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「ところで君、なにか悩み事をしていたでしょう?」
俺は純粋にどうしてそう思ったのか気になって、近づいた顔そのままに質問をし返す。
「どうしてそう思ったんです?」
そうすると彼は顔を離してスペースを取ってから、自分のシワだらけの眉間に指をさす。
「ここが教えてくれていた」
ああ、なんだ。そんなことか。いつの間にか考え事をする時の癖が変わっていたようで、気付かなかった。
「そんな悩み事という程のものでもないですよ。ちょっとした考え事です」
「ほう。ちなみに内容を聞いてもいいかね?」
「そんな面白いもんじゃないですよ。ただ、うちで飼っている実験動物達ってどんな気分なのかな、と」
実験に関係ないことだし、情は元々ないけれど、なんとなく勘違いをされても困るので、俺は曖昧な返答をした。
「どんな気分か……そうさねえ。きっと、自分がどのような状況に置かれているのかもわかっていないだろうね」
「やっぱりそうですかね」
「そうじゃないかね」
そう答えた彼の顔はさっきよりも少しだけ暗く見えた。それをただ傾いた太陽の光の加減のせいかもしれない、と思った自分は馬鹿だったと後で気づくことになる。
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ゴウンゴウン……。
その音で俺は、粘着質の微睡みの中から体半分ほどだけ引き戻された。目を開けて辺りを見回すと、いくつかの精密機器類があった。
なあんだ、研究所か。
それにしてもいつ寝てしまったんだろう。時計を見るのが恐ろしい気がしつつも探していると、他に見慣れない機器が見える。そこで俺は先程とは比べ物にならない恐怖を背筋に感じた。
俺が研究されている?
気づいたのは、透明なガラスケースの様なものに自分が入っていると認識したからだ。
手足は縛られていて身動きが取れない。咄嗟に逃れようと体を動かすと、ねちょっとした。どうやら、堅牢な金属の拘束具ではなく、ガムテープかなんかでぐるぐる巻にしたようだ。
解けないものかと、より激しく蠕動運動を繰り返しているとドアを開閉する音が聞こえてきた。
近づいてくる足音の正体を見るために、首だけでも方向を変えると、その人はそこにいた。
「やあ、目を覚ましてしまったかね」
白い壁のその部屋で白い白衣を着た彼は、いつにも増して浮世離れして見えた。
この状況について質問したくて口を開いたが、意味をなさない音が僅かに空気を震わせただけになってしまった。随分長い間意識を手放していたようで、喉が乾燥している。
「勿体無い。せっかくだから素敵な方法で起こしてあげようと思うたのに」
そう言って彼は心底残念そうな顔をする。一体素敵な方法とはなんだろう。少なくとも、言葉の意味そのままとは違う気がする。
俺の中で徐々に不安が大きくなってくる。
「ほっほ、そんなに心配な顔をせんでも。生憎そういった類の趣味は持ち合わせておらんよ」
そう言って彼は顔に深いシワを刻んだ。
「さあ、そろそろ始めようかね」
「な……んで」
ようやく少し湿ってきた喉を震わせて、今の気持ちを一番あらわすそれだけを口にする。
とても小さい声ではあったが、彼は聞き取ることが出来たようで、目を開く。
「なんで、か……。それは今の君の状況の説明を求めているのかい? それともわしのこの行為の意図についての質問かな?」
彼は伸ばした顎ひげを撫でて、首を傾げる。
当然自分が聞きたいのは前者だ。しかし彼にその願いを聞き届けてもらえるかは分からない。
「君にとっては説明の方が欲しいだろうが、それは後者を話せば自ずと分かるじゃろう。物事の起こりには必ず原因がある。今回の場合前者が結果で、後者が原因」
彼は右手と左手を使ってそれを丁寧に話す。まるで被験者に実験の概要を伝えるように。
「わし達研究者は結果から原因を探り、応用を生み出すのが仕事だ。だから聞いてそんはない。勉強になると思うよ」
彼は微笑んで、上げていた手を下ろす。
「私はね、生き続けたいのだよ」
彼はそこで間を置いてから一度震えて、まだ熱があるのを確認したようにして、喋り出した。
「死ぬのが怖いのだ。幼い頃からずっと。無知は恐怖だ。だから、わしは死を知ろうとした。最初は虫の観察だった。どう生まれ、どう成長し、どう子孫を残し、そしてその命を終えるのか。あの頃は、そのことに夢中だったよ。いや、必死と言った方が正しいかもしれないの」
遠い昔を思い出すように目を閉じる。
「でも、全く分からなかった。結局高校生の頃からかの、わしがそれに気づいたのは。自分が生きていればそれでいい、と」