9話
そして四人で下層を歩いて行く。
ここまで来れば唐突に魔獣が襲ってくるということはない。
一匹一匹は強いが、それだけに魔物一匹が支配するナワバリも広い。
そう何匹もうろついているわけではないのだ。
だがこれもまた落とし穴だ。数が少ないということが深層を歩き慣れていない者を油断へと誘う。
「お嬢様、ここに出る魔獣の種類は覚えてますか」
「ええ。まずはグランドタートルね……」
人よりも大きな、亀型の魔獣だ。子供の頃にお祖父様がこれを倒したときの冒険譚をよく聞かせてくれた。動きは鈍重だが咬合力……噛み付く力は恐ろしく強い。鋼鉄すらも容易に噛み砕く。また、冷気を勢い良く口から吐き出して敵を凍らせる。連発はしないそうだが、遠距離まで届くのでこれも要注意だ。そしてそれらを超える一番の長所は、堅牢でタフなところだ。弱点となる魔術を使えない者にまず勝ち目はない。魔術が使えても戦い方を誤れば戦況は危うくなる。つまるところ、シンプルに強い。
「こいつは良い魔結晶を持っていやす。狩りましょう」
だが、アイザックは全く恐れることなく自信を持って言い切った。
魔術学校でもここまで言える人間は居るまい。
流石アーニャの夫だ。頼りになる。
「でも、どうやって? お祖父様は自分の奥義を使ってようやく討伐できたって聞いたけど……アイザック達も、もしかしてお祖父様みたいに剣技で戦うとか」
お祖父様の奥義は一度だけ見たことがある。
一息に七度の斬撃を繰り出す奥義、七紋雲雀。
お祖父様が、これを極めればグランドタートルをはじめ、どんな魔物でも戦えるとうそぶいていた。この技は子供の頃に一度見せてもらったきりで、お祖父様が死んだ今では学びようがない。もっとも生きていたとしてもあの境地には辿り付けまい。
「いやまさか。先代様の技は流石に俺らには使えません。魔術を使ったやり方で……主に、ジムが段取ります」
「うっす。俺が使える攻撃魔術はそんなに多くありませんが、グランドタートルを狩るための術はきっちり覚えております」
ジムが鷹揚に頷く。ややお調子者の魔術師の青年だと思っていたが、そんなことができるとは。私もまだまだ人を見る目が甘いようだ。見くびっててごめんなさい。
「どんな魔法なの?」
「まあ、蒸し焼きですな」
「……なんか料理みたいな言葉が出てきたんだけど」
「いや、その……料理とあまり変わりやせん。まず、魔術でもなんでもいいので、グランドタートルがまるごと入るくらいの穴を用意します」
「うん」
「そこに水と、水を温める加熱の魔道具、それと餌を投げ込みます」
と言って、ジムは懐からあるものを出した。一つは、鉄球だ。この中に魔結晶が入っていて、発動させると鉄球がゆっくりと熱くなっていく。料理や風呂に重宝する家庭用の魔道具だ。庶民にとっては値が張るが、貴族にとってはさほど珍しくない日常品といったところだろう。
そしてもう一つは、魔結晶だった。
「餌は、赤魔石あたりが良いでしょう。アタリが渋いときはもう少し良い餌でも構いません」
……あれ、釣りの話だったかしら。
「で、魔結晶におびき寄せられたグランドタートルはそこで水浴びをしたり水を飲んだりするんです。ダンジョンでは綺麗な水もご馳走ですから」
「……そ、そうなの」
「ここで魔道具を使って水を温めていきます」
「……」
「魔道具でゆっくりゆっくり温度を上げると、グランドタートルは熱さに気付かないんです、何故か。水が沸騰する温度になれば相当消耗して氷雪のブレスを吐くこともできなくなります。そこをガツン、です」
「ええ……」
なんだか脱力感を感じる。お祖父様が自慢に語っていたのはなんだったのだろう。
これじゃ、まるで……。
「これって、その……蛙……?」
と私が言うと、全員が目を逸らした。
反論の余地は無いらしい。
「いや、まあ、先代様が考案してくだすったので下層の探索はずいぶん安全になりましたんで……そう落胆しねえでくだせえ」
「え、これお祖父様が考えたの!?」
「はい。先代様が若い頃にグランドタートルが大量に産まれて近くの畑を荒らし回ってたそうです。最初は剣を振るって倒していたそうですが、一度戦うだけで剣が使い物にならなくなったらしくて、それでもっと効率の良い仕留め方を考えたんだそうです」
「ええ……」
と、そのとき私の耳に、骨が擦り合うような音と鈍重な足音が聞こえた。
擦り合うような音は、おそらくは甲羅だ。そして重量のある魔物となると……
「……通路の先に、ちょうどグランドタートルが居るわ」
「おお、それは丁度いい。やってみるんでお嬢様は見ててください」
◆◇◆
……本当にグランドタートルをあっさりと倒せてしまった。
アイザックは気まずそうに私を慰める。
「ま、まあ……先代様はよく話を盛るというか、大げさに語る御方でしたので」
「そ、そう……」
実際に夢見ていたグランドタートル退治が調理工程を実行するように淡々と処理できたのは軽くショックだった。お祖父様がダンジョン探索帰りに「ダンジョンの下層でグランドタートルを狩ることができたら一人前だ!」と言って私や弟に自慢げに冒険譚を語ったのが冗談の類と気づいたのは実に寂しい。
「……でもよく考えてみれば、安全に狩れるってのは大事なことよね」
「ええ、そうですとも。先代様もずいぶん苦労して編み出したそうなので」
確かにそれを思えば、孫へのお茶目な冗談くらい許すべきかもしれない。
冒険者の浪漫はまた別のものを求めよう。
「それに、グランドタートルはなんとかなっても他の魔物は普通に戦うしかありませんので……」
「他の魔物は、ええと……ゴーストレギオンと、ブラットタイガーね」
どちらも厄介な魔物だが、ゴーストレギオンの方は悪霊の集合体だ。強いことは強いが、聖水の術や聖撃の術などがあれば十分対処できる。一匹一匹の悪霊退治と変わらない。
問題はブラットタイガーの方だ。虎の頭を持ってはいるがゴブリンやオーガといった鬼の上位種で、すさまじい膂力を持っている。基本的には二足歩行だが猿のようなナックルウォークもするため狭い洞窟の中で俊敏に動き、獲物を追いかけて自慢の拳で殴り、そして牙で噛み付いてくる。
ただし弱点が無いわけでは無い。鬼族に共通して、その動きは乱雑で本能に忠実だ。皮膚も硬いがグランドタートルほどの堅牢さは無い。私も、切り札を使えば何とか対応できる。……逆に言えば切り札を使い切ったら逃げるしか無いということでもあるが。
「どちらも手強いですが、対処を間違えなければ負ける相手ではありやせん。それに連中を倒せば緑魔結晶あたりならばまず手に入りますし、数をこなせば青魔結晶も手に入れられるでしょう」
「うん……お願いね。賭け事みたいな形になったのは悪いけれど」
「あっしらとしても隣の領地に負けるわけにはいきません」
そして私は気を取り直して下層を探索し始めた。
が、遭遇するのはどれもグランドタートルばかりだ。その度に罠におびき寄せて美味しく頂いた。下層に出没するレベルの魔物をこうも簡単に倒せるのだから喜ぶべきことだと自分に言い聞かせる。冒険者としての実績も重ねられるし、なによりも目的の魔結晶漁りが捗る。そして
「……三匹ほど狩りましたが、持って帰るのが骨ですな」
「重いからね……とはいえ魔結晶だけじゃなくて甲羅も肉も貴重品だし」
そういえばこれを使った魔道具があるとも聞く。アドラス様一行はどうしているだろうか。
「……そういえばアイザック。ちょっと聞きたいのだけれど」
「なんでしょう?」
「このグランドタートルの倒し方って一般的なの?」
「いえ、先代様が考案した方法でして……他の領地の者には黙っていろと……」
「……そ、そう……」
となると、もし彼らがグランドタートルに遭遇していたら真面目に戦っているのか。
私のその考えは顔に現れていたのか、アイザックは首を横に振った。
「いえ、グランドタートルは避けてるでしょう。正面から戦えばとんでもなく強いですが、逃げるのも容易いので」
「あ、そっか」
「それよりも、ブラッドタイガーと直接戦ってる方が問題でしょうな」
「しぶといものね」
「それと……ごくごく稀に変異種が混ざるとか」
「変異種? 出るの?」
アイザックは真面目な顔で頷く。
変異種とは、鬼や動物といった群れをなすタイプの種族に現れることが多い。
特徴としては群れを統率すること、そして通常の同種の魔物よりも頭一つ二つ強いことだ。
「先代様が生前、一度討伐したことがあると言ってました。そのときは苦労なさったようで……まあこれも大げさに語ってるだけだとは思いますがね。俺らも十年以上ここに潜っててお目にかかったことがありませんし」
「お祖父様が手こずるとなると厄介ね……そんなに強いんだ」
「変異種は個体としての強さも厄介ですが、それよりも群れを……」
アイザックがその変異種の説明をしようとしたときだ。
「…………ぉぉぉおーん……!」
遠吠えが、聞こえた。
声が乱反射して正確な位置がつかめない。
響きからして、ここより更に下の階層だろうという予測だけができた。
だが根本的な疑問は解けない。
「今の、なに?」
「……ブラッドタイガーです……おそらく」
そう答えるアイザックも驚愕の顔をしていた。
「こんな吠え方、するの?」
「普通はしません」
「普通じゃないときって」
「……遠吠えってのはつまるところ合図です。ブラッドタイガーのことを詳しく知ってるわけじゃありませんが、普通の獣がどういうときに吠えるかはわかります」
「……つまり?」
何が起きているかは予想はついたが、それでも私は尋ねた。
「『俺はここにいるぞ』か、『敵はここにいるぞ』って、味方へのメッセージです」
ごくりと、唾を飲んだ。
「……アドラス様が危ない!」