67話
どこかに行こうとしても誰かしらと会う。
先日はアドラスの商売敵と私の同級生ダリアと出くわした。
次の日には別の候補の店に行ったのだが、そこでは私の学校の先生が談笑していると同時にアドラスの取引先が食事を摂っていて、お互いに挨拶することに終始してしまった。逆に肩が疲れた。妙に人と出会ってしまった。
で、さらにその次の日。
「下見はやめよう。落ち着ける場所に行きたい」
そんなアドラスの提案に、一も二も無く乗ることにした。
私もいい加減疲れるために外出するのに飽き飽きした。
楽しむための外出をしたい。
だが、アドラスが案内してくれた場所はちょっと怖い場所だった。
別に物騒というわけではない。むしろ安全だ。大通りからやや外れるが、この先にあるのは文官が働く官庁や、そこに出入りする代書人と言った、貴族の中でも更にハイソな人達が出入りする場所だ。まかりなりも貴族のはしくれの私でも気構えてしまう。
そんな通りに、アドラスの行きつけの喫茶店があるらしい。建物の佇まいはあまり開放的とは言えず、中の様子は外からでは見て取れない。扉も古びているが、おそらく黒檀を削り出したものだ。傍目から見える高級さをあえて消そうとする、そんな格調高さが匂ってくる。
「えっと、ここってけっこう……お堅いお店?」
「と、思うかもしれないな」
アドラスは迷わず扉を開けた。
扉にベルは付いていないが、それでも、黒いエプロンをかけた男の店員がにこやかに出迎えた。
「二人だ。三階は空いているか?」
「ええ、どうぞこちらへ」
中は薄暗い。
陽の光を遠ざけており、灯りも絞っている。
けちっているのではない。光の強さを落として間仕切りを配置し、他の席の様子が見えないようになっているのだ。どこか秘密基地めいた雰囲気がある。案内された席に座ると、密室ではないのに二人きりになったかのような錯覚があった。アドラスは案内した店員に二人分の茶を頼んだ。
「ここは静かで良くてね。一人で書き物をしたり、仕事場から離れて一息つきたいときによく使っている」
「へぇ……」
なるほど、大人の隠れ家といったところか。
「えっと、私も知って良いの?」
「君も秘密にしてくれるなら」
ずいぶんとささやかな密談だ。笑顔で頷く。
他の客の声も聞こえないから大丈夫と思うが、自然と小声になってしまう。
「ところで婚前パーティのことだけど、今まで見た店の中から選ぶの?」
「まあ、他に幾つか候補はあるんだが……」
と言って、アドラスは幾つか店の名前を挙げた。
なんとなく聞いたことのある店だ。行ったことは無いが。
「アイラはどこか希望はあるか?」
「あー……」
あんまり無いです。
どの店も十分美味しかったし……。
それに、
「ごはんが美味しいとかよりも、つつがなく終わるかどうかの方が不安」
「なに、そうそうトラブルなど無いさ」
だと良いんだけど。
こういう場面など全然慣れていないので、上手く行くという想像があまりできない。
「ともあれ、リラックスしよう。君も家のことを見たり寮の引き払いの準備をしたり、あまりゆっくりできなかっただろう」
「まあ、仕事っていうより身支度に近いからそんなに大変じゃないけど」
「いや、そういう曖昧な仕事というものは意外と負担だ。
自分にどれくらい負担が掛かるのかはっきりした見積もりが取れないのだから疲れるさ。あまり馬鹿にした物では無いよ」
……それは確かに、そうかもしれない。
最近、自分が妙に疲れやすいと感じていた。目の前にせまる課題も無いのに不思議に思っていたが、言われてみればそんな気がする。
「それに、屋敷ではそれとなく目を光らせてくれているだろう」
「あっ、き、気付いた?」
職人街は、表通りの商店や露店とは違って、驚くほど高額の取引が即決即断で決まったりする。通りがかる人間の財布が驚くほど多い。となると、湧き出てくるのがスリや窃盗だ。
もちろん、喫茶店や酒場とは違って防犯体制は整っているが敵もさる者。たまに熟練の盗人も現れ、そのときの被害額は目を覆わんばかりらしい。
なんでこんなことを知っているかというと、たまたま捕まえた。ついうっかり、客の財布を盗んだ男を抑え込んでしまった。
「その……恥ずかしくてなんか言いにくくて」
「実は後日、お礼をもらってな」
お、お礼は要らないって言ったんだけどな……。
「ご、ごめんなさい」
「別に恥ずかしがることもないさ」
「そうだけど……」
流石に鼻高々で話す気にもなれないし、悩ましい。
なんとなく照れくさくて黙ってしまった。
そのタイミングで店員の男性が茶を持ってきてくれたので、ありがたくいただく。
「うん、美味い」
さりげなくアドラスが呟くと、店員の男性が微笑みながらお礼を言って下がった。
おそらく顔なじみの店員なのだろう。なんとなくの親しみの距離感がある。
「ここは棚の本を借りて読むこともできるんだが、アイラはそういう趣味はあるかい?」
「娯楽本とかはたまにディエーレから借りるわ」
ディエーレの部屋にはいろんな本があった。
大昔、騎士が魔王を倒した物語とか、不倶戴天の敵同士の貴族の息子と娘が恋に落ちる物語とか。
果てしなく難解な魔法書や哲学書もあったし、競竜……竜をコロシアムで戦わせたり走らせたりする競技の記録集があった。
今の王都では竜を見世物にすることが禁じられて無くなってしまったが、昔は大盛況だったらしい。
「……ただ、あまりに乱読家すぎて困るのよ。続き物なのに1巻だけ読んで飽きたりするし。部屋が汚くて見失って歯抜けになったりするし」
「ああ、なるほど」
「本も高い買い物なのに、まったく」
などと私が愚痴るとアドラスがやや苦笑い気味なことに気付いた。
「……そういえばアドラスって」
「ああ」
「その……ピブリオマニアとか……収集家とか?」
「ま、まあ、多少、嗜み程度には」
「ふーん」
これは嘘をついてる顔ね。
そういえば実家の方の彼の仕事場は書類だけじゃなく書物もたくさんあったような。
「別に怒らないのに」
「そ、そうか?」
あまり見られない焦った顔をしている。
これはきっと、私以外の人間から何か言われてるんだろうな。
「今度、書斎を見せてもらえるかしら?」
「ああ、良いとも」
それから彼と、本の話題で盛り上がった。
静かな店だから、周囲に聞こえないように声を潜めながら。
近い距離で、彼の表情がころころと変わることが見てて嬉しかった。
そして、十分にプライベートを楽しんだ次の日。
本格的にお姉様の捜索のための打ち合わせを冒険者ギルドですることになった。




