地獄は至高の火葬場
人って、死んだらどうなるのだろう。
誰もが考えることだ。生物としての生存本能からの裏返しの感情なのだから。
生きているものは必ずいつか死ぬ。
それはきっと。さっきまで点いていた電灯の明かりが、ふっと消えるように。くるくると回っていた装置が、ぱたりとその動きを止めるように。
突然で、激甚で、静寂だ。
だからこそ人は一生のうちに輝きを求め、一年を騒々しく祝い、一日を汗をかいて働く。
ただもし、"次"があるのなら?
人々は、それに期待を抱く。もし、死後の世界があったならそこはきっと素晴らしい場所に違いない、と。
例えば仏教では、人々は良いことをすれば、極楽浄土に行くことができ、罪を犯せば地獄へ連れていかれるとされている。他の宗教もだいたい同じだ。
しかし、俺はそんなものは信じない。いや、信じたくない。今の自分は地獄の業火で火炙りにされている。
どんな物体でも一瞬で溶けてしまうような凄まじい熱さ。それも肌を舐めまわすように燃えていたかと思ったら、急に噛み付いてくる凶暴さを持った炎だ。
周りを見渡すと、自分の他にもこの黒と赤の色だけで彩られた場所には人がいた。
ある人はその身体中を駆け巡る神経が伝える熱い、痛いというのに反応し、絶叫している。またある人はこんなに熱いのに、顔を真っ青にしてダラダラと冷や汗を流しながらもじっと耐えている。
もしかしたら俺がまだ自我を保っていられるのは、他人の惨状を見ていられるからかもしれない。
苦しさの合間の退屈しのぎに。
一人なら自分が発狂しているところだ。
ああ、意識が遠のいてきた。
頭はぼうっとして、思考速度も数世代前のコンピュータのように、遅くなってくる。ノイズが交じる思考の中で、ある思い出が鮮明に浮かびあがってきた。
これが世に言う走馬灯だろうか?
焦点が合わなくなった目は、まぶたの裏に映るものを際立って伝えてくる。
さて、もし走馬灯であるならばいつの記憶だろう……。