一度目に手遅れだったこと
家に帰り、エリオスの部屋で話をした。
主に、喋る猫の話から、なぜこのような事象が起きているのか。先日、セラがギルから聞いたこと、ほとんどそっくりそのままだ。
猫が『俺同じこと話すの嫌だから、お前が話せよ。積もる話もあんだろ』とか言って丸投げしてきたから、セラが記憶を掘り出しながら話すはめになった。
「アルヴィアーナが、元凶だったのか」
全てを聞き終え、エリオスが呟いた。
セラが知った事実も、伝えた。アルヴィアーナがアレンを殺し、侵攻の原因だったこと、全部。
「それに、魔女に、魔法使いとはな……」
向かい合う形で椅子に座るセラは、兄弟子に尋ねる。
「……エリオス、信じられる?」
「うん。もう不思議な出来事には遭っているから、そんな存在でもいるくらいでちょうどいい。そうなければ、自分の中で永遠に辻褄が合わないところだった」
死んだ記憶がありながら、全てが起こる前に戻ってきていた。
エリオスが微笑む様に、セラは内心感嘆する。彼は、セラのように事を知る猫に出会わずして、現実を受け入れて生活していたのだ。
「それにしても、魔法というのはそこまでのことが出来て……アルヴィアーナが魔女なら……」
エリオスが考え込む様子になる。
アルヴィアーナの正体が、想像が及ばない力を持つ存在だったのだから、そうもなる。
「私が暗殺を試みていても、返り討ちに遭っていた可能性があったということか……」
「暗殺?」
思いもよらない言葉が耳に飛び込んできた。セラは驚き、それを口に出したエリオスをまじまじと見つめた。
エリオスは、言葉が繰り返されて、はっとしたように自らの口を塞いだ。口に出す気のなかった言葉だったらしい。
「エリオス」
セラは、問う調子で彼を呼んだ。
直前の言葉の繋げるに「暗殺」しようとした対象は、アルヴィアーナだ。
セラの視線を受け、エリオスは口から手を離し、少し迷うような目をしたが、やがて話しはじめた。
「実は私があの場にいたのは、アルヴィアーナの周辺を見張らせていたところ、今日家を窺っている者がいると報告を受けたからなんだ」
セラのことだ。
よもや、周辺を見張っている者がいるとは思わず、気がつかず……。
部下同士は気がつかなかったが、セラが気がつかれたのは注意不足だろう。ため息が出そうになる。今日の自分は全く駄目だ。
エリオスは、報告を受けて来たそうだ。
「どうして、アルヴィアーナのことを見張っていたの」
「かつてアレンが死んだとき、アルヴィアーナが消えたな」
「……うん」
「セラは、アルヴィアーナがアレンを殺したと思っていただろう」
思っていたが、セラははっきりとはその話をしなかった。
証拠はなかった。ただの直感。
アレンが死に、アルヴィアーナがいなくなった。
覚えている。室内は、アレンが見つかった部屋のみ窓が内側から割れ、それ以外の部屋は荒れていなかった。
ゆえに、強盗目的で賊が入ったとは考え難かった。アレンがどこかで恨みを買ったと考え、殺人目的だったとしても、まずどうやって入ったのか。
怪しい人物を入れるはずがない。門にも玄関扉にも鍵がかかっていた。侵入して鍵を手に入れていたと考えれば、辻褄が合うが、それよりももっと簡単な考えは姿を消した人物を疑うことだった。
だが、そこまで。証拠はなかった。目撃者がいない限り、真相は闇の中。
それでも真相を探ろうとした矢先、戦が起き、日常が戻る間もなく──セラはアルヴィアーナ本人から真相を聞いた。
けれど、その前に死んだエリオスは、今ここでセラが話すまで、当然その告白を知らなかったはずだ。
「私は、アレンが彼女を愛しているのなら、出来るだけアルヴィアーナにも穏やかに暮らせるようになればいいと思っていた。だが、彼女が消えたとき、アレンを通すことなく彼女のことを考えた結果、疑惑と向き合った」
「疑惑?」
「周りの多くが、アルヴィアーナのことを敬遠していたが、セラもそうだったな」
「うん」
「セラは人を避けることは、あまりないだろう? それが、ただの性格の不一致などによる避けたくなる衝動ではなく、『何か』そう思わせるものが彼女にあったんじゃないか。何かを隠し、隠していても感じるところがあったんじゃないか。──本人を問い質そうにもいないわけだから、さすがにあらゆる角度から疑った。さらに、そのあとすぐに戦になったときには、あまりの急なタイミングでアルヴィアーナを疑った」
「そんなこと、全然」
「言わなかったな。証拠がなく、全てが起こってしまった後で対処するのが先だった。全てが遅かった。だから、今回疑惑を潰すことにした」
アルヴィアーナを疑い、アレンを狙う他の何者かの可能性も疑った。その結果、セラと同じように監視を行わせていたのだという。
「……でも、アルヴィアーナだって確信があったわけじゃないのに、殺そうとまで思っていたの?」
そんなの、エリオスらしくなかった。
「アレンのことを理解してやれって、アルヴィアーナのことも出来るだけ受け入れるようにしてみようって言ったの、エリオスなのに」
「してやれなんて言い方はしていない」
「そうだね」
そこは間違いを認めるが、些細なことだろう。
エリオスは、ふっと、弱ったように微笑んだ。
「もしもの話、だ。もしもアルヴィアーナがアレンを殺そうとしている証拠が出たら、先にどうにかしなければならない。セラだって、今日アルヴィアーナをどうにかしようとしていたんだろう? ……無茶をする」
「……それが一番、全部が起きる可能性を無くせると思ったから」
極端に殺そうとした。
だって、絶対に同じことを体験したくなかった。絶対に。
「陛下に死んでほしくないし、アレンも死なないでほしいし……エリオスがいなくなるのを見たくない……」
彼が目の前で死ぬ夢を見る。否、単なる夢ではなく、実際に起こったことを思い出しているのだ。
彼が、いなくなってしまう光景を思い出す。
戻ってきて、何でもない風に見えたエリオスと過ごした。
陛下とも過ごし、アレンとも過ごし、彼らとの時間も懐かしくて愛しくて、守りたいと思った時間だった。
けれど、エリオスとの時間は、特別に思えた。前よりも、温かく感じた。
それは、その、理由は。
「エリオス」
「うん?」
「エリオス、こんなこと言われても、困るかもしれないけど」
「セラに言われて困ったことがあったかな」
心配せずに何でも言ってごらん、と促すエリオス。
何歳も年上のこの兄弟子を、セラは兄のように慕っていた。
セラがどれだけ成長しても、何でも一枚以上上手にこなす彼。いつも背中を追いかける兄弟子だった。
だから、ずっと、気がつかなかった。ずっと「兄弟子」なのだと見ているつもりだった。
でも、かつての戦場で、気がついた。そのときになって、気がついてしまった。別れの場で。
セラが最も失いたくなかった人は、師であり父である陛下だったが、もっと、別の意味で一番失いたくなかった人は、エリオスだった。
彼が死んだときに、愚かにも気がついた。
自分は、エリオスに恋をしていたのだ。兄弟子としてではなく、一人の大切な人となっていて、失った存在の大きさで知った。
憧れに限りなく近い、分かり難い恋だった。
もうこの人を失いたくない。この人との時間を奪われたくない。
「エリオスのことが、好き」
こんなことを、妹弟子に言われても困るだろう。けれど、かつて言うにも気づくことが遅かった想いを、伝えてしまいたい気持ちが溢れてきた。
セラは、もう何も後悔したくない。自分勝手かもしれないけれど、気持ちは、口から溢れ出てきた。
「エリオスが好きだから、もう、絶対死んでいくところ、見たくない……」
死なないで。お願い。
あの瞬間は、いつまで経っても忘れられない。この先もきっと忘れないのだろう。
もう一人の兄弟子も死んでしまった。同時に、自覚した感情と合わさり、愛した人も死んだ瞬間だった。
感じたことのない喪失感だった。感情を持て余し、泣き叫びたい衝動に駆られた。それでも、彼を置いて立ち上がらなければならなかったとき。
重すぎる感情かもしれない。
そんな感情を吐き出してしまったセラに──エリオスが表情を曇らせた。
「セラ、泣くな」
言われて、泣いていると気がついた。
かつての別れを思い出し、泣いていた。
「ご、めん」
「どうして謝る」
勝手に言って、勝手に泣いているから。
自分でもどうすればいいのか分からないけれど、エリオスもエリオスで困るはずだ。
「謝る必要はないから、泣き止んでくれないか」
ほら、こんなにも弱ったような声をしている。
セラは、申し訳なくなって、どうにか涙を止めようとする。
でも、涙は止まらなくて、一度この場を離れた方がいいのだろうかとさえ思った。
「──セラ」
セラが涙を止めようとする手を、退けた手があった。
代わりに、頬を撫で、涙を拭う。
「私は死なない。二度と、セラの前から消えないよ」
ぼやけた視界に、エリオスが見えた。
エリオスはすぐ側にいて、顔を上げさせたセラを、覆い被さるようにして真っ直ぐ見る。
涙で濡れた目でセラが見つめると、約束すると言ったエリオスは、セラの頬を包み込む。
「これは、言わないでおこうと思ったことなんだが、よく聞いてくれ、セラ」
「……?」
セラが泣き続けながら見つめ返すと、橙の瞳が、どこか、宿すものを異ならせた気がした。
彼の唇が、動く。
「愛している」
と。
声が、言った。




