいいから、日向ぼっこしながらがいい』


 歩かなくてもいいため、注文をつけると、「分かった」と男はゆったりと請け負った。






「それにしても、ギルは本当に綺麗な猫だな」


 当たり前な褒め言葉に、『猫』は閉じていた目を片方開けてちらっと上を見やった。

 にこにこ笑う人間の男がいる。

 どちらかと言えばこういうきらきら光る雰囲気持ってる人間は、苦手だった。

 しかしまあ、目を瞑れば関係ない。

 ただ、思うところがあって、暇潰しに『なあ』と、声をかけた。


『お前は、あの女をどうするつもりだったんだ』


 記憶があるくせに、『猫』には気がつけないくらい素振りが自然だった人間。

 セラと同じく魔女という存在を知らず、魔女とは知らずに対処しかけていたようだが、こいつはどうしようとしていたのだろう。

 セラは色々考えた挙げ句、殺そうと決めたようだが……。


「黙って、消すつもりだったよ」


 エリオスは、柔らかな手つきでブラシを動かし続けながら、答えた。


「アルヴィアーナが原因と分かったなら、誰にも、アレンにも言わず、セラにも言わず、黙って殺すつもりだった」


 殺す、と述べた様子は静かすぎた。

 妹弟子であるセラとは、やはり違う。こんな面からも感じた。

 セラはきっぱりと口にしたとはいえ、いくらか日数を考えて出した結論のようで、覚悟をした目をしていた。

 そして、直前で躊躇をした。

 だが、エリオスはおそらく躊躇はしないだろうと思わせる様子だった。

 明るい橙の目は、穏やかで、静かだ。先程から様子が変わりもしない。

 こいつは……。『猫』は注意深く彼を見た。


『……言わずって、ずっとか?』

「もちろん、一生」

『隠し通して、普通に振る舞える自信があるのか』


 セラは、どこかでガタが来そうな様子だったな、と思い出した。直前に恐れを口にしていた。

 もう一人の兄弟子にだけではなく、この兄弟子にも何かしらの負の感情を負っていたのではないだろうか。一見そうは見えないが、余計なことを考えてしまうタイプだと、あの一件で分かった。


 一方、エリオスは、


「ある。守りたいものが守れて、失った未来が繋がり、何でもない日常が続けていけるなら」


 揺るぎない答え方だった。

 本当に、何もなかったように微笑んで過ごしていく光景が想像できそうだった。


『……お前、見た目と普段の行動からして、聖人君子並の正々堂々しかしないタイプかと思ってたんだけどな』

「そうなのか? それは光栄だ、と言うべきかな」


 エリオスは微笑んだ。

 この流れで、微笑んでみせた。


 なるほど、中々強い精神の持ち主だ。それは普通に振る舞えるかもしれない。

 記憶持ちのくせに、そう分からなかったという事実がある。すでにセラと会ったあととはいえ、何度か接触したり観てもいたのに、そんな素振りはなかったのだ。


 以前の記憶を持ちながらも平然と過ごしていた男は、『猫』の毛をとかしながら、話す。


「ギル、私はこんな成りをしているけれど元々は貴族ではないし、今騎士だとはいえ、清廉な騎士ではないよ」


 見た目は綺麗な騎士そのものすぎる。


「アレンは、アルヴィアーナがいなくなれば悲しむかもしれない。アレンは、彼女のことを愛しているのだろうから。だが、私はその先にあることを知っている。それが全てだ」


 エリオスは何をしても、目的が達成されたなら割りきれ、隠し通せるタイプだろう。

 一見、穏やかで無害そうに見える者ほど、隠し持つ牙が鋭い。

 この会話で本質を見た気がした。怖えなぁ、と『猫』はエリオスを目だけで見上げる。


「私は、アレンも含め、全てを失いたくない。だが、一番失いたくないのはセラだ。知っておきながら同じことを見ろなんて、馬鹿げているだろう」


 あ、違うか。

 本質は、元々どうだったのだろう。元々は、もっと隠していた牙だって、丸いものだったのではないだろうか。

 こいつらは、一度、それぞれ何かやり直したいと思う出来事を体験している。そして、セラから聞いた内容では、エリオスはかつて死んでいる。

 死んだ一度目があり、戻ってきたことで本質が尖った可能性があるのではないだろうか。

 『猫』は、その可能性を知っていた。


 ……そうか。こいつも、同じか。

 『猫』は、少し、居心地が悪くなって、身動ぎしたくなった。こんな性格だったか、と最初に軽く受け取ったことからの気恥ずかしさだった。

 セラのときも、途中まで、あんな覚悟を決めた目を出来る娘だとは思っていなかった。彼女も、一度目はあんな目をする娘ではなかったのかもしれない。

 全ては、二度目だから。


「……セラには、覚えていて欲しくなかったな」


 声音が変わったと感じ、『猫』は意識を内から外へ戻した。

 ここまで、一度も様子に変化の見られなかったエリオスが、初めて瞳を翳らせていた。

 色彩のせいで、まるで太陽に雲がかかったような印象を受けた。


『なんでだよ』

「何も知らずにいる方が幸せに決まっている。……セラが泣いた。その気持ちは、私も分かる。同じことが起きてほしくない。同じことが迫ってくると思うと、怖くて仕方がない」

『お前も?』

「もちろん」


 怖いと思うのか。

 先程、あれだけ即答して、不安なんて過っていなかったくせに。

 口にしなかったが、分かったらしい。エリオスは微苦笑し……すぐに、笑顔は欠片もなくなった。


「怖いよ。怖くて仕方ない。また同じことを繰り返すとなったら、起こり得ることが分かるわけだから。もう、あんな気持ちになるのはごめんだ。何も出来ないのは」


 平然と過ごしていたのではない。そんなはずは、なかったのだ。

 単にそう見せられていただけ。

 このとき、『猫』は、今度はエリオスの覚悟を見た。



 *





 猫が去っていく。『お前ら、難儀だなぁ』という言葉をもらったのだが、一体何だったのだろう。


「あ、また言い忘れた」


 ギルに、お礼を。


「……ギルが見つけたのが、セラで良かったな」


 もしもセラと自分の状況が反対で、セラが猫と出会わず一人で記憶を抱え込まなければならなかったとしたらと考えると……。


「考えたくもないな」


 そうであったら、自分は気がつけただろうか。気がついてあげられただろうか。

 何一つ、悲しいことや、気が重い思いをしてほしくないと強く思う。

 出来ることなら、いつでも笑っている顔が見られたなら。間違っても、泣くことなんてないように。


 エリオスは、元々はここまでではなかった。確かに妹弟子は本当の妹のように可愛かった。

 だが、勉強や騎士となるための稽古は別で、あえて助けなかったことの方が多いし、厳しくしたこともある。稽古ではエリオス自身がセラに痣をつけたこともある。よくあったことだった。


 しかし今は、どこまでも甘やかしてあげたい。戻ってきたと知ってからも胸の内にしまっていた想いを伝えたからには、その想いさえ余すところなく伝えたいし、そう接したくて堪らない。

 何より、怪我をして、少しでもぼろぼろになる姿を見ることが怖かった。

 セラが、血にまみれ、歯を食い縛り剣を握っていた姿を思い出す。傷だらけで。そして、泣いていた光景を、戻ってきてからよく夢に見る。夢であり、かつて確かに見た光景だった。


 ──エリオスは、かつて死んだことがある。


 現在を二度目と言い表すなら、一度目。時間としては、これからの時の流れに起こった戦の最中だったはずだ。

 何がどうなって、地に倒れたかは覚えていない。敵に斬られたことは間違いない。

 激痛が体中に走り、身動きが取れない中、泣き顔を見た。

 妹弟子だった。


 顔も格好も血だらけで、セラは、何かを言っていた。必死に、エリオスに何か叫んでいた。

 血に混じり、セラの頬に伝うものを見た。目から涙を流しながら、セラは絶えず何か言い続けている。

 だが、聞こえない。

 それどころか、視界が定かではなくなってきていた。

 ──身を急速に蝕む死を感じた


「セラ」


 声は、出ているだろうか。


「セラ、泣くな」


 涙を拭ってやりたいのに、手が動かない。

 傷だらけのセラ。

 せめて、何か答えたかった。だが、受け答え出来たとしても、自分は死ぬ。

 彼女を残して、先に逝ってしまうことへの悔いを感じた。

 セラはこれからも、戦い続けなければならない。王の騎士として、当然の使命だ。

 しかし、アレンが死に、自分も死ぬ。

 セラは、一人で、さらに大きくなる荷を背負わなければならない。こんなにも泣いている彼女が。

 残して逝ってはならない。残していきたくはない。何もかもを背負わせたくはない。守ってやらなければ。


 ……ああ、そうか。

 大切な妹弟子、などではなかった。この世で一番大切だと思うこの感情は、いつから恋情に変わっていたのだろう。

 セラ、大切なセラ。

 今、気がついてしまうなんて。

 泣かないで欲しい、と思うのに、今泣かせていたのは自分だった。これ以上傷ついて血まみれになってほしくはないと思うのに、自分は彼女を守れないのだ。


「──」


 セラ。

 名すら呼べず、エリオスは、視界も意識も死に飲み込まれていった。

 もしも、やり直せるのなら、今度はせめてセラが泣かなくてもいい世界を──







「セラ」


 穏やかな風が吹く庭で、エリオスは、愛しげにその名を口にした。

 愛しいセラ。

 もう、君を失わない。一人にしない。傷つく未来など、消そう。


 微笑む彼は、目には覚悟を宿していた。









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