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お昼の休憩時間。
研究所の屋上には晴れ渡る空の元で昼食をとる人影が三つほどあった。
そのうち一つはなにかに興奮しているかのように、体を色々な風に動かしていて、遠くからはまるで影絵芝居でも見ているようで滑稽に感じただろう。
「へえー、そりゃあ大変ねえ」
彼女はさして興味もなさそうに、コンビニのサンドイッチを咀嚼しながら、そっけない返事をする。彼女のお昼は大抵これで、売られている中でお気に入りなのであろう、三つの種類をサイクルさせているのだ。
今日は鶏肉が挟まれたもので、レタスと合わさりヘルシーな感じを漂わせている。
逆に話し相手は対照的で、一方的に自分の話を続けている。心なしか軽く頬を蒸気させ、喋りまくったことで息をあげているので、誤解を招くような感じに見えなくもない。
「それがですよ!! まさか僕よりあいつの方に興味を持つなんて……結構嫉妬しましたよー。って高麗さん、聞いてます?」
熱の入った勢いそのままに話し続けていたのを止め、面倒くさがり軽く受け流していたのを彼は咎めるように言う。
いつもはそれでほんとに見えているのか、と聞きたくなるぐらいの糸目なのに、今はしっかりと目を開いている。
まるで、人の心の奥まで覗こうとしているようだ。
顔をずいっと近づけられた彼女は、驚いてサンドイッチを取り落としそうになっている。
「なあ、村井。やめとけって、先輩引いてるぞ」
「あ、ああ……」
仕方がなく俺が横から声をかけると、彼はひとまず彼女から顔を離して、元のはしごの近くの壁際に戻った。
一旦喋り倒したことで少しは気も晴れたのか、既に外見上は平常通りの彼に見える。
「はあ、それにしてもお前も熱心なんだな。意外」
「意外? 心外だなあ。僕はいつも一生懸命取り組んでいるよ。それが仕事だし」
彼は肩を浮かせて、なんともおかしな表情を作る。こういう奴だから信じれないんだ。
「本当かしら? 今日のもサボりだったっぽいし」
「なっ、あれは!! その〜、頑張ったから少し息抜きですよ。ええ」
先輩は再び会話に参加し、その余裕のある表情を崩しにかかった。村井は一瞬動揺したが、すぐに真面目な顔で頷きながら、言い訳をしている。
あと一息だ。先輩!!
そう心の隅で密かに思っていた自分の心が通じたのか、彼女はさらに言葉を続ける。
「そ、れ、に、教授が目をつけなかったのは、ただ、あなたの研究が面白くなかったってことじゃないの?」
彼女が先程の仕返しとばかりに発したこの一言で、彼は俺が休憩終了十分前に設定したアラームの音を合図に、KOされたのだった。
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西側の窓から赤々とした光が差し込む頃。
俺は多くの資料を抱えながら、共同廊下を歩いていた。周りに俺以外には誰もおらず、カーペットが敷いてある床の上で靴がたてる擦過音だけがする。
近頃はだいぶ冬に近づいてきて、日照時間も短くなってきている気がする。
白衣一枚での廊下は少し肌寒い。出来るならば、まだ暖かいうちに帰りたいものだ。
そういえば実験動物の中にも冬眠をするものがあるが、彼らは温度をだいたい一定に保たれた部屋で過ごしているので、冬眠することはないだろう。幸運というべきか気の毒というべきか、彼らは自然の理から外れた存在になってしまっているのである。
どうにも科学というのは何かを犠牲にして研究を進めている。
考え事をしていて今まで気付かなかったが、ふと耳に聞こえてくる音がある。靴の裏が床をこする、今の俺がたてているのと同じ音だ。その音は俺が向かっている方向から聞こえてくる。
うつむき加減だった視線を正面に戻すと、向こうから歩いてきている人が見えた。丸まった背中に、白髪、あの教授だった。
彼は後ろで手を組んでいて、佇まいはゆっくりと散歩する老人のようだ。夕日に眩しそうに目を細める様子も実に様になっている。
どうやら向こうもこちらに気づいたようで、目を開いてこちらを見る。
「やあ、君はあったことがあるね。確か……私がここに来た初日だったかな?」
「ええ、そうですね。こことは違う廊下でお会いしました」
彼は顎に手をやる。
「んー、そう……そうだったね。いや、この年になると覚えていられることが少なくなっていけない。大事な後輩達なのに」
「大事な後輩達ですか?」
「そうだよ。同じ研究者だもの、ここに来て楽しませてもらってるよ」
「それは良かったです」
俺は愛想笑いを浮かべて返事をすると、彼は急に顔を覗き込んできた。
「ところで君、なにか悩み事をしていたでしょう?」